「怒り」が振り回す民主主義 米中間選挙への胸騒ぎ

「怒り」が振り回す民主主義 米中間選挙への胸騒ぎ
上級論説委員 菅野幹雄
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODK197SB0Z10C22A8000000/

『洗面所の紙タオルにまで「TRUMP」の紋章が刻まれていた。4年前、日米首脳会談の取材で訪れたトランプ前米大統領の豪華な邸宅、マール・ア・ラーゴは、まさに自己顕示欲の象徴といえた。その「私の美しい家」が米連邦捜査局(FBI)に捜索され、同氏は「民主党リベラル派の攻撃だ」と憤怒する。

大統領在任中の機密文書を持ち出すのは犯罪にあたる。FBIは11の機密文書を押収したが、米共和党は「司法省の権限の政治利用だ」と猛反発する。FBIへの多数の脅迫行為や米連邦議会への車での突入未遂など、2021年1月6日の議事堂占拠事件を思わせる不穏な動きがある。

11月8日、米連邦議会の中間選挙まで3カ月足らず。筆者が現地で取材した18年の中間選挙や20年の大統領選挙に比べても、米社会の緊張は一段と進んだ感がある。相手への敵意を隠さず、怒りと反発を自らの推進力にする傾向が、ますます強まっている。

「偽りの怨念」ともいうべきか。20年の選挙は不正だったという、どこにも証拠がないトランプ氏の訴えが、いまなお共和党の結束の源だ。

元副大統領の長女で、下院共和党ナンバー3だったチェイニー下院議員は16日の党予備選でトランプ氏が送る「刺客」候補に大敗した。選挙結果を覆そうとするトランプ陣営の企てを非難し、前大統領の弾劾に賛成したが、党支持者からしっぺ返しを食った。

民主党も敵意にすがる。「すべての共和党議員が、薬価の引き下げや医療費の削減、公正な税制の実現に反対した」。バイデン大統領は大型の歳出・歳入法への署名後、野党を突き放した。「強力な既得権者を守るのか、平等な機会がある将来を築く勇気を持つか」。就任時の「国の結束」への誓いは聞かれない。

政権支持率が40%程度で低迷するなか、選挙は近づく。民主党の支持獲得への頼みは、人工妊娠中絶の権利を覆した連邦最高裁への怒りだ。「中絶禁止」への反発を、支持に向けて呼び覚ます策だ。

米世論調査の専門家であるジョン・ゾグビー氏は中間選挙の争点にインフレ対策や犯罪、気候変動、教育や人種などを挙げつつも、「最重要の問題は民主主義の将来、法の支配、そして選挙の敗北を認めること」と明言する。

怒りと敵意に振り回される米民主主義には危うい兆しがある。共和党には選挙制度や結果の認定で州単位での権限を高める動きがあり、トランプ陣営が企てた選挙結果の転覆に道を開きかねない。

「24年の大統領選はたとえ接戦でなくとも、結果を巡り本当のバトルが展開されるだろう。両党とも単純に結果を受け入れるとは思えない。それが海外に対する影響力をまたも傷つけることになる」とゾグビー氏は懸念する。

法制度や選挙をゆがめようとする試みは他国にも広がる素地がある。10月の選挙で再選に臨むブラジルのボルソナロ大統領は選挙制度の不備への批判を繰り返す。敗北時に結果を受け入れない「トランプ流」の伏線ともいわれる。

新型コロナウイルス禍に、ロシアのウクライナ侵攻が加速させた世界的なインフレ。生活の困窮に人々のやり場のない怒りは蓄積する。

金融危機やコロナ禍は財政出動や金融緩和で対処できたが、いまは逆の方向でインフレを抑えねばならない。政府のやれることは限られる。欧州の有力国でも政権与党は支持の低下に悩み、極左や極右勢力の伸長の余地を残す。

相手と折り合おうとしない政治状況の定着は、政策停滞という不安定を作り出す。慶応大学の小林慶一郎教授は「従来は意見が違う相手のことも考えて物事を決めてきたが、最近は自分と同じ狭い世界しか考えないように思考の習慣が変わってきたのではないか。政策や政治的意見も極端になっており、経済政策は非常に立てづらい」と語る。社会や経済の分断は修復どころか、拡大が進みかねない。

欧米に比べ、日本では「怒り」の要素がまだ少ない。だが、それは財政や社会保障の改革を単に先送りしているからなのかもしれない。世界の民主主義の揺らぎは、日本にも決して無関係ではない。

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前嶋和弘
上智大学総合グローバル学部 教授
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ひとこと解説

今年に限らず、大統領1期目の中間選挙は対立党の「怒り」が決定要因。94年の「クリントンのアマチュアさ」、2010年の「ティーパーティ運動」という名の反オバマ、2018年の反トランプ。これは投票率が低いための必然的な現象です。

例外はテロとの戦いの最中の02年。このときは上下両院で大統領の政党が議席を伸ばした南北戦争以降2度目の例外。
2022年8月23日 12:08 (2022年8月23日 12:11更新)
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上野泰也
みずほ証券 チーフマーケットエコノミスト
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別の視点

24年の次回米大統領選挙の主役はトランプ前大統領であるかのようなムードが、早くも漂っているように思う。共和党下院予備選でのチェイニー氏の敗退は、ほぼダブルスコアだった。事前の世論調査の結果通りではあるのだが、「トランプ信仰」がいかに根強いかを示すものであり、筆者には衝撃的だった。米国で国論の分断が深まることにつながっている大きな要素に、新聞やテレビなど既存の伝統的メディアの影響力低下がある。自分の政治的選好に沿うオンラインの情報ツールばかりに浸って情報に接していると、考え方はより先鋭的になり、妥協の余地は乏しくなる。それがおそらく、共和党のトランプ支持者に限らず、広く起こっていると考えられる。
2022年8月23日 11:26』