歌舞伎で読み解く空母「福建」命名、悩む習氏が脅す台湾

歌舞伎で読み解く空母「福建」命名、悩む習氏が脅す台湾
編集委員 中沢克二
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODK274NR0X20C22A6000000/

 ※ 鄭成功のお母さんが、平戸藩士の娘だった話しは、知らんかった…。

 ※ 国姓爺合戦、明の遺臣…、なんかは、時代小説読んでると、よく出てきてたな…。


『17日、上海で進水した中国で3隻目の最新鋭空母は、大方の予想を覆して「福建」と命名された。なぜなのか。東北部の遼寧省大連で改造された中国初の空母は「遼寧」、同く大連で建造した初の国産空母は、対岸の「山東」の名を取った。

3番艦の建造地、上海は軍都の色を前面に出しにくい中国を代表する国際的な商都だ。それなら隣接する「江蘇」「浙江」という名が順当だが、さらに南の「福建」が選ばれた。これでは中国の軍事的な脅威をひしひしと感じている台湾の人々の心情を逆なでしかねない。
進水する中国の新型空母「福建」(17日、中国上海市)=新華社・共同

命名の意図と、それが抱える大問題は、直前に福建省で開催された興味深い政治的な大行事と、日本人になじみ深い歌舞伎の演目を組み合わせれば読み解ける。進水式の3日前にあった政治的行事とは何か。鄭成功が台湾で政権を樹立してから360年を記念する式典だ。39歳の若さでの死も政権樹立と同じ年の6月だった。故地である福建省泉州での大行事には360年忌の大祭という意味もあった。

行事の重要性は、新型コロナウイルス警戒下での福建省共産党トップらの参加と、北京から党中央台湾弁公室、国務院台湾弁公室のトップである劉結一がテレビ方式で演説したことから推測できる。台湾の企業家らも出席した。
「国姓爺合戦」とアモイ、そして台湾

中国で英雄視される鄭成功は、明朝の遺臣として満州族の清朝に抵抗した。攻勢をかける清にあらがう根拠地を確保するため、オランダ支配下だった台湾を制圧し、短期間ながら台湾で初めての漢民族政権となった。

鄭成功(中央上)と日本人だった母(中央下)は近松門左衛門の「国姓爺合戦」のモデル(福建省泉州の廟)

鄭成功は、江戸時代の著名な人形浄瑠璃、歌舞伎の作者だった近松門左衛門の代表作のモデルだ。63歳の円熟期に世に出した「国姓(性)爺合戦」は、フィクションも交えた異国情緒で人気を博し、ロングラン公演となる。鄭成功は日本の平戸(現長崎県)で生まれ、日本人の母を持つ。2つの故郷を持つ風雲児の海を股にかけた物語は江戸の人々の心をつかんだ。

鄭成功の母、マツは平戸藩士だった田川氏の娘だった(福建省泉州の展示)

ただ、現代中国では鄭成功の母が日本人だった事実が伏せられることも多い。一部の記念館ではあえて説明を省いている。史実であっても、台湾を「奪還」したと教えている英雄が日本人の子なのは都合が悪い。父は武装船団を率いた海商だった。鄭成功の軍事的な根拠地は福建省のアモイで、ここからオランダ支配下の台湾を攻略した。

そのアモイは、まだ30代前半の若手幹部だった習近平(国家主席、シー・ジンピン)が志を抱いて副市長として赴任した地だ。軍所属の超有名歌手だった彭麗媛と再婚し、中央政界への道を切り開く原点にもなった。アモイのコロンス島には鄭成功を記念する文物も多い。そこから連想できる対岸の台湾統一に特別な思い入れがあってもおかしくない。海岸には「一国二制度による中国統一」を掲げた大看板も立つ。

福建省時代の若き習近平氏(同省内の展示から)

習はアモイを起点に福建省で17年を過ごしており、台湾との関わりは続く。省都の福州市トップだった1996年に起きた台湾危機では、中国軍がミサイル発射演習に踏み切った。福建省の平潭島では陸海空3軍が初めての大規模な合同作戦演習を実施した。

台湾上陸も想定した福建省平潭島での三軍統合作戦演習の記念碑

軍トップは元国家主席の江沢民(ジアン・ズォーミン)で、最高実力者の鄧小平もなお存命だった。台湾上陸も想定した演習は周辺国を震撼(しんかん)させた。だが、中国はまだ空母を持っていない。習は、トップとしての任期中に台湾統一へ道筋を付けることで、江沢民を抜てきした鄧小平の事績を超え、共産党史に名を残せるのだ。

地元関係者によれば、長く福州にいた習は「たびたび平潭島に来ていた」という。アモイと似て平潭島も台湾を身近に感じる場所だ。もし自らが中国トップに立った場合、統一を見据えて台湾とどう向き合うか。この時期から軍事、経済両面で考えていたとしても不思議ではない。

清朝以来、海軍に絡む事績や条約締結には、なぜか17という数字がつきまとう。清朝の近代海軍「北洋艦隊」の設立、日清戦争での同艦隊の敗北、台湾割譲などが盛り込まれた下関条約の締結は月は違っても17日の出来事だ。

