育ちは「左翼」、過去に王室廃止論も

育ちは「左翼」、過去に王室廃止論も 英次期首相、保守党で異色
https://www.jiji.com/jc/article?k=2022090501020&g=int

 ※ 今日は、こんなところで…。

 ※ こっちは、さらに「面白い」…。

 ※ 相当、「毛色の変わった」保守政治家のようだ…。

 ※ 親父さんは、「ひどく動揺している」らしい…。

 ※ ジョンソン氏も、「出自」的には、「いろんな血筋の入り混じった」人物だったらしい(『彼は多国籍に渡る先祖(キリスト教徒、ユダヤ教徒、ムスリムからなる)について触れ、自らを『ひとり人種るつぼ』(one-man melting pot)と称している[8]。 』wikiより)。

 ※ 「グローバル・ブリテン」を率いて行くには、そういう「多面的な要素」を兼ね備えていないと、難しいんだろう…。

『【ロンドン時事】英与党保守党の党首選を制し、次期首相に就任するトラス外相は、平和運動家の両親の下、「左翼の家庭」(英メディア)で育った。自身もリベラル政党の自由民主党に一時所属するなど、中道右派の保守党指導者としては異色の経歴を持つ。オックスフォード大卒業前後に突如「くら替え」して保守党に入党し、両親を驚かせたという。

サッチャー氏と比較、意に介さず エリザベス・トラス次期英首相

 トラス氏の父親は労働党左派の数学者で、母親は看護師や教師として働く傍ら核軍縮運動に奔走。反核デモに家族で参加するなど、生粋の保守党議員とは生い立ちがやや異なる。トラス氏はメディアに「私はとても(政治的に)左寄りの家庭で育った」と振り返っている。
 オックスフォード大進学後は自民党の学生代表として活動した。19歳の時に党大会で演説を行い、「出自により支配的な立場に立つのはおかしい」と王室廃止論を主張。今回の党首選中、メディアとのインタビューでこの件について問われ、「私は間違っていた」と「釈明」に追われた。

 後に自民党を離れ、1996年に保守党に入党。背景に何があったか本人は多くを語らないが、大学で保守党員の友人に出会い影響を受けたとも言われる。両親は娘の「転向」に強い衝撃を受け、特にリーズ大教授の父親は、大型減税実施や「小さな政府」を目指すトラス氏のサッチャー路線に「ひどく動揺している」(同僚)と報じられている。 』

サッチャー氏と比較、意に介さず エリザベス・トラス次期英首相

サッチャー氏と比較、意に介さず エリザベス・トラス次期英首相
https://www.jiji.com/jc/article?k=2022090500983&g=int

 ※ 「機を見るに敏な」「生粋のマキャベリスト」なのか…、という感じだ。

 ※ 今回も、裏では相当ジョンソン氏をディスってたようだが、表では「最後まで、擁護する姿勢」を見せて、ジョンソン氏の支持層を取り込んで勝利したようだしな…。

 ※ いずれ、「一筋縄ではいかない」「手ごわい」人物なんだろう…。

『「鉄の女」と呼ばれた故サッチャー元英首相を信奉している。服装やハンドバッグまで「まねしている」とメディアで報じられたが、本人は「私は私」と意に介さない。動じない姿が、またサッチャー氏と比較される。

英与党党首選、トラス氏勝利 3人目の女性首相誕生へ―ジョンソン氏後継、6日就任

 1975年、南部オックスフォード生まれ。両親は共に労働党左派。少女時代、両親に連れられて行った反核デモでは、参加者らが「マギー(当時首相のサッチャー氏)は出て行け」と叫んでいたこともあった。中部リーズの公立校を経てオックスフォード大に進学し、多数の政治家が学んできた哲学・政治学・経済学(PPE)を専攻した。

 石油大手ロイヤル・ダッチ・シェルなどで勤務後、2010年に下院議員に当選。早くから才覚を見込まれ、環境相や司法相、国際貿易相などを歴任し、21年9月から外相を務めた。

 16年の欧州連合(EU)離脱をめぐる英国民投票では残留派だったが、その後に態度を一転し離脱支持に回った。20代初めに党大会で出会ったという会計士の夫との間に娘が2人。47歳。 』

米主導IPEF、供給網強化へ 経済安保で「脱中国」

米主導IPEF、供給網強化へ 経済安保で「脱中国」―閣僚声明案
https://www.jiji.com/jc/article?k=2022090500555&g=int

『【ロサンゼルス時事】バイデン米政権は5日、米ロサンゼルスで8、9日に開く新たな経済圏構想「インド太平洋経済枠組み(IPEF)」の閣僚級会合の声明案を固めた。半導体や重要鉱物を念頭に、参加国間で国際サプライチェーン(供給網)の混乱を早期に察知する体制整備に優先して取り組む方針を打ち出す。経済安全保障の観点から中国に対抗する狙いだ。

IPEF、8、9日に閣僚会合 米ロサンゼルスで―日米など14カ国

 閣僚級会合では、米国と日本、インドなど参加表明した14カ国が正式交渉開始の宣言を目指す。交渉は「供給網」「クリーン経済」「貿易」「公平な経済」の4分野で構成され、それぞれ交渉目標を盛り込んだ声明をまとめる。

 新型コロナウイルス禍やロシアによるウクライナ侵攻の教訓を踏まえ、国際供給網の再編を急ぐ。声明案によると、半導体や鉱物資源、食料を相手国に対する威圧の「武器」として扱う中ロへの過度な依存から脱するため、情報共有や代替調達の体制を整える。台湾有事もにらんで生産拠点の分散を図る構えだ。

 気候変動の危機対応として、クリーンエネルギーの普及を加速させる。日米は、二酸化炭素(CO2)を排出しない水素やアンモニアなどの新エネルギー、太陽光や風力といった再生可能エネルギーへの移行を支援。中国の経済圏構想「一帯一路」に代わる質の高いインフラ投資を促す。

 貿易分野では、デジタル経済のルール作りや農業における非関税障壁の緩和、税関手続きの電子化などに取り組む。関税を引き下げる市場開放には踏み込まない。公平な経済では、法人税の二重課税や汚職を防止する制度を構築する。』

ロシア、北朝鮮からロケット弾調達

ロシア、北朝鮮からロケット弾調達 米政府分析
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN062LO0W2A900C2000000/

『【ワシントン=中村亮】ロシアが北朝鮮から多数のロケット弾や砲弾の調達を進めていることが5日、分かった。米政府当局者が分析内容を明らかにした。米欧の経済制裁を受け、ロシアで武器の国内生産が滞っている可能性がある。

米政府当局者は北朝鮮からの調達について「(米欧による)輸出規制や制裁が一因となり、ロシア軍がウクライナで深刻な供給不足に苦しんでいることを示す」と指摘した。ロシアが北朝鮮からの調達をさらに増やす可能性があるとも説明した。ロシアは国連で北朝鮮への制裁強化に反対するなど、北朝鮮との関係を深めてきた。

ロシアは武器調達で他国に依存するケースが目立っている。米国務省のパテル副報道官は8月末の記者会見で、ロシアがイランから無人機を調達したと言及した。数百機の調達を目指しているようだ。米政権はこれまでにロシアが中国に軍事支援を依頼したとみており、中国の動向も監視しているとみられる。

米欧はウクライナに対し、武器供与を続けている。オースティン米国防長官は8日、ドイツのラムシュタイン空軍基地でウクライナ支援会合を開く。50カ国以上が参加し、武器支援の継続を確認する見通しだ。ロシアは武器調達を円滑に進められないと、中長期的にウクライナとの戦闘で不利になる公算が大きい。』

自衛隊内でのハラスメントの実態調査で異例の特別防衛監察

自衛隊内でのハラスメントの実態調査で異例の特別防衛監察
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220906/k10013805251000.html

 ※ なにしろ、少子高齢化社会なんで、女子自衛官や、退役自衛官まで搔き集めないとならない構造がある…。

 ※ この手の問題は、避けて通れない…。

 ※ この人は、元陸自所属のようだが、海自の方が深刻だろう(狭い艦艇内の閉鎖空間だし、航行中は、陸に上がってストレス発散することもできない…)。

 ※ まあ、各国共通の話しだが…。

『自衛隊の元隊員の女性が、セクハラの被害にあったと訴えていることなどを受けて、防衛省は、自衛隊内でのハラスメントの実態を調べるため特別防衛監察を行うことを決めました。特別防衛監察が行われるのは、5年前の南スーダンPKOの日報問題以来で極めて異例です。

ことし6月まで陸上自衛隊の部隊に勤務していた五ノ井里奈さん(22)は、在職中にセクハラの被害を受けたと訴えているほか、インターネットで呼びかけたところ、現役の隊員など146人からハラスメントを受けたことがあるという回答が寄せられたとして、8月、防衛省に実態の把握などを要望しました。
防衛省には、これまでにもハラスメントに関する相談が相次ぎ、重大な問題になっているとして、防衛省は、元検事長がトップを務める防衛監察本部の検事らを五ノ井さんの被害の調査にあたらせるとともに、ハラスメントの実態を調べるため、防衛監察本部による特別防衛監察を防衛省・自衛隊内のすべての組織を対象に行うことを決めました。

特別防衛監察が行われるのは、5年前に防衛省が破棄したと説明していた南スーダンのPKO部隊の日報を実際には陸上自衛隊が一貫して保管していたことが明らかになって以来、6例目で、防衛省は調査や監察結果を踏まえ、関係者の処分などを行うことにしています。
また、ハラスメント対策を抜本的に見直すため、有識者による会議を設置することにしています。

浜田防衛相「基本的人権の侵害 あってはならない」

浜田防衛大臣は、閣議のあとの記者会見で「防衛省・自衛隊では長くハラスメントの防止対策に取り組んできたが、相談件数は増加の一途をたどるなど、引き続き重大な問題となっている。ハラスメントは基本的人権の侵害であり、あってはならないことだ」と述べました。

そして6日、関係幹部を集めてすべての自衛隊を対象とした特別防衛監察の実施や、対策を抜本的に見直すための有識者会議の設置などを指示したことを明らかにしました。』

KADOKAWA幹部ら2人逮捕 五輪組織委元理事に贈賄容疑 東京地検

KADOKAWA幹部ら2人逮捕 五輪組織委元理事に贈賄容疑 東京地検
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220906/k10013805451000.html

 ※ だんだん、事件は、思わぬ「広がり」を見せて来たな…。

『東京オリンピック・パラリンピックのスポンサー契約をめぐる贈収賄事件で、大会スポンサーだった出版大手KADOKAWAの幹部ら2人が組織委員会の高橋治之元理事(78)におよそ7000万円の賄賂を提供していたとして、東京地検特捜部に贈賄の疑いで新たに逮捕されました。
また、高橋元理事と元理事の知人の会社代表が受託収賄の疑いで逮捕されました。東京地検特捜部はさきほどからKADOKAWA本社の捜索を始めました。』

日本が抱える安全保障・防衛政策の課題

日本が抱える安全保障・防衛政策の課題―三文書の改正をめぐって
政治・外交 2022.09.06
北岡 伸一 【Profile】
https://www.nippon.com/ja/in-depth/a08401/

『・防衛政策の課題―三文書の改正をめぐって

防衛基本方針の改定に向けて
日本が抱える安全保障・防衛政策の課題―三文書の改正をめぐって
政治・外交 2022.09.06

北岡 伸一 【Profile】

ウクライナ戦争、そして「台湾有事」も取りざたされる米中対立の激化など、日本の安全保障環境は切迫さを増している。筆者は、「安全保障三文書」にエネルギーを割くよりも、政府は自国の抱える防衛上の欠陥を直視し、その是正を次々と進めるべきだと指摘する。

今でも通用する現行の国家安全保障戦略

安全保障三文書の改定と防衛費の大幅増加が日程に上っている。

まず、安全保障三文書とは何なのか。それを確認するところから始めたい。

三文書の最上位にあるのは、国家安全保障戦略(2013年12月)である。これが制定されるまで、驚くべきことに、戦後日本に包括的な安全保障戦略は存在しなかった。

存在したのは、ただ一つ、1957年5月20日、岸内閣が閣議決定した「国防の基本方針」である。それゆえ、国家安全保障戦略は、国防の基本方針を改定したものということになる。

国防の基本方針は、極めて短いものである。最初に、国防の目的について、「国防の目的は、直接及び間接の侵略を未然に防止し、万一侵略が行われるときはこれを排除し、もって民主主義を基調とするわが国の独立と平和を守ることにある」と述べている。極めて真っ当なものである。

