「剛腕」と「無常観」 JR東海元社長・葛西敬之氏死去

「剛腕」と「無常観」 JR東海元社長・葛西敬之氏死去
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD273MW0X20C22A5000000/

 ※ この人、確か「国鉄改革派三人衆」みたいな感じの一人じゃなかったか…。

 ※ 国鉄から民間企業のJRに移行する時、内部にあって活躍した「三人衆」の一人みたいなストーリーを、聞いたことがある…。

 ※ 日本の大企業は、後発資本主義国なんで、「資本の蓄積」が十分でなく、初めはみんな「官頼み」の「官営企業」として始まったものが多い…。

 ※ 国鉄しかり、電電公社(NTT)しかりだ…(三公社五現業とか言われた)。

 ※ 特に、「鉄道事業」は、「兵員輸送」「軍需物資輸送」の任務があるんで、長らく「国有鉄道」として運営された…。

 ※ そうすると、「労働組合」の力が強くなり、「効率的な配置転換」どころの話しじゃなくなる…。「社会主義者」の巣窟にもなるしな…。

 ※ 「ゼネスト」とか、「スト権スト」とか、ぼんやり記憶している人もいるだろう…。
 ※ そこで浮上したのが、「国鉄民営化プラン」だ…。「民営化した上で、好きなだけストライキやれ!」というわけだな…。

 ※ そういう「荒療治」を推進した、中にいた人の一人だったわけだ…。

 ※ まあ、今の「学術会議」なんかにも、通じる話しだな…。

 ※ そういう「民営化」のおかげで、「労働組合」はガタガタになり、それの上に立脚していた「連合」とかの力は弱まり、「社会党」は四部五裂し、「社民党」は今年の参院選で政党要件なくなるか…、というところまで落ちぶれた…、というわけだ…。

 ※ 栄枯盛衰、世のならいだ…。

『アイデアとしてはあっても、実現は不可能。そう思われていた国鉄の分割・民営化を、いち職員の立場で推し進めた。対立する上司や経営陣と激しく渡り合い、政界や経済界のキーマンに仕掛けを打ち、労働組合をねじ伏せ――。

25日死去したJR東海元社長、葛西敬之氏の「剛腕」ぶりは、つとに知られる。

戦後史に残る国鉄改革について葛西氏は、「東海道新幹線を救出するための作戦でもあった」と、自ら評していた。

国鉄は東海道新幹線や首都圏の鉄道網が生み出す利益によって、地方のローカル線を支える構造だった。ただひたすら、赤字補塡のため走る新幹線は老朽化し、本格的な技術改良がなされないまま陳腐化していく。その新幹線を、1987年の分割・民営化によって「全国一律」のくびきから解き放った。

JR東海に移った後も、「救出作戦」は続く。輸送力と利用客の利便性向上を狙い、品川に新幹線の新駅を建設。アルミ合金を採用するなどフルモデルチェンジとなった300系以降、新型車両を相次いで開発し、投入するなど、新幹線の「磨き上げ」に力を注いだ。

こうした場面でも、剛腕のエピソードには事欠かない。品川新駅では用地をめぐり、JR東日本と「兄弟げんか」も繰り広げられた。「政府と刺し違えてでもやり抜く」という言葉も聞いた。

自らが主導した新幹線事業の集大成といえるリニア中央新幹線の計画でも剛腕を発揮。近い将来に想定される大規模地震の際のバイパスとしての意義などを訴え、「JR東海が手がける国の事業」のような形で強力に推し進めた。

保守の論客としての存在も大きかった。特に安倍晋三元首相のブレーンとして活躍し、国家公安委員や原子力損害賠償支援機構の運営委員などを歴任した。どんな取材で訪れても、まずは、「いまの国際情勢をどう見るか」「国のリーダーはどうあるべきか」といった大局観を聞くことから始まるのが常だった。

自らの判断基準、行動原理について尋ねると、「正しいか否か、だけ」「こちらに大義があり、合理性があれば、妥協せず筋を通す」と、淡々と話していた。

一方で、ときおり口にする「無常観」が印象に残る。「しょせんこの世は仮の宿り。明日死んでも不思議はないし、人生はその程度のものなんです」――。

時代や社会の流れに翻弄され、転変する人や組織。改革を成し遂げた側であったが、分割民営化に至る4年間の「戦い」の日々も影響していたのだろうか。「無常だからこそ、いまできることを最大限やる」となるあたりは、やはり剛腕に違いないのであるが。

米国へシステムとしての輸出に乗り出すなど、最期まで「日本の精華」と誇る新幹線、そしてリニアとともに歩んだ生涯。リニアの開業に間に合わなかったのは心残りだったろう。

3週間ほど前、病床から最後に届いたメールには、「試乗会でリニアにぜひ乗って、完成度の高さを実感してください」とあった。

(編集委員 坂口祐一)

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