クルド労働者党(PKK)

クルド労働者党(PKK)Partiya Karkeran Kurdistan
https://www.moj.go.jp/psia/ITH/organizations/ME_N-africa/PKK.html

『 トルコとイラクとの国境地帯を拠点に活動する分離主義組織。

別称:
①Kurdistan Freedom and Democracy Congress,②Freedom and Democracy Congress of Kurdistan,③KADEK(注1),④Kurdistan Workers’ Party,⑤The People’s Defense Force,⑥Halu Mesru Savunma Kuvveti,⑦Kurdistan People’s Congress,⑧People’s Congress of Kurdistan,⑨KONGRA-GEL(注2)』

『(1) 設立時期

1978年(左翼系武装組織「民族解放軍」(注3)から「クルド労働者党」〈PKK〉に名称変更)

(2) 活動目的・攻撃対象

ア 活動目的

設立当初は,トルコ南東部での「クルド人国家の樹立」を掲げてきたが,近年,「クルドの文化や言語を保護する」として,同国内での自治権獲得に向けた取組を強化している。
イ 攻撃対象

主な攻撃対象は,トルコ政府及び同国治安部隊である(注4)。しかしながら,活動方針をめぐって敵対関係にあるクルド系政党やPKKに非協力的な民間人を標的とする場合があるほか,「クルド解放の鷹(たか)」(TAK)(注5)を名のる組織は,トルコ国内の観光地も標的であると主張している。

(3) 活動地域

イラク北部のクルド人居住地域を主たる拠点とし,①トルコ南東部・ディヤルバクル県,ハッカリ県,シュルナック県等の郊外,②同国西部・イスタンブール,首都アンカラ等の都市部,③地中海やエーゲ海沿いの観光地等でテロを実行してきたほか,欧州等でもテロ支援活動を行っているとされる。また,PKKのシリアにおける関連組織「民主統一党」(PYD)は,2012年以降,同国北部のクルド人居住地域の多くを支配下に置いたとされる(注6)。

(4) 勢力

4,000~5,000人程度であり,このうち3,000~3,500人はイラク北部で活動しているとされる(注7)。このほか,トルコ及び欧州に多数の支持者を有しているとされる(注8)。メンバーの大半はトルコ系クルド人である。

(5) 組織・機構

ア 最高指導者,幹部

(ア) アブドラ・オジャラン(Abdullah Ocalan)(服役中)

設立者で象徴的指導者。1948年4月4日トルコ生まれ(注9)。1970年代,アンカラ大学に在学中,左翼系武装組織「民族解放軍」の指導者に就任した。1978年,同組織の名称を「クルド労働者党」(PKK)に変更し,同国南東部での「クルド人国家の樹立」に向けて活動した。

1980年にトルコを出国し,レバノン,シリア等への滞在を経て(注10),ロシア,オランダ,イタリア,ギリシャ等で庇(ひ)護申請を行うなどしたが認められず,アフリカ等で潜伏場所を探していたところ,1999年2月にケニアで拘束され,トルコ当局に身柄を引き渡された。

同人は,1999年6月,トルコ領域の一部を分離させるために計画的な行動を実行したなどとして,アンカラの治安裁判所から死刑を言い渡された。2002年10月,トルコでの死刑廃止(同年8月)に伴い,終身刑に減刑され,現在はマルマラ海のイムラル島で服役中である。

同人は,獄中の1999年8月に「和平イニシアチブ」を発表し,PKKメンバーに対してトルコ政府との対話を訴えてきたが,PKKとトルコ政府の武力衝突が拡大したことから,同人の統率力が低下しているとの指摘もあった。しかし,PKKは,2013年3月,トルコ政府と合意したオジャランの指示に基づき停戦を宣言したほか,2015年2月には,武装解除を決定する会議にオジャランの出席を要求したこと等から,今もなお,同人はPKKに対する影響力を保持しているとみられている。

(イ) ムラット・カラユラン(Murat Karayilan)

服役中のオジャランに代わる事実上の指導者(注11)であり,PKKの軍事部門とされる「人民防衛軍」(HPG)指導者(注12)。1954年(注13)6月5日生まれ。トルコ国籍。「クルド社会連合」(KCK)(注14)幹部委員会議長。オジャランの「和平イニシアチブ」を受け,トルコ政府に対し,「PKKに対する軍事作戦の停止を条件として,武装解除及び対話に応じる」などと表明する一方で,「自衛のために抵抗する」との姿勢を堅持している。

米国財務長官は,2009年10月,麻薬の密売等に関与しているとして,同人を制裁対象に指定したほか,米国国務省は,2018年11月,同人に関する情報提供に対し,最大500万米ドルの報奨金を支払うと発表した。