そして、この目的を達成するための基本方針として、「(1)国際連合の活動を支持し、国際間の協調をはかり、世界平和の実現を期する、(2)民生を安定し、愛国心を高揚し、国家の安全を保障するに必要な基盤を確立する、(3)国力国情に応じ自衛のため必要な限度において、効率的な防衛力を漸進的に整備する」という三点を挙げている。これまた真っ当なものである。

そして、最後に、「(4)外部からの侵略に対しては、将来国際連合が有効にこれを阻止する機能を果し得るに至るまでは、米国との安全保障体制を基調としてこれに対処する」とある。これが、実際のところ、日本の防衛政策の基調となったのである。

この文書の欠点の一つは、国連の役割に対する過大な評価である。当時、創立から12年しかたっていない国連に対する期待は高く、特に、56年に加盟したばかりの日本の期待は高かった。また、1950年に勃発した朝鮮戦争では国連軍が組織されており、国連による安全保障ということも、まったく考えられないことではなかった。しかし、その後、一度も国連軍は組織されていないし、かつてのような国連に対する高い期待は日本にも世界にもない。

もう一つ、この国防の基本方針の問題点は、簡単すぎて、具体性に欠けることである。

それゆえ、2013年の国家安全保障戦略の制定は画期的であった。

そこには、国際協調に基づく積極的平和主義という方針が打ち出され、日本自身の防衛努力、同盟国との協力の強化、世界の安定のための努力が主張されている。これらは、今でも十分通用するものである。

この中には、中国の脅威については、十分強調されてはいないし、ロシアの脅威についての言及もない。また16年以後安倍内閣が打ち出した「自由で開かれたインド太平洋」(FOIP)という概念には触れられていないし、QUAD(クアッド、日米豪印の協力枠組み)についての言及も当然ない。

しかし、この文書を改定して、中国の脅威をさらに強調し、ロシアの脅威を強調したら、日本はより安全になるだろうか。答えは否である。この文書の範囲で必要な政策を進めればよい。また、FOIPやQUADも、大枠は打ち出されているから、淡々と必要な政策を進めればよいのである。つまり、国家安全保障政策は、必ずしも改定する必要はないのである。
防衛計画の大綱と中期防衛力整備計画

国家安全保障戦略の下には、防衛計画の大綱という文書があって、近年は5年に一度ほど改定されている。そこでは、日本の防衛のあり方が述べられており、その下に、中期防衛力整備計画があって、具体的に必要な防衛力の整備方針が述べられている(以下、大綱および中期防と略記)。現在のものは、2018年12月に定められたもので、「2019年以降の大綱」「2019年以降の中期防」と呼ばれている。

大綱は、冷戦の終焉(しゅうえん)後、1995年、2004年、10年、13年、18年に改定され、それぞれ「1996年以降の大綱」「2004年以降の大綱」などと呼ばれている。中期防についても「1996年以降の中期防」「2004年以降の中期防」と呼ばれている。

これらは、「安全保障と防衛力に関する懇談会」等の名称の首相の私的諮問機関が設置され(自衛隊、防衛省、外務省OB、学者、財界人等などからなる)、その議論を踏まえて関係省庁が取りまとめることが通例である。

この会議には、その時々の課題が反映されている。

例えば、1995年のものは、元来ソ連の脅威を対象としていた日米安全保障条約が、冷戦終焉後になお必要なのか、なぜ必要なのかを考えるところから出発している。

2004年には、01年の同時多発テロとその後のアフガニスタン戦争、イラク戦争が背景にあった。また09年の懇談会(自民党政権崩壊のため、大綱には至らなかった)は、北朝鮮のミサイルと核が念頭にあった。10年には、尖閣問題の緊張が意識され、またそれまでの北方重視の転換が図られた。13年には陸海空の3自衛隊の統合が重視されるようになり、18年にはサイバー、宇宙、電磁波などのマルチ・ドメインの重視が図られた。

このような懇談会方式は、悪くはないが、どうしても現状維持的で変化が遅くなるという欠点がある。日本の意思決定はコンセンサスによることが多い。また、防衛省・自衛隊のOBが参加して、陸海空の妥協で決めていくため、変化は遅く、少しずつしか進まない。

例えば、かつての基盤的防衛力は、1970年代の半ばから2010年まで維持された。また北方重視は、2010年まで変わらなかった。18年には、後述のように、専守防衛は維持された。
成果上げた安倍改革

これと著しい対象をなすのは、第二次安倍内閣における一連の改革である。

2013年12月には特定秘密保護法が制定された。日本では情報の漏洩(ろうえい)が甚だしかった。それでは同盟国との情報共有が困難であるため、安倍内閣は、これを取り締まるための法律を、世論の批判を押し切り、内閣支持率が下がるのは覚悟の上で成立させた。

同年同月、国家安全保障会議(NSC)と、これを支える国家安全保障局(NSS)が設立された。これも長年の課題であり、日本の安全保障の司令塔が、ようやくできたのである。これと合わせて、国家安全保障戦略と14年以降の大綱、中期防も成立した。

14年には、防衛装備品移転三原則が定められた。それまでは、武器輸出が事実上禁止されており、その結果、国際共同生産もできなかった。歴代の安防懇でも、柔軟化が求められていたが、ようやく、ここで実現した。

また、14年には安保法制懇の提言を受けて、集団的自衛権の行使の部分的解禁が閣議決定された。そしてこの解釈変更を踏まえて、15年、安倍内閣は新しい平和安保法制を、野党の強い反対を押し切って成立させた。

同じ15年、安倍晋三首相は戦後70周年談話を発表し、日本が侵略したことを認め、改めて謝罪するとともに、今後の世界平和への貢献の決意を述べ、世界の大部分の国々の理解を得た。これも日本の安全に大きく寄与する行動であった。

その後、16年には、ケニアのナイロビで、自由で開かれたインド太平洋(FOIP)という構想を打ち出し、米国やG7から賛同を得ているのも、以上の実績に立脚するものである。いずれも、安倍首相のリーダーシップが決定的に重要であって、懇談会を設置した場合でも、首相の問題意識を明確に示し、適切な人選を行なって、議論の大枠をリードした。

防衛予算の考え方

私は、三文書改定にエネルギーを割くよりも、現実の事態の切迫に鑑みて、首相のリーダーシップによって、目の前にある欠陥の是正を、次々と進めるべきだと考えている。とくに重要なのは、武器の調達と訓練であり、その鍵は予算である。

日本の防衛予算には二つの大きな特色がある。一つは、同盟国の歓心を買うため、米国から最新の武器を買うこと、もう一つは国民に対して予算はGDPの1%以下であると、その小ささを強調することである。

その結果、中間部分が欠落している。つまり、先端的な武器はあるが、弾薬や人員が著しく不足しており、武器や基地を守る体制も脆弱である。これを補い、継戦能力を高め、抗堪性の高い、すなわち縦深性のあるものとすることが必要である。

現在、防衛費を従来の1%弱から2%に上げることが議論されている。しかし、実際には諸外国は軍人年金や海上保安の費用は軍事費に計上するので、日本もそうすれば、1.3%近くになる。さらに上記の欠陥の是正を進めれば、それほど急激な軍拡になるわけではない。

また、日本の人員不足は、日本全体の少子化のせいでもあって、容易に克服できない課題である。これに対応するためには、第1に無人化、第2に給与や手当ての引き上げ(とくに不足が深刻な海上自衛隊)、第3に女性等も活躍できる環境・制度の整備が必要である。また、傭兵もあり得るだろう。人類史では傭兵が長い歴史を持っており、現在はロシアですら傭兵を持っている。また日本の在外公館やJICAの在外事務所の多くは、外国の警備会社に依存しており、これも一種の傭兵である。

反撃力の整備を

今回、大きな課題は反撃力の整備である。

日本は長年、専守防衛政策を取ってきており、歴代の防衛白書や大綱などにも明記されている。しかし、厳密にいうと、専守防衛という戦略はあり得ない。戦争になれば、領土を取ったり取られたりすることがあり、奪還作戦は当然攻勢となるのであって、純然たる専守防衛はあり得ない。しかるに歴代政府は、日本は守り、米国が攻撃を担うという役割分担論によって、日本の政策はもっぱら防衛であると主張してきた。

歴代の内閣で、唯一、攻撃の可能性について述べたのは、鳩山一郎内閣のときの敵基地攻撃能力についての発言で、これは、敵のミサイルがまさに発射されようとしているときには、座して死を待つべきではなく、この基地を叩くことはあり得る、という形で述べられた。

しかし、それは現在の軍事技術では不可能である。相手の基地は地下を含め多数存在し、これを事前に叩くことは、ほとんど不可能である。他方で、もし攻撃されたら反撃するのは正当な防衛の一部であって、その場合、攻撃対象はその基地に限らず、広く相手の軍事システム全体を対象としてよい。その意味で、私はこれを反撃力と名づけ、その保有が必要だと2007年ころから論じてきた(※1)。

18年の安防懇では、北朝鮮よりも中国の方が重大な脅威であるという認識があり、ミサイル防衛はもはや有効ではないという見方があったのに、大きな変更はなされなかった。近年、ようやく専守防衛を厳格に守るのではなく、また敵基地攻撃ではなく、反撃力を整備することによって、全体として相手の攻撃を思い止まらせる、つまり抑止するという議論が多数を占めつつあるようであるが、ずいぶん長い時間がかかったものである。

いずれにせよ、これは必ず実現する必要がある。大綱でも中期防でも明記されることが望ましいが、専守防衛は精神であって政策でないと考えれば、専守防衛という概念を変えなくても、反撃力は持てる。

目の前にある課題を実行可能に

以上、要するに、安全保障政策の骨格はかなり出来上がっているので、これを実行可能なものにすることが急務だと私は考える。

その他にも課題は多い。

たとえば台湾有事になると、日本の基地から米軍が出撃する可能性が高いが、その時は事前協議が行われるはずだが、その用意はあるのだろうか。

台湾有事があったとき、日本は中国在住の10万人を超える日本人、台湾在住の2万人を超える日本人を避難させられるだろうか。

水陸両用部隊の建設が進んでいるが、仮に尖閣が奪取され、これを奪還する場合、猛烈な空爆や艦砲射撃の後でしか、上陸作戦はできない。その準備がなされているのだろうか。
沖縄の普天間基地の移転が進められているが、巨額の費用と長い年月が必要である。それで近い将来の有事に間に合うのだろうか。

最後に、文書の改定に取り組むのなら、根本的には憲法改正であろう。私は憲法改正なしに、さらに解釈を柔軟化することで対応可能だと考えるが、政府は憲法改正が必要だという意見らしい。それなら、憲法改正に前向きな政党が、発議に必要な3分の2を占めている現在、ただちに自民、公明、維新、国民などの党派で共通の改正案を取りまとめ、国会に提出すべきではないだろうか。コンセンサスの成立を待っている時間はないはずである。
バナー写真:陸上自衛隊部隊の装備を視察する岸田文雄首相(手前)=2021年11月27日、陸上自衛隊朝霞駐屯地(時事)

(※1) ^ どのような反撃力が必要かについては、私は森聡教授と共著で、論文を発表しているので、そちらを参照されたい。「ミサイル防衛から反撃力へ―日本の戦略の見直しを」『中央公論』2021年4月号所収

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国家安全保障戦略 防衛計画大綱 中期防

北岡 伸一KITAOKA Shin’ichi経歴・執筆一覧を見る

東京大学名誉教授、国際協力機構(JICA)特別顧問。専門は日本政治外交史。1948年生まれ。東京大学法学部卒、同大大学院法学政治学研究科博士課程修了、法学博士。東京大学法学部教授、日本政府国連代表部次席代表、国際大学学長、JICA理事長などを歴任した。著書に『日本政治の崩壊―第三の敗戦をどう乗り越えるか』(中央公論新社、2012年)『門戸開放政策と日本』(東京大学出版会、2015年)『世界地図を読み直す』(新潮社、2019年)『明治維新の意味』(新潮社2020年)など多数。』

なぜ米空軍の訓練で「100年前の中国の地図」が使われる?

