メキシコやカナダ、米からの妊娠中絶受け入れ進む

メキシコやカナダ、米からの妊娠中絶受け入れ進む
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN200050Q2A520C2000000/

 ※ 「草稿(確定では無い、との声明が出されている)」が流出しただけで、この騒ぎだ…。

 ※ 周辺国までもが、巻き込まれて行く…。

 ※ その「影響力」たるや、凄まじいものだな…。

 ※ 今日は、こんなところで…。

『【メキシコシティ=清水孝輔、ニューヨーク=大島有美子】メキシコやカナダで、人工妊娠中絶を希望する米国の女性を受け入れる環境の整備が進む。米連邦最高裁が女性の中絶を憲法上の権利だと認めた1973年の判例を覆す判断を示す可能性が浮上していることが背景だ。隣国での中絶が増えれば、最高裁が保守的な判断を下しても実効性は低下する。中絶は11月の米中間選挙の争点の一つになっている。

1~4月にはメキシコの団体「ラス・リブレス」の支援で、計200人の米国人がメキシコで中絶の措置を受けた。メキシコの最高裁が2021年9月、中絶の禁止を違憲だとする判決を出した。一方、南部でメキシコと接する米テキサス州は同年、妊娠6週目を過ぎた女性の中絶を禁止する州法を発効した。このため、中絶を希望する多くの女性が米国からメキシコに渡った。

ラス・リブレスはメキシコ北部の3カ所に米国人が中絶できる施設を持つ。米国の保守的な動きをみて、同国からの女性の受け入れ人数を増やす方針だ。ひと月に提供できる経口中絶薬の量は現在の500人分から最大で2倍に増やす考えだ。

ラス・リブレスの創設者、ベロニカ・クルス氏は「女性の権利を巡るメキシコの活動家は(米国で中絶の権利を認めた)『ロー対ウェイド判決』を目標にしてきた」と話す。そのうえで「メキシコ側で(中絶を望む)米国の女性を助けることになるとは思わなかった」と驚く。

中絶を希望する女性を支援するメキシコの団体「ラス・リブレス」を創設したベロニカ・クルス氏

クルス氏が団体を立ち上げた00年当時、メキシコの多くの州では中絶が禁じられており、最大で8年間の禁錮刑を受けるケースもあった。メキシコの法律には抵触するが、性的暴力を受けた結果、中絶を望むメキシコの女性に経口中絶薬を無料で提供してきた。

米国の北の隣国、カナダでは、カリーナ・グールド家族・子ども・社会開発相が5月上旬、地元メディアに対し、米国人がカナダで中絶手術を受けられると語った。カナダの最高裁は1988年、中絶が犯罪だと定める法律は違憲だと判断した。理由や妊娠の段階を問わず、中絶は合法化されている。2010年代には保険適用となる薬が増え、中絶を受けやすい環境になってきた。

米国に近い南米諸国でも中絶を巡る規制は緩和され始めた。コロンビアの憲法裁判所は2月、妊娠24週目までの中絶を合法化する判決を下した。アルゼンチンでも21年1月、妊娠14週目までの中絶が合法になった。ウルグアイでも中絶は認められている。

米国では5月上旬、最高裁が1973年に下したロー対ウェイド判決を覆す判断の草稿が流出し、メディアが報道した。中絶を巡る問題に詳しい米ミネソタ大のクリスティナ・イーウィッグ教授は、実際に判決が覆った場合は「米国がほかの国に対し、女性の権利について提案するのは難しくなるだろう」と指摘する。

背景には9人の判事のうち6人が保守派という米最高裁の構成がある。中絶が象徴する女性の権利の問題は中間選挙の争点の一つになり、保守とリベラルの間で論争が熱を帯びている。

イエレン米財務長官は草稿流出後の5月上旬、女性が中絶の権利を失えば「経済に大きな打撃を与えかねない」と上院で発言。女性が仕事と家庭のバランスをうまくとれなくなる事態に懸念を示した。』

日米韓、安保協力立て直し 北朝鮮の核・ミサイル警戒

日米韓、安保協力立て直し 北朝鮮の核・ミサイル警戒
バイデン氏、拉致被害者家族とも面会
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA220W10S2A520C2000000/

 ※ 日韓関係は、「賽の河原の石積み」だ…。

 ※ 何回積もうが、「鬼が、壊しに来る」…。

 ※ 「構造」から発していて、その「構造」に変化が無い以上、これが「変わる」ということは無い…。

 ※ そういうことを、重々、承知の上で、「二国関係」を構築・おつき合いしていく必要がある…。

『岸田文雄首相とバイデン米大統領は23日の会談で、北朝鮮の核・ミサイル開発への対応が喫緊の課題との認識で一致した。バイデン氏は厳しさを増す東アジアの安全保障環境を踏まえ日韓の関係構築を促した。日米韓3カ国の協力関係の立て直しを目指す。

北朝鮮による拉致被害者家族と面会するバイデン米大統領(手前左)=23日午後、東京・元赤坂の迎賓館(内閣広報室提供)

バイデン氏は会談後、東京・元赤坂の迎賓館で北朝鮮による拉致被害者の家族らと面会した。トランプ前大統領も在任中に2度、拉致被害者の家族らと面会していた。

首相は共同記者会見で「北朝鮮の核・ミサイル問題に深刻な懸念を共有し、日米、日米韓で一層緊密に連携すると確認した」と述べた。バイデン氏は「安保で緊密に連携したい。北朝鮮の脅威を抑止する意味でも重要だ」と強調した。

共同声明には「日米韓の関係と協力の重要性を強調した」と記した。拉致問題に関しては「即時解決への米国のコミットメント(関与)を確認した」と盛り込んだ。

北朝鮮への対処を巡る話し合いは、これまでも日米首脳間で重視してきた。バイデン氏が拉致被害者家族らと面会したのも北朝鮮を巡る問題への高い関心を示すためだ。

バイデン氏は日本の前に韓国を訪れ、10日に就任したばかりの尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領と会談した。日本との関係改善を訴え「北朝鮮の課題に対応し、日米韓協力の重要性を強調する」と明記した共同声明をまとめた。

バイデン氏は韓国での記者会見でも「経済的にも軍事的にも、非常に緊密な3カ国関係が決定的に重要だ」と語った。トランプ、文在寅(ムン・ジェイン)両前政権で縮小した米韓合同軍事演習の範囲や規模の拡大へ協議を開始すると合意した。

韓国は日米が主導する「自由で開かれたインド太平洋」にも賛同する姿勢を示している。対北朝鮮にとどまらず中国を意識した役割拡大の期待もある。 

日米韓は6月にシンガポールで開くアジア安保会議(シャングリラ会合)にあわせた防衛相会談を計画する。およそ2年半ぶりの対面になる。

新型の大陸間弾道ミサイル(ICBM)「火星砲17」型の発射実験(3月)=朝鮮通信

今回はバイデン氏の日韓訪問にあわせて北朝鮮が大陸間弾道ミサイル(ICBM)の発射や核実験に踏み切るとの分析があり、警戒していた。

北朝鮮は今年すでに15回のミサイル発射を実行した。米本土を射程に入れるICBMへの核弾頭の搭載が実現しそうだとの推測もある。

ロシアのウクライナ侵攻で世界の安保環境は流動的になっている。北朝鮮が挑発を強めれば日米は中国への対処に専念できない恐れがある。抑止力と対処力の強化には韓国との連携は欠かせず、米国は日韓関係の改善を求めてきた。

北朝鮮のミサイルは韓国が発射地点に近く、日本が落下地点に近い。互いに同盟関係にある米国の早期警戒衛星などを使って探知にあたる。軍事情報包括保護協定(GSOMIA)を通じて機密の融通をしている。

文前政権下の日韓関係は国交正常化以降で最悪とされた。元徴用工や慰安婦問題で韓国が合意をほごにしたためだ。防衛当局間でも韓国軍による自衛隊機へのレーダー照射などがあり、連携は滞ったままだ。

尹氏は大統領就任後に「日韓関係を重視しており関係改善に向けて共に協力したい」と語り、早期の首脳会談に意欲を示している。

バイデン米大統領来日 https://www.nikkei.com/theme/?dw=22051800&n_cid=DSREA_bidenjp 』

APEC貿易相会合、議長声明 ロシア言及せず

APEC貿易相会合、議長声明 ロシア言及せず
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGS23CS30T20C22A5000000/

 ※ ロシアが参加している、「国際会議」「国際組織」は、難しい「扱い」となるだろうな…。

 ※ 中国と尖閣や、東シナ海のガス田問題を抱え、ロシアとは北方領土問題を抱える日本国と比べると、「ウクライナ侵攻問題」の切迫感が、違うのは当然の話しだ…。

『【バンコク=井上航介】タイ・バンコクで21~22日まで開かれていたアジア太平洋経済協力会議(APEC)の貿易相会合は議長声明を23日までに公表した。新型コロナウイルス後の経済回復など協議の目的の確認にとどめ、ロシアのウクライナ侵攻についての記述はなかった。

今回の貿易相会合はロシアをめぐる対応で各国・地域で意見の隔たりが最後まで埋まらず、全会一致で決める共同声明を断念していた。代わりに公表した議長声明では「APEC地域での予防接種証明書の相互運用という原則を歓迎する」としてコロナ後の往来再開や自由貿易促進に向けた取り組みの必要性を確認するにとどめた。

会合は日米など5カ国がロシア閣僚の発言中に退席し、抗議の意を示した。共同声明案にロシアを非難する文言を盛り込むよう求めたが、ロシアなどが反対していた。』

バイデン外交「ASEAN重視」の本気度試す秋の陣編集委員 高橋徹

バイデン外交「ASEAN重視」の本気度試す秋の陣
編集委員 高橋徹
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD223BR0S2A520C2000000/

