WHO事務局長に見る、中国が国連機関を支配下に置く極意 : 世界のニュース トトメス5世

WHO事務局長に見る、中国が国連機関を支配下に置く極意 : 世界のニュース トトメス5世
https://www.thutmosev.com/archives/88177314.html

※ 今日は、こんなところで…。

『WHOを支配下に置くため中国は何世代にもわたって出身国や地域、家族、友人関係、婚姻、金銭援助などで周囲を取り囲む。
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画像引用:https://www.deccanherald.com/international/who-chiefs-remarks-on-chinas-covid-policy-blocked-on-countrys-social-media-1108281.html

テドロス事務局長

世界保健機関(WHO)のテドロス事務局長は2020年初頭に武漢で新型コロナが流行した時、かたくなに中国起因説を否定し、中国の手先と呼ばれていました。

当時米トランプ大統領が「中国がウイルスをまき散らした」と主張したのに対し、テドロスは「世界は中国に感謝しろ」とまで言いました。

欧米からの強い批判を受けてWHOは武漢に調査団を派遣したが、観光旅行のように中国政府がセットしたコースを歩き飲み食いや接待を受けて遊んで帰ってきた。

もちろんWHOの武漢調査結果は「中国や武漢にはなんの問題もなく、コロナ対応も素晴らしかった」と称賛していました。

これでWHOや国連機関がいかに中国に浸食されているかが明らかになり、多くの国連機関では中国政府の許可を得ないと人事ができなくなっている。

その手口は国連機関に多くの職員を送り込むことで、たとえ電話番や駐車場の整理係でも、1人1人が小さな権限を持っています。

警備員には警備員の権力があり、末端の職員であっても何かしらの権限を持っています。
中国はどんな小さな職員募集も見逃さずに応募し、表向き民間人だが実際には中国政府の指示で働いています。

日本には多くの中国人留学生や労働者が滞在しているが、全員が「政府の諜報活動に協力する」という誓約書を書いています。

これに署名しないと出国を許可されないからで、どんな諜報活動をしたかも月1回程度電話で報告しています。

国連本部はアメリカにあるので、米国滞在の中国人国連職員も全員が同様の誓約書を書いて諜報活動をしています。

中国の諜報活動は長期間に渡り濃密な関係を築くのが特徴で、例えば日本の2世政治家は生まれる前からもう接近しています。

中国の諜報活動は驚くほど長期で濃密

日本では政治家は世襲が多いので、有力政治家の息子と信頼関係を持てば一生中国の利益になります。

総理の息子や娘の政治家の多くは中国の影響下にあり、2世政治家に親中派が多いのは偶然ではない。

まして国連はコネの世界であり、家族ぐるみの人間関係があれば中国の影響下に置くことができる。

こうした事を共産主義国は得意としており、数世代に渡る人間関係を構築して支配下に置いたりします。

例えば日米関係はどんなに良好だったとしても選挙で政権が変わればすべて無効になり、ゼロから再構築しなくてはならない。

(※ ホントかよ?「条約」とは、「国と国との約束」じゃなかったか…。)

中国やソ連や北朝鮮に選挙はないので政権交代も無く、数世代に渡る親密な人間関係を築けるのです。

WHOのテドロス事務局長のそのように取り込まれた1人で、出身国のエチオピアは中国から膨大な援助を受け支配下にあるとされている。

WHOを支配する為にアフリカの小国に援助して債務の罠に落とし、事務局長になるのを支援して自分の支配下に置きました。

中国の諜報活動はこれほど用意周到で家族や地域ぐるみで支配されているので、例えば結婚相手や親友が中国の諜報員だったりもします。』

インド中立、やむを得ない ロシアと決別できぬ対中事情

インド中立、やむを得ない ロシアと決別できぬ対中事情
本社コメンテーター 秋田浩之
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD109WL0Q2A510C2000000/

『日本と米国、オーストラリア、インドの首脳が5月下旬、東京で一堂に会する。「Quad(クアッド)」と呼ばれる枠組みだ。

クアッドは中国をにらんで結束を強めてきたが、ここにきて暗雲が垂れこめている。ロシアのウクライナ侵略がきっかけだ。

日米豪など西側諸国はロシアを非難し、制裁を強めている。ところがインドは停戦を求めこそすれ、制裁には同調せず、中立の姿勢を変えていない。

ロイター通信によると、インドはロシアから安く石油を買うことすらも検討する。日米豪はこうした態度を改め、制裁に協力するよう、5月下旬の首脳会合でインドに求める構えだ。

ロシアによる残虐な侵略が続いているにもかかわらず、インドは制裁を控え、中立を決め込んでいる。確かに遺憾であり、失望を禁じ得ない。
さらされる一触即発の危機

しかし、インドを追い詰め、中立の態度を変えるよう迫ることが賢明だとも思えない。努力は徒労に終わるばかりか、日米豪の戦略的な利益を損ねる恐れもある。

インドとロシアの友好関係は今に始まったことではなく、米ソ冷戦中にさかのぼる。インドの当局者や元高官にたずねると、対中戦略上、ロシアとの友好を壊すわけにはいかないと口をそろえる。

いちばん大きな理由は1962年の中印戦争以来、中国との紛争が続き、一触即発の危機にさらされていることだ。2年前には衝突で45年ぶりに死傷者が出た。「いまも、両国がにらみ合い、緊迫している」(元インド軍幹部)

インドが恐れる悪夢は、この紛争でロシアが中国側に肩入れすることだ。紛争に直接介入することはないにしても、ロシアが情報提供や外交戦で中国を利する行動に出れば、インドには大きな脅威になる。

ロシアは今のところ、中立を保っている。だが、インドが敵対的な言動に出れば、ロシアは中国支持に転じるだろう。インドの外交専門家によると、ロシアはクアッドについても米国覇権の道具だと敵視し、深入りしないようインドに水面下で警告している。
目指すのは多極的な秩序

ロシアと決別すれば、インドは軍事上も少なからぬ打撃をこうむる。ロシアの兵器に深く依存しているためだ。インド軍の兵器は、約7割がロシア製との試算がある。冷戦以来、米国から最新鋭の兵器を買うのが難しかったことが一因だ。近年はフランスやイスラエルから兵器調達を増やし、ロシア比率を減らす努力を急ぐ。

インドのシブシャンカル・メノン元国家安全保障補佐官によると、全兵器輸入に占めるロシアの比率は2000年に80%だったが、19年には35%に落ちた。それでも、ロシア依存から抜け出すには、10年以上はかかるという。この間にロシアと敵対し、部品の供給を止められたら、インド軍の運用に支障が生じてしまう。

