「長老は黙れ」と警告、言論統制で習氏が狙う偉大な地位

「長老は黙れ」と警告、言論統制で習氏が狙う偉大な地位
編集委員 中沢克二
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODK050Y30V00C22A6000000/

※ 今年の北戴河、まだスケジュールや「開催形態」すら決まっていないのか…。

※ 「コロナの、様子見て。」ということか…。

『習近平(シー・ジンピン)は「永遠の領袖」――。中国共産党総書記の習に対して、終身制を連想させる「永遠」と、毛沢東の称号だった「領袖」を組み合わせながら巧妙に礼賛する過去に例のない公文書がコミュニケの形で発表された。もちろん中央の話ではない。場所は中国南部にある人口5000万人弱の広西チワン族自治区。4月17日のことだった。

「(習の別格の地位を示す)核心に忠誠を尽くし、永遠に領袖としておしいただき、領袖を守り、領袖に付き従う」。あらゆる形式の個人崇拝を禁じている共産党規約に基づく常識を覆す文言である。理由ははっきりしていた。今秋開く第20回共産党大会を前に、習は4月22日、この広西から大会に出席する代表として満票で選ばれたのだ。
陳敏爾氏

党トップをどの地域の党大会代表とするのかにルールはない。5年前の党大会で習は貴州省代表だった。習が代表に選ばれた時点の貴州省トップは、誰もが知る習側近の陳敏爾である。その後、失脚した孫政才の穴を埋める形で重慶市トップに転出し、党政治局委員に抜てきされた。

「永遠の領袖」に道を開こうとする先鋒(せんぽう)の役割を担う広西は、習を褒めたたえる連続テレビドキュメントシリーズも放映した。秋の党大会では、広西代表による審議の場に習が登場する。広西は今後の習の運命を占う特別な場所になったのである。

■にじむ党主席への野心

そもそも「領袖」は建国の父、毛がほぼ独占していた呼称で、特に「偉大な領袖」という形で使われる例が多かった。永遠の領袖や、人民の領袖という表現が暗示するのは、毛の終身の地位だった党中央委員会主席(党主席)への野心とみてよい。
独裁者だった毛沢東主席に似たポーズを取った習近平国家主席(北京展覧館の展示から)

動きはなお続いた。5月2日、今度はロシアと接する東北地方の黒竜江省から習を持ち上げる声があがる。「領袖による配慮に対し、恩義を感じながら奮い立たせて進む強い力に変え、領袖への忠誠を振興・発展の生きた実践に変える」。同省党代表大会の決議にも個人崇拝の雰囲気が醸し出されていた。

1960年代生まれの若手である広西の劉寧、黒竜江の許勤という両トップは、典型的な理系人材だ。黒竜江の許勤は兵器工業部門の技術系出身という経歴が目立つ。「習近平時代になって政治的に従順とみられる技術系人材が抜てきされる例が増えた」という分析は傾聴に値する。

これで習の地位格上げ運動は一段と前進したかにみえた。だが、中国の今後を左右する大きな決断にかかわるだけに物事は簡単には進まない。長老らの意向も受けた老幹部、非習派、リベラルな考え方に理解を示す党内の知識階層から「個人崇拝や神格化につながりかねない」という強い懸念が提起され、広がりをみせたのである。

この問題には、ある「勇み足」が絡んでいた。広西の中心都市、南寧の党宣伝部が出版した「習近平思想」を学ぶための紅(あか)い小冊子が、まるで文化大革命(1966~76年)の大混乱期に紅衛兵が掲げた「毛沢東語録」を想起させる体裁だったことだ。

■勇み足と王滬寧氏の役割

王滬寧・共産党政治局常務委員(17年10月、北京の人民大会堂)小高顕撮影

習を礼賛する広西での一連の大宣伝を中央から後押ししたのは、やはり習側近で党中央宣伝部長の黄坤明だ。だが、やや功を焦ったきらいがある。ちょうど上海の都市封鎖で中国経済が急速に悪化し、当局の強権的な対応にも不満が出た時期だけに、中央としても問題拡大は望ましくなかった。

「最後に仕切ったのは王滬寧(ワン・フーニン)のようだ」。関係者の間でささやかれるのは、黄坤明の上に立つ思想・イデオロギー担当の最高指導部メンバー、王滬寧の役割である。党内の全体情勢を勘案したうえで、習とも十分、意思疎通しながら、突出した動きをひとまず抑える方向が固まったという。広西の目立つ動きについて、党内で真っ正面から党規約違反などに問う声が巻き起これば、大ごとになってしまう。

