ドゥギンは、かつていささかも「クレムリンの思想教師」であったことはない。

ドゥギンは、かつていささかも「クレムリンの思想教師」であったことはない。
https://st2019.site/?p=20146

『Kamil Galeev 記者による2022-8-21記事。

 ドゥギンは、かつていささかも「クレムリンの思想教師」であったことはない。しかし、国外的に、あたかもそうであるかのように信じさせることができたという事実が興味深い。

 ドゥギンの政治主張は、ロシア人ならば皆「なにいってやがるんだ」と心の中で思っている。ところが非ロシア人から見ると、そうではないのだ。皆、コロリと信じてしまう。
 ロシアとウクライナの文化の違いは「クモフストゥヴォ」=ネポティズムの深さ。ロシアではプーチンが誰かの娘に洗礼してやったからといって、その一家がプーチンとファミリーになるわけじゃない。ところがウクライナでは、こうした「仮想親戚関係」は決定的に重要なものとうけとめられるのだ。

※支那社会に近い。ということは腐敗廓清は容易じゃない。現政府がそれをなしとげつつあるとしたら、とてつもない偉業だろ』