なぜ米空軍の訓練で「100年前の中国の地図」が使われる? 習近平の妄執の背景にある「国恥地図」
https://www.dailyshincho.jp/article/2022/09060559/?all=1

『台湾を巡って米中間の緊張が高まっている。そうした中、米空軍の教育訓練では、約100年前の中国地図が使用されたという。軍事衛星もある時代に、なぜそんな古いモノを使うのか。実は、この地図には習近平政権の意図を読み解く鍵が隠されているのだ。【譚 ろ美/作家】

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【写真5枚】訓練で使われる100年前の中国の地図

 台湾海峡やアジア太平洋地域の安全を脅かす中国を前に、警戒感が高まっている。きっかけは、8月2日、中国が強く反対したにもかかわらず、アジア歴訪中のペロシ米下院議長率いるアメリカの議員団が、電撃的に台湾を訪問したことだ。翌日、ペロシ下院議長は蔡英文総統と会談し、「世界は今、民主主義と専制主義のどちらを選ぶのか迫られている。台湾と世界の民主主義を守るためのアメリカの決意は揺らぐことはない」と述べた。

 台湾を中国の一部だとみなす中国は、報復措置として4日から10日まで、台湾を包囲する六つの海空域で史上最大規模の軍事演習を実施した。中国軍は最初の4日間だけで、のべ41隻の艦船と176機の軍用機を出動させ、そのうち100機以上が台湾海峡の非公式の休戦ラインである「中間線」を越えて台湾本島に迫った。

 また、中国軍は初日に11発の弾道ミサイルを発射し、このうち4発が台湾の上空を越えて東側の海に着弾したほか、5発が日本のEEZ(排他的経済水域)に着弾した。日本政府は中国側に抗議したが、中国外務省は「日中両国は関連の海域で境界をまだ確定しておらず、日本のEEZという言い分は存在しない」と主張した。
台湾周辺での軍事演習が常態化か
ナンシー・ペロシ、蔡英文

ナンシー・ペロシ下院議長、蔡英文総統(他の写真を見る)

 火に油を注いだのは14日、マーキー米上院議員ら5人のアメリカ議員団が事前発表なしに訪台し、15日に蔡英文総統と会談したことだ。

 案の定、中国軍は同日、再び台湾周辺で軍事演習を実施した。中国国防省も声明を発表し、「台湾海峡の平和と安定の破壊者としての米国の本性が完全に露呈した」として、「中国人民解放軍は戦争に向けた訓練と準備を続け、国家主権と領土の一体性を断固として守り、いかなる形の台湾独立分離主義と外国の干渉も断固として粉砕する」と表明。今後、台湾周辺での軍事演習が常態化するのではないかと懸念されている。』

『米国の態度も変化

 今後、中国の海洋進出に対抗して、アメリカが主導するインド太平洋戦略における最も重要なカギとなるのが「台湾侵攻」を食い止められるかどうかだ。

 たとえば、昨年12月8日、米国上院外交委の台湾問題に関する公聴会で、インド太平洋安全保障担当のラトナー国防次官補は、「台湾は米国の同盟ネットワークの極めて重要な結節点だ」と述べた。

「なぜなら台湾は第1列島線における極めて重要な結節点に位置し、インド太平洋地域における安全保障と米国の死活的利益の防衛に極めて重要な同盟国・パートナー網の錨(アンカー)となって支えている」として、台湾を守るために、軍事的威圧を続ける中国を最も警戒しなければならないと強調した。

 これまで米国は「一つの中国」政策をあいまいに支持してきたが、緊迫した国際情勢の下で、政策解釈の上で大きな変化が生じたことは明らかだ。
米軍が93年前の地図を訓練で使用
国恥地図

米グッドフェロー空軍基地では「国恥地図」を分析(他の写真を見る)

 そうした中、米空軍基地の訓練機関で93年前に中国で使われていた「国恥地図」を教材に使用していることがわかった。

 国恥地図については、後で詳しく触れるが、「産経新聞」(2021年12月6日付)の報道によれば、テキサス州グッドフェロー空軍基地に所属する教育訓練機関が訓練風景を公開した数枚の写真の中に、偵察・情報担当の教官が「国恥地図」をもとに講義する様子が写っていた。記事では、詳細は不明だがと断わりがあるが、教官が国恥地図を指しながら、台湾や中国大陸の沿岸部を青い蛍光ペンで囲んで、何ごとかを説明している。

 米軍なら高度な技術や精密な衛星画像を駆使して最新地図を得られるだろうに、なぜそんな古い地図を使っているのか。実は、この地図は単なる地形図ではない。いわく因縁付きの代物なのだ。

 この報道より約2カ月前、私は『中国「国恥地図」の謎を解く』(新潮新書)を出版した。国恥地図が作られた歴史的経緯や製作過程を調査し、今日でも中国が愛国主義教育の教材として使っているという事実を突き止めた。

 また、現存する約20種類の国恥地図の中から、代表的な5種類を取り上げて分析したのだが、その5種類の中に、米軍が使用している国恥地図と同一のものが含まれていたのである。』

『国恥地図とは何か

 米軍が使用していたのは、「中華国耻地図」(中華民国・河北省工商庁、1929年発行)である。拙著に掲載した「中華国恥地図」(上海中央輿地学社、発行年不詳)と発行元は異なるが、地図自体は同じものだ。それに触れる前に、まず国恥地図とは何なのかについて簡単に説明しよう。

 国恥地図とは、かつて中国が戦争で列強に奪われた領土、すなわち「国の恥」を示した地図だ。国境線は、台湾、沖縄、東南アジア諸国、中央アジア諸国など近隣18カ国を通り、南・東シナ海をほぼ囲い込んでいる。作られたのは1920~30年代の蒋介石が支配した中華民国時代で、小学校の教科書にも用いられた。

 年表をご覧いただこう。「国恥」という言葉が最初にメディアに現れたのは1915年、日本が袁世凱・北京政府に「21カ条要求」を突きつけた時だとされる。袁世凱が要求を受け入れたことに国民が猛反対し、新聞が「国の恥」だと書いた。

 次いで1929年、蒋介石・国民政府は八つの「国恥記念日」を定めた。現在では法的に存在しないが、記念日は何度か変遷を経た結果、今でも中華人民共和国では、共通認識として四つの「国恥記念日」が定着している。

 5月3日(28年、済南事件[山東出兵])、5月9日(15年、21カ条要求)、7月7日(37年、盧溝橋事件)、9月18日(31年、柳条湖事件、満州事変)だ。これらはいずれも日本と深い関わりがあるが、今日、その日が何なのかを言える日本人はあまり多くはないだろう。
文字が読めない国民に愛国教育を行うために
国恥地図

国恥地図(他の写真を見る)

 1928年当時、中国国民の識字率は20%にも満たず、人々は政治に疎く無関心だった。そのため政府は国民に「愛国と雪辱の精神」を教え込もうと、官製カルチャーセンターのような「民衆学校」や「民衆教育館」を建設し、ひんぱんに講演会や展示会を開いて国恥教育を広めた。

 しかし、いかんせん国民は文字が読めないので、文字教材は役に立たない。そこで考えついたのがビジュアル化した国恥地図だった。講演会で演壇に掲げる大地図、ポスター、各種国恥グッズ、新聞や雑誌の付録、マッチ箱のデザインに至るまで、多数の国恥地図を製作して広めた。

 また、第1次全国教育会議(28年)を開いて、小中学校に国恥教育を取り入れることも決定した。私が古書店から入手した「中華国恥図」は、地理教科書「小学適用 本国新地図」(世界輿地学社、33年)にあるもので、当時作られたものだ。地図には破線の上に重ねて、太い赤線で「旧時国界(きゅうじこっかい)」(過去の領土)が示されている。北はロシアのサハリンやシベリア、モンゴル各地、西はカザフスタンやアフガニスタン、南はマレーシアやシンガポール、南シナ海から台湾、沖縄まで囲い込み、当時の領土の約2倍の大きさだ。これらは清朝時代の藩属や朝貢国だった国々で、「大清帝国の支配地域」だとみなしている。

 だが、日本についていえば、沖縄(琉球)は確かに清朝時代に朝貢していたが、中国の領土として支配された歴史的事実はない。南・東シナ海にしても、かつて清国の影響力が強かったり、中国の漁民が漁をしたりしていたという理由だけで「支配地域」だとするのは、論理の飛躍も甚だしい。百歩譲って戦前ならそんな考え方もあっただろうが、21世紀の国際社会では到底認められないことだ。』

『「次は台湾」の恐怖

 ところが、中国政府は今でも、この地図が本当の「支配地域」だと本気で思っている。というのも、以下のような体験に基づく。

 私が国恥地図の存在自体を知ったのは、1997年「香港返還」の時だった。当時、国恥地図の復刻版が多数出回り、北京や香港でブームになっていた。中国人民出版社は小冊子「近代中国 百年国恥地図」を出版し、香港返還を絶好の機会と捉えて、「アヘン戦争で奪われた香港を取り戻した」と、大々的に宣伝した。中国共産党の古参幹部のひとりが、「これで香港は済んだ。次は台湾だ!」と言うのをたまたま耳にして、思わず身震いしたのを覚えている。

 中国では、1980年代に歴史地理学が確立し、伝統的な「文化的中国」という概念を現代政治と結び付けることが、政治方針の理論的裏付けとなった。華僑が多数生活している東南アジア諸国は、「中華帝国の文明が光り輝いていた国や地域」であるから「文化的中国」であり、そこは「奪われた土地」なのだから、中国が経済発展した今こそ「本来の姿」を取り戻すべきだと考えている。

「失地回復」に執念を燃やしているのが現代中国

 アヘン戦争以来、列強に不平等条約を強要され、領土を租借地化、割譲させられ、国民が不当に虐げられた恥辱を雪(そそ)ぐことこそ民族の誇りの回復だと本気で信じているのである。為政者としては、そうした一体感を持ち出さなければ、あの広大な国家を統治することはかなわず、常に「外部の敵」を作り出さねばならないこともあるのだろう。

 一言で言ってしまえば、100年来の「国恥意識」で「失地回復」に執念を燃やしているのが現代中国である。米軍が国恥地図を使って中国分析を行う理由は、まさにこの「中国の本質」を見極め、「台湾侵攻」の本気度を測るための理想的なツールだからではないだろうか。』

『「中国人は世界の国民ではなくなってしまう」

 さて、米軍の教材となった「中華国耻地図」だが、前述のように1929年発行の中華民国・河北省工商庁が製作したものだ。

 よく見ると、地図の隅にある赤い枠の内側と地図上に、細かい文字で不平等条約の締結年、場所、内容などが記されている。地図の下部ぎりぎりに海南島が描かれているので、1929年当時は「中国領の南限は海南島」だと認識されていたとわかる。南シナ海まで領海意識が広がったのは、1930年代に入ってからだ。

 欄外上部に「総理いわく」として、中華民国を建国した孫文の言葉が記されている。

 右側は、「現在の中国は国際的な平等と自由を失い、すでに完全な独立国家ではない。人々はみな半植民地と言うが、私に言わせれば、全き植民地にすら及んでいない。(中略)中国の地位は高麗(朝鮮)や安南(ベトナム)よりも低いからだ」。左側は、「我々中国人の地位はこれほどまでに落ちぶれた。もしまだ国民が精神を奮わないならば、そして心を一つに協力し合い、租界と海事・領事裁判権を奪回し、一切の不平等条約を排除しなければ、我々中国は世界の国家ではなくなり、我々中国人は世界の国民ではなくなってしまう(つまり、中国は世界から消滅してしまう)」と記されている。
外国批判より「学ぶべき点が多い」とした孫文

 調べてみると、どちらも1924年に孫文が発言した演説内容で、右側の言葉は、1924年11月19日、上海で記者会見したときのものだ。改めて会見記録を読むと、前後の文脈から「日本やイギリス、フランスの植民地支配は充実していて、福利厚生も行き届いている。(それに比べて)中国は植民地にも劣る劣悪な環境だ」と、外国を批判するより、むしろ「外国に学ぶべき点が多い」ということに重点が置かれているようだ。

 一方、左側は、1924年11月25日、神戸の華僑歓迎会で行った講演の一節で、その3日後、孫文は神戸の旧制神戸高等女学校講堂で有名な「大アジア主義」の講演を行っている。「日本は西洋の覇道の番犬となるか、それとも東洋王道の干城(かんじょう)となるか」と、日本人に向けて強い警告の意味を込めたメッセージを残した。ついでに言えば、神戸の講演会を終えた孫文は、神戸から船で北京へ向かう途中、天津港で喀血(かっけつ)し、列車で北京へ運ばれた後、1925年3月、「革命未だならず」という遺言を残して肝臓がんで亡くなった。』

『国恥地図は日本製だった?

