中露は軍事同盟国ではなく、ウクライナ戦争以降に関係後退していない

中露は軍事同盟国ではなく、ウクライナ戦争以降に関係後退していない
https://news.yahoo.co.jp/byline/endohomare/20220518-00296586

※ 今日は、こんなところで…。

『16日にプーチンが招集した軍事同盟CSTO首脳会談に中国が入っているはずがないし、中露間にも軍事同盟はなく、中国は(北朝鮮以外は)どの国とも軍事同盟を結んでいない。
中国は軍事的に中立でNATO結束からも独立している。

◆プーチンが招集した軍事同盟CSTOと中国

 5月16日、プーチン大統領はCSTO(Collective Security Treaty Organization)(集団安全保障条約機構)設立30周年記念にちなんで、関係国首脳をモスクワに呼んで会議を開いた。

CSTOはソ連崩壊に伴って1992年5月15日に旧ソ連の構成共和国6ヵ国によって設立された軍事同盟で、設立時から今日に至るまで紆余曲折があるものの、現在のメンバー国は「ロシア、ベラルーシ、アルメニア、 カザフスタン、 キルギス、 タジキスタン」である。

 中国と旧ソ連は、1950年代の後半から関係が険悪化し、1969年には中ソ国境にあるウスリー江の珍宝島(ダマンスキー島)で大規模な軍事衝突が発生し、中ソ国境紛争が始まった。

一時は中ソ間で核戦争が勃発するかもしれないというほど険悪な状態になり、これが結果的に米中接近を促したと言っても過言ではないほど、中ソは仲が悪かった。

 もちろん1989年5月、天安門事件が起きる寸前に、まだ「ソ連」だった頃のゴルバチョフ書記長が訪中し中ソ対立に終止符は打った。

しかし1989年6月に起きた天安門事件で中国人民解放軍が民主を叫ぶ丸腰の若者たちに発砲して民主化運動を武力で鎮圧したことにより、ソ連崩壊後のロシアは、まだ「中国人民解放軍」に対して十分には警戒を緩めていなかった。

 したがってCSTOは、ある意味、対中警戒的要素を持っているとも言える。

◆中露善隣友好協力条約が締結されたのはプーチンが大統領になってから

 プーチンは、ロシア連邦の第二代大統領(2000年~2008年)と第四代大統領(2012年~現在)を務めているが、中国とロシアの間の「中露善隣友好協力条約」が締結されたのは、プーチン政権になったあとの2001年7月16日のことだ。

 旧ソ連との間には1950年に中ソ友好同盟相互援助条約が結ばれており、それは軍事同盟でもあれば経済協力に関する条約でもあったが、1980年に失効している。

 ソ連崩壊後は上述の軍事同盟が旧ソ連の構成共和国の間で結ばれたくらいだから、中国との間の「中露善隣友好協力条約」に軍事同盟の要素があるはずがない。

 日本では、「中露善隣友好協力条約」の第九条が事実上の防衛協定だという人もいるが、そういう事実はない。第九条には以下のように書いてあるだけだ。

 第九条:締約国の一方が、平和が脅かされ、安全保障上の利益や締約国の一方に対する侵略的脅威を伴うと認識した場合は、双方は発生した脅威を排除するために、直ちに接触し、協議する。(九条ここまで)

 「接触し協議する」すなわち「相談する」だけなので、防衛協定ではない。特に

 第七条:締約国は、既存の協定に従い、国境地域の軍事分野における信頼を高め、軍事力を相互に削減するための措置をとる。 締約国は、それぞれの安全保障を強化し、地域及び国際安定を強化するため、軍事分野における信頼醸成策を拡大し、深化させる。締約国は、武器及び軍隊の合理的かつ十分な原則に基づき、自国の安全の確保に努める。関連する協定に基づく締約国間の軍事技術協力は、第三国を標的としていない。(七条ここまで)

となっており、「国境地域の軍事分野における信頼を高め、軍事力を相互に削減するための措置をとる」の部分は「昔のような国境紛争はやめましょうね」という、「中露両国は、もう互いに相手と戦争しませんよ」ということを謳っているくらいで、七条の文末にある「第三国を標的としていない」という言葉は、「中露は第三国に対して互いの国を守る軍事同盟は締結していませんよ」ということを意味している。

 すなわち、「中露ともに、相手国のために連携して、第三国と戦うということはしない」ということなので、中露善隣友好協力条約は軍事同盟ではないことが明確に示されている。

中露間に確実にあるのは戦略的パートナーシップで、習近平とプーチンの個人的な結びつきが強いということに依存している側面が大きい。

◆中国の秦剛駐米大使が米誌ナショナル・インタレストに「中露は同盟を結ばず」

今年4月18日に、駐アメリカの秦剛(しん・ごう)・中国大使が米誌ナショナル・インタレストに「ウクライナ危機以降」というタイトルの署名入り文章を発表した。その中で秦剛は以下のように書いている。

 ――ソ連解体後、アメリカと中国は1992年にそれぞれロシアのエリツィン大統領の訪問を受け入れ、「互いに(ロシアと)敵対しない」という関係を確立した。

当時の米露と中露関係は、同じ地点に立っていたのだ。

30年後、中露関係は大きく発展したが、「同盟も結ばなければ、対立もせず、第三者を標的としない」という性質に変化はない。中国はこれまでも、そしてこれからも、独立した大国であり、いかなる外部からの圧力を受けることもなく、事の善悪を自ら判断し、自ら自国の立場を決定していく。(引用ここまで)

 この「同盟を結ばず(中国語で「不結盟」、英語では“non-alliance”)」という言葉だけを取り上げて、日本では「中露関係が後退し、遂に秦剛が、『中露は同盟国でない』と言った」と喜ぶメディアがあるが、上述した経緯を見れば、それが如何に的(まと)外れであるかが分かるだろう。

 5月15日のコラム<ロシア苦戦で習近平の対ロシア戦略は変わったか?――元中国政府高官を直撃取材>にも書いたように、駐ウクライナの高玉生・元中国大使が「ロシアは惨敗する」と言ったことを、「中露関係が後退した」として鬼の首でも取ったように喜ぶジャーナリストがまだいるのは、中露の真相を理解していないためだろう。

◆気を付けた方がいいのは上海協力機構

 前述の秦剛駐米大使は、同じナショナル・インタレストの中で、上海協力機構に関して、以下のように書いている。

 ――1996年、クリントン大統領がデトロイトでNATOの東方拡大のタイムテーブルを初めて発表した年、「中国、ロシア、カザフスタン、キルギス、タジキスタン」の5ヵ国は上海で「国境地域における軍事分野における信頼強化に関する協定」に署名し、中国と旧ソ連諸国との国境問題を徹底して解決し、中ソ国境100万人兵士布陣の歴史に終止符を打ち、それを以て上海協力機構の礎(いしずえ)とし、相互信頼、相互利益、平等、協議、多様な文明の尊重、共通の発展の原則を確立し、「上海精神」の核を形成した。

その結果、中国とロシア、中央アジア諸国との長期的な善隣関係と共通の平和を実現した。 歴史は、異なる選択が異なる「果実」を産むことをわれわれに教えてくれた。(引用ここまで)

 この「上海精神」は、そもそも「NATOの東方拡大に反対」して誕生したようなものであり、そこに今ではインドが入っているということに目を向けなければならない。

 インドが上海協力機構に入ったプロセスは、拙著『ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略』の「習近平とモディ」による15回以上にわたる辛抱強い中印首脳会談の「果実」の一つなのである。

 今月22日~24日の日程でバイデン大統領が来日し、日米豪印から成る「クワッド」による対中包囲網を、対露包囲網と絡めながら展開させていくようだが、その前に立ち止まって、「中露関係」と「中露印」3ヵ国の実態を把握していく必要があるのではないだろうか(「中露印」3ヵ国が描いている構想に関しては『ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略』の第六章で詳述した)。

◆EUともNATOとも対立構造にない中国

 中国は北朝鮮と1961年に中朝友好協力相互援助条約という軍事条約を北朝鮮の要求により結ばされた以外は、どの国とも軍事条約を結んでいない。

その北朝鮮との軍事条約も、実は中国にとって足枷であり、早くこの足枷から逃れたいと中国は思っている。

 ただ、現在はアメリカの圧力からの緩衝地帯になっているので、それなりの役割を果たしてはいるが、中国は軍事的に危険な北朝鮮と運命を共にしたくないと思っているので、常に北朝鮮の暴走を抑えようとし、関係は微妙だ。

 となると、ロシアと違い、中国は特にEUやNATOと対立する要素は少なく、アメリカがウイグル問題で中国を批判せよと迫ってきたので、その批判をして見せて、中欧投資協定を中断させてしまったが、EUが、「中国がロシアを制裁しない」という理由だけで、対中批判を強めることも考えにくい。

 むしろ、ロシアを制裁することによって経済的に苦しい立場に追い込まれているEUは、いずれ「経済で結びつきを強めようとする中国」の存在が、ありがたくなる可能性が出てこないとも限らない。

 もし、上海協力機構が「NATOの東方拡大に反対して」設立されたのだから、中国はロシアとともに、NATOと対立関係にあると主張すると、上海協力機構の正式メンバー国である「インド」はどうなるのかという矛盾とぶつかる。

 そのことには「目をつぶって、真実を見ないようにしよう」というのが日本にはあるのではないのか。

 日本国民は現実を正視し、バイデンの来日が方向づける日本の未来を、俯瞰的に注意深く読んでいく必要があるだろう。

遠藤誉
中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。中国問題グローバル研究所所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。著書に『ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略 世界はどう変わるのか』(4月16日出版、PHP)、『裏切りと陰謀の中国共産党建党100年秘史  習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』、『ポストコロナの米中覇権とデジタル人民元』、『「中国製造2025」の衝撃 習近平はいま何を目論んでいるのか』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』、『卡子 中国建国の残火』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』など多数。』

ロシア、バルト海諸国評議会脱退

ロシア、バルト海諸国評議会脱退
https://www.jiji.com/jc/article?k=2022051800804&g=int

『【モスクワAFP時事】ロシア政府は17日、バルト海諸国評議会(CBSS)から脱退すると発表した。CBSSには、ロシアに加えドイツやフィンランド、ノルウェーなど11カ国が参加、欧州連合(EU)も加わってバルト海を中心にした地域協力を話し合ってきた。

バルト3国、ロシア産ガス停止 政治的影響力を排除へ

 ロシア外務省は声明を出し、CBSSについて「ロシア恐怖症とうその深みにどんどんはまった反ロ政策の道具」になり果てたと非難。

25日にノルウェーでロシア抜きの会合が計画されているが、参加させないならロシアの分担金を盗んだのと同じだと反発した。

さらに「ロシア排除の試みは必ず失敗する」と強調した。』

米、ベネズエラ制裁を一部緩和 与野党協議の再開後押し

米、ベネズエラ制裁を一部緩和 与野党協議の再開後押し
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN1812T0Y2A510C2000000/

『【サンパウロ=宮本英威】米政府は17日、南米ベネズエラへの制裁の一部を緩和する方針を示した。米石油大手シェブロンがベネズエラ国営石油会社PDVSAと協議することを認める。米政府は、反米左派のマドゥロ政権と米国が支援する野党側との間で、対立緩和を目指す交渉の再開を促したい考えだ。

米政府高官は「基本的には両社が協議することのみを許可する」と述べた。ロイター通信は、米政府がPDVSAの元幹部であるエリック・マルピカ氏を制裁対象のリストから外すと報じた。同氏は、マドゥロ大統領の夫人であるシリア・フロレス氏のおいにあたるという。

ただ、米政府が現在禁止しているベネズエラ産原油の輸入再開に即座につながるわけではない。米国内には、ロシアによるウクライナ侵攻後に禁輸したロシア産原油の穴埋めとして、ベネズエラ産に期待する声もあるものの、議会内には反対の声も目立ち、制裁緩和がさらに進むかどうかは見通せない。

与党・民主党のロバート・メネンデス上院外交委員長は17日公表した声明で「米国は具体的な譲歩が示されない限り、経済制裁の再調整をすべきではない」と主張した。

ベネズエラのロドリゲス副大統領は「すべての国民に影響する違法な制裁をすべて取り除く道を開くことを求めている」とツイッターに投稿した。

マドゥロ政権は2021年10月、野党側との対話を停止した。マネーロンダリング(資金洗浄)などの容疑で米国に訴追されていたマドゥロ氏側近の実業家が、西アフリカのカボベルデ政府から米国に引き渡されたのに抗議したためだった。』

米主導の新経済枠組み、日本で発足 中国対抗へハードル

米主導の新経済枠組み、日本で発足 中国対抗へハードル
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN17E0C0X10C22A5000000/

『バイデン米政権は17日、新たな経済圏構想「インド太平洋経済枠組み(IPEF)」を5月下旬に日本で発足させると表明した。サプライチェーン(供給網)やデジタルで緩やかな連携をめざす。アジア各国が求める市場開放には踏み込まず、中国に対抗する経済圏を築くにはハードルが高い。

レモンド商務長官が同日の記者会見で明らかにした。バイデン大統領は韓国と日本を訪れ、23日に岸田文雄首相と会談する。レモンド氏も大統領に同行し、日本でIPEF発足を宣言する。24日には日米豪印の「Quad(クアッド)」で首脳会議を開く。

レモンド氏はIPEF発足の理由について「米国がもっと存在感を出し、明確な経済戦略を持つようインド太平洋の国々から求められた」と説明した。「(トランプ)前政権がこの地域に関与せずに生じた空白を、我々が埋める必要がある」と強調した。

IPEFは、環太平洋経済連携協定(TPP)に復帰できないバイデン政権がTPPの代わりに苦肉の策として打ち出した枠組みだ。

具体的には

①貿易
②供給網
③インフラ・脱炭素
④税・反汚職

――の4分野で構成し、それぞれで政府間協定を結ぶ交渉を始める。日本のほか、韓国やオーストラリア、ニュージーランド、シンガポールなどが参加する見通しだ。分野ごとに参加国は異なる。

米通商代表部(USTR)高官によると、貿易の分野ではデジタル、労働、環境で新たなルールを設ける。企業にサーバーの設置義務を課しデータを自国内に保存させる「データローカライゼーション」規制の緩和などを決める。