メノン氏は語る。「米国に守ってもらえる日本や北大西洋条約機構(NATO)諸国と違って、インドは自力で中国などとの紛争に対処し、領土を守らなければならない。ウクライナの状況には当然、インドも懸念を深めているが、ロシアと敵対できない厳しい安全保障事情も理解してほしい」

対ロ政策をめぐる米欧日とインドの溝をさらに掘り下げると、全く異なる世界観にいきつく。西側諸国は第2次大戦後、世界の繁栄を支えてきた米国主導の秩序を守ることが利益にかなうと信じている。こうした立場からすれば、ロシアは秩序を壊そうとする無法者だ。

インドの戦略家によれば、同国の発想は違う。インドがめざすのは米国主導ではなく、多極的な秩序だ。複数の大国が並立する、ドングリの背比べの世界である。特定の同盟国に頼らないインドにとっては、抜きんでた覇権国がいない世界のほうが安全なのだ。

インドは特に、中国の突出を阻もうとしている。このため中国の抑え役として、米国だけでなく、ロシアにも大国の座にとどまってもらいたいと願っている。

さらに複雑なのは、インド側は長年にわたる米欧への不信感も抱いていることだ。おおまかに言えば、次のような感情である。

アフガニスタンや中東、アフリカなどあちこちで紛争が続き、難民があふれているのに、米欧は十分に対応してこなかった。だが、身近な欧州で戦争が起きた途端、世界各国に連帯を迫る。これでは二重基準であり、偽善だ――。
過剰な期待、抱かず

では、日米豪、欧州はどうすればよいのか。まずインドが中国を抑止できる軍事力を整え、国境紛争がエスカレートするのを防ぐ体制を築くことは、西側諸国の利益にもかなう。その意味でインドが対ロ制裁を控え、ロシアとの友好をつなぎ留めることは当面、やむを得ないとみるべきだろう。

そのうえで、米欧はインドが一刻も早くロシア製兵器への依存を減らせるよう、軍事協力を急ぐことが大切だ。

インドとの戦略協力を息切れさせないためには、過剰な期待を抱かないことも肝心である。クアッドの連携は中国への対応を中心とし、ロシア問題にはあまり踏み込まないほうが現実的だ。

日米豪が対ロ外交でインドとの連携をめざすこと自体は、もちろん誤りではない。ただ、深追いした結果、クアッドの結束が崩れてしまったら元も子もない。そのときにほくそ笑むのは、まさに中国とロシアである。

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多様な観点からニュースを考える

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青山瑠妙
早稲田大学大学院アジア太平洋研究科 教授
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ひとこと解説

クアッドなどでインドへの過剰な期待は抱かないほうが良いという主張は全くその通りである。

アメリカや日本と異なり、インドの対外戦略は対中政策だけで規定されているわけではない。

インドは「戦略的自立性」を最重要視し、「強いインド」を目指している。インドのプラグマティズムに対しては、インドの外交姿勢と政策面へのプラグマティックな関与姿勢がむしろ重要なのではないか。

2022年5月16日 12:26』

ロシア、投入軍3分の1失うと英分析 NATO総長「ウクライナ勝利可能」

ロシア、投入軍3分の1失うと英分析 NATO総長「ウクライナ勝利可能」
https://www.jiji.com/jc/article?k=2022051600109&g=int

『【ロンドン時事】英国防省は15日、ロシアのウクライナ侵攻に関する戦況報告で、ロシア軍が2月の侵攻開始後に投入した地上戦力の3分の1を失った可能性が大きいとする分析を明らかにした。東部ドンバス地方でのロシア軍の攻勢は「勢いを失い、予定よりも大幅に遅れている」と指摘している。

核搭載可能ミサイル、模擬発射 ロシア飛び地カリーニングラード―ウクライナ支援の欧米けん制

 ロシアは4月中旬、ドンバス地方の支配拡大に向けて攻勢に出た。戦況報告は、攻勢の初期に小規模な前進はあったものの、実質的な支配地の拡大はできていないと説明。「現在の状態では、今後30日、ロシアが進軍速度を劇的に加速させるとは考えにくい」とみている。

 北大西洋条約機構(NATO)のストルテンベルグ事務総長も15日、記者団に対し、ロシア軍が「首都キーウ(キエフ)制圧に失敗、(北東部の)ハリコフ周辺から撤退し、ドンバス地方での大規模攻勢は失速した」と指摘。「ウクライナはこの戦争に勝ち得る」と述べた。』

ヴァイキング

ヴァイキング
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0

『ヴァイキング(英: Viking、典: viking、独: Wikinger)とは、ヴァイキング時代(Viking Age、800年 – 1050年)と呼ばれる約250年間に西ヨーロッパ沿海部を侵略したスカンディナヴィア、バルト海沿岸地域の武装集団を指す言葉。

通俗的には、ヴァイキングは角のある兜を被った海賊や略奪を働く戦士であるとされるが、このイメージは後世の想像の影響が強く、実際には略奪を専業としていたのではなく交易民でもあり、故地においては農民であり漁民であった。

各地に進出し、北ヨーロッパの歴史に大きな影響を残したが、次第に海上の民としての性格を失い、13世紀までには、殆どのヴァイキングは消滅した。 』

『名称

ヴァイキングという呼称の語源は古ノルド語: víkingr(氷語: víkingur、フィヨルドから来たもの)。古ノルド語: vík(氷語: vík)は湾、入り江、フィヨルドを意味する。スカンジナビア半島一帯に点在するフィヨルドのことをヴィークと呼んだため、その「ヴィークの人々」を指して「ヴァイキング」と呼ぶようになったと考えられている。後の研究の進展により、ヴァイキングは「その時代にスカンディナヴィア半島、バルト海沿岸に住んでいた人々全体」を指す言葉に変容した。そういった観点からはノルマン人とも呼ばれる。

また、『サーガ』や『エッダ』などに「ヴァイキングに行く」という表現がみられるところから「探検」「航海」「略奪」などを意味するのではないかという解釈がある[1]。
背景

彼らは北方系ゲルマン人で、9世紀に入って侵略などを活発化させた。どうして彼等が域外へと進出したのかについては下記のような学説がある。
現在の説

ヴァイキングによる拡大と侵攻は中世温暖期(10世紀 – 14世紀)にはじまり、小氷河期(14世紀半ば – 19世紀半ば)に収束しているが、その直接的なきっかけは不明であり、いくつかの説が存在する。
キリスト教と宗教的対立