 この「中華国耻地図」にはもうひとつ、鉄道路線図が目立つという特徴がある。

 実は、孫文は1900年に日本人の革命支援者たちに依頼して、日本で「支那現勢地図」を製作している。鉄道ネットワークを記すための「主題図」で、南限はやはり海南島だ。革命後の国家建設の大構想を練るために作った。これは推測だが、孫文の死後、「孫文の後継者」を自任する蒋介石が、「支那現勢地図」を使って国恥地図を作らせた可能性が十分に考えられる。

 もしそうなら、悪い冗談のような話だ。日本の侵略によって「国恥」という言葉が生まれ、「国恥記念日」が制定され、「国の恥」を忘れないよう国民を教育するために作られたのが国恥地図だ。それが、もとを正せば日本製の中国地図だったとは、まったく雑な仕事というほかない。日本人の感覚ならそれこそ恥ずべき所業だろう。だが、「使えるものは何でも使え」という拘りのなさ、パクリ精神こそ、中国的合理主義かもしれない。
「南シナ海は中国のもの」という考え

 1928年に開始された国恥教育は1940年代に入って日中戦争が激化したことで、それどころではなくなった。国恥地図も製作されなくなった。1945年に第2次世界大戦が終結すると、国民党と共産党の内戦が再燃し、負けた国民党は台湾へ逃げ延び、中国大陸には1949年、共産党政権である中華人民共和国が誕生した。

 すでにお蔵入りしていた国恥地図を再び持ち出したのは、現在の中国政府だ。共産党政権も国民党時代と同様、1980年代まで国恥地図を小中学校の歴史や国語の教材として取り入れた。その時代に学校教育を受けた中国人は、今でも「南シナ海は中国のもの」という考えを捨て去れないと聞いたことがある。

 また、中国政府は国際外交の面でも、国恥意識や失地回復を「外交カード」として使っている。南シナ海の領有権を主張して断固として譲らず、「核心的利益」と呼んで、東シナ海の台湾や尖閣諸島の領有権に固執する背景には、歴史的に生み出された「失地意識」がある。そして習近平政権は「100年の恥辱」を雪ぐことを使命とし、「大中華帝国」の再構築を国家の最高目標に掲げている。

 中国が南シナ海の領有権を主張する様は、ロシアのプーチン大統領がウクライナ侵攻を断行した際にロシア帝国の領土を回復することを「侵攻の根拠」としたのと、驚くほど似通っている。民間人の犠牲をいとわず、政治的な目的を果たそうとする点でも共通している。

 であるからこそ、米軍もこの地図を使用したのだろう。』

『「要」となる台湾

 教官が地図に描いた中国沿岸部の囲み線は、中国軍の五大戦区(軍の管轄区)のうち、台湾を管轄する東部戦区や南部戦区の作戦区域だろう。中国と台湾の距離は、最も狭い台湾海峡北部でわずか130キロメートルほどしかなく、東京と軽井沢くらいのイメージだ。中国人民解放軍は短時間で攻撃が可能である。この講義では、「国恥」の解説とともに「台湾侵攻」の動きを加速させている中国軍の現状を分析したにちがいない。

 5月23日、岸田文雄首相と米国のバイデン大統領による初の対面での首脳会談が行われ、共同声明が発表された。声明には「台湾海峡の平和と安定の重要性」を強調するとともに、「両岸問題の平和的解決を促した」と明記されている。

 翌日には、日米豪印4カ国の枠組み「クアッド」の首脳会合が行われた。ロシアのウクライナ侵攻や北朝鮮のミサイル発射と開発を非難し、インフラ、サイバーセキュリティー、宇宙など幅広い分野での協力体制を確認するとともに、中国を念頭に「包括的で強靭な、自由で開かれたインド太平洋」への揺るがない関与を確認して、「(中国含め)現状を変更し、地域の緊張を高めようとするあらゆる威圧的、挑発的又は一方的な行動に強く反対する」と、共同声明が発表された。

 今後の中国が、どこまで本気で南シナ海の領有権を主張し、台湾や尖閣諸島を取りに来るかは、予断を許さない。しかし「要」となるのは台湾であり、「台湾有事」こそが、今後の趨勢を大きく左右する「天下分け目の戦い」になることは間違いない。9月29日には「日中国交正常化50周年」を迎えて盛大な式典が催される予定だ。友好は大切だが、中国の本質を理解する上で、日本も「国恥地図」の分析は欠かせないだろう。

譚 ろ美(たんろみ)
東京生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。元慶應義塾大学訪問教授。革命運動に参加し日本へ亡命後、早稲田大学に留学した中国人の父と日本人の母の間に生まれる。『中国共産党を作った13人』『阿片の中国史』『戦争前夜―魯迅、蒋介石の愛した日本』など著書多数。

週刊新潮 2022年9月1日号掲載

特別読物「米軍が『台湾侵攻』分析に活用 『中国』100年前の『国恥地図』に秘めた野望」より』

鉄の女2.0「トラス英国新首相」を待ち受ける難題

鉄の女2.0「トラス英国新首相」を待ち受ける難題 このままでは大規模な暴動が起きる
https://www.dailyshincho.jp/article/2022/09060601/?all=1

『9月5日、リズ・トラス外相が下馬評どおり保守党党首に選出され、英国で3人目の女性首相が誕生した。

 トラス氏はオックスフォード生まれの47歳。2010年に下院議員に初当選し、その4年後にキャメロン政権で環境相に抜擢された。ジョンソン政権では国際貿易相を務めた後、昨年9月に外相に就任してからはウクライナ侵攻の構えを見せていたロシアへの制裁をいち早く唱えるなど強硬な姿勢を示していた。今年2月に実際の侵攻が始まると、トラス氏がロシアに対峙する様子がメデイアで頻繁に取り上げられるようになり、知名度が一気に上昇した。

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 英国では「強い意志を持つ」女性のことを「鉄」にたとえることから、英国初の女性首相で強いリーダーシップを発揮したマーガレット・サッチャー氏は「鉄の女」と呼ばれた。スポットライトを浴びるようになったトラス氏は、政治姿勢や服装などがサッチャー氏に似ていることから、メデイアは「鉄の女2.0」と呼ぶようになっている。

 1979年に首相に就任したサッチャー氏は、外交面では共産主義に対して不寛容な態度を貫いており、対ロ強硬派のトラス氏はその後継者と言えるだろう。英国は今後も対ロシア強硬姿勢を続ける可能性が高いとみられている。

 サッチャー氏は内政面では国有企業の民営化など供給サイドの大改革を断行し、長年続いてきたインフレの退治に成功したが、首相に就任したトラス氏にとっても「インフレ退治」が焦眉の急だ。』

『インフレ悪化が確実視…

 物価高騰などに対する有権者の不満が高まり、保守党の支持率はこのところ低迷し、最大野党・労働党にリードを許している。

 8月16から17日にかけて実施された世論調査によれば、「明日総選挙ならどの党に投票するか」の問いに対し、労働党43%、保守党28%で15ポイントもの大差がついている。次の総選挙は2024年までに実施される予定だ。

 英国の7月の消費者物価指数が10.1%の上昇となり、約40年ぶりの記録的な水準になっているが、米ゴールドマン・サックスが8月下旬「インフレ率は来年初めに20%を超える可能性がある」と警告しており、インフレは今後さらに悪化することが確実視されている。

 英ガス電力市場監督局は8月26日「家庭用の電気・ガス料金が今年10月から80%引き上げられ、標準世帯で年額3549ポンド(約57万5000円)になる」ことを明らかにした。

 英国では発電用燃料の40%を天然ガスが占めている。英国のロシア産ガスの依存度は非常に低いものの、欧州全体のガス価格が高騰したせいで英国の家庭用のエネルギー価格の上昇が止まらないのだ。

 電力・ガス市場が自由化された英国ではエネルギー規制当局が供給事業者の調達コストや利潤などを考慮して、電気・ガスの販売単価の上限を設定している。急激な値上がりから消費者を守る「エネルギー・プライス・キャップ」と呼ばれる制度で、これまで半年ごとに見直されてきた。

 10月の大幅な増額改定は、英国での天然ガス価格が1年前の5倍強になってしまったことが大きく影響している。

 販売単価の上限は来年以降、市場価格の動きをより早く反映するため四半期毎に見直されることになっている。次回の改定(来年1月)には5387ポンド、同4月には6616ポンドになると予測されているが、6616ポンドという数字は「月平均で約9万円」という異常な数字だ。今年4月に電気料金は既に54%も値上がりしており、英国の家計の大部分が「青息吐息」の状態にあると言っても過言ではない。』

『英国が分裂の危機に

 首相となったトラス氏にとって最初の難題は家計の負担をいかに減らすかだ。トラス氏は選挙期間中、減税を直ちに実行するとともに、今年4月に実施された国民保険料の引き上げや今後予定される法人税の引き上げを撤回するなどの考えを示しているが、これだけでは「焼け石に水」と言わざるを得ない。

「10月から電気・ガス料金が8割値上げ」と報じられると、各地で市民がガソリンスタンドを破壊する事案が発生している。政府は生活費の高騰が引き金となって大規模な暴動が発生することへ備えているが、物価上昇を封じ込めるための対策を講じない限り、英国の治安は悪化するばかりだろう。

 英国では来年10月、スコットランドで独立の是非を問う2度目の住民投票が実施されることになっている。トラス氏は反対の立場だが、インフレを抑制できなければ「独立」派が勝利を収める可能性が高く、英国が分裂の危機に直面してしまうことになる。

 英国の危機を回避するためには電気・ガス料金のこれ以上の値上げを止めなければならないが、そのためには財政出動が不可欠だ。英国政府研究所の研究者らは8月23日「今年と来年の冬の2度にわたって電気・ガス料金を凍結するために必要な経費は1000億ポンド(約16兆円)に上る」との試算を発表した。新型コロナのパンデミックの際に政府が国民に支給した給与総額(700億ポンド)を上回る規模だが、英国の深刻な分断を回避するための必要経費なのかもしれない。

 いずれにせよ、トラス氏が2代目鉄の女を襲名するためにはサッチャー氏と同様、前代未聞の政策を断行しなければならないのではないだろうか。

藤和彦

経済産業研究所コンサルティングフェロー。経歴は1960年名古屋生まれ、1984年通商産業省(現・経済産業省)入省、2003年から内閣官房に出向(内閣情報調査室内閣情報分析官)。

デイリー新潮編集部 』

中国共産党「第二のゴルバチョフにだけはなるな!」

中国共産党「第二のゴルバチョフにだけはなるな!」
https://news.yahoo.co.jp/byline/endohomare/20220905-00313725

『ゴルバチョフにより中ソ対立は解消したが、同時にゴルバチョフは世界最大の共産主義国家・ソ連を崩壊させた人物として中国の指導者は「第二のゴルバチョフにだけはなってはならない」ということを大原則にしてきた。

◆天安門事件進行中に訪中したゴルバチョフ

 中国と旧ソ連は1950年代半ばのフルシチョフ(第一書記)によるスターリン批判以来険悪な関係となり、長きにわたって中ソ対立が続いていたが、1985年3月にゴルバチョフ政権がソ連に誕生すると、事態は一変した。1986年7月、ゴルバチョフ書記長はウラジオストックで演説した際に、中国に関係改善を呼びかけ、鄧小平もそれを受け入れる準備があると意思表示した。

 こうして1989年5月15日にゴルバチョフは北京入りするのだが、折しも天安門広場にはその年4月15日に憤死した胡耀邦元総書記を追悼する若者が集まり、胡耀邦を憤死に追いやった鄧小平の「横暴と非民主性」を糾弾していた。

 だから民主を求める若者たちは、ゴルバチョフに会わせろと激しく叫んだのだが、その要求は鄧小平によって拒絶され、天安門広場における民主化運動は激化の一途をたどっていく。

 特にこのとき胡耀邦の代わりに中共中央総書記にさせられていた趙紫陽がゴルバチョフと会談した際に、趙紫陽がうっかり「最終的な決定権は鄧小平にある」と言ってしまったため、胡耀邦だけでなく、今度は趙紫陽までが鄧小平の逆鱗に触れ失脚してしまった(詳細は『習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』第六章p.301)。

 この時点で、中国におけるゴルバチョフ評価は決まってしまったが、1991年8月、ゴルバチョフがソ連共産党を解党し、12月にソ連の崩壊を招いてしまうと、中国でのゴルバチョフ評価は決定的なものとなる。

 中ソ対立を解消したことよりも、ソ連という世界最大の共産主義国家を崩壊させてという「恐怖」は、世界第二の共産主義国家であった中国の運命を決定づけた。

 もちろん、4月30日のコラム<無血でソ連を崩壊させたレーガンと他国の流血によりロシアを潰したいバイデン そのとき中国は?>に書いたように、ソ連崩壊と同時に中国はウクライナや中央アジア5ヵ国などを一気に歴訪して国交を樹立したという経緯はある。

 しかし、もう一つの側面を見るならば、「共産党による一党支配体制を維持するには、どうすればいのか」という衝撃と教訓の方が大きい。

◆絶対に「第二のゴルバチョフ」になってはならない!

