「弱肉強食、強国も益なし」 シンガポール首相一問一答

「弱肉強食、強国も益なし」 シンガポール首相一問一答
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『シンガポールのリー・シェンロン首相は日本経済新聞の単独インタビューに応じた。インタビューの主なやり取りは次の通り。

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――ロシアのウクライナ侵攻によって、民主主義国家と権威主義国家の対立がかつてないほど先鋭化しています。

「大いに心配している。ロシアは国際秩序を破り、独立国家の主権と国土を侵犯しており、看過できない。侵攻が長引けば、事態が複雑となり、深刻化するリスクもより高まる。影響は欧州だけでなく、トランプ前政権時から緊張が続く米中関係に影響を与える可能性もある」

「しかし、これを民主主義対権威主義という図式にはめ込むのは、終わりのない善悪の議論に足を突っ込むことになり、賢明でない。ウクライナ問題で危機にさらされているのは国連憲章が掲げる国際的な法の支配で、シンガポールが声を上げているのも法の支配が揺らいでいるからだ」

――ルールに基づく国際秩序を維持するには、どのような方策が必要でしょうか。

「国連総会が圧倒的な賛成多数でロシアのウクライナ侵攻を非難する決議を採択したのは良い兆候だった。加えて重要なのは、各国が国連や国際通貨基金(IMF)、世界銀行、世界貿易機関(WTO)といった既存の国際的な枠組みを支持することだ。これらの国際機関は、意見の違いや紛争を抱える国同士の協力を可能にする。こうした機関がなければ、無法な弱肉強食の世界になってしまう。弱い国が苦しむだけでなく、強国も戦闘で貴重なエネルギーを無駄遣いすることになる」

「国連憲章や国連海洋法条約のような国際法は、大国であれ小国であれ従わなければならない。しかし、ロシアだけでなく大国は国際法に縛られるのを嫌い、しばしば意のままに振る舞おうとする。強国がそう振る舞いたがるのは理解できるが、遺憾だ」

――第2次世界大戦に突き進んだ1930年代と、今の世界情勢の類似性を指摘する意見もあります。

「大きな違いは核兵器の存在だ。仮に世界大戦になれば完全に未知の領域に入る。足元の状況への対処だけでなく、長期的に危機を避けるには多大な英知と自制、各国の政治的な圧力を克服する能力が必要だ」

――ウクライナ侵攻は、台湾や南シナ海問題などアジア太平洋地域での中国の活動に影響を与えますか。

「ウクライナ侵攻は世界の秩序を弱体化させ、アジアにも当然影響を及ぼす。各国は自国の防衛体制や戦略、地域全体の将来像を再評価するだろう」

「台湾問題は非常に複雑な問題だ。中国と台湾の双方がウクライナでの戦争の教訓を入念に研究しているはずだ。両者が台湾問題を賢明に対処するのに役立つ結論を引き出すことを望んでいる。ウクライナ問題の一つの結論は紛争は始めるのは簡単だが、結末を予想するのは極めて難しいということだ。他国の反応やそれが自国の国際的立場に与える影響、戦争の代価の大きさなど広範な影響を評価する必要がある。仮に戦争に勝ったとしても、その代価は甚大だ。台湾海峡の問題でもこれらの教訓が熟考され、当事者の国・地域が慎重かつ平和裏に事態に対処することを望んでいる」

「南シナ海問題については直接的な影響はそれほど大きくない。中国と東南アジア諸国連合(ASEAN)の間で、紛争防止に向けた行動規範(COC)の策定交渉が進んでいるからだ。難しい交渉なので時間はかかるが、関係国は南シナ海での実際の衝突を望んではいない」

――アジアには北大西洋条約機構(NATO)のような安全保障の枠組みがありません。アジアにもNATOのような機構は必要だと考えますか。

「アジアと欧州では歴史的な背景が異なる。NATOは共産圏に対抗する目的で設立され、今もロシアからの脅威に対処する集団としての機能を担っている。一方、アジアには歴史的にNATOと同等の軍事同盟はなかった。アジアの多くの国は米中双方との良好な関係を享受している。日韓豪など米国の同盟国でさえ中国と(貿易などで)重要な関係を維持している。こうした現状の方が、2つのブロックに分裂して対抗し合うよりも望ましい」

――アジア太平洋地域では経済・軍事面で中国の影響力が強まっています。現状をどう評価しますか。地域の安定のために、日米はどのような役割を果たしていくべきでしょうか。

「今やアジアの多くの国にとって中国は最大の貿易相手だ。アジアの国々は中国の経済成長の恩恵にあずかろうとしており、貿易や経済協力の機会の拡大をおおむね歓迎している。中国も広域経済圏構想『一帯一路』のような枠組みを作り、地域に組織的に関与している。我々はこうした枠組みを支持している。中国が繁栄して域内の各国と協調を深める方が、国際秩序の外で孤立するより好ましいからだ」