(ウ) フェフマン・フセイン(Fehman Huseyin)(死亡との報道)

別名:
バホズ・エルダル(Dr.Bahoz Erdal)

PKKの軍事部門とされるHPG元指導者(注15)。シリア国籍。PKK内部における有力な強硬論者としてテロを主導していたが,カラユランらと対立したため,2009年2月にPKK指導部から排除された。

2016年7月,トルコメディアは,同人がシリア北部で殺害されたと報じた(注16)。

(エ) ジェミル・バイク(Cemil Bayik)

PKK設立メンバーの一人であり,KCK幹部委員会共同議長(注17)。1955年(注18)2月26日生まれ。トルコ国籍。

米国財務長官は,2011年4月,麻薬の密売等に関与しているとして,同人を制裁対象に指定したほか,米国国務省は,2018年11月,同人に関する情報提供に対し,最大400万米ドルの報奨金を支払うと発表した。

イ 組織形態・意思決定機構

トルコ,イラク及びイランにまたがるカンディール山地のイラク側に設立されたKCK幹部委員会が,PKKに対する指導部としての役割を担っているとされる。1999年8月に発表されたオジャランの「和平イニシアチブ」以降,カラユランらはトルコ政府との対話を求めてきたが,PKK軍事部門とされるHPGは,2004年2月,PKKの主導権を掌握し,テロを実行した。

このほか,2004年頃からTAKを名のる組織が,イスタンブールを中心に自爆テロ等を実行している。

(6) 沿革

PKKは,1978年,マルクス・レーニン主義を標ぼうする分離・独立組織として,左翼系武装組織「民族解放軍」から名称を変更して設立された。1984年,トルコ政府に対するテロを初めて実行し,1990年以降,同国でテロを頻発させた。1993年及び1995年には,欧州におけるトルコの外交・商業施設に対するテロも実行している。米国国務長官は,1997年10月,同組織を外国テロ組織(FTO)に指定した。

PKK最高指導者オジャランは,1999年2月に拘束された後,同年8月,獄中から「和平イニシアチブ」を発表した。同「イニシアチブ」は,PKKメンバーに対して暴力の停止を命じるとともに,トルコ政府に対話を求めることを内容とし,2000年1月のPKK「党大会」で支持が決定された(注19)。その後,PKKは,2002年4月の「党大会」で,「クルド自由・民主会議」(KADEK)へと名称を変更し,「クルド人の権利を保護するため非暴力的活動を行う」ことを宣言した。

PKKは,2003年11月,「コングラ・ゲル」(KONGRA-GEL)に名称を変更した際にも,改めてテロの停止を宣言した。しかしながら,PKKの軍事部門とされるHPGは,2004年2月,PKKの主導権を握り,同年6月,「和平イニシアチブ」を破棄するとともに,イラク国内の拠点から越境してトルコ東部及び西部でテロを実行した(注20)。

こうした事態を受け,オジャランは,改めて「和平を訴える」として,組織名をPKKに戻し,組織再編を行ったとされる。また,事実上のPKK最高指導者であるカラユランも2005年6月,トルコ政府に対し,PKKに対する攻撃が停止されれば停戦及び武装解除の上で「対話に応じる」などと宣言した。しかし,同国政府は,武装解除の条件として幹部を含む全メンバーの恩赦を求めるPKKの要求には応じず,PKKによる一方的な停戦宣言は容認できないとの立場を堅持した。そのため,PKKは,同国治安部隊に対し,「自衛」と称してテロを繰り返した。

2009年8月,HPGを率いるフェフマン・フセインがカラユランによって解任された後,オジャランは,「トルコ政府との和平に向けたロードマップを公表する用意がある」と宣言した。一方,トルコ政府も同年11月,国内のクルド人等の権利を拡大する旨発表し,両者の対話も期待されたが,同国政府がPKKに対する従前の立場を堅持している上,PKKが同年12月に同国北部・トカット県で同国軍兵士7人を殺害したことから,対話の実現には至らなかった。

2013年3月,PKKは,オジャランの指示に基づき停戦を宣言したほか,同年5月,トルコ領内からイラク北部に向けた戦闘員の段階的な撤退を開始した。しかし,トルコ南東部や東部では,その後も同国治安部隊及びPKKとの間で衝突が発生したこと等から,オジャランは,2015年2月,同国政府に対して民主的改革の実施を要求する一方で,PKKに対しては,武装解除を決定する会議を開催するよう呼び掛けた。同呼び掛けを受け,PKKは同年3月,オジャランの提案を歓迎する旨の声明を発表したが,ジェミル・バイクは,「我々の指導者(オジャラン)が不在の状況で(武装解除の)決定を行うことはない」などと主張し,会議へのオジャランの出席を要求するなどした。