ヴァイキング時代の始まりとされるリンディスファーンの蹂躙は、カール大帝によるザクセン戦争、すなわちキリスト教徒による異教徒に対する戦争と時期を同じくする。歴史家のRudolf SimekとBruno Dumézilはヴァイキングによる攻撃は同社会におけるキリスト教の広まりに対する反撃ではないかと位置付けている[要出典]。Rudolf Simek教授は“初期のヴァイキングの活動がカール大帝の統治時代と時を同じくするのは偶然ではない”と分析する。カール大帝はキリスト教を掲げ、侵攻と拡大を繰り返しており、スカンディナビアにおけるその脅威は想像できる。また、キリスト教の浸透はスカンディナヴィアにおいて問題化していてノルウェーではそれが原因で1世紀に渡り深刻な対立が生じていた。通商・貿易面では、スカンディナヴィア人はキリスト教徒による不平等な条件の押しつけで苦しんでいたことが判明している。名誉を重んじ、名誉が汚された場合は近隣を襲撃することを厭わない文化において、上記のような原因で外国を襲撃することは考えられる[要出典]。
技術的優位性からの富を求めた侵略

ヴァイキングは通商・貿易を業としていた民族である。そのため、ヴァイキングは中世ヨーロッパが未だ暗黒時代とされる頃から、東アジア・中東とも交流を行い、航海術だけではなく、地理的な知識・工業的な技術・軍事的な技術も周辺のヨーロッパ諸国を凌駕するようになった。その結果、富を求め近隣諸国を侵略していったとされるものである。
その他の説

人口の過剰を原因とする説がある。寒冷な気候のため土地の生産性はきわめて低く、食料不足が生じたとされる。山がちのノルウェーでは狭小なフィヨルドに平地は少なく、海上に乗り出すしかなく、デンマークでは平坦地はあったが、土地自体が狭かった。スウェーデンは広い平坦地が広がっていたが、集村を形成できないほど土地は貧しく、北はツンドラ地帯だった。このため豊かな北欧域外への略奪、交易、移住が活発になったという仮説である。しかし、生産性が低く、土地が貧しいのなら、出生率が上がるとは考えにくく、今では否定的に捉えられている。
人口過剰説として、中世の温暖期も原因とされることがある。温暖化により北欧の土地の生産性が上がったが、出生率がそれを上回って上昇したため、域外へ進出することを招いたという説である。
大陸ヨーロッパではゲルマン民族移動など民族大移動の真っ只中であり、弱体化したヨーロッパに南下して付け入ったという説もある。
能力を理由とする説もある。ヴァイキングの航海技術が卓抜だったため(後述)、他の民族は対抗できなかったというものである。

風俗
史実に近い形で描かれたヴァイキング。ただしここに描かれている人物はノヴゴロド公リューリクであり、半伝説的な人物である事には留意されたい。

ヴァイキング戦士の格好は、同時代の西欧の騎士と同様の、頭部を覆う兜とチェーンメイルが一般的であった。丸盾と大型の戦斧が、ヴァイキングの装備の特徴となる。

ノルウェーの10世紀の遺跡から出土した兜は、目の周りに眼鏡状の覆いがついていたが、角状の装飾品は見当たらない。むしろ同時代の西欧の騎士の兜が、動物や怪物を模した付加的な意匠を施す例があったのに対し、ヴァイキングの兜は付加的な意匠は乏しいと言える。

族長クラスは膝下までのチェーンメイルを身につけたが、一般のヴァイキングは膝上20cm程度のものを身につけていた。ヴァイキングとノルマン人の定義には曖昧なものがあり厳密な区分ができないが、ヴァイキングのチェーンメイルは黒鉄色、ノルマン人のチェーンメイルは銀白色、といった区分をする場合があり、アイルランド語ではヴァイキング・ノルマン人を「ロッホランナッホ (Lochlannach)」、つまり「白と黒」と呼んでいた。

ノルマン人と呼ばれる時代には、水滴状で鼻を防御する突起のついた兜が普及した。一体形成で意匠はさらに単純なものとなり、ノルマン・ヘルムと呼ばれた。これはノルマン人以外の西欧の騎士の間にも普及し、初期十字軍の騎士の一般的な装備ともなっている。

ステレオタイプ

一般に、角のついた兜と毛皮のベスト、といった服装が、ヴァイキングの服装のステレオタイプとして知られている[2]。しかしこれは史実ではなく、当時のヴァイキングの遺跡からはこのような兜は出土していない[3]。角のついた兜は、古代ローマ時代にローマと敵対したケルト人の風俗が、後世になってヴァイキングの風俗として訛伝されたものである。なおかつケルト人は数多くの部族に分かれていた集団であり、兜の意匠は様々であり、角のついた兜はその中の一種類に過ぎず、さらに兜を被る事ができたのは一部の部族長クラスに限られる。

ヴァイキングは広く金髪であると言うイメージを持たれている。実際には多くのヴァイキングは茶色い髪を持ち、スカンディナヴィア出身者以外の遺伝子の影響も大きく、血統内にはアジアや南欧由来の遺伝子も存在した[4]。
ヴァイキングの舟
オーセベリ船
(ヴァイキング船博物館、オスロ)
詳細は「ヴァイキング船」を参照

ヴァイキングは「ロングシップ」と呼ばれる喫水の浅く、細長い舟を操った。ロングシップは外洋では帆走もできたが、多数のオールによって漕ぐこともでき、水深の浅い河川にでも侵入できた。また陸上では舟を引っ張って移動することもあり、ヴァイキングがどこを襲撃するかを予想するのは難しかった。まさに神出鬼没といえる。このため、アングロ・サクソン人諸王国や大陸のフランク王国も手の打ちようがなく、ヴァイキングの襲撃を阻止することはできず、甚大な被害を受けることになる。戦闘に主に用いられた。[要出典]ロングシップのほか、戦闘にも貿易にも使用できたと考えられているクナールなど、ヴァイキングは何種類かの船を併用していた[5]。

ヴァイキング船については、オスロ市ビグドイ地区にあるヴァイキング船博物館、およびデンマークのロスキレにあるヴァイキング船博物館が中心となって研究がおこなわれている。また、ヴァイキングには、船を副葬にする慣習(船葬墓)があり、ノルウェー・ヴェストフォル県トンスベルグ近郊のオーセベリ農場の墳丘墓で見つかったオーセベリ船や、[要出典]同じくノルウェーのヴェストフォル県サンデフィヨルドのゴクスタ墳丘で見つかったゴクスタ船など、いくつかの船が完全な形で発掘され、ヴァイキング船の研究に大きな役割を果たした[6]。オスロのヴァイキング船博物館には、オーセベリ船およびゴクスタ船、トゥーネ船が展示されている。
商業
ヴァイキングの航海 緑色はヴァイキングの居住地(植民地)、青線は経路、数字は到達年。黒海やカスピ海、北アメリカ大陸のニューファンドランド島にも到達している

