ソニー神話と葛藤 出井伸之氏死去

ソニー神話と葛藤 出井伸之氏死去
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『ソニー(現ソニーグループ)の創業者世代の一人は「ソニーのトップは太陽のようにまぶしく、燦々(さんさん)と輝く人間でなければならない」と語っていた。戦後日本の成長とともにあった「ソニー神話」を引き継ぐ者への重圧は計り知れない。デジタル時代の波に乗るか、のみ込まれるか。ソニーと出井伸之氏はもがいていた。

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最高経営責任者(CEO)に就任して5年目の2003年4月。業績の悪化を発表すると、株価が2日続けてストップ安に。株式市場が揺さぶられ、日経平均株価も下落した。いわゆる「ソニーショック」である。

「ソニーショックは我々にもショックだった」とこぼすと、証券アナリストらに「評論家的じゃないか」とたたかれた。それまでがピカピカの実績だった分、「出井ソニー」への視線は厳しく、冷たかった。

1995年に社長に指名されたときは「14人抜きの新社長」と騒がれたが、前任の大賀典雄氏は「消去法で選んだ」と漏らした。「サラリーマン社長で務まるのか」と心配された。それをねじ伏せたのが、デジタル時代への慧眼(けいがん)だった。

就任後には「デジタル・ドリーム・キッズ」というキーワードを掲げ、パソコン事業やインターネット事業に力を入れた。米国のハイテク見本市で講演を任されると、デジタル社会の未来を大胆に予言してみせた。

「インターネットは、恐竜を滅ぼした隕石(いんせき)のように産業界の姿を変える。適応できない会社は滅ぶだろう」

大胆な言葉で未来を見通す発言は新鮮だった。ITバブルという追い風も吹いた。「ビジョナリー」ともてはやされた。

そもそも、入社したときの目標は「カンパニー・エコノミスト」になること。関心はデジタル時代の行方だけではなかった。経営の監督と執行の分離をいち早く取り入れた執行役員制の導入など企業統治改革に取り組んだ。

大賀氏は「出井くんは何をつくったんですか?」と問うことがあったとされる。歴代の経営者は「トリニトロン」や「ウォークマン」、画像センサーに使われるCCD(電荷結合素子)などを世に送り出してきた。それに対し、出井ソニーはどうか。

その問いかけには「世界に通用するマネジメントを築いています」と答えたかったのではないか。そこに足りなかったのが、従業員全体を改革に巻き込んでいく力量だった。

出張や財界活動の合間をぬって工場などを回り、社員と語らったが、「出井さんが行くと、どこでも『赤じゅうたん』が敷かれてしまう」(ソニー幹部)と言われた。足元が見えてなかった。

OBたちも批判を強める。改革は空回りした。

当時はヒューレット・パッカード(HP)やウォルト・ディズニー、ダイムラークライスラーといった巨大グローバル企業のカリスマ経営者が次々と退任を迫られていた。社外取締役や投資家の存在感が一段と高まっていたからだ。その力はソニーの取締役会にも及び、経営陣を刷新する。

2005年6月。最後の株主総会で経営責任を問われると、「野球と同じ。8対7で負けると、それまで得点した7点は忘れられてしまう」と答えた。いつもの負けん気は健在だった。今のソニーの業績を支えている映画や音楽などエンターテインメント事業は、トップ在任中に大切に育てていたビジネスである。

ソニーの経営を退いた後、ベンチャー企業などを支援する会社を自ら設立した。オフィス近くのレストランで若手起業家と経営論を語らい、談笑の輪を広げていた。ソニー神話の重圧からやっと解放されていたのかもしれない。経営者人生の延長戦で見つけた「出井流」だったのだろう。

(プロフェッショナルメディア担当長 武類雅典)』