 ※ トランプ政権が、そうまで「対アセアン外交」をないがしろにしたとは、知らんかった…。

 ※ まあ、香港統制強化とか、BLM関連の暴動とか、対応に追われて、手を回している余裕が無かったという側面も、あるんだろう…。

 ※ 今は、やっと、それの「修復段階」という感じなんだろう…。

 ※ IPEFとかは、その「修復」が済んだ後の、話しなんだろう…。

『ソウルから東京へ転戦し、きょうの「Quad(クアッド)」首脳会議に参加する。

バイデン米大統領初のアジア歴訪は、短い旅程に日韓やインド、オーストラリアとの首脳会議をぎゅっと詰め込んだ。

中国やロシアの覇権主義に対抗し、米国主導でアジア秩序の再構築を試みる対面外交が本格化しているが、そのプロローグが、直前の12~13日に開いた東南アジア諸国連合(ASEAN)との特別首脳会議だった。

オバマ政権以来、6年ぶり2度目だった米国へのASEAN首脳の招請は、初めて首都ワシントンを舞台に設定した。

ハリス副大統領やブリンケン国務長官、オースティン国防長官、ペロシ下院議長らを総動員し、手厚いもてなしが印象的だった。

オバマ元大統領は「アジア・リバランス」を掲げてASEANに接近した(16年2月、カリフォルニア州での初の特別首脳会議)=ロイター

国軍支配のミャンマー、大統領選後の政権移行期のフィリピンを除き、はせ参じた8カ国の首脳は自尊心を満たされたことだろう。

米国は1億5000万ドル(約190億円)の支援を表明し、2017年から空席だった駐ジャカルタのASEAN大使を指名した。

また双方の関係を「包括的戦略パートナーシップ」に格上げすることにも合意した。

「ASEANは私の政権の戦略の心臓部。今後50年の歴史の大部分は米ASEAN関係によって記される」。バイデン氏はこう言い切った。

今回の特別首脳会議を、アジア側はどう受け止めたのか。

「米ASEAN関係は過去6年間のような〝自動運転〟モードではなくなりそうだ」とバイデン政権の関与を高く評価するのはタイのチュラロンコン大シニアフェロー、ガヴィ・チョンキタウォーン氏だ。

一方、ジャカルタ・ポスト紙のシニアエディター、エンディ・バユニ氏は「ASEANと米国はインド太平洋(の枠組み)については同じ考えを持つが、必ずしも同じ船に乗っているわけではない」と中国排除の姿勢に疑問を投げかけた。

政権を挙げて熱烈歓迎したものの、バイデン氏とASEAN各首脳の個別会談はなかった。

新たに拠出する資金も、昨年11月に習近平(シー・ジンピン)国家主席が出席し、やはりASEANと特別首脳会議を開いた際に中国が約束した15億ドルの10分の1にとどまった。

「首脳会議はうまくいった。だが米国は東南アジアでの影響力を中国に奪われ続ける。『まあまあの結果』は、米国に先んじる中国のスピードの速さを、米国が過小評価していることを示している」。豪ローウィー研究所のリサーチフェロー、スザンナ・パットン氏のこんな論評が、おおよその最大公約数といえるだろう。

可もなく不可もなく、ではあったにせよ、ここに至るまでの米ASEAN関係の曲折からすれば、確かな前進だと考えていい。

17年11月、トランプ前大統領は東アジア首脳会議に参加せず、マニラから帰国の途に就いた=ロイター

東西冷戦の終結後、「反共の砦(とりで)」だったASEANへの関心が薄れた米国だったが、「アジア・リバランス(再均衡)」を掲げたオバマ政権下で、両者は再び接近した。

米国は11年、ASEAN主導の東アジア首脳会議へ正式に参加した。16年2月には初めてASEAN側を米国に招き、カリフォルニア州の保養地サニーランドで第1回の特別首脳会議を開催した。

ところが17年1月に発足したトランプ政権は、一転して両者の関係を冷え込ませた。トランプ氏の在任中、ASEANとの首脳会議への出席は、同年11月のマニラ会合の1度きり。このときもクライマックスの東アジア首脳会議を待たずに帰国の途に就いた。

極めつきが19年11月のバンコク会合だ。大統領特使として派遣したのは副大統領でも国務長官でもなく、オブライエン大統領補佐官。

これまで16回を数える東アジア首脳会議で、外相より格下の出席者は、後にも先にもこの年の米国しかない。「オブライエン・ショック」に抗議するため、このときの米国との「首脳会議」に、ASEAN側は10カ国中7カ国が出席者を外相にとどめる異例の対応をとった。
慌てたトランプ政権は、翌20年3月にASEANを招いて特別首脳会議を催すと表明した。

リカバリーショットはしかし、開催地にネバダ州の娯楽都市ラスベガスを指定し、ASEAN側の不興を買った。

結局、新型コロナウイルスの感染拡大で中止に追い込まれたが、その際もオンラインでの開催や代替日程の持ちかけはなかった。

トランプ前大統領は19年の東アジア首脳会議にオブライエン米大統領補佐官(当時、左端)を名代として送り、ASEANから不興を買った=ロイター

21年1月に就任したバイデン大統領は、オンライン開催だった10月のASEAN関連の首脳会議にフル参加したうえで、年明けに対面での特別首脳会議を提案した。ところがASEANとの調整が不十分なまま、米側が3月28~29日という開催日程を一方的に発表する失態を演じ、またも延期の憂き目にあってしまう。

ロシアのウクライナ侵攻への対応に忙殺されるなか、それでも1カ月半ほどで代替の日程をひねり出し、ようやく実現にこぎ着けた。合意案件の貧弱さは別にしても、関係再強化への意欲だけは、ASEAN側に伝わったはずだ。

米外交の迷走を振り返るとき、最前線に立つ国務省や国防総省がASEANを軽視したエピソードはほとんど見当たらない。トランプ外交を反面教師と考えるなら、最大の教訓は、やはり「顔の見えるトップ外交」の重要性ではないか。米上院の外交委員長や副大統領を歴任してきたバイデン氏は、そのことを誰よりも理解しているはずだ。

その意味で次の試金石は、半年後の11月に来る。11~13日にカンボジアでASEAN関連、15~16日にインドネシアでG20(20カ国・地域)、18~19日はタイでアジア太平洋経済協力会議(APEC)の首脳会議が開かれる。すべてにバイデン氏が参加するなら、ホワイトハウスを約10日間も留守にし、東南アジアにとどまらざるを得ない。20日にちょうど80歳の誕生日を迎える高齢の同氏でなくとも、米大統領として異例となる。

論理的に考えれば、バイデン氏は出席せざるを得ないだろう。ASEANとの会議は、合意済みの包括的戦略パートナーシップに署名する場となる。APECは米国が自ら名乗りを上げて誘致した、来年の議長国だ。G20議長国のインドネシアは、米国の助言を受け入れ、すでにウクライナのゼレンスキー大統領を招くことを表明している。

今回の米ASEAN首脳会議は、米国がASEANを厚遇したが、秋には立場が逆転する。ある外交筋によれば、ASEANには「域外国との公式な首脳会議は年1回にとどめる」という不文律があるからだ。

13年に友好協力40周年を迎えた日本や、16年の米国とは、特別会合と合わせて2回の公式首脳会議を開催した。ただこれらはあくまで例外だ。18年に豪州やインドと特別首脳会議を開いた際は、秋の定例首脳会議をあえて「非公式の朝食会」と位置づけた。昨年は中国と首脳会議を2度開いたものの、いずれもオンラインだった。

東アジア首脳会議の域外メンバーは、米中ロや日韓、インドなど8カ国に増えた。しかも米中を筆頭に、域外国間の対立がむき出しになるなかで、「年1度の首脳会議」の原則には、何とか中立を保とうとするASEANの苦心がにじむ。もし11月の米国との首脳会議を今年2度目の公式会合として受け入れ、不文律を脇に置くとすれば、それは米のアジア回帰の機を逃すまいとする、ASEAN側からのラブコールといえるだろう。

23日にバイデン氏が東京で始動を表明した米主導の新経済圏構想「インド太平洋経済枠組み(IPEF)」の創設メンバーにも、ASEANからは大方の予想を上回る7カ国が名を連ねた。米市場開放という「アメ」がない分、米から逆に市場開放を迫られる「ムチ」の心配もない、という現実的な損得勘定はあるだろうが、構想の実効性はさておき、米国の呼びかけにひとまず応えておこうという判断が透けてみえる。

不確定要素があるとすれば、バイデン氏の東南アジア訪問の直前、11月8日に行われる米中間選挙だ。苦戦が予想される民主党が、議会の多数派を共和党に明け渡す事態に陥れば、政権の求心力は一気に低下し、次期大統領選でバイデン氏自身を含む民主党候補の勝利にも黄信号がともる。超大国のリーダーとして名実とも指導力を手にしたまま、東南アジアの地に降り立てるか。ASEAN側も冷徹に見極めようとするはずだ。

=随時掲載

高橋徹(たかはし・とおる) 1992年日本経済新聞社入社。自動車や通信、ゼネコン・不動産、エネルギー、商社、電機などの産業取材を担当した後、2010年から15年はバンコク支局長、19年から22年3月まではアジア総局長としてタイに計8年間駐在した。論説委員を兼務している。著書「タイ 混迷からの脱出」で16年度の大平正芳記念特別賞受賞。

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伊藤さゆり
ニッセイ基礎研究所 経済研究部 研究理事
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別の視点

G20とAPECはロシアを含む枠組みでもある。

プーチン大統領の参加、西側の対応なども、焦点となりそうだ。

21日、APEC貿易相会合では日米加豪NZの5か国が、ロシアの発言時に一時退席、ロシア批判決議の文言をめぐって見解が一致せず、共同声明の採択も見送られた。

ASEANも一枚岩ではないが、G20やAPECが、ロシアと西側の対立の舞台となり、停滞することは、望んでいないだろう。

2022年5月24日 13:02 』

日米豪印「力による現状変更許さず」 岸田首相記者会見ウクライナ侵攻、4カ国で懸念表明

日米豪印「力による現状変更許さず」 岸田首相記者会見
ウクライナ侵攻、4カ国で懸念表明
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA23C3O0T20C22A5000000/