「同時にアジアの国々は、欧米や日本とも連携を維持したいと考えている。1国に過度に依存せず、バランスを維持していきたい。それがお互いの繁栄や地域の平和と安定の維持につながる」

「米国が環太平洋経済連携協定(TPP)に復帰するのが理想だが、今の政治状況では可能ではない。そこでバイデン政権は新たな経済圏構想として、インド太平洋経済枠組み(IPEF)を立ち上げる計画で、シンガポールも参加する予定だ。IPEFはTPPの代替にはならないが、前向きな構想だ。バイデン政権がアジアの経済外交の重要性を理解していることを示す貴重なサインだ。将来、米国の政治状況が改善すれば、(関税の撤廃・削減を盛り込む)自由貿易協定(FTA)の議論を再開できればよいと思う」

――IPEFの詳細は明らかになっていません。シンガポールがIPEFに参加する利点は何でしょうか。

「貿易、供給網、インフラ・脱炭素、税・反汚職の4つの柱が打ち出されたばかりで、詳細は今後の交渉次第だ。シンガポールはできる限り実質的で相互に恩恵のある内容になるよう交渉していく。具体的には、デジタル経済やグリーン経済、再生エネルギー、環境金融、排出量取引ルールなどの分野に関心がある。これらはアジア各国の利益になると同時に、米国のアジアへの関与をつなぎ留める肯定的な意義がある」

――シンガポールは今年、TPPの議長国を務めています。中国と台湾の加盟申請にどのように対応しますか。

「TPPは加盟を希望する国・地域がTPPの高い水準を満たした上で、加盟国が全会一致で承認すれば加盟が決まるルールだ。議長国が独断で決めるわけではなく、我々は(各国の意見を調整する)交通警察の役割を果たす。それぞれの加盟国が異なる意見を持っているため、協議には時間がかかる。加盟各国は貿易や投資の観点からだけでなく、より広範な戦略的な観点から立場を決めていくはずだ」

――シンガポール自身は中国のTPP加盟を歓迎しますか。

「我々は中国のTPP参加を歓迎する。私はこれまでも公にそう表明してきた。もちろん中国はTPPの水準を満たさなければならないが、中国はその意志を示している。中国が水準を満たしているか加盟国間で詳細に議論した上で、加盟国の総意によって是非を判断することになる」

――日本はTPPを台頭する中国に対抗する多国間の貿易協定と位置づけてきました。

「理想的にいえば米国がTPPから離脱しないまま、中国が後から加盟申請を検討する事態になれば、バランスが取れた。しかし、不幸にも米国が復帰する見通しは当面たたない。日本は中国の加盟検討にあたって、そうした現状を当然考慮に入れるだろう」

――世界経済はこれまで長期間、中央銀行の金融緩和によって支えられてきました。しかし、ここにきてインフレが進み、中銀は引き締めに動かざるをえなくなっています。金融引き締めが市場を揺るがし、経済を過度に減速させる懸念はないでしょうか。

「世界経済が新型コロナウイルスの打撃から想定以上に早く回復できたのは、各国政府の景気刺激策のおかげだ。しかし、欧米では政治的な理由から、景気回復後も刺激策が続き、ロシアのウクライナ侵攻の前からインフレを招く要因となっていた。中銀も1年前は、インフレが管理可能だと楽観視し過ぎていた」

「今や物価上昇率はかなり高く、インフレの鎮静化には劇的な対策が必要になる。ソフトランディングは容易ではなく、必要な措置を取ろうとすると景気後退を引き起こすリスクが高い」

――ドル高によってアジアの新興国の対外債務の負担が膨らみ、危機に陥るリスクはないですか。

「食料やエネルギー価格の高騰が経済を圧迫し、スリランカのように危機が顕在化している国もある。しかし、全体としてみれば、対外債務の状況は1997~98年のアジア通貨危機の時ほど深刻ではない。当時とは異なり、今は債務の多くが現地通貨建てだ。新興国発の金融危機は恐らく起こらないだろう」

――日本とはどのような分野でさらに関係を強化していきますか。

「岸田(文雄)政権は『デジタル田園都市国家構想』を掲げており、シンガポールにも『スマートネーション戦略』がある。スマートシティやデジタル分野の統治手法などについて、お互い学び合うことができる。代替エネルギーや持続的な経済発展、シンガポールー羽田線の増便といったテーマでも連携を強化できる」

「日本とシンガポールの経済連携協定(EPA)も時代に合わせて、再改定する必要がある。2002年の署名以来、一度改正しただけだ。日本はTPPや地域的な包括的経済連携(RCEP)の交渉で忙しかったが、これらは既に落ち着いた。EPA再改定の交渉を始める環境は整っている」

(聞き手は編集局長 井口哲也)

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