供給網では、半導体などの戦略物資について在庫や生産能力といった情報を共有する体制を整える。災害など有事に速やかに協力できるようにする。

インフラでは中国の広域経済圏構想「一帯一路」に対抗し、低利融資などの支援策をまとめる。

バイデン政権は、関税の削減には踏み込まないと明言する。支持基盤の労働組合や与党・民主党の左派は「市場を開放すれば米国人の雇用が流出する」と警戒し、TPPのような自由貿易協定(FTA)を敵視するからだ。

市場開放という魅力に欠けるIPEFに、東南アジア各国をいかに巻き込むかが課題になる。米国が求める高水準のルールを受け入れる代わりに、得られる経済的な利益が乏しいからだ。

岸田文雄首相はバイデン氏との会談でIPEF参加の意向を伝える見通しだ。

5月上旬に訪米した萩生田光一経済産業相はレモンド氏に「スタートありきではなく、どれだけ多くの国々が趣旨に賛同するかが大事だ」と伝えた。日本は「多くの国が内容に意見が言える環境が必要だ」と水面下で繰り返し訴えてきた。

日本側は米国のインド太平洋への関与を引き出しながら、将来のTPP復帰に期待する。

インド太平洋の経済秩序における主導権争いは激しい。中国は、日本やオーストラリアなど多くの国の最大輸出先だ。中国はTPPへの加盟を申請し、日中韓が加わる東アジア地域包括的経済連携(RCEP)も発効した。

米ケイトー研究所のコリン・グラボウ氏はIPEFについて「米国は片腕を自ら縛ったまま、中国と影響力を競うようなものだ」と指摘する。

実効性を持たせられるかも焦点だ。各国議会の承認が必要な貿易協定ではないため、米国で政権が代われば立ち消えになる可能性がある。米国内では「IPEFは紳士協定のような形になるだろう」(米通商関係者)との見方が根強い。

バイデン政権の経済政策は2国間の対中政策をいまだに策定しておらず、IPEFの位置づけが曖昧だ。対中姿勢が定まらないまま、IPEFは見切り発車する形になる。

(ワシントン=鳳山太成、加藤晶也)
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青山瑠妙
早稲田大学大学院アジア太平洋研究科 教授
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ひとこと解説

このタイミングでのIPEFの発足は、アメリカや日本にとって大きな追い風となっています。

中国はゼロコロナ政策による操業リスクが改めて浮き彫りとなり、また経済成長も大きく落ち込むことが予想されています。

IPEFの成否はASEAN諸国の動向に左右されるといっても過言ではありませんが、ASEANとの関係を促進するうえで日本に期待される役割は大きいと言えましょう。

2022年5月18日 12:40 』

クルド人民防衛隊

クルド人民防衛隊
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%89%E4%BA%BA%E6%B0%91%E9%98%B2%E8%A1%9B%E9%9A%8A

『クルド人民防衛隊(クルドじんみんぼうえいたい、クルド語: Yekîneyên Parastina Gel, 発音 [jɑkinæjen pɑrɑstinɑ gæl]、略称:YPG)は、クルド民主統一党(PYD)の武装部門である。

「シリアの反体制派組織の一つ」として括られることが多いが、イスラム過激派系の反体制派とは明確な敵対関係にある一方で、場合によってはアサド政権と協調し、その目的もアサド政権の打倒よりは自治権の拡大或いは独立と思われるため、「反体制派」というよりは「第三勢力」や「独立派」と呼称した方が正確である。

シリア北部のクルド人地域ロジャヴァを本拠とする。[3][4]

YPGはシリア内戦[3][5] において、当初守勢を取り、ロジャヴァ地域を支配しようとする非クルド人集団に対してのみ闘っていた。

後にYPGは、主にアラブ人が住むISISが支配する領域に進出し始めた(例えば2015年6月の国境の町Tell Abyadがそうである)[6]。

状況や地域によってアサド政権と非イスラム過激派系の反体制派の双方と協調してきたYPGだが、2018年1月のトルコ軍のアフリーン侵攻に際し、反体制各派がトルコ軍と協調するか黙認する一方、YPGに支援要請を受けたアサド政権がこれに応じ援軍を派遣した事に加え、YPGの支援者であった欧米がトルコの侵攻を事実上黙認した事や、2018年12月にアメリカがシリアからの米軍撤退を発表した事が重なり、アサド政権との協調を強めた。

後に米軍の早期撤退が撤回されたことや、アサド政権との戦後交渉の不調、新型コロナウイルスの流行による勢力地域の固定化もあり、2020年現在は米軍の駐留を背景に勢力圏の維持を図りつつ、アサド政権との一定の協調関係も継続している。

人民保護部隊または人民防衛部隊などと訳されることもある。

目次

1 沿革
    1.1 コバニ制圧
    1.2 ラース・アル=アイン制圧
    1.3 ティル・コチェル解放
    1.4 コバニ包囲戦
    1.5 アレッポの戦い
    1.6 対トルコ戦争

2 組織
    2.1 クルド女性防衛部隊(YPJ)
    2.2 対テロ部隊
3 外国人義勇兵

4 関連項目

5 出典

6 外部リンク

沿革

YPGが掌握しているロジャヴァ内の地域(2014年2月)
YPGが掌握しているロジャヴァ内の地域(2015年6月)

PYDは2004年アルカーミシュリー暴動の後にYPGを設立した[3] 。PYDとクルド国民評議会(KNCによるエルビル合意への調印(2012年)の後、YPGはクルド最高委員会の名目的な指揮下に入った。

コバニ制圧

2012年7月終わり、YPGは政府の治安部隊をコバニ市から追い出し、アムダ(Amuda)とアフリン(Afrin)を支配下に置いた[7][8]。

2012年12月までにYPGは部隊を八個旅団まで拡張した。それらはアルカーミシュリー(Al-Qamishli)市と ラース・アル=アイン市)、アフリン郡、アルマリキーヤ郡(Al-Malikiyah)とアルバーブ郡(Al-Bab)で結成された[9]。

YPGがコバニからジハード主義者集団を追放して以来、YPGとイスラミストの間に衝突が増えた[10]。

ラース・アル=アイン制圧

詳細は「ラース・アル=アインの戦い(英語版)」を参照

2012年11月、自由シリア軍がラース・アル=アインを制圧。

しかしクルド人、キリスト教徒が多数を占める同市ではアラブ人たる自由シリア軍の支配に反発が高まり、民衆と自由シリア軍が衝突する事態となった。

一方YPGが「クルド人防衛」を名目としてラース・アル=アインに侵攻し、自由シリア軍と交戦。2月末、停戦合意が交わされ、町の南地区をYPGが、北地区を自由シリア軍が支配する事となった。

ティル・コチェル解放

2013年10月、YPGの戦士たちは、ISISとの激しい衝突の後、ロジャヴァにあるティル・コチェルの町を掌握した。

イラクのモースルと境を接しているティル・コチェルは、2013年10月23日に開始された「トゥルベスピイェ(Tırbespiyê)作戦」「ティル・エロ(Til Elo)殉教者作戦」の後取り戻された。

衝突は三日間続いた。YPGの戦士たちは5台の戦車を鹵獲し、続いて7つの村を掌握した。

さらに10月24日夜間の大攻勢において2つの村とティル・コチェル国境検問所を掌握した[11]。

PYDの指揮官サーレハ・ムスリムは、ステルク(Stêrk)テレビに対し次のように答えた。
ティル・コチェルにおける進展は、西クルディスタンの政治経済状況の変化につながるだろう、またこの成功は、全西クルディスタンを通商封鎖下に置こうとする努力に対し、オルタナティブを創造する。

またサーレハは、ティル・コチェル国境検問所は通商封鎖に対する、新しい貿易上の選択肢であると述べた[11]。

2014年には、ラッカ県のイスラム国と闘うために、YPGはそれまで対立していた自由シリア軍と共闘関係となった[12]。

またYPGはFSA内の複数グループと、「ユーフラテスの火山」と称する作戦司令部を結成した[13]。2015年2月には、レヴァント戦線とアレッポにおいて、司法協定を締結した[14]。
コバニ包囲戦

包囲下のコバニ
詳細は「コバニ包囲戦」を参照

2014年1月27日にはシリアのクルディスタン(ロジャヴァ)のコバニ地区 (Kobanê Canton) が置かれコバニはその中心地となったが、周囲ではサラフィー・ジハード主義武装勢力ISILの攻勢が始まり、7月2日にはコバニと周囲の農村に対する本格的な攻撃が始まった[15]。

2014年9月16日にはISILによる西側と南側からの包囲戦(コバニ包囲戦)が再開され、多くの避難民が出て国際社会による注目が集まった。

10月には防衛線があちこちで破られ市街地の多くをISILが掌握した。

クルド勢力の中心の一つがISILにより陥落する寸前となり、残っている住民や兵士に対する虐殺の恐れもあるため[16]、アメリカ合衆国を主とする多国籍軍による空爆が行われクルド人への支援が集まった。2015年1月27日、クルド勢力は市街地を完全に奪還した[17]。

アレッポの戦い

アレッポ市内の勢力図(2016年6月)

黄色がYPG、赤が政府軍、緑が反体制派、黒がISIL
詳細は「アレッポの戦い (2012-)」を参照

アレッポの戦いではシリア政府軍(アサド政権)と協調し、2016年2月、ロシア空軍の支援を受け、政府軍と共にアレッポ北部を攻撃し、トルコからアレッポやイドリブ県への補給路の一つを寸断した。

7月、政府軍はアレッポの反体制派支配地(アレッポ東部)を包囲した。

この一度目の包囲は反体制派の反撃によって破られたが、9月には政府軍は反体制派に奪われていたアレッポ南部を再奪還し、反体制派支配地域を再包囲した。

一連の政府軍によるアレッポ東部包囲の際、YPGは支配下にあるアレッポ市北部のシャイフ・マクスード地区の北西部に隣接するサカン・シャバービー地区(ライラムーン地区の東部)で反体制派と交戦し、同地区を制圧した。

サカン・シャバービー地区は、シリア政府軍が攻略をめざしていたアレッポ市バニー・ザイド地区、ハーリディーヤ地区を見下ろす高台に位置しており、政府軍による反体制派の支配するアレッポ東部包囲の一助を担う事となり、政府軍のアレッポ戦勝利後も引き続きこれら地区の自治を継続していたが、後述のトルコ軍によるアフリーン侵攻に対する兵力の引き抜きと、支援要請に応えたアサド政権との合意に基づき2018年2月22日にこれらの地区をアサド政権に移譲した。

対トルコ戦争

「トルコ軍によるシリア侵攻 (シリア内戦)」も参照

2018年1月20日、トルコ軍はテロ集団と見なしているシリアのクルド人組織「クルド民主統一党(PYD)」の影響下にある「クルド人民防衛部隊(YPG)」をシリア北西部アフリーン(Afrin)から排除する「オリーブの枝」作戦を開始。

シリア反体制派武装組織を支援する形で地上部隊を投入し、空爆と地上部隊による攻撃を開始。

これに対しYPGはアサド政権に軍事支援を要請、2月20日に民兵主体の政府軍部隊がアフリーン入りした。

3月18日、トルコ軍と反体制派がアフリーンを制圧し同市街を全面掌握。

12月28日、トルコがシリアのクルド人支配地域での軍事作戦の準備を進めるに先立ち、YPGの要請によりアサド政権が政府軍部隊をマンビジに投入。

「トルコ軍によるシリア侵攻 (2019年)」も参照

2019年10月9日、トルコ軍と自由シリア軍はシリア領内に侵攻。クルド人民防衛隊を含めたクルド人勢力に攻撃を開始した[18]。

クルド人勢力は、ロシアを仲介役としてシリア政府軍に協力を要請しながら、トルコ軍と対抗することとなった[19]。

10月17日には、アメリカの仲介による5日間の停戦に合意したが、国境線付近からの撤収を余儀なくされた[20]。

組織

YPGおよびYPJの戦闘員

特殊部隊YATのメンバー

YPGは自分たちを民主的な人民の軍隊だと考えており、内部選挙を指揮官任命の手段としている[21]。クルド人が圧倒的多数であるが、YPGに魅了されるアラブ人の数は増加している。その中には反政府勢力主流派から離脱した戦士も[22]地元の混住かアラブ人の村民同様、含まれている。それらの地域民衆は地域の安全の最良の保全者であると見なしている[23]。

多数の非クルド人クリスチャンもまたYPGの兵卒として闘っている。またYPGはアッシリア人のSutoroやSyriac Military Councilと親密な関係にある。

YPGはAK-47自動小銃など、他の中東武装勢力と同様の装備を持っているが、軍事バランスの問題からかシリア政府軍やシリアの反政府勢力に比べて諸外国の支援を十分に受けられておらず、これらからの鹵獲品も使用している。

クルド女性防衛部隊(YPJ)
詳細は「クルド女性防衛部隊」を参照

クルド女性防衛部隊(YPJ)はYPGの女性部隊である。YPJは2012年に設立された。クルドメディアは、コバニ市における対ISISの戦闘でYPJの兵士は生命線であったと評した[24]

対テロ部隊
詳細は「イェキネイェン・アンティ・テロル」を参照

対テロ部隊(クルド語: Yekîneyên Antî Teror, YAT)は、2014年にYPGおよびYPJのメンバーより編成された特殊部隊である。米軍特殊部隊とCIAに訓練を受け、ロジャヴァ内におけるISILの潜伏細胞の排除、敵対異域での作戦行動を任務としている。

外国人義勇兵
ドイツ、フランス、スペインからやってきた義勇兵

YPGには非クルド人義勇兵が参加している。その人数は不明である。彼らの多くは南北アメリカ、ヨーロッパとオーストラリアから来ている。

2014年10月21日、YPGは外国人義勇兵募集用のFacebookページ「ロジャヴァの獅子達」を開設した[25][26]。

あるアメリカ人は、この方法により志願したが、ISISが他の西洋人戦士に対するのと同様に、彼の首に懸賞金をかけたと主張した後、脱走しYPGを離れた。

YPGと共に過ごした時に対し、彼は次のような主張と意見を述べている。「軍隊経験がなく、年齢制限もなく、また肉体的制限もかけず、誰でも連れて行くのは極めて危険である…かれらは人びとをそこへ連れて行き、銃を渡し、相棒よ幸運をと言うだけだ。」[27]

