メキシコ大統領、米国に歩み寄り 移民問題巡り首脳会談

メキシコ大統領、米国に歩み寄り 移民問題巡り首脳会談
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN120P50S2A710C2000000/

 ※ 今日は、こんなところで…。

『【メキシコシティ=清水孝輔】メキシコのロペスオブラドール大統領は12日、米首都ワシントンでバイデン米大統領と会談し、移民対策の強化について協議した。ロペスオブラドール氏は6月に米主催の首脳会議をボイコットし、両国の溝が浮き彫りになった。共通の課題である移民問題への対応で歩み寄ることで、米政府との関係改善を狙う。

「我々は意見の違いにもかかわらず、良い友人として連携することができる」。メキシコのロペスオブラドール大統領は12日、バイデン氏と並んで記者に対して両国関係の改善をアピールした。ロペスオブラドール氏は同日に移民問題を担当するハリス米副大統領とも会談した。

移民問題では米メキシコ国境にある設備を更新し、国境を行き来しやすくして両国間のビジネス拡大を促す方針を確認した。ロペスオブラドール氏はバイデン氏に対し、中南米出身の労働者の受け入れ拡大を求めた。麻薬密売では致死性が高い合成オピオイドの「フェンタニル」の対策に取り組むチームを共同で設置する。

ロペスオブラドール氏は6月、米政府が米ロサンゼルスで主催した米州首脳会議をボイコットした。キューバとニカラグア、ベネズエラを会議に招待しなかった米政府に対し、「全ての国を招待すべきだ」と反発した。メキシコに続いてホンジュラスやグアテマラの大統領も欠席を表明し、合計で中南米の8カ国首脳がボイコットした。

ロペスオブラドール氏は18年に就任してから内政を優先し、外交は主にエブラルド外相に任せてきた。6年間の任期が後半に入る中、5月に中米諸国を訪問するなど外国の首脳との会談を増やしている。中南米におけるメキシコの外交力を示し、バイデン政権に対して移民問題や経済連携で譲歩を引き出そうとしているとみられる。

一方でバイデン政権にとってもメキシコとの関係改善には利点がある。共通の課題である移民問題は11月の米中間選挙に向けた焦点の1つになっており、対策には国境を接するメキシコ側の協力が不可欠だ。米国内のヒスパニック系の有権者の支持を得る意味でも移民問題への対策は重要となる。

バイデン氏は13日からの中東訪問の直前にロペスオブラドール氏と会談した。ロシアによるウクライナ侵攻やエネルギー価格の高騰で世界情勢が混乱する中、米政府が中南米外交に割ける時間は限られる。中南米外交を安定させるためにも、隣国であるメキシコとの関係悪化は避ける必要がある。』

[FT]NATOに接近の韓国、防衛産業ハンファに商機

[FT]NATOに接近の韓国、防衛産業ハンファに商機
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB123G70S2A710C2000000/

『ロシアのウクライナ侵攻を受けて欧州各国が防衛費を増額するなか、韓国の防衛大手が自社を「需要急増に応える北大西洋条約機構(NATO)の重要なサプライヤー」と位置付けている。

6月29日、北大西洋条約機構(NATO)首脳会議に参加し、岸田首相(左から2人目)らと写真に収まる韓国の尹錫悦大統領(右端)=ロイター

砲撃システムや装甲車両を手掛ける韓国のハンファディフェンスは2014年、ロシアのクリミア併合を受けてポーランドの下請け会社に自走式りゅう弾砲「クラブ」の製造ライセンスを供与し、欧州防衛市場に参入した。

それ以降、NATOの規格に対応させた自走式155ミリりゅう弾砲「K9」をフィンランド、ノルウェー、エストニア、トルコに輸出している。

ハンファディフェンスのソン・ジェイル最高経営責任者(CEO)は、ソウルにある本社でのフィナンシャル・タイムズ(FT)とのインタビューで「当社は(欧州から)離れているが、信頼性の高いパートナーとなることができた」と強調した。

ハンファディフェンスは韓国7位の財閥ハンファグループ傘下の企業で、同グループが15年に韓国サムスングループの防衛企業サムスンテックウィンを買収したのに伴い、海外に事業を拡大した。21年のハンファディフェンスの売上高は1兆4000億ウォン(約1400億円)、営業利益は1156億ウォンだった。

ロシアのプーチン大統領が2月にウクライナに侵攻して以降、欧州連合(EU)各国は総額2000億ユーロ(約27兆円)の防衛費増額を表明している。

EUの欧州防衛機関(EDA)は短期の重要課題として、ウクライナへの武器供与で激減した在庫の補充や、主に東欧諸国での旧ソ連時代の装備刷新に予算を割り当てている。
「信頼できるパートナー目指す」

ソン氏は「欧州中心に海外事業を強化し、様々な欧州企業との提携を通じてNATOの信頼できるパートナーになることを最終的に目指している」と語った。

保守系の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領はマドリードで開かれたNATO首脳会議に韓国の大統領として初めて出席した。韓国の外交筋は「セールス外交」が重要な目的だと説明した。

特に東西冷戦時代の東側諸国による軍事同盟、ワルシャワ条約機構に属していたポーランドなどでは武器の需要が大きい。関係者によると、ポーランドは戦車や自走砲、歩兵戦闘車の供給を求めている。

ポーランドは6月、ウクライナに供与した自走式155ミリりゅう弾砲「クラブ」50門の補充も求めている。

西側のある外交官は、クラブは韓国政府の同意なしではウクライナに送付できなかっただろうと指摘し、これは「大きな節目だ」と語った。アナリストや専門家によると、韓国政府はこれまでロシア政府や中国政府の機嫌を損ねることには消極的だった。

ソン氏はハンファの歩兵戦闘車「レッドバック」に数カ国が特に関心を示していると明かした。レッドバックには探知を回避し、対戦車ミサイルを迎撃する技術が搭載されている。

ソン氏は「自国の防衛産業の強化に努めている国もある」と語った。「これは当社にとって試練になるが、足元の需要急増はチャンスでもある」

韓国は2月、ハンファディフェンスがエジプト軍にK9を売却する16億6000万ドル(約2250億円)の契約をエジプトと結んだ。

1月には、ハンファなどの韓国防衛企業が中距離地対空ミサイルをアラブ首長国連邦(UAE)に輸出する35億ドルの契約も締結した。

さらに21年12月には、ハンファがオーストラリアに自走りゅう弾砲30門と弾薬補給車15両を供給する7億1700万ドルの契約を交わした。

ロシアはこのところ、高性能の防衛装備の製造に力を入れている。このため民間の防衛企業にとっては「りゅう弾砲に加え、主力戦車やその他の装甲車などの一般的な通常兵器」を供給するチャンスだとソン氏は指摘した。

インドとも契約

同氏はさらに、ロシアと長年に及ぶつながりがあるものの、ハンファが契約を勝ち取っている国の例としてインドを挙げた。

ソン氏は「インド政府にはロシアの装備やテクノロジーの活用から脱する動きがみられる。当社のチャンスが増えると期待している」と語った。

欧州では英国をターゲットにしていると明かした。米防衛大手ロッキード・マーチンなどに割って入り、英軍向けのK9を製造したい考えを示した。

英ロンドン大学キングス・カレッジ教授で、ブリュッセル・スクール・オブ・ガバナンス(BSoG)で韓国問題研究所の所長を務めるラモン・パチェーコ・パルドー氏は、ロシアや中国を安全保障上の脅威とみなす国への韓国政府による武器売却は、韓国の政策で西側寄りの姿勢が台頭し、明白になりつつあることの表れだと指摘する。

同氏は「(韓国が)オーストラリアだけでなく、インドネシア、フィリピン、タイ、ベトナムなど東南アジア各国にも武器を売却していることに、中国は怒りを募らせている。一方、エストニア、ノルウェー、ポーランドへの武器販売には、明らかにロシアの要素がある」と語る。「それでも、韓国政府の前進を阻止できていない」

By Christian Davies and Song Jung-a

(2022年7月11日付 英フィナンシャル・タイムズ電子版 https://www.ft.com/)

(c) The Financial Times Limited 2022. All Rights Reserved. The Nikkei Inc. is solely responsible for providing this translated content and The Financial Times Limited does not accept any liability for the accuracy or quality of the translation.

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韓国中銀、初の0.50%利上げ 23年ぶり物価上昇に対応

韓国中銀、初の0.50%利上げ 23年ぶり物価上昇に対応
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM12DDT0S2A710C2000000/

『【ソウル=細川幸太郎】韓国銀行(中央銀行)は13日の金融通貨委員会で、政策金利を0.50%引き上げて年2.25%とした。通常の2倍となる0. 50%の利上げは初めて。韓国では6月の消費者物価指数(CPI)上昇率が前年同月比6.0%と23年7カ月ぶりの高水準となったことでインフレ抑制のために利上げを急ぐ。

利上げは4、5月の通貨委員会に続いて3会合連続。韓銀は2021年8月以降に0.25%ずつ5度の利上げを実施し、1年足らずで政策金利を0.50%から1.75%に引き上げてきた。ただ足元のインフレに歯止めがかからず、1999年に始まった現行通貨政策の枠組みで初めてとなる0.50%の利上げに踏み切った。

同日記者会見した李昌鏞(イ・チャンヨン)総裁は「物価安定のために先制的な対応が必要だ」とし、委員会の全会一致で0.50%利上げを決めたという。李総裁は年末の政策金利について2.75%~3%との市場予想について「高い物価上昇が続くため予想は合理的だ」との認識を示した。

米連邦準備理事会(FRB)が6月に0.75%の利上げを実施し、今後も継続する方針を示しており、足元で韓国ウォンは対ドルで13年ぶりの安値圏で推移する。米韓の金利差が広がれば、ウォン安が進んで輸入物価の上昇を招くことから韓銀は利上げに動かざるを得ない事情もある。

日本同様にエネルギー資源を輸入に頼る韓国では物価高が市民生活を直撃している。CPI上昇率は21年に2~3%台だったものの、22年3月に4.1%を記録。4月4.8%、5月5.4%と上昇を続け、6月には6.0%とアジア通貨危機下の高騰以来の物価高に見舞われている。

一方で、急速な利上げは銀行借り入れで住宅を購入した多くの市民にとって利子負担の増加につながる。不動産高騰を背景に家計負債の急増が指摘されるなかで、韓銀の利上げで国内消費が低迷するリスクも高まっている。

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白井さゆりのアバター
白井さゆり
慶應義塾大学総合政策学部 教授
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ひとこと解説

韓国ではインフレ率が6月6%になり、コアインフレ率も6%に達しており物価上昇が幅広い品目に広がっています。インフレ目標2%を大きくこえており、大幅な利上げは避けられないと思います。

利上げによる債務者の負担も懸念されていますが、いまはインフレ退治が優先されると判断したようです。

利上げは昨年からおこなっていますが、ウオン安はとまりませんのでインフレ上昇に寄与しています。足元ではすこし失業者が増えており景気減速の予兆があるようにもみえます。

長期金利が6月にピークをつけてから低下しており急速な利上げに対して景気減速が意識されている可能性もあると思います。どの中銀も難しい政策判断が必要となっています。
2022年7月13日 12:26』

ミャンマー国軍司令官、ロシア訪問

ミャンマー国軍司令官、ロシア訪問
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB12CP20S2A710C2000000/

『ロシア通信は12日、ミャンマーのクーデターで全権を握った国軍のミンアウンフライン総司令官が同日、モスクワ郊外カルーガ州での文化センター開所式に出席したと伝えた。ロシア上院のコサチョフ副議長とフォミン国防次官が同行した。

ミンアウンフライン氏は10日にロシア入り。タス通信は12日、ミンアウンフライン氏がモスクワでロシア国営宇宙開発企業ロスコスモスのロゴジン社長と会談し、宇宙分野の協力を話し合ったと伝えた。

昨年2月のクーデター後、ミンアウンフライン氏の訪ロは2度目。前回は昨年6月で、パトルシェフ安全保障会議書記やショイグ国防相らと会談した。

ミャンマーは自国通貨の急落によりエネルギー調達に支障が出ており、ロシア側に協力を要請する可能性がある。(共同)』

[FT]物価高に憤るインド国民、与党はヒンズー至上で懐柔

[FT]物価高に憤るインド国民、与党はヒンズー至上で懐柔
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB019U10R00C22A7000000/

『豆から医薬品まであらゆるモノの価格が高騰するなか、年金暮らしのフィロメナ・アマラさん(70)はこれが誰のせいなのか、ほぼ確信している。インドのモディ首相率いる与党・インド人民党(BJP)が悪いのだ。

野菜の価格は5月に前年同月比18%以上上がり、すでにコロナ禍の影響を受けた貧困層には大きな打撃だ=ロイター

商都ムンバイの市場で一番安い商品を探し回りながら「彼らは大金を稼いでいる。自分たちのことしか考えていないのよ」と憤慨した。

インドの貧困層はすでに新型コロナウィルス対策の厳重なロックダウン(都市封鎖)によって最も大きな犠牲を強いられた。そして今度はロシアのウクライナ侵攻で世界中の商品価格が大幅に上がるなか、食料品の値上がりの影響をまともに受けている。

モディ政権にとってリスクはこれまでにないほど大きい。タマネギの価格が選挙結果を決めると言われるこの国では、インフレの抑制は極めて重要だ。実際、1980年の選挙ではタマネギ価格の急騰による政権批判が高まったこともあって、インディラ・ガンジー氏が再び首相に返り咲いた。

インドの消費者物価指数(CPI)は4月に前年同月比7.79%と8年ぶりに高い上昇率を記録した。5月は若干落ち着いて7.04%になったが、それでもまだ中央銀行の目標の上限である6%を上回っている。野菜は5月も18.26%値上がりした。