 ※ 『「日米豪印は自由で開かれたインド太平洋の実現に向けて様々な分野で実践的な協力を進めるための議論の場で、特定の国を対象としたものではない」と答えた。』…。
 ※ 『「立場の違いがあっても一致することができた。世界に一致したメッセージを発することができた意味は大変大きい」と述べた。』…。

 ※ 結局、「議論して」「メッセージを発する」だけの話しのようだ…。

 ※ 会見場も、「旗立ってるだけ…。」のようだしな…。

 ※ まあ、この「4か国」が顔を合わせて、「何事かを、話し合っている」ということが、なにがしの「圧力」になるということを、期待しているんだろう…。

 ※ インドも参加している…、という「形態」こそが、重要なんだろう…。

『岸田文雄首相は24日午後、記者会見した。

同日に開いた日本、米国、オーストラリア、インド4カ国の枠組み「Quad(クアッド)」の首脳会議を受け、議長国として成果などを説明した。

「力による一方的な現状変更はいかなる地域でも許してはならないと確認した」と語った。
「自由で開かれたインド太平洋」

特にインド太平洋地域で力による一方的な現状変更を許してはならないことを世界に発信できたと強調した。「4カ国の首脳が一致して世界に発信できたことは大きな意義があった」と訴えた。

「東・南シナ海での一方的な現状変更の試みへの深刻な懸念やミャンマー情勢への対応などインド太平洋地域の情勢についても議論した」と述べた。

「日米豪印は自由で開かれたインド太平洋に向けた幅広い実践的な協力を進める」と語った。

「インド太平洋地域で今後5年間で500億ドル以上のさらなる支援、投資をめざす」と表明した。

中国への対応を巡る連携の具体策を問われ「日米豪印は自由で開かれたインド太平洋の実現に向けて様々な分野で実践的な協力を進めるための議論の場で、特定の国を対象としたものではない」と答えた。

ウクライナ情勢

日米豪印4カ国の首脳でウクライナ侵攻を巡り「懸念を表明する」と確かめたと明かした。

「法の支配や主権及び領土一体性などの諸原則はいかなる地域でも守らなければならないことを確認した」と強調した。

「基本的な認識としてウクライナ情勢を巡りインドを含む4カ国の首脳で法の支配や、主権や領土の一体性などの諸原則の重要性を確認できた」と訴えた。

「立場の違いがあっても一致することができた。世界に一致したメッセージを発することができた意味は大変大きい」と述べた。インドがロシアと伝統的な友好関係を保ってきたことを念頭においた。

地域諸国との協力

首相は「地域の自然災害を効果的に支援するための4カ国の連携を強化するパートナーシップに合意した」と語った。

4カ国が保有する衛星情報を地域諸国と共有する取り組みを立ち上げたと明かした。防災や気候変動対策、海洋資源の持続的な開発などに活用できると説明した。

海洋状況の把握に向け、地域の情報共有を促進する枠組みの設置を歓迎したと明らかにした。債務問題に直面する途上国を支援すると確かめたとも表明した。

北朝鮮問題

4首脳は北朝鮮の完全な非核化に向けた連携で一致した。首相は北朝鮮でのコロナの感染拡大について「地理的空白をつくらないことについても議論した」と語った。北朝鮮による拉致問題の即時解決の必要性でも足並みをそろえた。

IPEF

インド太平洋経済枠組み(IPEF)の意義に関し「米国やインドが参加しているのが大きなポイントだ」と言及した。IPEFにより「インド太平洋地域の持続可能で包摂的な経済成長を実現する道を探っていきたい」とも述べた。

米国の環太平洋経済連携協定(TPP)への参加は引き続き求める考えを示した。

日本のAUKUS参加の可能性

米英豪の安全保障枠組み「AUKUS(オーカス)」への参加の可能性を問われ「入ることは考えていない」と否定した。「インド太平洋地域の平和と安定に資するものであり日本としては取り組みを支持する」と説いた。

「安全保障、防衛分野での重要なパートナーである豪州、米国、英国との間で様々な形で連携を強化していく取り組みはこれからもしっかり続けていきたい」と力説した。

太平洋島しょ国

「豪州との間では太平洋島しょ国との関係も議論になった」と明かした。太平洋島しょ国に関し「自由で開かれたインド太平洋を実現する上で大変重要なパートナーだ」と表現した。

「豪州をはじめ、米国、ニュージーランドといった同盟国・同志国と連携し、安全保障の分野を含め、太平洋島しょ国との協力についても、力強く進めたい」と語った。

日豪協力

「日豪は基本的な価値と戦略的利益を共有する特別な戦略的なパートナーだ。自由で開かれたインド太平洋の実現に向けて日豪間の安全保障、防衛協力を進めていくことは極めて重要だ」と指摘した。

豪州のアルバニージー首相との2国間会談を予定していると明かした。岸田首相は「安保、防衛分野を含めて日豪関係の一層の深化を確認したい」と話した。

2023年の首脳会議

アルバニージー氏から来年のクアッドの首脳会議を豪州で開催するという提案があったと説明した。

Twitterで最新情報を発信 https://twitter.com/nikkeiseijibu/?n_cid=MCH998 』

東京都、在京イスラム外交団と連絡会 国際連携を強化

東京都、在京イスラム外交団と連絡会 国際連携を強化
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCC245OG0U2A520C2000000/

 ※ これも、よく分からない動きだ…。

 ※ この情勢で、にわかに「イスラム世界、中東」との連携を強化すると言う…。

 ※ インドネシア、マレーシア辺りの「インバウンド」狙いなのか…。

 ※ まあ、もともと、この人は「カイロ大卒(経歴詐称疑惑は、あるようだが)」ということで、中東とは縁が深いらしい…。UAEへも、弔問で行ったしな…。

 ※ それにしても、背景がよく分からん…。

『東京都は24日、在京イスラム諸国・地域の外交団との連携強化を目指す情報連絡会を開いた。小池百合子知事が実施したアラブ首長国連邦(UAE)への訪問や東京五輪・パラリンピック、都が進める脱炭素化や先進的な取り組みなどを紹介し、異文化理解や東京都と中東との連携の強化につなげる。

24日午後、都庁内で情報連絡会を開いた。27カ国・地域の関係者が出席し、小池氏が冒頭で「インバウンド(訪日外国人)の回復を期待してイスラムと関係の深い方々を迎える取り組みを継続する。快適な滞在に向け理解を深める」とあいさつ。都が進めている施策の説明や意見交換などを実施した後、東京ならではの伝統工芸品の展示や書道体験などを通じた文化を披露した。』

米、キーウの大使館警護に部隊派遣も 当局検討と報道

米、キーウの大使館警護に部隊派遣も 当局検討と報道
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB230X90T20C22A5000000/

『【ワシントン=共同】米紙ウォール・ストリート・ジャーナルは22日、今月中旬に業務を再開したウクライナの首都キーウ(キエフ)の米大使館警護のため、数十人規模の米軍特殊部隊を現地に派遣する案が米政府内で検討されていると報じた。ただウクライナ領内への米軍派遣はロシアを刺激するとして慎重意見も出ているという。複数の米当局者の話として伝えた。

同紙によると、特殊部隊派遣案は国防総省と国務省内で検討。バイデン大統領は「米軍をウクライナに派遣することはない」と繰り返し表明しており、バイデン氏やオースティン国防長官らにはまだ報告されていないという。

今月8日にカビーン代理大使(当時)がキーウの米大使館に一時戻った際も米軍特殊部隊が警護で同行、侵攻後に米軍部隊がウクライナに入った初のケースとみられるという。世界各地の米大使館の警備と同様に海兵隊部隊を派遣する案も話し合われている。

ウクライナ東部での戦闘が長期化すれば、米政府はウクライナへの膨大な武器提供を適切に実施するため、現地に駐在する米当局者の規模拡大も視野に入れているといい、米軍による警備の必要性も高まる可能性がある。米軍内では、ウクライナ軍への訓練実施などのためにも特殊部隊の派遣を求める声が上がっているという。』

プーチン政権、大義なきドンバス侵略

プーチン政権、大義なきドンバス侵略
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD231TK0T20C22A5000000/

 ※ この記事読んでも、「何が、やりたいのか」、さっぱり分からんな…。

 ※ 政権転覆は、失敗…。資源支配も、違うと言う…。ロシア系住民の救済も、噓くさい…。

 ※ それじゃ、結局何なんだ…。

 ※ 戦争が長期化し、泥沼化して、ロシアの国益に、どんな「利」があると言うんだ…。

『ウクライナに軍事侵攻したロシアは、当初の制圧目標を修正しているが、なお東部ドンバス地方の全域支配をめざしている。なぜドンバスにこだわるのか。

ドンバスとは通常、ドネツクとルガンスクの2州を指す。世界有数の炭田であるドネツ炭田の略称だ。この地域では帝政ロシア末期から炭鉱開発が本格化。ソ連時代はウクライナに編入され、炭鉱業、製鉄、冶金など重工業の中心地となった。ロシアからの移住者も多く、ロシア系住民の比率は約4割に上る。

ただロシアのドンバス侵略は資源が狙いではない。プーチン大統領は2月、侵攻直前のテレビ演説で「8年間、ウクライナ政権の嘲りとジェノサイド(大量虐殺)に遭ってきた」ロシア系住民の擁護が目的と語った。

ドンバスでは8年前の2014年、ロシアが扇動したとされるロシア系住民の暴動が発生。ウクライナ軍と親ロ派武装勢力の泥沼の戦闘となり、ロシアも軍事介入した。ドイツ、フランスが仲介した和平合意(ミンスク合意)締結後も、散発的な戦闘が続いた。犠牲者の総数は1万4000人を超える。

