習近平軍事委主席が裁可した日本EEZ内のミサイル着弾

習近平軍事委主席が裁可した日本EEZ内のミサイル着弾
編集委員 中沢克二
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODK199H10Z10C22A8000000/

『日本の排他的経済水域(EEZ)内に5発の弾道ミサイルを撃ち込むという極めて重大な決断を最終的にしたのは、 習近平(シー・ジンピン)その人である――。

中国共産党の軍隊を意味する人民解放軍が実行する軍事行動を決定するのは、共産党中央軍事委員会だ。トップは同委主席である習で、首脳部は主席の下にいる2人の副主席(軍人)と、4人の委員(軍人)という計7人で構成される。7人中、職業軍人ではないのは共産党総書記兼国家主席の習だけだ。

中国建国70年の軍事パレードで人民解放軍を閲兵する習近平国家主席(2019年10月、北京)=新華社・共同

中国では「共産党が鉄砲(軍)を指揮する」という鉄の規律が守られてきた。権力基盤を固めた習は、この規律をさらに前面に打ち出した。「(共産)党の指揮に従い、勝てる、清廉な人民の軍隊に。習近平」。各地の軍施設で習の署名入りスローガンが、元国家主席、江沢民(ジアン・ズォーミン)の言葉と入れ替わったのは、2015年ごろだ。

今回の軍事行動も党トップとして軍の指揮権を持つ習が、米下院議長、ペロシの台湾訪問に対抗する「軍事演習」として最終判断を下したのは間違いない。もし習が裁可・決裁していないとすれば、鉄の規律が破られ、軍の暴走を許したことになる。

太平洋上EEZに係争拡大も

問題はここからだ。対日関係を中長期的に傷つける日本のEEZへのミサイル撃ち込みという威嚇の裁可も習が下したのか。答えは「イエス」である。

中国外務省報道官は「中日間では台湾以東の海域でなお境界を画定していない。中国側はいわゆる日本のEEZという言い方を受け入れない」と言明した。他国のEEZ内での軍事演習が禁じられているわけではない。それでもペロシ台湾入りを逆手にとって、日本を威嚇し、反応を試す行為は公然たる挑発だ。日中国交正常化50年の歴史の転換点になりかねない事態である。

これは、結果的にミサイルによって太平洋上での日本のEEZに関する主張を崩そうとしたことになる。これまで日中間の問題は主として東シナ海だったが、今後は太平洋にも拡大する可能性が出てきた。日本側が身構えるのは当然だ。

重大な問題であることを認識していた中央軍事委、中国軍には、ある種の迷いがあったと考えられる。それが透けてみえる興味深い傍証がある。

中国国営の新華社は、ペロシが台北・松山空港に着陸した直後の8月2日深夜、日本のEEZにかかる台湾東部海域への軍事演習地域の設定を伝えた。6つの演習地域の一つ(地図中の①、以下①)だ。演習開始は中国時間4日正午としていた。ところが、奇妙なことに中国当局は4日未明、航空固定通信網などを通じて、もう一つの臨時危険区を追加した。

詳細な位置は台湾の交通部が4日午前、布告した安全情報からわかる。「8月4日10時から8月8日10時(台北時間)、(台湾)東部海域に新たに軍事演習地域(地図中の②、以下②)を設定した。その期間、船舶は演習地域を避け、注意して航行するように」とある。この7つ目の演習地域の設置は、一部中国メディアも転載した。

臨時危険区(②)は、2日発表の台湾東部の演習地(①)に一部重なっていた。注意すべきは、より台湾の本島に近い位置に移動し、ほぼ日本のEEZを避けていたことだ。日本への恫喝(どうかつ)とみなされにくい穏当な場所である。

日本にとって脅威が大きい「8月2日案=強硬案」(①)と、脅威が小さい「8月4日案=妥協案 」(②)という2案の存在がにじむ。ことの重大性を認識していた中央軍事委は、様々な観点から少なくとも2つの案を用意していた。表の強硬案と、裏の妥協案だ。日本のEEZを外す選択肢は最後まで残っていたことがうかがわれる。

台湾当局は4日午後になると「8月4日案」に関する布告をいったん取り下げ、間を置かず改めて公表した。範囲、時間に変更はないが、中国側の軍事演習との関連を示す表記を削る修正が加えられた。同じ頃、中国軍のミサイル発射は始まっていた。4日午後4時以降、沖縄の波照間島南西部の日本のEEZ内に5発が着弾した。

防衛省によれば、うち4発は、福建省沿岸から発射され、台北のはるか上空を通過して着弾した。500~550キロメートルほど飛翔(ひしょう)したミサイルは、まさに台湾と沖縄を同時に威嚇するものだった。

150キロ先の尖閣諸島をにらむ与那国島の陸上自衛隊レーダー基地

残る1発は浙江省沿岸から発射され、650キロメートルほど飛翔。台湾の陸地の上は経由せず、日本のEEZ内に着弾した。自衛隊部隊が駐屯し、レーダーも設置している南西諸島への直接の脅しとも解釈できる。