インドの物価上昇率は4月に8年ぶりの高さに上昇した (出所)FT Data: Andy Lin/@imandylin2

米金融大手ゴールドマン・サックスはリポートで「食料インフレには上振れリスクがある」と指摘した。

一段と増える財政負担

モディ政権は燃料税を引き下げ、インド準備銀行(中央銀行)はほぼ4年ぶりの利上げに踏み切った。だが、さらなる物価上昇を食い止めるには遅すぎたとアナリストはみている。

英投資調査会社TSロンバードでインド調査を担当するシニアディレクター、シュミタ・デベシュワル氏は「中銀も政府も少し慢心していたと思う。(経済)成長だけに焦点が当たっていた」と言う。

インフレの高進は折しも、新型コロナの感染拡大期に中銀が講じた救済措置の打ち切りや、小麦の生育を阻む熱波の襲来と時期が重なった。

中銀は今年度(2023年3月まで)の経済成長率の予想を2月時点の7.8%から7.2%へ引き下げた。

食料価格の上昇と小麦の不作に対応し、インド政府は小麦の輸出を停止した。砂糖の輸出も制限するほか、低所得世帯向けには料理用ガスの補助金を支給すると発表した。

燃料費や衣服代、食料費の価格の上昇が特に大きい (出所)FT Data: Andy Lin/@imandylin2

英金融HSBCでは、ガソリンとディーゼル燃料に対する政府の物品税の引き下げで物価上昇は直接的には0.2%、間接的には0.5%和らぐはずだと試算する。

もっとも燃料税引き下げの財政負担は大きい。HSBCによると、政府の逸失収入は1兆ルピー(約1.7兆円)に上る。政府は農家支援のため肥料の補助金を2倍に増やす考えも表明しており、財政負担が一段と増す。

すべてを合わせると、新たな財政措置は2兆ルピー、少なくとも国内総生産(GDP)の0.5%の規模になると多くのエコノミストは推計している。

野村グループで日本を除くアジアを担当するチーフエコノミスト、ソナル・バルマ氏は、政府にとって「間違いなく厳しい綱渡りだ」と話す。
与党への支持は衰えず

この財政出動はシタラマン財務相が2月に発表した22年度予算案とは別のものだ。予算案ではインフラ投資によって資本支出を3割強増やし、約1000億ドル(約13.7兆円)にすることを打ち出した。

食用油や野菜の価格が5月は10%以上上昇した (出所)FT Data: Andy Lin/@imandylin2

国内の主要経済団体インド工業連盟(CII)のサンジブ・バジャジ会長は、政府と中銀は「現実的」な方法でインフレに対処していると語った。「卵を産む金のガチョウを殺したくないから、成長とインフレのバランスを取らなければならない」

もっともCIIの最近の調査では、通貨ルピーが今年、対ドルで最安値を更新し続けていることで、回答者の半数が輸入コストの増大を懸念材料の一つに挙げた。

産業界が直面している最大の問題は「インフレと国際的な不確実性だ」。バジャジ氏はこう述べる。

しかし従来、有権者は物価に極めて敏感に反応してきたが、今回はBJPへの支持離れは起きていないとニューデリーの政治評論家ニージャ・チャウドゥリ氏はみる。

ヒンズー至上主義の言動と手厚い福祉政策のおかげで、コロナ禍にもかかわらず、党の人気は衰えていない。BJPは今年、一連の州議会選挙で勝利を収めた。

とはいえチャウドゥリ氏はこうも話す。「国民の忍耐力には限界がある。だから政府はガソリン税を引き下げた。この状況にどう対処するかによって今後、支持がどうなるかが決まる」

野菜の購入をすでに減らしているアマラさんのように、一部の有権者は我慢の限界に達したようにもみえる。彼らは政府から見捨てられたと感じている。これはモンスーン(雨期)が到来したときに強まる心理だ。通常、その時期はたとえ物価が落ち着いていても食料価格の上昇を招く。

「これはすべて政治家のせいよ」とアマラさんは言う。「彼らは物価高騰に目を向けてさえいない」

By Chloe Cornish, Andrea Rodrigues and Benjamin Parkin

(2022年7月10日付 英フィナンシャル・タイムズ電子版 https://www.ft.com/)

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太平洋、米中攻防の最前線 親中キリバスがPIF脱退表明

太平洋、米中攻防の最前線 親中キリバスがPIF脱退表明
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM116GI0R10C22A7000000/

『【スバ(フィジー)=松本史】太平洋の島しょ国とオーストラリア、ニュージーランド(NZ)が参加する太平洋諸島フォーラム(PIF)の首脳会議と関連会合が11日にフィジーで始まった。開幕直前、キリバスがPIFを脱退すると表明した。PIF側はキリバスの席を用意して翻意を促すが、同国に近い中国の意向がはたらいている可能性がある。この地域が米中攻防の最前線になる様相だ。

「キリバスがPIFから即時脱退する主権に基づく決断をしたと伝えたい」。キリバスのマーマウ大統領はPIFのプナ事務局長宛ての9日付の文書でこう主張した。脱退の理由としてプナ氏選任の手続きを巡る疑念や、14日までの首脳会議の日程がキリバスの独立記念日と重なることへの不満をあげた。

プナ氏は2021年5月、事務局長に就任。太平洋の島しょ国はミクロネシア、ポリネシア、メラネシアの3地域に分かれ、任期3年の事務局長は各地域の持ち回りで選ぶ「紳士協定」があるといわれる。21年はミクロネシア地域が自分たちの代表を就任させようとしたが、実際にはポリネシア地域のクック諸島出身のプナ氏が選ばれた。ミクロネシア地域のキリバスは納得していなかったもようだ。

米政府高官は記者団に「キリバスがPIFからの離脱を決めたとの報道を懸念している。PIFは結束した方がより強力で、この組織の目的の一つだ」と指摘した。

NZメディアはキリバス脱退の背後に「中国の存在があるとの疑いが募る」と伝える。キリバスは19年、台湾と断交し、中国と国交を結んだ。その後、米軍が駐留するハワイから約3000キロのキリバス領で中国が老朽化した滑走路の改修事業を支援することが決まった。

PIFはキリバスを含め18カ国・地域が太平洋の安全保障や経済協力を話し合う枠組みだ。年1回をめどに首脳会議を開く。米国が豪州やNZを通じて影響力を発揮している。キリバスが脱退すれば中国の利益になるとみられる。

キリバスとほぼ同時期に中国と国交を結んだソロモン諸島は4月、中国と安保協定を締結した。中国軍の駐留や艦船の寄港を認める内容だとみられ、今回の首脳会議の議題の一つでもある。英紙フィナンシャル・タイムズ(FT)は5月、キリバスも同様の安保協定を中国と結ぶことを検討中だと報じていた。

5月に就任した豪州のアルバニージー首相は中国の動きに懸念を強める。豪州のコンロイ国際開発・太平洋相は6月下旬にフィジーの大学向けに実施したオンライン講演で、「豪太平洋防衛学校」を設立して太平洋島しょ国の国防・治安維持の関係者らに訓練を施す構想を披露した。

コンロイ氏は講演で、島しょ国の関心が高い気候変動問題に取り組む姿勢も強調。「豪州の前政権は気候変動問題に適切な対応を取らなかった」と述べ、「太平洋気候インフラ融資パートナーシップ」という枠組みを新たに設ける方針を示した。これを通じ、豪政府が気候変動関連のインフラ整備のため助成金やローンを提供する。

島しょ国は一枚岩でない。ミクロネシア連邦のパニュエロ大統領はソロモンと中国の安保協定に「深刻な懸念」を表明した。ナウルの大統領も12日現在で参加していない。表向きの理由は新型コロナウイルスの感染回避だが、これまでにPIFの事務局長の選出過程には不満を表明していた。

NZメディアはマーシャル諸島のカブア大統領も国内の事情で首脳会議を欠席すると報じた。

中国は1990年にPIFの「対話パートナー」となり、首脳会議には代表団を派遣してきた。今年はこのまま派遣を見送る方針だとされたが、最終日の14日に国交を持つPIF加盟の10カ国にオンライン会議を呼びかけたとの報道もある。』

米国、キリバス・トンガに大使館 中国対抗で支援3倍に

米国、キリバス・トンガに大使館 中国対抗で支援3倍に
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN121OI0S2A710C2000000/

『【ワシントン=坂口幸裕】米政府はインド太平洋地域への関与を強化するため、キリバス、トンガにそれぞれ大使館を新設する方針だ。いずれも中国と国交がある国で、中国寄りの姿勢を抑える狙いもありそうだ。両国を含む太平洋地域の気候変動対策や漁業支援としては、現状の3倍に相当する年6000万ドル(約82億円)を10年間、拠出する。この地域への経済支援で先行する中国に対抗する構えだ。

米政府は大使館の新設を巡りキリバス、トンガと協議を始める。1993年に閉鎖した在ソロモン諸島大使館の再開はすでに決めた。11日には駐パプアニューギニア・ソロモン諸島・バヌアツの大使に米国際開発局(USAID)の高官を指名すると発表した。太平洋諸島フォーラム(PIF)担当の特使も任命する方針だ。

経済支援も積み増す。島しょ国では温暖化による海面上昇で国土浸水が安全保障上のリスクになっている。気候変動対策に加え、主要産業である漁業を含め今後10年間で6億ドルの財政支援を実施する。違法操業などを減らす狙いもある。

ハリス米副大統領はフィジーで開催しているPIF首脳会議にオンラインで出席し、バイデン政権がこの地域との結びつきを強める方針を説明する。米政府高官は「地域全体で米国の外交プレゼンスを高める。日常的に協力を深め、具体的な結果を出すため人材と体制を整える」と語る。

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パラオ大統領、中国に「台湾断交を命じるなと伝えた」

パラオ大統領、中国に「台湾断交を命じるなと伝えた」
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM120KM0S2A710C2000000/

『【スバ(フィジー)=松本史】太平洋の島しょ国、パラオのウィップス大統領は12日、日本経済新聞の単独インタビューに応じ、「私が大統領でいる限りは」台湾との外交関係を維持すると表明した。ソロモン諸島とキリバスが2019年に相次ぎ台湾と断交して中国と国交を結ぶなど、中国は太平洋地域で影響力を拡大するが、ウィップス氏はパラオの台湾重視に変更がないと述べた。

太平洋の島しょ国とオーストラリア、ニュージーランド(NZ)で構成する太平洋諸島フォーラム(PIF)首脳会議に出席するため訪問したフィジーで取材に応じた。ウィップス氏は2021年に大統領に就いており任期は4年。

パラオは1999年に台湾と外交関係を樹立した。中国は台湾と国交を持つ島しょ国の切り崩しを図り、17年末にパラオへの団体旅行を制限したと報じられる。パラオの観光当局によると、中国からの観光客はピークの15年度に9万人を超え、全体の54%を占めたが、その後減少し、新型コロナウイルスの感染拡大前の19年度には2万8000人に落ち込んだ。ウィップス氏は中国からの「強い圧力はある」と打ち明けた。

中国側に対しては「我々は誰とも敵にはならない。関係を持ちたいなら歓迎するが我々に『台湾と関係を持つな』と命じることはできない」と伝えたと明かした。また「常に経済的な強靱(きょうじん)さを持つことが必要だと考えてきた」とも述べた。具体的には日本やオーストラリアなどに「観光客の市場を多様化し1カ国・地域に依存しないようにする」とした。

PIFは11~14日の日程で首脳会議と関連会合を開催中だが、開幕直前にキリバスが脱退を表明した。ウィップス氏は「(キリバスの)マーマウ大統領とは話せていない」と述べた。「対面での会話が何より重要で、うまくいけば近い将来マーマウ氏と話す機会があるだろう」と楽観的な姿勢もみせた。

【関連記事】ミクロネシア大統領、中国招待する会合「参加できない」

太平洋の島しょ国ではソロモン諸島が4月に中国と安全保障協定を締結した。5月末にフィジーを訪問した中国の王毅(ワン・イー)国務委員兼外相は、国交を持つ10の島しょ国に対して、オンラインで開いた外相会合で地域を包括する安全保障協力の強化に向けた合意を提案した。複数の国から反対意見が出て合意は見送られたが、地域と関係が深い豪州やNZ、米国の懸念は強い。

ウィップス氏はソロモンと中国の協定について「安保は各国の主権に基づいた決定だ」と尊重する姿勢を示したうえで、「我々がソロモンの立場を理解し、彼ら(ソロモン諸島)が我々の懸念を知るよう意思疎通ができることが最も大切だ」と対話を続けると強調した。

地域を包括する中国との安保協力については「10カ国はPIFの参加国だ。彼らの側の立場を語ってもらい、次に我々の懸念を表明する必要がある」として、PIFの場でパラオの懸念を伝える方針も示した。
この記事の英文をNikkei Asiaで読む
Nikkei Asia https://asia.nikkei.com/Editor-s-Picks/Interview/Palau-maintains-Taiwan-ties-despite-Chinese-pressure?n_cid=DSBNNAR 』

ミクロネシア大統領、中国招待する会合「参加できない」

ミクロネシア大統領、中国招待する会合「参加できない」
太平洋諸島フォーラム首脳会議での地域結束を優先
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM1307W0T10C22A7000000/

『【スバ(フィジー)=松本史】太平洋の島しょ国、ミクロネシア連邦のパニュエロ大統領は中国が10の島しょ国に呼びかけて14日に開催を予定するオンライン会合に参加しない方針を示した。ミクロネシアは中国と国交を持つが「中国との関係は通商や技術面でのパートナーシップであって安全保障ではない」と強調し、安保面での関与を強めようとする中国に警戒感を示した。

太平洋の島しょ国とオーストラリア、ニュージーランド(NZ)で構成する太平洋諸島フォーラム(PIF)首脳会議に出席するため訪問したフィジーで日本経済新聞の単独取材に応じた。

太平洋地域では中国がインフラ支援を通じて影響力を強め、4月にソロモン諸島と安保協定を結んだ。中国はPIF首脳会議の最終日に当たる14日の午後に約1時間、地域で国交を持つ10カ国を対象としたオンラインでの会合を呼びかけている。

