バルカン半島について学習した

バルカン半島について学習した
http://blog.livedoor.jp/miyanosawajun/archives/52962523.html

『(2018年2月25日)

年明け早々の東京、大雪に厳寒だった。日がな一日家にいるしかない日々が続いた。小人閑居して云々でもないが、ここは集中的にひとつのテーマについて勉強してやろうと思い立った。で、テーマを「バルカン半島」に絞り、近くの図書館から関連書を借りて読みまくった。

 以前、本ブログの2014年7月25日版「近現代史覚え書き 独ソ戦のイフ」で述べたが、筆者のこの地域についての知識は極めて少ない。

http://livedoor.blogcms.jp/blog/miyanosawajun/article/edit?id=39254293

 知らないとなると、知りたくなるものである。また、近現代史の世界を彷徨っていると、バルカンがらみの事象がしばしば出てくる。第一次世界大戦はサラエボから始まった、とか。となると、バルカンについて必要最小限の知識を持っておかないと今後の勉学(?)にも差し支えそうだ。

そこで解明すべき疑問だが、以下の3点とした。

・それはどの地域を指し、どんな国が含まれるのか
・頻繁に国境が変わったが、それは何故か
・つい20年ほど前までそこで続いていた、いわゆる「ユーゴ内戦」とは何か

である。

 世界史に詳しい諸兄からみれば、そんなことも知らなかったのと言われそうだが。まあ、そうなんです。ともかく、勉学の結果を報告させてもらいたい。不正確なところがあるやもしれないが、そこはご指摘ください。

バルカン半島とは

 北はスロベニア、南はギリシャ、西のアドリア海と東の黒海に挟まれた地域です(下図参照)。2018年現在、この広くはない地域に存在している国は11カ国。ちなみにコソボについては承認していない国もある(中国やロシア)。このあたりにはバルカンという名前の山脈があり、それが地域全体の呼称(俗称らしいが)となったとか。

バルカン半島 地図 に対する画像結果

・ 人口の第一位はルーマニア(約2100万)、最下位はコソボ(約170万)
・ GDPの第一位はギリシャ(約3000億ドル)、最下位はコソボ(約66億ドル)
・ EU加盟国は上の地図で緑色の国で、ルーマニア、ブルガリア、スロベニア、クロアチア、ギリシャ。

なぜ頻繁に国境が変わったか

 今回の勉学(?)は図書館から借りた本とネット情報で行ったわけだが、それらが何時書かれたものかで、内容がガラッと変わってくるので要注意だった。とくに旧ユーゴスラビアなど年単位で新しい国が出来たり、消えたり・・・。地図がしょっちゅう変わるのである。なぜそうだったのか。

 歴史や経緯が多々あったようだが、バルカンの国々、いずれも貧しいのである。過去、そして現在も。そのため富を蓄積することが難しく、強力な政治体制や軍事力の構築も叶わず、周囲の大国に翻弄される歴史が続いた。大国に時には併合され、しばらくして独立するものの、また別の大国に併合されるといった繰り返しだった。加えて住人の民族が多様で、あちこちに混在あるいは点在しているケースも多く、民族紛争が絶えなかった。その結果、国境線は頻繁に変わった。

 では何故、貧しかったのか。

 これもいろいろと事情があったようだが、一言でいうと肥沃な土地が少なかったことだ。下の図はバルカン半島の地形を表したものだが、一見した通りほとんど山岳地帯で平地、農作に適した土地が少ない。河川があることはあるが、山岳地帯をぬって走っており、産業の動脈、今で言うインフラとして使うには困難を強いられた。

 おまけにバルカンの国々は海外へ出向いていくには難しいところに位置している。農業大国として国の富を築いたフランスや、貿易で財をなしたイタリア、海外に植民地を作り、そちらの富を略奪し、せっせと運び入れたイギリス、スペインのようなことも出来ない。結局、バルカンの諸国はいつまでも貧しかった。