ヴァイキングは通常の商業も活発に行っており、ユトランド半島東岸のヘーゼビューや、スウェーデンのビルカは商業拠点として栄えた。ビルカからの交易ルートは、例えばブリテン諸島、イベリア半島、イタリア半島、バルカン半島、ヨーロッパロシア、北アフリカに達した。9世紀のイスラム・ディレム銀貨がバルト海のゴトランド島から大量に発掘されるなど、西アジアへの交易路はルーシの地を経て東ローマ帝国やイスラム帝国へと出る、いわゆるヴァリャーグからギリシアへの道によって東方世界とつながっており、コンスタンティノープルとの貿易も、ヴァイキングの通商路である。この事実から、ヴァイキングたちにとっても航海の主たる目的は交易であり、略奪の方がむしろ例外的なものだったと考えられる。
初期のヴァイキング
リンデスファーン修道院の廃墟

西暦700年代末頃からヴァイキング集団はブリテン諸島やフリースラントへの略奪を始めたが、この頃には季節の終わりには故郷へと戻っていた。

本格的なヴァイキングの時代が始まるのは、793年の北部イングランドのリンデスファーン修道院襲撃からとされる[7][8]。以後、795年にはヘブリディーズ諸島のアイオナ修道院を略奪し、北海沿岸を襲撃していくようになった。だが、9世紀半ばからは西ヨーロッパに越冬地を設営して、さらなる略奪作戦のための基地とするようになった。いくつかの場合、これらの越冬地は永続的な定住地となっていった。

中世初期の文献資料は、ヴァイキングに敵意を持つ西欧人の記した記録や伝承記が多い。中世の西欧人にとってノルマン人(ヴァイキング)とペスト(黒死病)は二大脅威だったのである[1]。

793年、ノルマン人と思われる一団によって、ブリテン島東岸のリンディスファーン修道院が襲撃された。このことは「アングロ・サクソン年代記」に記されており、西ヨーロッパの記録に記された最初のヴァイキングの襲撃とみなされている。

ヴァイキングは、9世紀にフェロー諸島、次いでアイスランドを発見した。そしてアイスランドからグリーンランド、アメリカ大陸(ニューファンドランド島と推測される)へ進出した。彼らはまた、ヨーロッパの沿岸や川を通って渡り歩く優れた商人であったことから、グリーンランドを北端にして南はロシアの内陸河川を航行してイスタンブールに進出していった。

ヴァイキングは海岸線を伝い、現在のフランスやオランダにあたる地をしばしば攻撃した。デーン人は、834年にフランク王国を襲撃、843年にはロワール川の河口に近いナントを襲った[1]。10世紀に入るとパリがヴァイキングにより包囲され、ロワール川流域も荒廃した。10世紀初め、ヴァイキングの一首領ロロが西フランクを襲撃しない見返りとして、シャルル3世によってキリスト教への改宗と領土防衛を条件に、フランス北西部のセーヌ川流域に領土を封じられた[9]。これがノルマンディー公国の始まりである(なお、ロロの子孫で西フランク(フランス)王の臣下でもあったウィリアム1世がのちにイングランドに侵攻し、ノルマン朝を開いている。これが1066年のノルマン・コンクエストである)。

ヴァイキングの西欧への侵入は当初は略奪目的が少なくなかったものの、9世紀末以降は、ロロの例にみられるごとく定住化の傾向が顕著になる。これは、ヴァイキングの故郷であるデンマーク一帯に統一権力形勢の動きが起こることと連関があり、故国で志をえない有力者が部下とともに移住するケースとみられる[10]。
各国のヴァイキング
デンマークおよびノルウェー
デーンロウ:黄色の部分
ヴァイキングの入植地オーフス再現モデル

アングロ・サクソンの史料においては、デンマークから来たヴァイキングはデーン人 (Daner, Dane) と呼ばれ[11]、ヴァイキングの代名詞となった。また、ノルウェーのヴァイキングは、ノース人 (Norsemen, Norse) と呼ばれる。この2国は主に西方に広がる北海方面へと進出した。

804年、フランク王国のカール大帝はザクセンを併合し、これによりフランクとデンマークは国境を接することとなった。これに危機感を抱いたデンマーク王ゴズフレズは、スラヴ人の商業都市レリクを808年に滅ぼして商人を自らの商業都市であるヘーゼビューへと移住させ、以後ヘーゼビューはデンマークの商業中心となっていった。その後、810年にはフランク王国の北端となったフリースラントへと侵攻している。次代のヘミングの代には一時和平が成立したものの、834年にはフリース人の商業中心であるドレスタットを襲撃し、以後フランク王国北岸への攻撃を強めていく。841年には、フランク王ロタール1世はデンマークの二人の首長、ロリクとハラルドにワルヘレン島やフリースラントなどを与え、懐柔を試みる。ロリクはこの時、ノルマン侯国をドレスタットを中心として建設し、数十年ほど国を維持する[12]。しかし、デーン人の南進は収まらず、さらにフランク王国自体が王位争いにより3分割されるに及んで、ヴァイキングの活動はさらに活発になった。

840年代にはロワール川河口やナント、ブルターニュを襲い、850年代にはジブラルタル海峡を回って地中海にまで進出し、イタリア半島やローヌ川流域を襲撃している。863年にはドレスタットを3たび襲撃し、この襲撃をもってドレスタットは完全に衰退する。

セーヌ川 (Seine) 河口に大軍の集結地を作り、そこから繰り返し北フランス各地へと出撃した。851年にはイングランド本土へ侵攻して東部イングランドを蹂躙し、865年にはふたたびイングランドに来襲してノーサンブリアからイースト・アングリア一帯を占領し、さらにイングランド南部をうかがった。これに対し、ウェセックス王国のアルフレッド大王は877年にデーン人を撃退し、翌878年のウェドモーアの和議によってイングランドは北東部と南西部に二分され、南西部をウェセックス王国が、北東部をデーン人の領域(デーンロウ)とすることが取り決められた。これ以後、150年にわたってイングランドの歴史はアングロサクソン諸王国とヴァイキングの闘争に支配される。911年にはセーヌ河の「ノースマン」(北の人=ヴァイキング)は首長ロロの下に恒久的に定住し、ノルマンディー公国を形成することになる。

ヴァイキングはノルマン人とも言われるが、ノルマン人が居住したことからノルマンディーという地名が生まれた[11]。後世の歴史学的用語としてはともかく、当代においてはノルマンディー公国以降のヴァイキングがノルマン人と呼ばれる[注釈 1]。[要出典]

