アレクサンドル・ドヴォルニコフ

アレクサンドル・ドヴォルニコフ
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『アレクサンドル・ウラジーミロヴィチ・ドヴォルニコフ(ロシア語: Александр Владимирович Дворников、ラテン文字転写の例:Aleksandr Vladimirovich Dvornikov、1961年8月22日 – )は、ロシア陸軍上級大将、ロシア連邦英雄である。名前はドゥボルニコフやドボルニコフともカナ転写される。

2015年9月、ロシアによるシリア軍事介入の開始時に、シリア派兵ロシア軍の初代司令官となった。ドヴォルニコフはシリアにおけるロシアの軍事介入を指揮したことによってロシア連邦英雄の称号を授与され、2016年9月に南部軍管区の司令官に任命された[1]。ドヴォルニコフは、シリアにおけるロシア軍を指揮した際に民間人を標的としたことから「シリアの虐殺者」と呼ばれている[2]。 』

『若年期とソ連軍での軍歴

ドヴォルニコフは1961年8月22日にウスリースクで生まれた。1978年にウスリースク・スヴォーロフ軍事学校(英語版)を卒業し、ソ連地上軍に入隊した。さらに、モスクワ高等軍事指揮学校(英語版)で4年の教育を受け、1982年に卒業した[1]。

1982年から、小隊長、中隊長、大隊先任参謀として極東軍管区で軍務に就いた。1991年、フルンゼ軍事大学(英語版)を卒業した。ドヴォルニコフは西部軍集団の副大隊長となった[1]。
ロシア陸軍における軍歴

1992年から1994年、ドヴォルニコフは第6独立親衛自動車化狙撃旅団(英語版)の第154独立自動車化狙撃大隊を指揮した。1995年、第10戦車師団(英語版)の第248自動車化狙撃連隊の参謀長兼副連隊長となった。ドヴォルニコフは1996年に連隊長となった。1996年1月20日、軍事貢献勲章を授与された。1996年2月2日、勇敢勲章を授与された[1][3]。

1997年、モスクワ軍管区に移り、第2親衛自動車化狙撃師団(英語版)の第1親衛自動車化狙撃連隊を指揮した。2000年から2003年、北カフカーズ軍管区において第19自動車化狙撃師団の参謀長、その後司令官を務めた[4]。2000年5月6日、ドヴォルニコフは剣付き祖国貢献勲章第4級を授与された。ドヴォルニコフは2005年にロシア連邦軍参謀本部軍事アカデミー(英語版)を卒業した[1][5]。
ドヴォルニコフ(左から2人目)。ロシア国防相セルゲイ・ショイグやその他のロシア人顧問と共にフメイミム空軍基地にて、2016年6月18日撮影。
ドヴォルニコフとアルメニア国防相(英語版)ダビド・トノヤン(英語版) 、2019年2月9日。

2005年、ドヴォルニコフはシベリア軍管区の第36軍(英語版)の副司令官兼参謀長になった。2008年、第5赤旗諸兵科連合軍を指揮した。2011年、東部軍管区の副司令官になった。2012年5月から2016年6月まで、中央軍管区の参謀長兼第一副司令官となった。2012年11月と12月、管区の臨時司令官を務めた[6]。

2012年12月13日、中将になった。2014年12月13日、大将に昇進した。2015年9月、シリアにおけるロシアの軍事介入でシリアにおけるロシア軍の初代司令官となった。2016年5月17日、ロシア連邦英雄の称号を授与された[7]。

2016年7月、南部軍管区の臨時司令官となった。2016年9月20日に正式に司令官に就任した[1][8]。プーチン大統領からの命令によって、ドヴォルニコフは2020年6月23日に上級大将に昇進した[9]。

2022年4月、ドヴォルニコフはウクライナ侵攻での軍事作戦の遂行を任された[10]。少なくとも52人(ほとんどが女性、子ども、高齢者)が死亡したクラマトルスク駅へのミサイル爆撃はドヴォルニコフの指示であると考えられている[11][12]。 』