米軍最高司令官の矜持 「三人称」にみる不安

米軍最高司令官の矜持 「三人称」にみる不安
政治部長 吉野直也
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA30CCJ0Q2A830C2000000/

『米大統領は米軍の最高司令官として指揮権を有し、戦争の遂行や核兵器を使う最終判断を下す立場にある。8月のペロシ米下院議長の台湾訪問を巡るバイデン米大統領の発言はそんな大統領の職責と照らし合わせて違和感が残った。

バイデン氏は「米軍はいい考えだと思っていない(U.S. military officials believe it’s not a good idea for House Speaker Nancy Pelosi to visit Taiwan)」と自身と米軍を切り離してとらえてみせた。

本来なら最高司令官であるわけだから三人称ではなく「私(私たち)はいい考えだと思っていない」と一人称で発言するのが筋道だ。バイデン氏に不安を感じた。

米軍最高司令官への矜持(きょうじ)に気づかされたのは、大統領選の敗者からである。

2016年米大統領選で負けたヒラリー・クリントン氏が意識したのは女性初の「大統領」ではなく「最高司令官」だった。陣営もその意向に沿い、支持者が用意したプラカードには「Fighting for us(私たちのために戦う)」と書き込んだ。

集会に登場する際のテーマ曲には米人気女性歌手、レイチェル・プラッテンのヒット曲「Fight Song(戦いの歌)」を選んだ。

それらは最高司令官の適性を演出するための戦略だった。対立候補だったトランプ氏への批判も「あなたは最高司令官にふさわしくない」が目立った。

米軍の最高司令官が特別の響きと力を持つのは世界の安全保障をつかさどるからにほかならない。かつてのような世界の警察官役は難しくなったとはいえ、その一言は国際社会を動かす。典型は半年が過ぎたロシアのウクライナ侵攻だ。

第3次世界大戦を望む人はいない。一方でバイデン氏が米軍の派遣を見送る方針を示したのがよかったかどうかは別問題だ。

もしバイデン氏が米軍の派遣を否定しなければ、ロシアのプーチン大統領は侵攻を決断できただろうか。ためらい、やめる選択肢もあったはずだ。これが抑止力の原理である。抑止に逆効果であれば、米軍の将来の行動を最高司令官が明言する必要はなかった。

ロシア軍の残虐な行為がウクライナで繰り返され、日常が壊され続ける。破壊された日常は簡単には戻らない。この悲惨な状況を止めることができない以上、バイデン氏はプーチン氏に戦争を思いとどまらせるための抑止力を誇示すべきだった。

プーチン氏は8月25日、ロシア軍の兵員数を13万7000人増やし115万人にする大統領令に署名した。これまで15万人を投入した。米英両軍などの見積もりで半分強の8万人が死傷したとみられる。

兵員不足は深刻だ。米誌フォーブスによるとロシアは兵員の募集に当たって月最大5000ドル(およそ70万円)を提示、年齢40歳の上限も撤廃した。ロシア語の独立系メディアは主力部隊を送る民間軍事会社が北西部の刑務所で、服役囚を高額の報酬で徴募していると伝えた。

4~6月の国内総生産(GDP)は前年同期比で4%減。1~3月の3.5%増から減少に転じ、国民生活は悪化した。プーチン氏とロシアは確実に追い込まれている。緊張がさらに高まってもおかしくない。

バイデン氏が最高司令官の矜持を改めて問われる日はそう遠くないかもしれない。
政治部長 吉野直也
政治記者として細川護熙首相から岸田文雄首相まで15人の首相を取材。財務省、経済産業省、金融庁など経済官庁も担当した。2012年4月から17年3月までワシントンに駐在し、12年と16年の米大統領選を現地で報じた。著書は「核なき世界の終着点 オバマ対日外交の深層」(16年日本経済新聞出版社)、「ワシントン緊急報告 アメリカ大乱」(17年日経BP)。
ツイッターは@NaoyaYoshino

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