ボリス・ジョンソン

ボリス・ジョンソン
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『アレグザンダー・ボリス・ド・フェファル・ジョンソン Hon FRIBA(英語: Alexander Boris de Pfeffel Johnson[注釈 1]、1964年6月19日 – )は、イギリスの政治家。同国第77代首相(在任: 2019年7月24日 – )。庶民院議員(2期)を務めている。外務・英連邦大臣、ロンドン市長(2期)、保守党党首を歴任した。

来歴

生い立ち

1964年6月19日、ニューヨーク市マンハッタンのアッパーイーストサイドで、コロンビア大学の学生だったスタンレー・ジョンソン(作家、欧州議会議員)と最初の妻である画家のシャーロット・フォーセット(英語版)の長男として誕生した[2]。後に家族と共にイギリスに戻った。オックスフォード大学に通う母親とともにオックスフォード郊外の高級住宅地サマータウンに住みはじめ、妹が生まれてロンドン北部のクラウチ・エンドに転居、その後父親の世界銀行勤務のため再び米国に渡り弟が誕生、1969年に英国に戻り、サマセット州にある自然に囲まれた父方の別荘で暮らしたのち、ロンドン指折りの高級住宅街プリムローズ・ヒルに落ち着き、地元の小学校に通う。幼いころは難聴で、幾度か手術をした。イートン校、オックスフォード大学ベリオール・カレッジを卒業[3]。専攻は古典(ラテン語と古代ギリシャ語)[4]。大学では選抜されたごく少人数のみ入会できるエリートクラブで特権意識と暴力的騒ぎで悪名高いブリンドン・クラブに所属[5][6]。1979年に両親が離婚(妻はのちに夫のDVを告白した)。

先祖

オスマン帝国末期の内務大臣だったアリ・ケマルの子孫である(父方の祖父であるオスマン・ケマルは、第一次世界大戦中にイギリス国籍を取得し、自らの母親の旧姓であるジョンソンを姓に定めた)。父方の先祖にはイギリス王ジョージ2世がいる。ジョージ2世の玄孫であるヴュルテンベルク王子パウルが女優兼オペラ歌手であるドイツ人の愛人のフリーデリケ・ヴォースとの間にもうけた庶出の娘が、ジョンソンの高祖母にあたる(ド・プフェッフェル(de Pfeffel)は高祖母の嫁いだ男爵家の家名である)。ただし庶子を通じての血筋を引くに過ぎないため、英国王位継承資格は認められない。父方曽祖父にジョージ・ウィリアムズ (YMCA)。母方の曾祖父にはロシア帝国出身のリトアニア系ユダヤ人で、アメリカで古文書学者となったイライアス・ロウ(英語版)がいる[7]。彼は多国籍に渡る先祖(キリスト教徒、ユダヤ教徒、ムスリムからなる)について触れ、自らを『ひとり人種るつぼ』(one-man melting pot)と称している[8]。

欧州懐疑派のジャーナリスト

1987年9月にアレグラ・モスティン=オーウェンと最初の結婚を果たし、1993年4月に離婚した。同年、L.E.K.コンサルティングに就職するが、退屈のあまり1週間で退職した[9]。家族のコネで保守系紙『タイムズ』で働き始めるが、エドワード2世の宮殿を巡る歴史考古学関係の記事で学者の発言をでっち上げたため、すぐ解雇されている[10]。続いてやはり保守系紙の『デイリー・テレグラフ』記者となり[3]、1989年から1994年まで同紙のEC特派員となった。ブリュッセルに駐在していたジョンソンは反EC色の強い記事を書き続け、特に欧州統合の強力な推進者であったジャック・ドロールを厳しく批判し、ECの首都たるブリュッセルの地にあって、数少ない欧州懐疑主義のジャーナリストとして知られるようになっていった[11]が、当時の彼を知る記者たちの多くは、彼の記事はECの信用を傷つけるために虚偽の事実や誇張を交えていたと批判的に振り返っている[12]。