ミンスク合意はドンバスに高度の自治権を付与すると定めたが、ウクライナ政府は履行していない。一方、国際機関はロシアが主張するロシア系住民へのジェノサイドを認めていない。米国務省は「侵攻の口実づくり」のデマ情報と断じる。

プーチン氏のウクライナへの恨みはドンバスより、親ロ派のヤヌコビッチ政権が倒された14年の政変が根底にあるようだ。

ロシアはその直前、同政権に多額の経済支援を約束。欧州連合(EU)との連合協定の締結を事実上、断念させた。だが市民らの反政府デモが激化し、ヤヌコビッチ氏は逃亡。親米欧のポロシェンコ政権が誕生した。今のゼレンスキー政権も米欧寄りだ。ウクライナの自陣への引き入れに失敗したプーチン氏は、いまだに「非合法クーデター」と非難している。

当時、プーチン政権が腹いせに進めたのが、クリミア半島の併合とドンバス騒乱だった。政権内ではドンバス併合論も浮上したが、ロシア系住民の比率はクリミア(約6割)より低い。クリミアはソ連時代、最高指導者フルシチョフの独断でロシアからウクライナ領に変更された。ドンバスは併合の根拠も乏しく、併合構想は立ち消えになった。

ロシアは今回の侵攻当初、首都キーウ(キエフ)陥落を重視した。ゼレンスキー政権を倒し、かいらい政権樹立を画策していたという。ドンバスは二の次だったようだ。

結局、政権転覆の試みは失敗した。プーチン政権は当面、ドンバスで「大義なき侵略」を続けるとみられる。(編集委員 池田元博)』

バイデン氏「核の傘」で抑止 首相「閣僚間で協議」

バイデン氏「核の傘」で抑止 首相「閣僚間で協議」
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN2320S0T20C22A5000000/

『日米両政府は23日、日本が核使用の脅威を受ければ米国が核を含む抑止力を行使すると確認した。米国の「核の傘」による「拡大抑止」で日本を防衛すると前面に打ち出した。岸田文雄首相は同日の記者会見で「閣僚レベルも含め日米で一層緊密な意思疎通で一致した」と述べた。

会談後に発表した共同声明で「バイデン米大統領は核を含むあらゆる種類の能力で裏付けられた日本の防衛に対する米国の関与を改めて表明した」と記した。ロシアのウクライナ侵攻を止められなかった米国の抑止力低下が中国や北朝鮮の行動に波及しかねないと懸念する日本が確約を促した。

両首脳が抑止力の強化を申し合わせたのは日本にくすぶる「核の傘」を巡る不安を払拭するためだ。2月24日に始まったロシアによるウクライナ侵攻を受け、核保有国であるロシアを思いとどまらせることができずに米国の抑止力に不安が出ていた。

ウクライナでの米国の行動を踏まえ、核戦力を増強する中国や北朝鮮が日本周辺を含むインド太平洋地域で一方的な現状変更を試みる行動に出かねないからだ。共同声明には「米国の拡大抑止が信頼でき、強靱(きょうじん)であり続けることを確保する重要性を確認した」と盛った。

ウクライナ侵攻は核兵器の使用条件を厳しくする構想の採用を探ったバイデン政権に抑止力を維持するのが適切だとの現実的な対応を迫った。米国防総省が3月下旬に公表した核政策の指針「核体制の見直し(NPR)」の概要で、従来方針を踏襲した。

核兵器の役割を「米国や同盟国・有志国への核攻撃の抑止」と位置づけ、「極限の状況においてのみ核使用を検討する」と記した。核兵器に限らず、大規模な通常兵器による攻撃などへの反撃に使う選択肢を残した。

日米の抑止力・対処力強化のもうひとつの柱になったのが戦略文書の擦り合わせだ。共同声明で「日米で共に戦略を整合させ、目標を優先付ける」とうたった。日米は外交・安保で最も上位文書にあたる国家安保戦略を年内に改定する。

目標の優先度や防衛戦略、役割分担などを擦り合わせ有事に円滑に対応できるようにする狙いだ。自衛隊と米軍は韓国のように共通司令部を持たず、有事に機能するかは不安が残る。

岸田文雄首相は日本の役割の拡大にも一歩踏み出した。ミサイル発射前にたたく「敵基地攻撃能力」の検討状況を説明し、防衛力を抜本強化すると表明した。

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ロシア、外貨収入の強制売却義務を緩和 80%から50%に

ロシア、外貨収入の強制売却義務を緩和 80%から50%に
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR23DBW0T20C22A5000000/

『【ロンドン=篠崎健太】ロシア財務省は23日、外貨収入を自国通貨ルーブルに両替することを義務づける輸出企業向けのルールを緩和すると発表した。

これまでは輸出で得た外貨収入の80%を売却するよう求めていたが、対象額を50%に引き下げる。ルーブルは対主要通貨でウクライナ侵攻前を上回って大きく上昇しており、下支え策を緩めるべきだと判断した。

24日から実施する。財務省は声明で決定理由について「ルーブル相場の安定と、国内の外国為替市場で外貨の流動性を十分確保できたため」と説明した。

ロシアは2月末の大統領令で輸出企業に対し、外貨収入の80%を入金から3営業日以内にルーブルへ両替する義務を課した。ウクライナ侵攻後に急落したルーブルを下支えする狙いがあったとみられる。実際にエネルギー企業などの外貨売り・ルーブル買いを促し、ルーブル相場の回復につながっていた。』

侵攻3カ月、急伸するルーブル 制裁下で需給に偏り

侵攻3カ月、急伸するルーブル 制裁下で需給に偏り
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR23B5H0T20C22A5000000/

 ※ 『注目はルーブル高によるロシア財政への悪影響だ。エネルギー輸出での外貨収入に強く依存するロシアの歳入は、ルーブル高が進むほど目減りする構図にある。』…。

 ※ これは、「新しい視点」だ…。

 ※ トヨタが、「円高(=外貨安)」によって「為替差損を被る」というような図式だな…。

 ※ ルーブル高=ユーロ安、ドル安だから、当然か…。

 ※ 結局、「変動相場制」においては、極端な「自国通貨安」「自国通貨高」も好ましく無く、ほどほどの「中庸」が良い…、ということか…。

『【ロンドン=篠崎健太】ロシアのウクライナ侵攻開始から24日で丸3カ月を迎えた。ロシアの通貨ルーブルは当初こそ急落したが、3月半ばから切り返して侵攻前より大幅に高くなっている。資本規制や輸入減少が外貨の需要を抑える一方でエネルギー輸出は続き、通貨の需給が大きく偏っているためだ。ロシアにとってルーブル高は財政の圧迫要因で、当局は通貨防衛策の見直しを急ぎ始めた。

23日は本国市場のモスクワ取引所で1ドル=57ルーブル台と、侵攻直前より約4割高い水準で取引された。前週末20日には一時57ルーブル近辺と、対ドルで2018年3月以来ほぼ4年ぶりの水準に浮上した。対ユーロではさらに遡り、23日に15年6月以来となる1ユーロ=58ルーブル台前半まで急伸した。

足元の上昇要因として大きいとみられているのが、エネルギー輸出に伴う外貨売り・ルーブル買いだ。ロシア投資銀ズベルバンクCIBのユリ・ポポフ氏は「ロシアの輸出事業者がおそらく天然ガス販売で得たユーロを売っている」と解説する。鉱物採掘税の納付期限である25日を前にルーブルを手当てするための両替が進んでいるという。

ロシア政府は天然ガスの輸入者にルーブルでの支払いを義務づけた。国営ガスプロム傘下の銀行に外貨建てとルーブル建ての2つの口座を開かせ、顧客が送ったユーロやドルはロシア側でルーブルに両替されるという、ルーブル高につながる仕組みだ。ノワク副首相は19日、ガスプロムからガスを買う外国企業は54社あり、うち約半数が既にルーブル口座を開いたと明かした。

2月末には大統領令で、全ての輸出企業に外貨収入の8割を売ってルーブルに換えることを強制した。市民の外貨引き出しや外国送金を制限するなど、西側の経済制裁に対抗する様々な資本規制を敷いた。外貨買いを抑えつつ自国通貨買いを強引に促す通貨防衛策の一環とみられ、ルーブル高を演出してきた。

上昇の背景として輸入の陰りも見逃せない。欧米による工業製品や高級品などの対ロ輸出禁止や、多国籍企業の事業休止などで輸入は大きく縮んでいるとみられる。ロシア税関が1月分を最後に貿易統計の公表を止めているため細かな動きは追えないが、貿易収支が黒字超へ大きく傾いているのは確実だ。

ロシア中央銀行の推計では、所得収支など加えた経常収支の黒字額は1~4月に958億ドル(約12兆3千億円)と、前年同期の3.5倍に急増した。4月だけで約380億ドルの黒字を稼いだことになる。

金融・経済制裁は当初、通貨を暴落させることによる経済の困窮化も狙いとされた。英ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスのドミトリー・ムヒン助教(国際経済学)は「制裁の効果はルーブルの水準では測れない。ルーブル高で失敗とみるとのは誤りだ」と話す。

注目はルーブル高によるロシア財政への悪影響だ。エネルギー輸出での外貨収入に強く依存するロシアの歳入は、ルーブル高が進むほど目減りする構図にある。ムヒン氏によると、財政が均衡するルーブル相場は今の商品価格に基づくと1ドル=45ルーブル程度だ。「ロシア製品への需要減や国内景気の減速を考慮すると収支分岐点はこれよりルーブル安の方向である可能性が高い」という。

ロシア当局は4月以降、市民の外貨購入時に課す手数料を撤廃したり外貨引き出し額の上限を引き上げたりして、通貨防衛策を徐々に緩めている。5月23日には輸出企業に課す外貨収入の売却比率を80%から50%に緩和すると発表した。みずほ銀行欧州資金部の本多秀俊シニア為替ストラテジストは一連の見直しについて「これ以上の通貨高は望んでいないという意思表示だ」とみる。

