米英の核兵器開発と対ソ連/ロシア戦争(3/4)

米英の核兵器開発と対ソ連/ロシア戦争(3/4) | 《櫻井ジャーナル》 – 楽天ブログ
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『 米英金融資本とナチス

 ドイツの敗北が決定的になっていた1943年1月、ルーズベルト米大統領とウィンストン・チャーチル英首相はフランスのシャルル・ど・ゴールらとカサブランカで会談、米英両政府の高官たちは同年5月にワシントンDCでも会談する。「無条件降伏」という話が出てきたのはカサブランカにおける会議においてだが、これはドイツの降伏を遅らせることが目的だったとする見方もある。

 そして7月に実行されたのがシチリア島上陸作戦。その際、レジスタンスの主力だったコミュニストを抑え込むため、アメリカ軍はマフィアの協力を得ている。ノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)は1944年6月だ。その間、アレン・ダレスたちはナチスの高官と接触して善後策を協議しはじめている。いわゆる「サンライズ作戦」だ。

 その後、アメリカの軍や情報機関はナチスの幹部や協力者を逃走させたり、保護したり、雇用する。ラットライン、ブラッドストーン作戦、ペーパークリップ作戦などという暗号名が付けられている。戦時情報機関のOSSやその後継機関であるCIAはルーズベルト政権をクーデターで倒そうとした巨大金融資本と関係が深い。その象徴的な存在がウォール街の大物弁護士だったウィリアム・ドノバンやアレン・ダレスである。

 アメリカとイギリスの特殊部隊、つまりイギリスのSOEとアメリカのSO(OSSの一部門)はレジスタンス対策として「ジェドバラ」を1944年に組織、この組織が大戦後、アメリカの特殊部隊やCIAにつながった。

 つまり、1943年以降、アメリカとイギリスはソ連を仮想敵国として動き始めている。特にチャーチルの反ソ連感情が強く、1945年4月にルーズベルト大統領が急死、5月にドイツが降伏すると、ソ連への奇襲攻撃を目論んでいる。JPS(合同作戦本部)に対して作戦を立案を命令、5月22日には「アンシンカブル作戦」が提出された。

 その作戦によると、攻撃を始めるのは1945年7月1日。アメリカ軍64師団、イギリス連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そしてドイツ軍10師団で「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。この作戦は発動しなかった理由は。参謀本部が5月31日に計画を拒否したからである。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)

 日本では8月15日に国民へ敗北を伝える天皇の声明が放送された。「玉音放送」とか「終戦勅語」と呼ばれているものだが、その半月後の1945年8月30日、グルーブス中将に対してローリス・ノースタッド少将はソ連の中枢15都市と主要25都市への核攻撃に関する文書を提出した。9月15日付けの文書ではソ連の主要66地域を核攻撃で消滅させるには204発の原爆が必要だと推計している。そのうえで、ソ連を破壊するためにアメリカが保有すべき原爆数は446発、最低でも123発だという数字を出した。(Lauris Norstad, “Memorandum For Major General L. R. Groves,” 15 September 1945)

 1949年に出されたJCS(統合参謀本部)の研究報告にはソ連の70都市へ133発の原爆を落とすという記載がある。1952年11月にアメリカは初の水爆実験を成功させ、1954年にSAC(戦略空軍総司令部)は600から750発の核爆弾をソ連に投下、118都市に住む住民の80%、つまり約60000万人を殺すという計画を立てる。

 1957年に作成された「ドロップショット作戦」は実戦を想定していたようだが、それでは300発の核爆弾をソ連の100都市で使い、工業生産能力の85%を破壊することになっていた。沖縄の軍事基地化はこの作戦と無縁でないだろう。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012)
 アメリカが必要なICBMを準備でき、しかもソ連が準備できていないタイミングで先制核攻撃をすると考えた好戦派の中には統合参謀本部議長だったライマン・レムニッツァーや空軍参謀長だったカーティス・ルメイが含まれる。​彼らは1963年後半に先制攻撃する計画を立てた​が、邪魔者がいた。大統領だったジョン・F・ケネディだ。ケネディは1963年11月22日に暗殺された。(続く)』