50代がさっぱりわからない

50代がさっぱりわからない
https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20220720/1658305800

『ゆうべ、文章をなにも書かなくなった夢を見た。無気力な、何をすればいいのかわからなくなった未来の自分が、消極的に、もっと本業に取り組むかと呟いているのが物悲しかった。もちろんこんなのは本業に精力的に取り組む人々には当てはまらない、私の文脈内部にしか当てはまらない物悲しさだ。私は人生の半分以上、文章を書きながら生きてきた。だからなにも書かなくなった自分とは、人生の荷物の大事な部分を落としてきた自分のように思える。
 
年を取るということがわからなくて、年を取るということを少しでも知って、うまく立ち回りたくて、不安を軽減させたくて、私は努めてきたつもりだった。だというのに今の私は書くことがわからず、年を取ることもわからなくなっている。精神疾患になっているとは思わないが、いつ頃からか、迷いの季節に突入したな、と思う。
 
思えば30代後半〜40代前半は、自分の立ち位置と立ち回りのうえで便利な時期だった。もう中年だけどまだ若手だし、まだ若手だけどそこそこ世慣れてもいる。その両面を、如意棒のように振り回して社会適応できるのがその頃だった。知識とバイタリティと好奇心のバランスも良かった。
 
ところが40代も後半に入り、そのような社会適応が早くも成立困難になってきた。中年だけど若手、という立ち位置を他人に対して成立させられなくなって、中年オブ中年とでもいうべき新境地が現れてきた。自分を若手のように見せかけても、周囲、とりわけ年下はそのように見てはくれないだろう。社会的加齢は、自分の一存だけで決められるものではない。
 
すると、コミュニケーションも微妙に変わってくる。たとえば、20代の異性と20代のうちに恋愛するには20代のうちでなければならない。わざわざトートロジーめいたことを書くのは、かりに40代が20代の異性と恋愛できたとしても、それは40代が大幅に年下の異性と恋愛するのであって、20代の異性と20代のうちに恋愛するのとは随分ちがっているからだ。
 
世の中には、若い異性を金で殴ってなびかせ、侍らせる中年もいると聞く。そういった行為にも固有の意味はあろうけれども、若かりし日を取り戻せないのだけは間違いない。
 
同じことがオフ会などにも言える。どこかの新しいオフ会に出かけるとなったら、参加時点で私は最年長である可能性が高い。若かった頃と異なった役割を期待されるわけで、立ち回りを変えなければならなくなっている。それ自体、うまくやってのけたとしても、そこから汲み取る経験は以前と同質ではない。
 
そして体力気力集中力の衰え。
自分が書くということへの(しばらく忘れていた)疑問。
好奇心が膨らむより先に首をもたげがちな、「それって以前に見たことあるよね」という先入観。
 
自分は書き続けられるのか?
続けたとして自他に有意味なものをつくり続けられるのか?
 
そうした疑問は数年前からうっすらあったが、2020年代に入って少しずつ高まり、今、自分はわけのわからないゾーンにいる。もともと『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』を書いた時に大事な何かが抜けていった気はしていたのだけど、そこから同じものを再充填できたとは言い切れず、参考文献の山のなかで私は遭難している。
 
じゃあ、書くのをやめてしまえばスッキリした50代を始められるのか? といったらこれもわからない。たぶん無理だろう。より正確には「今はまだ、無理な気がする」。
 
こうして今、アイデンティティの寄る辺がわからない中年になってみると、カネとか、筋肉とか、老年まで持ち越せそうな諸価値に執着したくなる気持ちが少しわかった気がする。でもって案外、そうやってカネや筋肉に執着する人は程度が良いのかもしれない。いやどうだろう? 隣の庭の芝が青く見えるだけかもしれない。カネや筋肉に執着する中年の心境など、わかったようで結局私にはよくわかっていないのだ。
 
「そういう時、ロールモデルの生き方を参考にするのだ」、と人はいうかもしれない。わかっている。私だってできればそうするさ! しかし私の視界内にいた数歳年上の書き手たちは、ほとんど全員、50代になって書くのをやめてしまったか、書く勢いを失ってしまったか、なんだかわけのわからないtwitter論者になってしまった。結局私のエイジングの道は自分自身で切り拓いていくしかなさそうだけど、今は先行きがまったく見えなくて、途方に暮れてしまっている。
 
……で、こういうことをブログにたたきつけるように書く、その身振りも信じて良いのかわからない。
 
インターネットは第一に、願望と思い込みのシミュラークルの鏡地獄なのであって、誰かに何かを伝えるボトルメールとしての機能はもう期待できないように思われるから。この私の戸惑いも、誰かに届くより先に、そういう鏡面が欲しかった人の鏡となり、そういう中年を非難したかった誰かの酒の肴になるばかりなのだろう。しょうもないことだ。そのしょうもない鏡面世界のなかで、こんなこと書いたってなんにもなりやしないんじゃないか。』