 ソ連崩壊から中国が学び取ったものは数々あるが、その中で最大のものは「西側の外部勢力が他国を平和的手段で民主国家に持っていこうとする試みと扇動に騙されるな」ということで、それを警戒しなければならないという決意は強烈だ。

 実は、『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』の原型で1980年代に既に絶版になってしまった『卡子 出口なき大地』の中国語版を何としても中国大陸で出版させたいと長年にわたって努力してきたのだが、どの出版社も社長の段階までは「実に素晴らしい。公平に書かれていて感動的だ」と肯定してくれるものの、その上の地元政府当局の審査段階に入ると、必ず「今はまだ時期が適当ではない」という回答が戻ってきていた。

 最後には中国中央政府の元高官に相談したところ、以下のような回答が戻ってきた。

 ――ゴルバチョフのように、ひとたび言論を自由に解き放ったが最後、共産党の支配は一瞬にして崩壊してしまいます。共産党の支配が緩めば、中国はソ連以上に多くの少数民族から成り立っているので、たちまち各民族が自治区を中心に独立を主張して中華人民共和国も崩壊してしまうでしょう。それが最終的に中国人民の幸せにつながるかと言えば、そうとも限らない。それに、1921年以来、これだけ苦労して、多くの犠牲者を出しながら持ちこたえてきた中国共産党による統治を、ここで手放そうとする中国の国家指導者はいません。中国のリーダーが最も恐れるのは、「この自分が第二のゴルバチョフになりはしないか」ということです。どのリーダーも、絶対に「第二のゴルバチョフ」にだけはなりたくないのです。

 この言葉を聞いて以来、筆者は中国に見切りをつけてしまった。

◆中国で強まる「西側の甘い言葉に騙されるな」という警戒心

 8月30日にゴルバチョフが逝去すると、中国でも多くの報道が見られたが、そのほとんどは「第二のゴルバチョフになるな」という精神を軸としたものに偏っている。

 たとえば8月31日の環球時報英語版は<西側と仲良くなるというゴルバチョフの未熟な政策から教訓を>という趣旨の見出しで、哀悼の意を表しながらも、「ゴルバチョフは世間知らずで騙されやすく未熟だ」と批判している。「欧米体制を盲目的に崇拝することで、ソ連は独立を失い、ロシア国民は政治的不安定と深刻な経済的苦境に苦しんだが、中国はそれを自国の統治のための大きな警告や教訓とすべきだ」とも書いている。特にソ連崩壊後の1997年にゴルバチョフがピザハットのコマーシャルに出演したことへの嫌悪感を隠さない。

 また1955年にソ連とその友好国を中心として結ばれていた安全保障に関するワルシャワ条約機構は、1989年の東欧諸国における民主化革命で共産党政権が相次いで崩壊した結果、1991年7月1日にすべての政治・軍事機構が廃止・解体されたが、それに対する「原則なしの妥協」が悲劇を生んでいると、中国の他の多くの知識人などが解説を試みている。

 それによれば、ワルシャワ条約機構解体と同時に、「NATOの東方拡大を禁止する」ことが約束されていたはずなのに、そのことに対する詰めが甘かったことが、こんにちのウクライナ問題を生んでいると、厳しい。

 環球時報の解説委員だった胡錫進氏も<ゴルバチョフはソ連を裏切ることによって西側の賞賛を得た>という評論の中で、「それでもロシア社会はソ連社会よりも自由で、複数政党の選挙により西側陣営への統合を望んでいた。そのためG8のメンバーになったこともあったが、しかし、ワシントンの戦略的目標は、ロシアをさえ弱体化させ続けることであり、NATOの東方への拡大は、一歩一歩前進した。その全てが、結局、ロシアからの対抗措置の勃発につながり、ロシアが望んだ西側陣営への統合は隅に追いやられた」と書いている。そして以下のように続けている。

 ――振り返ってみると、ソ連は非常に強力で、かなりの技術革新能力を持っていた。最初の人工衛星と最初の原子力発電所はソ連で生まれた。当時の問題は農業の弱さと軽工業であった。資源の豊富なソ連がこれらの問題を解決するのは簡単だったはずだ。しかし、ゴルバチョフは問題を誤って判断し、間違った改革の道を選択し、政治的リーダーシップを欠いていた。彼自身は明らかに西洋文化の崇拝者であり、当時西洋の世論が彼に与えた賞賛を気にかけ、楽しんでさえいた。彼は欧米に騙されたのだ。(一部引用ここまで)

 習近平の戦略を、この「第二のゴルバチョフにだけはなるな」という中国が得た教訓という角度から分析するのは、興味深い作業である。

遠藤誉
中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。中国問題グローバル研究所所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。日本文藝家協会会員。著書に『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』、『ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略』、『 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』、『ポストコロナの米中覇権とデジタル人民元』、『「中国製造2025」の衝撃 習近平はいま何を目論んでいるのか』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』、『中国がシリコンバレーとつながるとき』など多数。』

健康バーコードという人民掌握手段

健康バーコードという人民掌握手段
http://blog.livedoor.jp/goldentail/archives/29599626.html

『 人口が2100万人を抱える四川省の成都で、ロックダウンが始まりました。ロックダウンにひっかかると、成都から出られなくなるので、ここでイベント会場を借りて、大規模なペット販売フェスティバルを予定していた企業が、設営が完了しているイベント会場を、そのまま放置して、全力で成都から逃げるという事件が起きて、話題になっています。
なんで、こんな事件が起きるかと言うと、つい前日まで、成都ではロックダウンは起きないと、行政がアナウンスしていたからです。しかし、上海などの例を人民は知っているので、政府が何を言おうと、信じる人が少数派になっています。実際、噂が流れた時点で、成都では食料品のパニック買いが始まり、鶏を捌く時間も無く、生きたまま自動車の荷台に放り込む様子も動画で出ています。

政府の言う事を信じて、バカを見るのは自分なのです。そして、成都に住む住人のPCR検査が始まったのですが、毎日検査する事が義務付けられているにも拘わらず、初日から検査を受けられない人が続出し、いつ終わるか判らない行列が夜通し続いています。検査を受け終わらないと、健康コードという罹患状態を示すサインが、安全を示すグリーンにならないので、成都にいるなら受けざるを得ません。また、成都から出る事もできません。
未検査を示すイエローだと、PCR検査を受ける時以外は、外出さえできないので、生きていくなら、検査を受けざるを得ないのです。余りにも、非人間的な検査体制が、正気を疑うレベルで行われています。最初は、中国共産党のパーフォーマンスと思われていたのですが、最近では、武漢肺炎を理由にした、人民統制システムの試験をしているのではないかという噂が出ています。

どういう事かと言うと、PCR検査の結果に拘わらず、行政が特定の個人の健康コードをイエローにすれば、自宅軟禁ができるし、レッドにすれば、強制的に隔離処置を行う事ができます。つまり、武漢肺炎を理由にして、堂々と都合の悪い人民の拘束・監視が、やり放題という事です。また、消毒を理由にすれば、個人宅に強制的に踏み込んで、家宅捜索する事もできます。裁判所の令状も必要ありません。

このブログでも紹介しましたが、中国の一部の地域では、いつでも消毒部隊(白衛兵)が、室内に踏み込めるように、玄関に鍵をかけるなという条例を出したところもあるくらいで、人民がプライバシーを守る手段を武漢肺炎を理由に取り上げようとしています。抗議すれば、健康コードをレッドにすれば、ドアを破壊して、部屋の中に踏み込んでも、法的にお咎め無しです。

これと似たような事が、文化大革命の時にもありまして、何回かブログで記事にしているのですが、「ニイハオ・トイレ」というのが、まさにそれです。とにかく、インテリ狩りに狂奔していた時代だったので、プライバシーが保てる場所を無くす事が推奨されました。ニイハオ・トイレというのは、外観が用を足す為の穴しか無く、仕切りがまったくなく、用を足している同士が挨拶できるようなトイレの事です。これは、トイレに間仕切りがあると、隠れて本を読んだり、何かしらの反革命的な運動を始める可能性があったので、わざとそういう構造にしています。

ヤギやニワトリ、動物園の動物にもPCR検査をするというコントのような様子が、「中国共産党の成果」として、誇らしげに広報されていますが、まぁ、やっている方も、これが感染防止に効果があると思ってはいないでしょう。これは、「PCR検査の結果で、行動を制限されるのが、社会常識ですよ」という事を、社会に根付かせる為の茶番ではないかと思います。人民だけを相手にするなら、何をやっても、力で押し切れば良いのですが、国連や欧米の人権団体の目があるので、少なくても合理的に見える理由が必要です。その為、無理矢理のPCR検査であり、主な目的は健康バーコードで、自由に人民をコントロールする事ではないかと思います。』

ソロモン諸島、すべての軍艦寄港を停止 中国に一層傾斜

ソロモン諸島、すべての軍艦寄港を停止 中国に一層傾斜
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM017GI0R00C22A9000000/

『【シドニー=松本史】ソロモン諸島が中国寄りの姿勢をさらに強めている。8月には米国の巡視船の寄港を認めず、その後にはすべての国に軍艦寄港を見合わせるよう要請したと発表した。米やオーストラリアは専制色を強めるソガバレ首相に懸念を募らせており、外交関係者からは「中国を利する動きが増えている」との声が上がる。

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・ソロモン諸島首相「外国軍艦の寄港見合わせ」要請
・米高官、ソロモン首相と会談 中ロを暗に批判

「巡視船があらかじめ計画していた(首都)ホニアラへの寄港ができなかったことに失望している」。8月30日、在オーストラリア米国大使館は声明でこう述べた。巡視船は違法漁業の取り締まりなどの海上警備作戦に参加するために地域を航行しており、寄港は給油のためだった。

この直後、ソロモンのソガバレ首相も声明を出し、巡視船の寄港を認めなかったことについて「適切な情報が首相府に間に合うように送付されなかった」ことが原因と説明。手続き上の問題だと主張した。そのうえで認可要件の見直しが必要だとして「すべてのパートナー国に軍艦などの寄港延期を要請している」と説明した。

ただ、ソロモンの国会議員で野党党首のマシュー・ウェール氏は巡視船の寄港は「ほとんどの場合、認可は漁業省が対応してきた」と指摘。ソガバレ氏の声明は米国の反発を受けての場当たり的な対応だとの見方を示した。そのうえで「ソガバレ氏が中国の言いなりになる中、米国と豪州に対して非友好的な振る舞いが増えている」と述べた。

8月上旬に開かれた太平洋戦争の慰霊式典には、日米豪の外交関係者が出席する中、ソガバレ氏は欠席した。ある外交関係者は「直前まで同氏が出席する前提で計画が進んでいた」と明かす。中国への配慮から、中国への警戒を強める日米豪の代表との同席を避けたとの見方が出ている。

豪公共放送ABCがソロモンでの中国の影響力拡大を報じた際には、首相府が長文の声明を出した。豪メディアによると、首相府は西側メディアが「中国を封じ込め、反中感情を広めるという自らの利益のためにソロモン国内に分断を作り出している」と批判。過去に記者を国外退去にしたキリバスの例を挙げ、自国もメディアの排除を辞さない姿勢を示した。

ソロモンは2019年、それまで外交関係があった台湾と断交し、中国と国交を結んだ。以降急速に親中姿勢を強め、21年11月にはこうした政府の外交方針に抗議する活動が暴動に発展した。中国系住民の被害が出たことが22年4月の中国・ソロモン間の安全保障協定の締結につながった。

現地では暴動が再発する懸念も出ている。ソロモン議会の任期は4年で、前回総選挙は19年4月だ。そのため次の総選挙は23年前半にも行われる見通しだった。

しかし、ソガバレ氏は23年にソロモンが島しょ国のスポーツの祭典「パシフィック・ゲームズ」の主催国になることを理由に、任期延長を目指す憲法改正案を8月、議会に提出した。専制的な動きを強めるソガバレ氏に対する住民の抗議活動が激しくなる可能性もある。

中国は南太平洋の島国の取り込みを加速している。中国国務院(政府)関税税則委員会は9月1日からソロモンやバヌアツ、キリバスなどの課税対象品目の98%にゼロ関税を適用する方針を示した。農産品などの輸入を増やし、現地での経済的影響力を高める戦略だ。

