台湾、戒厳令解除から35年 今なお残る社会の「分断」

台湾、戒厳令解除から35年 今なお残る社会の「分断」
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『【台北=中村裕】1987年まで38年間続いた台湾の戒厳令が解除されて15日で35年を迎えた。中国から台湾に逃れ、49年に全土に戒厳令を敷いた国民党が、台湾にもともと住む「本省人」などの言論の自由を奪い、逮捕・投獄し、台湾社会は分断された。台湾は変わったのか。35年たった今も分断はなお続き、社会に暗い影を落とす。

前総統で、親中国路線を敷く最大野党・国民党の馬英九氏は6月29日、台湾南東部、本島から33キロメートルの距離にある離島の「緑島」を訪れた。向かった先は戒厳令下で政治犯の扱いを受け、多数の人が収容された監獄「緑洲山荘」跡地だった。

私的な訪問ながら、記者が「戒厳令解除から35年たち、今何を思いますか?」と問うと、馬氏は言葉を選びながら、こう応えた。

「今は台湾も(民主化され)開放的になった。過去とも向き合い、そこから学ぶことができるようになった。それは良いことだと思う」。言葉には、台湾が背負ったものの重さが詰まっていた。

多数の政治犯扱いされた人々が次々に投獄された「緑洲山荘」(6月28日、台湾南東部の離島、台東県・緑島)

国民党とともに中国から台湾に渡った「外省人」である馬氏はかつて、戒厳令を仕切った蔣経国元総統(蔣介石氏の息子)の秘書を務め、何度も緑島を訪れていた。「省籍矛盾」といわれる外省人と本省人の対立。現在の台湾社会を形づくった原点ともいえる傷痕が、周囲を海で囲まれた「監獄島」の緑島には今も息づく。

戒厳令が本格的に始まった50年。国民党の独裁政権に「政治犯」とみなされた本省人などが、次々と逮捕された。「毎晩、拷問される人の泣き叫ぶ声が聞こえ、多くの死刑宣告も聞き、本当に恐ろしい日々だった」。自らも10年の懲役刑を受けた蔡焜霖さん(91)はそう当時を振り返る。蔡さんは翌51年、第1陣として1000人の若者らとともに、この緑島に船で送られ、投獄された。

国民党が「いつかは中国大陸を取り戻す」と台湾から機会をうかがい、自由な言論を封じた末に、世界最長ともいわれ38年間にも及んだ戒厳令。だが数万人、数十万人ともいわれる犠牲者を出した悲劇の全貌は解明されず、台湾社会は今に至る。

「監獄島」と呼ばれた緑島は、台湾南東部に浮かぶ人口3000人ほどの小さな島。1950年代、一般市民が政治犯扱いされ次々に送り込まれた(6月28日)

被害者の多くは、世間からの誤解や誹謗(ひぼう)中傷を恐れ、口をつぐんだ。国民党は過去の究明は、自らの追及になると避けてきた。「台湾民主化の父」と呼ばれた李登輝・元総統でさえ、99年に緑島を訪れ、台湾トップの立場として初めて過去の過ちを謝罪するのがやっとだった。

加害者さえ特定されず、遺恨を残したままの台湾の社会には今も根深い分断が続く。外省人が主に支持する国民党と、本省人の支持者が多い蔡英文(ツァイ・インウェン)総統率いる民主進歩党(民進党)の対立は激しいままだ。中国関係を巡っては真っ向から対立し、内政や社会のそこかしこで分断を生み、推進力を奪うことも少なくない。

「過去を直視してこそ、未来を創造できる」。蔡総統が新法を成立させてまで、戒厳令下の本省人などへの弾圧「白色テロ」の真相究明を決めたのは、2017年末のことだ。

その関係委員会による最終結果が5月27日、公表された。だが4年間を費やした調査内容は真相究明には程遠く、被害人数が2万人強だったなどの報告にとどまった。責任の追及はあいまいなまま、台湾社会の注目も浴びることなく、同委員会は今夏、静かに解散した。
元投獄者「言論を奪われたかつての台湾、今の香港に」

政治犯として台湾の緑島に投獄された蔡焜霖氏(91)。当時の恐ろしさを語った(7月1日、台北市内の自宅で)
蔡焜霖さんは現在91歳。台湾の戒厳令下の1950年に政治犯として突然、当局に逮捕され、台湾南東部の離島、緑島の監獄に送られた。87年の戒厳令解除から30年後の2017年の追悼式典では政治犯の犠牲者代表として演説を行った。
――なぜ逮捕されたのですか。
「高校の時に、反政府組織に入っていたというあらぬ疑いをかけられた。役場勤めの19歳の時に突然、警察に拘束され、10年の懲役刑を受けた」
――当時の状況は。
「当局による白色テロの嵐が始まり、街は非常に緊迫していた。私は米軍の揚陸艦に1000人ほどの人たちと(北部の)基隆港から乗せられた。手錠をはめられたままどこに行くのかも分からず、台湾海峡か太平洋に捨てられ溺死するのかとおびえた」
――行き着いた先の緑島での生活は。
「獄中は地獄だったが、みんなは団結していた。午前は思想教育で共産党の批判、共産主義の残虐性などを学び、午後は過酷な労働が続いた」
1950年に政治犯として逮捕され、緑島の監獄に送られた当時の蔡焜霖さんはまだ19歳だった(6月28日、台東県・緑島)
――戒厳令解除から35年経ち、今の思いは。
「戒厳令の解除は蔣経国元総統のおかげだという人がいるがデタラメだ。人民が一生懸命に街頭で戦い、自由を勝ち取ったのだ。戒厳令の加害者は誰であるのかをはっきりさせ、35年経っても責任は追及しなければならない」
――今の台湾はどのように映っていますか。
「2016年に蔡総統が就任し、台湾はようやく本当の民主化へと進み、正義が進展した。蔡総統のおかげで今や台湾も『世界の孤児』ではなくなった。戒厳令解除から35年間の台湾人の努力が、蔡政権の過去5年間に詰まっている」
――台湾の若者には何を伝えたいですか。
「歴史を正しく理解してほしい。きょうの香港があすの台湾だという人がいるが、それは歴史を知らない。言論の自由を奪われ、台湾でかつて起きた残虐なことが今、香港で起きようとしている。歴史を繰り返さないためにも台湾の若者には、台湾で過去に起きたことへの責任を追及し、正義への転換を成功させてほしい」
(聞き手は台北=中村裕)』