欧米人はエコロジー意識が高いは、幻想です。

欧米人はエコロジー意識が高いは、幻想です。
http://blog.livedoor.jp/goldentail/archives/29328197.html

『SDGsにしても、クリーンエネルギーにしても、CO2排出規制にしても、ヨーロッパから始まる事が多いので、欧米人は、さぞかしエコロジー意識が高いのだろうと思われガチです。しかし、まったく、そんな事は無く、むしろ昔からの生活習慣を変える事なく、物凄い資源の浪費をしています。

彼らにとって、資源というのは、自身に負担がかかるかどうかで使い方が判断されます。例えば、日本国内の米軍ハウスに対して、光熱費を日本が負担していたのですが、お金がかからないとなると、エアコンを一日中点けっぱなしにするなんて事を平気でやります。家の中に誰もいなくても、エアコンを点けて快適な室温になるまでの時間が惜しいので、年中点けっぱなしにするわけです。

欧州の空調の中心であるセントラル・ヒーティングにしても、発想が同じです。室内どこでも、常に快適に過ごせる為に、使っていない部屋、留守の部屋に対しても、常時冷暖房をします。つまり、「もったいない」の意識が無いんですね。湯水のように使うという言葉がありますが、古代のローマ帝国では、上水をいかに贅沢に無駄に使うかが、財力と繁栄を示す一つの基準でした。つまり、消費が美徳の価値観なのです。

彼らは、日本のエアコンのように、一部屋単位で行う空調を、「貧乏くさい。家中どこにいても、快適に過ごせないなんて、遅れている」とバカにしていました。もちろん、中世からの石造りの建造物が多く、日本の家屋と同じ住居環境ではありませんが、自身の快適さを資源の消費より優先していたのは、間違いありません。そして、それが「優雅」に暮らす事だという価値観です。つまり、浪費は美徳という事です。

自身が金銭的に困らない限り、浪費を抑える事が尊いという思考は、もともと欧米人に無かったのです。あるものは、バンバン消費して、最大限の生活をエンジョイするのが、進んでいる文化人のスタイルだと考えていました。それゆえ、いざ、エネルギー危機が起きて、札束を振り回しても、集められる量に限界が出てくると、反動で過激な事を言い出します。

石炭エネルギーの火力発電所は、2035年までに全廃しろとか、できない国は犯罪者とか、自分達の今までの所業は棚においておいて、さも昔からエコロジーに心を砕いてましたよと言わんばかりの主張を繰り広げます。こういう運動には、乗っておいたほが票につながるので、政治家も言いなりで予算をつけたりします。

しかし、どうですか? 一般の電力需要を賄えるかも怪しいのに、更に数千万台、数億台のEVの普及ですか? その電力を得るのに、どれだけの天然ガス火力発電所を増設しないといけないか計算しているのですか。しかも、電力は2次エネルギーなので、エネルギー効率は悪いし、保存も効きません。バッテリーに蓄えられた電力は、使っていなくても、放電して減ってしまいます。ガソリンは、戦前にドラム缶に入れた古いものでも、問題なく使えます。密閉さえされていれば、気化しないからです。しかも、エネルギーを移すのも、ガソリン缶に吸い出して、別の車に移すだけです。エネルギー・ロスは、ゼロです。EVだとケーブルで繋いで、何時間もかけて電力を移動させないといけません。物凄く非効率なんですよ。エネルギー不足に、非効率な動力の普及って、頭がおかしいとしか思えません。

それでも、エコロジーなら、まだ納得できますが、今後出てくる大量の廃棄バッテリーの処分は、どうするんですか? しかも、今、テスラが開発している部品点数を減らす為に、車のシャーシとバッテリーを結合した車体だと、バッテリーだけ捨てる事すらできないのです。バッテリーの再利用なんて、更に難しくなります。恐らく、古タイヤが環境汚染問題になっているように、廃棄バッテリーが、そこいらの山林の土壌を汚染して、地球環境を破壊するでしょうね。こんな事は、バカでも判る事なのですが、世論が支持しているという単純な理由で、ゴリ押しされてしまうんですね。もちろん、電力の供給元では、今までの数倍のCO2が発電を賄う為に排出されるはずです。町中で排気ガスを目にする事は無いでしょうが、その代わりに今の何倍もCO2排出が進みます。

今回のCO2規制の流れは、一時期ブームになって、無責任に投げ捨てた欧州の「難民さん、いらっしゃーい」ブームに近いものがあると思います。この時、節度のある難民受け入れを言った人達は、「極右」、「人でなし」、「レイシスト」とか罵倒されて、社会的な地位さえ失う恐れがありました。なので、おかしいと思っていても口を噤むしかなかったのですが、結局どうなりました? 今は、国境にフェンスを設置して、武器を携行した兵士が、陸伝いに流入してくる難民を止めてますよね。そして、欧州北部の寒波は、厳しいので、山林で野宿していた難民が、毎年凍死しています。

この現状を見て、「地獄への道は、善意で塗装されている」という言葉が、何回も思い浮かびました。気高い理想を掲げるのは良いが、自分ができる事の限界を知るべきです。その範囲で、対策をしても、世の中を改善する事はできます。キャパシティー以上の理想を掲げると、結局、犠牲者を出すんです。どんな事でも、「今すぐ」とか「今は躊躇っている場合じゃない」とか言って、秩序を壊してまで、何かを進めると、誰も幸福にならず、返って自体は悪化するという事です。

欧州の難民受け入れ宣言を受けて、祖国を離れた人々は、全財産を処分して来ている人がほとんどです。なので、難民という割には、一時的に現金を持っているので、密入国マフィアに狙われて、渡航の途中で命を落とす人も、未だに出ています。時々、欧州の道端で、死体が満載されたままで、遺棄されるトレーラー・トラックが発見されたりするのですが、密入国の途中で、何らかのトラブルで死んだ難民の方達です。事故なのかも知れませんし、財産だけ取られて殺害されたのかも知れません。

全てを欧州の「難民救済ブーム」のせいにする気はありませんが、余りにも甘ったるいスローガンで、超法規処置で移民してきた難民は、本当に幸福になっているのでしょうか。フランスの難民街では、日々、暴力や窃盗が起きていますし、それをフランス人の警官が取り締まると、色々と人種差別関係で煩い方々がいるので、難民の中から警官を採用して、取締をさせています。もちろん、色々と苦難を味わってきた人達なので、権限を持たされれば、殴る・蹴るなど、暴力を気にする事なく、同胞達を従わせようとします。これが、現実です。』