一方,PKKの関連組織とされるTAKを名のる組織は,2004年頃から都市部を中心にテロを実行してきた。2005年には,新たな戦術として自爆テロを採用し,トルコ経済に打撃を与えるために観光地を標的とした攻撃を実行したほか,2008年2月,自組織のウェブサイト上で,同国政府等に対するテロを頻発させる旨表明し,観光地やホテルに対する爆弾テロや外国人観光客の誘拐を実行した。さらに,同組織は,2011年8月,同国軍のバスに対する爆弾テロを実行した際,犯行声明において,「我々の戦士は,トルコ全土で自らの任務(同様の攻撃)を行う用意がある」などと主張した。また,同年9月に,アンカラ中心部で自動車爆弾によるテロを実行した際も,その犯行声明において,「今次テロは一連のテロの始まりにすぎない」,「大都市は我々の主要な攻撃対象である」などと主張した。

(7) 最近の主な活動状況

ア 概況

PKKは,2015年7月,トルコ南東部・シャンルウルファ県で警察官2人を殺害したが,同国政府はこれを機に,同国南東部やイラク北部でPKKに対する空爆を断続的に実施したほか,トルコ各地でPKKの拠点を摘発し,戦闘員多数を殺害・拘束した。一方,PKKは,同国軍による空爆等を受け,同月,「政府との停戦はもはや意味を失った」とする声明を発出し,同国南東部等で,同国治安部隊等を標的としたテロを実行し,同国政府及びPKK間の和平の機運は遠のいた。これ以降,PKKは,同国南東部や東部を中心に,治安当局等を標的としたテロを継続している一方,同国治安当局も,PKKに対する掃討作戦を進めており,1万人以上のPKK戦闘員を殺害又は拘束したとされる。

また,TAKを名のる組織は,2015年12月,イスタンブールのサビハ・ギョクチェン空港における爆弾テロについて,治安当局による対PKK作戦に対する「報復」とした上で,「今後,外国人観光客の安全にTAKは責任を持たない」などと主張し,その後もアンカラやイスタンブールで大規模な爆弾テロを続発させた。2016年6月には,外国人観光客に対し,「我々のターゲットではないが,トルコはもはや安全な国ではない」などと改めて警告している。なお,2017年1月の西部・イズミル県の裁判所付近における自動車爆弾テロ以降,同組織が犯行を自認する大規模テロの発生は確認されていない。

このほか,PYD及びその軍事部門とされる「人民防衛隊」(YPG)は,2012年以降,シリア情勢の混乱に乗じて,同国北部におけるクルド人居住地域の多くを支配下に置き,自治権の確立を目指して活動しているとされる。

PYD/YPGは,2014年1月以降,ISILとの衝突を本格化させ,特に,同年8月初めにISILがイラクのクルディスタン地域政府(KRG)管轄地域に対する侵攻を開始した際には,同地域に戦闘員を派遣してKRGを支援したとされるほか,同年9月以降は,自組織の支配地に対しても攻撃を強めた「イラク・レバントのイスラム国」(ISIL)との間で,シリア北部の要衝地アイン・アル・アラブ(クルド名:コバニ)等をめぐり,大規模な戦闘を繰り返した(注21)。

こうした中,YPGは,2015年10月,対ISILで共闘関係にあった複数のアラブ系反体制派勢力等との連合体「シリア民主軍」(SDF)を結成し,米軍等の支援の下,ISILへの攻勢を強めた。

2016年にはISIL支配下であったシリア北部・マンビジを制圧するなどして支配地を拡大した。

また,PYDは,同年3月,事実上の「自治区」設立を宣言し,シリア北部の複数の勢力圏に「連邦制」を導入する(注22)とした上で,2017年9月,3回の選挙を予定している地方議会の第一回選挙を実施したとされる。

SDFは,同年10月,ISILが「首都」と称していたシリア北部・ラッカの解放を宣言し,2018年も同国北東部・ハサカ県や同国東部・デリゾール県でISIL掃討作戦を継続した。

これに対し,PYD/YPGをPKKと関連を有する「テロ組織」とみなしているトルコは,2018年1月に続き,2019年10月に,シリアへの越境攻撃を実施した(注23)。同攻撃で,PYD/YPGは,トルコ国境付近の支配地を喪失した。