こうした記事によって、彼は欧州懐疑派の代表的な人物として知られるようになる[13]。また以前は左派によって主張されることが多かった欧州懐疑主義を、右派にとって魅力的なものに変貌させるのに大きく貢献した。その影響は現実政治の世界にも及び、1990年代前半のイギリス独立党の出現に一役買ったとされている上[14]、保守党内における親欧州派、懐疑派の軋轢を刺激することにもつながったという[15]。首相としてはヨーロッパと距離を置きがちであったマーガレット・サッチャーもジョンソンの記事の愛読者であったとされるが、マーストリヒト条約の締結に尽力するなどヨーロッパとの関係修復に尽力した後任首相のジョン・メージャーにとっては、ジョンソンは煙たい存在であり、当時の外務・英連邦省ではジョンソンの記事に対応する特別チームが設けられるほどであった[16]。1997年5月の総選挙における保守党大敗と政権転落の大きな原因の一つは党内における欧州懐疑派の台頭に伴う混乱とされているが[17]、ジョンソンの記事はそうした混乱の一因と見なされたため、その後しばらく保守党の政治家たちの不興を買うことになった[18]。

1993年5月に幼馴染のマリーナ・ホイーラーと結婚し、4子をもうけた。その後2020年11月に離婚した。

1994年にロンドンに戻ると政治コラムニストとなり、ユニークなスタイルで評価を得る一方、黒人・ゲイへの差別的な記事や植民地支配を賞賛する記事で物議を醸した。『スペクテイター(英語版)』誌の政治コラムニストを経て、1999年7月から同誌の編集者となり、政界入り後は2005年12月に影の内閣の高等教育大臣に任命されるまで務めた。

庶民院議員

2001年6月からは庶民院議員を2期務めた。2004年にはタブロイド紙によって、2000年以来『スペクテイター』の記者と恋愛関係にあり、2度妊娠(1度は流産、1度は中絶)[19]させていたことを暴露された。ジョンソンは当初否定していたが、事実と判明した後、党の役職を解かれた[20]。

ロンドン市長

2008年5月にロンドン市長に就任した。市長就任後、ジョンソンは『デイリー・テレグラフ』紙においてウィークリー・コラムを再開することを発表した。『ガーディアン』紙は、彼がコラム執筆を年俸25万ポンドで同意したと報じている(年俸のうち2万5千ポンドずつ、ジャーナリズムを学ぶ学生の奨学金、古典学を学ぶ学生の奨学金に寄付している)[21]。同年8月の中華人民共和国での2008年北京オリンピックの閉会式で五輪旗を引き継ぎ[22]、2012年ロンドンオリンピックの準備を行った。

2009年に芸術コンサルタントのヘレン・マッキンタイアとの間に女児をもうけていたことが後に暴露された[23]。

2012年5月3日に投票が行われたロンドン市長選挙においてケン・リヴィングストンを破り、再選を果たした[24]。2期目在任中の2015年5月7日、再び庶民院議員に当選した。市長は2016年5月9日まで務めた。

2014年11月に「イギリス、オーストラリア、カナダ、ニュージーランドは同じ国家元首を共有している」としてこれらの国とシェンゲン協定のようなものを結ぶ構想(俗にCANZUK(英語版)、アングロスフィア(英語版)と呼ばれるもの)を提唱して物議を醸した[25]。
EU離脱を主導

議員としても、かねてから「欧州連合(EU)の規制で経済的関係が強い中国とのFTAが結べない」と発言[26][27]するなどEUに批判的な言動で注目を浴びており、2016年6月23日に実施されるEUからの離脱の是非を問う国民投票においてどのような立場に立つか、注目を集めていたが、2月21日に「ずいぶん頭を悩ませたが、他の余地はない」として離脱を支持することを表明、以後はブレグジット(Brexit)推進派で離脱の旗振り役として積極的に活動した[28]。アメリカのバラク・オバマ大統領がイギリスのEU残留を求めた際には、「オバマにはケニア人の血が入っており、反英感情がある」と発言し、人種差別的であるとして物議を醸した[29]。

外務・英連邦大臣

その国民投票にて離脱派が勝利したことによって、デーヴィッド・キャメロン首相が首相及び保守党党首を辞任することを発表した際にはポスト・キャメロンに期待されたが、ジョンソンは2016年イギリス保守党党首選挙には名乗りを挙げなかった[30]。その後、保守党党首に選出されたテリーザ・メイが新首相に任命されて、新内閣(第1次メイ内閣)を組閣するに当たり、ジョンソンが外務・英連邦大臣に起用された[31][32]。ジョンソンの外務・英連邦大臣就任を記者会見中に知らされたアメリカのマーク・トナー国務省報道官は失笑した[33]。初の対外公務となったフランス大使館でのレセプションでは招待客からブーイングで迎えられ、さらにフランスのジャン=マルク・エロー外相からは「嘘つき」だと名指しで批判された[34]。2018年7月9日、メイ首相の穏健なEU離脱方針に反発したため外務・英連邦大臣を辞任した(第2次メイ内閣)。後任には、ジェレミー・ハントが就いた[35]。