中国では10月に共産党幹部の人事を決める5年に1度の党大会が開かれる。米国や欧州、日本との関係が悪化する中で、習近平(シー・ジンピン)指導部は南太平洋での影響力拡大を外交成果として誇示したい考えとみられる。』

[FT]米中対立のはざま、「踏み絵」迫られる東南ア諸国

[FT]米中対立のはざま、「踏み絵」迫られる東南ア諸国
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB0544G0V00C22A9000000/

『「ボンボン」の愛称で知られるマルコス氏は、ペロシ米下院議長の台湾訪問はもともと緊張していた政治状況を「悪化させていない」と発言した。また、地域情勢が不安定ななか、フィリピンにとって米国との関係が重要であると述べた。

発言はブリンケン米国務長官との会談後のことだった。一部の専門家は、マルコス氏がドゥテルテ前大統領の親中政策を見直し、米国とのつながりを深めようとしているのではないかと考えている。

ジレンマを最も強く感じるフィリピン

フィリピンは米中双方にいい顔をしている、と過去にアナリストは批判してきた。だが公的な発言が変化し、それに対して域内も敏感に反応している。これらは、米中両国から圧力を受け、バランスを取らねばならない東南アジア各国が直面する状況を如実に示している。

台湾を自国の領土だと主張する中国は、ペロシ氏の台湾訪問を受けて威嚇を強めている。日本とフィリピンの排他的経済水域(EEZ)と重なる海域に軍事演習区域を設置したほか、日本のEEZ内に弾道ミサイルを撃ち込んだ。

シンガポール国立大学リー・クアンユー公共政策大学院のドリュー・トンプソン上級客員研究フェローは、これらの動きで「東南アジア各国が台湾海峡での紛争のリスクを無視できなくなった」と指摘した。

台湾と地理的に近いフィリピンが最も強いジレンマを感じている。中国が最近実施した海上での実弾軍事演習は、フィリピンのEEZ内にあり最も近い島から約40キロの距離にあるバシー海峡の一部を含んでいた。

フィリピンと米国は相互防衛協定を締結しており、専門家は紛争が起きれば米国はフィリピン国内の基地使用を求めるとみている。一方、中国はフィリピンを米軍事行動の起点とみなす可能性がある。

トンプソン氏は「リスクの軽減策について東南アジア各国間でコンセンサスはない。だが多くの国はどちらか一方を味方とはしない、中国から敵視されたくはないという点では一致している。中国が過度の報復措置を取ることは確実だからだ」と話した。

米国は同盟国の懸念を払拭するため、各国にある基地の使用を保証する一方で、中国への接近を防ごうと努めている。ブリンケン氏はマルコス氏に、もしフィリピンが南シナ海で攻撃を受ければ米国が援護すると伝えた。

米国の行動、非難働きかける中国

豪シンクタンクのロウイー研究所の研究部門を率いるエルベ・レマユー氏は、マルコス氏が取った立場は大きな方針転換だと指摘する。米国との「別離」を発表し中国との関係を深めたドゥテルテ氏の任期中、フィリピンは「ゲームに参加していなかった」。しかし「今はフィリピンが米国を支援する可能性がある」という。

ドゥテルテ氏の外交政策に関する著書があるリチャード・ヘイダリアン氏は、「米国は失った時間を取り戻し、ドゥテルテ氏のような人物が大統領になっていなければあったはずの協力関係を拡大するようマルコス政権に求めるだろう」と話した。

中国は台湾への支援にはリスクや代償が伴うと域内各国に伝えようとすると同時に、各国政府や市民に米国の行動を挑発的だと非難するよう働きかけている。

孫海燕・駐シンガポール中国大使は、最近発表したビデオメッセージで米軍のアフガニスタン撤退の映像を使い「私たちの国で混乱を起こすなと、トラブルメーカーに対して共に声を上げよう」と550万人のシンガポール国民に直接呼びかけた。

シンガポールのISEASユソフ・イシャク研究所のウィリアム・チョーン上級フェローは「中国は自らの主張、特に『一つの中国』政策を維持するよう、かなりの圧力をかけている」と、台湾への主権を主張する中国の立場について説明した。

米中両国と良好な関係にあるシンガポールは台湾とも長年関係を築いてきた。中立政策をとっているが、紛争の際に米軍の海上作戦を支援したり、米軍機に領海や領空の通過を認めたりするか検討を迫られる可能性がある。

レマユー氏は「中国は即座にシンガポールを厳しく監視するだろう」と話した。

インドネシア、米国と演習も中国の目を懸念

インドネシアも地理的に重要だ。同国のアンディカ・プルカサ国軍司令官は米国に好意的だが、今年定年を迎える。

インドネシアは先月、米軍との合同演習「ガルーダ・シールド」を実施した。毎年恒例の演習だが、今回日本、シンガポールとオーストラリアが初参加した。中国は同じ時期に軍事演習を開催して対抗することが多く、今年もタイ空軍との合同演習を実施した。

アナリストは「ガルーダ・シールド」を米国への接近を示しているととらえるべきではないと指摘する。インドネシア政府内の議論を知る人物は、「演習が中国の目にどう見えるか懸念の声が上がっていた。全面的に支持したわけではない」と明かした。

インドネシアが米中どちらかの側についたり両国の行動を非難したりする可能性は低いと指摘する専門家もいる。米戦略国際問題研究所(CSIS)の研究員でジャカルタに拠点を置くギラン・ケンバラ氏は「紛争が起きた際は、米国であれ中国であれ、いかなる軍の船舶もインドネシアの群島水域を通過させない方向で議論が進んでいると思う」と話した。

世界経済の成長見通しが弱まり、供給網のデカップリング(分断)で輸出に依存する国が打撃を受けるなど、経済的な圧力に対して、東南アジア各国は懸念を強めている。米国は自国主導の新経済圏構想「インド太平洋経済枠組み(IPEF)」の利点を強調し、中国は政府による好条件の提示や融資などの経済的機会をみせつけている。

シンガポール国立大学の荘嘉穎准教授は「(東南アジア)各国がいいとこ取りをするのは難しくなってきている。紛争の際にどのような行動を取るか明確にした国は今のところないが、近いうちに明らかにせざるを得ないだろう」と話した。

By Mercedes Ruehl

(2022年9月4日付 英フィナンシャル・タイムズ電子版 https://www.ft.com/)

(c) The Financial Times Limited 2022. All Rights Reserved. The Nikkei Inc. is solely responsible for providing this translated content and The Financial Times Limited does not accept any liability for the accuracy or quality of the translation. 』

東南アジアで進む軍事演習による米中覇権争い

東南アジアで進む軍事演習による米中覇権争い
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/27791

『8月14日付英フィナンシャル・タイムズ紙(FT)は、「米中は東南アジアで別々に軍事演習を実施」と題すメルセデス・ルール同紙シンガポール特派員の記事を掲げ、米国とインドネシアの陸軍共同訓練と同時期に中国とタイの空軍共同訓練が行われているのを解説している。
PeterHermesFurian / Tanaonte / iStock / Getty Images Plus

 米中は東南アジアに影響力を強める中で、夫々インドネシアとタイで軍事演習を行った。中国は、8月14日に空軍共同訓練ファルコン・ストライク2022でタイに戦闘機を派遣した。この訓練は、米国とインドネシアが2週間行ったガルーダ・シールド年次実弾演習の終了と同時期だ。この米インドネシア共同訓練は2009年の開始以来最大で、今回、日本、豪州、シンガポールが初めて参加した。

 東南アジアでの共同訓練は、米中間の緊張が高まる中で行われた。8月のペロシ米下院議長の台湾訪問は中国を苛立たせた。同訪問は中国軍による度重なる恫喝戦術をもたらし、実弾演習や台湾封鎖のシミュレーションである水域・空域の閉鎖が行われた。

 米国は歴史的に東南アジアで強固な同盟関係と軍事的プレゼンスを有しているが、中国の経済的影響力は急速に強まっている。中国と幾つかの東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟国との領土紛争は、地域に緊張を生んでいる。

 米国と中国は、今後地域における軍事訓練を一層強化することで、戦略的な抑止を形成し、インド太平洋の中小国の支持を得ようとする可能性が高い。


 合同軍事演習は、米国と中国の競争が激しさを増す中で、東南アジアが米中の影響力を巡る主戦場になることを示す一つの例である。

 中国はウクライナ戦争の教訓を受けた動きとして、アフリカとの関係強化やブラジル・ロシア・インド・中国(BRICS)などの既存の多数国間枠組みの拡大により、危機に際して孤立を避けるべく外交政策を調整している。これは、正に三十六計の「遠交近攻」の「遠交」とも言える動きであるが、その一方で、今回の記事は、「近攻」で何が起こっているのかを示すものの一つとも言える。

 まず、タイについて述べておきたい。従来からASEAN諸国は、米中の間の選択を迫らないで欲しい、と言いつつも、実際には各国が置かれた戦略環境などにより、選択してきており、いわば「踏み絵を踏まない分断」が起こっている。

 その中でタイは、日本外務省の世論調査によると、より頼りにする国が、政権によって、日本と中国の間をスイングする。正に今回、中国がタイを共同訓練の相手としたのは全くの偶然ではない。ファルコン・ストライクは中タイ間で 2015年以降行われている空軍共同訓練で、今回が5回目に当たる。

 一方、忘れてはならないのは、タイは1954年以来米国の条約上の同盟国だということである。東南アジア条約機構(SEATO)は解散したが、相互防衛義務を定めたマニラ条約は現在も米タイ間で有効である。その米国とタイは1982年から、東南アジア最大級の合同軍事演習であるコブラ・ゴールドを実施している。』

『41回目に当たる本年は、コロナ禍もあり、規模を縮小して 2 週間行われた。この演習には、近年、東南アジア諸国(インドネシア、マレーシア、シンガポール)や米国の同盟国(日本、韓国等)も参加しており、自衛隊は2005年以降毎回加わっている。

 しかし、ここでタイらしいのは、15年以降は、中国も参加しているということだ。但し、中国の参加は人道支援訓練部分のみに制限されている。
日本にとっても有意義なインドネシアとの軍事交流

 次いでインドネシアについて述べる。日本とインドネシアとの間の軍事交流では、これまで海上自衛隊が中心的役割を果たしてきたが、今回ガルーダ・シールドに陸上自衛隊が初めて参加したのは、両国の軍事面での協力を拡大する上で非常に有意義だ。なお、本記事では今回の演習には日本、豪州、シンガポールが初めて参加したとされているが、その他に韓国、カナダも参加している。

 インドネシアは、この地域の盟主であり、自由で安全な海洋航行のために必須な要衝を数多く抱える重要な国である。地域の大国であるインドネシアが、危機に際して日米に近い立ち位置を取るかどうかを占う上で、このような平時からの連携が果たす役割は大きい。

 インドネシアのナツナ諸島周辺海域には、最近毎年のように海警に守られた多くの中国漁船が現れる。このような中国の「やり過ぎ」は、インドネシアが安全保障面でも日米を頼りにするという事態を招いている。このような連携は、今後も続くと思われる。』

習氏、毛沢東の呼称を獲得か

習氏、毛沢東の呼称を獲得か 中国新華社「世界級領袖」
https://news.yahoo.co.jp/articles/7fe86ebdf2a6554fe0da1315301f87b2cc459c20

『【北京共同】中国国営通信、新華社の傅華社長は4日までに、雑誌への寄稿で習近平共産党総書記(国家主席)の「世界レベルの領袖」としてのイメージを打ち出す方針を表明した。絶大な権限を誇った毛沢東に使われた「領袖」の呼称を、3期目入りを目指す習氏が10月の第20回党大会で得るための布石である可能性がある。

【写真】朱元首相、習氏続投反対か 引退した党幹部らから異論

 党関係筋によると、党大会で党の最高規則である党規約を改正し、習氏を「人民の領袖」と位置付ける案が議論されている。実現すれば、毛に迫る指導者としての権威が確立される。

 新華社は、世論工作を担う事実上の党の宣伝機関。』

中国、新任報道官に毛寧氏

中国、新任報道官に毛寧氏 初日はそつなく米国非難
https://www.sankei.com/article/20220905-K42E5B222NNL3CFZN3SMDEAGC4/

『中国外務省の新たな報道官として毛寧副報道局長(49)が5日、初めて定例記者会見に登場した。台湾問題で「米国は中国の主権を損ねている」と非難するなど、やや緊張した表情ながらそつなく記者の質問に答えた。