2020年12月には,PYD/YPGがKRGの治安組織「ペシュメルガ」を攻撃する事案が発生し,PKKとKRGとの間に緊張状態が生じた(注24)。

イ 資金獲得活動・リクルート活動

(ア) 資金獲得活動

PKKは,麻薬取引によって活動資金の多くを得ているとされる(注25)。米国財務長官は,2008年5月,外国麻薬中心人物指定法(Foreign Narcotics Kingpin Designation Act)に基づき,20年以上にわたり麻薬取引に関与してきたとして,PKKを重大な麻薬取引者(significant narcotics trafficker)に指定した。

また,PKKは,トルコ国内のほか,ドイツ(注26),イタリア(注27)等に所在するクルド人居住地域において,麻薬取引以外にも人身売買,密輸,金品の強要,誘拐等によって多額の資金を得ているとされる(注28)。

ドイツ南部・カールスルーエの連邦検察局は,2012年4月,PKKの欧州資金調達責任者であったトルコ国籍のアブドゥッラー・S(当時45歳)が逮捕されたことを明らかにした。

このほか,2013年2月,フランス及びスペイン両国で,PKKの資金調達を目的とした金品の強要事案に関連したテロ関連捜査が共同で行われ,フランス南西部でクルド人17人が,スペインで6人がそれぞれ逮捕された(注29)。

PKKは,2015年7月の停戦崩壊後,欧州での資金獲得活動を強めているとされる(注30)など,欧州を兵站(たん)活動の拠点として利用していると指摘されている(注31)。

(イ) リクルート活動

PKKは,トルコ南東部のクルド人貧困層や同国西部の都市部に移住したクルド人若年層等を主な対象にリクルートを行っているとされるほか,シリア及びイランのクルド人等もリクルートしていると指摘されている(注32)。

また,欧州に居住するクルド人を対象としたリクルートを行っているとも指摘されている(注33)。

年月日 主要テロ事件,主要動向

78年  左翼系武装組織「民族解放軍」から「クルド労働者党」(PKK)に名称を変更。最高指導者にアブドラ・オジャランが就任

80年  オジャランがトルコから出国し,レバノン国内にPKKの訓練キャンプを設立

84.8  トルコ南東部でテロを開始し,警察官2人を殺害

91.8  トルコ軍がイラク北部のPKK訓練キャンプを急襲

95.3  トルコ軍がPKK掃討のためにイラク北部に越境

98.10  シリア政府が同国内に滞在していたオジャランを国外に追放

99.2  オジャランが,ケニアで拘束され,トルコ当局へ引渡し

99.6  トルコの裁判所がオジャランに対して死刑判決

99.8  オジャランが,獄中から「和平イニシアチブ」を発表し,トルコ政府に対話を要求
00.1  PKK「党大会」がオジャランによる「和平イニシアチブ」を支持

02.4  「クルド自由・民主会議」(KADEK)に名称変更

03.11  「コングラ・ゲル」(KONGRA-GEL)に名称変更

04.2  PKK軍事部門の「人民防衛軍」(HPG)がPKKの主導権を掌握

04.6  オジャランの「和平イニシアチブ」を破棄し,トルコ東部及び西部でテロを実行(このほか,7月の東部・ヴァン県知事襲撃事件,8月に発生した西部・イスタンブールのホテル2か所等を狙った爆破事件等に関与とも)

05.4  「クルド労働者党」(PKK)に名称を変更

05.6  事実上のPKK指導者カラユランが,トルコ政府に対し,攻撃停止及び対話を要求

07.5.22  トルコ首都アンカラの商業施設で自爆テロを実行し,8人が死亡,約100人が負傷

07.12  トルコ軍が,イラク北部のPKK基地及び同戦闘員に対する空爆等を開始

08.1.3  トルコ南東部・ディヤルバクル県で,同国軍部隊を標的とした自爆テロを実行し,5人が死亡,約110人が負傷

08.2  「クルド解放の鷹(たか)」(TAK)を名のる組織が,トルコに対するテロを頻発させる旨宣言

08.7.8  トルコ東部のアララト山で,ドイツ人観光客3人を誘拐(同月,解放)

08.10  トルコとイラクとの国境沿いの検問所でトルコ軍兵士15人を殺害したほか,ディヤルバクル県でも警察官を襲撃し,殺害

09.2  カラユランがHPGを率いるフェフマン・フセインを解任

09.8  オジャランが「トルコ政府との和平に向けたロードマップ」を公表する旨宣言
09.11  トルコ政府は,国内のクルド人等の権利を拡大する旨発表

09.12  トルコ北部・トカット県で,同国軍兵士7人を殺害

10.6.22  イスタンブールで,軍の輸送バスを標的とした爆弾テロを実行し,5人が死亡,12人が負傷

10.10.31  イスタンブール中心部で,警察官を標的とした自爆テロを実行し,邦人1人を含む32人が負傷

11.5.4  トルコ北部・カスタモヌ県で,国会議員選挙遊説で移動中のエルドアン首相の車列を襲撃し,警察官1人が死亡,同1人が負傷(同首相は空路を利用しており乗車せず)
11.7.14  トルコ南東部・ディヤルバクル県で,同国軍部隊を襲撃し,同国軍兵士13人が死亡,7人が負傷