また反社会主義を脱退の理由とする義勇兵もいる。しかし、著名義勇兵であるジョーダン・マトソンは、コバネでの激烈な戦闘が脱退の理由ではないかと述べている。マトソンは「ネット上の情報に基づいて、むちゃな行動に出た『インターネット・カウボーイ』たちの大半は、ここでの戦いが通常の派兵とは違うことに気付き、戦意を喪失したのかもしれない」と述べた[28]。

アメリカ合衆国

2014年11月時点で、YPGと共に闘っている、少なくとも10名のアメリカ人義勇兵がいた。[29] ジョーダン・マトソンはアメリカ陸軍に歩兵として従軍していた。[30] ジェレミー・ウッダードはイラクとアフガニスタン両方で従軍していた[31]。退役した陸軍軍人のブライアン・ウィルソン[32]は、ラアス・アル=アインに居る[31]。

カナダ

少なくとも1人のカナダ人、元パトリシア王女カナダ軽歩兵連隊所属の兵士 ブランドン・グロソップが、「ロジャヴァの獅子」たちと従軍していることが知られている[33]。

オーストラリア

オーストラリアでは、シリア内戦に関わった者はすべて起訴するという豪当局の脅しにも関わらず、元労働組合員やオーストラリア労働党ノーザンテリトリー前支部長マシュー・ガーディナー(英語版)[34]ら豪州国内の左派勢力の数名がYPGに関与している。2015年2月26日に、YPGと共同行動をしている外国人義勇兵の初の死亡が公表された[35]。死亡した28歳のアシュリー・ジョンソンは、2014年10月に人道支援要員としてキャンベラからシリア内クルディスタンに渡った。彼は後に前線戦士としてYPGに従軍することを決意した[36][37][38]。

その他

イタリア人1人、[39] ギリシャ人1人と、何十人もの非クルド トルコ人(トルコとヨーロッパの移民社会両方から)もまたYPGの戦列に加わった[29]。

これらのトルコ人戦士の多くは、マルクス・レーニン主義共産党(トルコ語版、英語版)(MLKP)のメンバーである。

未確認情報だが、MLKPは2012年以来義勇兵をYPGに送っているとされる。少なくとも4名が2015年2月の、うち1名はラアス・アル=アインの戦い、3名はコバニ包囲戦で死亡している。

MLKPはYPG内に左翼国際旅団をつくる意図を表明している。これはスペイン市民戦争において、スペイン第二共和政側で闘った、有名な国際旅団 をモデルにしたものだ[40]。

MLKPは2015年1月下旬にビデオを公開した。そこにはヨーロッパから来た、スペイン語やドイツ語をしゃべる数名の共産主義者義勇兵が、ジャジーラ郡の兵卒の中にいると主張するものであった。このような義勇兵グループは、6月10日より国際自由大隊として公式に再編成された[41]。

関連項目

アル=アクラド戦線(英語版)
ペシュメルガ
クルディスタン労働者党
ペジャーク (英語版)
en:Sutoro
シリア内戦における武装組織一覧 (英語版)
反体制派 (シリア 2011-)
コバニ包囲戦
ロジャヴァ
クルド民主統一党 』

シリア「かりそめの停戦」に危うさ 中東に大きな傷痕

シリア「かりそめの停戦」に危うさ 中東に大きな傷痕
トルコ、軍事作戦の停止で米と合意
(2019年10月18日 23:35)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO51168260Y9A011C1FF8000/

『【イスタンブール=岐部秀光、ワシントン=中村亮】トルコのエルドアン大統領は17日、同国を訪れた米国のペンス副大統領と会談し、シリア北部でのクルド人勢力への軍事作戦の停止で合意した。

シリアでの暴力拡大が深刻な人道危機を招く最悪の事態は避けられた。

しかし、トランプ政権による唐突な軍撤退の発表に端を発した混乱は中東に大きな傷痕を残した。合意の持続性への懸念も根強く、かりそめの停戦には危うさもひそむ。

合意から一夜明けた18日、クルド人勢力の報道官はシリア北部ラス・アルアインでトルコ軍による空爆や砲撃が継続していると主張。一方でトルコはクルド側が迫撃砲を使って攻撃を仕掛けていると指摘した。

米トルコの共同声明はシリア北部に設ける安全地帯の範囲を特定していない。トルコは国境に沿ってほぼ全域に安全地帯を設けるとこれまで主張してきたが、米国務省シリア担当特別代表のジェームズ・ジェフリー氏は限定的な範囲にとどまると説明した。トルコは、国内に滞留する多数のシリア難民を安全地帯に押し込む考えだ。

トルコが今回の軍事作戦で攻撃対象としたクルド人勢力の人民防衛隊(YPG)は、シリアにおける過激派組織「イスラム国」(IS)掃討作戦で地上戦の中心を担った。

しかし、トルコからみれば、YPGもまた国内で分離独立を求める非合法の武装組織、クルド労働者党(PKK)につながる「テロリスト」だ。

安全地帯の設置には、トルコとの国境地帯で活動するYPGを国境から遠ざける狙いがある。

一方、米軍の撤退で後ろ盾を失ったYPGはシリアの支援を仰がざるを得なかった。裏切られたYPGが今後、米国に協力するのはむずかしい。

最大の懸案は、多大な犠牲を払ってようやく封じ込めたISが復活するシナリオだ。YPGはシリア北部でIS戦闘員の拘束施設を管理していた。ここには約1万1000人の元戦闘員が囚人として捕らえられていた。シリア人とイラク人がそれぞれ約4000人、さらに約2000人以上の様々な外国人戦闘員がいたとされる。

ISの支配地にいた難民を収容したキャンプも多数ある。アインイッサのキャンプでは約800人が混乱に乗じて逃走したと報じられている。シリア各地に残る無秩序な地域で、ISの支持者が再集結する懸念がある。

シリアのアサド政権も大きな利益を得た。YPGが数千人の犠牲を出してISから奪還したコバニなどの町や、ユーフラテス川のタブカ・ダムを労せずして取り戻すことができた。アサド政権がクルド人を弾圧するおそれもある。シリア内戦の出口は一段と遠のいたとみられる。

アサド氏の後ろ盾であるロシアは影響力を一段と強めた。米軍が撤退したことでイランは、イラク、シリア、レバノンへと続く「シーア派の三日月地帯」を一段と強固なものにできる。

米外交の迷走は、同盟国に動揺を広げた。トランプ政権と蜜月にあるイスラエルやサウジアラビアは、クルド人と同じように見捨てられる可能性を考えざるを得ない。

トランプ政権がトルコに譲歩した背景には、米国内でシリア政策をめぐる批判が強まっていたことがある。米議会下院は16日、米軍撤収に反対する決議を超党派で可決した。与党の共和党からもトランプ氏の判断に不満が噴き出した。

トランプ氏は17日、テキサス州で記者団に対し、トルコへの経済制裁が効き目を上げて合意につながったのだと主張した。「この結果は10年間めざしてきたものだ。でも誰も達成できなかった」と自画自賛した。ペンス氏も「合意はトランプ氏の指導力によるものだ」と持ち上げた。

米議会では合意を不十分とする見方が目立つ。共和党の上院外交委員会トップのジム・リッシュ議員は17日、「停戦以外に対処しなければいけない事柄があるのは明らかだ」と強調した。

野党・民主党のペロシ下院議長と上院トップのシューマー院内総務は声明で、トルコの要求を丸のみしたうえで経済制裁の解除に応じる政権の判断を批判した。トルコが少数民族を保護し、IS対策を徹底するよう圧力をかける必要があるとして、対トルコ制裁法案の成立をめざすと表明した。』

トルコ銃乱射 対IS・クルド戦泥沼化 相次ぐ報復

トルコ銃乱射 対IS・クルド戦泥沼化 相次ぐ報復

毎日新聞 2017/1/3 23:22(最終更新 1/3 23:45) 有料記事 1010文字
https://mainichi.jp/articles/20170104/k00/00m/030/134000c

『【イスタンブール大治朋子】トルコ最大の都市イスタンブールで1日未明に起きた銃乱射事件は、過激派組織「イスラム国」(IS)が犯行を認める声明を出し、トルコとの対立激化を改めて印象付けた。

トルコは、国内で大規模テロを繰り返すISや、トルコ政府と敵対的な少数民族クルド系武装組織への攻勢を強めるが、両者との「報復合戦」は泥沼化し治安悪化に歯止めがかからない状況だ。

 トルコ軍は先月30日の発表で、昨年8月からシリアで進める軍事作戦によりIS戦闘員1171人、クルド系武装組織兵士291人をそれぞれ殺害したと明らかにした。

一方、中東の衛星テレビ局アルジャジーラの集計によると、ISやクルド系武装組織が昨年中にトルコ国内で行ったテロ攻撃による犠牲者は計277人に達した。(※ 無料は、ここまで)』

クルド労働者党(PKK)

クルド労働者党(PKK)Partiya Karkeran Kurdistan
https://www.moj.go.jp/psia/ITH/organizations/ME_N-africa/PKK.html

『 トルコとイラクとの国境地帯を拠点に活動する分離主義組織。

別称:
①Kurdistan Freedom and Democracy Congress,②Freedom and Democracy Congress of Kurdistan,③KADEK(注1),④Kurdistan Workers’ Party,⑤The People’s Defense Force,⑥Halu Mesru Savunma Kuvveti,⑦Kurdistan People’s Congress,⑧People’s Congress of Kurdistan,⑨KONGRA-GEL(注2)』

『(1) 設立時期

1978年(左翼系武装組織「民族解放軍」(注3)から「クルド労働者党」〈PKK〉に名称変更)

(2) 活動目的・攻撃対象

ア 活動目的

設立当初は,トルコ南東部での「クルド人国家の樹立」を掲げてきたが,近年,「クルドの文化や言語を保護する」として,同国内での自治権獲得に向けた取組を強化している。
イ 攻撃対象

主な攻撃対象は,トルコ政府及び同国治安部隊である(注4)。しかしながら,活動方針をめぐって敵対関係にあるクルド系政党やPKKに非協力的な民間人を標的とする場合があるほか,「クルド解放の鷹(たか)」(TAK)(注5)を名のる組織は,トルコ国内の観光地も標的であると主張している。

(3) 活動地域

イラク北部のクルド人居住地域を主たる拠点とし,①トルコ南東部・ディヤルバクル県,ハッカリ県,シュルナック県等の郊外,②同国西部・イスタンブール,首都アンカラ等の都市部,③地中海やエーゲ海沿いの観光地等でテロを実行してきたほか,欧州等でもテロ支援活動を行っているとされる。また,PKKのシリアにおける関連組織「民主統一党」(PYD)は,2012年以降,同国北部のクルド人居住地域の多くを支配下に置いたとされる(注6)。

(4) 勢力

4,000~5,000人程度であり,このうち3,000~3,500人はイラク北部で活動しているとされる(注7)。このほか,トルコ及び欧州に多数の支持者を有しているとされる(注8)。メンバーの大半はトルコ系クルド人である。

(5) 組織・機構

ア 最高指導者,幹部

(ア) アブドラ・オジャラン(Abdullah Ocalan)(服役中)

設立者で象徴的指導者。1948年4月4日トルコ生まれ(注9)。1970年代,アンカラ大学に在学中,左翼系武装組織「民族解放軍」の指導者に就任した。1978年,同組織の名称を「クルド労働者党」(PKK)に変更し,同国南東部での「クルド人国家の樹立」に向けて活動した。

1980年にトルコを出国し,レバノン,シリア等への滞在を経て(注10),ロシア,オランダ,イタリア,ギリシャ等で庇(ひ)護申請を行うなどしたが認められず,アフリカ等で潜伏場所を探していたところ,1999年2月にケニアで拘束され,トルコ当局に身柄を引き渡された。

同人は,1999年6月,トルコ領域の一部を分離させるために計画的な行動を実行したなどとして,アンカラの治安裁判所から死刑を言い渡された。2002年10月,トルコでの死刑廃止(同年8月)に伴い,終身刑に減刑され,現在はマルマラ海のイムラル島で服役中である。

同人は,獄中の1999年8月に「和平イニシアチブ」を発表し,PKKメンバーに対してトルコ政府との対話を訴えてきたが,PKKとトルコ政府の武力衝突が拡大したことから,同人の統率力が低下しているとの指摘もあった。しかし,PKKは,2013年3月,トルコ政府と合意したオジャランの指示に基づき停戦を宣言したほか,2015年2月には,武装解除を決定する会議にオジャランの出席を要求したこと等から,今もなお,同人はPKKに対する影響力を保持しているとみられている。

(イ) ムラット・カラユラン(Murat Karayilan)

服役中のオジャランに代わる事実上の指導者(注11)であり,PKKの軍事部門とされる「人民防衛軍」(HPG)指導者(注12)。1954年(注13)6月5日生まれ。トルコ国籍。「クルド社会連合」(KCK)(注14)幹部委員会議長。オジャランの「和平イニシアチブ」を受け,トルコ政府に対し,「PKKに対する軍事作戦の停止を条件として,武装解除及び対話に応じる」などと表明する一方で,「自衛のために抵抗する」との姿勢を堅持している。

米国財務長官は,2009年10月,麻薬の密売等に関与しているとして,同人を制裁対象に指定したほか,米国国務省は,2018年11月,同人に関する情報提供に対し,最大500万米ドルの報奨金を支払うと発表した。

(ウ) フェフマン・フセイン(Fehman Huseyin)(死亡との報道)

別名:
バホズ・エルダル(Dr.Bahoz Erdal)

PKKの軍事部門とされるHPG元指導者(注15)。シリア国籍。PKK内部における有力な強硬論者としてテロを主導していたが,カラユランらと対立したため,2009年2月にPKK指導部から排除された。

2016年7月,トルコメディアは,同人がシリア北部で殺害されたと報じた(注16)。

(エ) ジェミル・バイク(Cemil Bayik)

PKK設立メンバーの一人であり,KCK幹部委員会共同議長(注17)。1955年(注18)2月26日生まれ。トルコ国籍。

米国財務長官は,2011年4月,麻薬の密売等に関与しているとして,同人を制裁対象に指定したほか,米国国務省は,2018年11月,同人に関する情報提供に対し,最大400万米ドルの報奨金を支払うと発表した。

イ 組織形態・意思決定機構

トルコ,イラク及びイランにまたがるカンディール山地のイラク側に設立されたKCK幹部委員会が,PKKに対する指導部としての役割を担っているとされる。1999年8月に発表されたオジャランの「和平イニシアチブ」以降,カラユランらはトルコ政府との対話を求めてきたが,PKK軍事部門とされるHPGは,2004年2月,PKKの主導権を掌握し,テロを実行した。