空前の経済制裁で輸入や国外旅行に大きな制約を受けるロシア市民は、自国通貨高の恩恵を十分受けられない状況にある。ルーブルの上昇が輸入減も映しているとすれば、同国経済にとって明るい材料とは取れない。エネルギー輸出大国だからこその奇策が支えた意外な通貨高は、ロシアの孤立を逆説的に映している。

【関連記事】ロシア、外貨収入の強制売却義務を緩和 80%から50%に 』

ウクライナ軍事支援会合、20カ国が追加措置表明対艦ミサイル「ハープーン」など供与

ウクライナ軍事支援会合、20カ国が追加措置表明
対艦ミサイル「ハープーン」など供与
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN2403V0U2A520C2000000/

『【ワシントン=芦塚智子】オースティン米国防長官は23日の記者会見で、ロシアの侵攻を受けたウクライナに対し、20カ国が追加の軍事支援を表明したことを明らかにした。

ウクライナへの支援を協議するため47カ国の国防相らが参加した同日のオンライン国際会合で各国が発表した。デンマークはウクライナが求めていた対艦ミサイル「ハープーン」を提供するという。

オースティン氏によると、会合にはウクライナのレズニコフ国防相も出席し、戦況などを報告した。デンマークはウクライナの沿岸防衛のため、ハープーンの発射台やミサイルを提供する。ウクライナのゼレンスキー大統領は4月にポルトガル議会で演説した際にハープーンの供与を求めていた。このほか、イタリアやギリシャ、ノルウェー、ポーランドが大砲や弾薬を提供する。

オースティン氏は「我々の共同の努力は、ロシアによる将来の侵略を抑止するためのウクライナ軍の強化と近代化も助ける」と指摘した。ウクライナへの軍事支援を話し合う国際会合は2回目で、オースティン氏によると次回は6月15日に北大西洋条約機構(NATO)国防相会議にあわせて開催する。』

[FT]トルコ大統領、「存在認めず」とギリシャ首相を糾弾

[FT]トルコ大統領、「存在認めず」とギリシャ首相を糾弾
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB2437K0U2A520C2000000/

『トルコのエルドアン大統領は今後、隣国ギリシャのミツォタキス首相の存在を認めず、年内に予定していた首脳会談も中止すると語った。

北大西洋条約機構(NATO)の拡大に異議を唱えているトルコと他の加盟国との亀裂がさらに深まる恐れがある。

トルコのエルドアン大統領はテレビ放送された会見で「私の中ではもはやミツォタキスという人物は存在しない」と広言した=ロイター

ロシアのウクライナ侵攻を受けてフィンランドとスウェーデンがNATO加盟を申請したが、エルドアン氏はこれに待ったをかけている。

同氏は北欧両国がトルコの安全保障を脅かすクルド系武装勢力とのつながりを維持していると非難している。23日にはNATO加盟国のギリシャに怒りの矛先を向け、ギリシャも「テロリスト」をかくまっているとまくしたてた。

ギリシャのミツォタキス首相は先週、米国を訪問してバイデン米大統領と会談するとともに上下両院合同会議で演説し、東地中海に防衛装備品を供与する際はトルコによる(ギリシャへの)領空侵犯を考慮して判断を下すよう米議員に強く求めた。

エルドアン氏は閣議後にテレビ放送された会見で、これは米国製戦闘機「F16」をトルコに提供しないよう米議会に働きかけたも同然だと憤った。

エルドアン氏はバイデン氏に対し、老朽化した保有戦闘機に代わる新型機を売却するよう要請している。トルコはNATO機を撃墜するために開発されたロシアの最新鋭ミサイルを購入したため、最新鋭ステルス戦闘機「F35」プロジェクトから排除されている。

エルドアン氏は「(ミツォタキス氏との)会談では、両国の対立に第三国を巻き込まないことで合意していた。だが、ミツォタキス氏は米議会の演説でトルコを批判し、米国に『トルコにF16を供給するのはやめてほしい』とくぎを刺した」と糾弾した。「私の中ではもはやミツォタキスという人物は存在しない」

年内予定の首脳会談も中止

ギリシャのミツォタキス首相(手前)は17日、米上下両院合同会議で演説し、トルコに「F16」を売却しないよう遠回しに呼びかけた=ロイター

エルドアン氏は年内に予定したトルコとギリシャの「戦略会議」を取りやめる。この会議にあわせてギリシャ首相と会談する計画だった。エルドアン氏は「F16の売却については、米国はミツォタキス氏の発言に左右されず判断するだろう」とも語った。

トルコが20年、石油・天然ガス資源を探査するために国際的にはギリシャ領と認識されている地中海の海域に軍艦と地震探査船を派遣したのを受け、両国は軍事衝突寸前の状態に陥った。

だがその後、ミツォタキス氏が22年3月にイスタンブールを訪問するなど、両氏は関係修復に努めていた。

ギリシャ政府の広報官はエルドアン氏の非難に対し「我が国はトルコ大統領の発言に反論するつもりはない。多少のいざこざがあろうとも、ギリシャの外交政策は歴史と国際法、同盟関係に基づいている」と強調した。

エルドアン氏は過激派組織「イスラム国」(IS)の壊滅に向けて米国と協力するクルド人武装組織「クルド人民防衛隊(YPG)」を掃討するため、近くシリアで新たな越境軍事作戦に乗り出す可能性も示唆した。

トルコ軍はYPGを掃討するため、すでに3度にわたってシリアに侵攻しており、直近では19年に軍事作戦に踏み切った。トルコは当時、自国とシリア北部の国境沿いに「安全地帯」を設置しようとしたが、米軍の撤収で力の空白が生じ、その後YPGが支配していた地域にロシア軍が入ったため、目的を果たせなかった。トルコがシリアに侵攻すればIS掃討作戦を危険にさらすとしてNATOは自制を促したが、それを無視したトルコに対し、スウェーデンなど欧州各国は武器輸出を制限した。

エルドアン氏は「以前に着手したトルコ南部国境から30キロ圏の『安全地帯』の設置を完了するため、近く新たな措置を講じる」と述べ、26日に開く国家安全保障会議で最終判断を下す方針を明らかにした。「軍、情報当局、治安当局の準備が整い次第、状況をみながら作戦を開始する」

By Ayla Jean Yackley

(2022年5月24日付 英フィナンシャル・タイムズ電子版 https://www.ft.com/)

(c) The Financial Times Limited 2022. All Rights Reserved. The Nikkei Inc. is solely responsible for providing this translated content and The Financial Times Limited does not accept any liability for the accuracy or quality of the translation. 』

[FT]シリアと組んでも止まらぬトルコ軍のクルド攻撃(※ 過去の投稿)
https://http476386114.com/2019/10/16/ft%e3%82%b7%e3%83%aa%e3%82%a2%e3%81%a8%e7%b5%84%e3%82%93%e3%81%a7%e3%82%82%e6%ad%a2%e3%81%be%e3%82%89%e3%81%ac%e3%83%88%e3%83%ab%e3%82%b3%e8%bb%8d%e3%81%ae%e3%82%af%e3%83%ab%e3%83%89%e6%94%bb/ 

シリア「かりそめの停戦」に危うさ 中東に大きな傷痕(※ 過去の投稿)
https://http476386114.com/2022/05/18/%e3%82%b7%e3%83%aa%e3%82%a2%e3%80%8c%e3%81%8b%e3%82%8a%e3%81%9d%e3%82%81%e3%81%ae%e5%81%9c%e6%88%a6%e3%80%8d%e3%81%ab%e5%8d%b1%e3%81%86%e3%81%95%e3%80%80%e4%b8%ad%e6%9d%b1%e3%81%ab%e5%a4%a7%e3%81%8d/

「政治問題化に反対」中国外相、国連人権弁務官にクギ

「政治問題化に反対」中国外相、国連人権弁務官にクギ
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM241EL0U2A520C2000000/

『【北京=羽田野主】中国の王毅(ワン・イー)国務委員兼外相は23日、広東省広州で訪中しているバチェレ国連人権高等弁務官と会談した。

王氏は「相互尊重を堅持し、人権を政治問題化すべきではない」と述べた。中国・新疆ウイグル自治区の経済発展の状況を考慮したうえで人権問題を視察すべきだと伝えた。

中国外務省が24日までに発表した。バチェレ国連人権高等弁務官は28日までの6日間の訪中期間に、中国当局による少数民族ウイグル族への人権侵害が懸念されている新疆ウイグル自治区を訪問する計画だ。人権高等弁務官の訪中は2005年以来約17年ぶりとなる。

王氏は「多国間の人権機構は分裂と対抗の新たな戦場ではなく、協力と対話の大きな舞台にならなければならない」と主張した。中国側は米欧が人権問題で再び中国に「内政干渉」を強めようとしていると警戒を強めている。

中国外務省によると、バチェレ氏の訪問日程は外部との接触を禁じる「バブル方式」を採用し、記者団の同行はない。バチェレ氏は28日に記者会見をする見通し。』

バイデン氏、台湾政策の変更否定 米の防衛関与明言巡り

バイデン氏、台湾政策の変更否定 米の防衛関与明言巡り
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN244OC0U2A520C2000000/

『バイデン米大統領は24日、米国の台湾政策について「方針は全く変わっていない」と述べた。首相官邸で記者団から台湾防衛をあいまいにしてきた歴代政権の政策を転換したのかと問われ「違う(No)」と答えた。ロイター通信が伝えた。

【関連記事】
・バイデン氏、台湾防衛関与明言 米「曖昧戦略」修正か
・米国防長官「台湾政策に変更なし」 バイデン氏発言巡り

来日中のバイデン氏は23日、岸田文雄首相との共同記者会見で、中国が台湾に侵攻すれば軍事的に関与すると明言した。台湾への軍事威嚇を続ける中国への強い警戒感がにじむが、発言は米国の台湾政策の修正と受け止められかねない。

