バンコク都知事にタクシン派 タイ次期総選挙に不穏な影

バンコク都知事にタクシン派 タイ次期総選挙に不穏な影
編集委員 高橋徹
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD053G50V00C22A6000000/

『偶然にしても因縁めいた日程だった。タイで2014年、タクシン元首相派のインラック政権がクーデターで追放されてちょうど8年となる5月22日。9年ぶりに行われたバンコク知事選を、同政権の運輸相だったチャチャート・シティパン氏(56)が制した。

人口6800万人の1割弱、首都圏に広げれば4分の1が集中し、タイの77都県で唯一の民選首長であるバンコク都知事の座の行方は、来年5月までに実施される次期総選挙の前哨戦とみられていた。今回の結果が暗示するものは何だろうか。

「都民全員の知事になる」。チャチャート氏は党派対立を超えて都政に取り組むと宣言し、6月1日に就任した。史上最多の138万票を獲得し、得票率が50%を超える圧勝劇を演じたのはどんな人物か。
6月1日に就任し、初登庁したチャチャート氏。「都民全員の知事になる」と宣言した=ロイター

名門チュラロンコン大で土木工学を学び、米国で博士号を得た。帰国後は母校で教える傍ら、国営企業や民間企業で幹部職を歴任した。運輸分野の知見が買われ、01年に発足したタクシン政権へ顧問として招かれたのが政治にかかわるきっかけだった。

14年の政変まで2年半閣僚を務めると、民政復帰に向けた19年の下院選をタクシン派のタイ貢献党の首相候補として戦った。政権奪回はならなかったが、親国軍の最大与党、国民国家の力党(PPRP)を抑え、比較第1党を占める原動力となった。

人気の秘密は知名度の高さだけでなく、庶民的な言動にもある。運輸相時代は満員の路線バスで通勤していた。国鉄視察と称して3等の夜行列車でバンコクからラオス国境まで14時間の長旅を敢行し、話題を呼んだこともある。クーデターが起きる前、運輸省庁舎は反政府デモ隊に占拠され、大臣も居場所を転々としていた。「面会を申し込むと、こちらの事務所に1人でふらりと現れたので、とても驚いた」と日本貿易振興機構(ジェトロ)バンコク事務所長だった井内摂男氏は振り返る。

筆者も当時、バンコクに駐在していたが、タイの官僚や企業経営者に「将来の首相候補は?」と尋ねると、多くが彼の名前を挙げたのをよく覚えている。ところが本人は19年末、次はバンコク知事を狙うと早々に表明し、タイ貢献党を離れた。今回も無所属で出馬し、タイ貢献党は公認候補を立てなかった。

公認候補の不在は、ライバルのPPRPも同様だった。国政で勢力拮抗する二大政党が、バンコク知事選に候補者を擁立しないのは、極めて異例のことだ。直近4度の知事選はタイ最古の政党・民主党とタクシン派政党が威信を懸けて激突していた。

今回はタイ貢献党がチャチャート氏、PPRPは旧軍事政権が任命しプラユット首相に近い現職のアサウィン知事、元所属議員のサコンティー副知事の2人を背後で推しているのは周知の事実だったが、公認を避けた理由は180度異なっていた。

タイ貢献党の場合、最大の狙いは党派色を薄めることだった。タクシン氏が1998年に前身のタイ愛国党を旗揚げして以降、5度の国政選挙ではいずれも大勝しながら、バンコク知事選は民主党に敗北を重ねてきた。首都の保守層がタクシン氏の強引な政治手法や金権体質に批判的だったからだ。

一方のPPRPは当初、アサウィン氏とサコンティー氏を一本化するつもりだった。ところが党の内部対立でそれがままならなかった。
プラユット首相はバンコク知事選と都議会選での与党の大敗を「地方選のひとつにすぎず、政府とは関係がない」と一蹴したが…=ロイター

あえて公認しなかったタイ貢献党と、しようにもできなかったPPRP。戦略性の差は、集票に直結した。2年半の準備期間中に1万人を超すボランティア運動員を確保し、200項目を超す政策メニューを練り上げたチャチャート氏は、独立系候補として自身の能力や人柄を売り込んだ。チュラロンコン大のシリパン・ノックスアンサワディー准教授は「タイ貢献党や他の革新政党の支持者に加え、タクシン氏や貢献党を嫌っている一部の保守層の票さえも取り込んだ」と圧勝の要因を分析する。

