「官邸主導」完成させた安倍氏 終わらぬ政治改革

「官邸主導」完成させた安倍氏 終わらぬ政治改革
安倍政治とは何だったのか⑥ ニュース・エディター 丸谷 浩史
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODB148WD0U2A710C2000000/

 ※ 今日は、こんなところで…。

『首相官邸主導と、衆院の小選挙区制度。平成と1990年代の政治改革で根幹となったこの2つのシステムをもっとも有効に使い、完成形に導いたのが安倍晋三元首相だった。

第1次内閣、民主党政権の失敗が教訓

政治改革の出発点は、巨大化した自民党派閥とおカネがかかりすぎる政治を変えることにあった。中選挙区は同じ自民党から3人も4人も当選でき、そこに派閥が生まれる。ならば自民党から1人しか当選できない小選挙区にすれば派閥の弊害は除去され、総裁選で勝つために必要な兵を養う巨額のおカネは必要なくなる。これこそが、選挙制度改革を実現した原点にあった。自民党が1人なら、対抗勢力も1つにまとまらざるを得なくなり、政権交代可能な二大政党制への道筋がつく。

小選挙区は執行部の独裁を許す、自由な論議を妨げる、日本に二大政党はなじまない。1990年代初め、反対派は論陣を張った。安倍氏と小泉純一郎元首相は反対論に立った。その2人が首相になってこの制度を最大限に活用できたのは、メリットと欠点を反対の立場から熟知していたからでもある。

官房副長官、官房長官、自民党幹事長として小泉氏の政権運営を間近にみた安倍氏は、第1次内閣では郵政民営化の反対派を復党させるなどの軌道修正を試みた。そして短期間での退陣。雌伏の期間をへて再登板したときには、自らと民主党政権の失敗を繰り返さず、官邸主導と小選挙区制をフル活用する首相に変身していた。

巧みに使った「人気・解散権・人事」

まず小選挙区制においては、内閣支持率を高く保たなければならない。そのために安倍氏は「岩盤」とよばれた支持層を3割と規定して防衛ラインとし、保守派の支持を最後までつなぎとめる作戦をとった。スタートダッシュは有権者の関心が高い経済で「アベノミクス」を打ち出し、ほんの数回の例外を除いて4割以上の支持率を保つ政権運営を続けた。

第2に、解散権を最も効果的なタイミングで行使した。安倍氏は「解散のタイミング、それは勝つ時ですよ」と口にしていた。野党が1つにまとまれば、1対1の小選挙区では負けるリスクが大きくなる。「官製賃上げ」とも呼ばれた政策などで常に野党の分断を誘い、ひとつにさせないことが、自民党・公明党の与党が勝つ秘訣でもあった。

安倍氏は麻生氏㊨を副総理・財務相として起用し続けた(2013年、首相官邸)

第3は党首に権限が集中する特性をいかした、巧みな人事配置だ。安倍氏は基本的には閣僚を「一本釣り」し、表だって派閥の意向は聞かなかった。内閣は麻生太郎副総理・財務相と菅義偉官房長官の2人を固定した。党の幹事長は最初はライバルの石破茂氏、次に政策・信条が自らとは違ってリベラルな谷垣禎一氏、最後は老練な二階俊博氏を据えた。大派閥偏重や派閥均衡にはしない。結果として人事権は安倍氏1人が握り、党内の政敵につけいる隙は与えなかった。

コロナ禍が明らかにした官邸主導の弱み

いずれの要素も第1次政権の反省にもとづく。7年8カ月にわたった第2次政権は、ともすれば自らの理想や好き嫌いが先行した前回とは異なり、現実主義の面を強く押し出して成功した。

平成改革の完成者が再び首相官邸を去ったのは、新型コロナウイルス禍が、危機管理のあり方、地方自治体の首長との関係など、官邸主導の弱点を突いたからでもあった。「ある日、突然起こる危機」に首長たちまでを従える必要性は、平成と90年代の改革では手をつけられなかった。安倍政権の手法を基本的に踏襲した菅政権も、同じ弱点を克服できなかった。

記者会見で辞意を表明する安倍首相(2020年8月、首相官邸)

岸田文雄政権が政策決定で官邸主導よりも調整型を選び、人事で派閥均衡型をとっているのは、安倍・菅政権の反省を踏まえたものでもある。衆参両院の選挙を終え、野党が弱体化、多党化した現象と合わせれば、まるで中選挙区当時の「55年体制」に戻り、あたかも自民党内で「疑似政権交代」が実現したかのような印象を与える。

危機の時代、新たなリーダーシップの必要性

だが衆院の選挙制度は小選挙区制で変わらず、派閥の力は当時より、はるかに弱い。安倍・菅政権の逆をゆけば、政権運営がうまく運ぶわけでもない。

この点をもっとも理解していたのも、首相退任後の安倍氏だった。野党の弱体化と「55年体制」への逆戻りをみこした安倍氏は、最大派閥のトップであることをうまく使い、人事と政策の両面で要求を強めようとしていた。それは安倍氏が父、晋太郎氏の秘書を務めたころにみてきた当時の最大派閥、田中派と竹下派の全盛期を体験した「派閥政治家」としての本能でもある。野党に政権を奪われるかもしれないとの恐怖が自民党内にある間は、内輪もめをしている場合ではなく、総理総裁のもとで結束する心理が働く。いったんその心配がなくなり、党内での疑似政権交代の状況になり、派閥均衡と調整型で進むなら、大派閥の意向を重視するのは当たり前でもある。古い派閥政治と、小選挙区制の功罪を知り尽くし、時の政治状況に合わせていくのが安倍氏の政治行動だった。

首相退任後は自民最大派閥のトップとして改革を訴えた(清和政策研究会=安倍派=のパーティーで乾杯する安倍会長㊥ら、21年12月、東京都港区)

「安倍1強」とまで呼ばれた官邸主導の安倍政治は平成と90年代改革の完成形でもあり、安倍氏の退場は30年前に始まった改革が時代に合わなくなってきた事実をも示した。世界を揺るがしたコロナ禍に続くロシアによるウクライナ侵攻は、突然の危機に対応するための新たなリーダーシップのあり方、指導者論を提起した。台湾有事の可能性も取り沙汰されるいま、安倍氏を失った日本の政治は本当の危機に際しては官邸主導をより強力にする方策を含め、一連の改革を見直す時期に来ている。=おわり

通算で8年を超える長期政権を担った安倍晋三元首相の政治は何をもたらし、安倍氏の不在で日本の政治はどうなっていくのか。外交、経済など様々な角度から検証しました。

【安倍政治とは何だったのか」記事一覧】
・「保守」の安倍氏が導いた中韓外交 重石が不在に
・日米同盟「崩壊」に切迫感 危機脱した安倍氏の遺訓
・日銀不信が生んだ異次元緩和 「独立性」問うた安倍氏
・SNSと安倍時代のシンクロ 民主主義に「分断」の影
・TPP推進に賭けた安倍氏 経済秩序に対中安保の視点 』