これに対して、パニュエロ氏は「首脳会議の会期中は会議に集中し(PIF参加国以外の)パートナー国とはその後に話をする」と述べた。14日には出席する首脳らの会合が予定されており「残念ながら中国との対話には参加できない」と明言した。

またパニュエロ氏は中国によるオンライン会合の呼びかけに否定的な見方を示した。「我々(太平洋の島しょ国)が一堂に会し、秩序を整え亀裂を修復し前進しようとしている時に、関与しようとするのはあまり生産的とは思わない」と述べた。

【関連記事】パラオ大統領、中国に「台湾断交を命じるなと伝えた」

中国は王毅(ワン・イー)国務委員兼外相が5月末にフィジーを訪問した際、国交を持つ10カ国とオンラインで外相会合を開催し、地域を包括する安全保障協力の合意を目指した。パニュエロ氏は事前に各国に書簡を送り「地域の安定に脅威になり、新冷戦を引き起こす」と反対姿勢を示していた。

パニュエロ氏は「ほとんどの国が私が示したのと同様の見解を示した」と明かし、「こうした問題は太平洋の島しょ国全体として(太平洋諸島)フォーラムのような多国間の枠組みで議論され、総意に基づき決定されるべきだと合意した」と述べた。

また、「各国は開発支援や協力について中国と2国間で話し合えばよい」としたうえで「超大国と関与して安保上の懸念を高めるようなことを地域に持ち込むのであれば、それは我々の最善の利益にはならない」と安保面での中国の関与に強い懸念を示した。

ソロモンと中国が結んだ安保協定については「ソロモンの主権を侵害せず、我々の地域を危険にさらさない形であることを望むし、今後もこうした懸念をソロモン側に伝えていく」とした。

ミクロネシアは米国と結んだ「自由連合協定(コンパクト)」のもと防衛を米国に委ね財政支援を受ける。ミクロネシアと米国の協定更新の期限は2023年に迫っている。パニュエロ氏はコンパクトについて交渉担当者が6月に米国で会談したと明かし「我々は9月までの交渉妥結を目指している」との姿勢を示した。』

台湾・鴻海、中国半導体大手の紫光集団に2000億円出資へ

台湾・鴻海、中国半導体大手の紫光集団に2000億円出資へ
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM134AH0T10C22A7000000/

『【台北=中村裕】台湾電機大手の鴻海(ホンハイ)精密工業が、中国半導体大手で経営再建中の紫光集団に98億元(約2000億円)の出資をする計画を進めていることが、13日分かった。複数の台湾メディアが同日伝えた。海外への大型投資には今後、台湾当局の審査が必要となる。出資が実現すれば、半導体事業への本格参入を狙う鴻海に弾みとなりそうだ。

買収を繰り返して経営破綻した紫光集団は昨年7月から、裁判所主導で再建手続きに入った。11日に新たな経営体制を発表したばかりで、複数の投資ファンドなどが立ち上げた北京智広芯控股(智広芯)が事業継承先となった。同社が紫光集団に全額出資をする形をとっている。

鴻海の計画では、中国の上海市場に上場し、サーバーやパソコンなどの生産を手掛ける主要子会社の富士康工業互聯網(FII)を通じ、智広芯などに出資をするとみられる。

FIIは13日、「当社は中国本土に上場する独立した企業だ。現地で資金調達をし、将来の発展に寄与する技術や対象を発掘するために、プライベートエクイティ(PE=未公開株)ファンドにも投資する」とのコメントを発表した。具体的な出資計画については言及しなかった。

鴻海は、米アップルのスマートフォン「iPhone」の受託生産が事業の柱で、収益力の低下が近年の課題になっている。既存ビジネスからの脱却として強化を掲げるのが、参入したばかりの電気自動車(EV)事業と半導体事業。特に昨夏には、台湾半導体大手の旺宏電子(マクロニクス)の工場を100億円強で買収するなど、積極策を打ち出し始めている。

ただ、事業規模はまだ小さい。鴻海の2021年の売上高は約27兆5000億円。そのうち半導体事業の売上高は約3000億円にとどまる。』

ツレヅレグラス・日米の国際関係《東アジア・中東・旧ソ連圏・欧州・中南米》

ツレヅレグラス・日米の国際関係《東アジア・中東・旧ソ連圏・欧州・中南米》
https://www.jlifeus.com/e-pedia/09.ZZgrass/02.Eurasia/top.htm#%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%96%E3%82%84%E4%BB%96%E6%B0%91%E6%97%8F%E6%94%AF%E9%85%8D%E4%B8%8B%E3%81%AE%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%A3

 ※ 参考になるサイトを、見つけた。

 ※ 『海外赴任、留学、国際結婚…北米、特にアメリカに住む日本人の皆さんに、ゆたかなアメリカ生活を送っていただくためのホームページです。くらしとビジネスのツールや各地のお買物や観光の情報をお届けします。』というものらしい…。

 ※ まあ、「海外生活」しようなんて人は、軽く「こういう知識」なり「常識」なりを、知っておかないと、「知的な会話」は到底ムリ…、ということらしいぞ…。

『日米と国際関係・e-百科 《中東・旧ソ連圏》

ペルシャ湾と黒海・カスピ海の一帯は世界最大の石油埋蔵地帯ですが、歴史的にロシアと米英の対立や民族やイスラムの宗派対立により戦乱や政争に巻き込まれてきました。まずは、イスラム教スンニ派とシーア派の違いや、ロシアの南下政策、ユダヤ人とパレスチナについてご研究ください。

日米と国際関係 中東アラブ・東欧・ロシア・旧ソ連圏

◆アラブや他民族支配下のペルシャ

★スンニ派vs.シーア派 ★ペルシャvs.アラビア ★ムハンマドの時代 ★正統カリフ時代 ★シーア派はイスラム正統に固執 ★ウマイヤ朝最盛期∼滅亡 ★アッバス朝 ★トルコ系・モンゴル系帝国時代

◆ロシアの南下(黒海方面)

  バルカン半島・コーカサス

★西暦1500年の世界 ★ロシアの南進(ウクライナ・クリミア編) ★黒海・カスピ海・ペルシャ湾油田 ★ロシアの南進(コーカサス・バルカン編) ★ウィーン体制の崩壊

◆英露のグレートゲーム

  中央アジアとイラン

★英露の対決 ★ロシアの南進(中央アジア編) ★カジャール朝の半植民地化 ★その後のイラン(ペルシャ)

◆ユダヤ人とパレスチナ問題

★パレスチナの国連加盟 ★古代イスラエル ★ポーランド分割とシオニズム ★ヨーロッパの火薬庫バルカン半島 ★第一次世界大戦とイギリスの二枚舌 ★ナチの迫害とイスラエル建国  ★戦後のパレスチナ

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アラブや他民族支配下のペルシャ

★スンニ派vs.シーア派 ★ペルシャvs.アラビア ★ムハンマドの時代 ★正統カリフ時代

★シーア派はイスラム正統に固執 ★ウマイヤ朝最盛期∼滅亡 ★アッバス朝 ★トルコ系・モンゴル系帝国時代

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この記事では、7世紀にイラン(ペルシャ)がイスラム帝国に征服され、その後、イスラム教のスンニ派とシーア派が分派した歴史について説明します。イランが、中東各地のシーア派武装組織を支援しているのは、本当に宗教上の理由だけなのでしょうか?何かヒントをつかんでいただければ、幸いです。

スンニ派vs.シーア派

 記事が長いので、特に注目していただきたい点をいえば、ウマイヤ朝時代に起きたアラブ2部族の対立です。大雑把に図式化すると、

  アラビア半島南部出身 イエメン族 シリアに移住   アラブ中心  スンニ派の流れ  

  アラビア半島北部出身 カイス族  イラク南部に移住 異民族に寛容 シーア派の流れ

 イランでは、サファビー朝時代にシーア派の中の12イマム派が国教化されました。ちなみに、現レバノンのシーア派武装組織ヒズボラは12イマム派で、現イエメンのシーア派武装組織フーシも、12イマム派に近縁性の強いザイド派です。

 ただし、現シリアのアサド政権が信奉するアラウィー派は、キリスト教とペルシャ系の宗教やシリアの土着宗教の教義が混じった宗派で、歴史的に、多数派のスンニ派イスラム教徒に差別されてきた経緯があります。反スンニ派で一致するためシーア派と分類されることが多いようですが、本質的には別の宗派ないしは全く別の宗教と捉えないと国際情勢を見誤ります。

+++++ スンニ派のワッハブ派 +++++

 スンニ派も、数々の諸派に分かれています。サウジアラビアのワッハブ派は、アルカイダなど過激派の精神的支柱となる宗派ですから、特に覚えておくとよいかもしれません。
  西方 現イラン領 東方

年代

エラム

メディア王国

アケメネス朝

セレウコス朝シリア(アレクサンダー大王)

アルサケス朝パルティア

ササン朝

ウマイヤ朝(最初のイスラム帝国)

アッバス朝

タヒル朝

サッファル朝

サマン朝

ブワイフ朝

ガズナ朝

セルジュク朝・ホラズムシャー朝

ゴール朝

イルハン国

ムザッファル朝

ティムール帝国

白羊朝・黒羊朝
 
サファビー朝

アフシャル朝

ザンド朝
 
カジャール朝

パーレビ朝イラン

イラン・イスラム共和国

BC3200~539
BC715~550
BC550~330
BC312~63
BC247~224
226~651
661~751
750~1258
821~873
861∼900
873∼999
932∼1062
1038∼1308
1258∼1353
1314∼1393
1370∼1507
1375∼1508
1501∼1736
1736∼1796
1750∼1794
1794∼1925
1925∼1979
1979∼

支配王朝 ■ペルシャ系 ■アラブ系 ■モンゴル系 ■トルコ系

       ■アフガン系 ■ギリシャ系 ■系統不明
ペルシャvs.アラビア

 私自身深く考えたことがなかったのですが、皆さんの中にも、イランがアラブ国家の仲間かどうか曖昧に思っている方がおられませんか?

 イランの旧国名はペルシャ。1935年に改名したせいでややこしいのですが、図1に示すように、イラン人が話すペルシャ語は英語と同じインドヨーロッパ語族で、アラブ民族のアラビア語とは別系統です。

 勘違いの原因は、一つにはペルシャ文学の古典「千夜一夜物語」がアラブ系イスラム帝国時代にアラビア語に翻訳され、後に「アラビアンナイト」の題名で欧米や日本に伝わったせいかもしれません。

 しかし、図2の地形図をごらんください。イランの国土の大半は海抜900~1500mの高原地帯で、アラブ民族の多くが暮らすアラビア半島や北アフリカの砂漠地帯とは、住環境も大きく違います。

 イランと周辺アラブ諸国の仲が悪いのは、シーア派とスンニ派のイスラム教宗派の争いと説明されることが多い中、私には、本質が歴史的な民族紛争にあるように思えてなりません。一時期を除き、ペルシャ系とアラブ系の歴代王朝は、特に今のイラク…古代文明発祥の地のメソポタミアの領有をめぐって対立してきました。シーア派とスンニ派が分かれた経緯も含め、少しペルシャとアラブの歴史を振り返ってみましょう。

地図1 世界の言語分布地図 

■ペルシャ語 ■アラビア語 ■トルコ語 ■クルド語 ■コーカサス諸語 (⇒拡大)

地図2 シルクロードと中東・東欧油田地帯の地形図 

ユーラシアの石油開発は19世紀後半にルーマニアやカスピ海周辺のコーカサス(カフカス)地方で始まりました。 (⇒拡大)
ムハンマドの時代(622∼632年)

 私たちの子供の頃は、イスラム教の開祖は「マホメット」と習ったものですが、今は学校で「ムハンマド」と教えているようですね。一般に「アラビア(Arabian)」は地理的にアラビア半島を表す形容詞として使われますが、「アラブ(Arabic)」はアラビア語圏の文化について広く使われる言葉です。

+++++ ハシム家の系図 +++++

 ムハンマドは、西暦570年頃に現サウジアラビア西岸のメッカで生まれました。メッカを統治するクライシュ族の12名家の中でハシム家の4代目です。話がそれますが、ハシム家の血統は今も現ヨルダン王家に脈々と受け継がれています。イスラム王朝の盛衰や諸宗派分裂の経緯を知る上で貴重な資料なので、最初に抜粋の系図を掲載しておきましょう。世界的にも、日本の天皇家や出雲大社の宮司さん並みに由緒正しい系図と言えるでしょうね。

クリックで拡大

+++++ 東ローマvs.ササン朝ペルシャ +++++ 

 その頃、アラビア半島の北では、キリスト教(ギリシャ正教)の東ローマと、善悪二神のゾロアスター教を奉じるササン朝ペルシャの二大帝国が抗争を繰返していました。半島の沿岸部も両勢力の奪い合いになっていましたが、中央部の砂漠地帯は喧噪をよそにベドウィンと呼ばれる遊牧民族がラクダや羊を放牧していました。

 といっても、遊牧生活は血縁で結ばれた小部族単位の社会で成り立っており、部族間の紛争は絶えませんでした。宗教も部族の氏神を奉じる多神教です。メッカは古くからアラビアの交易の中心地で、今はイスラム教の聖地として世界中から巡礼者を集めるカーバ神殿も、当時は360もの神々を祭る多神教の神殿でした。

+++++ ムハンマドの聖遷(ヒジュラ) +++++

 ムハンマドは、神の啓示を受けてイスラム教を説き始めますが、クライシュ族の中にも改宗する者は少なくメッカでは迫害を受けます。そこで、西暦622年に400km北のメディナに移って布教し、諸部族をまとめて立法者と軍事指導者を兼ねた存在となりました。聖遷(ヒジュラ)と呼ばれ、イスラム帝国の快進撃が始まった瞬間です。イスラム歴元年で、日本では、この年に聖徳太子が亡くなっています。