ノルマンディー公国成立後も、デーン人の進出は続いた。11世紀のデンマーク王族カヌートは父がヴァイキングを先祖とするデーン人で母が西スラヴのポーランド人の王族であるがイングランドとデンマークを結ぶ北海帝国の主となり、カヌート大王(在位1016年 – 1035年)と呼ばれる。しかしその後、1035年にカヌートが死去するとすぐにこの帝国にはほころびが生じ、1042年にはエドワード懺悔王がイングランド王位に就く。しかし彼の死後、ノルマンディー公ギョームは1066年にアングロサクソン・イングランドを征服(ノルマン・コンクエスト)し、ノルマン王朝を築いた。

一方、地中海中央部のイタリア半島南部においては、999年ごろより聖地巡礼の帰路に立ち寄ったノルマン人たちが傭兵としてとどまり、ビザンツ帝国領や諸侯領のいりまじっていた南イタリアで徐々に勢力を拡大していく。こうしたなか、ノルマンディーの騎士ロベール・ギスカールは1059年、プッリャ公となり、やがて南イタリアを統一し、1071年には東ローマ帝国の拠点だったバーリを攻略。(ノルマン・東ローマ戦争)さらに1076年までに、当時イスラム勢力の支配下にあったシチリアを占領し、ノルマン朝(オートヴィル朝)を開いた。1130年にはルッジェーロ2世が王位につき、シチリア王国が成立した(ノルマン人による南イタリア征服)。

イタリアに渡ったノルマン人のうち、ターラント公ボエモンは、第一次十字軍に参加し、1098年にアンティオキア公国を建国した。
ノース人の北方進出
インゴールヴル・アルナルソン
シンクヴェトリルのアルシング開催地
ランス・オ・メドーの家

ノース人はまた、独自に北方へと進出していた。8世紀にはオークニー諸島やシェトランド諸島、9世紀にはフェロー諸島やヘブリディーズ諸島、東アイルランドに進出した。ノース人のヨーロッパ航路は、オークニー諸島・シェトランド諸島からアイルランド海峡を経て南下するものが主だった。9世紀半ばごろには、拠点としてアイルランド東岸にダブリンが建設された。

フローキ・ビリガルズソンらの航海によってアイスランドの存在が知られると、874年には、インゴールヴル・アルナルソンがアイスランドへと入植し、レイキャヴィークに農場を開いた。彼はアイスランド最初の植民者であるとされる。これ以降、ノルウェーからの移住者が続々とアイスランドにやってきて入植していった。これらの入植は、やがて『植民の書』と呼ばれる書物にまとめられた。930年、アイスランド各地のシング(民会)の代表がシンクヴェトリルへと集結し、全島議会アルシングを開催し、以降毎夏開催されるようになった。

985年に赤毛のエイリークがグリーンランドを発見し、ここでもただちに入植がはじまった。その息子レイフ・エリクソンは北アメリカにまで航海し、そこをヴィンランドと命名した。1000年のことである(ノース人によるアメリカ大陸の植民地化)。この後もヴィンランドへは数度航海が試みられ、ソルフィン・カルルセフニは再到達に成功している。1960年にはカナダのニューファンドランドにあるランス・オ・メドーでノース人の入植地跡が発見され、この到達が事実であることが確認された。これらの航海は、『グリーンランド人のサガ』および『赤毛のエイリークのサガ』というふたつのサガによって語り継がれ、この二つのサガを総称してヴィンランド・サガとも呼ばれる。しかし、このヴィンランド植民の試みは、スクレーリングと彼らの呼んだ先住民との対立によって潰え、ランス・オ・メドーも数年で放棄された。グリーンランドも数世紀植民地を維持したものの、寒冷化による食糧事情の悪化によって1430年前後に壊滅し、グリーンランド以西の植民地活動は最終的には失敗に終わった。

なお、開拓者の消滅後もデンマーク=ノルウェー王国は、グリーンランドを自国の領有地であると考え続け、18世紀以降、この島に対するデンマークの領有権主張の始まりとなった(デンマークによるアメリカ大陸の植民地化)。またノルウェー人も、20世紀初頭に「赤毛のエイリークの土地」と呼んでグリーンランドの領有権を主張していたが、現在、グリーンランドはデンマークの自治領となっている。
スウェーデン
地図中の青線(バルト海上の紫線を含む)が「ヴァリャーグからギリシアへの道」を示す

スウェーデンのヴァイキングは、しばしばスヴェア人と呼ばれる。北方ドイツやフィンランド、東スラヴ地域へも進出した。東スラヴの地へ初期の進出は、8世紀後半から9世紀半ばにかけてあったとされる都市国家群のルーシ・カガン国の建国であった(国家群の民族構成には、ノース人の他、バルト人、スラヴ人、フィン人、テュルク系民族も含まれている)。彼らはフランク王国の「サンベルタン年代記」などでノース人、あるいはスウェーデン人であったと伝えられている。このルーシ・カガン国が最期、発展してキエフ・ルーシとなったのか、あるいは単にキエフ・ルーシに吸収されたのかは不明である。また、リューリクがノヴゴロド公国で新しい公朝を立てたといわれているが、この論争はゲルマニスト・スラヴィスト間の対立として知られ、とくに『ルーシ年代記』にみられる「ルーシ」の同定、さらに「ルーシ」が国家形成で果たした役割をどう評価するかが論点となっている。ただし、現代では反ノルマン説は根拠に乏しいとして否定されている(反ノルマン説を提起するのは、多数の東欧の歴史家である。この問題は、史実的な問題というよりも政治的な問題である)。また、ノルマン人がルーシ国家の創設に深く関わっていたのは事実である。さらに、リガ湾やフィンランド湾に流れ込む河川を遡り、9世紀にはバルト海と黒海を結ぶ陸上ルートを支配するようになった。彼らは東ローマ帝国の都コンスタンティノープルにまで姿を現している(839年頃)。このルートは直接イスラム世界へとつながるものであり、フランク王国経由ルートにかわりこのバルト海ルートが一時スカンディナヴィアと東方世界とをつないでいた[13]。伝説的な要素も含む『原初年代記』によれば、882年にはドニエプル川を南下し、リューリクの息子イーゴリが、オレグを後見人にキエフ大公国を建国。彼らはヴァリャーグと呼ばれる。またサガ(スノッリ・ストゥルルソン「ヘイムスクリングラ」)やリンベルトによる聖人伝「聖アンスガールの生涯」によると、9世紀のスウェーデンのエリク王(族王)の時代には、エストニアとクールラント(今のラトヴィアの一部)を支配していたが、それを失ったらしい。なお、スウェーデン・ヴァイキングには、フィン人も参加していたとフィンランドでは主張されているが、史実的な裏付けはない。
フリースラント
詳細は「:en:Viking raids in the Rhineland」を参照

この時期においてフリースラントといえば、現在のブルッヘからユトランド半島西岸までの領域を指す。この領域はフリースラント・フランク戦争の影響で徐々にフランク人の勢力下に入りつつあったが、フランク人らによるキリスト教化政策や文化的同化政策はうまく進んでいなかった。それ故にしばしばフリースラントの住民ら自身がヴァイキングとして周辺を荒らしまわることもあった。