11.9.20  アンカラ中心部で,自動車爆弾によるテロを実行し,民間人4人が死亡,33人が負傷。TAKが犯行声明を発出

11.10.19  トルコ東部・ハッカーリ県で,同国軍駐屯地2か所を攻撃し,同国軍兵士24人が死亡,約20人が負傷

12.6.19  トルコ東部・ハッカーリ県で,同国軍前哨基地3か所を攻撃し,同国軍兵士8人が死亡,19人が負傷

12.8.12  トルコ東部・トゥンジュリ県で,トルコ国会議員ヒュセイン・アイギュン氏(「共和人民党」所属)を誘拐し,同月14日に解放。国会議員の誘拐は初

12.8.20  トルコ南東部・ガジアンテップ県の警察署付近で自動車爆弾によるテロを実行し,市民ら8人が死亡,60人が負傷

13.5  トルコ領内からイラク北部に向けた戦闘員の段階的な撤退を開始
13.6.20  トルコ東部・ハッカーリ県で,同国軍幹部が乗ったヘリコプターを銃撃し,同機体の一部を損傷させたが,死傷者なし

13.7.3  トルコ南東部・ディヤルバクル県の2か所で同国軍基地を襲撃したが,死傷者なし

14.7.13  トルコ南東部・シャンルウルファ県ケイランピナル町で,同町長の車列を自動車爆弾等で襲撃し,警察官3人,同市長の護衛及び運転手の計5人が負傷

14.8.24  トルコ南東部・シュルナック県の火力発電所で,同所建設作業員の中国人3人を誘拐。同年10月10日,いずれも解放

15.2.16  トルコ南東部・シュルナック県で,PKKとみられる武装集団が現金輸送車を襲撃し,約680万米ドルを強奪

15.9.6  トルコ東部・ハッカーリ県で,同国軍の車列を標的とした爆弾テロを実行し,同国軍兵士16人が死亡,6人が負傷

15.12.23  イスタンブールのサビハ・ギョクチェン空港で爆発があり,清掃員1人が死亡,1人が負傷。TAKが犯行を自認

16.3.13  アンカラの官庁,大使館等が集まる中心地にあるバス停付近で,自爆テロを実行し,37人が死亡,120人以上が負傷。TAKが犯行声明を発出

16.6.7  イスタンブール中心部で,警察車両を標的とした自動車爆弾によるテロを実行し,11人が死亡,36人が負傷。TAKが犯行声明を発出

16.8.26  トルコ南東部・シュルナック県ジズレで,警察署付近で自動車爆弾によるテロを実行し,警察官11人が死亡,78人が負傷

16.10.6  イスタンブールのイェニボスナ地区で,警察署の前でバイクに仕掛けた爆弾を爆発させ,10人が負傷。TAKが犯行声明を発出

17.1.5  トルコ西部・イズミル県の裁判所付近で,自動車爆弾による爆弾テロを実行し,少なくとも2人が死亡,5人が負傷。TAKが犯行を自認

17.4.11  トルコ南東部・ディヤルバクル県の警察本部で,爆発が発生し,警察官1人及び民間人2人の合計3人が死亡,10人が負傷。HPGが犯行を自認

17.10.14  トルコ南東部・シイルト県で,同国軍兵士を標的とした路肩爆弾が爆発し,兵士7人が死亡,2人が負傷

18.7.31  トルコ東部・ハッカーリ県で,路肩爆弾が爆発し,民間人の親子2人が死亡

18.10.4  トルコ南東部・バトマン県で,同国軍車両を標的とした路肩爆弾が爆発し,兵士7人が死亡,2人が負傷

19.7.15  トルコ東部・トゥンジェリ県で,即席爆発装置(IED)が爆発し,子供2人が死亡

19.8.18  トルコ東部・ハッカーリ県で,路肩爆弾が爆発し,市民1人が死亡

20.7.20  トルコ東部・ハッカーリ県で,トルコ軍拠点を標的とするミサイルを発射し,同軍兵士2人が死亡

20.10.26  トルコ南部・ハタイ県イスケンデルンで,PKK戦闘員とされる者が自爆テロを実行。30日にHPGが犯行声明を発出 』