中国メディアによると、毛氏は大学で英語を専攻して外務省に入省。朝鮮半島問題や日中韓協力の担当部署のほか、在米中国大使館での勤務歴もある。

中国外務省は平日の午後に毎日記者会見を開き、華春瑩報道局長など複数の報道官が交代で担当している。(共同)』

ミュンヘンオリンピック事件

ミュンヘンオリンピック事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%B3%E3%83%98%E3%83%B3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF%E4%BA%8B%E4%BB%B6

『この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。』

ミュンヘンオリンピック事件(ミュンヘンオリンピックじけん、ドイツ語:Münchner Olympia-Attentat)は、1972年9月5日に西ドイツのミュンヘンでパレスチナ武装組織「黒い九月」により行われたテロ事件。実行グループの名前から「黒い九月事件」とも呼ばれる。オリンピック開催中に発生し、イスラエルのアスリート11名が殺害された事件として知られる。

概要

事件発生

(以下本稿の表記はすべて現地時間)1972年8月26日から9月11日にかけて開催されていたオリンピックの選手村[注釈 1]に、9月5日4時40分頃[2]、パレスチナのテロリスト組織「黒い九月」のメンバー8名が敷地のフェンスを乗り越えて侵入した。この時、彼らがフェンスを乗り越えるのを目撃している警備員がいたが、リュックサックを背負っていたこともあり、夜間に外出した選手達が人目を忍んで戻ってきただけだと思い、気に留めなかったという。

イスラエル選手団の宿舎を発見したメンバーは、持ち込んだAK-47等の自動小銃や手榴弾などで武装・覆面した上で、午前4時頃に選手村内のイスラエル選手団宿舎へ突入した[3]。犯人グループは上階のイスラエル選手団居住フロアに侵入し、抵抗したユダヤ系アメリカ人選手とレスリングコーチのモシェ・ワインバーグの2名を殺害し、死亡したワインバーグを庭先に放置したのち、9名を人質に取った[3]。なお、この襲撃時に1人は窓から飛び出して脱出しており、彼が一時拘束された中での唯一の生存者である。

午前5時30分頃、巡回していた警察官がワインバーグの遺体を発見する。その際に立てこもる黒い九月側に気づき、事件が発覚した。黒い九月の占拠部隊は、宿舎から2ページの宣言文からなる犯行声明を警察側へ投げ入れ、イスラエルに収監されているパレスチナ人のほか、日本赤軍の岡本公三やドイツ国内で収監中のドイツ赤軍幹部など234名を午前9時までに解放するよう要求した[2]。この事件は、午前6時20分にはテレビの生中継で報道が始まり、事件の最後まで実況中継されることとなる[3]。

交渉

地元警察は、やむを得ず時間稼ぎのため交渉を行うことにした。午前8時45分頃、ミュンヘン警察本部長はオリンピック関係者2人とともに玄関先で占拠部隊のリーダーと交渉を行い、まだイスラエル当局と協議中であることにし、期限を午後0時にまで延長させた。ただし、解放されなければ人質2人を射殺する条件であった[3]。西ドイツは、事件発覚直後からイスラエルとの交渉を開始していたが、イスラエルの首相ゴルダ・メイアはこの要求を拒否するとともに、イスラエル国防軍部隊による事態解決を西ドイツに打診するが、西ドイツの法律は外国軍の国内での活動を制限していたこともあり、西ドイツ側は自国で対応するとして拒否した(イスラエルの特殊部隊派遣は西ドイツ側に侮辱だとして受け取られてしまうと思ったために、打診すらしなかったという説もある)。

これにより、西ドイツ当局は交渉による解決を一切断念することに追い込まれ、武力のみの解決を強要されることになった。しかし、この時点では当局側は占拠部隊の正確な人数を把握していなかったため、「イスラエルと交渉中である」と騙し何度も期限延長させていた。

午後5時頃、当局側はオリンピック関係者を人質の確認と称して宿舎へ潜入させることに成功した。このオリンピック関係者がそのとき見た占拠部隊のメンバーの人数は5人であることから、当局側は5人と断定して突入の準備を行い、地元警察側に突入部隊を編成して突入直前までいったが、テレビやラジオで実況中継されていたため、テレビを見ていた占拠部隊に気がつかれてしまい中止することになった。

その後、交渉が行なわれ、占拠部隊は飛行機でエジプトの首都カイロへ脱出することを要求し、当局はそれに合意した。午後10時ごろ、占拠部隊と人質は宿舎の地下から当局が用意したバスで宿舎から200m離れた草地へ移動、そこから2機のヘリコプターで空港まで行き、その後は用意された飛行機に乗り移って国外に脱出する手筈であった[3]。だがこれは表向きの話で、実際はバスでの移動途中、もしくは空港で犯人グループを狙撃し、人質を解放する計画であった。

終結

ルフトハンザ航空のボーイング727

午後10時30分、占拠部隊と人質を乗せたヘリコプターがフュルステンフェルトブルック空軍基地(Fürstenfeldbruck)に着陸した。基地には、占拠部隊を狙撃するために警察官が待ち構えていた。狙撃する警察官は軽装で、H&K G3自動小銃(アサルトライフル)の一般警察用モデルを使用し[注釈 2]、管制塔バルコニーに3人と滑走路上に2人が向かい合うように配置されていた。

占拠部隊のリーダーと副リーダーは安全の確認のために、用意されたルフトハンザドイツ航空のボーイング727へ入った。事前の計画では機内に警察官を配置して待ち伏せを行う予定であったが、直前で抗命事件が発生した(後述#人質救出作戦の失敗要因を参照)ために機内には誰もおらず、2名は案内役すらいないことを不審に思い、ヘリコプターへ走って逃げ戻った。その時、滑走路上の狙撃手の1人が発砲し、副リーダーは太ももを負傷したが、リーダーがヘリコプターまでたどり着き、警官側に応射した。これに対し警官側も応戦を始め、銃撃戦になった。

占拠部隊はヘリコプターに立てこもり、狙撃手として配置されていた警官隊は装備が不十分なため応援部隊を待つことにした[3]。空港周辺に詰めかけたマスコミと野次馬による交通渋滞に阻まれて到着が大幅に遅れた応援部隊は、事態がほぼ収束した午後11時30分頃、ようやく現場に到着した。

最終的に、ゲリラの1人が手投げ弾で自爆し、人質が乗ったヘリコプターが爆発、炎上した。人質たちは、両手を後ろ手に縛られ、目隠しのまま、数珠つなぎにされていたため逃げることができなかった[注釈 3]。結果的に人質9名全員と警察官1名が死亡するなどという最悪の結末で事件は終結した。犯人側は8名のうちリーダーを含む5名が死亡し、残りの3名は逃走を図るが、その後、逮捕された[3]。だがこの3名は同年10月29日のルフトハンザ航空615便ハイジャック事件(英語版)で解放されることになる[4]。

イスラエルではオリンピックの中止を求めるデモも起きたが、反ユダヤ的言動で知られたアベリー・ブランデージIOC会長の命令により続行が指示された。9月6日午前10時からオリンピック・スタジアムで8万人の観衆を集めて、イスラエル選手団の追悼式が行われた。同日午後4時50分、オリンピックは34時間ぶりに再開された[5]。

死亡者

ロッド空港で犠牲者の棺を乗せたイスラエル軍用車
ミュンヘンオリンピック公園に設置された犠牲者の慰霊プレート
人質

モシェ・ワインバーグ - レスリングコーチ
ユセフ・ロマーノ - ウェイトリフティング選手
ゼエブ・フリードマン - ウェイトリフティング選手
ダヴィド・バーガー - ウェイトリフティング選手
ヤコブ・シュプリンガー - ウェイトリフティング審判員
エリゼル・ハルフェン - レスリング選手
ユセフ・グトフロント - レスリングレフェリー
ケハト・シュル - 射撃コーチ
マーク・スラヴィン - レスリング選手
アンドレ・シュピッツァー - フェンシングコーチ
アミツール・シャピラ - 陸上コーチ

警察官

アントン・フリーガーバウアー

犯人

ルッティフ・アフィフ
ユスフ・ナザール
アフィフ・アハメド・ハミド
カリド・ジャワード
アハメド・チク・ター

人質救出作戦の失敗要因

この事件では、以下の失敗が被害拡大を招いたとされる[3]。

主な要因としては、

人質救出作戦に従事した警察官のほとんどは地元警察の一般警察官であり、現場指揮官や実行者には、テロ対策などの高度な専門訓練を受けた経験がほとんど無かった
情報が不足していた上、マスコミの実況中継で警察の動きは犯行グループ側に筒抜けだった
基地には簡易な作業灯しかなく、強力な照明装置や暗視装置等が無かったにもかかわらず深夜の狙撃を断行した
当時は携帯型無線が大型で、運用には大規模設備と専門要員が必要であったため部署や現場間での連絡が困難であった
狙撃手の銃はスコープの付いていない通常型の警察用アサルトライフル(H&K G3)であったため[注釈 2]、精度の高い射撃が行えず、作戦上必要な高度な狙撃ができる状況ではなかった
犯人は5人しか居ないという間違った情報から作戦を立てたために5人の狙撃手しか用意しておらず、その「狙撃手」にしても射撃の成績が良いという理由で集められた一般警察官であり、狙撃の専門的な訓練を受けていなかった
ヘリコプターが所定の位置とは異なる場所に着陸したため、着陸段階から狙撃が不可能になっていたにもかかわらず、計画をそのまま続行させた
犯人を油断させるために用意したルフトハンザ機には、警察側が待ち伏せを準備していたが、待ち伏せ配置に就かされた警察官に与えられた装備は拳銃と少数の機関短銃であり、自動小銃や手榴弾を装備しているテロリストグループに対しては不十分で、これを理由に直前で抗命されたので、急遽、多数決による意思決定を行い、反対多数であったので、警察官達は職務を放棄してしまい、機内には誰もいなかった。これは前述のようにテロリストを警戒させ、作戦の破綻を決定的にした

などが挙げられている。

これらの多くは、州権主義・平和主義的な色彩の強いボン基本法上の制約によって、西ドイツ警察が爆弾などで武装したテロリストに対抗するだけの装備を持たず、また訓練も行わなかったことや、平時における西ドイツ連邦軍のドイツ国内での(準)軍事行動が認められていなかったことに起因する。

その後

西ドイツ当局はこの事件について、公式に調査・検証を行うことなどはしていない[3]。しかし西ドイツ政府はこの事件の結果を受け、1972年9月に連邦国境警備隊傘下の対テロ特殊部隊として「第9国境警備群(GSG-9)」を創設した。GSG-9は、1977年にパレスチナ解放人民戦線(PFLP)のテロリスト4名が起こしたルフトハンザ航空181便ハイジャック事件に際して実戦投入され、イギリス軍の特殊部隊SASの支援の下ハイジャックされた181便(ボーイング737-200)に強行突入し、僅か5分で犯人4名のうち3名を射殺・1名を逮捕。突入前に犯人によって射殺された機長を除き、乗員乗客に犠牲者を出すことなく事件を解決した。

また、狙撃に失敗した教訓を取り入れて、西ドイツ当局は銃器メーカー各社にセミオート式の狙撃銃の設計を依頼した。これに応じH&K社がPSG-1を、ワルサー社がWA2000を開発し、西ドイツ当局はPSG-1を正式採用している。この事件をきっかけとして、先進国は遠距離からの狙撃が行える.50口径(0.50インチ=12.7mm)クラスの大口径ライフルの開発を行った(対物ライフル#歴史を参照)。

この事件を機に以後の大会では選手村の警備が強化され、関係者以外の出入りを厳しく規制するようになった[6]。なお、事件後の1973年12月28日に、イスラエル選手団居住棟がマックス・プランク研究所に寄付され、集会所などとして利用されることになった[7]。

2021年7月23日に行われた、東京オリンピックの開会式で、襲撃され死亡したイスラエル選手団への黙祷が初めて行われた。ロイター通信やイスラエルのメディアによると、事件の遺族はそれまでも国際オリンピック委員会に対し、開会式での黙祷を求めていたが、初めて実現したという[8][9]。

事件の影響と、それを受けて設立されたGSG-9の成功によって、諸外国でも対テロ特殊部隊の設立が相次いだ。

西ドイツ

連邦国境警備隊 第9国境警備群 (GSG-9)
州警察 特別出動コマンド (SEK)

東ドイツ

人民警察第9中隊 (ドイツ再統一後はSEKに吸収)

フランス

フランス国家警察 捜査介入部 コマンド対策部隊(フランス語版) (BRI-BAC)
フランス国家警察 国家警察介入部隊 (GIPN)
国家憲兵隊治安介入部隊 (GIGN)