このほか,2004年頃からTAKを名のる組織が,イスタンブールを中心に自爆テロ等を実行している。

(6) 沿革

PKKは,1978年,マルクス・レーニン主義を標ぼうする分離・独立組織として,左翼系武装組織「民族解放軍」から名称を変更して設立された。1984年,トルコ政府に対するテロを初めて実行し,1990年以降,同国でテロを頻発させた。1993年及び1995年には,欧州におけるトルコの外交・商業施設に対するテロも実行している。米国国務長官は,1997年10月,同組織を外国テロ組織(FTO)に指定した。

PKK最高指導者オジャランは,1999年2月に拘束された後,同年8月,獄中から「和平イニシアチブ」を発表した。同「イニシアチブ」は,PKKメンバーに対して暴力の停止を命じるとともに,トルコ政府に対話を求めることを内容とし,2000年1月のPKK「党大会」で支持が決定された(注19)。その後,PKKは,2002年4月の「党大会」で,「クルド自由・民主会議」(KADEK)へと名称を変更し,「クルド人の権利を保護するため非暴力的活動を行う」ことを宣言した。

PKKは,2003年11月,「コングラ・ゲル」(KONGRA-GEL)に名称を変更した際にも,改めてテロの停止を宣言した。しかしながら,PKKの軍事部門とされるHPGは,2004年2月,PKKの主導権を握り,同年6月,「和平イニシアチブ」を破棄するとともに,イラク国内の拠点から越境してトルコ東部及び西部でテロを実行した(注20)。

こうした事態を受け,オジャランは,改めて「和平を訴える」として,組織名をPKKに戻し,組織再編を行ったとされる。また,事実上のPKK最高指導者であるカラユランも2005年6月,トルコ政府に対し,PKKに対する攻撃が停止されれば停戦及び武装解除の上で「対話に応じる」などと宣言した。しかし,同国政府は,武装解除の条件として幹部を含む全メンバーの恩赦を求めるPKKの要求には応じず,PKKによる一方的な停戦宣言は容認できないとの立場を堅持した。そのため,PKKは,同国治安部隊に対し,「自衛」と称してテロを繰り返した。

2009年8月,HPGを率いるフェフマン・フセインがカラユランによって解任された後,オジャランは,「トルコ政府との和平に向けたロードマップを公表する用意がある」と宣言した。一方,トルコ政府も同年11月,国内のクルド人等の権利を拡大する旨発表し,両者の対話も期待されたが,同国政府がPKKに対する従前の立場を堅持している上,PKKが同年12月に同国北部・トカット県で同国軍兵士7人を殺害したことから,対話の実現には至らなかった。

2013年3月,PKKは,オジャランの指示に基づき停戦を宣言したほか,同年5月,トルコ領内からイラク北部に向けた戦闘員の段階的な撤退を開始した。しかし,トルコ南東部や東部では,その後も同国治安部隊及びPKKとの間で衝突が発生したこと等から,オジャランは,2015年2月,同国政府に対して民主的改革の実施を要求する一方で,PKKに対しては,武装解除を決定する会議を開催するよう呼び掛けた。同呼び掛けを受け,PKKは同年3月,オジャランの提案を歓迎する旨の声明を発表したが,ジェミル・バイクは,「我々の指導者(オジャラン)が不在の状況で(武装解除の)決定を行うことはない」などと主張し,会議へのオジャランの出席を要求するなどした。

一方,PKKの関連組織とされるTAKを名のる組織は,2004年頃から都市部を中心にテロを実行してきた。2005年には,新たな戦術として自爆テロを採用し,トルコ経済に打撃を与えるために観光地を標的とした攻撃を実行したほか,2008年2月,自組織のウェブサイト上で,同国政府等に対するテロを頻発させる旨表明し,観光地やホテルに対する爆弾テロや外国人観光客の誘拐を実行した。さらに,同組織は,2011年8月,同国軍のバスに対する爆弾テロを実行した際,犯行声明において,「我々の戦士は,トルコ全土で自らの任務(同様の攻撃)を行う用意がある」などと主張した。また,同年9月に,アンカラ中心部で自動車爆弾によるテロを実行した際も,その犯行声明において,「今次テロは一連のテロの始まりにすぎない」,「大都市は我々の主要な攻撃対象である」などと主張した。

(7) 最近の主な活動状況

ア 概況

PKKは,2015年7月,トルコ南東部・シャンルウルファ県で警察官2人を殺害したが,同国政府はこれを機に,同国南東部やイラク北部でPKKに対する空爆を断続的に実施したほか,トルコ各地でPKKの拠点を摘発し,戦闘員多数を殺害・拘束した。一方,PKKは,同国軍による空爆等を受け,同月,「政府との停戦はもはや意味を失った」とする声明を発出し,同国南東部等で,同国治安部隊等を標的としたテロを実行し,同国政府及びPKK間の和平の機運は遠のいた。これ以降,PKKは,同国南東部や東部を中心に,治安当局等を標的としたテロを継続している一方,同国治安当局も,PKKに対する掃討作戦を進めており,1万人以上のPKK戦闘員を殺害又は拘束したとされる。

また,TAKを名のる組織は,2015年12月,イスタンブールのサビハ・ギョクチェン空港における爆弾テロについて,治安当局による対PKK作戦に対する「報復」とした上で,「今後,外国人観光客の安全にTAKは責任を持たない」などと主張し,その後もアンカラやイスタンブールで大規模な爆弾テロを続発させた。2016年6月には,外国人観光客に対し,「我々のターゲットではないが,トルコはもはや安全な国ではない」などと改めて警告している。なお,2017年1月の西部・イズミル県の裁判所付近における自動車爆弾テロ以降,同組織が犯行を自認する大規模テロの発生は確認されていない。

このほか,PYD及びその軍事部門とされる「人民防衛隊」(YPG)は,2012年以降,シリア情勢の混乱に乗じて,同国北部におけるクルド人居住地域の多くを支配下に置き,自治権の確立を目指して活動しているとされる。

PYD/YPGは,2014年1月以降,ISILとの衝突を本格化させ,特に,同年8月初めにISILがイラクのクルディスタン地域政府(KRG)管轄地域に対する侵攻を開始した際には,同地域に戦闘員を派遣してKRGを支援したとされるほか,同年9月以降は,自組織の支配地に対しても攻撃を強めた「イラク・レバントのイスラム国」(ISIL)との間で,シリア北部の要衝地アイン・アル・アラブ(クルド名:コバニ)等をめぐり,大規模な戦闘を繰り返した(注21)。

こうした中,YPGは,2015年10月,対ISILで共闘関係にあった複数のアラブ系反体制派勢力等との連合体「シリア民主軍」(SDF)を結成し,米軍等の支援の下,ISILへの攻勢を強めた。

2016年にはISIL支配下であったシリア北部・マンビジを制圧するなどして支配地を拡大した。

また,PYDは,同年3月,事実上の「自治区」設立を宣言し,シリア北部の複数の勢力圏に「連邦制」を導入する(注22)とした上で,2017年9月,3回の選挙を予定している地方議会の第一回選挙を実施したとされる。

SDFは,同年10月,ISILが「首都」と称していたシリア北部・ラッカの解放を宣言し,2018年も同国北東部・ハサカ県や同国東部・デリゾール県でISIL掃討作戦を継続した。

これに対し,PYD/YPGをPKKと関連を有する「テロ組織」とみなしているトルコは,2018年1月に続き,2019年10月に,シリアへの越境攻撃を実施した(注23)。同攻撃で,PYD/YPGは,トルコ国境付近の支配地を喪失した。

2020年12月には,PYD/YPGがKRGの治安組織「ペシュメルガ」を攻撃する事案が発生し,PKKとKRGとの間に緊張状態が生じた(注24)。

イ 資金獲得活動・リクルート活動

(ア) 資金獲得活動

PKKは,麻薬取引によって活動資金の多くを得ているとされる(注25)。米国財務長官は,2008年5月,外国麻薬中心人物指定法(Foreign Narcotics Kingpin Designation Act)に基づき,20年以上にわたり麻薬取引に関与してきたとして,PKKを重大な麻薬取引者(significant narcotics trafficker)に指定した。

また,PKKは,トルコ国内のほか,ドイツ(注26),イタリア(注27)等に所在するクルド人居住地域において,麻薬取引以外にも人身売買,密輸,金品の強要,誘拐等によって多額の資金を得ているとされる(注28)。

ドイツ南部・カールスルーエの連邦検察局は,2012年4月,PKKの欧州資金調達責任者であったトルコ国籍のアブドゥッラー・S(当時45歳)が逮捕されたことを明らかにした。

このほか,2013年2月,フランス及びスペイン両国で,PKKの資金調達を目的とした金品の強要事案に関連したテロ関連捜査が共同で行われ,フランス南西部でクルド人17人が,スペインで6人がそれぞれ逮捕された(注29)。

PKKは,2015年7月の停戦崩壊後,欧州での資金獲得活動を強めているとされる(注30)など,欧州を兵站(たん)活動の拠点として利用していると指摘されている(注31)。

(イ) リクルート活動

PKKは,トルコ南東部のクルド人貧困層や同国西部の都市部に移住したクルド人若年層等を主な対象にリクルートを行っているとされるほか,シリア及びイランのクルド人等もリクルートしていると指摘されている(注32)。

また,欧州に居住するクルド人を対象としたリクルートを行っているとも指摘されている(注33)。

年月日 主要テロ事件,主要動向

78年  左翼系武装組織「民族解放軍」から「クルド労働者党」(PKK)に名称を変更。最高指導者にアブドラ・オジャランが就任

80年  オジャランがトルコから出国し,レバノン国内にPKKの訓練キャンプを設立

84.8  トルコ南東部でテロを開始し,警察官2人を殺害

91.8  トルコ軍がイラク北部のPKK訓練キャンプを急襲

95.3  トルコ軍がPKK掃討のためにイラク北部に越境

98.10  シリア政府が同国内に滞在していたオジャランを国外に追放

99.2  オジャランが,ケニアで拘束され,トルコ当局へ引渡し

99.6  トルコの裁判所がオジャランに対して死刑判決

99.8  オジャランが,獄中から「和平イニシアチブ」を発表し,トルコ政府に対話を要求
00.1  PKK「党大会」がオジャランによる「和平イニシアチブ」を支持

02.4  「クルド自由・民主会議」(KADEK)に名称変更

03.11  「コングラ・ゲル」(KONGRA-GEL)に名称変更

04.2  PKK軍事部門の「人民防衛軍」(HPG)がPKKの主導権を掌握

04.6  オジャランの「和平イニシアチブ」を破棄し,トルコ東部及び西部でテロを実行(このほか,7月の東部・ヴァン県知事襲撃事件,8月に発生した西部・イスタンブールのホテル2か所等を狙った爆破事件等に関与とも)

05.4  「クルド労働者党」(PKK)に名称を変更

05.6  事実上のPKK指導者カラユランが,トルコ政府に対し,攻撃停止及び対話を要求

07.5.22  トルコ首都アンカラの商業施設で自爆テロを実行し,8人が死亡,約100人が負傷

07.12  トルコ軍が,イラク北部のPKK基地及び同戦闘員に対する空爆等を開始

08.1.3  トルコ南東部・ディヤルバクル県で,同国軍部隊を標的とした自爆テロを実行し,5人が死亡,約110人が負傷

08.2  「クルド解放の鷹(たか)」(TAK)を名のる組織が,トルコに対するテロを頻発させる旨宣言

08.7.8  トルコ東部のアララト山で,ドイツ人観光客3人を誘拐(同月,解放)

08.10  トルコとイラクとの国境沿いの検問所でトルコ軍兵士15人を殺害したほか,ディヤルバクル県でも警察官を襲撃し,殺害

09.2  カラユランがHPGを率いるフェフマン・フセインを解任

09.8  オジャランが「トルコ政府との和平に向けたロードマップ」を公表する旨宣言
09.11  トルコ政府は,国内のクルド人等の権利を拡大する旨発表

09.12  トルコ北部・トカット県で,同国軍兵士7人を殺害

10.6.22  イスタンブールで,軍の輸送バスを標的とした爆弾テロを実行し,5人が死亡,12人が負傷

10.10.31  イスタンブール中心部で,警察官を標的とした自爆テロを実行し,邦人1人を含む32人が負傷

11.5.4  トルコ北部・カスタモヌ県で,国会議員選挙遊説で移動中のエルドアン首相の車列を襲撃し,警察官1人が死亡,同1人が負傷(同首相は空路を利用しており乗車せず)
11.7.14  トルコ南東部・ディヤルバクル県で,同国軍部隊を襲撃し,同国軍兵士13人が死亡,7人が負傷

11.9.20  アンカラ中心部で,自動車爆弾によるテロを実行し,民間人4人が死亡,33人が負傷。TAKが犯行声明を発出

11.10.19  トルコ東部・ハッカーリ県で,同国軍駐屯地2か所を攻撃し,同国軍兵士24人が死亡,約20人が負傷

12.6.19  トルコ東部・ハッカーリ県で,同国軍前哨基地3か所を攻撃し,同国軍兵士8人が死亡,19人が負傷

12.8.12  トルコ東部・トゥンジュリ県で,トルコ国会議員ヒュセイン・アイギュン氏(「共和人民党」所属)を誘拐し,同月14日に解放。国会議員の誘拐は初

12.8.20  トルコ南東部・ガジアンテップ県の警察署付近で自動車爆弾によるテロを実行し,市民ら8人が死亡,60人が負傷

13.5  トルコ領内からイラク北部に向けた戦闘員の段階的な撤退を開始
13.6.20  トルコ東部・ハッカーリ県で,同国軍幹部が乗ったヘリコプターを銃撃し,同機体の一部を損傷させたが,死傷者なし