 貧しい国は富める国の属国として生き延びるしかない。そんなバルカンの国々を翻弄させた大国は以下の三つである。これらが入れ替わり立ち代り、バルカン諸国にやってきては蹂躙し、去っていった。

・オスマン帝国(その一部が今のトルコ)
・オーストリア・ハンガリー帝国(今は無いが、第一次世界大戦までハプスブルグ家が統治していた)
・ロシア帝国(および旧ソ連)

 バルカン半島の歴史は、こうした大国に翻弄された歴史でもある。またバルカンの国々での紛争は大国同士のそれに直接結びかねないことから、この地域をして「世界の火薬庫」と呼ばせた所以でもある。

多様な民族

 もうひとつの要因である民族だが、気が遠くなるような複雑さ、多様性である。主なところだけでも、

・ルーマニア人
・ハンガリー人
・セルビア人
・スロベニア人
・クロアチア人
・ボスニア人
・マケドニア人
・アルバニア人
・ギリシャ人

 などなど。

 さらに事態を複雑にさせているのが、その多くの国が一国一民族ではないこと。つまり一国に数民族が共存しているケースが多いことだ。町の川の北側はセルビア人の居住区で、南はアルバニア人の居住区ナンテところもあるくらいだ。川一本はさんで異民族が住んでいる。これでは紛争も起きるはずである。

 バルカンにおける民族の分布状態については以下の図を参照のこと。ちなみに、この図は1990年代の分布図らしく、国名や国境線は現状と異なる。「ユーゴスラビア連邦」など現在は無い。したがってコソボも国としてはない。しかし、この地域に如何に多くの民族が入り乱れて点在していたかが分かる。

 おまけにこれに宗教、言語の違いがからんでくる。したがって、この地域の国情は(日本人からみれば)もうグジャグジャで、ほぼ一国一民族の典型国である日本人には理解可能なレベルを超えている。

 「ユーゴ内戦」とは何か

 この地域では、つい2000年ごろまで紛争が頻発した。それは一体何故か。

 筆者は数年前までテレビのニュースで、それらの報道を目にした。戦っている兵士たち、一見したところ両方とも大変似ていた。なんで似たもの同士(?)が凄惨な戦いを繰り広げなければならなかったのか、分からなかった。その時はとくに深く考えもしなかった。

 一言で言うならば、それらの紛争は民族紛争なのだ。ある民族が他の民族を抹殺しようとまでした、そのための抗争だったのだ。

 では、その契機はなにか。旧ユーゴの解体である。

 ユーゴスラビア連邦共和国は第二次世界大戦終了後に結成された国である。当時の正式名はユーゴスラビア社会主義連邦共和国。国の主はかの有名なチトー。この国はそもそも結成当時から数民族(セルビア人、クロアチア人、モスレム人等)が混在していた国、国々の結合体、連邦だった。つまり、少なくない民族を一国の枠内に押し込めてしまった。これが、後年紛争の元になる。

 下図で色がついている国々(7カ国)は、旧ユーゴを構成していた国だ。つまり、今は七カ国にばらけたこのエリアも、1900年まではユーゴ連邦共和国一国だった。

ユーゴスラビア連邦 に対する画像結果

 当初はチトーの類まれな政治力でなんとか連邦国として維持されていたユーゴだった。しかし、チトーの死、さらには国境を越えた市場経済の進展への乗り遅れで、バルカン諸国は経済的に窮地に陥る。そして1990年初頭から民族独立運動が発生し、ユーゴを構成していた国々(あるいは民族)が次々と独立し、連邦から離脱しようとする。構成国のなかで比較的リッチな北の国(スロベニアとクロアチア)から。それを受けて、他の民族も独立を志向する。