 それと同時期に、フリースラントの諸都市が北欧のヴァイキングに襲撃され始める。ヴァイキングらはフリースラント北部のen: Wieringen地域に拠点を構えることが多かった。またヴァイキングの首長がフリジア公などと名乗りフリースラントを実質的に支配下に置くこともあった。
北米大陸
ヴァイキング後裔国家

ルーシ原初年代記によるとリューリクとその息子たちは東スラヴの各部族に要請されて一帯の統率者となり、860年から880年にかけてノヴゴロド公国やキエフ大公国に新しい公朝を立てた。ただし、これは伝承的色彩の濃い史料に基づいており、リューリクが果たして本当に実在したヴァイキングだったのかを含めて、15世紀まで不確実性が残るが、いずれにせよ、この一帯に定住したヴァイキングは次第にスラヴ人に同化して消滅していった。ルーシでは、スラヴ人君主ながら親スカンディナヴィア政策を取ったキエフ大公ウラジーミル1世までがヴァリャーグ人時代であったと言える(ノルウェー・ヴァイキングであるオーラヴ・トリグヴァソンや後にノルマン・コンクエストに関わるハーラル3世が親衛隊としてキエフ大公国に仕えた他、ルーシにおける半伝説的存在であったリューリクを高祖とするリューリク朝が東スラヴ人の国家ではあったものの、1598年まで存在していたなどの影響が残った)。リューリクは、862年にラドガを自分の都と定めたが、ヴァイキングたちにとってもラドガは東方の拠点の一つでもあり、ラドガの周囲にはリューリク及びその後継者たちのものとされる陵墓も現存する。990年代にノルウェー・ヴァイキングのエイリーク・ハーコナルソンがラドガ湖を襲い、ラドガの街に火をかけたことがサガに記されているほか、11世紀にスウェーデン王女とノヴゴロド公ヤロスラフ1世が結婚した時の条件として王女のいとこのスウェーデン貴族にラドガの支配を任じたことが年代記とサガに記されている。また、ラドガの発掘品からもラドガが次第にヴァリャーグの街となっていったことが確認でき、少なくとも二人のスウェーデン王(ステンキルとインゲ1世)が青少年期をラドガで過ごしている。しかし12世紀以降、ラドガはノヴゴロド公国(ノヴゴロド共和国)の所有する、交易のための死活的に重要な前哨地となり、さらに正教会の教会と要塞が建てられ、北欧との関係は薄れていった。

ノルウェー人の築いた植民地は、アイスランドの植民の成功を除き、全て13世紀から16世紀までに、北欧本国からの連絡が途絶えてしまったとされる。しかしその後も僅かながらの「白いエスキモー」、「金髪のエスキモー」に遭遇したと言う、船乗りたちの話が北欧に伝えられたのである。しかしヴァイキングの活動は急速に失われつつあった。

こうして初期のヴァイキングの自由、そして独立した精神は失われてしまったのである。海賊、交易民的な性格を失っていったヴァイキングは、次第にノルマン人と呼ばれる頻度が多くなっていく。

イングランド、ノルマンディー、シチリア、あるいは東方に向かったヴァイキング・ノルマン人たちは、その地に根付き、王となり、貴族となった。やがてノルマン人としてのアイディンティティを喪失し、現地に同化していった。

一方でヴァイキングの故地たる北欧においても、徐々に強固な国家形成がなされていき、その住民たちも、デーン人、スヴェア人、ノース人、アイスランド人へと、それぞれの国家の国民、民族として分離していく。

こうして、13世紀までには、殆どのヴァイキング・ノルマン人は消滅していく事になる。

考古学者による研究では、ヴァイキングの内、ノルウェー人の祖先は主にアイルランド、アイスランド、グリーンランドへ、スウェーデン人の祖先はバルト諸国へ、デンマーク人の祖先はスコットランド、イングランドへ移住したとされる[14]。
バイキングの戦い

バイキングの襲撃と戦術
バイキングの装備(英語版)

タイムライン

詳細は「fr:Chronologie des invasions vikings」を参照

対バイキング

ブルフ(英語版)(イギリスの対バイキング用要塞群)

著名なバイキング

ヨムスヴァイキング - バルト海のヨムスボルグを本拠地とするバイキング
ノルウェー王オーラヴ1世 - キリスト教化していく転機を作った。
ラグナル・ロズブローク - 大異教軍を率いイギリスやフランス(パリ包囲戦)を襲った。
ビルカの女性ヴァイキング戦士
骨なしのイーヴァル(英語版)
エギル・スカラグリームスソン
赤毛のエイリーク
のっぽのトルケル
ハールヴダン・ラグナルスソン
剛勇のビョルン
シグヴァルディ』

フィンランドの歴史

フィンランドの歴史
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2

『フィンランドの歴史(フィンランドのれきし)では、フィンランドの歴史について記述する。』

『先史時代

石器時代

現在の北欧の全域は1万3000年前までの間は氷床が広がっていたが、ヴュルム氷期が終わって気温が上昇すると、氷が解けて海面が上昇すると共に氷河の重さに抑えられていた陸が隆起した[1][2]。

約9000年前、後にバルト海になるアンキュルス湖の東側へ南方や東方から人々が移動するようになり、狩猟や漁業を行った[1]。

紀元前3300年頃にヴォルガ川周辺の文化が持ち込まれ、櫛目文土器を使い始めた[1]。

ウラル語族のフィン人の祖先はフィンランド湾の南に広がり、サーミ人の祖先は北へ分かれた[1]。この頃から北ゲルマン語群の文化と交流が始まり、言語や文化に影響を受けた[1]。

紀元前1500年頃に青銅器時代が始まるまでに南部や西部では農業が始まったが東部や北部では狩猟と漁業が中心のままだった[1]。

青銅器が伝わった頃のフィンランドの遺跡は少なく、サーミ人はアスベスト土器を用いた[2]。

民族移動時代

5世紀から6世紀のフィンランドを前期民族移動時代と呼び、8世紀末までを後期民族移動時代として区分する[3]。

後期民族移動時代には錫製装飾品で有名な「サーミの金属舞納遺構」がある[3]。

8世紀から11世紀にかけてスウェーデン、ノルウェー、デンマークに国が作られたが、フィン人もサーミ人も国を作る事はなかった[4]。

フィン人は大まかにスオミ、ハメーンリンナ、カレリア(Karelians)の3つのグループがあったが、政治的には十分にまとまっていなかった[4]。

この頃の主な産業は夏の農業(大麦、ライ麦)と冬の狩猟(テン、リス、ミンク)であった[4]。後者の動物の毛皮は交易品として重用された[4]。

スウェーデンによる支配

北方十字軍

北方十字軍の進路。赤1150年スオミ族に対する制圧・緑1238年1239年ハメ族に対する制圧・青1293年-1294年カレリア族に対する制圧

キリスト教が広まる前のフィンランドでは北欧神話とは異なる多神教の信仰が存在した[5]。

西隣のスウェーデンは12世紀初めにキリスト教化し、スウェーデン王のエリク9世は1155年または1157年に北方十字軍を編成してトゥルクを中心とするフィンランド南西部を支配したとされる[6]。

