世界日報 (日本)

世界日報 (日本)
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『世界日報(せかいにっぽう)は、日本の世界日報社により発行される1975年創刊の新聞。日刊紙は関東地方の一部、及び沖縄県の一部[注 1]を配布地域としており、他に日本全国向けの週刊紙、Sunday世界日報がある。韓国の新宗教である世界平和統一家庭連合(旧・統一教会)及び政治団体国際勝共連合の創設者である文鮮明が創刊に関わっている[1]。統一教会幹部であり世界日報編集長であった副島嘉和が統一教会を裏切ったとみなされ襲撃された後、より統一教会色が強い新聞となった[2]。
詳細は「副島嘉和#副島手記」および「副島嘉和#副島襲撃事件」を参照』

『概要

文鮮明の指示により、統一教会と国際勝共連合が出資して、一般紙を目標に1975年(昭和50年)1月1日に設立された[3]。本社および編集局は東京都渋谷区宇田川町に置いた。

しかし、当初の目標だった一般の日刊紙からはほど遠く、統一教会の機関紙以上にはならなかった[3]。少なくとも1983年(昭和58年)までは世界日報の社員は全員が統一教会の会員であり、常に赤字経営だったため不足分は統一教会が補填していた[4]。また、統一協会と関係の深い者以外寄稿者はいなかった[5]。1983年前後は、世界平和教授アカデミーの松下正寿・福田信之・入江通雅、国際勝共連合顧問の広田洋二・弘津恭輔に寄稿を依存するといった状態が続いていた[5]。

1982年(昭和55年)10月、経営立て直しのために統一教会会員だった副島嘉和と井上博明が世界日報社に送り込まれ、設立時本来の目的だった一般の日刊紙を目指して彼らは紙面作りの刷新・販売店の拡充・200人余りの人員整理・売掛金の回収・経営の合理化・社員の非宗教化を行ったが、それが統一教会と国際勝共連合の強い反発を買った[5]。その結果、副島と井上を世界日報社から追放するために、1983年(昭和58年)10月1日、国際勝共連合の者約100人が世界日報本社を占拠すると言う暴力事件にまで発展した。この事件は文鮮明の指示によるもので、それに忠実に従い暴力事件を率いたのが国際勝共連合理事長(当時)の梶栗玄太郎である[6]。副島・井上両名が世界日報社から追放された後、世界日報社の役員は統一教会と国際勝共連合の役員が独占、社長には暴力事件の実行者だった梶栗が就任、結局元の、統一協会の機関紙・国際勝共連合の宣伝紙に戻った[6]。

2006年(平成18年)に本社を渋谷駅近くの渋谷区桜丘町に移転するが、その後板橋区舟渡の自社印刷拠点と統合する形で再度移転した。

2017年(平成29年)8月、中央区日本橋茅場町に本社を移し、千葉県市川市高谷に総務、編集局などを置くメディアセンターを構えた[7]。

韓国の全国紙『韓国紙世界日報(セゲイルボ)』、ワシントン・タイムズ(米国)やネパール・リパブリック・メディアと提携している[8]。(姉妹紙を参照)

世界日報読者向けに1983年(昭和58年)5月18日に設立された世日クラブというものがあり、講演会を行っている。そこでは小室直樹や松原正、木村治美、清水馨八郎、渥美堅持、井尻千男、三根生久大、入江通雅、大原康男、細川珠生、冨士信夫、吉原恒雄、渡部昇一、長野拓也、中條高徳、藤井裕久、石平、竹田恒泰、石井昌浩、呉善花、コシノジュンコ、高田純、上甲晃、田村重信、八木秀次、高橋史朗、小林正、中西輝政、櫻井よしこ、渡辺利夫、川上高司、遠藤誉、小川和久、濱口和久、仲村覚、小川榮太郎、渡部恒雄、安積明子、浅野和生、坂東忠信、楊海英、新田均、河添恵子、江口克彦、西岡力、島田洋一、高橋利行、荒木和博などの著名な右派評論家や森昭雄の講演などが行われている。また元統合幕僚長・河野克俊をはじめ自衛隊の元高級幹部(金田秀昭、川村純彦、香田洋二、矢野義昭、他)も数多く講演している。

世界日報社が制作するインターネット番組「パトリオットTV」は田村重信がキャスターを務め、多彩なゲストが出演している。伊藤俊幸、香田、山口昇、岩田温、八幡和郎、阿比留瑠比、江崎道朗、小川和久、古川勝久、松田学、渡瀬裕哉、小川榮太郎、西岡力、遠藤誉、平井宏治、安積明子、渡邉恒雄、永岩俊道、鷲尾英一郎、神津健一、ロバート・D・エルドリッヂ、デービッド・アトキンソン、行徳哲男、中根滋、孫向文など。

なお、日本では1946年-1948年に同名の新聞「世界日報」が存在した。この新聞は、題号を「世界経済新聞」(1948年10月1日 – 1950年2月28日)、「夕刊世界経済新聞」(1950年3月1日 – 12月31日)と改めた後、1951年(昭和26年)に産業経済新聞(現・産経新聞東京本社版)に紙面統合されて終刊した。題字と地紋は現・世界日報が同一のものを使用している。1998年(平成10年)にはメールマガジンである「ワールド・ニューズ・メール」のサービスを開始し、翌年の1999年(平成11年)には当時では珍しい電子新聞である「IT e-News」をリリースした[9]。 』

 ※ 以下、省略。