イタリア

特殊介入部隊 (カラビニエリ)

イギリス

SAS 対革命戦部隊 (CRWウィング、パゴダ中隊)

日本

警視庁 第六機動隊 特科中隊 (後の警視庁特殊部隊(SAT))
大阪府警察 第二機動隊 零中隊 (後の大阪府警察特殊部隊(SAT))

イスラエルによる報復作戦

この事件に対し、イスラエル政府は報復として空軍にPLOの基地10カ所の空爆を命じた(イスラエルによるシリア・レバノン空爆 (1972年)(英語版))。これにより、65名から200名が死亡した。9月16日には、空爆に加えてイスラエル軍の地上部隊がレバノン領南部に侵攻。アラブ・ゲリラの基地、拠点群を攻撃を加えたが、短期間でイスラエル領内へ引き揚げている[10]。

神の怒り作戦

ゴルダ・メイア首相

イスラエルは空爆に続いて、さらなる報復および同様のテロの再発を防ぐことを名目に、黒い九月メンバーの暗殺を計画。ゴルダ・メイア首相と上級閣僚で構成される秘密委員会を設置した。委員会はイスラエル諜報特務庁(モサド)に対して、ミュンヘンオリンピック事件に関与した者の情報収集を行なわせ、これに基づき委員会は暗殺の対象を決定、モサドの「カエサレア」と呼ばれる特殊部隊に暗殺を指示していたとされる。この秘密作戦には「神の怒り作戦(英語版)」もしくは「バヨネット作戦」というコードネームがつけられているとされる。

作戦の開始

最初に暗殺されたのはアラファト議長のいとこで翻訳家のワエル・ズワイテルであった。黒い九月のメンバーでもあった彼は、1972年10月16日、ローマの自宅アパート内で射殺されている。その後もモサド工作員はターゲットを銃、あるいはリモコン式の爆弾で次々と暗殺した。

1972年12月8日、黒い九月のブレーン的存在であったマフムド・ハムシャリ博士がパリのアパート内に仕掛けられた爆弾で負傷。彼はこの時の怪我がもとで1か月後に死亡。1973年1月24日にはPLOとソ連KGBのリエゾンであったフセイン・アバト・アッ・シルがキプロスの首都ニコシアのホテルで爆殺された。

黒い九月の反撃

黒い九月も反撃を開始し、モサドの工作員、協力者などを殺害している。1972年11月13日、モサドの情報提供者であるパリ在住のシリア人ジャーナリストが射殺され、翌年1月26日にはモサド工作員のバルク・コーエンがマドリードの目抜き通りで射殺された。

ベイルート特攻作戦

イスラエル国防軍とモサドは1973年4月9日、ベイルートにあるPLOと黒い九月の幹部らが宿泊していたアパートを奇襲した(イスラエルによるレバノン襲撃 (1973年)(英語版))。PLOの公式スポークスマンであるカマル・ナサラ、黒い九月の幹部ユーセフ・ナジャール及びカマル・アドワンの3名を殺害。この時、暗殺部隊はイスラエルから船でベイルートに移動し、敵の目を欺くために半数は女装していたが、警備兵に気付かれて銃撃戦になり、強行突入の末に幹部を射殺したとされる。当時のベイルートはPLOの本拠地であり、敵中における軍事作戦であった。

部隊を指揮していたのは後のイスラエル首相となるエフード・バラックで、彼も女装して幹部らのアパート襲撃に加わった。その後も暗殺は続けられ、1973年6月28日には黒い九月の欧州責任者モハメド・ブーディアがパリで車に仕掛けられた爆弾により死亡している。
暗殺計画の露呈

モサドによる暗殺計画は、人違いにより無関係な一般市民を射殺したことから明るみに出ることになる。ノルウェーのリレハンメルで1973年7月21日、モサドはミュンヘンオリンピック事件の黒幕とされるアリ・ハッサン・サラメらしき男性がバス停にいるところを射殺したが、この男性は全く無関係のモロッコ人であった。

この事件でモサド工作員5名はノルウェー捜査機関に逮捕され、車や名簿などが押収された。この時逮捕された工作員が、ヨーロッパ各国におけるモサドの暗殺計画を自白したため、ヨーロッパ各国はイスラエルの行動に懸念を示すことになるが、モサドによるサラメの暗殺計画は続行された。

サラメの暗殺

その後、モサドはベイルートにサラメがいることを突き止めると、イギリス国籍を持つ女性工作員のエリカ・チャンバースをベイルートへ派遣する。チャンバースは難民を支援する慈善活動家を名乗ってベイルートで活動し、サラメの行動確認を行った。1979年1月22日、暗殺部隊とチャンバースは彼の車が通る場所に車爆弾を仕掛け、通過した際に彼を車ごと爆破して殺害した。チャンバースは暗殺後すぐに出国して姿を消し、サラメの殺害により作戦は終結したとされる。

これらの作戦についてイスラエルとモサドは正式な発表を行なっていないが、20名以上のパレスチナ武装組織の人間が暗殺されたといわれる。2005年に公開されたスティーヴン・スピルバーグ監督の映画『ミュンヘン』はこの「神の怒り作戦」に関わったアヴナー(仮名)という工作員の実話に基づくものとされている。しかし、イスラエル政府やモサドの元高官などはこの事を否定している。

神の怒り作戦により多くのパレスチナ人が暗殺されたが、一方で暗殺をかろうじて免れた人物も存在する。黒い九月の創設者で事件の首謀者でもあるアブ・ダウードは、この作戦とは別に、1977年1月にパリで逮捕された[11]。2010年7月に腎不全で死去するまで暗殺を免れた。

関連作品
書籍

ジョージ・ジョナス『標的(ターゲット)は11人 モサド暗殺チームの記録』新庄哲夫 訳. 1986.7 新潮社
デヴィッド・ティニン『暗殺チーム』高田正純訳 集英社、1978
マイケル・バー=ゾウハー、アイタン・ハーバー共著『ミュンヘン・オリンピック テロ事件の黒幕を追え』横山啓明訳、ハヤカワ文庫NF、2006年
アーロン・J・クライン『ミュンヘン 黒い九月事件の真実』富永和子訳、角川文庫、2006年

映画

『21 Hours at Munich(テロリスト・黒い九月 ミュンヘン)』(1976年) ウィリアム・グラハム(英語版)監督
『Sword of Gideon』(1986年) カナダのテレビ映画en:Sword of Gideon
『One Day in September(ブラック・セプテンバー/五輪テロの真実)』(1999年) ケビン・マクドナルド監督
『ミュンヘン』(2005年) スティーヴン・スピルバーグ監督

放送

ナショナルジオグラフィックチャンネル 衝撃の瞬間4 第3話「ミュンヘンオリンピック事件」

脚注
[脚注の使い方]

注釈

^ 事件の舞台となったイスラエルの選手棟は、日本選手団の棟の近くであったが、運営側からの安全上の呼びかけや説明はなく、選手団は日本に国際電話をかけて情報収集していたという[1]。

^ a b 事件発生当時、ミュンヘン警察にはより専門的なボルトアクション式狙撃銃であるシュタイヤー_SSG(英語版)が配備されていたが、これを用いる狙撃手の育成が未だ行われていなかったため、当事件には用いることができなかった。

なお、当事件の狙撃の失敗について、「次弾の発射に時間のかかるボルトアクション式狙撃銃を用いたために失敗した」と解説されていることがあるが、狙撃に際しては既述のように狙撃用の精度の高いものではないにしても自動小銃が用いられており、「連続射撃が困難であったために失敗した」は誤説である。

^ 西独、救出強行し失敗 人質のヘリ爆発 ゲリラが手投げ弾 ミュンヘンの空港銃撃戦 読売新聞 1972年9月6日 夕刊 1頁

出典

^ “【あの日の五輪】五輪史上最悪の悲劇…1972年の加藤沢男(中)”. スポーツ報知 (2020年1月25日). 2021年2月19日閲覧。

^ a b 人質10人の氏名発表/ミュンヘン五輪選手村襲撃事件 読売新聞 1972年9月6日 朝刊 1頁
^ a b c d e f g h i ナショナルジオグラフィックチャンネル 衝撃の瞬間4 第3話「ミュンヘンオリンピック事件」による [要検証 – ノート]
^ ミニ解説 ミュンヘン五輪事件 読売新聞 1979年1月24日 朝刊 5頁
^ オリンピックは続行 会期一日延長、今暁再開 読売新聞 1972年9月7日 朝刊 1頁
^ 五輪招致特別企画 『ふたつの東京五輪』 「選手村(1)」Number Web - ナンバー 文藝春秋 2009年06月25日更新、2017年8月12日時点のアーカイブ。
^ イスラエル選手村が集会所に"変身" 読売新聞 1973年12月30日
^ “開会式で黙とう ミュンヘン五輪で犠牲のイスラエル選手ら追悼”. 毎日新聞 (2021年7月23日). 2021年7月24日閲覧。
^ “開会式 ミュンヘン大会で襲撃 イスラエル選手団へ初の黙とう” (日本語). NHK NEWS WEB. 2021年7月23日閲覧。
^ 「レバノンへ侵攻 反日で一部撤収 南部ゲリラ基地を掃討」『朝日新聞』昭和47年(1972年)9月17日、13版、1面
^ PLO最高幹部パリで逮捕 ミュンヘン五輪事件の首謀者 読売新聞 1977年1月10日 朝刊 4頁

関連項目
ウィキメディア・コモンズには、ミュンヘンオリンピック事件に関連するカテゴリがあります。

ドイツの警察
ヨルダン内戦
PFLP旅客機同時ハイジャック事件

外部リンク

「黒い九月」と「モサド」の報復合戦
Die olympische Tragödie (ドイツ語)
One Day in September (英語)』

ミュンヘン五輪のイスラエル選手団宿舎を襲撃した「黒い九月」。

ミュンヘン五輪のイスラエル選手団宿舎を襲撃した「黒い九月」。
https://st2019.site/?p=20227

『『タイムズ・オブ・イズラエル』の2015-10-1記事「PLO terrorists castrated Israeli hostage in 1972 Munich Olympic attack」。

  ミュンヘン五輪のイスラエル選手団宿舎を襲撃した「黒い九月」。

 11人が殺されたが、そのうちの一人、重量挙げ選手だったヨセフ・ロマノは犯人の手によって「去勢」されていた。それが生前か死後かは不明である。

 西ドイツ当局は、そうした写真証拠があることを、いままでずっと黙っていた。』

シアトルの30マイル北西の海面に水上旅客航空機が墜落した。

シアトルの30マイル北西の海面に水上旅客航空機が墜落した。
https://st2019.site/?p=20227

『MARTHA BELLISLE 記者による2022-9-5記事「1 dead, 9 missing after floatplane crashes in Puget Sound」。

   太平洋岸のワシントン州、ピュージェット水道。
 シアトルの30マイル北西の海面に水上旅客航空機が墜落した。1人の遺体回収、なお9人が行方不明。

 機体は「DHC-3 タービン・オッター」。 ※ゲタ履き、高翼、単発。機体は古い。エンジンは新しい。

 運航会社は「ノースウェスト・シープレインズ」社。零細であるが、24年間、事故は無かったと。

 墜落原因は不明。
 目撃者によれば、機首から水に突っ込んだと。

 ※シアトルやヴァンクーヴァーはいわば巨大な峡谷の奥にあり、周囲は大峡谷によって複雑に分断されている地形ゆえ、橋をいちいち架けるわけにもいかず、渡し舟が必須。水上機商売は、その渡船の高速版といった趣きである。』

露軍はすでに「S-300」を地対地ミサイル代わりに500発以上も発射したという。

露軍はすでに「S-300」を地対地ミサイル代わりに500発以上も発射したという。
https://st2019.site/?p=20227

『Anders Anglesey 記者による2022-9-4記事「Russia Resorting to Out of Date Missiles as Weapon Stocks Run Low: Ukraine」。

   露軍はすでに「S-300」を地対地ミサイル代わりに500発以上も発射したという。
 その在庫はまだ数千発あるはずなので、これからも続くだろうとウクライナの参謀本部。

 ただしミサイルは古いもので、うまく飛ばないケースがあるという。

 米国のシンクタンクCSISによると「S-300」を地対地攻撃に使う場合、最大レンジは93.2マイルである。「S-300V」だと、最大で62.1マイルである。

 比較すると、HIMARSのブロック1は102.5マイル、ブロック1Aは186.4マイル飛ぶ。』