しかし当時の史料は無く、短期間の武力行使とキリスト教の布教が行われたものの征服には至らなかったと推測されている[7]。

布教を行った司教ヘンリク(英語版)は農民に殺害され、エリク9世と共に称えられた[7](cf. スカンディナヴィアのキリスト教化#フィンランド)。

北欧で最初にキリスト教化したデンマークは1191年から1202年の間、フィンランドやエストニアを攻撃した[7]。

1219年、デンマークはエストニアの拠点を攻略してタリンに城を築いた[7]。

フィンランドのトゥルクを中心とする地域はスウェーデンの勢力に入り、13世紀初めにカトリックの司教座が設置された[8][5]。

ハメーンリンナを中心とする地域は西のトゥルクからのカトリックと東のノヴゴロド公国からの東方正教会の両方から布教を受けた[8]。

スウェーデンとノヴゴロドの間では12世紀から争いが続き(スウェーデン・ノヴゴロド戦争)、ロシア側の記録によれば1240年にネヴァ川でノヴゴロドのアレクサンドルがネヴァ河畔の戦いでスウェーデンに勝利した[8]。

スウェーデンは約9年後に反撃し、13世紀中頃までにはハメーンリンナはスウェーデンの支配下におかれた[8][9]。

13世紀末にスウェーデンはカレリアの西部を獲得し、ヴィープリにヴィボルグ城(英語版)を建てた[8]。

1323年、オーレシェク講和条約(英語版)によってカレリア地峡を分割する形でノヴゴロドとの境界線が定められた[8][9]。

領土の確定で一定の安定を見た後、フィンランド人の地主、僧侶、官僚たちの自治集会が成立し、1362年にスウェーデン国王を選出する8つの地区の1つと認められた[10]。

彼らはスウェーデン人に同化されたが、フィンランド人の文化は、農民の間に遺された。
この時代にスウェーデンから移住したスウェーデン人たちは、スウェーデン系フィンランド人と呼ばれ、19世紀初頭まで続く「スウェーデン=フィンランド」を形成した。

カルマル同盟

1397年にカルマル同盟が成立するとデンマークが統治に関与してスウェーデンからの圧力は減ったが[11]、エリク13世による重税にスウェーデンもフィンランドも苦しんだ[10]。
スウェーデン王となったカール・クヌートソンは連合王の地位を巡ってクリスチャン1世と争い[12]、カールの後を継いだ甥の大ステン・ストゥーレ(英語版)はスウェーデンの摂政を勤めた。

大ステン・ストゥーレは1471年にクリスチャン1世と戦って勝利し、1483年までにはフィンランドを支配した[10][11]。

1507年にデンマークはオーランド諸島を攻略し、1509年にかけてポルヴォーやトゥルクを攻撃した[13][14]。

フィンランドの貴族や農民はストゥーレ一族に味方したが、1520年に小ステン・ストゥーレ(英語版)が戦死してスウェーデンは降伏した[12][14]。

勝利したクリスチャン2世がストックホルムの血浴と呼ばれる粛清を行うと、これに対抗してグスタフ・ヴァーサがダーラナで挙兵した。

グスタフ・ヴァーサは1523年にスウェーデン王として選出され、リューベックの協力でデンマークを退けスウェーデンを独立させた[12][14]。

バルト帝国

1523年のスウェーデンの独立によりデンマーク人の勢力は後退した。

グスタフ・ヴァーサ(グスタフ1世)は軍隊整備の制度改革を行い、国家財政のために増税とカトリック教会の財産の没収を行った[15]。

スウェーデンとフィンランドはルター派になり、教皇ではなく国王が司教を任命するようになった[15]。フィンランド語による新約聖書などがアグリコラによって出版された[16]。

タタールのくびきを脱したモスクワ大公国との国境争いは15世紀から継続していたが[10]、16世紀初めには期限付きの停戦協定が結ばれた[14]。

グスタフ1世の後を継いだエリク14世の治世にはエストニアを巡ってデンマーク、ポーランドとの間で戦争となり、北方七年戦争が行われた[17][18]。

この頃のフィンランドの人口は約25万人でスウェーデンの約25%に相当した[19]が、フィンランドの徴兵負担は他の地域より高かった[注釈 1][20]。

富裕農民は軍隊の為に騎手を用意することで徴兵を回避できた為、その他の農民に負荷が集まった[21]。

税と徴兵の負担により、フィンランドの農民は棍棒戦争(英語版)と呼ばれる内乱を起こしたが鎮圧された[21]。

三十年戦争、北方戦争でスウェーデンの勢力は拡大し、1658年にはロスキレ条約により最大版図となる領土を獲得した[22]。

フィンランド人の兵士は、三十年戦争で勇猛さを発揮し、「ポーランド軍にはタタール人(コサック)がいる様に、スウェーデン軍にはフィン人がいる」と言われ、恐れられたという。

17世紀後半に小氷河期が訪れ、フィンランドでは飢饉が発生した[23]。1695年から1697年にかけて10万人以上が飢饉により死亡したと推定されている[24]。

スウェーデンは1700年に始まった大北方戦争に敗れ、1713年にフィンランドはロシアによって制圧された[25]。

1721年のニスタット条約によりフィンランドはスウェーデンへ返還されたが、バルト海沿岸の多くのスウェーデン領が失われた[25]。フィンランドではこの戦争の間に約5万人が病気などによって死亡した[24]。

1741年から1743年にかけて、スウェーデンがロシアとハット党戦争を行うとフィンランドは再びロシアに占領された[26]。

1743年のオーボ条約(英語版)によってフィンランドはスウェーデンへ戻されたが、国境は変更されてロシアが西へ拡大した[26]。

1788年にスウェーデンがロシアと第一次ロシア・スウェーデン戦争を開始すると、スウェーデンの貴族将校たちが国王に反してエカチェリーナ2世へ和平とロシアの協力の元でフィンランドの独立を求めるアニアーラ事件が起きた[27]。

計画は失敗し、スウェーデンとロシアの間の戦いは国境を変更せずに終わった[27]。

現代のフィンランドの歴史家は、これをロシア帝国の策略とする、愚かな犯罪的反乱予備罪だったと決定付けている。[要出典]