保守党党首及び首相就任

2019年6月7日、テリーザ・メイが党首辞任を表明したことを受けた保守党党首選挙に出馬し、5回の議員投票では一貫して1位を保ち、ジェレミー・ハント外相との決選投票に進出[36]。党員投票の結果、9万2153票を獲得し、4万6656票のハントを下し、7月23日に新党首に選出された[37]。翌7月24日、バッキンガム宮殿でエリザベス2世女王に謁見し組閣の大命(首相の任命)を受け、正式にイギリスの首相となった。

ダウニング街10番地の首相官邸前で就任演説を行ったジョンソンは、「この国をもっと良くしたい」と宣言した。また、10月31日に欧州連合(EU)離脱を実現する予定については、「『たられば』はなしだ」と強調し、「決定権は私にある」と表明した。その上で、期日までのブレグジット(イギリスのEU離脱)について「疑う人、悲観的な人、悲しみに暮れている人」は間違っていると述べた[38]。

ジョンソン内閣

第2次メイ内閣の後継政権として成立したジョンソン内閣の主要ポストにはブレグジット(イギリスのEU離脱)強硬派を置く新内閣を発表し、7月25日朝に初閣議を開いた[39]。「モダン英国内閣」と呼ばれるこの内閣は、33閣僚のうち8名もの女性閣僚、BAME (黒人―Black,、アジア人―Asian、少数民族―Minority Ethnicの頭文字をとったもの)のルーツをもつ非白人閣僚4名が起用されており、ガーディアン紙は「民族的には多様だが、思想的には均質」と評している[40]。いっぽうでこの組閣に際して、11名もの閣僚を解任し、他の6名の辞任を受けた。ジョンソンの同盟者であるナイジェル・エヴァンスは「夏の大虐殺に値するほどの改造ではない」とした[41]。

親中内閣

香港Phoenix TVとのインタビューで、ジョンソン内閣は非常に「親中内閣」になると述べた。 ジョンソンは中国の習近平国家主席のインフラの投資努力・一帯一路への「熱狂的な支持」を表明し、イギリスを中国の投資のため「ヨーロッパでもっとも開かれた経済」を維持することを約束した[42]。

議会閉鎖処置

2019年8月28日、ジョンソンは9月12日から10月13日までの間に(14日に再開)イギリス議会を閉鎖する要請をエリザベス女王に提出し、承認された。これにより新法可決もしくは不信任投票を行うことで強硬離脱防止を狙う反対派は議論の時間がより制限されたものとなった。庶民院議長のジョン・バーコウはこの決定を「憲法違反」だと述べ、強く非難した。また労働党のジェレミー・コービン党首は、「議会を中断することは容認できず、それは不可能だ。首相がやっていることは、民主主義を強引につかんで合意なしへと引きずり込むことだ」と述べた。ウェストミンスターに集まったデモ隊は反離脱のプラカードとEU旗を携え、「クーデターは止めろ!」と連呼した[43]。

相次ぐ議員追放・辞任と最高裁判決

2019年9月3日、さらなる離脱期限の延期なら「ノタレ死“DEAD IN A DITCH”のほうがマシ」と述べるジョンソン[44]は元閣僚(フィリップ・ハモンド)、チャーチルの孫、最年長の現職議員らをふくむ21名を強行離脱を避けるために政府に反抗したとして保守党から解任した。彼らは、内閣初の重要な投票でジョンソンを敗北させ、政府だけが新しい法律を提案できるとする庶民院の規定を無効とした。また、野党とともにEU離脱期限(デッドライン)を既定の10月31日から2020年1月31日まで延期するよう求めるとした。つづく5日には閣外大臣を務める自身の弟ジョー・ジョンソンもツィッタ―上で辞意を表明[45]、庶民院議長バーコウも10月中の退任を発表した[46]。21名もの追放処分は前例のない処置とされ、その動機に関してエリザベス女王を誤解させたことも併せてメディアに非難された[47][48][49]。ジョンソンの強行路線は逆に反対派の抵抗を強める結果となった。

