イエメン

イエメン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%A1%E3%83%B3

『イエメン共和国(イエメンきょうわこく、アラビア語: الجمهورية اليمنية‎)、通称イエメンは、中東の共和制国家である[2][3]。アラビア半島南端部に位置し、インド洋上の島々の一部も領有している。首都はサナア[2]。 』

『歴史

詳細は「イエメンの歴史(英語版)」、「ジャーヒリーヤ」、および「en:List of Sunni Muslim dynasties#Arabian Peninsula」を参照

交易による繁栄

古代 - 交易の中心地、および物資集散地として繁栄。古代ギリシャや古代ローマの時代には「幸福のアラビア (Arabia Felix)」として知られる(サバア王国、early 1st millennium BC)。
紀元前8世紀頃 - ハドラマウト王国(英語版)(紀元前8世紀 - 3世紀)が繁栄。
紀元前7世紀頃 - サバア王国が、農耕の発達や、インド産香料の中継貿易によって繁栄。アウサーン王国(英語版)の都市がサバア王国によって破壊された。

支配者の激しい入れ替わり

紀元前110年 - ヒムヤル王国(紀元前110年 - 525年)が建国される。
350年 - ヒムヤル王国がアクスム王国(110年 - 940年)から侵入を受ける。
525年 - ヒムヤル王国のDhu Nuwas王の治世に、ユスティニアヌス1世から侵入を受ける。
531年 - Abraha率いるエチオピアの勢力がイエメンに侵攻し、King of Sabaを宣言。
575年 - サーサーン朝ペルシャの支配を受ける。

イスラム教の流入

7世紀 - イスラム教が流入。
9世紀 - ズィヤード朝が成立。ザイド派のイマーム(宗教指導者)が支配。
11世紀 - スライフ朝(英語版)(1047-1138年)
12世紀- ズライ朝(1138-74年)をトゥーラーン・シャー(英語版)(1174年-1180年)が滅ぼし、彼と父ナジムッディーン・アイユーブを同じくする弟サラーフッディーンを始祖とするアイユーブ朝の支配を受ける(1174-1229年)
13世紀 - ザイド派(シーア派の一派)のイマームを祖とする(en:Imams of Yemen)が成立。
14世紀 - Al Kathiri (Hadhramaut) 王家が成立、近年まで存続。
15世紀 - ラスール朝(1229-1454年)が紅海・アラビア海・インド交易の拠点として繁栄する。同王朝に鄭和の艦隊が来航

一度目のオスマン帝国の支配

16世紀 - オスマン帝国の支配下に入るが、イエメン人はオスマン帝国に対し抵抗。1世紀後にオスマン勢力を駆逐し、ザイド派勢力による支配を再び受ける。
19世紀初頭 - エジプトの勢力下に置かれる。

南部のイギリスの植民地化

1839年 - イギリスがアデンを始めとする南イエメンを占領。以後、南イエメンはイギリスの植民地となる。

二度目のオスマン帝国の支配

1849年 - オスマン帝国が北イエメンを再占領。
1869年 - イギリスが南イエメンにアデン保護領(英語版)(1869年 - 1963年)を設置。

イエメン王国成立

1918年 - オスマン帝国の第一次世界大戦敗北にともない、イエメン王国が独立。
1934年 - サウジ・イエメン戦争、アシール首長国(英語版)がサウジアラビアに併合される。

イエメン王国崩壊

1962年 - 軍事クーデターにより、イエメン王国が崩壊。イエメン・アラブ共和国が成立するも、北イエメン内戦が勃発(~1970年)。
1963年 - アデン保護領を南アラビア保護領(1963年 - 1967年)に改称。
1965年 - アル=マフラ県に隣接するオマーンのドファール地方で、南イエメンが支援するDhofar Liberation Front(DLF)によるドファールの反乱(英語版)(1962年-1976年)が激化。

北イエメンと南イエメン

英領南アラビア独立

1967年 - 英領南アラビア保護領(南イエメン)が、南イエメン人民共和国(1967年 - 1990年)として独立。後にイエメン人民民主共和国へ改称。
1989年11月30日 - アデン合意により南北統一への途が開かれる。

南北統一

1990年5月22日 - イエメン・アラブ共和国(北イエメン)、イエメン人民民主共和国(南イエメン)が合併し、現在のイエメン共和国が成立。成立したイエメン共和国の初代の大統領として北イエメン大統領を務めていたアリー・アブドッラー・サーレハが務めることになる。

南部での再独立を求める反乱

1994年5月4日 - 旧南側勢力が再独立(イエメン民主共和国)を求め、イエメン内戦が勃発。しかし、南側勢力は国際的な支持を得られず、約2ヶ月で鎮圧される(~7月7日)。

初の大統領選挙

1999年9月23日 - 国民の直接投票による初めての大統領選挙が行われる。サーレハ大統領が再選する。
2000年6月12日 - ジッダ条約(英語版)により、サウジアラビアとの国境線が画定し、領土面積が正式なものとなる。

アルカーイダによる襲撃

2000年10月 - 旧南イエメンの首都であったアデンにあるアデン港で、イスラム原理主義勢力アルカーイダによる米艦コール襲撃事件が起こる。なお、ハドラマウト(イエメンのアル=マフラ県、オマーンのドファール地方を含む)はアルカーイダの指導者だったウサーマ・ビン・ラーディンの父親の出身地。

イエメンでアラブの春発生

2011年1月 - チュニジアでのジャスミン革命、エジプトでの民衆革命に影響を受けて市民による反政府デモが発生(アラブの春、2011年イエメン騒乱)。この結果、サーレハ大統領は退陣し、ハディ副大統領が翌年2月の暫定大統領選挙で当選。
詳細は「en:2014–15 Yemeni coup d'état」を参照

2015年内戦
詳細は「2015年イエメン内戦」を参照
内戦における勢力分布。赤がハーディー政権、緑がフーシ派、白はその他武装勢力
年表 年 』