蔡奇・北京市党委員会書記(18年3月、北京の人民大会堂)=三村幸作撮影

現在、中国の検索エンジンで探しても、この冊子の写真などは一切、出てこない。既に完全消去されている。

こうした一進一退は過去にも例があった。習側近で北京市トップの蔡奇は、17年10月の前回党大会の討論で、早くも習を「英明な領袖」と持ち上げていた。ちなみに毛から後継者として指名された華国鋒は一時、英明な領袖と称されるが、鄧小平の復活・台頭によって華自身が表舞台から消える。

17年当時、党内で気付く人は少なかったが、蔡奇の突出した発言は、18年3月に憲法改正で国家主席の任期制限を撤廃する布石でもあった。この流れを受けて、18年夏にかけて中国メディアでは「人民の領袖、習近平」などの文字が躍った。

だが、その後、この表現が堂々と表舞台で口にされる場面は急速に少なくなる。裏には、やはり党規約が明確に禁じる個人崇拝を強く警戒する長老や非主流派の幅広い声があった。同じことが今、繰り返されている。

現状はなお途中経過である。習を領袖に格上げして定着させる動きが必ずしも順調ではないことに危機感を抱いた習の周辺は、別の異例の手に打って出た。

江沢民元国家主席㊧と温家宝前首相㊨(12年の共産党大会)
朱鎔基元首相(12年の共産党大会)

退職した老人らは黙ってろ――。平たくいえば、こんな意味の攻撃的な通達を、習の職務を支える党中央弁公庁が出したのだ。国営メディアが「最近の出来事」として明らかにしたのは5月15日である。最高指導部経験者である長老、そして退職した幹部らの口を封じ、服従を求める措置ともいえる。

■長老の言論統制は「北戴河」への布石

これを補足する形で党中央組織部の責任者は、退職幹部の管理強化について相当、細かく説明している。「党中央の大きな政治方針をみだりに論じてはいけない」「政治的にマイナスの言論をまき散らしてはいけない」「不法な社会組織活動に参加してはいけない」。さらに「規律に違反したものは厳しく処罰する」とあえて付け加えている。

習政権では、現役を退いた長老、軍人らが規律違反で摘発され重罪になるケースが相次いだ。党機関紙、人民日報の1面で公表された通達は、今後も手を緩めないという脅しだ。それは長老らの言論さえ統制するという明確な意思表示でもあった。

逆にいえば、内部では習の地位格上げを巡って一進一退の綱引きが続いている。確執の一端を明らかにしてでも、情勢を有利に導く手段になる通達を公開せざるをえなくなった。そういう解釈も可能だ。通達が出た頃から、新華社など国営メディアでは習の名と人民の領袖を結びつけるキャンペーンが再び始まっている。

丁薛祥・共産党中央弁公庁主任=中国共産党新聞網より

激しい動きは、党大会前の政治的ヤマ場である現役指導者と長老の意見交換の季節が近いことを意味する。従来、河北省の海辺にある保養地で8月に開かれてきたいわゆる「北戴河会議」である。だが新型コロナウイルス対策が喫緊の課題である昨今、どのような開催形態をとるのかも注目の的だ。

ちなみに長老、老幹部らの口を封じる通達を出した党中央弁公庁の責任者は丁薛祥である。習が上海時代に見いだした能吏で、最高指導部入りも取り沙汰される側近のひとりだ。一家言ある長老との難しい意思疎通で重要な役割を果たすのは本来、「大番頭」の丁である。その大役をうまくこなせば、もう一段の抜てきもありうる。

習がいまだ狙う偉大な地位。その実現にどれだけ貢献できるかは、数多くの習側近らの生き残りをかけた熾烈(しれつ)な権力闘争そのものである。当然、勝者と敗者に分かれる。あと4カ月ほどに迫る党大会で勝ち残るのは誰なのか。側近らはこぞって目の色を変え始めた。(敬称略)

中沢克二(なかざわ・かつじ)
1987年日本経済新聞社入社。98年から3年間、北京駐在。首相官邸キャップ、政治部次長、東日本大震災特別取材班総括デスクなど歴任。2012年から中国総局長として北京へ。現在、編集委員兼論説委員。14年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。