9月24日、イギリス最高裁判所は先のスコットランド高裁での判決同様、議会閉鎖は「違憲」で「無効」である旨の判決を下し、議長ジョン・バーコウは25日の議会再開を宣言した。これにより強行離脱も辞さないとしたジョンソンの目する10月末までの離脱はより見通しづらい状況となった[50]。しかし12月の総選挙で保守党は圧勝し、2020年1月31日をもってイギリスはEUからの離脱を果たした[51]。

「イギリスの欧州連合離脱」も参照

新型コロナウイルスの流行への対応

新型コロナウイルス感染症 (COVID-19) のイギリスでの流行拡大にかかる危機が、首相に就任して一年足らずのジョンソン首相にのしかかることとなった[52]。当初、イギリスは集団免疫の獲得を目的とした独自の対応策を採用していたが、最終的に数十万人が死亡する予測だったことから批判を浴び、方針転換を余儀なくされた[53]。

2020年3月27日、新型コロナウイルス感染症の検査を行ったところ、陽性反応であったことを明かした[54]。その後は自宅に自主隔離を行い[55]、会議にはテレビを通じて参加。高熱などの症状が続き、4月5日には念のため検査入院したが[56]、翌6日、意識はあるものの容態が悪化し、人工呼吸器が必要になった場合に備えて集中治療室に入った[57][58]。その後持ち直し、9日夕方に集中治療室から出て一般病棟に移った。12日、退院した[59][60]。27日、公務に復帰した[61]。

2020年12月、ファイザーとビオンテックが共同開発した新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のワクチン接種を表明した。

新型コロナウイルス対策で自粛が求められている中で、2020年以降、首相官邸を含む政府機関で複数のパーティー(首相のバースデーパーティーを含む[62])が開かれていたことが明らかになり、2022年1月26日の下院議会では、野党党首らが問題として取り上げ首相に辞任を迫る一幕があった。これに対しジョンソンは辞任を否定し、引き続き首相として仕事を続ける意思を示した[63]。4月12日には、自身に警察当局から新型コロナウイルス対策の規則違反の罰金の通知が来たことを明らかにし、謝罪した[64][65]。しかしこの問題はパーティーゲート事件と呼ばれ国民の批判を浴び[66]、5月5日に投開票された地方選挙で保守党が大敗した一因になったとされる[67]。このため党内からもジョンソンの資質に疑問の声が上がり始め、6月6日に党首信任投票を実施[68]。同日夜の投票では投票した下院議員359人のうち211人(58.8%)が賛成、148人(41.2%)が反対し、反対票が不信任に必要な過半数に届かなかったためジョンソンはひとまず続投となった[69]。

保守党党首辞任へ

1922年委員会での不信任投票は乗り越えたものの、上記の「パーティーゲート事件」に加え、痴漢行為をしたと報じられた議員を保守党の要職に任命していたことに閣内からも反発が生じ、7月5日にはリシ・スーナク財務大臣をはじめ40人にのぼる政府関係者が辞任する事態となった。7月7日、ジョンソンが保守党党首の辞任を表明した。新たな党首が選ばれるまでは引き続き首相としての職務を行うという[70][71][72]。
人物 

イギリスにおいてもっとも人気のある政治家の一人である。通常イギリスのマスメディアにおいて政治家は姓で呼ばれるが、ジョンソンのみは親しみを込めて「ボリス」のファーストネームのみが用いられる。2008年のロンドン市長選挙時にイギリス労働党のテッサ・ジョウェル(英語版)はジョンソンの親しみやすさが彼への好感度につながるのを危惧し、自分の陣営の選挙スタッフがジョンソンについて「ボリス」と言ったら罰金を払うとしていた[73]。ジョウェル自身はこれを否定している。

シンクタンクの調査では回答者の約半数がジョンソンの発言を信用しているという[74]。ジョンソンはしばしば政治風刺の的にされている。隔週で発行される時事雑誌『プライベート・アイ(英語版)』はジョンソンを4回表紙に選んでいる。
2016年3月下旬の世論調査によれば、ジョンソンはポスト・キャメロンの保守党の次期党首の筆頭候補であった[75]。ORBの調査では回答者の約4割がジョンソンが保守党の次期党首になることを望んでいる。YouGovの調査でも約4割がジョンソンの党首就任を支持しており、ジョージ・オズボーン(22パーセント)やその他の議員を大きく引き離していた[75]。