13.7.3  トルコ南東部・ディヤルバクル県の2か所で同国軍基地を襲撃したが,死傷者なし

14.7.13  トルコ南東部・シャンルウルファ県ケイランピナル町で,同町長の車列を自動車爆弾等で襲撃し,警察官3人,同市長の護衛及び運転手の計5人が負傷

14.8.24  トルコ南東部・シュルナック県の火力発電所で,同所建設作業員の中国人3人を誘拐。同年10月10日,いずれも解放

15.2.16  トルコ南東部・シュルナック県で,PKKとみられる武装集団が現金輸送車を襲撃し,約680万米ドルを強奪

15.9.6  トルコ東部・ハッカーリ県で,同国軍の車列を標的とした爆弾テロを実行し,同国軍兵士16人が死亡,6人が負傷

15.12.23  イスタンブールのサビハ・ギョクチェン空港で爆発があり,清掃員1人が死亡,1人が負傷。TAKが犯行を自認

16.3.13  アンカラの官庁,大使館等が集まる中心地にあるバス停付近で,自爆テロを実行し,37人が死亡,120人以上が負傷。TAKが犯行声明を発出

16.6.7  イスタンブール中心部で,警察車両を標的とした自動車爆弾によるテロを実行し,11人が死亡,36人が負傷。TAKが犯行声明を発出

16.8.26  トルコ南東部・シュルナック県ジズレで,警察署付近で自動車爆弾によるテロを実行し,警察官11人が死亡,78人が負傷

16.10.6  イスタンブールのイェニボスナ地区で,警察署の前でバイクに仕掛けた爆弾を爆発させ,10人が負傷。TAKが犯行声明を発出

17.1.5  トルコ西部・イズミル県の裁判所付近で,自動車爆弾による爆弾テロを実行し,少なくとも2人が死亡,5人が負傷。TAKが犯行を自認

17.4.11  トルコ南東部・ディヤルバクル県の警察本部で,爆発が発生し,警察官1人及び民間人2人の合計3人が死亡,10人が負傷。HPGが犯行を自認

17.10.14  トルコ南東部・シイルト県で,同国軍兵士を標的とした路肩爆弾が爆発し,兵士7人が死亡,2人が負傷

18.7.31  トルコ東部・ハッカーリ県で,路肩爆弾が爆発し,民間人の親子2人が死亡

18.10.4  トルコ南東部・バトマン県で,同国軍車両を標的とした路肩爆弾が爆発し,兵士7人が死亡,2人が負傷

19.7.15  トルコ東部・トゥンジェリ県で,即席爆発装置(IED)が爆発し,子供2人が死亡

19.8.18  トルコ東部・ハッカーリ県で,路肩爆弾が爆発し,市民1人が死亡

20.7.20  トルコ東部・ハッカーリ県で,トルコ軍拠点を標的とするミサイルを発射し,同軍兵士2人が死亡

20.10.26  トルコ南部・ハタイ県イスケンデルンで,PKK戦闘員とされる者が自爆テロを実行。30日にHPGが犯行声明を発出 』

トルコ、北欧のNATO加盟に異議 制裁緩和狙う

トルコ、北欧のNATO加盟に異議 制裁緩和狙う
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR170100X10C22A5000000/

『【イスタンブール=木寺もも子】フィンランドとスウェーデンの北大西洋条約機構(NATO)加盟にトルコが異議を唱えている。NATO入りにはトルコを含む全加盟30カ国の賛成が必要だ。トルコは武装勢力への対応やトルコ制裁で不満を募らせており、譲歩を引き出したい考えだ。

「我々を説得できると思っているのだろうか。無駄にトルコに来る必要はない」。エルドアン大統領は16日の記者会見で、政府高官のトルコ派遣を表明したフィンランド、スウェーデンをけん制した。

問題視するのは、クルド労働者党(PKK)への対応だ。トルコではPKKの反政府武装闘争で4万人が死亡したとされ、国民的な反感が強い。米欧はPKKをテロ組織に指定しつつ、トルコがPKKと同一視する人民防衛隊(YPG)などの関連組織に資金調達や政治活動を容認していると批判する。

北欧2カ国によるトルコへの武器輸出制限も尾を引く。2019年にトルコがPKKなどの掃討を理由にシリアに越境攻撃して国境沿いを占領した際、制裁として発動した。エルドアン氏は「トルコに制裁を科す国のNATO加盟は認められない」と明言した。

トルコの不満は米欧にも向く。米国はシリアでYPGなどと過激派組織「イスラム国」(IS)掃討で共闘。トルコがロシア製地対空ミサイルを導入すると最新鋭戦闘機F35の共同開発や売却から締め出した。欧州連合(EU)も領海問題などを巡り、トルコに制裁を科す。

トルコは北欧2カ国や米欧から譲歩を引き出すのが狙いとみられる。制裁緩和や戦闘機売却などで便宜を図ることなどが想定される。トルコはPKKメンバーの引き渡しも北欧に求めるが、応じるかどうかは不透明だ。』

1~3月GDP1.0%減、2期ぶりマイナス コロナ制限響く

1~3月GDP1.0%減、2期ぶりマイナス コロナ制限響く
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA172JN0X10C22A5000000/

『内閣府が18日発表した1~3月期の国内総生産(GDP)速報値は、物価変動の影響を除いた実質の季節調整値で前期比0.2%減、年率換算で1.0%減だった。マイナス成長は2四半期ぶり。感染力の強いオミクロン型の新型コロナウイルスの拡大で、飲食店の営業などを制限するまん延防止等重点措置が適用され、個人消費が伸び悩んだ。

【関連記事】GDP、コロナ前水準に届かず 行動制限が影

マイナス幅はQUICKがまとめた市場予測の中央値(年率1.8%減)より小さかった。前期比で0.2%減の要因をみると、内需が0.2ポイントのプラス寄与、外需が0.4ポイントのマイナス寄与だった。

1~3月は東京都などに重点措置を発令した時期にあたる。GDPの半分以上を占める個人消費は前期比0.03%減少し、2四半期ぶりのマイナスとなった。重点措置で飲食店は時短営業や酒類提供の制限を求められた。外食や宿泊などのサービス消費は0.2%減った。自動車などの耐久財は1.6%減、衣服などの半耐久財は1.8%減だった。

内需のもう一つの柱である設備投資は0.5%増で2四半期連続で伸びた。ガスタービンや研究開発向けの投資が好調だった。

住宅投資は1.1%減と3四半期連続でマイナスになった。名目では0.2%のプラスだった。建築資材の価格上昇の影響を除いた実質では落ち込んだ。公共投資は3.6%減で5四半期連続のマイナス。東日本大震災関連の復興需要が一巡した可能性がある。

政府消費(政府支出)は0.6%増と2四半期ぶりのプラスだった。コロナワクチンの購入や接種にかかる費用が増えた。

外需は3四半期ぶりにマイナスだった。自動車などを中心に輸出は1.1%増えた。海外から購入するワクチンなどで輸入は3.4%増えた。GDPの計算上、外需は輸出から輸入を差し引くため、全体への寄与度は0.4ポイントのマイナスとなった。

名目GDPは前期比0.1%増、年率0.4%増だった。収入の動きを示す雇用者報酬は名目で前年同期比0.7%増となった。

4月以降は重点措置の解除で人出が戻っている。ゴールデンウイークは3年ぶりに緊急事態宣言のない大型連休となり、飲食店や外食、旅行需要などは回復しつつある。4~6月期は個人消費の持ち直しなどで、プラス成長に転じるとの見方が多い。

【関連記事】
・「コロナ貯蓄」日本50兆円 米300兆円、インフレ要因に
・消費支出「コロナ前」届かず 21年度、4年ぶり増も

多様な観点からニュースを考える

※掲載される投稿は投稿者個人の見解であり、日本経済新聞社の見解ではありません。

白井さゆりのアバター
白井さゆり
慶應義塾大学総合政策学部 教授
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ひとこと解説

1-3月のGDPデータはやはり前期比減少しましたが、市場予想よりは良い内容でした。

予想どおり、消費がまん延防止対策で横ばいだったこと、とくに耐久財や半耐久財の消費は落ち込んだことがあります。

ただマイナスの主因は輸入の伸びが輸出の伸びを上回ったことで、純輸出が赤字に転落したことにあります。

輸入は実質的にもガスや石炭などエネルギーの輸入量が大きくなっているようで、価格高騰の中で前倒しで輸入を増やしていたのかもしれません。医薬品や半導体の輸入も増えたようです。4-6月期はプラスの成長に戻ると思われます。

2022年5月18日 9:12 (2022年5月18日 9:17更新)

滝田洋一のアバター
滝田洋一
日本経済新聞社 特任編集委員
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ひとこと解説

四半期にばかり目をやると、木を見て森を見ずになります。

大勢を観望すれば、①コロナ2年目の2021年1~3月期以降、ゼロ%近傍の足踏みが続いている、②実質GDPの年換算額は537.9兆円と、コロナと消費税増税前のピーク(19年7~9月期の557.7兆円)を19.8兆円下回っているということです。

そして②の原因は、③個人消費が293.0兆円と当時の303.0兆円を20.0兆円下回っていることです。

国全体の付加価値であるGDPがもたつく一方で、企業収益は円安で過去最高益となり、税収も過去最高です。

企業部門や政府部門のお金を家計にうまく回すことが、現下の日本経済の課題にほかなりません。

2022年5月18日 10:56 (2022年5月18日 13:30更新)

上野泰也のアバター
上野泰也
みずほ証券 チーフマーケットエコノミスト
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ひとこと解説

マイナスは事前予想通りではあるが、幅は小さかった。

実質GDPは21年1-3月期以降、前期比マイナス、プラス、マイナス、プラスで来ており、今回はマイナスの順番。

このような景気の上下動は、新型コロナウイルス感染拡大状況および政府による対応措置によって形成されてきた面が大きい。

ただし、1-3月期は民間最終消費支出(個人消費)が前期比▲0.0%になり、新型コロナ感染拡大にもかかわらず、ほとんど悪化しなかった。

形態別国内家計最終消費支出(実質)で、サービスは前期比▲0.2%。昨年10-12月期の同+3.0%の直後にしては底堅い。コロナ感染拡大防止に向けた政府の措置が人流に及ぼす効果は限られたようである。

2022年5月18日 11:26』

今次ウクライナ戦争は、中共のBRI(ベルト&ロード・イニシアチブ)を破綻させた。

今次ウクライナ戦争は、中共のBRI(ベルト&ロード・イニシアチブ)を破綻させた。
『Vali Kaleji 記者による2022-5-16記事「Will Russia Complete Iran’s Rasht-Astara Railway?」。
https://st2019.site/?p=19571

  ※『Eurasia Daily Monitor』という機関誌の Volume: 19巻 Issue: 71号 寄稿記事である。

 今次ウクライナ戦争は、中共のBRI(ベルト&ロード・イニシアチブ)を破綻させた。計画では、「ニュー・ユーラシアン・ランド・ブリッヂ」は、露→宇→波(もしくはベラルシア)と鉄道でつなぐことで、西欧と支那を接続させる肚だった。その「北国ルート」は不可能になった。

 そこで浮上しているのが「中廊ルート」である。別名TITR=トランス・カスピアン・インターナショナル・トランスポート・ルート。

 このTITRは、ロシア領を避ける。まずカザフスタンからカスピ海へ。そこをフェリーで渡して対岸のアゼルバイジャンへ。そこからまた鉄道で西隣のジョージアへ。ジョージアの黒海の港から、西欧へ荷物が行くのだ。

 もうひとつのルートは、イランとトルコを通す。これは黒海を通航することなく荷物を西欧まで届けられるルートになる。中共からイランまでをどうするかは不確定で、キルギス、トルクメニスタン、ウズベキスタンを次々と縫い通すか、さもなくばアフガニスタン領土を利用することもオプションとして検討ができる。

 もっか、注目されるのが、アゼルバイジャンとイランの間に、鉄道がつながっていないこと。これがつながると、ロシア領から、カスピ海沿岸をぐるりと鉄道で一周するルートができるのである。

 すなわち時計回りに、露→カザフ→トルクメニスタン→イラン→アゼルバイジャン→ロシアと。

 イラン西北の国境の町は「Astara」という。そのアスタラから、カスピ南岸の「Rasht」市までの区間、164kmだけが、鉄道未敷設なのだ。

 アゼルは金持ちなので、この区間の建設資金をイランに融資できる。しかし米国がイランに経済制裁を加えているので、このような銀行間の契約は不可能である。イランに自己資金は無い。だからこの164kmは、いつまでも着工できずにいる。

 イランはアルメニアとも国境を接していて、アルメニアの鉄道とイランの鉄道を結ぶこともできるのだが、アルメニア南部山岳地での鉄道建設が2009年いらい頓挫している。

 アゼルとジョージアは、イラン鉄道との接合を熱望している。それができれば、輸出品を、黒海からではなく、イラン南岸のアラビア海に面したチャーバハール港から、アジア市場に向けて出荷できるようになるからだ。
 アゼルから借金ができないので、イランは、モスクワから建設資金を調達したがっている。

 今次ウクライナ戦争は、イランにとっては都合がよい。ロシアは今後、鉄道で西向きに物資を輸出するのは難しい。だから、これからは、アゼルバイジャン鉄道経由→イラン鉄道経由で、イランの南岸港から物資を(たとえばインドに対して)輸出したくなっているはずだ。だからモスクワは、イランに鉄道建設資金を融資する可能性がある。』

中国人の大半がロシアを支持しなくなった理由

中国人の大半がロシアを支持しなくなった理由
SNSが世界秩序形成を変え、若者がグローバルガバナンス牽引
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/70139?page=4

『1.繰り返される国連の機能不全

 ロシアによるウクライナ侵攻は、世界秩序形成の重要局面で国連が機能しないことを改めて示した。

 ウクライナ侵攻開始直後、国連安保理は緊急特別会合を開催し、ロシア非難決議を採択しようとしたが、常任理事国であるロシアが拒否権を発動したため決議を採択できなかった。

 それを受けて、3月2日に国連総会の緊急特別会合でロシアのウクライナ侵攻に対して「最も強い言葉で遺憾の意を表す」とする決議を採択した。

 日本や米国など141カ国が賛成し、中国、インドなど35カ国が棄権。反対はロシア、北朝鮮など5カ国だけだった。

 しかし、総会決議には法的拘束力がないため、これほど多くの国が賛成しても具体的な施策の実施にはつながらない。

 この状況に対して、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は、国連は機能していないと繰り返し批判した。

 国連の機能不全は今に始まったことではない。

 ロシアの関係では、2014年のクリミア戦争の時もロシアの拒否権発動により安保理決議を採択できなかった。

 2020年には、新型コロナ感染拡大抑制のために国連加盟国が一致団結して協力することを世界中の人々が願っていた。しかし、米中対立の影響を受けて国連傘下の世界保健機関(WHO)は期待された有効な対策を実行することができなかった。

 国連において加盟国が具体的な施策の実施を義務づけられる決定を行う権限を持っているのは、唯一安全保障理事会だけである。

 安全保障理事会では常任理事国(米英仏中露)だけが拒否権を行使できる。

 米英仏と中露ではイデオロギー、政治体制が異なるため、多くの場合、重要課題において合意に達することが難しく、しばしば拒否権が行使され、重要な決議を採択できなくなる。

 これが国連が機能不全に陥る根本的原因であり、今後もこの欠陥を改善できる展望はない。

 次善の策として、国際社会に対して国連加盟国の意志を伝えるため、総会決議の採択という方法が採用される。

 これには法的拘束力がないが、大多数の国が賛成すれば、間接的な影響力を発揮することが期待されている。』

『 2.世界企業による経済制裁インパクト

 今回のウクライナ侵攻に際しては、こうした国連総会決議の影響力以上にロシアに対して大きなインパクトを与えた新たな動きが見られた。

 それはグローバル市場をリードする主要民間企業による自発的な対ロ経済制裁である。

 前述の国連総会決議前日の3月1日、アップル、ナイキ、フォード、BMWなどが製品の販売停止や生産停止を発表した。

 ビザカード、マスターカードもロシア系の銀行が発行したカードの利用を停止した。

 エクソン・モービルは同日に石油・ガス開発事業「サハリン1」からの撤退を表明。BPやシェルはそれ以前にロシア事業からの撤退を発表していた。

 このようにグローバル市場の一流企業のうちロシア事業の停止あるいはロシア市場からの撤退に踏み切った企業は600社以上に達した(イェール大学経営大学院研究チーム調べ、4月12日発表)。

 グローバル市場の主要民間企業のこうした動きは即座にロシア経済に甚大な影響を及ぼす点で、国連総会決議よりインパクトが大きい。

 これらの動きは国家や国際機関による強制ではなく、各企業の自主的な判断に基づく自発的行動である。そうであるがゆえに決定も迅速である。

 何がこうした動きをもたらしたのか?