 しかし、この独立は平和的に行われたわけではない。最後まで旧ユーゴの中核国だったセルビアが、独立を食い止めるべく軍事介入し、紛争が起きる。いわゆる「ユーゴ内戦」の構図は、いずれもそうした経緯で起きたものだ。で、その紛争だが、大きく分けて4回あった。

1.スロベニア紛争

期間:1991年6月(この紛争は10日間で終わった。そのため「スロベニア10日間戦争」とも言われる)
独立志向側:スロベニア共和国軍
弾圧側:ユーゴスラビア連邦軍
戦地:スロベニア各地
停戦経緯:連邦軍が各国の非難をうけ撤退し停戦。ECの仲介により休戦。スロベニアは独立。

2.クロアチア紛争

期間:1991~1995年
独立志向側:クロアチア共和国軍
弾圧側:セルビア人勢力(含むクロアチア国内在住)
戦地:クロアチア全域
停戦経緯:国連が介入し95年11月に停戦。クロアチアは独立。

3.ボスニア・ヘルツエゴビア紛争

期間:1992~1995年
独立志向側:ボシャニク人(ムスリム人)とクロアチア人
弾圧側:セルビア人勢力
戦地:サラエボなど
停戦経緯:NATOが介入し95年10月に停戦。

4.コソボ紛争

期間:1996~1999年
独立志向側:アルバニア系武装組織
弾圧側:セルビア治安部隊
戦地:コソボ各地
停戦経緯:NATO介入し99年6月に停戦。2008年コソボは独立。

つまり

・1991年から2000年までのほぼ10年間、バルカン地域では紛争が絶えることがなかった

・独立を志向する非セルビア人側と、それを押さえようとするセルビア人との抗争だった

・当事者では終息できず、最終的には国連あるいはEC・EU・NATOの介入が必要だった。

・紛争の結果、独立を志向した側は一応勝利し、独立を勝ち得た

・しかし、これらの紛争は多くの難民を生んだ

ということだ。

 考えてみれば、筆者も含めた普通の日本人にとって、セルビア人とそれ以外の民族の人々とは一見したところ区別がつけられないだろう(現地の人々はつくのかも。言葉の違いとかで)。それが、上にも書いたが、筆者として「似たもの同士」が戦っているかのように見えたのだ。そこでは「民族浄化」「ジェノサイド」と呼ばれる凄惨な闘争が起きた。しかし、極論すれば民族的にはそれほど遠くない者同士である。それがあそこまで残酷になれるのだろうか。「憎悪の連鎖」というやつか。例えれば、東京で関東大震災が起きたときの朝鮮人虐殺のようなものだろうか。実態、根拠の無い恐怖が人々を残酷にさせてしまう。

今、「火薬庫」はどこに?

 バルカン半島は「世界の火薬庫」と言われたが、今はどうなのだろう。そこにあったとされている「火薬」とやらは消費し尽くされたのだろうか。それともまだ在庫(?)があるのだろうか。遅々としてはいるが、バルカン内の国々はこぞってEUに加盟、あるいは加盟を希望している。そんな動きをみていると、あの地域、もはや「火薬庫」とは言えないように思える。

 しかし、この世から「火薬庫」が無くなることは、残念ながらあり得ないのかもしれない。筆者には、その「火薬庫」とやら、今や中東に移ったように見える。シリアあたりでは、以前バルカンで起きていたのと同じような紛争、内戦が絶えない。同様にその犠牲者は難民となって世界を流浪している。

 つい20年くらい前まで、数万人規模の犠牲者を生んだ戦闘がここバルカンで進行していたのだ。そんな規模の殺戮は第二次世界大戦で終わったかに見えたが、全くそうではなかった。「民族浄化」とやらも、ナチスドイツのユダヤ人虐殺が最後かと思ったが、最後ではなかった。数々の惨劇、悲劇を体験しても、この世界は戦うことを止められない。人々は永遠に戦い続け、殺しあうのだろうか。人間の悲しい性(さが)だろうか。そんなことを今回の学習で実感した次第である。』