一方でジョンソンは人種差別、同性愛差別(ホモフォビア)、排外主義的なコメントを繰り返してきた。2016年5月には、トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン首相がヤギと性行為を行う詩を「most offensive Erdoğan poem」賞に投稿した。これはドイツの裁判所において、コメディアンのエルドアン批判スキャットを差し止める法的決定が下されたことに抗議して雑誌が主催したもので、ジョンソンは優勝し1000ポンドを手に入れた。

ジョンソンはサイクリング好きで知られ、自ら自転車通勤している。数回自転車盗難にあっており、『イズリントン中におとりの自転車を配置し、窃盗犯にはネイビー・シールズを送り込んでほしい』と希望を表明している[76]。2010年7月、ヴェリブをモデルとした自転車共有システムをロンドンに導入した[77]。

フランスの新聞ル・フィガロ紙は「ボリス・ジョンソンはしばしばドナルド・トランプと比較される。また、マキャベリストからそれほど遠くない」と評している[78]。
第二次世界大戦時のウィンストン・チャーチル首相を尊敬していることでも知られる[79]。

二重国籍

1964年6月にアメリカのニューヨークで出生してから外務・英連邦大臣に就任した2016年7月までの52年間に渡り、この間に庶民院議員に3回、ロンドン市長に2回それぞれ当選し、また、イギリスのEU離脱を主張するブレグジット・キャンペーンのリーダーでもあったが、その間ずっとアメリカとの二重国籍であった。
2017年2月になってアメリカ財務省により、2016年にアメリカ国籍を離脱した人物のリストに掲載されたことから、アメリカ国籍の離脱が明らかになったが、このリストはあくまでも「離脱した」という事実を事後的に明らかにするだけのものであるため、外務・英連邦大臣に就任した時点で、まだ二重国籍だったのか、既にアメリカ国籍を離脱していたのかについては、明らかになっていない。

コカイン・大麻使用歴

2007年、GQ誌上のインタビューの中で、ジョンソンはコカインと大麻の使用歴を認めている。インタビューによれば、大学在学中にコカインを試したものの「くしゃみ」をしてしまい、なんの効果もあらわれなかったという。大麻は大学入学前に試し、とても「楽しく素敵だった」が、子供たちにはドラッグは試させたくはないと述べている[80]。
2008年、マリー・クレール誌とのインタビューにおいて、再びジョンソンはコカイン摂取を尋ねられ、以下のように答えた。「まあ、それはわたしが19歳のときでした。時には何も言わない方が良いでしょう。わたしは完全に薬物に反対します。子供に薬を飲ませたくはありません」。2005年、BBC関連の番組に出演したジョンソンは「実際、わたしは粉砂糖をやっていたのかもしれない」とも語っている[81]。

家族

妹のレイチェルはジャーナリスト、長弟のジョーは国会議員、次弟のレオは起業家である。ジョーは何度か閣僚の経験があり、2019年発足のジョンソン政権では大学・科学担当の閣外相を務めていたが、兄のボリスのEU離脱強行の姿勢に反発して辞任している[82]。
1993年5月に幼少時代から家族ぐるみの付き合いがあったマリナ・ホイーラー(法廷弁護士。父はBBC特派員チャールズ・ホイーラー)と結婚し、4子がある[83][84]。2018年9月にマリナとの離婚の手続きを開始し[85]、2020年11月に正式に離婚した。
2020年11月のマリナとの離婚成立前から元保守党の広報担当キャリー・サイモンズ(『インディペンデント』紙の共同創業者、マシュー・サイモンズの娘)と交際していたが[86]、2020年2月29日に婚約を発表した[87]。4月29日朝にキャリーが2人にとって第1子となる男の子を出産し[88]、2021年5月29日にキャリーと結婚式を挙げた[89]。首相が在任中に結婚したのは1822年のロバート・ジェンキンソン首相以来で、史上2人目である[90]。
マリナとの間に4子、キャリーとの間に2人、このほか婚外子が1人(娘)おり、ジョンソンは合計で7子がいることになるが[91]、婚外子については長年公式には認めず、その存在について報道しないよう裁判所に申し立て却下されたこともある。2021年9月になってその存在を公式に認めた[92]。

著作(日本語訳)

『世界同時中継! 朝まで生テロリスト?』 高月園子訳、扶桑社ミステリー、2006年10月。スラップスティック作品
『チャーチル・ファクター たった一人で歴史と世界を変える力』 石塚雅彦・小林恭子訳、プレジデント社、2016年4月 』