米国ではオースティン国防長官が23日の記者会見で「政策に変更はない」と強調した。バイデン氏も自ら政策転換を否定することで、一定の火消しを図った格好だ。

米国は中国が軍事力を使って台湾侵攻に動いた場合の対応を明確にしない「戦略的あいまいさ」を維持してきた。台湾関係法では米国が台湾の自衛力強化を支援すると定め、武器輸出を継続する。中国抑止とともに、台湾の一方的な独立も認めない現状維持が地域の安定に寄与するとの判断がある。

米国は「中国本土と台湾は不可分」という中国の立場に異を唱えない一方、台湾の安全保障に関与する「一つの中国」政策を掲げる。バイデン氏は23日「我々の台湾政策は全く変わっていない」とも語っていた。』

ハノーヴァー朝

ハノーヴァー朝
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%BC%E6%9C%9D

『この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。

出典検索?: “ハノーヴァー朝” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2018年8月)

ハノーファー王家の紋章。イギリス国王の紋章を地にハノーファー国王の紋章が乗せられている。

ハノーヴァー朝(ハノーヴァーちょう、英語:Hanoverian Dynasty)は、1714年から1901年まで続いたイギリスの王朝。

ステュアート朝の断絶を受けて、ドイツ北部の領邦君主の家系であったハノーヴァー家からジョージ1世を国王に迎え入れて成立した。』

『概要

ハノーヴァー家(House of Hanover [ˈhænoʊvər, ˈhænəvər]、ドイツ語ではハノーファー家)は、ドイツのヴェルフ家(ブラウンシュヴァイク=リューネブルク家)の流れを汲む神聖ローマ帝国の諸侯の家系で、ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公領の分邦の一つカレンベルク侯領(1692年からハノーファー選帝侯領)の君主の家系であった。

ステュアート家の血筋を引いていたことからイギリスの王家(上記ハノーヴァー朝)となり、ハノーファー選帝侯領(1814年からハノーファー王国)とイギリスの君主を兼ねる同君連合体制をとった。

1837年、女王ヴィクトリアの即位によりサリカ法(女王の即位を認めない)を採るハノーファー王国との同君連合を解消した。

1901年のヴィクトリアの崩御後は、夫(王配)であったアルバートの家名を取って、サクス=コバーグ=ゴータ朝と称される。

その後、第一次世界大戦中に、ジョージ5世が敵国ドイツ帝国の領邦の名が冠されている家名を避け、1917年に王宮の所在地ウィンザーにちなみウィンザー家と家名を改称した。
これらは別項で扱うが、ヴィクトリア女王で血統が断絶したわけでないため、ハノーヴァー朝の継続と見なされることがある。

なお、初代(ジョージ1世)から4代(ジョージ4世)まで、連続して4人の「ジョージ」(ゲオルク)という名の王が在位していたことから、この時期を特にジョージ王朝(時代)と称することがあり、文化史ではこの時期を中心とした「ジョージアン時代」という区分もある。

歴史

イングランド王兼スコットランド王であるウィリアム3世が1694年に妻のメアリー2世女王と死別した際、2人の間には嗣子がなかった。

そこでメアリーの妹アン(ウィリアム3世の死後に女王となる)とその夫ジョージの子が王位を継ぐことが期待されたものの、同時期にアンは流産と死産を繰り返し、産まれた子もことごとく夭折した。

そのため国王の最有力候補はアンの異母弟ジェームズ(老僭王)となったが、カトリック信徒であるジェームズの即位は忌避され、イングランド議会において1701年王位継承法が制定された。

この王位継承法によって、ジェームズ1世の外孫であるハノーファー選帝侯妃ゾフィーおよびその子孫に継承権者が限定された。

また、この制定に反発するスコットランド王国を様々な手段で抑え込んだ末、1707年にイングランド王国とスコットランド王国は合同し、グレートブリテン王国が成立した。

1714年、アン女王が逝去すると、王位継承法に従って、ゾフィーの息子(アンの又従兄にあたる)ハノーファー選帝侯ゲオルク・ルートヴィヒが国王として迎えられ、選帝侯を兼ねたままグレートブリテン王およびアイルランド王ジョージ1世となった。

グレートブリテン王国は1801年にアイルランド王国と合同してグレートブリテンおよびアイルランド連合王国に再編され、ジョージ3世が最初の国王となった。

ハノーファーではサリカ法を採り、女子の継承を認めていなかったため、1837年のヴィクトリア女王のイギリス(連合王国)女王即位をもって同君連合を解消し、ハノーファー王家はイギリス王家から分枝した。

初期の国王がドイツ出身であるため流暢な英語が話せず、またイギリスの独特な政治事情にも不慣れであったことから、イギリスでは有力な閣僚に国政を委ねる議院内閣制がこの時代に確立されていった。

また、国王の関心がむしろドイツをはじめとする大陸ヨーロッパの情勢に向いていたこともあり、オーストリア継承戦争、七年戦争といった大陸での戦争に関与していった。

アメリカ独立戦争への大陸諸国の介入などは、逆にこれが影響している面がある。

また、前王朝時代の名誉革命に始まるフランスとの対立は、ナポレオン戦争が終結するまで100年以上に及んだ。

これは第2次百年戦争と総称されることもあるが、一連の戦争においてはアメリカ独立戦争を除いて全てイギリスが勝利し、イギリスはヨーロッパ随一の強国として国際関係の主導的立場に立った。

経度法の制定に始まり、本初子午線をグリニッジに据えたことなどに象徴される海上覇権を打ち立てたのもこの時代であった。

歴代君主一覧

「ハノーファー君主一覧」も参照
グレートブリテン国王兼アイルランド国王

ジョージ1世(1714年 - 1727年) - ハノーファー選帝侯ゲオルク・ルートヴィヒ(1689年 - )

ジョージ2世(1727年 - 1760年) - ハノーファー選帝侯ゲオルク2世アウグスト

ジョージ3世(1760年 - 1800年) - ハノーファー選帝侯ゲオルク3世

グレートブリテンおよびアイルランド連合王国国王

ジョージ3世(1801年 - 1820年) - ハノーファー選帝侯(王)ゲオルク3世

    1814年にハノーファー選帝侯国は王国に昇格した。

ジョージ4世(1820年 - 1830年) - ハノーファー王ゲオルク4世

ウィリアム4世(1830年 - 1837年) - ハノーファー王ヴィルヘルム

ヴィクトリア(1837年 - 1901年)

    ハノーファーはサリカ法を採り女王の即位を認めていなかったため、ハノーファー王位はカンバーランド公アーネスト(エルンスト・アウグスト)が継承し、同君連合は解消された。

なお、どの君主も例外なくドイツの小領邦から王妃や王配を迎えている。

これは1701年王位継承法の規定によりカトリック教徒との結婚ができなかったこと、またドイツ諸侯としてのハノーヴァー家の家法により貴賤結婚ができなかった(領邦の規模にかかわらずドイツの領主は同格であると見なされたが、一方でイギリス国王の臣下の貴族などは婚姻対象にならない)ことによる。

そうした事情もあって、宮廷にはドイツ系の人物が多かったと言われる。また同じ事情で、フランスやスペイン、ポルトガルなどカトリック教国の王家との婚姻関係はこの時代にほとんど絶たれた。

ただし、ヴィクトリア女王の没後間もなく、孫娘ヴィクトリア・ユージェニーがスペイン王家に嫁いでいる。』

ウィンザー朝

ウィンザー朝
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B6%E3%83%BC%E6%9C%9D

『ウィンザー朝(ウィンザーちょう)は、イギリスおよびその他の英連邦王国の王朝である。

1901年、ザクセン=コーブルク=ゴータ家(ヴェッティン家の分家)は、ヴィクトリア女王とザクセン=コーブルク=ゴータ公子アルバートの嫡男である国王エドワード7世の王位継承により、ハノーヴァー朝をイギリスの君主に引き継いだ。

1917年、第一次世界大戦中のグレートブリテン及びアイルランド連合王国での反ドイツ感情(英語版)のために、王室の名前を、ドイツ語の英語読みのザクセン=コーブルク=ゴータ家(House of Saxe-Coburg-Gotha)から英語のウィンザー家(House of Windsor)に改名した[1]。

それ以降、ウィンザー家はジョージ5世、エドワード8世、ジョージ6世、エリザベス2世の4人の君主が在位してきた。

現在の家長は16の主権国家の君主である。

イギリス(拠点)、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、ジャマイカ、バルバドス、バハマ、グレナダ、パプアニューギニア、ソロモン諸島、ツバル、セントルシア、セントビンセント・グレナディーン、ベリーズ、アンティグア・バーブーダ、セントクリストファー・ネイビスである。

これらの各国の君主制に加えて、3つの王室属領、14のイギリス海外領土、および2つのニュージーランドの自由連合がある。 』

『歴史

ウィンザー家(House of Windsor)の元の家名(王朝名)はサクス=コバーグ=ゴータ家(House of Saxe-Coburg-Gotha)といった。

これはヴィクトリア女王の夫(王配)アルバートの家名(その英語形)であった。

アルバートはドイツのザクセン=コーブルク=ゴータ公エルンスト1世の息子であったが、この家系からはベルギー、ブルガリア、ポルトガルの王家も出ている。

第一次世界大戦中の1917年、ジョージ5世は敵国ドイツの領邦であるザクセン=コーブルク=ゴータ公国の名が冠された家名を避け、王宮のあるウィンザー城にちなんでウィンザー家と改称し、かつ、王家は姓を用いないとの先例を覆してウィンザーを同家の姓としても定めた。

そのため、1917年以降は現在の女王エリザベス2世にいたるまでをウィンザー朝と称し、かつ、その構成員(ジョージ5世の直系および存命の叔父コノート公アーサーの系統)は(必要がある場合には)ウィンザーの姓を用いる。