 ムハンマドのイスラム軍は、メッカ軍と対決するに当たりアラビアで伝統の一騎打ちを禁止して、弓兵隊で迎え撃ったと言いますから、信長が鉄砲隊で武田の騎馬隊を破った長篠の戦と同じ戦法ですね。イスラム教の一夫多妻制は、メッカ軍との戦いで夫を失った多くの寡婦とその子供たちを、生き残った男らで養うために生まれたと言われています。

 イスラム軍は、630年についにメッカを占領し、カーバ神殿の多神教の偶像を破壊してイスラムの神殿としてしまいます。しかも、アラビア人共有の神殿を奪われて怒る諸部族の連合軍を返り討ちにし、その勢いでアラビア半島のほぼ全域を制圧しました。

地図3 東ローマ・ササン朝ペルシャ (⇒拡大)
地図4 ウマイヤ朝∼アッバス朝 (⇒拡大)
正統カリフ時代(632∼661年)

+++++ 初代カリフ アブ・バクル…アラビア半島再統一 +++++

 632年にムハンマドが亡くなって、親友のアブ・バクルが選挙で後継者に決まり、初代カリフ(代理人)の座につきます。以来、カリフは、初期のスンニ派王朝の最高権威者の称号となりました。しかし、ムハンマドの個人的権威に従っていた諸部族はイスラム教を捨てて離反。アブ・バクルは武力でアラビア半島を再統一、イスラム教共同体の分裂を阻止する功績を残しましたが、在位2年で病死してしまいます。

+++++ 第2代カリフ ウマル…東ローマ・ペルシャ領侵攻 +++++

 互いの抗争で疲弊しきった東ローマとササン朝ペルシャの領土に侵攻し、アラブの大征服に乗り出したのは第2代カリフのウマルでした。征服地の住民は、税金さえ払えばイスラム教への改宗を強制されず、特に東ローマに異端扱いされていたシリアやエジプトのキリスト教徒には、寛大な条件として受け入れられました。ウマルは、642年に現テヘランの南方でササン朝ペルシャを破り領土を大きく東に拡げましたが、2年後に私的な恨みを買って刺殺されてしまいます。

 イスラム帝国の首都は依然としてメディナでしたが、この時代には、イスラム帝国の軍事拠点としてシリアのダマスカスが改造され、イラクのバスラとクーファ(バグダッド南方)やエジプトのカイロには新たに軍営都市(ミスル)が建設されました。

+++++ 第3代カリフ ウスマン…イスラム帝国完成 +++++

 ウマルの死で、東ローマの反攻やコーカサスのアルメニアやアゼルバイジャンで反乱が起きましたが、第3代カリフのウスマンはこれらを鎮圧。さらに東ではペルシャを滅亡させ、西では海軍を整備して東地中海を制圧し、650年頃に征服戦争は一段落します。各地に様々な版があったコーランを統一し、イスラム帝国は唐に使者を送るまでになりました。

 しかし、広大な領土を統治する体制は未熟です。そこで、ウスマンは政府と地方の要職に自らの出身のウマイヤ家一族を多数登用。しかも、厳格で知られた前カリフのウマルに比べると、ウスマンは私欲に寛容だったため、結果的に縁者の奢侈な生活が目立つようになりました。

 一方で、平和な時代が訪れ、兵士の収入は戦利品の分配から俸給制度に替わり、庶民の生活は以前より厳しくなっていました。人々の不満は高まり、656年6月にウスマンはメディナの反乱民に殺害されてしまいます。

+++++ 第4代カリフ アリ…第一次内乱 +++++

■アリの支配下■ムアーウィヤの支配下■アムルの支配下

 第4代カリフには、ハシム家出身でムハンマドの従兄弟に当たるアリが選ばれました。しかし、ウスマンの再従兄弟でシリア総督のムアーウィヤが、盟友で元エジプト総督のアムルと組んで反旗を翻します。アリがウスマン殺害犯を罰せず、逆にウマイヤ家一族を冷遇し始めたからです。

 しかし、その前にアリは、別の内紛を片づけなければなりませんでした。メディナでウスマンに近かった人々も、殺害犯を許したアリに反発し、メッカのムハンマド未亡人を奉じて蜂起したのです。

 656年12月、両軍は戦場にイラクを選び、それぞれにウスマン支持者が多いバスラと、反ウスマンのクーファに陣取りました。アリは和解を試みますが、ウスマン殺害に加担した一団の夜襲で戦いが始まってしまい、カリフ軍が大勝しました(ラクダの戦い)。歴史的に初のイスラム教徒同志の仲間討ちと言われています。

 第2幕は、ムアーウィヤの討伐です。アリはクーファにとどまって8万の兵を整え、ユーフラテス川を北上し翌657年7月にシフィンの戦いで12万のシリア兵に対し優勢な戦いを進めました。しかし、不利を悟ったシリア軍がコーランを掲げて和平を呼びかけたのをきっかけに、カリフ軍の結束が乱れてしまいます。結局、カリフ軍は決着をつけずに兵を退き、交渉相手としてムアーウィヤに対等な立場を認めたことになってしまいます。遠征費用も重く財政負担となり、アリの権威は失墜しました。

 特に和平協議を否定し「裁定は神のみに属す」と主張する強硬な一団(ハワーリジュ派)はカリフ軍から離脱し、アリとムアーウィヤの双方と対決します。カリフ軍は戦いで強硬派に勝利したものの、アリが661年に刺客に暗殺されてしまいます。ムアーウィヤの方は、危うく難を逃れました。
ウマイヤ朝初期の内乱時代(661∼692年)

+++++ 初代カリフ ムアーウィヤ…ハシム家と和解 +++++

 既に660年に、ムアーウィヤはカリフ就任を宣言しています。ハシム家のアリと、ムハンマドの娘のファティマの間に生まれた息子のハサンは、次代カリフに推され、反ウマイヤ家勢力を率い、イラク南部でシリア軍と対峙します。しかし、イスラム帝国の分裂を避け、一代限りを条件にムアーウィヤをカリフと認めることにしました。ムアーウィヤはダマスカスを首都と定め、ウマイヤ朝を創始。後にハサンとの約束は破られ、14代にわたり世襲のカリフが続くことになります。

 ムアーウィヤは反乱の芽を摘むため、部族集団の連合体に過ぎなかったイスラム帝国の国家体制を整え、東ローマ領への征服戦争を再開しました。

+++++ カルバラーの悲劇…シーア派の誕生 +++++

 680年にムアーウィヤが死んで、息子のヤジドがカリフを世襲してから第5代のアブダルマリクの時代の半ばまで、各地で反乱が続きます。

 きっかけは、新カリフのヤジドが、アリの息子フサインの反乱を恐れ、先手を打って虐殺した事件です。当時、ムアーウィヤとカリフの座を競った兄のハサンは既に死んでおり、フサインは反ウマイヤ勢力によりカリフに推されていました。

 乳児を含む一行が、反ウマイヤ勢力の待つクーファに向かう途中、カルバラーでウマイヤ朝軍の大軍に襲われ、フサインと戦士の72人が首をはねられました。シーア派の分派を決定づけたカルバラーの悲劇という伝承です。

+++++ 第2次内乱 +++++

 しかし、反ウマイヤ勢力は各地に根を張り、ウマイヤ朝の安泰は長く続きません。683年に、初代正統カリフのアブ・バクルの血を引くアブドラが、初期イスラム社会への回帰を訴え、メッカでカリフに即位すると、アラビア半島やイラクばかりかシリアやエジプトの一部まで、またたく間に勢力を拡大しました。

 ウマイヤ朝は反撃し、アブドラ政権の本拠でイスラム発祥の地のヒジャズ地方に深く攻め込みます。激戦の末にメディナを攻略し、次いでメッカを包囲しましたが、ヤジドが乗馬中の事故で急死して、ウマイヤ朝軍はシリアに撤退します。人々は、ヤジドが戦火でメディナの大モスクとカーバ神殿を焼いた呪いと噂しました。急遽、息子のムアーウィヤ2世がカリフ位を継ぎますが、この人も翌684年春、失意のうちに死んでしまいます。

 ムアーウィヤの系統は途絶え、ウマイヤ朝は長老のマルワンが継承することになりました。マルワンは、シリアに攻め入ったアブドラ政権軍を撃退し、何とかエジプトも奪回したものの、翌685年に在位1年9ヶ月で死亡。息子のアブドルマリクが、ウマイヤ朝第5代カリフの座につきます。

 一方、その年には、(後にシーア派のカイサン派と呼ばれる)クーファの反ウマイヤ勢力が、カルバラーで死んだフサインの従兄弟に当たるムハンマドを奉じて蜂起していました。三つどもえの権力争いの下、シーア派は、メディナにウマイヤ朝が出兵したのを聞いて援軍を送りましたが、逆にアブドラ政権軍に挟み撃ちにされてしまいます。

 その後、アブドラ政権はクーファのシーア派を倒しましたが、アブドルマリクの下で攻勢に転じたウマイヤ朝に追い詰められ、692年にメッカで戦死。内乱は幕を閉じ、ウマイヤ朝の最盛期を迎えます。
シーア派はイスラム正統に固執

 スンニ派は、その後、ウマイヤ朝・アッバス朝と代々カリフ位を継承してイスラム帝国に君臨。アッバス朝が衰退し帝国が分裂してからも、各地の権力者に称号を与え、名目的な権威でイスラム世界の世俗秩序を裏打ちしてきました。中世の天皇の役割と同様ですね。

+++++ シーア派の諸系統 +++++

 シーア派によれば、アリこそがムハンマドから直接後継者として指名されたイマム(指導者)で、ハシム家の血を引いていない3人の正統カリフの権威も否定されています。スンニ派諸国の歴史を全否定しているのも同然です。教義や戒律の詳細については私も門外漢ですが、それぞれに諸派があり、どちらが厳格とは一概に言えないようです。

 第2~3代は、アリと、預言者ムハンマドの娘ファティマの息子のハサン・フサイン兄弟、その後はフサインの子孫が代々イマムを継いだとされますが、シーア派はさらに分派し、今ではイマムの系統も複数あります。

 ウマイヤ朝末期に叛旗を翻したザイドからは、現イエメンのイスラム武装組織につながるザイド派が分派。シーア派教義を確立した第6代のジャファルがアッバス朝に暗殺された後にはイスマイル派が分派しましたが、主流は何といっても現イラン国教の12イマム派です。

 教えによれば、第12代ムハンマド・ムンタザルの時代にイマムが人々の前からお隠れになり、最後の審判の日に再臨なさるそうです。史実と比べると、第9代のムハンマド・ジャワードはアッバス朝の庇護を受けカリフの娘婿となりましたが、後に関係が悪化し死因に暗殺の疑いもあるようです。第10~11代のイマムは、アッバス朝に自宅軟禁されていました。第12代の実在は確認されていません。

 少し話はそれますが、イラン・イスラム共和国の初代国家元首となったホメイニ師は、第7代イマムのムーサーの末裔でした。

+++++ ペルシャ国教化はサファビー朝 +++++

 10~11世紀に現イラン・イラクを支配したブワイフ朝はシーア派(12イマム派)でしたが、既に名目化していたアッバス朝カリフの権威を借りていたので、民衆に改宗を迫りませんでした。

 現イランとイラク南部やアゼルバイジャンが完全にシーア派化したのは、16世紀初頭のサファビー朝ペルシャの時代です。サファビー朝を築いたイスマイル1世は、殉教死を恐れない過激なシーア派のトルコ系遊牧民を味方につけて領土を拡大しました。征服戦争一服の後には、古い権威を守るスンニ派のイスラム法学者を粛清し、シリアから穏健な12イマム派指導者を招いてシーア派を国教化します。宗教で、新しい権威を打ち立てた名君でした。
ウマイヤ朝最盛期∼滅亡(692∼749年)

 アラブ再統一(692年)を果たしたアブドルマリク(685∼705年)は、アラビア語の公用化と貨幣の発行で中央集権化が進め、次の第6代ワリド1世(705∼715年)の時代にウマイヤ朝の領土は最大に達しました。東は中央アジアと北インド、西は北アフリカの東ローマ帝国領を奪いモロッコを平定、イベリア半島に侵攻して西ゴート王国を滅ぼしました。

+++++ アラブ同士の部族対立 +++++

 しかし、ウマイヤ朝には2つのアキレス腱がありました。一つは、アラブ同士の部族対立です。シリアでは南アラブ出身のイエメン族、イラクでは北アラブ出身のカイス族の勢力が強かったのです。イラクのカイス族は、シリアのイエメン族に比べ異民族に協調的で親シーア派です。初代ムアーウィヤはイエメン族を重用し、第5代アブドルマリクはカイス族を重用するなどしているうちに、次第にカリフ位をめぐる権力闘争にも関わるようになってきていました。

 第7代スレイマン(715∼717年)は、兄ワリド1世の実子をカリフに擁立しようとしたカイス族の武将を粛清し、そのせいでウマイヤ朝の領土拡大時代も終わりました。

+++++ 非アラブ人の不平等 +++++

 もう一つは税制…コーランに「神の前では平等」とあるのに、イスラム教に改宗しても、非アラブ人はアラブ人より多額の税を納めなければなりません。このため、異民族改宗者の間に不満が高まっていました。第8代ウマル(717∼720年)が税制改革を試みますが在位が短く、第9代ヤジド2世(720∼724年)が旧税制を復活してしまいます。モロッコでは、怒ったベルベル人に総督を殺害されても反乱を鎮圧できないほど、ウマイヤ朝は無力になっていました。

 第10代ヒシャム(724∼743年)は干拓と灌漑でイラクの農地を拡大して財政を再建し、ウマイヤ朝の危機は一服しましたが、中央アジアではトルコ系民族の攻撃を受け、イラクのシーア派(フサインの孫ザイド)とペルシャやモロッコの反乱や反政府運動に脅かされました。