中国が初めて水爆実験に成功したのは1967年6月17日で、空母「福建」の進水と同じ日だった(建国70年の記念展示)

「福建」が進水した6月17日という日付けには、新中国の軍事史上、 もう一つ意味がある。1967年6月17日、中国が水爆実験に成功してから55年の記念日に当たる。文化大革命の混乱期にもかかわらず、中国は毛沢東の指導の下、水爆保有国になった。

技術上、最先端の米国に伍(ご)する電磁カタパルト(発射装置)を持つ最新鋭空母の保有。短距離で多くの艦載機を射出できる技術が軌道に乗り、続いて建造される4番艦以降にも標準装備できれば、台湾への米艦隊の接近をけん制できる。

毛沢東時代の水爆に比肩する習時代の大きな軍事的な成果としたい思惑も見え隠れする。これは、秋の共産党大会で毛沢東の呼び名だった「領袖」の地位獲得をめざす習にとって重要だ。

鄭成功の台湾時代の評価でさや当て

台湾を見据える習の意思は、2035年までに高速鉄道(新幹線)や高速道路を北京から台湾の台北までつなげる壮大な構想に既に反映されている。明らかになったのは昨年だ。予想ルートは平潭島を通り、台湾海峡をまたぐ架橋か、海底トンネルが考えられる。台湾側が同意する見込みはなく、一方的な中国側の計画は威圧的だ。

経済、軍事両面で米国に追い付く目標の期限である35年までの台湾統一を習が視野に入れている証拠でもある。最近、中国は米国との協議で「台湾海峡は国際水域ではない」とまで繰り返し主張し始めた。米艦隊などの自由な航行を妨げる狙いがある。

2035年までの国家総合交通網計画には台北までの鉄道・道路計画が明示されている(交通運輸省ホームページから)

習の台湾への思い入れを裏付けるように、6月14日の鄭成功の式典では北京から台湾問題を担う責任者、劉結一がテレビ方式で演説した。「鄭成功が部隊を率いてオランダを駆逐し、台湾を奪還した。最も重要なのは祖国の平和統一の推進だ。『台湾独立』勢力は絶えず挑発を企て、一部外部勢力は台湾を使い中国を抑え込もうとする。挑発と冒険行為は台湾を危険に追い込むだけだ」

中国側は鄭成功を「一つの中国」の象徴として統一の雰囲気づくりに利用したい。一方、台湾総統の蔡英文(ツァイ・インウェン)が率いる民主進歩党(民進党)はこれに強い警戒を抱く。台湾側では、鄭成功の台湾時代の歴史的な評価が政治対立の種になってきた。国民党の馬英九前政権は「鄭氏統治」を「明鄭統治」に書き換え、漢民族の明王朝との密接な関わりを主張した経緯がある。

ちなみに劉結一はここにきて次期外相の有力候補として急浮上している。まさにこの演説と同じ日、ライバルとされた「親ロシア派」の筆頭外務次官だった楽玉成の外務省の外への転出が発表され、注目度が高まった。

福建は1884年、清仏戦争で両軍艦隊が激突した地だが、日本や米国に渡航する華僑の故郷としても有名だ。その流れは1978年の改革・開放後、加速した。日本行きが主流だった福清、米国をめざした長楽などの街には、成功して帰国した華僑らが建てた3階建て以上の目立つ「御殿」も多い。

「ウクライナ」での誤算から来る苦境の打開策

それでも中国は、開放性を象徴する福建の名をこのタイミングで空母に与えた。台湾の人々が鄭成功に親しみを感じたとしても、続いて「福建」と命名された最新鋭空母の進水が重なれば雰囲気は一変する。「脅しだ」と感じても仕方がない。

しかも今、国際情勢は不安定だ。ありえないはずだったロシアによる突然のウクライナ全面侵攻は、必然的に中国の台湾に対する武力統一の可能性を想起させた。中国はロシアの行動を一切、非難していない。

主要7カ国首脳会議(G7サミット)に続き、北大西洋条約機構(NATO)首脳会議も中国に厳しい視線を送るだろう。その圧力にあらがいながら、なんとか威厳を保つには、台湾問題で強い姿勢を示す必要があった。

あえて衣の下から鎧(よろい)をのぞかせる「福建」という命名を最終的に決断できるのは、集権に成功した党、軍、国家のトップである習のほかいない。ウクライナ侵攻のあおりで中国が陥った苦境の打開には逆効果なのに、事前に待ったをかける真の側近はいなかったようだ。党大会という難関を前にしたトップは孤独である。胸中では野望と悩みが交錯しているに違いない。(敬称略)

中沢克二(なかざわ・かつじ)
1987年日本経済新聞社入社。98年から3年間、北京駐在。首相官邸キャップ、政治部次長、東日本大震災特別取材班総括デスクなど歴任。2012年から中国総局長として北京へ。現在、編集委員兼論説委員。14年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。』