ただし、ヴィクトリア女王の血統が断絶したわけではないので、いずれもハノーヴァー朝の継続と見なされることがある。

ハノーヴァー朝以来代々の王位継承者の配偶者はドイツ人やドイツ系の王族が迎えられることが多かったが、エドワード8世がアメリカ人女性ウォリス・シンプソンとの結婚問題から退位し、代わって王位に就いたジョージ6世の妃エリザベスはグレートブリテン王国成立以降で初の同国出身の王妃となった。

現王太子チャールズの元の妃ダイアナ、現在の妃カミラもまた同国出身である。

なお、1960年にエリザベス2世と夫フィリップ・マウントバッテン(Philip Mountbatten)公の間に生まれる子の姓をマウントバッテン=ウィンザー(Mountbatten-Windsor)とする枢密院令が発せられた。

もっとも、家名(王朝名)が変更されたわけではないため、現状を前提とすればチャールズ王太子が即位してもその家名(王朝名)はウィンザーのままであり、姓のマウントバッテン=ウィンザーとはずれが生じることとなる[2]。 』

『歴代君主

「イギリス君主一覧」も参照

1917年に家名をウィンザー家と改称。

ジョージ5世 (1917年 - 1936年)

    1922年に南アイルランドが「アイルランド自由国」としてイギリス(グレートブリテン及びアイルランド連合王国)から分離し、1927年以後イギリスの正式国名は「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」となった。正式な王号もそれに伴い改称されている。

エドワード8世 (1936年) 退位後はウィンザー公爵。

ジョージ6世 (1936年 - 1952年)

エリザベス2世 (1952年 - )』

イングランド王国

イングランド王国
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E7%8E%8B%E5%9B%BD

『イングランド王国(イングランドおうこく、英: Kingdom of England)は、927年のアングロ=サクソン七王国の一つウェセックス王国の王アゼルスタンのイングランド全土統一から、1707年のスコットランド王国との合同まで存在した国家である。

ウェセックス王エグバートの825年のイングランド統一から最初のイングランド王と言われることが多いが、実際の称号はブレトワルダ(覇王)であった。

スコットランド王であったステュアート朝のジェームズ6世が1603年に王位を兼ねて以来(イングランド王ジェームズ1世)、スコットランドとは同君連合の関係にあったが、アンの時代の1707年の合同法により、スコットランド王国と合同してグレートブリテン王国となった。 』

『歴史

イングランド王国(1377年)

初期

ウェセックス王国がイングランドの覇権を握り、アゼルスタンが927年にイングランド全土を統一して成立した。

デンマークのヴァイキングであるデーン人の侵入が活発で、1016年にエドマンド2世はデンマーク王国のクヌートと奮戦したが、エセックスのアッサンダンの戦い(英語版)で決定的な敗北を喫した。

戦いの後に両王は和平交渉をし、エドマンドがウェセックスを、クヌートはテムズ川の北を領有することになった。この時同時に、どちらかが死んだ時は生きている方に領土を譲るという同意により、1016年にクヌートがイングランド王に即位し、征服王朝であるデーン朝(北海帝国)が成立した。

ノルマン朝

詳細は「ノルマン・コンクエスト」、「ノルマン朝」、および「無政府時代 (イングランド)」を参照

1042年にクヌートの息子カヌート3世が死去すると、エドマンド2世の異母弟エドワード懺悔王が即位してサクソン系の王朝が復活したが、最後のサクソン系の王ハロルド2世が1066年にヘイスティングズの戦いでノルマンディー公ギヨーム2世に敗れて戦死した。

1066年のクリスマスにギヨーム2世はウィリアム1世として即位し[1]、ノルマン朝が成立した。

ヘンリー1世は娘のマティルダを後継者に指名したが、1135年に甥のスティーヴンがロンドン市民と自らの弟ウィンチェスター司教ヘンリーにカンタベリー大司教を説得させ、彼等の推戴を受けてイングランド王に即位した。

その後、マティルダとの間で長く内戦が続いた(無政府時代)。

最終的に、スティーヴンの終身王位の承認と引き換えにマティルダの息子のアンジュー伯アンリを養子に迎え、王位継承者とすることで両者は和解した。

プランタジネット朝

詳細は「プランタジネット朝」および「アンジュー帝国」を参照

協定の通り、1154年にアンリがヘンリー2世としてイングランド王位を継承し、プランタジネット朝が成立した。

ヘンリー2世はフランス王国の国王ルイ7世と対立しながらノルマンディー公位やアンジュー伯領を受け継ぎ、ルイ7世の王妃であったアリエノール・ダキテーヌと結婚して彼女の相続地であるアキテーヌ公領を支配下に入れた。

しかし、ジョンの時に大陸領土を喪失し、アキテーヌの中心地であるガスコーニュのみが残った。アキテーヌは元々諸侯の力が強く、彼らは強力なフランス王より弱体化したイングランド王の支配を好んだためとされる。

エドワード1世は1276年以後ウェールズ公国に侵攻し、1282年にはウェールズ大公ルウェリンを滅ぼし、ウェールズ全域を征服した。

そして1301年には王太子エドワード(後のエドワード2世)を新しいウェールズ大公(プリンス・オブ・ウェールズ)に封じた。

以後、この称号はイングランド王太子に与えられるようになった。このようにして、ウェールズはイングランド王国の一部となった。

百年戦争

詳細は「百年戦争」を参照

エドワード3世は、1328年にカペー朝の断絶を受けてフランス王に即位したヴァロワ朝のフィリップ6世に対して自身のフランス王位継承権を主張した。

フィリップ6世はスコットランド王国と呼応して、1337年にアキテーヌ領没収を宣言し、ガスコーニュに軍を進めたため、エドワード3世はフランスに宣戦布告した。

これにより百年戦争が開始された。1346年、ノルマンディーから上陸したイングランド軍はエドワード黒太子の活躍もあり、クレシーの戦いでフランス軍に大勝した。

また、1356年にはポワティエの戦いでもフランス軍に勝利した。

1360年には両国の和議が成立し、エドワード3世はフランス王位継承権を放棄する代わりにガスコーニュ、アキテーヌ、カレー、ポワトゥー、ギーヌなどの広大な領土を獲得した。

その後、シャルル5世の巻き返し、ペストの流行による国内の疲弊もあって、カレー、ボルドー、バイヨンヌを除いたフランス領土を失い、1375年のブリュージュ(ブルッヘ)の和議によってイングランド・フランスの戦争はいったん終結した。

1376年に黒太子が、1377年にエドワード3世が亡くなった後は孫のリチャード2世が即位したが、リチャード2世はアイルランド遠征から帰還途中、ウェールズとの国境でクーデターを起こした従弟のヘンリー・ボリングブルックに敗れて逮捕され、ボリングブルックがヘンリー4世としてイングランド王に即位し、ランカスター朝が成立した。

1414年、ヘンリー5世はフランス国王シャルル6世に対して、イングランドで反乱を起こしたオワイン・グリンドゥール(オウエン・グレンダワー)に援助していたことへの賠償及び、フランスの派閥のブルゴーニュ派・アルマニャック派のそれぞれに支援を与えていたことへの代償という理由で、領土割譲とフランス王位を要求した。

これを拒否したフランスに対し、ヘンリー5世はブルゴーニュ派と組んで長期休戦状態にあった百年戦争を再開し、フランス遠征を行った。

1415年にヘンリー5世はアジャンクールの戦いで大勝し、フランス軍主力を壊滅させた。

1420年にはヘンリー5世とシャルル6世の娘キャサリン(カトリーヌ)と結婚、両国王の間でトロワ条約が結ばれ、シャルル6世の死後にヘンリー5世がその後継者になるとされた。
1422年にヘンリー5世の子ヘンリー6世がイングランド王位とフランス王位を継いだ。

イングランドはブルゴーニュ派と再び提携して、1428年にはアルマニャック派の拠点であったオルレアンを包囲した(オルレアン包囲戦)。

ここを落とせばフランス南部へ一気に侵攻できるはずであったが、ジャンヌ・ダルクらの反撃でオルレアンの包囲を解いて撤退せざるを得なくなった。

1435年のアラスの和約でシャルル7世とブルゴーニュ派との和解成立後、シャルル7世率いるフランス軍は着実に勢力を伸ばし、1449年にはルーアンを奪われ、1450年にはフォルミニーの戦いでイングランド軍ンド軍は敗れてノルマンディーを奪われた。

1453年、カスティヨンの戦いの敗北で大陸におけるイングランドの拠点はカレーを残すのみとなり、百年戦争に終止符が打たれ、ヘンリー6世はフランス王位を失った。

薔薇戦争

詳細は「薔薇戦争」を参照

百年戦争の敗北後、イングランド国内はヘンリー6世支持のランカスター派とヨーク公リチャード支持のヨーク派に分かれて対立を深め、セント・オールバーンズの戦い (1455年)で両派間に火蓋が切られ、薔薇戦争が始まった。

以後30年間、内戦がイングランド国内でくり広げられる。1459年のブロア・ヒースの戦いに勝利し、王位を目前にしたヨーク公リチャードは、1460年のウェイクフィールドの戦いで戦死した。

ヨーク公リチャードの嫡男エドワードはセント・オールバーンズの戦い (1461年)で勝利し、ヘンリー6世を退位させて国王エドワード4世となり、ヨーク朝を成立させた。

しかし、1470年にエドワード4世は側近のウォリック伯リチャード・ネヴィルと対立・追放され、ヘンリー6世が復位した。

エドワード4世は1471年に反撃してバーネットの戦いでネヴィルを討ち取り、テュークスベリーの戦いでランカスター派に勝利して復位し、王位は息子エドワード5世が継承したが、議会はエドワード5世の王位継承の無効を議決し、エドワード5世の叔父のグロスター公リチャードが推挙された。グロスター公はリチャード3世としてイングランド王に即位した。