+++++ 1年で4人のカリフ +++++

 親イエメン族のヒシャムの死後1年の間に、目まぐるしく4人のカリフが変わります。発端は新イラク総督が前任を殺害する事件でした。それを黙認した親カイス族の第11代を、親イエメン族の従兄弟が殺して第12代に即位。ところが半年後に脳腫瘍で死んで、親イエメン族の弟が第13代に即位。そこへ進軍してきたアルメニア総督の従叔父(大おじの息子)が、第11代のかたきを討ってウマイヤ朝最後のカリフに即位しました。親カイス族の第14代マルワン2世(744∼750年)です。

 しかし、動乱はさらに激しくなります。新カリフは、ウマイヤ朝の首都を、ダマスカスから、シリアとイラクの中間点のハランに移しました。すると、シリア住民が失望して反乱を起こし、それに乗じて東ローマが小アジア(現トルコ)に侵入。マルワン2世は手堅く粛々と反乱を鎮圧し外敵を撃退していくのですが、それを追いかけるように新たな内憂外患が帝国全土で次から次に起きました。

+++++ アッバス革命 +++++

 その頃、預言者ムハンマドの叔父アッバスのひ孫に当たるムハンマドが、第二次内乱で蜂起に失敗したカイサーン派のイマム位を継ぎ、パレスチナの小村でおとなしく暮らしていると見せながらも、裏では各地に教宣員を送り、シーア派を巻き込み反乱を扇動していました。

 その中で、747年、ペルシャ東部ホラサン地方のメルブ(現トルクメ二スタン)で、教宣者アブ・ムスリムが起こした反乱が実を結びます。ウマイヤ朝の白い旗に対し、黒旗を掲げてイラクに進軍、749年9月にクーファを降しました(話はそれますが、イスラム武装組織ISISの黒旗も、この故事にならったものかもしれません)。

 ウマイヤ朝も、ようやくアッバス家の動きに気づきました。既にムハンマドは他界して息子たちの代でしたが、長男のイブラヒムは捕えられ処刑されてしまいます。逃げおおせた弟のアブアルアッバスが、サファフと改名してクーファでカリフに推戴され、アッバス朝が始まりました。
アッバス朝

 初代カリフ(750∼754年)のサファフの命で、叔父のアブドラがシリアに進軍してウマイヤ朝を滅ぼし、さらにエジプトに逃れたマルワン2世の殺害をはじめ過酷な残党狩りを続けました。

 アッバス朝は、カリフに権力を集中し強力な官僚体制を築きました。異民族にも公平な税制を設けてペルシャ人を懐柔する一方で、ウマイヤ朝を支えたスンニ派アラブ人の処遇にも配慮しましたから、アッバス革命を支援したシーア派の人々には不満が出ました。その微妙な距離感のために、サファフ時代の首都は、シーア派の拠点クーファの周辺を転々としています。

 第2代マンスール(754∼775年)は、カリフ就任時に叔父のアブドラと功臣のアブ・ムスリムを粛清し、さらに758年にはアリの息子で第2代イマムのハサンの曾孫を奉じて起きた反乱を弾圧し、バグダッドに新首都を開いて政権を安定させました。

+++++ 千夜一夜物語の時代 +++++

 アッバス朝ではアラビア語が公用語となり、宮廷にはペルシャ人官僚が多数登用されたために、国際色豊かなイスラム文化が花開きました。その頂点が、第5代ハルン・アル・ラシッド(786∼809年)の時代で、バグダッドの人口は150万人を超え、産業革命以前における世界最大の都市であったと言われています。同時代の唐の長安が最盛期で100万人、初期の平安京の人口は10万人と推計されていますから、いかに大都市であったかお分かりでしょう。

 「千夜一夜物語」は、この頃にアラビア語に翻訳されました。アラビア数字と同じくインド生まれの説話集で、王妃で語り手のシエラザードは名前からしてペルシア系で、アリババがアラブ系で、シンバッドはインド系。ギリシャ人やエチオピア人、黒人も登場します。シンバッドは、バスラから船出しています。 

 アッバス朝は、建国翌年の751年に現キルギスで唐の大軍を破りシルクロードの支配を確立しましたが、領土拡張についてはウマイヤ朝ほど積極的ではありませんでした。早くも第2代マンスール時代のうちに、ウマイヤ朝の王族で一人生き残ったアブドラフマンがイベリア半島で後ウマイヤ朝を開き、アルジェリアにはルスタム朝が興りました。

+++++ 地方政権乱立時代 +++++

 しかし、アッバス朝が衰退の道をたどったきっかけは、栄華を極めたハルン・アル・ラシッドが残したややこしい遺言でした…遺志に基づき、母系の血筋のよい弟が第6代のカリフとなり、ペルシャ人の母から生まれた兄は皇太弟として帝国東部を統治するとの誓紙が取り交わされます。しかし、まもなく弟が実子を皇太子に立てようとして、兄弟の戦いに発展したのです。兄は、ターヒル将軍率いるペルシャ人部隊をバグダッドに差し向けました。弟は捕えられて殺され、813年に兄マムーンが第7代カリフに即位しました。

 ところが、マムーンは、その後も東部ホラサン地方のメルブに留まります。しかも、816年にメディナからシーア派第9代イマムのアリを呼び寄せて娘婿とし、自らの後継カリフに指名。しかも、翌年には帝国旗をアッバス家の黒からシーア派のアリ家の緑に替える暴挙に出ました。意図は不明ですが、アラブとペルシャのハーフのマムーンが、シーア派の多いイラクで、カリフとして受け入れられるためによかれと思ってした行為かもしれません。

 しかし、意に反して帝国全土で反乱が起こります。イラクではマムーンの叔父がカリフに推されました。追い詰められたマムーンはバグダッドに向かいますが、同伴していたアリが途中で急死…シーア派は、これを毒殺による殉教死と信じています。マムーンは、即位6年でついにバグダッドに入りました。 
地図5 地方政権乱立期 (⇒拡大)

 とはいえ、各地の反乱はその後も納まりません。さらに東ローマとの抗争に手が離せないマムーンは、821年に帝国東部を統治するホラサン総督ターヒルの独立を実質的に認め、ペルシャに初めてペルシャ系イスラム王朝が誕生しました。

 ペルシャ系イスラム王朝は、サッファル朝、サマン朝、ブワイフ朝と続きます。アッバス朝は945年にブワイフ朝にバグダッドを奪われ、その後は各地の実力者を大アミールに任じ、地方王朝の権威を名目的に支えるだけの存在となります。
トルコ系・モンゴル系帝国時代

 イスラム帝国が四分五裂し国々が覇を競う戦乱の時代となっても、都市生活に慣れたアラブ人はかつての戦闘能力を失っていました。サマン朝やブワイフ朝の軍事力を支えたのは、トルコ系のマムルーク(軍事奴隷)です。こうしたマムルークの中から、エジプトでは868年にトゥルン朝が自立。955年には、サマン朝からガズナ朝が自立し、インドに侵攻しました。

+++++ セルジュク朝 +++++

 1055年には、もとはサマン朝に仕えていたセルジュク朝が、ブワイフ朝を倒してバグダッドを占領。カリフからスルタンの称号を許され、イラクとペルシャの支配権を握りました。アミールは地方総督の称号ですが、スルタンはカリフの代理でイスラム帝国を統治する役職に与えられる称号で、アミールより一段上です。

地図6 セルジュク朝の征服 (⇒拡大)
地図7 イルハン国の征服 (⇒拡大)  地図8 ティムールの征服 (⇒拡大)

+++++ イルハン国とティムール帝国 +++++

 しかし、中央アジアでは、1206年にチンギスカンがモンゴル高原の遊牧民を統合し、モンゴル帝国を創設していました。第4代モンケハンの弟フレグの西征で、ペルシャは1256年に制圧され、1258年にはバグダッドも攻略されアッバス朝が滅亡しました。イスラム文化の中心は、この頃にはエジプトのカイロに徐々に移りつつありましたが、バグダッドは戦いで灰燼に帰し、その後数百年にわたり長く衰微しました。

 その後、モンゴル帝国は4つに分かれ、西アジアはイルハン国となります。イルハン国は、1335年に第9代のスルタンが暗殺されてから解体し、地方政権が乱立しました。その頃、東西に分裂した中央アジアのチャガタイハン国を再統一し、現ウズベキスタンのサマルカンドに本拠を置くティムールがペルシャに侵攻します。』

強権ウズベク、かすむ「IT立国」 デモ鎮圧へネット遮断

強権ウズベク、かすむ「IT立国」 デモ鎮圧へネット遮断
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB11AIO0R10C22A7000000/

『ウズベキスタンはIT(情報技術)を経済の柱に育てる方針だ。優遇税制や特別ビザ(査証)の導入で、米欧の制裁を受けるロシアから関連企業や技術者を受け入れてきた。だが、7月上旬に起こった憲法改正に反対するデモはインターネットを遮断して鎮圧。国内法に違反するとの理由で一部のSNS(交流サイト)は利用できない。強権統治が「IT立国」の夢をかすませている。

ウズベクは中央アジアの内陸国で、旧ソ連の一部だった。2月にロシアがウクライナ侵攻を始めるとまもなく、首都タシケントの経済特区「ITパーク」向けに外国人技術者や家族の移住支援プログラムを打ち出し、これまでに3000人以上が利用した。ロシアやベラルーシでは制裁の影響で事業を停止したIT企業が多く、技術者は国外を目指した。その一部がウズベクに流入した。

ウズベクは4月、IT人材や家族に3年間の居住許可などを与える特別ビザ制度を創設した。移転してきたIT企業に対する優遇税制も整備した。

6月には米シリコンバレーに政府の視察団を派遣。グーグル、アップル、メタといった米国のIT大手を訪問し、ソフトウエア開発などでウズベクの拠点を活用するよう求めた。

冷や水を浴びせたのが改憲反対デモだ。

ウズベク西部のカラカルパクスタン自治共和国で1日、共和国が将来独立する可能性を排除する条項を含む改憲に反対する住民らのデモが発生。ミルジヨエフ大統領の権限強化につながる任期延長案も記されていた。治安部隊との衝突でデモ参加者など多数が死傷、拘束された。ネットは遮断され、報道も制限された。

ミルジヨエフ氏は2日に自治共和国を訪れ、将来の独立を否定する条項の撤回を表明した。3日には共和国に1カ月間の非常事態宣言を発令し、事態収拾を急いだ。

ウズベキスタン西部のカラカルパクスタン自治共和国で、住民と対面するミルジヨエフ大統領(3日)=ロイター

デモの背景には生活が困窮する住民の不満もある。新型コロナウイルスの感染拡大やウクライナ侵攻で、ウズベク市民がロシアやカザフスタンへ働きに出る機会はおしなべて減った。世界的な食料価格の上昇も及ぶ。今回のデモと当局の対応は、ウズベクに対する投資家の警戒を強めた。

ウズベクではツイッター、TikTok(ティックトック)をはじめとするいくつかのSNSを利用できない。利用者の個人情報の国内保管を義務付けた2021年の法律に違反しているためだと当局は説明する。仮想私設網(VPN)を経由しないと接続できない。

ロンドンに拠点を置くリスク管理会社のアナリストは「ウズベクはIT人材の受け皿になろうとしてきたが、報道の自由への弾圧やSNSへの規制が(企業や技術者が進出するうえでの)懸念材料になっている」と指摘する。

(寄稿 アルマトイ=ポール・バートレット)

この記事の英文をNikkei Asiaで読む
Nikkei Asia https://asia.nikkei.com/Politics/Unrest-overshadows-dream-of-IT-powered-new-Uzbekistan/?n_cid=DSBNNAR 』

日米同盟「崩壊」に切迫感 危機脱した安倍氏の遺訓

日米同盟「崩壊」に切迫感 危機脱した安倍氏の遺訓
安倍政治とは何だったのか② 本社コメンテーター 秋田浩之
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD101SX0Q2A710C2000000/

 ※ 不沈空母は、この海域に二隻ある…。

『外交や安全保障で、安倍晋三元首相の功績の大きさは言うまでもない。日米同盟は格段に強まった。彼が打ち出したインド太平洋構想は広い支持を集め、いまや主要国の対外戦略の合言葉になっている。

こうしてみると、安倍氏は果敢に「攻めの外交」に走り、成果を残したように映る。だが、内幕はそう単純ではない。安倍氏を駆り立てたのは、このままでは日米同盟が崩壊しかねないという、恐れと切迫感だった。

元側近らによると、安倍氏は在任中、次のような趣旨の言葉を何度となく、内部の会議で漏らしていた。

高まる米軍のコストと危険

米中軍事バランスが中国優位に傾き、北朝鮮が核武装したことで、米軍が日本を守るコストと危険が相当に高まってしまった。よほど日本が防衛努力を尽くさなければ、同盟の効力は保てない――。

そのうえで、彼はこうも話したという。「日本がその努力を怠れば、米有権者はいずれ、日本の防衛義務を負うことに納得しなくなるだろう」

集団的自衛権についての集中審議で答弁する安倍晋三首相(14年5月当時、衆院予算委)

この認識は安倍氏の思い込みではない。2012年12月に首相に返り咲いて以来、執務を通じて募らせた本当の危機感だった。

在任中、彼は少なくとも2回、同盟の危機に震えた。第1は就任直後である。民主党の鳩山由紀夫政権下で日米同盟は傷つき、日中は一触即発の状態にあった。

12年9月の尖閣諸島の国有化後、中国は尖閣周辺に次々と中国公船を侵入させてくる。日中紛争リスクがささやかれ、「ワシントンには日本の対応を不安視する向きもあった」(当時の米政府当局者)。

防衛・海保予算増やす

日米の信頼と同盟を立て直すには、まず日本自身が防衛の努力を急ぐしかない……。安倍氏はこう考え、減り続けていた防衛予算を13年度から増加に転じるとともに、海上保安庁の予算を大きく拡充した。

世論の反対を押し切って、安全保障関連法を16年3月に施行させたのも、同じような考えからだ。これにより、米軍を支援するため、限定的ながら集団的自衛権を使えるようになった。

野党の一部は「戦争できる国にした。違憲である」と、なお同法に反対している。だが、安倍氏の本音は逆だった。安保関連法がなければ、日米同盟が息切れし、日本の安定を保てなくなってしまうと恐れた。