 グローバル主要企業は自国市場よりグローバル市場を重視している。

 そのグローバル市場の消費者や顧客企業の間で、ロシア軍のウクライナ市民に対する非人道的な攻撃の事実が認識され、世界中の人々が短時間のうちにウラジーミル・プーチン大統領とロシア軍に対する強い反感を共有した。

 そうしたグローバル市場の大多数の顧客が反ロシアの感情を共有する状況下、ロシアでのビジネスをこれまで通り継続すれば、自社に対する批判を招きかねない。

 このようなレピュテーションリスクを強く意識せざるを得ないグローバル企業は即座に重大な決断を下した。

 それが今回の生産停止や撤退といった厳しい対ロシア経済制裁につながったと考えられる。』

『 3.SNSと若者世代が創り出す新世界秩序

 ウクライナにおけるロシア軍の非人道的攻撃の実態を世界中に鮮烈に伝えた主役は従来のメディアではなく、SNSに代表されるソーシャルメディアだった。

 その主な利用者は30代以下の若者世代である。

 米国では「ミレニアル世代」(1980年代~90年代半ばに生まれた世代)および「Z世代」(1990年代半ば~2000年代初頭に生まれた世代)、中国では「90后」(ジォウリンホウ、1990年以降に生まれた世代)および「00后」(リンリンホウ、2000年以降に生まれた世代)などがその中心だ。

 この世代は日本、欧州などでも共通した特徴が見られる。

 彼らは新聞、TVなど従来のメディアのニュースよりスマホやPCを通じたソーシャルメディアのニュースに主な情報源を求める傾向がある。一般的に情報伝達はより速く、より詳細である。

 ソーシャルメディアには情報選別機能が備わっているため、得られる情報は受け手の好みに合うものに偏る傾向がある。

 しかし、ロシア軍による非人道的攻撃のような事実は即座に全世界で伝わり、国家の決定を待つまでもなく、人間の基本的なモラルとして許せるものではないという認識が国を超えて短い間に共有される。

 中国ではウクライナ侵攻開始直後、新聞・TVなどのメディア上ではロシアの国営放送の情報だけが報じられていたため、世論はロシア支持が圧倒的だった。

 しかし、SNSを通じて若者たちがウクライナにおけるロシア軍の非人道的攻撃の実態を知り、その事実が瞬く間に世代を越えて共有された。

 4月にはロシア支持とウクライナ支持に世論が2分されていたが、5月の連休明けには中国人の大半がウクライナ支持に傾いたと中国の国際政治の専門家が教えてくれた。

 ソーシャルメディアの影響力がグローバルな情報共有を促し、それが世界の主要企業にレピュテーションリスクを意識させ、国家間の合意に基づくルール形成を超えて世界を動かした。

 こうした新たな世界秩序形成のメカニズムの存在がウクライナ侵攻を巡るグローバル企業の対ロ経済制裁の急速な拡大によって明らかになった。』

『 4.新たなグローバル・ガバナンス誕生

 今後のグローバル社会では、若者世代を中心とする情報共有が、グローバル企業に影響を及ぼし、国家や国際機関の秩序形成機能の不全を補う動きを発揮するようになることが予想される。

 これは、これまでの国家とルールによる世界秩序形成の仕組みを民間企業とモラルが補完することを意味する。

 その土台を支えるのが若い世代を中心とするソーシャルメディアを通じた情報共有である。

 これまで国家単位で分断されていたグローバル社会の枠組みが、ソーシャルメディアのネットワークによる情報共有を通じて、国境によって分断されることがないグローバル・コミュニティへと変化した。

 1つのコミュニティだからこそ、国を越えて共有されるモラルがグローバルな共通規範として機能し、新たなグローバル・ガバナンスを形成しつつあると評価できる。

 人間として尊重すべきモラルが人為的なルールを超える規範を形成するメカニズムが動き出したのである。

 グローバル社会の将来を長期的に展望すれば、世界経済における米国経済の相対的縮小に伴うリーダーシップの低下、米中対立、世界の多極化などが続く中、既存の国際機関や国際連携による世界秩序形成がますます不安定化に向かうことは不可避である。

 国家間の合意に基づくルール形成の限界が明らかになった状況下、それを補完する仕組みが必要とされている。

 今回のウクライナ侵攻に際して示されたグローバル企業による秩序形成補完機能は世界秩序形成の不安定化を緩和する一つの重要な柱として機能することが期待できる。

 今後もソーシャルメディアの発達と若者世代の影響力の増大は続く。

 それに伴い、国を越えて共有されるモラルに基づく「民(non-state actors)」主導の新たなグローバル・ガバナンスが機能する領域が拡大する。

 このような方向で世界秩序形成の仕組みが一段と進化し、世界秩序が安定を保持することを期待したい。』

焦点:永世中立スイスがNATO接近、ウクライナ危機で揺らぐ国是

焦点:永世中立スイスがNATO接近、ウクライナ危機で揺らぐ国是
https://news.yahoo.co.jp/articles/064916dc0ad87d80f9d2c7a16b109c0121162c12

『[ベルン 15日 ロイター] – スイスの代名詞となっている永世中立という外交政策が、過去数十年間で最大の試練に直面している。ロシアのウクライナ侵攻を受け、スイス国防省が北大西洋条約機構(NATO)との距離を縮めようとしているからだ。

【動画】プーチン氏が北欧2カ国のNATO加盟に柔軟な発言「何の問題もない」

国防省の安全保障政策責任者、パエルビ・プッリ氏はロイターのインタビューで、NATO加盟国との合同軍事演習や武器弾薬の「補充」などを含め、スイスが今後採択すべき安保政策に関する選択肢を提示する報告書を策定しているところだと語った。こうした議論が行われていることは、今回のインタビューで初めて明らかになった。

プッリ氏は「最終的には中立の解釈方法に変化が生じる可能性がある」と発言。スイスのメディアによると、アムヘルト国防相も今週の米ワシントン訪問に際して、スイスはNATOに加盟しないが、より緊密な関係を築いていくべきだとの考えを明らかにした。

スイスは中立を貫くことで、第1次世界大戦と第2次世界大戦に巻き込まれずに済んだ。
しかし、中立政策はそれ自体が目的ではなく、スイスの安全保障強化が狙いだとプッリ氏は主張。スイス、NATO両軍司令部や政治家間のハイレベル定期会合開催も選択肢の1つだと付け加えた。

中立政策の支持者らは、この方針のおかげでスイスは平和的な繁栄を享受し、東西冷戦下などで国際紛争の仲介者という特別な役割を果たすことができたと唱えている。NATOとの連携に大きく踏み出せば、こうした慎重に育んできた外交政策と一線を画することになる。

折しも同じく中立政策を掲げてきたフィンランドとスウェーデンは、NATO加盟に乗り出そうとしている。プッリ氏は、スイスでもNATO正式加盟問題は議論されてきたと認めつつ、報告書が加盟を推奨する公算は乏しいとの見通しを示した。

報告書は9月末までにまとめられ、内閣の検討を経て議会に提出され、将来の安保政策を巡る審議のたたき台となる。この報告書が採決にかけられるわけではない。

スイス外務省は、経済制裁や武器弾薬輸出、NATOとの関係などの問題を幅広く調査する準備を進めており、国防省はこの調査にも協力することになる。

<議論再燃>

スイスは、フランス革命とナポレオン戦争で混乱した欧州の安定を取り戻す目的で1815年に開かれたウィーン会議で中立政策を採択して以来、対外戦争を行っていない。1907年の第2回ハーグ国際平和会議では、国際間の武力紛争に参加せず、戦争当事者への武器や人員の支援、国土提供もしないといった、スイスの中立国としての権利や義務が明記された。

中立政策は、スイス憲法に定められている。ただ、自衛権は否定しておらず、憲法の規定でカバーされない政治的事象を解釈によって運用する余地は残している。

政策の基本方針が最後に修正されたのは、旧ソ連が崩壊した1990年代初め。人道支援や災害救助などの分野で、他国と協力する外交政策が許容された。

そして今、ウクライナ危機によって中立政策を巡る議論が再燃。現時点で焦点となっているのは、ロシアに制裁を科すが、スイス製の武器をウクライナに輸出することは認めないという政府の決定だ。

プッリ氏は「スイスがウクライナ支援で、より大きな貢献ができないことへの大きな不安がある」と語った。そこで従来の政策を転換し、他国がウクライナに届けた武器弾薬をスイスが補充するという選択肢が浮上しているという。ただ、武器の直接供給はハードルが高そうだとプッリ氏は話した。

スイスのカシス大統領は、これまでウクライナを支援している第三国への武器提供を否定している。しかし、中立は「絶対的な教義」ではなく、ロシアに制裁を科さないと「侵略者の思うつぼになるだけだ」と述べ、この問題で視野を広げる可能性も示した。

<世論も一変>

スイスは昨年、一部のNATO加盟国で既に使用されている米ロッキード・マーチン社製の最新鋭ステルス戦闘機・F35の購入を決定し、NATOとの関係を築いている。

アムヘルト国防相は公共放送SRFに対して、スイスは中立政策のためにいかなる軍事同盟にも参加できないが、協力は可能であり、われわれが購入する武器システムがその格好の土台になると語った。

スイス軍当局は、NATOとの協力拡大が国防力強化につながるとして賛成しており、世論もロシアのウクライナ侵攻で劇的に変化した。最近のある調査では、NATOとの関係拡大賛成派は56%と、近年の平均の37%をはるかに上回っている。

NATO加盟支持はなお少数意見とはいえ、その勢いは著しく増大。世論調査会社・ソトモが4月に行った調査でNATO加盟に賛成したのは全体の33%で、別の調査で長期的に見られる比率の21%より高い。ソトモの担当者は「ロシアのウクライナ侵攻が多くのスイス国民の心理を一変させたのは間違いない。これは、西側民主主義の価値への攻撃だとみなされている」と説明した。

連立政権の一翼を担う中道右派の自由民主党を率いるティエリー・ブルカルト氏は、中立に対する国民の感じ方に「激震」が起きたと形容し、ロイターに対して中立政策は「柔軟であるべきだ」と強調。ウクライナ危機前は一部の人々が欧州で新たな通常戦争はもう起きないと想定し、軍備解体を提唱する声さえあったが、同危機が決して甘い考えは持てないことを証明したと指摘した。

ブルカルト氏は、国防費増額やNATOとの連携強化に賛成するとしながらも、NATO正式加盟は支持しないと表明した。

一方、やはり連立政権を担う極右のスイス国民党幹部、ペーター・ケラー氏は、中立政策とNATO接近は相いれないとロイターに断言し「成功を収めてきたこの外交政策を最大限に変更する理由は見当たらない。これは国民に平和と繁栄をもたらしてきたのだ」と訴えた。スイス国民党は、下院で最大の議席を保有している。

しかし、国防省の意見は異なる。アムヘルト氏はワシントン訪問中に、中立政策の法的枠組みでも、NATOや欧州の友好国とより緊密に連携するのは可能だと発言した、とスイス紙ターゲス・アンツァイガーが伝えた。

(John Revill記者)』

中立国スイスが対露制裁 北欧の中立2カ国はウクライナへ武器供与

中立国スイスが対露制裁 北欧の中立2カ国はウクライナへ武器供与
https://www.iza.ne.jp/article/20220301-VMQ6CMFLJRLRFEP2IRUG4HZLZY/

『(2022/3/1 10:14)

【ヘルシンキ=板東和正】スイス政府は2月28日、ロシアのプーチン大統領らの資産凍結など欧州連合(EU)と同じ内容の対ロシア制裁を科すと発表した。ロシアによるウクライナ侵攻を受け、永世中立国のスイスがEUの動きに同調する対応に踏み切った。

スイス政府の声明によると、同国はEUが科した制裁の適用を決め、プーチン氏やラブロフ外相らの資産の凍結を決定した。プーチン氏に近い複数の個人の入国を禁止するほか、人道・医療・外交目的を除き、スイス領空にロシアの全ての航空機が乗り入れることも禁じる。

スイス政府は声明で「平和と安全の擁護と国際法の尊重は、民主主義国家であるスイスが欧州の近隣諸国と共有し、支持する価値観だ」と指摘。「ロシアが欧州の主権国家に対して前例のない軍事攻撃を行ったことが、従来のスイスの制裁に対する立場を変える決定打となった」との見解を示した。

