鉄の女2.0「トラス英国新首相」を待ち受ける難題

鉄の女2.0「トラス英国新首相」を待ち受ける難題 このままでは大規模な暴動が起きる
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『9月5日、リズ・トラス外相が下馬評どおり保守党党首に選出され、英国で3人目の女性首相が誕生した。

 トラス氏はオックスフォード生まれの47歳。2010年に下院議員に初当選し、その4年後にキャメロン政権で環境相に抜擢された。ジョンソン政権では国際貿易相を務めた後、昨年9月に外相に就任してからはウクライナ侵攻の構えを見せていたロシアへの制裁をいち早く唱えるなど強硬な姿勢を示していた。今年2月に実際の侵攻が始まると、トラス氏がロシアに対峙する様子がメデイアで頻繁に取り上げられるようになり、知名度が一気に上昇した。

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 英国では「強い意志を持つ」女性のことを「鉄」にたとえることから、英国初の女性首相で強いリーダーシップを発揮したマーガレット・サッチャー氏は「鉄の女」と呼ばれた。スポットライトを浴びるようになったトラス氏は、政治姿勢や服装などがサッチャー氏に似ていることから、メデイアは「鉄の女2.0」と呼ぶようになっている。

 1979年に首相に就任したサッチャー氏は、外交面では共産主義に対して不寛容な態度を貫いており、対ロ強硬派のトラス氏はその後継者と言えるだろう。英国は今後も対ロシア強硬姿勢を続ける可能性が高いとみられている。

 サッチャー氏は内政面では国有企業の民営化など供給サイドの大改革を断行し、長年続いてきたインフレの退治に成功したが、首相に就任したトラス氏にとっても「インフレ退治」が焦眉の急だ。』

『インフレ悪化が確実視…

 物価高騰などに対する有権者の不満が高まり、保守党の支持率はこのところ低迷し、最大野党・労働党にリードを許している。

 8月16から17日にかけて実施された世論調査によれば、「明日総選挙ならどの党に投票するか」の問いに対し、労働党43%、保守党28%で15ポイントもの大差がついている。次の総選挙は2024年までに実施される予定だ。

 英国の7月の消費者物価指数が10.1%の上昇となり、約40年ぶりの記録的な水準になっているが、米ゴールドマン・サックスが8月下旬「インフレ率は来年初めに20%を超える可能性がある」と警告しており、インフレは今後さらに悪化することが確実視されている。

 英ガス電力市場監督局は8月26日「家庭用の電気・ガス料金が今年10月から80%引き上げられ、標準世帯で年額3549ポンド(約57万5000円)になる」ことを明らかにした。

 英国では発電用燃料の40%を天然ガスが占めている。英国のロシア産ガスの依存度は非常に低いものの、欧州全体のガス価格が高騰したせいで英国の家庭用のエネルギー価格の上昇が止まらないのだ。

 電力・ガス市場が自由化された英国ではエネルギー規制当局が供給事業者の調達コストや利潤などを考慮して、電気・ガスの販売単価の上限を設定している。急激な値上がりから消費者を守る「エネルギー・プライス・キャップ」と呼ばれる制度で、これまで半年ごとに見直されてきた。

 10月の大幅な増額改定は、英国での天然ガス価格が1年前の5倍強になってしまったことが大きく影響している。

 販売単価の上限は来年以降、市場価格の動きをより早く反映するため四半期毎に見直されることになっている。次回の改定(来年1月)には5387ポンド、同4月には6616ポンドになると予測されているが、6616ポンドという数字は「月平均で約9万円」という異常な数字だ。今年4月に電気料金は既に54%も値上がりしており、英国の家計の大部分が「青息吐息」の状態にあると言っても過言ではない。』

『英国が分裂の危機に

 首相となったトラス氏にとって最初の難題は家計の負担をいかに減らすかだ。トラス氏は選挙期間中、減税を直ちに実行するとともに、今年4月に実施された国民保険料の引き上げや今後予定される法人税の引き上げを撤回するなどの考えを示しているが、これだけでは「焼け石に水」と言わざるを得ない。

「10月から電気・ガス料金が8割値上げ」と報じられると、各地で市民がガソリンスタンドを破壊する事案が発生している。政府は生活費の高騰が引き金となって大規模な暴動が発生することへ備えているが、物価上昇を封じ込めるための対策を講じない限り、英国の治安は悪化するばかりだろう。

 英国では来年10月、スコットランドで独立の是非を問う2度目の住民投票が実施されることになっている。トラス氏は反対の立場だが、インフレを抑制できなければ「独立」派が勝利を収める可能性が高く、英国が分裂の危機に直面してしまうことになる。

 英国の危機を回避するためには電気・ガス料金のこれ以上の値上げを止めなければならないが、そのためには財政出動が不可欠だ。英国政府研究所の研究者らは8月23日「今年と来年の冬の2度にわたって電気・ガス料金を凍結するために必要な経費は1000億ポンド(約16兆円)に上る」との試算を発表した。新型コロナのパンデミックの際に政府が国民に支給した給与総額(700億ポンド)を上回る規模だが、英国の深刻な分断を回避するための必要経費なのかもしれない。

 いずれにせよ、トラス氏が2代目鉄の女を襲名するためにはサッチャー氏と同様、前代未聞の政策を断行しなければならないのではないだろうか。

藤和彦

経済産業研究所コンサルティングフェロー。経歴は1960年名古屋生まれ、1984年通商産業省(現・経済産業省)入省、2003年から内閣官房に出向(内閣情報調査室内閣情報分析官)。

デイリー新潮編集部 』