安倍氏が直面した第2の危機が、トランプ米大統領の就任だ(17年1月)。トランプ大統領は、同盟は米国にとってお荷物だと考え、あからさまに不満をぶちまけた。日本政府関係者によると、安倍首相との計14回にわたる会談でも、毎回のように「日米同盟は不公平だ」と批判。在日米軍の駐留経費を日本がすべて払うほか、アジアに展開する米空母の運用費も一部肩代わりするよう迫った。

安倍首相は国際会議の場でも存在感を示した(18年6月当時、カナダでの主要7カ国首脳会議=G7サミット)=ドイツ政府提供、AP・共同

トランプ大統領は、米欧同盟の北大西洋条約機構(NATO)にも反発を強め、「脱退の可能性も欧州に示した」(欧州外交筋)。このため米欧関係は著しく冷え込み、NATOの結束は地に落ちる。

幸いなことに、日米同盟はそこまでは壊れずにすんだ。トランプ時代にも中国や北朝鮮への抑止力は保たれ、北東アジアが不安定になる悪夢は防げた。安倍首相が果たした役割は大きい。

大統領の懐に飛び込む

日米同盟を守るには、トランプ大統領の懐に飛び込むしかない。安倍氏はこう判断し、欧州の首脳陣がしり込みするなか、ゴルフや食事を通じ、とことんトランプ氏とつき合う。そのうえで、会談では毎回のようにスライド資料を用意し、同盟がどれほど米国の利益にもなっているか、説明した。

トランプ大統領の機嫌を損ねても、必要なら強く反論する場面もあった。日本の「米軍ただ乗り」をなじるトランプ氏に対し、安倍氏が「そんなことはない。自分は支持率を大きく下げてまで安保関連法を通したんですよ」と、激しく応酬したこともあったという。

日米安全保障条約は盤石なようで、実は極めてもろい。第10条では、日米いずれか一方の意思により、1年間の予告で破棄できると定める。米側が条約の打ち切りを決めたら、日本側に止める手段はないのだ。

安倍氏はそんな危険を良く分かっていた。だからこそ、同盟が枯れないよう多くの養分を注ぎ続けた。岸田文雄首相、そして将来に続く政治指導者にとって、最も大切な「遺訓」のひとつである。

通算で8年を超える長期政権を担った安倍晋三元首相の政治は何をもたらし、安倍氏の不在で日本の政治はどうなっていくのか。編集委員やコメンテーターが外交、経済など様々な角度から検証します。

【「安倍政治とは何だったのか」記事一覧】

・「保守」の安倍氏が導いた中韓外交 重石が不在に
・日銀不信が生んだ異次元緩和 「独立性」問うた安倍氏

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Nikkei Views https://www.nikkei.com/opinion/nikkei-views/?n_cid=DSREA_nikkeiviews 』

スリランカ、辞任意向の大統領が国外脱出 モルディブに

スリランカ、辞任意向の大統領が国外脱出 モルディブに
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM131MR0T10C22A7000000/

『【ムンバイ=花田亮輔】経済危機に直面するスリランカのラジャパクサ大統領が13日、軍用機で同国を脱出した。家族らを伴ってモルディブに向かった。ラジャパクサ氏は抗議活動の激化を受けて、13日付で辞任する意向が伝えられていた。

スリランカでは物価上昇などに端を発した国民の抗議活動が広がり、9日には数千人のデモ隊が大統領公邸などを占拠した。ラジャパクサ氏は事前に公邸を離れ不在だったとされるが、同日のうちにスリランカ議会のアベイワルデナ議長を通じて辞職の意向が発表されていた。

ラジャパクサ氏はモルディブを経て、ドバイに行くとみられている。

現地メディアによると、すでにラジャパクサ氏は13日付で辞任するとの文書に署名していたという。スリランカ議会は20日に新たな大統領を選出する見通しだ。

ラジャパクサ氏は2019年の選挙を経て大統領に就いたが、直近まで政権の要職を親族が占めていた。国民の間では経済危機の対応だけでなく、政治の私物化に対する反発も高まっていた。4月には弟のバシル氏が財務相を辞め、5月には兄のマヒンダ氏が首相辞任に追い込まれていた。

【関連記事】

・スリランカ、新大統領を20日に選出 現地報道
・スリランカ、混迷長期化のおそれ IMFとの交渉停滞も
・「破産」スリランカ、ロシアに燃料輸入で支援要請
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白井さゆり
慶應義塾大学総合政策学部 教授
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ひとこと解説

スリランカは成長戦略として港湾などインフラ投資を進めており、多くが中国の一帯一路戦略とも関係している。

対外債務が外貨準備に比べて大きいため債務の罠として懸念されていた。

以前に同国を訪問した際に専門家たちと話をしたことがあるが大きな懸念をもっていない印象を受けた。

今回の債務不履行はコロナ危機により観光客が激減し経常収支が悪化したうえにエネルギー価格高騰で外貨が底をついたことがきっかけである。

コロナ危機時の消費税の減税や所得税の減税と歳出拡大をしたこともあり公的債務はGDP比で100%を超えている。

前政権がきちんとマクロ経済政策へ対応しなかったことが根本原因との見方も多い。厳しい道のりとなる。

2022年7月13日 12:06』

KDDI通信障害で思い出すソフトバンク社長の提言

KDDI通信障害で思い出すソフトバンク社長の提言
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC066W10W2A700C2000000/

 ※ なんだか、菅さん(菅 義偉 元首相)の強力な旗振りで、実現した「ケータイ・スマホ料金引き下げ」が、「遠因」であるかのような話も出ているな…。

 ※ いずれ、「料金下げれば」「品質(もしくは、通信障害耐性)は、落ちる」という関係にある…。

 ※ 世の中、「どっちも実現」「いいとこ取り」とは、なかなか行かないものだ…。

『KDDIが7月2日に起こした通信障害は大きな社会問題に発展した。「au」「UQモバイル」「povo(ポヴォ)」といった同社の携帯電話サービスだけでなく、同社回線を使う格安スマートフォン事業者のサービスも音声通話やデータ通信が利用しづらい状況に陥った。これらサービスをあらゆるモノがネットにつながる「IoT」用途で活用している例も多く、影響は物流や自動車、気象、銀行、交通関連など多方面に及んだ。

携帯大手の大規模障害は近年だけでも、2018年12月のソフトバンク、21年10月のNTTドコモ、今回のKDDIと相次いでいる。毎回、影響の大きさに驚かされる。今回も携帯インフラのもろさを改めて痛感すると同時に、今後は競争を超えた協調も必要なのではないかと感じた。
ドコモの教訓で対策していたが…

障害のきっかけとなったのは、ルーターの交換に伴うルート変更だった。この作業中に高音質通話サービスのVoLTE交換機で警告が発生。一部の音声通話が不通になっていることが判明し、切り戻しを実施した。音声通話の不通時間は約15分間だったが、これがVoLTE交換機の輻輳(ふくそう)と呼ぶアクセスの集中を招いてしまった。

その後は悪夢のようだった。輻輳は信号接続要求やデータ/音声接続要求の流量制御を実施しても解消されず、加入者情報を管理するデータベースにまで波及した。この結果、加入者データベースのデータ不一致が起こり、この修正対処まで必要となった。

7月4日には一部のVoLTE交換機(18台中の6台)から加入者データベースに対して不要な過剰信号を送出していたことも判明した。これでは復旧に長時間を要するのも当然である。
今回の障害でつくづく感じたのは、輻輳の恐ろしさだ。ドコモが21年10月に起こした障害も輻輳の影響で長時間化した。最初は規模が小さくても、接続不可・再接続を何度も繰り返してアクセスが膨れ上がり、一定の規模を超えると手がつけられない状況に陥る。

KDDIは今回、「再送(再接続)が起こってはじいているので(正確な規模は)分からないが、既定の量の数倍のアクセスが来ていたと思う」(技術統括本部長の吉村和幸専務)としており、これでは50%の流量制御をかけても通常より多いことになる。

輻輳の恐ろしさを熟知している携帯大手でさえ対処を見誤ると、簡単に大規模障害につながる。ドコモの21年10月の障害では旧設備への切り戻しを実施し、20万台のIoT端末に位置登録を促した結果、輻輳を招いた。ドコモは当時、「この単位(20万台)であれば問題ないと考えていたが、輻輳が発生してしまった。これを抑えきれず、全国のネットワークに影響が広がった」としていた。

KDDIの障害については今後の調査結果を待ちたいが、やはり7月2日の早い時間帯に輻輳を抑えきれなかったのが痛かった。

7月3日の記者会見では「不具合が発生した拠点に収容されている全ユーザーが他の拠点に接続を切り替えても大丈夫だというシミュレーションはできていた。実際には一斉に来ても大丈夫、あるいは一瞬輻輳するけど収束するというシミュレーションだった。そこが利かなかった。どういう動きがあったのかしっかりと検証しなければならない」(吉村専務)と話していたのが印象的だった。

KDDIは今回、ドコモの大規模障害の教訓を生かせなかった格好だが、実際に教訓を生かすのは容易ではない。「端末の接続要求が増えて大規模な輻輳を招き、復旧までに長時間かかった」という点でKDDIとドコモの事象は似ているものの、輻輳に至る経緯はさまざまだからだ。

KDDIは7月4日のオンライン記者会見で「(ドコモの大規模障害を受け)VoLTE交換機に輻輳が起こってもすぐに復旧可能な手順と設計を考えてきた。今回の障害が発生した時点でまさにその手順を踏んで直ちに対応したが、復旧できなかった」(吉村専務)と振り返った。
「ローミングで協力してはどうか」

KDDIに限った話ではなく、大規模障害はいずれまた起こると考えたほうがよい。

ふと思い出したのは、ソフトバンクが18年12月に起こした大規模障害を受け、宮川潤一社長(当時は副社長兼最高技術責任者)が「社会的意義を考えると、災害時や大規模障害時は事業者間のローミング(相互乗り入れ)で協力することを検討してはどうか」と提言していたことだ。災害時や大規模障害時に限り、他社網へのローミングで最悪の事態を回避する。

当時は「さすがに競合他社が受け入れるわけがない」と感じていたが、大手3社がそろって大規模障害を起こしたとなれば、改めて検討の余地があるのではないか。突然の戦火に見舞われたウクライナでは「全キャリアにローミングがかかっていて8~9割はつながるとされる」(携帯大手幹部)。

もっとも、宮川社長の提言後、大きな進展はないという。

「災害などで一部の設備が被害を受けただけなら融通しやすいが、KDDIの大規模障害はコア(交換機)で発生している。コアで問題が起こったらどうしようもない。仮にローミングでKDDIのネットワークを受け入れるとなると、うちまで倒れてしまいかねない。少なくとも現状の2~3倍のキャパシティーを持たなければならない。明日は我が身で重要な問題だが、残念ながら今は携帯電話料金引き下げの影響により、そこまで設備を増強する余力は残っていない」(携帯大手幹部)ような状況だ。

KDDIの大規模障害を巡っては、警察(110番)や海上保安庁(118番)、消防(119番)への緊急通報ができなくなったことも問題視された。

確かにデータ通信までローミングで受け入れるとなれば2~3倍のキャパシティーが必要なのかもしれないが、災害時や大規模障害時はせめて音声通話だけでもローミングによる協力でサービスの提供を維持できないものだろうか。音声通話だけであれば実現のハードルはそれほど高くないはずだ。

もはや携帯電話サービスは極めて重要な社会インフラとなっており、その維持のため、競争を超えた協調も必要なのではないか。総務省と携帯大手にはぜひ前向きな検討を期待したい。

(日経クロステック/日経コンピュータ 榊原康)

[日経クロステック 2022年7月6日付の記事を再構成]

【関連記事】

・「復旧? まだ通じない!」 KDDI、空回りの情報開示
・緊急時のローミング検討、総務相 KDDI通信障害で
・KDDI通信障害で露呈 緊急通報に他社回線使えない理由 』

Twitterがマスク氏を提訴 6兆円の買収取引撤回に反発

Twitterがマスク氏を提訴 6兆円の買収取引撤回に反発
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN1276Y0S2A710C2000000/

『【シリコンバレー=白石武志】米ツイッターは12日、同社の買収契約を打ち切ると表明した米テスラ最高経営責任者(CEO)のイーロン・マスク氏を相手取った訴えを起こした。契約解除は無効だとして、総額440億ドル(約6兆円)の買収取引を実行するよう求めている。同氏がSNS(交流サイト)上の影響力を駆使して注目を集めた「劇場型買収」をめぐる争いは、法廷に持ち込まれた。

ツイッターが12日、登記上の本社を置く米東部デラウェア州の裁判所に訴えを起こした。訴状によると、ツイッターは4月25日に合意した価格と条件でマスク氏に買収取引を強制するよう裁判所に求めている。

マスク氏は7月8日、ツイッターに買収契約を打ち切ると通知した。同社が「ボット」と呼ばれる実態のない偽アカウントに関する十分な情報提供に応じず、買収契約の複数の条項に違反したためと主張している。

一方的に契約を破棄されたツイッターは訴状のなかでマスク氏が求める偽アカウントに関する情報提供には応じてきたと反論。「買収契約に基づく義務をすべて履行している」と述べ、合意済みの契約はなお有効で執行可能だと主張した。

約1億人のフォロワーを抱えるマスク氏はツイッターと買収契約を結んだ後もSNS上で同社経営陣を中傷するような投稿を続けてきた。同社はこうした行為が契約上の義務違反に当たると指摘。「不誠実さの見本だ」と強い言葉で非難し、奔放な振る舞いへの怒りをあらわにした。

米利上げに伴う株式市場の変調によって米ハイテク銘柄は軒並み株価が低迷している。両者が4月に合意した買収価格は割高になっていた。ツイッターはマスク氏が買収を撤回した本音は「個人的な利益にならないからだ」と指摘。偽アカウント問題を表向きの理由に掲げる姿勢を批判した。

