イタリアのドラギ首相はなぜ退陣したのか

イタリアのドラギ首相はなぜ退陣したのか
岡崎研究所
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/27507

『7月20日、イタリアのドラギ首相は上院で演説し、彼の連立政権の基礎を為す幅広い政党間の結束の盟約を再建する用意があるかを問うた。これに対し、サルヴィーニ(同盟)とベルルスコーニ(フォルツァ・イタリア)は立場を擦り合わせた上で、五つ星運動を政権から排除することおよび改革の計画を過激に刷新すること(要するに、保守のアジェンダに依拠する政権に衣替えすることを要求するもの)を条件に、ドラギの政権を支持することを表明した。

 このような不可能な条件を呑み得るはずもなく、ドラギは「決めるのは諸君だ」と信任投票を要求することとなった。投票結果は、信任:95票、不信任:38票(議席総数は321)で信任票が多数ではあったが、五つ星運動、同盟、フォルツァ・イタリアの三党は投票に参加を拒否した――「イタリアの同胞」(主要政党で唯一ドラギの政権に参加していない)は不信任票を投じた。翌21日、ドラギは大統領に辞意を再度表明し、大統領はこれをやむを得ず認めるに至った。
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 9月の選挙では「イタリアの同胞」、同盟、フォルツァ・イタリアという右派の組み合わせが多数を制するとの世論調査に基づく観測が専らであるが、「イタリアの同胞」はかねて早期選挙を要求して来た。同盟の支持率の低下傾向に悩む(支持が政権の外にある極右の「イタリアの同胞」に流れていると見られている)サルビーニは、ここが党勢挽回を狙い選挙に持ち込む好機と見たのであろう。他方、五つ星運動は壊滅的敗北を喫すると見られている。

 政治専門誌Politicoが報ずる7月21日時点の主要政党の支持率は次の通りである。

 イタリアの同胞:23%、民主党:22%、同盟:15%、五つ星運動:12%、フォルツァ・イタリア:8%。

 世論調査によれば、「イタリアの同胞」が最大政党になる可能性があり、そうなれば、同党の党首ジョルジャ・メローニ(彼女にはベルルスコーニ政権の無任所大臣を務めた行政経験しかない)が、いずれもEUに懐疑的な右派の三党の連立政権を率いることになる。そのような政権にドラギの改革を引き継ぐ意思と能力があるかは甚だしく疑問である。

 ドラギの改革は五つ星運動にも同盟にも妨害されて来た。同盟のサルビーニは海水浴場の営業権から配車サービスに至るまで一連の規制改革に反対して来ている。彼は税制改革にも反対である。民事司法の改革も行き詰まりの状態にある。改革が進行せず、EUの復興基金のディスバースが止まる恐れが強い。

 政情不安を反映してイタリア国債の利回りは上昇し、ドイツ国債との間のスプレッドは拡大傾向にあるが、7月21日、欧州中銀が利上げを決定したので、更に圧力がかかることになろう。このような市場の「分断化」を抑制するための「伝達保護手段(transmission protection instrument)」(市場で国債や地方債などを買い入れる)を欧州中銀は同時に決定した。』

『この発動には細々とした条件が付されている。何とでも読めそうにも思えるが、欧州連合(EU)の復興基金の資金の利用のために約束した改革が履行されていることにも言及があるので、改革が遅滞すれば、イタリア国債が対象から外れる可能性も排除出来ないであろう。

 イタリアは緊迫した状況に置かれている――ウクライナ戦争、ガス不足、インフレもそれである。この時期におけるドラギの失脚は最悪のタイミングである。

イタリアの特質な政治の犠牲になったドラギ

 フィナンシャル・タイムズ紙のバーバーは7月23日付けの論説‘Draghi’s undesirable exit reflects time-honoured tradition in Italian politics’で、欧州中央銀行総裁として立派な働きをした優秀なテクノクラートであるドラギが、イタリア政治の中でどのようにして力を失っていったか、次のように分析する。

 「彼は傑出していたが、それはほとんどのイタリアの首相とは異なり政治体制と行政に浸透している影響力の不透明なネットワークに借りがなかったがゆえである。このネットワークは政党の指導部が議会選挙に誰が立候補出来るかをコントロールすることを可能にする選挙制度によって強化されている。多くの人の政治キャリアは有権者の信頼というよりも党のボスに対する忠誠心を披瀝(ひれき)することに依存している」、「しかし、制度にはアナーキーの要素がある。どの立法府でも、議員の中にはリーダーを裏切り、陣営を替え、あるいは自身の派閥を作る者がある。これらの深く沁み込んだ癖がイタリアが次の選挙に近付くにつれ表面化し、ドラギの権力掌握は月を経るごとに弛緩することとなった」と。

 結局、ドラギはイタリア政治の特質の犠牲になったということであろう。ドラギは、主要政党と対決するに至り、マッタレッラの後を襲って大統領に就任する道も失ったのかも知れない。』