スイスのカシス大統領は「われわれは西側諸国の価値観の側に立っている」とした上で、同国の中立な立場は損なわれていないと強調。ロシアとウクライナの停戦交渉が決裂した場合、仲介する用意があるとしている。

また、スイス政府は28日、ウクライナからの難民支援でEUの先頭に立つポーランドに約25トンの救援物資を送る方針も示した。

一方、北欧フィンランドの政府は2月28日、ウクライナにライフル銃や対戦車兵器などの武器を供与すると表明した。非同盟国で武力紛争で中立政策をとってきたフィンランドの今回の対応を受け、ロイター通信は「政策の転換を意味する」と指摘した。同じく中立政策をとってきたスウェーデンも27日、ウクライナに対戦車兵器5000基を供与すると発表していた。

>>スイスも制裁「前例ない侵攻が立場変えた」 (3/1)

>>中立スウェーデン タブー破り兵器供与(3/1)

>>ドイツ一転、武器支援「われわれの責務」(2/27)

中立国

中立国
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E7%AB%8B%E5%9B%BD

『中立国(ちゅうりつこく、英: neutral country)とは、国民皆兵・徴兵制度による軍事力保持による国家防衛を図り、個別的自衛権のみを保持し、自国は周辺国と中立条約を結ぶことで、その中立を保障・承認されている国[1][2]。

武器をもたない平和とは異なる考えである[1]。

中立国と中立化(フィンランド化)は異なり、中立国になるには周辺国等に承認・条約締結の必要であり、中立国の権利と義務は1907年のハーグ条約[3]第5条および第13条で定義されている。

国際法上の中立国には、戦時中立と永世中立の区別がある。

戦時中立国とは、国際法上の中立法の原則に基づき、紛争のいずれの側にも加わらず、双方に対して公平な態度をとる主権国家をいう。

中立国はその領土や領域について交戦国によるいっさいの侵犯から免れる一方,交戦国双方に対して厳正に公平である義務を負う。

たとえば,交戦国に軍隊,船舶,武器,弾薬,資金その他直接,間接に戦争に使われうる物資を提供したり,その領内を軍事基地や軍事的移動経路として使わせたりしてはならない。

永世中立国とは、国際条約によって、または自国の宣言によって、将来のすべての戦争の交戦国に対して中立であることを義務づけられている主権国家をいう。

永世中立国の最も代表的な例として、スイスが挙げられる。戦争における中立の概念は狭く定義されており、中立を保つという国際的に認められた権利の見返りとして、中立の当事者に特定の制約を課している。

スイスは憲法で軍隊保持と国民皆兵制を規定(58条、89条)している。

2013年に市民運動団体によるスイス軍軍隊廃止に関する国民投票が実施された結果は、73%の圧倒的多数で否決され、徴兵制の存続が決まった[1][2]。

永世中立(フランス語: La neutralité permanente)の立場を取る国家[4]の場合の中立は国際法上の義務である[5]。

ただし、スイスもまた2022年時点でもEU加盟国ではないが、1972年に自由貿易協定を結んで以来、移動の自由(シェンゲン協定)など数々のEUの政策に参加していて、両者間は120以上の協定で成り立っている。

また、2002年の国連加盟以来、国連による制裁決議や国連安全保障理事会による軍事作戦参加といった集団的自衛権が義務付けられているなど、完全な中立は事実上放棄している[6][7]

目次

1 中立の定義
2 永世中立の条件
3 保障国の立場
4 冷戦終結後の中立
5 永世中立国一覧
    5.1 周辺国等の承認
    5.2 宣言のみ
6 かつての永世中立国
    6.1 その他過去の永世中立国
7 日本における永世中立国化議論
8 脚注
9 参考文献
10 関連項目

中立の定義

中立国には他国の紛争に荷担する行為など、戦争に巻き込まれる恐れのある行為を慎むことも求められる[8]。

スイスは中立国であったために、他国からの政治的亡命者がスイスにおいて活動することもあった。

ルイ・ナポレオン(後のナポレオン3世)が亡命した際にはフランス政府が軍事的な威嚇を行い、ルイ・ナポレオンが自発的退去を行ったこともある[9]。

また国家に対する経済制裁に参加することも中立違反となる。

しかしローデシア問題のように、国家承認が得られていない独立を主張する政権に対する経済制裁は、中立違反とは見られていない[10]。また中立国が他国の戦時債券を買うことは中立義務違反となる。

このような見解に伴い、第二次エチオピア戦争の際に国際連盟がイタリア王国に対する経済制裁を議決した際、スイスは加盟国であるにもかかわらず、伝統的中立政策に回帰して経済制裁を行わなかったという事例もある[11]。

このためスイスは1945年の国際連合発足に当たっては、中立義務の遂行と国連加盟が両立しないとして加盟しなかった[12]。

ただし国連機関の設置や、国連組織への参加は認めている[12](2002年に国民投票の結果をうけて国連加盟)。

一方でオーストリアは1955年に加盟が行われたが、その際にオーストリアの永世中立を問題にした国は存在せず、中立義務を守ることが可能であるという見解がとられていた[13]。

国連における平和維持活動への兵力派遣は、中立義務違反とは見なされない[14]。

オーストリアは1965年の憲法改正以降、コンゴ動乱や国際連合キプロス平和維持軍に軍を派遣しており[15]、1968年には国連の要請に即時に対応するため、国連待機軍(ドイツ語版)を設置している[16]。

またスイスも国連加盟の前からPKOに参加しており、1993年には待機軍を組織している[16]。

これはPKOにおける派遣が非強制的な性格のものであり、公平性を義務づけられていたために、中立の義務と反しないという考えによるものである[17]。

また、他国間の紛争を抑止することは中立国自体の利益となるとも考えられてきたことによる[17]。

平和維持活動で、自衛の他の軍事力を執行することについては中立義務違反であるという解釈が一般的であったが、冷戦終結後には変化が生じている。

平和維持活動による、平和強制のための軍事行動は、法の執行であり中立義務違反ではないという解釈である。この解釈は有力になり、スイスおよびオーストリアの政府も同じ見解を表明している[18]。

一方でオーストリアとスイスが欧州共同体に参加することは、中立義務違反であるとしてソビエト連邦など東側諸国から反対されていた[19]。

冷戦終結後、オーストリアは同様に強い中立政策をとるスウェーデンなどとともに欧州連合に参加している。

スイスも欧州連合には参加していないものの、2022年2月に発生したロシアによるウクライナ侵攻に際して、イニャツィオ・カシス大統領はEUと歩調を合わせた対ロシア制裁として、スイス国内の金融機関にEUの制裁対象となった個人や企業との取引を禁じ、関与したロシア人の資産の凍結を発表している[20]。

また中立は国民の立場をも統制するものではない。

中立国の国民が戦時債券を買うことは中立義務違反ではない[21]。

また国民が戦争の義勇兵となることも自由であり、中立国はこれを抑止する義務を持たない[21]。

永世中立の条件

永世中立は伝統的中立とともに古い歴史を持つ概念であり、かなり古くから国際法に存在していた[4]。そのため、以下の条件を満たす必要があると考えられている[4]。

・複数の国家の同意による「中立化」が必要である[4]。このためアミアンの和約の際にイギリスが提案したマルタの中立化は、関係諸国の承諾が得られず、実現しなかった事例がある[22]。

・中立化に参加した諸国は、永世中立国の独立と領土保全を常時保障する義務がある[4]。

・永世中立国はその中立である領土を他国の侵害から守る義務がある[23]。そのため常設的な武装が求められる[4][24]。

・永世中立国は、自衛の他は戦争をする権利を持たない[4][23]。

・永世中立国は、他国が戦争状態にある時には伝統的中立を守る義務がある[4]。

・永世中立国は、平時においても戦争に巻き込まれないような外交を行う義務がある。

従って、軍事同盟や軍事援助条約、安全保障条約の締結を行わず、他国に対して基地を提供してはならない[25][26]。

戦時においては外国軍隊の国内の通過、領空の飛行、船舶の寄港も認めないが、これは中立国一般の義務でもある[27]。

・永世中立国は非軍事的な国際条約、国際組織には参加でき、思想的中立を守る義務、出版・言論の自由を制限する義務は持たない[25]。

・永世中立国は原則的に保障国の許諾無しに領域の割譲・併合などの変更を行わない。なお、ベルギーによるコンゴ自由国の併合のように、保障国の許諾が得られる事例もある[27]。

軍事同盟国が無いため、他国からの軍事的脅威に遭えば、如何なる同盟国にも頼らず、自国の軍隊のみで解決することを意味する。

すなわち、『どのような戦争に対しても「かならず/固定的に」中立の立場を採る国家』という意味である。日本語訳の「永世」のような『永遠に』『これから先もずっと』という意味合いは、全く持っていない。

よって、状況によっては「永世中立」を一方的に放棄することも可能であり、実際に放棄された事例もある。

このため、スイスの様にスイス軍の強力な国防政策を採る国家もある(武装中立)。いわゆる「平和主義」や「非暴力非武装」や「無防備都市宣言」とは、全く概念・理念が異なるものである。

保障国の立場

中立国は、中立条約締結国によって中立の法的地位を保障されるのを原則としている。

ゆえに、中立保障国は中立国の独立と領土の保全を尊重し、その独立が第三国によって侵犯されたならば、武力をもってこれを排除する義務を負う。

このため1955年のオーストリアの永世中立国化によって、オーストリアはスイスの保障国から離脱したという事例もある[14]。

一方で、オーストリアの永世中立化に当たっては、国際条約を交わすという形式を取らず、交換公文によって行われたが、これらの国はオーストリアの中立を尊重するとしたものの、保障は行わなかった[28]。中立を保障したのは、オーストリアとソ連の間で交わされたモスクワ覚書によるものである[29]。

また、保障国は中立国の憲法改正など、内政干渉する権利は持たない[8]。

しかしクラクフ共和国が大量の亡命者によって政府転覆された(クラクフ蜂起)際には、亡命者の受け入れを禁じた事前協定に反するとして、保障三国(プロイセン王国・オーストリア=ハンガリー帝国・ロシア帝国)による軍事占領が行われた事例もある[8]。

冷戦終結後の中立

冷戦終結後、中立政策には変容がみられる。

スイスでは冷戦終結後に「中立のコンセプトの再調整」が行われ、1991年の第一次湾岸戦争ではイラクへの経済制裁措置に参加した[30]。

また、スイスは1996年には北大西洋条約機構(NATO)の平和のためのパートナーシップに参加し、1999年にコソボの平和尽力支援のための任意の非武装軍を組織している[30]。

2011年の多国籍軍によるリビア攻撃で、スイス政府はイギリス軍の車両20台の領土通過を認め、戦闘機の領土通過も承認する方針をとった[31]。この方針には批判が出され連立与党のスイス国民党からも反発があったが、ミシュリン・カルミー=レイ大統領は「『中立』は『無関心』を意味しない」と反論している[31]。

永世中立国一覧

周辺国等の承認

周辺国等の承認により成立している諸国。

スイスの旗 スイス - 1815年、ウィーン会議でフランス、プロイセン、ロシア、イギリスなどから永世中立が保証される。

 オーストリア - 1955年に宣言、主要国との交換公文により成立[28]。ただし、欧州連合に加盟していることから永世中立は形骸化しているという指摘もある。

トルクメニスタンの旗 トルクメニスタン - 1995年 国連総会にて承認

宣言のみ

以下の国は永世中立を宣言しているに留まる。

ラオスの旗 ラオス - ジュネーブ14カ国会議において中立化が決議され、1963年、ラオス王国政府が宣言[32][33]。ただし、宣言時点ではまだアメリカ軍が駐屯しており、ベトナム戦争ではベトナム民主共和国にホーチミン・ルートを提供したり、1975年までラオス内戦が続いた。その後はタイ王国との国境紛争が頻発している。

カンボジアの旗 カンボジア - 1992年憲法により規定。53条ではあらゆる軍事的同盟および軍事協定に加盟しないことが規定されている[34]

モルドバの旗 モルドバ - 1994年憲法により

リヒテンシュタインの旗 リヒテンシュタイン - 1867年から

コスタリカの旗 コスタリカ - 1983年、大統領ルイス・アルベルト・モンヘが『コスタリカの永世的、積極的、非武装的中立に関する大統領宣言』において表明。

ただし、コスタリカは依然として加盟国間の集団安全保障を規定した米州相互援助条約に加盟しており、また2004年にはイラク戦争において有志連合諸国を支援することを表明している[35]。

かつての永世中立国

ベルギー王国・ルクセンブルク大公国

列強が独立を承認したベルギーとルクセンブルクはロンドン条約により、永世中立が定められた[36][37]。

しかし両国とも、第一次世界大戦でドイツ帝国の侵攻を受けた。ベルギーは国土の大半を占領されながらも抵抗し、非武装であったルクセンブルクは、全土が占領された[37]。その後、1920年に発効したヴェルサイユ条約で、永世中立義務は解除された。

ベルギーはその後、連合国の一員としてロカルノ条約等に参加したが、ロカルノ体制崩壊後は中立に回帰した[38]。ルクセンブルクは国際連盟によってロンドン条約は有効であるため永世中立国であると再認定され[39]、非武装中立政策を継続していたが、両国とも1940年にナチス・ドイツの侵攻を受け、国土は占領された[37]。

ベルギーは、第二次世界大戦後に中立政策を放棄している[37]。ルクセンブルクは、1948年のNATO加盟と憲法改正により、事実上中立政策を放棄した。ただし憲法上では、中立政策を採ると規定している[37]。

その他過去の永世中立国

クラクフ共和国[22] - クラクフ蜂起の後、保障国の一つであったオーストリア帝国によって事実上併合された(クラクフ大公国)。

トリエステ自由地域[33]

コンゴ自由国(1885年 - 1908年)[40] - ベルギー王レオポルド2世の私領であり、1908年にベルギー本国の植民地となった。

ホンジュラス(1907年 - 終了時期不明 )[40] - 隣国ニカラグアによる侵攻を受けた後、中米司法裁判所がホンジュラスの永世中立化を裁定。しかし1911年に暴動が発生し、アメリカ軍が介入している。1918年には第一次世界大戦に参戦している。

日本における永世中立国化議論

第二次世界大戦後の日本においては、日本国憲法第9条に侵略戦争と軍隊・戦力放棄の規定が設けられたこともあり、日本が中立国となるべきであるという主張を述べる論者も、多く現れた[37]。