対照的に元警察官僚のアサウィン氏は人物像が埋没し、保守層の票をサコンティー氏と食い合った。直前の世論調査は2位につけていたのに、結果は5位と惨敗。過去に再選に挑んだ現職3人はすべて勝った、という縁起のよい前例も通用しなかった。

二大政党の明暗は、同時に行われた都議会議員選でより顕著だった。定数50のうち暫定結果でタイ貢献党が20議席を奪ったのに対し、PPRPはわずか2議席。内紛で選挙対策本部すら設置できなかったのが響いた。

タイ貢献党の躍進とPPRPの退潮は、次の総選挙にも投影されるのか。「バンコク以外への影響は見通せない」とシリパン准教授が慎重なように、浮動票が少なく、組織票が重みを持つ地方の選挙区は、首都とは事情が異なるとみるべきだ。

下院選の趨勢は、大きく2つの不透明要因に左右されそうだ。

ひとつは経済情勢。今回の知事選や都議会選は、新型コロナウイルス禍で失った外国人観光客の受け入れ再開がまだ途上だったうえ、ロシアのウクライナ侵攻による物価高騰の局面で実施された。生活苦に陥った市民の不満の矛先が、国政与党と現職知事に向いた面は否定できない。下院選のタイミングで、こうした状況が改善に向かっているのか、それとも悪化しているかで、民意の風向きは大きく変わってくる。
タクシン氏は次期下院選のタイ貢献党の首相候補に自身の娘を起用する見通しだ=AP

もう一つは対決の構図だ。タイ政治は長らくタクシン派と反対派のせめぎ合いを軸に展開してきた。前者が推進した地方の低所得層に手厚い政策に、後者に多い都市の富裕層・中間層が反発を強め、地域間や階級間の対立の様相を呈していた。しかし14年のクーデター以降、国軍による政治支配が長期化していることで「軍政対民主派」の構図の方がより前面に押し出されていた感がある。バンコク知事選でのチャチャート氏の勝利、都議会選でのタイ貢献党の躍進からも、そうした変化は垣間見える。

ただし前段の図式が雲散霧消したわけではない。選挙をやれば連戦連勝のタクシン派を、軍事クーデターや司法判断で何度も政権の座から引きずり下ろし、それを多くの国民も受け入れてきた。片方で民主主義の大切さを訴える人たちが、もう片方では「数」で上回る地方の低所得層の民意をないがしろにし、「1人1票の平等」を必ずしも尊重してこなかった。そんなゆがんだ現象が、タイ社会の深層に横たわる。

タクシン氏の動きが、そうした党派対立を再燃させる懸念もある。汚職罪での収監を逃れ、国外逃亡中の同氏は、いまもタイ貢献党に絶大な影響力を持つ。昨年10月、末娘のペートンタン氏(35)を党の最高顧問に送り込み、今年3月には次期総選挙をにらんだキャンペーンの責任者につけた。総選挙では党の「顔」である首相候補に起用する可能性が高い。11年の総選挙で妹のインラック氏を首相候補に据え、地滑り的な圧勝を果たした再現を狙っているようだ。

都知事選の結果をタクシン氏は「民主主義の勝利」と称え、「次の総選挙でも同じ結果が繰り返される」と予言した。希代のカリスマ政治家の影が濃くなればなるほど、党内の求心力は増し、支持者も勢いづくだろう。ただし、選挙の争点が「民主主義か否か」から離れ、党派対立に置き換わるリスクを、当人は自覚しているだろうか。

=随時掲載
高橋徹(たかはし・とおる) 1992年日本経済新聞社入社。自動車や通信、ゼネコン・不動産、エネルギー、商社、電機などの産業取材を担当した後、2010年から15年はバンコク支局長、19年から22年3月まではアジア総局長としてタイに計8年間駐在した。論説委員を兼務している。著書「タイ 混迷からの脱出」で16年度の大平正芳記念特別賞受賞。』