7つ目の演習地域と目された「8月4日案」の臨時危険区に落下したミサイルはなく、全て「8月2日案」の範囲だった。「8月2日案」の範囲内でも日本のEEZを外す選択肢があったが、それは選ばれず、より東側にある日本のEEZにかかる部分を正確に選んで着弾させた。

1発なら「たまたま」という説明もできるが、5発となると明確な意図がある。裏の妥協案を排除し、日本に強硬なメッセージを送る。軍最高指揮官である習の最終決断なしに、この重大な「軍事行動」はあり得ない。

驚いた王毅外相

実は、これに驚いたのは日本だけではなかった。中国内でも多くの関係者が目を見張った。外交を担う中国外務省も寝耳に水だったようだ。中国では、軍事的な決断について、外交部門が全て知っているわけではない。4日、国務委員兼外相の王毅(ワン・イー)は、東南アジア諸国連合(ASEAN)に関連する外相会議のためカンボジアにいた。会議の途中で、日本のEEZ内への着弾の知らせを聞いた王毅は、かなり驚いた様子だったという。

習の裁可をカンボジアで知った王毅や、中国外務省は、これまでの対応が生ぬるかったことを認識し、一気に日本に強く出始めた。珍しく中国側が積極的で、自ら開催を明らかにしていたカンボジアでの日中外相会談は急きょ、キャンセルになった。主要7カ国(G7)外相が「台湾海峡の平和及び安定の維持に関する共同声明」で「不当に中国を非難した」というのが理由だった。

それだけではない。北京では駐中国大使の垂秀夫が、中国外務省に呼び出されて、G7外相声明に関して抗議を受けた。この声明の最終とりまとめは、議長国のドイツであり、調整過程でも日本はさほど深くかかわっていない。

9月29日に日中国交正常化50周年の行事を控える日本は慎重に対応していた。それは、官房長官の松野博一の発言からもわかる。「G7外相共同声明の文言のほうが、より強く中国への懸念を表明しているのは明らかだ」。G7を構成する主要国の外交官は、日本の政府と外務省の慎重姿勢を証言する。

記者会見する岸田首相(10日、首相官邸)

一方、日本側はどうだったか。ミサイルのEEZ内着弾を受けて、外務次官の森健良が8月4日夜、駐日中国大使の孔鉉佑に抗議した。こちらは電話だけである。緊急性を考えたという理由になっている。

防衛省は4日夕、ミサイルEEZ着弾を直ちに公表したが、岸田文雄内閣がすぐに国家安全保障会議(NSC)を開くことはなかった。首相の岸田は、日本の安全に危害を与える問題ではないと判断したことになる。過去の北朝鮮の弾道ミサイル発射への対応と明らかに違っていた。台湾問題を議論した安保会議4大臣会合が開かれたのは改造内閣発足後の 12日になってからだ。事案発生から8日後だった。

腹を割った本音の首脳対話を

中国が万一、台湾へ武力行使する場合、自衛隊が駐屯する与那国島など先島諸島も巻き込まれる。太平洋上の日本EEZにまでミサイルを着弾させた今回の選択は、それをあえてにおわせた。

習にとっては、この威嚇行為も鄧小平時代、江沢民時代、胡錦濤(フー・ジンタオ)時代ならできなかった「業績」とする意図がある。習による「鄧小平超え」という個人的な使命感は、日本にも甚大な影響をもたらす。かつてない威嚇は、中長期的に日本を中国から遠ざける。中国側はそれを忘れている。

17日、中国・天津で会談した秋葉剛男国家安全保障局長(左)と外交担当トップの楊潔篪共産党政治局委員=新華社・共同

それでも日本側は感情的にならず冷静に対処すべきだ。国交正常化50年を前に、国家安全保障局長の秋葉剛男が中国・天津で中国外交担当トップの楊潔篪(ヤン・ジエチー)と7時間会談したのは評価できる。中国側の姿勢は「北戴河会議」を経た微調整の結果でもある。

岸田と習の首脳会談の調整も始まる兆しがある。習と首相の李克強(リー・クォーチャン)が22日、新型コロナウイルスに感染した岸田に見舞い電報を送ったのもその一環にみえる。電話、オンラインという選択もあるが、できれば最後は、対面での会談が望ましい。その過程は極めて困難なものになるだろう。習が裁可したミサイルによる脅し。そんな危機的な状況だからこそ、腹を割った本音の対話が必要である。(敬称略)

中沢克二(なかざわ・かつじ)
1987年日本経済新聞社入社。98年から3年間、北京駐在。首相官邸キャップ、政治部次長、東日本大震災特別取材班総括デスクなど歴任。2012年から中国総局長として北京へ。現在、編集委員兼論説委員。14年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。』