ロヒンギャ新たな困難 ミャンマー国軍「掃討作戦」5年

ロヒンギャ新たな困難 ミャンマー国軍「掃討作戦」5年
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM22C0R0S2A820C2000000/

 ※ なにしろ、「地理の力」がこれだからな…。

 ※ 「アラカン軍」の名称は、この「アラカン山脈」から名付けられたものだろう…。

『【ヤンゴン=新田裕一】イスラム系少数民族ロヒンギャの70万人を超す難民が発生するきっかけとなったミャンマー国軍による「掃討作戦」が始まって25日で5年となる。ロヒンギャの居住地があった西部ラカイン州で新たな紛争が発生するなど、難民の帰還が一段と困難となる一方、取り残された人々の苦境も深まっている。

ラカイン州で衝突するのは、仏教徒の少数民族武装勢力「アラカン軍」と国軍部隊だ。「(ミャンマーに残った)ロヒンギャは難しい状況に置かれている」と州都シットウェに住むロヒンギャ男性は話す。同州にはいまも50万人を超すロヒンギャの人々が正式に国籍を認められないまま暮らしている。「(戦闘によって)人々は村から避難を強いられ(国軍などの)検問所が置かれて自由に移動できなくなった」

アラカン軍の声明や現地報道によると、13日にラカイン州北部など4カ所でアラカン軍と国軍部隊が衝突した。その後、国軍は増援の部隊や軍用ヘリを送り、戦闘が各地に飛び火している。アラカン軍は23日、「過去数週間で戦闘が増え、危険は日に日に高まっている」と警戒を呼びかけた。国軍が交通を遮断し、村が食料不足に陥っているとの報道もある。

アラカン軍は約3万人の兵力を持つとされる、18世紀にビルマ王朝に征服されるまで自らの王国を持っていた仏教徒ラカイン族の武装勢力だ。数年前までは小規模な武装勢力だったが、2018年12月から約2年間続いた国軍との大規模な戦闘で住民の支持を集め、ラカイン州北部からチン州南部にかけて勢力圏を確立した。

20年11月、国軍と暫定的に停戦した後は独自の司法や行政、徴税制度の構築を進めた。アラカン軍のトゥンミャナイン司令官は「ロヒンギャの人権や市民的権利を認める」と公言している。統治下のロヒンギャを取り込むための方策で、国軍統治下で制限されていた移動の自由が一部認められるようになった。

だが21年2月のクーデターで国軍が全権を掌握すると、アラカン軍と国軍の停戦は次第に崩れ、緊張が高まった。アラカン軍は、武力抵抗を始めた市民グループに武器や訓練を提供し、22年5月には国軍と敵対する民主派の挙国一致政府(NUG)と接触したことを公にした。

自らの武装勢力を持たないロヒンギャは「国軍であろうとアラカン軍であろうと、支配者に従うほかない」(ロヒンギャ男性)。アラカン軍の影響力が弱い地域で国軍はこれに対抗する自警団を結成するようロヒンギャに要求するなど、「紛争の道具」として動員されている面がある。

17年の国軍による「掃討作戦」は、ロヒンギャ系武装集団が治安施設30カ所を襲撃したことがきっかけ。国連の報告書などによると、ロヒンギャの居住地だった400カ所近くが焼失し、77万人以上が国境を越えて隣国バングラデシュに逃れた。

衛星写真で当時と現在の状況を比較すると、ロヒンギャの村があった地区の多くが焼き払われたことが分かる。耕作地だった場所は草木に覆われて原野に戻り、村の跡地に政府や軍が新たな施設を設けた。年月の経過とともに、ロヒンギャが住んでいた痕跡が失われつつある。

バングラデシュ南東部にあるロヒンギャの難民キャンプでは17年以前に逃れた難民を合わせて90万人超が生活する。支援活動を続ける日本の非政府組織(NGO)「難民を助ける会」によると住居や通路は改善したものの、敷地周囲にフェンスが設けられるなど「バングラデシュ政府による監視が厳しくなっている」。バングラデシュ政府は難民の定住化を阻止するため、教育や就労を制限している。

ミャンマー国内のクーデターや武力紛争で難民の帰還が見通せないなか、いかに難民の生活を支えていくのか、国際社会が抱える大きな課題となっている。』