例えば、1949年(昭和24年)3月のダグラス・マッカーサーが「日本は極東のスイスたるべき(現実世界のスイスは『国民皆兵を前提とした重武装中立国家』である)」と発言したという報道や[41]、同年3月3日・4月9日付の読売新聞の社説などに見られる[42]。

ところが、中国大陸の共産化と朝鮮戦争の勃発により、保守・右派にとって、永世中立化は非現実・幻想的なものと受け止められるようになった。しかし革新・左派による中立化・永世中立化の主張は、より強くなっていく[37]。

サンフランシスコ講和会議においては、ソビエト社会主義共和国連邦が日本の永世中立化を提案し、その後も1958年(昭和33年)に同様の提案を行っているが[43]、日本国政府はこれを拒否している[44]。 』

渡河中のロシア軍を全滅させたのは…ウクライナの「ウーバー技術」だった

渡河中のロシア軍を全滅させたのは…ウクライナの「ウーバー技術」だった
https://news.yahoo.co.jp/articles/c6c9bbe0b87b5eb9e6da06ded5aab460ce874c9f

※ もはや、「戦争」「戦闘」の形態が、ことごとく「変わって」しまっている…。

※ こういう状況で、「戦争反対!」「平和が、好き!」「学問の自由を守れ!」「学問を、軍事技術には使わせない!」「不戦の誓いを守れ!」とか、お題目を唱えているだけでは、何の意味も持たない…。

※ 変化に適応できないヤツが「淘汰」されるのは、学問の世界においても同じだ…。

『ウクライナ軍がカーシェアリング会社ウーバーの顧客と車をつなぐ技術を使ってロシア軍の大軍を全滅させた。英国の日刊紙「タイムズ」が14日(現地時間)に報じた。

 報道によると、ウクライナ軍は今月8日に東部のシヴェルシキードネツ河を渡ろうとしたロシア軍に砲撃を加え、戦車や装甲車など70台以上を破壊し、大隊クラスに相当する1000人以上の兵力を全滅させた。今年2月末にロシア軍が侵攻を開始して以来、1日に1000人以上のロシア軍兵士が死亡するのは今回が初めてだ。タイムズは「ウクライナ軍による今回の攻撃はドンバス地域掌握を目指すロシアの野望に大きな打撃を加えた」と報じた。

 外信各社によると、今回の攻撃では「GPS Arta」と呼ばれるプログラムが決定的な役割を果たしたという。このプログラムは距離測定器や偵察用ドローン、スマートフォン、GPS(衛星測位システム)、北大西洋条約機構(NATO)のレーダーなどから得られた情報を総動員し、敵の位置を確認した上で周辺の野砲やミサイル、戦闘用ドローンなど各種の兵器の中で最も適切な攻撃手段を選択するものだ。タイムズは「通常は軍が目標を識別し、攻撃を開始するまで20分ほどかかるが、GPS Artaを使えばこれが1-2分で十分だ」「ターゲットさえ確認すれば、非常に迅速かつ効率的に集中砲撃を浴びせることができる」と説明した。

 GPS Artaがあれば兵器を一カ所に集める必要はなく、様々な位置に分散配備してあらゆる方向と距離から敵を攻撃できる。敵に対して一瞬で集中攻撃を加える一方、こちらの位置などは敵に把握されないため、被害も最小限に抑えられる。このプログラムを開発したウラジミール氏はタイムズとのインタビューで「この戦争でロシア軍が身を隠せる場所はない」「我々は彼らをどこでも、あるいはロシア国内においても探し出すことができる」と述べた。

 開発者たちが「砲兵隊のウーバー」と呼ぶGPS Artaはウクライナのプログラマーが複数の英国企業と協力して開発したもので、2014年のロシア軍によるクリミア半島併合直後からウクライナ陸軍が使用を始めた。ウクライナ軍を支援するウクライナのNPO「カムバック・アライブ」が開発に必要な資金を調達するなど、GPS Artaには頼もしい支援も行われている。カムバック・アライブはロシアによる侵攻が始まってから仮想通貨による寄付だけで1億ドル(約130億円)以上の募金を集めた。

 GPS Artaはイーロン・マスク氏率いるスペースXの衛星インターネット・サービス「スターリンク」を活用している。ロシアがウクライナを侵攻した直後、ウクライナのフョードロフ副首相兼デジタル転換相がマスク氏に支援を要請すると、マスク氏はスターリンクによるサービスを提供した。

チャン・ミンソク記者 』

台湾TSMC「日本初工場」は予定通り稼働できるのか。

台湾TSMC「日本初工場」は予定通り稼働できるのか。抱える課題
https://news.yahoo.co.jp/articles/837b6f9c7810a31d49318f4e2676fad9bda97a88

『半導体受託生産世界最大手の台湾TSMCがいよいよ日本に工場進出する。4月に熊本県菊陽町で新工場を着工、2024年12月の出荷を目指すという。今や世界各国にとって半導体は最重要「戦略物資」であり、経済から軍事に至るまで国家の競争力に直結する。

TSMC誘致で半導体関連企業の投資活発、ジャパンマテリアルは12億円で新工場

 半導体サプライチェーンの「作る」部分においては、ファウンドリー世界シェア6割超のTSMCに大きく依存している。米国も日本とほぼ同じタイミングでTSMCの新工場をアリゾナで稼働させる計画。近い将来、「台湾有事」も想定される中、TSMCはサプライチェーンの要衝であり、地政学的にも安全保障的にもその動向から目が離せない。

 日本の新工場で気になるのは、まず予定通り稼働できるのかという問題。工場の建設資材や製造装置などで納期問題が発生している。もう一つは工場稼働に際して生産現場の従業員が確保できるのかという問題。2000人程度の人員が必要で、九州内で確保するのも用意ではない。日本の半導体産業は20年以上も地盤沈下を続けてきており、産業に携わる人材も高齢化してきている。

 そして最大のポイントは、TSMCの日本進出が呼び水となって日本の半導体産業が復権していくことになるのか。また大口需要家として想定される国内自動車産業にとって追い風となるのか、だろう。』

ルネサスが甲府工場を再開、300mm対応でパワー半導体の生産へ

ルネサスが甲府工場を再開、300mm対応でパワー半導体の生産へ
https://eetimes.itmedia.co.jp/ee/articles/2205/17/news130.html

『ルネサス エレクトロニクス(以下、ルネサス)は2022年5月17日、2014年10月に閉鎖した甲府工場(山梨県甲斐市)を、300mmウエハー対応のパワー半導体生産ラインとして稼働を再開すると発表した。設備投資は900億円規模で、2024年の稼働再開を目指す。本格的な量産が始まると、ルネサスのパワー半導体の生産能力は現在の2倍になる。

甲府工場の外観 出所:ルネサス エレクトロニクス

 甲府工場は、ルネサスの生産子会社であるルネサス セミコンダクタ マニュファクチュアリングの傘下として、150mmおよび200mmウエハー対応の生産ラインを備え、PC電源向け半導体などを生産していた。ルネサスは2013年8月に発表した構造改革計画で、鶴岡工場(山形県鶴岡市)や山口工場(山口県宇部市)などとともに甲府工場の閉鎖を公表した。
 今回、ルネサスは甲府工場に現存する建屋を活用し、パワー半導体専用の300mm生産ラインとして稼働を再開する。クリーンルームの面積は1万8000m2。IGBTおよびパワーMOSFETを生産する予定だ。

 設備投資は、経済産業省と連携し、2022年中に実施するという。』

ロシアの知事5人が異例の同日辞任!

ロシアの知事5人が異例の同日辞任!「プーチン降ろし」地方から伝播、ソ連崩壊と酷似してきた
公開日:2022/05/12 14:25 更新日:2022/05/12 14:25
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/money/305060

 ※ これに、地方で徴兵された兵士の「遺※」の、続々「帰還」が重なるんだぜ…。

 ※ まあ、それを見越しての「辞任」かもしれんが…。

『地方から“プーチン降ろし”が広がるのか──。ロシアのニュース専門放送局「RT」(旧称ロシア・トゥデイ)は10日、ロシア国内の5人の知事が一斉に辞任したと報じた。9日の対独戦勝記念日にプーチン大統領がウクライナ侵攻の正当性を熱弁した翌日のことだ。地方で何が起きているのか。

  ◇  ◇  ◇

 ロシアでは今年9月11日に地方選挙が予定されている。RTによると、トムスク州のセルゲイ・ジバチキン知事とサラトフ州のバラレイ・ラダエフ知事は2期目。2021年の法改正で3期目も可能となったが、次の選挙への不出馬を表明した。キーロフ州のイゴール・バシェリエフ知事は連邦政府で働くため、知事職を退く。退任するリャザン州のニコライ・リュビモフ知事とマリ・エル共和国のアレクサンドル・エフスティフェフ知事は辞任理由を公表していない。

 RTは6つの言語でニュースやドキュメンタリーを提供する国際放送局。ロシア連邦政府の予算に依存する実質的な国営放送だ。ウクライナ侵攻後も、政権のプロパガンダの片棒を担いできた。知事の一斉辞任がロシアメディアの関心を呼んだとしつつ、こう報じている。

〈ロシアの政治技術センターの副所長は「目新しいことではない。支持率が低下した場合、知事が選挙前に辞任することはこれまでもあった。1人の知事が辞任しても、(人々は)注目してこなかったではないか」とインタファクス通信に語った〉

ソ連は地方から独立運動が広がり崩壊につながった

10日、マリ・エル共和国のアレクサンドル・エフスティフェフ知事(左画面)とテレビ会議をするプーチン大統領。この日、他の辞任する州知事とも同会議を持った(C)Sputnik/共同通信イメージズ

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 筑波学院大教授の中村逸郎氏(ロシア政治)がこう言う。

「同じ日に知事が5人も辞任するのは異例です。平静を装おうとするRTの報道も政権側の動揺を示しています。戦費が膨らみ、連邦政府は地方にお金を回せなくなっています。また、対ロ経済制裁が強化され、地方の財政がますます苦しくなるのは目に見えている。辞任の理由はいろいろつけられますが、この先、知事として務めるのは難しいと判断したのでしょう。間接的ですが、ウクライナ侵攻への抗議の辞任という意味も持っています」

 戦争が長引き、地方は疲弊。停戦が全く見えない中、知事を務めるのは、火中の栗を拾うようなものだ。この先、地方の不満が爆発すれば、プーチン政権の崩壊につながる可能性がある。

「さらに2人の知事も辞任する意向でプーチン政権は必死で思いとどまるよう説得しています。ソ連崩壊時と酷似してきました。ソ連は地方から独立運動が広がり、崩壊につながりました。地方の首長の中で反プーチンの動きが盛り上がり、モスクワ市長が反旗を翻す事態になればプーチン政権は持たないと思われます」(中村逸郎氏)

 ソ連崩壊の再現はあるのか。 』

プーチン追放クーデター進行か…

プーチン追放クーデター進行か…ウクライナ軍が目指すロシア軍“8.24完全撤退”の可能性
https://news.yahoo.co.jp/articles/40810bec87cb47d628e81c7b1cdc1d07ad093b9c

 ※ まあ、ゲンダイではあるが…。

 ※ こういう「情報錯綜の時」は、ガセまがいも、見ておいた方がいい…。

『ロシア軍のウクライナ侵攻が、近く重大局面を迎えそうだ。英国防省は15日、「ウクライナ東部ドンバス地方でロシア軍が勢いを失っている」との分析結果を公表。ドンバス地方からロシア軍が撤退を始めたという情報もある。一方、ロシア国内ではプーチン大統領を追放するクーデターも進行しているとされる。国内政変と戦況悪化で、プーチン・ロシアは“完全撤退”を強いられる可能性がある。

ロシアの知事5人が異例の同日辞任!「プーチン降ろし」地方から伝播、ソ連崩壊と酷似してきた

 ◇  ◇  ◇

 プーチン大統領へのクーデターについて「すでに始まっている」と明言したのは、ウクライナ国防省の情報総局を率いるキリロ・ブダノフ准将(36)だ。英スカイ・ニュースのインタビューで語っている。

 クーデターの詳細や戦況の展望については明かさなかったが、「最終的には指導者交代につながるだろう」「止めることは不可能だ」と断言。その上で、「8月後半に重大局面が訪れる」「今年中に戦闘の大部分が終了する」と話した。

「8月後半」といえば、8月24日はウクライナの「独立記念日」だ。1991年に旧ソ連から独立を果たした日で、昨年はちょうど30周年。首都キーウで軍事パレードが開催され、ゼレンスキー大統領がスピーチしていた。ウクライナ国民が「8.24」を重視していてもおかしくない。

 ちなみに、ブダノフ准将は今年初めの時点でロシアの侵攻時期を正確に予測した人物だ。スカイ・ニュースのインタビューでは感情を表に出さず、淡々と話していたが、ただ一度だけ笑みを浮かべ「私は楽観的です」と自信ありげに語っている。

キーウ近郊の「弾薬基地」を狙い撃ち

ウクライナの「独立記念日」を見据えているのか(ウクライナのゼレンスキー大統領)/(C)ロイター

 実際、ロシア軍は苦戦続きだ。これまで幾度となくウクライナ軍に撃破されている。英国防省は13日、ルガンスク州の主要都市西方の川を渡ろうとしたロシア軍部隊をウクライナ軍が撃破したと公表。ロシア側は少なくとも、1個大隊戦術グループ(800~1000人規模)を失ったという。3カ月後の「8.24」にロシア軍は“完全撤退”に追い込まれる可能性があるのではないか。キーウで取材し続けるジャーナリストの田中龍作氏はこう言う。

「ロシア軍はキーウ近郊のブチャやイルピン後方の村に『弾薬基地』を設置していたのですが、3月下旬にウクライナ軍の砲撃によって文字通り壊滅されてしまった。『弾薬基地』は森に囲まれ、ちょっとやそっとで見つかる環境ではありませんでした。ところが、ウクライナ軍は正確に位置を把握していたそうです。大量の弾薬に“引火”し、約6時間にわたって大爆発が起きたといいます。ウクライナ軍は陸、空から相手の位置を正確に把握し、少ない武器弾薬でロシア軍を効率的に攻撃している。ブダノフ氏の言葉通り、8月に重大局面を迎え、年内に大部分の戦闘が収まる可能性は十分考えられます」

 追い詰められたプーチン大統領が“暴発”しなければいいが。』