米英の核兵器開発と対ソ連/ロシア戦争(1/4)

米英の核兵器開発と対ソ連/ロシア戦争(1/4) | 《櫻井ジャーナル》 – 楽天ブログ
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『トリニティでの核爆発実験

 今から77年前の7月24日、ハリー・トルーマンはアメリカ大統領として原子爆弾の投下を許可した。その8日前、つまり7月16日にニューメキシコ州のトリニティ実験場でプルトニウム原爆の爆発実験が行われ、成功したことを受けてのことだ。その翌日からポツダム会談が始まる。

 当初の実験予定日は7月18日と21日の間だったのだが、トルーマンの意向で会談の前日に行ったという。核兵器の開発を目的とする「マンハッタン計画」はアメリカとイギリスが共同で行っていたもので、トルーマンが意識した相手はソ連ということになる。

 アメリカ、イギリス、中国は7月26日に「ポツダム宣言」を発表、ウラン型原爆「リトル・ボーイ」が8月6日に広島へ投下され、その3日後に長崎へプルトニウム型「ファット・マン」が落とされた。この投下日はソ連の参戦を意識してのものだったのだろう。
 ソ連の参戦は1945年2月、クリミアのヤルタ近くで開かれたアメリカ、イギリス、ソ連の首脳による話し合いで決まっていた。ドイツが降伏し、ヨーロッパでの戦争が終結してから2カ月から3カ月後にソ連が日本に宣戦布告する条件を取り決めている。

 では、ドイツはいつ降伏したのか?

 ドイツ軍最高司令部の作戦部長だったアルフレート・ヨードルは連合軍のドワイト・D・アイゼンハワー司令官と交渉、5月7日にフランス北東部にあるランスで無条件降伏および停戦文書に署名。その文書は中央ヨーロッパ時間の5月8日午後11時01分に発効することになったのだが、ドイツ軍を敗北させたソ連軍の影は薄く、スターリンは怒る。

 この文書へイワン・ススロパロフが署名しているが、署名について赤軍総司令部が承認していない上、この将校には降伏文書に署名する権限が与えられてなかった。つまりススロパロフをソ連の代表とは見なせない。そこでスターリンはベルリンでソ連軍の最高司令官が立ち会って行われるべきだと主張、5月8日の深夜(モスクワ時間では5月9日)に署名されている。

 ソ連は日本に対して8月8日に宣戦、日本が占領していた中国東北部や千島列島などへ攻め込んだ。ギリギリのところで約束を守ったということになるだろう。ソ連が参戦することを知っていたアメリカはその前に広島へ原爆を日本へ投下したわけだ。

 なお、ヤルタで結ばれた協定の中には、現在のサハリン南部や近くにある全ての島々はソ連へ返還し、千島列島はソ連へ引き渡すことも含まれてる。(続く)』