ケニア

ケニア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%8B%E3%82%A2

『歴史

詳細は「ケニアの歴史(英語版)」を参照

クシ語系の民族移動

紀元前2000年ごろに北アフリカからケニア地域へクシ語系の民族移動が行われた。

バンツー系の民族移動

紀元前1000年までに、バンツー語系、ナイル語系の民族がケニアの地域に移動し、今日のケニア国民を形成する民族として定住した(en:Bantu expansion)。

アラブの進出とスワヒリ文明の勃興

7、8世紀ごろにはアラブ人が海岸地域に定住しており、モンバサやマリンディなど交易の拠点を建設した。10世紀までに、ケニア沿岸部にはバンツーとアラブの言語が混ざったスワヒリ語のスワヒリ文明が栄え始めた。1418年ごろに明の鄭和の艦隊の一部がマリンディにまで到達した記録が残っている。15世紀末、ヴァスコ・ダ・ガマの来訪をきっかけにポルトガル人が進出するも、やがて撤退しアラブ人が再進出。18世紀にはアラブ人の影響力が内陸部にまで及び奴隷貿易や象牙貿易などが活発になる。

オマーン帝国

1828年にはオマーン帝国のスルタン・サイイド・サイードがモンバサを攻略した。

イギリスの進出

イギリス領東アフリカ(1911年)

19世紀にアフリカの植民地化が進むと、ケニア沿岸にはイギリスとドイツ帝国が進出。権力争いの末にイギリス勢が優勢となり、1888年には沿岸部が帝国イギリス東アフリカ会社(英語版)(IBEA)により統治されるようになった。

1895年にイギリス領東アフリカが成立。

1895年から1901年の間に、モンバサからキスムまでの鉄道が英国によって完成した。

1896年のアングロ=ザンジバル戦争で敗れたスルタンがザンジバル・スルタン国(1856年 – 1964年)に根拠地を移した。

1902年、ウガンダもイギリスの保護領となり、イギリスの影響が及ぶ地域が内陸部に広がった。

1903年に鉄道はウガンダまで延びた。

1920年には直轄のケニア植民地(英語版)となる。 』

『経済

首都ナイロビの景観
詳細は「ケニアの経済(英語版)」を参照

ケニアは東アフリカ地域経済の中心として発展し、サファリやビーチ・リゾートなどの観光資源に多くの観光客を集めている。

同国の主要産業は農業であり、GDPの約30%を占めている[10]。また、農業部門はケニアの輸出総額の65%を占めている[11]。農業部門は雇用面でもケニア経済において重要な役割を果たしており、正規雇用に占める割合は約18%(2005年)ほどであるが[11]、労働力人口全体(1,891万人)で見ると70.6%(1,335万人)が農業に従事している(2010年)[12]。さらにケニアの人口の約8割の人々が農業によって生計を立てている。

2010年代には欧州向けの紅茶、花卉の輸出が増加した。自然条件(起伏にとんだ国土、温暖な平野部と冷涼な高地が混在)とケニア政府による園芸産業育成により欧州連合(EU)向け花卉の最大の供給源である[13]。さらに2020年代にはアボカドの輸出も好調さを見せている[14]。

「ケニアにおけるコーヒー生産」も参照

工業化はほかのアフリカ諸国と比べると進んでいる方で、特に製造業の発展が著しい。

独立以来資本主義体制を堅持し、東アフリカではもっとも経済の発達した国となった。しかし、政情不安や政治の腐敗・非能率、貧富の差の増大という問題を抱える。2007年の経済成長率は約7%、2008年は国内混乱の影響で成長率は低迷したが、2009 – 2010年は4 -5%の成長に戻った。

ナイロビは東アフリカの通信・金融・交通の中心都市であり、モンバサは東アフリカ最大の港であり内陸部への重要な入り口である。1999年にタンザニア・ウガンダとともに地域経済の発展のため、関税、人の移動、インフラの向上を目指した東アフリカ共同体(EAC)を形成した(のちにルワンダ、ブルンジが参加)。2004年には関税同盟を確立し、2010年にはEACの共同市場化が発足し、2012年までの自由化と共通通貨の達成を目標としていた。

LAPSSETはインド洋のラム港とエチオピア・南スーダンを結び北部開発を目的とするインフラ計画である。

鉱業

ケニアの鉱物資源は種類、産出量とも少なく、さらに第二次世界大戦から20世紀末にかけて規模を縮小してきた。主な鉱物資源はソーダ灰、塩、マグネシウム鉱物、蛍石、石灰岩、金である。経済産業調査会の鉱業便覧によると、1986年にはマグネシウム鉱30万トンを産出し、これは世界シェアの1.7%に達した。塩9.2万トン、金16キロ、蛍石10万トン、採掘後、工場で加工されたソーダ灰24万トンも記録されている。2004年時点では塩が1.9万トンに減少、その他の鉱物は記録されていない。唯一、金の産出量が1.6トンに拡大している。おもな金鉱山は南西部のグリーンストーン帯(英語版)に分布する。金の採掘は機械化されておらず、手工業の段階に留まっている。現在石油は100%輸入に頼っているが、近年探査が進み発見されており、その生産開発が検討されている。また、大地溝帯が南北に貫くナイロビ西方では地下の地熱を開発中で日本企業も参加している。

貿易

2012年のケニアの貿易額は、輸出額が51億6,900万ドル、輸入額が120億9,300万ドルである(69億2,400万ドルの貿易赤字)[15]。

主要な輸出品:紅茶(輸出額全体の21.1%)、園芸作物(16.9%)、コーヒー(4.6%)、衣料品・アクセサリー(4.3%)、たばこ・同製造品(3.5%)
輸入品:産業用機械、自動車、原油、鉄
主要な輸出先:ウガンダ(輸出額全体の13.0%)、タンザニア(8.9%)、英国(7.8%)、オランダ(6.0%)、アラブ首長国連邦(5.5%)
主要な輸入先:インド(14.2%)、中国(12.2%)、アラブ首長国連邦(10.9%)、サウジアラビア(4.9%)、米国(4.8%)

日本との貿易

対日輸出額は4,600万ドル、対日輸入額は9億1,100万ドルである[15]。

主要な輸出品:植物性原料(34.4%)、コーヒー・茶・香辛料(27.7%)、加工食品(19.3%)
主要な輸入品:輸送機器(59.5%)、鉄鋼(19.5%)、一般機械(9.8%)

格差

ケニアの経済は、極端に富が一部に集中している。5300万人の人口の0.1%以下が、その他の99.9%よりも多くの富を所有している[16]。』