ランカスター派のリッチモンド伯ヘンリー・テューダーは、1485年にボズワースの戦いでリチャード3世を撃破し、ヘンリー7世として即位し、テューダー朝が成立した。

ヘンリー7世は1486年にエドワード4世の娘でエドワード5世の姉エリザベスと結婚し、ヨーク派の取り込みを進めたが、まだその支配は完全ではなく、ランバート・シムネルが「国王エドワード6世」を称し、リチャード3世の支持者が味方して王位獲得の軍を起こす。
しかしシムネルはストーク・フィールドの戦いで敗れ、捕らえられた。こうして薔薇戦争が終結した。

テューダー朝

詳細は「テューダー朝」を参照

ヘンリー7世は百年戦争、薔薇戦争で疲弊した諸侯を抑圧して絶対王政を推進し、海外進出にも積極的で、その政策はヘンリー8世、エドワード6世、メアリー1世、エリザベス1世に受け継がれた。テューダー朝の時代にイングランド国教会が成立した。

1541年、ヘンリー8世が形式的にはアイルランド議会の決議に基づき、それまでの称号であったアイルランド卿に代えてアイルランド王を自称し、ヘンリー8世以後は歴代のイングランド王がアイルランド王の称号を兼ねることとなった。

アイルランドは以後イングランドからの入植と支配の強化が進んでいった。

ステュアート朝

詳細は「ステュアート朝」および「清教徒革命」を参照

1603年のエリザベス1世の死によりヘンリー8世の血筋は絶える。

ヘンリー7世の血を引くスコットランド王ジェームズ6世がジェームズ1世としてイングランド王に迎えられ、イングランドにおけるステュアート朝を創始し、イングランド王国とスコットランド王国は同君連合となった。

ジェームズ1世の跡を継いだチャールズ1世は国教会をスコットランドにも導入しようと試みた。

この試みは長老派の勢力が強かったスコットランドにおいて大反発を受けて、大反乱となった。

1640年、スコットランドの反乱鎮圧のための戦費を得る目的で11年ぶりに議会を招集したが、議会は国王批判の場となった(短期議会・長期議会)。

1642年、チャールズ1世は反国王派の5人の議員を逮捕しようとして失敗、議会派と王党派の内戦が勃発した(イングランド内戦、清教徒革命)。

内戦は当初は互角、あるいは王党派が優位であったが、オリバー・クロムウェル率いる鉄騎隊の活躍で王党派が各地で打ち破られ、1649年にチャールズ1世は公開処刑で斬首され、イングランド・コモンウェルスとなった。

この体制は次第にクロムウェルによる軍事独裁政権という状態になり、クロムウェルは1653年に議会を解散させて終身護国卿となった。

しかし1658年にクロムウェルが死去すると、跡を継いだ息子のリチャード・クロムウェルは間もなく引退し、護国卿政は短い歴史に幕をおろした。

長老派が1660年にチャールズ2世を国王に迎えて王政が復古した。

チャールズ2世の死後、弟のヨーク公ジェームズがジェームズ2世として即位したが、1688年の名誉革命で亡命し、議会はメアリー2世とオラニエ公ウィレム(ウィリアム3世)夫妻を共同国王に指名した。

ウィリアム3世は1694年、アイルランド王国を実効支配下に置き、属国とした。

ウィリアム3世が1702年に没すると、アンが即位した。

アンは最後のイングランド王国・スコットランド王国の君主であり、ステュアート朝最後の君主でもある。

1707年に、イングランド王国とスコットランド王国の合同法が成立し、ジェームズ1世以来100年余りにわたって同君連合を結んできた両国は、正式に統合されてグレートブリテン王国になった。』

スコットランド君主一覧

スコットランド君主一覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E5%90%9B%E4%B8%BB%E4%B8%80%E8%A6%A7

『スコットランド君主一覧では、スコットランド王国の国家元首を列挙する。

伝承によれば、ケネス1世(ケネス・マカルピン)が最初のスコットランド王であり、843年に建国したとされている。

アルバ王国ないし スコットランド王国とピクト王国の区別は、後世の中世の神話や命名法の変化による混乱によって生じたものに過ぎない。

すなわち、ラテン語ではなく現地語によって記録がなされるようになった9世紀末ころに、ドナルド2世の治下で「Rex Pictorum」 (ピクト王)という称号が「ri Alban」 (アルバ王)に変更されたのであるが、この時代には、ゲール語における「アルバ」はブリテン(古い意味での)を意味するのではなくピクト王国を意味するようになっていたのである[1]。

したがって、ピクト王国はそのままゲール語でアルバ王国と呼ばれるものであり、後に英語でスコットランド王国と呼ばれるものなのである。

これらの用語は両言語において今日まで保持されている。

遅くとも11世紀後期から、スコットランドの王はラテン語で自身を「rex Scottorum」、すなわち「スコット人の王(King of Scots)」と称していた。

「スコット人の王(King of Scots)」の称号が廃止されたのは、1707年、イングランド王国とスコットランド王国が統合してグレートブリテン王国となった時である。

かくしてアンはスコットランドの最後の君主(さらにはイングランドの最後の君主)となり、最初のグレート・ブリテンの君主となった。

両王国は1603年以来、同君連合となっており、1651年にスクーンで戴冠したチャールズ2世が、実際にスコットランドにおいて戴冠した最後の君主であった。 』

(※ ちょっと長いので、途中から)

『ステュアート朝

1371年 – 1567年

ロバート・ステュアートはロバート1世が後に儲けた娘マージョリーの息子である。

1316年に生まれたロバート・ステュアートは叔父のデイヴィッド2世よりも年上で結果的には老齢に達すると精力的に統治するのが困難となり、この問題はまた息子のロバート3世が落馬で負傷したことで生ずることになった。

これらの2つのことは若い王が後継したことで生じる摂政統治が連続することになった。

最終的にはステュアート朝の時代は王室が不活発の時期が見られ、この間に貴族は王から力を奪い、これは君主による個々の支配期間により続いた。

この間で王ないし女王は自身が幼少であることと以前の長い統治の結果でよって生ずる問題に接しようと試みた。

貴族の力が扱いにくくなったことによりスコットランドの治世は次第に困難になった。

ジェームズ1世は王国の混乱を納めようとしたものの暗殺され、ジェームズ3世は息子のジェームズ4世が率いる貴族との内戦で殺され、そのジェームズ4世は厳格に統治し且つ貴族を抑圧してフロドゥンの戦いで戦死し、ジェームズ4世の妃でジェームズ5世 の摂政に任命されたマーガレット・テューダーは貴族に追われ、ジェームズ5世の妃であるメアリー・オブ・ギーズは自身の幼い娘であるメアリー1世の摂政である間、貴族の派閥が分裂して制圧され、更には豊富なフランスの賄賂が撒かれたことでスコットランドの支配を継承した。

最終的にジェームズ5世の娘であるメアリー1世は貴族に尊大な態度で接し且つカルヴァン派に好意的でメアリー1世が奉じるカトリックを認めない住民と妥協しなかったことで自身が統治することが出来ないことを悟った。

メアリー1世は退位してイングランド女王エリザベス1世のもとに亡命した。メアリー1世の退位で幼少の息子のジェームズ6世がスコットランド王になった。 』

『1567年 – 1651年

レノックス伯系ステュアート家はステュアート家の分家であるが、初代スコットランド王ロバート2世の男系子孫ではなく、その祖先である第4代王室執事長アレグザンダー・ステュアートの男系子孫である。

過去にはフランスとの古い同盟の手段を介して一族はフランス語から来るStuartを姓に用いた。

最終的にはレノックス伯マシュー・ステュアートの息子であるダーンリー卿ヘンリーがメアリー1世と結婚したことで、レノックス伯系ステュアート家の最初の王となる彼らの息子はステュアート家として統治した。

1603年にジェームズ6世はエリザベス1世の死後、イングランド及びアイルランドの王ジェームズ1世となったが、イングランドとスコットランドの2つの王冠は分離しており、君主による統治は主にイングランドに基盤を置いた。

ジェームズ1世の息子のチャールズ1世は内戦に直面し、これが8年間続いた結果、チャールズ1世の処刑で終わった。

イングランド議会は自国の君主制の終焉を布告したが、スコットランド議会は幾度か熟考した結果、イングランドとの連携の輪を絶ち、チャールズ1世の息子であるチャールズ2世を自国の王であると宣言した。

チャールズ2世はオリヴァー・クロムウェルによってスコットランドを追われる1651年まで統治した。 』

『復古ステュアート朝 (1660年 – 1707年)

王政復古の結果、ステュアート家は再びスコットランドの王位についた。

しかしながらスコットランドの統治は尊重されなかった、スコットランド議会はチャールズ2世の統治中に解散させられ、その弟であるジェームズ2世はスコットランドに総督を派遣した。

ジェームズ2自身は1685年 にスコットランド王ジェームズ7世となった。

そのカトリック主義は非寛容であったために3年後にイングランドを追われた。

イングランド王位にはジェームズ7世の娘のメアリーとその夫でオランダ総督であるウェレムが就いた。夫妻はスコットランド議会による審議の後にスコットランドの君主であることを受け入れ、メアリー2世及びウィリアム2世として共に統治した。

イングランドに対抗する形でのダリエン計画を通してのスコットランド植民帝国を築こうとした試みは失敗し、スコットランドは国として破産した。

このことはジェームズ7世の娘であるアンの女王即位と符合する。

アンには多くの子供がいたが誰一人生き残らなかった、アンが死ぬと後継者は異母弟の ジェームズであった。

後継者として、イングランドはプロテスタントのゾフィー(ジェームズ6世の孫)を支持し、スコットランドはスコットランド人を祖先とするステュアート家のジェームズの方を好み、イングランドとスコットランドの王冠の合同は崩壊する恐れがあった。

合同を維持するためにイングランドはスコットランド・イングランド両王国が共通の君主と唯一の議会が統治するグレートブリテン王国として合併する計画を練った。

両国民議会はこの案に同意し(スコットランドは不本意だったが、第一に財政が動機付けた)、スコットランド王国はイングランドと合併して消滅した。それ以降は、君主はスコットランド国家全体を統治したが、それは連合王国としてである。 』