マスク氏は、訴訟を通じてツイッターが偽アカウントの実態開示を迫られ、利用者全体の5%未満であるとする同社の過去の情報開示が誤りであることが明らかになるとの見通しを示している。同氏は訴訟の提起が報じられた12日夕、ツイッターに「ああ、皮肉なものだ」と書き込んだ。

米食肉業界における過去の類似の訴訟では、デラウェア州の裁判所は情報開示の不備などを理由に買収契約を打ち切ろうとした買い手企業に取引の完了を命じる判決を下している。ツイッターの提訴についてマスク氏の代理人弁護士にコメントを求めたが、回答は得られていない。

【関連記事】

・[FT・Lex]Twitterとマスク氏、勝者なき法廷闘争へ
・Twitter、時価総額4300億円失う マスク氏の買収撤回で
・マスク氏、買収撤回後初の投稿 Twitter経営陣を挑発
・劇場型買収3カ月で幕 マスク氏とTwitter、法廷闘争へ

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田中道昭
立教大学ビジネススクール 教授
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ひとこと解説

物理学的思考を標榜し、「アウトプット=ボリューム×密度×速度」へのこだわりでテスラを進化させてきたマスク氏。「算盤」は物理学的レベルで優れていますが、不足していたのは「論語と算盤」だったのかも知れません。渋沢栄一は、知・情・意のバランスが取れた、人として在るべき人物を「常識人」、歴史に登場するような興亡を体現する人材でどれかが欠落している人物を「英雄豪傑」と表現しました。地球レベルの成果を出している宇宙レベルの異才、マスク氏に「論語」は不要なのかも知れませんが、成長の壁にぶち当たるとしたら、それは「算盤」ではなく「論語と算盤」、特に渋沢の言う「情」、論語の言う「仁」という壁なのかも知れません。

2022年7月13日 6:56 (2022年7月13日 6:57更新)

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森幹晴
弁護士・東京国際法律事務所 代表パートナー
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分析・考察

今回のツイッターへの買収提案のように、買収意向を公表して交渉を迫る手法をベアハグと呼ぶ。米国ではよく見られる手法で、日本でもオーケーやSBIなどが採用した。劇場型とも呼ばれるが、取締役会は企業価値を高める買収提案を検討する信認義務を負うので有効な手法だ。お行儀が悪いという見方もあるが、資本市場のダイナミズムを生み出している側面も否定できない。法廷闘争に持ち込まれ、マスク氏は防衛戦だ。偽アカウントがツイッターの主張する5%未満かそれ以上か、情報開示が十分だったか隠匿があったのか、などが論点となるだろう。買収契約破棄に10億ドルの違約金の定めがあると言われており、賠償責任の有無、金額が争われる。

2022年7月13日 10:21

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蛯原健
リブライトパートナーズ 代表パートナー
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分析・考察

結局のところTOBを表明してから株価は一度もTOB価格を上回る事は無かった。つまり成立につきマーケットは一貫して半信半疑であったという事。確かに取り下げた後の月曜は株価急落したが、その前からTOB価格より3割近くも低かったし、月曜はナスダック全体も大きく下げた。

そのような価格乖離があるからこそ皮肉にも裁判に繋がっている。つまりは同氏以外にマーケット価格の3割近くも高い価格で買う者はおらず、そのディールを追求する事が株主の最大利益故ボードはそれを追求する義務があるからであるし、一方の同氏は3割損する故なんとか難癖を付けてでも逃げたいというのが実態だろう。

2022年7月13日 9:14 』

日欧が米軍を奪い合う日 平時の友、有事は「ライバル」

日欧が米軍を奪い合う日 平時の友、有事は「ライバル」
本社コメンテーター 秋田浩之
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD101FR0Q2A710C2000000/

『米国と同盟を結ぶアジアと欧州の国々が、かつてないほど接近している。米欧の軍事同盟である北大西洋条約機構(NATO)が6月29日、スペイン・マドリードで開いた首脳会議。日本とオーストラリア、韓国、ニュージーランドが初めて参加し、結束を誓い合った。
これに合わせ、NATOは向こう10年の指針となる戦略概念をまとめ、中国を秩序の破壊者と位置づけ、友好国と対抗していくことも決めた。

日欧連帯の大切さに着目し、種をまいたのが安倍晋三元首相である。2007年1月、ブリュッセルのNATO本部を訪れ、日本の首相として初めて演説、連携の道筋を敷いた。

それから約15年。日米豪や英仏がインド太平洋で共同演習を重ねるなど、地道な協力はすでに進んでいる。この連帯がさらに深まれば、中国とロシアの強硬な行動を抑止するのにも役立つ。
中国の軍拡進み、厳しく

ただ、NATOとアジアの米同盟国は、競合のリスクも抱える。平時には外交や安全保障で協力する仲間だが、いざという事態になれば、米軍の戦力を奪い合う「ライバル」に転じかねないのだ。

米国は米ソ冷戦中、2つの大きな紛争が起きたとき、同時に対処できる体制を保った。しかし、オバマ政権は12年1月の国防戦略指針で、この二正面作戦を断念してしまった。

中国の軍拡が進み、米軍の状況は近年、さらに厳しくなっている。アジアと欧州を同時に危機が襲えば、米国は片方を優先せざるを得ない。その時、できるだけ多くの米軍戦力を自分たちに呼び込もうと、欧州と日豪韓はしのぎを削ることになるだろう。

米欧の間にも似たような火種がくすぶる。6月27~29日、ブリュッセルで開かれた米欧対話「ブリュッセル・フォーラム」で、その一端がうかがえた。参加したのは主に米欧の閣僚や議員、識者。論争の一つになったのが、どこまでNATOが中国問題に精力を振り向けるべきなのか、である。

ロシアによるウクライナ侵略が続く今も、米側は中国が最大の懸念だという立場を変えていない。米国の対中戦略にNATOから協力を得たいとも思っている。討論ではそんな期待がにじみでた。

米下院議員は「ロシアは問題だが、中国への対応も忘れてはならない」と力説。米上院議員も「米欧が一緒に中国に対抗すべきだ」と呼びかけた。
放置すべきではない火種

ところが、ロシアの脅威に直接さらされる欧州側は、納得しない。対中戦略は大切だが、まずはロシア対応を最優先すべきだと考える。欧州の元首脳は「ウクライナ侵略が続いている。ロシアこそ最大の問題だ」と言い切った。

参加者らにたずねると、米欧のズレはよりあらわになる。米民主党幹部は台湾有事の際、欧州側の支援を得たいと明かし、「今から、米欧の共同行動計画をつくる必要がある」と話す。

この点を聞くと、欧州の元閣僚は「NATOはメンバー国の安全を守るのが、最大の役割だ。台湾有事は日米などが中心に対処する危機であって、NATOが介入する戦争ではない」と退けた。

このような対立の火種を米国と欧州、アジアの米同盟国は放置すべきではない。西側諸国を分断する格好の材料を中ロに与えることになってしまうからだ。

互いの軍事戦略をすり合わせ、連携するほどの信頼関係が中ロにあるとは思えない。ただ「連携」があるかのように装い、中国がアジア、ロシアは欧州で同時に挑発を強めることはあり得る。そうなっても米国と欧州、日豪韓が結束を保ち、十分に対応できるよう、今から準備しておくに越したことはない。

アジアと欧州の二正面で危機が起きたとき、米軍はどのような戦力が足りなくなるのか、同盟各国はどう不足分を補うのか……。具体的には、こうした課題について米国と同盟国側が話し合い、対応を練ることが大切だ。

欧州で紛争になれば、主に陸上戦力、アジアでは海空の戦力がそれぞれ必要になる。だが偵察機や輸送機、輸送艦、弾薬、ミサイルなど両方に欠かせないモノも多い。これらをどう融通するのか、米安保専門家の間では、すでに議論が熱を帯びつつある。

むろん、二正面の事態にならないよう各国が連携し、アジアと欧州の両方で危機を封じ込めていくことが最善だ。それにはNATOと日豪韓が共同演習やパトロールといった目に見える協力を増やし、中ロの両方に抑止力を強めることが第一歩になる。
語られる悲観的シナリオ

さほど、ゆっくりはしていられない。欧州では、日本からは想像できないほど、対米同盟に悲観的なシナリオが語られている。

24年秋の米大統領選で、トランプ氏ないしは親トランプ的な候補が勝ち、米国はNATOからの脱退に動く――。欧州の当局者や識者の中には半ば本気で、心配する向きがある。

米国には「前科」がある。米報道によれば、トランプ大統領は18年、NATO脱退をいったん検討した。だからこそ欧州は今のうちに最大限、NATOを強め、米軍を引き留めようとしている。

アジアは米軍が戦力をシフトしようとしている地域であり、欧州とは事情が異なる。ただ、24年以降、米政界で何が起きても大丈夫なように、同盟の耐震度を強めておくべき点では変わらない。

ニュースを深く読み解く「Deep Insight」まとめへDeep Insight
https://www.nikkei.com/opinion/deepinsight/?n_cid=DSREA_deepinsight 』

事異なれば則ち備え変ず。

事異なれば則ち備え変ず。
https://shisokuyubi.com/bousai-kakugen/index-783

『韓非子(BC280頃~BC234頃 / 中国・戦国末の思想家 諸子百家)の著書「五蠹(ごと)」より備えについての名言(中国古典・故事成語) [今週の防災格言622]

『 事異なれば則ち備え変ず。 』

” 事異則備変。”

 韓非子(BC280頃~BC234頃 / 中国・戦国末の思想家 諸子百家)

 曰く―――。

世異なれば則ち事異なり、(世異則事異)
事異なれば則ち備え変ず。(事異則備変)

世の中が変わってくれば、物事も異なってくる。
物事の状況が違ってくれば、その準備も変えなければならない。
かつての最上の方法も、現在では通用しないこともある。
状況の変化に応じて、それらに対処する方法も常に変えていく必要がある、の意。

格言は韓非子『五蠹(ごと)』より。

 韓非子(かんぴし / 韓非)は、古代中国、戦国時代末期の韓の思想家。法家の代表的人物。

性悪説を唱えた儒家・荀子(じゅんし)の弟子で、申不害(しんふがい)、慎到(しんとう)、商鞅(しょうおう)らの法家思想を大成させた。

韓非の生国である「韓(かん)」は、戦国末期、秦・楚・斉・燕・趙・魏・韓の「戦国七雄」のうち最弱国で、隣国の秦に怯え、いつ併呑されるか時間の問題でもあった。そんな滅びゆく祖国の弱体に発奮して、自らの思想を形とするため『韓非子』といわれる著作を残した。

その著作『五蠹(ごと)』を読んだ秦王政(後の始皇帝)は、いたく感激し、韓非を秦に招こうとした。ところが、荀子のもとで共に学んだ秦の重臣・奇斯(りし)に妬まれた韓非は毒殺されてしまう。韓非の遺したその思想は秦の始皇帝の中国統一の礎となったという。』

知の難きに非ず、知に処するは則ち難し

知の難きに非ず、知に処するは則ち難し
https://ats5396.xsrv.jp/2494/

『知の難きに非ず、知に処するは則ち難し

ー非知之難也、処知則難也ー     韓非子 説難第一二

(韓非子:二十巻五十五編。戦国時代の韓非の選。先秦時代の法家の学を集大成し、
それに韓非の考えを加えたもの。はじめは「韓子」と称したが、宋以降、
唐の韓愈と区別するため、「非」の字を加えた。)

{原文}
宋有富人。天雨牆壊。
其子曰、
「不築、必将有盗。」
其隣人之父亦云。
暮而果大亡其財。
其家甚智其子、而疑隣人之父。

此二人者、説皆当矣。
厚者為戮、薄者見疑。
則非知之難也、処知則難也。

{書き下し文}
宋に富人あり。天雨ふり牆壊る。
其の子曰はく、
「築かざれば、必ず将に盗有らんとす。」と。
其の隣人の父も亦云ふ。
暮れて果して大いに其の財を亡ふ。
其の家甚だ其の子を智とし、而るに隣人の父を疑ふ。

此の二人は、説は皆当たる。
厚き者は戮され、薄き者は疑はる。
則ち知の難きに非ず、知を処するは則ち難きなり。

{意解}

 知ることは難しくない、
知ったあとでどう対処するかが難しいのだという。

情報収集よりも情報管理(情報処理)のほうが難しいということである。
例として「韓非子 説難第一二」を揚げている。

 宋の国に金持ちの家があった。
ある日、大雨で塀が壊れたのを見て、息子が語った。
「塀を修理しないと、必ず泥棒に入られてしまう」
隣家の主人も同じことを言ってきた。

 その晩に、やはり、泥棒にはいられて、
ごっそり盗まれてしまった。
金持ちは、息子の賢さに感心したが、
同じことを言った隣家の主人に対しては、
「あの男が、犯人ではないか」と、疑った。

 親切に教えてやったのに、あらぬ疑いまでかけられるとは、
これほど割に合わない話はない。
私たちの周りにも、結構これに類する話が転がっている。

「韓非子」によれば、それはみな「知に処する」道を
誤ったことに起因するのだという。

 あらぬ誤解を招かぬためにも、
言葉には気をつけたいものである。

*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。

私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。

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自己を高める
ナオン について(※ このブログの作者)

美容業界での長年のマネージメント能力を活かし、 人生の選択時により善い選択(決断)の一助になればと、 中国古典の「意解」に取り組んでます。 古希を目前にして振り返れば、 その折々により善い選択(決断)が出来なかった事、 心ならずも人の心を傷つけてしまった事に、 後悔の思いは数知れず、走馬灯のように過ります。 私のように後悔先に立たずという思いは 読者には少しでも避けてほしいとの思いで ”中国古典 名言に学ぶ 総集編”を作成しました。

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韓非

韓非
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E9%9D%9E

『韓 非(かん ぴ、?音: Han F?i、紀元前280年? – 紀元前233年)は、中国戦国時代の思想家。『韓非子』の著者。法家の代表的人物。韓非子とも呼ばれる。元来は単に韓子と呼ばれていたが、唐代の詩人韓愈を韓子と呼ぶようになると韓非子と呼ぶことが一般化した。
生涯

韓非の生涯は司馬遷の『史記』「老子韓非子列伝第三」および「李斯伝」などによって伝えられているが、非常に簡略に記されているに過ぎない。『史記』によれば、出自は韓の公子であり、後に秦の宰相となった李斯とともに荀子に学んだとされ、これが通説となっている。なお、『韓非子』において荀子への言及がきわめて少ないこと、一方の『荀子』においても韓非への言及が見られないことから、貝塚茂樹は韓非を荀子の弟子とする『史記』の記述の事実性を疑う見解を示しているが、いずれにしろ、その著作である『韓非子』にも『戦国策』にも生涯に関する記述がほとんどないため、詳しいことはわかっていない。

韓非は、生まれつき重度の吃音であり、幼少時代は王安や横陽君成も含む異母兄弟から「吃非」と呼ばれて見下され続けていたが、非常に文才に長け、書を認める事で、自分の考えを説明するようになった。この事が、後の『韓非子』の作成に繋がったものと思われる。

荀子のもとを去った後、故郷の韓に帰り、韓王にしばしば建言するも容れられず鬱々として過ごさねばならなかったようだ。たびたびの建言は韓が非常な弱小国であったことに起因する。戦国時代末期になると春秋時代の群小の国は淘汰され、七国が生き残る状態となり「戦国七雄」と呼ばれたが、その中でも秦が最も強大であった。とくに紀元前260年の長平の戦い以降その傾向は決定的になっており、中国統一は時間の問題であった。韓非の生国韓はこの秦の隣国であり、かつ「戦国七雄」中、最弱の国であった。「さらに韓は秦に入朝して秦に貢物や労役を献上することは、郡県と全く変わらない(“且夫韓入貢職、与郡県無異也”)」といった状況であった[1]。

故郷が秦にやがて併呑されそうな勢いでありながら、用いられない我が身を嘆き、自らの思想を形にして残そうとしたのが現在『韓非子』といわれる著作である。

韓非の生涯で転機となったのは、隣国秦への使者となったことであった。秦で、属国でありながら面従腹背常ならぬ韓を郡県化すべしという議論が李斯の上奏によって起こり、韓非はその弁明のために韓から派遣されたのである。以前に韓非の文章(おそらく「五蠹」編と「孤憤」編)を読んで敬服するところのあった秦王はこのとき、韓非を登用しようと考えたが、李斯は韓非の才能が自分の地位を脅かすことを恐れて王に讒言した。このため韓非は牢につながれ、獄中、李斯が毒薬を届けて自殺を促し、韓非はこれに従ったという。この背景には当時、既に最強国となっていた秦の動向を探るための各国密偵の暗躍、外国人の立身出世に対する秦国民の反感など、秦国内で外国人に対する警戒心、排斥心が高まり「逐客令(外国人追放令)」が発令されたため、韓非は「外国人の大物」としてスケープゴートにされたという経緯がある。以上が『史記』の伝えるところである。他方、韓非が姚賈という秦の重臣への讒言をしたために誅殺されたという異聞もある[2]。

韓非はすぐれた才能があり、後世に残る著作を記したが、そのために同門の李斯のねたみを買い、事実無根の汚名を着せられ自殺に追い込まれた。司馬遷は『史記』の韓非子伝を、「説難篇を著して、君主に説くのがいかに難しいかをいいながら、自分自身は秦王に説きに行って、その難しさから脱却できなかったのを悲しむ」と、結んでいる。
思想

韓非の思想は著作の『韓非子』によって知られる。金谷治によれば、韓非の著作として確実と考えられるのはまず『史記』に言及されている「五蠹」編と「孤憤」編で、さらに「説難」編・「顕学」編である。その中心思想は政治思想で、法実証主義の傾向が見られる。
荀子の影響

韓非が明らかに荀子に影響を受けていると思われるのが、

功利的な人間観
「後王」思想
迷信の排撃

などであり、荀子の隠括も好んで使う。

ただし韓非の思想への荀子の影響については諸家において見解がやや分かれる。

貝塚茂樹は韓非と荀子の間に思想的なつながりは認められなくはないが、商鞅や申不害らからの継承面の方が大きく、荀子の影響が軸となっているとの見解ではない。

金谷治も荀子の弟子という通説を否定はしないが、あまり重視せず、やはり先行する法術思想からの継承面を重視する。

それに対し、内山俊彦は荀子の性悪説や天人の分、「後王」思想を韓非が受け継いでおり、韓非思想で決定的役割をもっているといい、その思想上の繋がりは明らかだとしている。したがって内山は荀子の弟子であるという説を積極的に支持している。

なお「後王」とは「先王」に対応する言葉で、ここでは内山俊彦の解釈に従って「後世の王」という意味であるとする。一般に儒教は周の政治を理想とするから、「先王」の道を重んじ自然と復古主義的な思想傾向になる。これに対し、荀子は「後王」すなわち後世の王も「先王」の政治を継承し尊重すべきであるが、時代の変化とともに政治の形態も変わるということを論じて、ただ「先王」の道を実践するのではなく、「後王」には後世にふさわしい政治行動があるという考え方である。

功利的な人間観

韓非の人間観は原理上は孔子と共通の観点を取っているが、厳密には荀子の性悪説に近い。

功利主義の分かりやすい例に堯舜についての禅譲である。この禅譲に対して
「堯が天下の王だった時は、質素な宮廷で、粗末な食事を食べ、貧しい衣服を着ていた。今の世の門番が貧しいとはいえ、これよりはましである。これらのことから言えば、かの古の時代の天下譲るということは、門番の貧しい生活を捨てたり、奴隷の労役から離れるということだ。だから天下を譲るといっても、たいしたことではないしかし今の県令ですら、その死後に子孫は末長く馬車を乗り回して暮らせるほど豊かである。だから人はその地位を重く思う。よって人が地位を譲るということは、古代は天子の地位を譲ることを軽んじ、現代は県令の職を離れ難いと思うのは、その実利が違うからである」。

人が少なかった頃は闘争はなかった[3]という一種の自然状態仮説を提示し、外的環境と物的状況の変化が人間性に影響を与えるという議論を展開する[4]。韓非によれば、物資が多くて人が少なければ人々は平和的で、逆に物資が少なくて人が多いと闘争的になる。韓非が生きた時代のような、人が増えた闘争的な社会では、平和的な環境にあった法や罰は意味が無く、時代に合わせて法も罰も変えなければいけない。ただ罰の軽重だけを見て、罰が少なければ慈愛であるといい、罰が厳しければ残酷だという人がいるが、罰は世間の動向に合わせるものであるから、この批判は当たらないという。

実証主義

儒家と墨家の思想が客観的に真実であるかどうか検証不可能であることを指摘して、政治の基準にはならないと批判している[5]。法律とその適用を厳格にしさえすれば、客観的に政治は安定する。儒家の言葉はあやふやでその真理として掲げている「知」や「賢」といった道徳的に優れた行為や言葉は誰でも取りうるものではなく知りうるものでもないという[4]。よってこのような道徳性を臣下に期待するのは的はずれで、君主は法を定め、それに基づいて賞罰を厳正におこなえば、臣下はひとりでに君主のために精一杯働くようになるという。

政治の基準は万人に明らかであるべき[6]で、それは制定法という形で君主により定められるべきものである。また法の運用・適用に関する一切は君主が取り仕切り、これを臣下に任せてはならない。

歴史思想

韓非の歴史思想については、「五蠹」編に述べられているところに依拠して説明する。

古の時代は今とは異なって未開な状態であり、古の聖人の事跡も当時としては素晴らしかったが、今日から見ると大したことはない。したがってそれが今の世の中の政治にそのまま適用できると考えている者(具体的には儒者を指す)は本質を見誤っている。時代は必然的に変遷するのであり、それに合わせて政治も変わるのである。ここには過去から未来へと変化するという直線的な歴史観、さらに古より当今のほうが複雑な社会構成をしているという認識、進歩史的な歴史観を見ることができる。

この思想は荀子の「後王」思想を継承しているもので、古の「先王」の時代と「後王」の時代は異なるものであるから、政治も異なるべきという考えを述べているものを踏襲していると見られる。

重農主義

韓非は「五蠹」編において、商工業者を非難している。

韓非によれば、農業を保護し商工業者や放浪者は身分的に抑圧すべきである[7]。ところが韓非の時代においては、金で官職が買え、商工業者が金銭によって身分上昇が可能であり、収入も農業より多いので、農民が圧迫されているために国の乱れとなっているという。
「勢」の思想

韓非思想にとって、「法」「術」と並ぶ中心概念が「勢」である。「勢」の発想自体は慎子の思想の影響を受けている。ここでは「難勢」編に依拠して説明する。

「勢」とは単なる自然の移り変わり、つまり趨勢のことではなく、人為的に形成される権勢のことであるという[8]。韓非は権勢が政治において重要性を持つと主張し、反対論者を批判する。反対論者は「賢者の『勢』も桀紂のような暴君も『勢』を持っているという点で共通であるから、もし『勢』が政治において重要性を持つのならば、なぜ賢者の時にはよく治まり、桀紂の時にはよく治まらないのか」と言うが、賢者の「勢」は自然の意味で権勢ではなく、このような論理は問題にならないという。賢者の治政が優れているのはなるほど道理だが、もし賢愚の区別だけが政治的に意味があるなら、賢人などというのは千代の間に一人いるかいないかであるから、これを待っているだけでは政治がうまくいくとは思われないという。法によって定まった権勢に従えば、政治は賢人の治政ほどではないだろうが、暴君の乱政に備えることはできると説いている。

「勢」とは、このような人為的な権勢であり、それは法的に根拠付けられた君主の地位である[9]。これは上下の秩序を生み出す淵源である。もし君主の権勢より臣下の権勢のほうがすぐれていれば、ほかの臣下は権勢ある臣下を第一に考えるようになり、君主を軽んじるようになって、政治の乱れが生じる。したがって韓非の理想とする法秩序において、君主は権勢を手放してはならない。

著作

※以下は現行での主な訳注。韓非子も参照

金谷治訳注『韓非子』 岩波文庫(全4巻)、1994年
町田三郎訳注『韓非子』 中公文庫(上下)、1992年、原文はなし
竹内照夫訳注『韓非子』 明治書院〈新釈漢文大系11・12〉、1960-64年
    『韓非子』 明治書院「新書漢文大系13」、2002年。抜粋訳

脚注

^ 『韓非子』「存韓」編。韓王を弁護するために秦に赴いた韓非が上表したとされる文章と李斯の反駁文、さらにそれに対する韓非の反駁文で成り立つ。ただしこの編はおそらく韓非自身の著作ではないと考えられている。太田方は「初見秦」編とともにこれを『韓非子』の本編から外す。金谷治もおそらく韓非その人の著作ではないとしている。
^ 『戦国策』「秦策」
^ 「古者丈夫不耕、草木之實足食也。婦人不織、禽獸之皮足衣也。不事力而養足、人民少而財有餘、故民不爭。」"昔は男でも耕作せず、草木の実で十分食が足りた。女は機織りせず、禽獣の毛皮で衣服が足りた。労力を使わずとも十分生きていけたので、人々は少ないため財は余りがあって、そのため民衆は争うことがなかった。"
^ a b 「五蠹」編
^ 「顕学」編
^ 「且世之所謂賢者、貞信之行、所謂智者、微妙之言也。微妙之言、上智之所難知也。今為衆人法、而以上智之難知、則民無従識之矣」"また世にいう「賢」というのは誠実な行いのことで、「知」というのは繊細な機微に基づく言葉である。このような微妙な言葉は優れた知者にさえ難解である。一般の人々のための法にこのような難解な言葉を使えば、一般の人々がその内容を理解できるはずもない。"(「五蠹」編)
^ 「夫明王治國之政、使其商工游食之民少而名卑、以寡舎本務而趨末作。」"名君の治政においては、商工業者や放浪者を少なくして身分を卑しくし、農民が本業を捨てて商工業にはしるのを少なくするのである。"(「五蠹」編)
^ 「勢必於自然、則無為言於勢矣。吾所為言勢者、言人之所設也。」"勢が自然についてに限られるのであれば、勢について語ることは何もない。私が勢と呼ぶのは、人の設ける勢のことである。"(「難勢」編)
^ 韓非は実定法的正当性である「勢」と超実定法的正当性である「義」を対置して捉え(「且民者固服於勢、寡能懐於義。」"また民は「勢」には自然と服するが、「義」に従うことができる者は少ない。"、「五蠹」編)、さらに「義」より「勢」を重く見ている。このことは現代社会のような、外面的な法秩序と内面的な道徳秩序の共存を認める立場ではなく、むしろ法によって内面的な道徳秩序さえも排除しようという主張につながる。「故有道之主、遠仁義、去智能、服之以法。」"道をわきまえた君主は、仁義を遠ざけ、知能に頼らず、法にしたがうのである。"(「説疑」編)

参考文献

『韓非子翼毳』 太田方注、服部宇之吉校訂、冨山房、1911年、新装版1984年
東京大学中国哲学研究室編『中国思想史』 東京大学出版会、1952年、新版1983年
金谷治『中国思想を考える』 中公新書、1993年
貝塚茂樹『韓非』 講談社学術文庫、2003年
冨谷至『韓非子』 中公新書、2003年
西野広祥ほか訳『中国の思想 1 韓非子』 徳間書店のち徳間文庫
長尾龍一『古代中国思想ノート』 信山社、1999年
狩野直禎『「韓非子」の知恵』 講談社現代新書、1987年

荀子に関して

内山俊彦 『荀子』講談社学術文庫、1999年
重澤俊郎 『周漢思想研究』大空社、1998年
金谷治訳注 『荀子』 岩波文庫(上下) 

外部リンク
ウィキクォートに韓非子に関する引用句集があります。

韓非子(中文)
韓非-韓非子の著者』