しかしこれはフィンランド人のナショナリズムの現われの一端ではあった。フィンランド人はその歴史上地理的に緩衝地帯としての役割を宿命付けられて来た。

中世の初頭から冷戦終結後までフィンランド人は、スウェーデン人(西方教会、パン=ゲルマン主義、資本主義)とロシア(正教会、汎スラブ主義、共産主義)との間の緩衝国であり、東西交流の窓口であった。

フィンランド大公国

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この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。

出典検索?: “フィンランドの歴史” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2015年4月)
ナショナリズム

1807年、ロシア皇帝アレクサンドル1世はティルジット条約においてナポレオンの対英大陸封鎖(大陸封鎖令)に参加する見返りとして、フィンランド領の獲得を承認させた。

このため、1808年ロシア帝国はスウェーデン政府に宣戦布告(フィンランド戦争)、既にフィンランド人にはスウェーデン人に対する不満が渦巻いていたが、フィンランド軍は孤軍奮闘した。

しかしスウェーデン軍は、ロシア軍に大敗すると算を乱して逃亡し、翌年の1809年春にロシア軍はフィンランドの全域を制圧した(フレデリクスハムンの和約、ハミナの和平)。
アレクサンドル1世はフィンランド大公となり、フィンランドを立憲君主制の大公国とした(フィンランド大公国の成立)。

内政はフィンランド人が担当し、公用語はスウェーデン語、後に待望のフィンランド語が追加された。

開明的な啓蒙君主であったロシア皇帝アレクサンドル2世の下、「自由の時代」を謳歌し、フィンランド人の民族的基礎が着々と築かれていった。

今でもフィンランド人はアレクサンドル2世を敬愛しており、その銅像とちなんで名付けられたアレクサンドル通りとが有名である。

しかし文化も宗教も異質なロシア人に支配されることによって初めて自らのアイデンティティの問題に直面したのである。

そして民族としての独立した精神は名実共に確立し、フィンランド文化も頂点に達するのである。

民族叙事詩カレワラが出版されたのは1835年のことであった。

「我々はスウェーデン人には戻れない。しかしロシア人にもなれない。そうだフィンランド人でいこう(Ruotsalaisia emme enää ole, venäläisiksi emme voi tulla; meidän täytyy olla suomalaisia.) 」と謳われたのはこの頃である。

1848年のヨーロッパ革命(1848年革命)の年、デンマークで絶対王政は崩壊し、民主主義が成立すると、フィンランド人の間でも学生を中心に民主化運動とナショナリズムは高まりをみせ、学祭で「我等の地」が歌い上げられる。

民主主義が浸透しつつある西側、絶対王政を崩さない東側という対比の下、フィンランド人の間に北欧への復帰の世論が強まっていくことにもなった(汎スカンディナヴィア主義)。

ロシア化政策

ロシアはアレクサンドル2世が暗殺された後、次第に反動的[要出典]になっていった。

特に1871年に成立したドイツ帝国に動揺したロシアは、中央集権化を進めるために帝国内の各民族への統制を強めていくことになる。

1894年の露仏同盟により露独関係の亀裂は決定的となり、ロシアはきたるべき対独戦争の準備のため強権化をエスカレートさせていった。

そうしたものの一つとして1899年にニコライ2世が署名した二月詔書には「フィンランドの自治権廃止宣言(フィンランド語版、英語版)」(ロシア化政策)が含まれており、フィンランド人の自治は剥奪され、フィンランド語も禁止され、公用語としてロシア語が強要された。

20世紀に入るとロシア帝国内で各民族の民族意識が高まり、強権化によりかえって帝国内は混乱を極めていった。

フィンランド人も民族意識に目ざめ、ロシアへの反発を強めて行く。

そして日露戦争のさなかの1904年6月17日、フィンランド民族主義者オイゲン・シャウマン(フィンランド語版、英語版)がフィンランド総督ニコライ・ボブリコフを暗殺するという事態に至る[注釈 2]。

日露戦争終了後、第一次ロシア革命が起こり、ロシア皇帝ニコライ2世は「フィンランドの自治権廃止宣言」を撤回した。

フィンランドは独立こそ果たせなかったが民主的な憲法を制定し、普通選挙法、女性参政権などが実現、総選挙により議院内閣制に基づく政府が発足する。

選挙権拡大により、社民党が躍進した。

しかし、世界は第一次世界大戦に至る緊迫感に包まれ、ロシアは再びフィンランドを弾圧し、政府は解散され憲法は停止される。

自治と独立を望むフィンランド人は息の根を止められたかに見えた。

この時代、フィンランドとロシアの政治的緊張は目に見えて高まったが、経済的にはロシア帝国を輸出先としてフィンランドは経済成長を遂げた。

特に西側の最新技術を元に工業化を推進し、ロシア帝国に輸出する東西貿易の窓口として国力を充実させたのである。こうした発展は、後の独立のための基盤になった。

フィンランド共和国

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この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。
出典検索?: “フィンランドの歴史” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2015年4月)

2度の世界大戦

ロシアの支配からの独立運動は日本が1904年日露戦争でロシアを破ったことなどから高まりを見せ、第一次世界大戦では、フィンランドはロシア軍の前哨基地となったが、職業軍人を除いて参戦する義務を負わず、国力を温存させた。

1917年にロシア革命によりロシア帝政が倒されると、社民党は政権を奪取し、憲法を復活させた。

ケレンスキーとの暗闘の後、社民党は下野し、有産階級の諸政党の連立政権が引き継いだ。

ボリシェヴィキとの交渉が成立し、フィンランド人は独立を宣言した。

しかし、労働者階級はソビエト連邦への参加を求めて蜂起し、内戦に突入する。

両陣営の勢力は互角であり、労働者階級は都市部とくにヘルシンキに集中していた。

1918年、赤軍がヘルシンキなど南部地域を掌握(フィンランド社会主義労働者共和国)したため、白軍はヴァーサへ逃れたが、ここで政府はマンネルヘイムを指揮官に任命し、ドイツ人・スウェーデン人も義勇軍を送った。

白衛軍は勢力を取り戻し、タンペレの決戦で白軍が勝利した。

余勢を駆って白軍はカレワラ発祥地、カレリアに出兵。

この是非を巡り連立政権は王党派と共和派に分裂した。

王党派(保守党、スウェーデン人民党)は、ドイツ帝国に接近して王国の樹立を画策、ヴィルヘルム2世の義弟ヘッセン・カッセル方伯フリードリヒ・カールを国王に選出しフィンランド王国を成立させた。

しかしドイツは第一次世界大戦に敗れ、ドイツ革命によって帝政が崩壊。総選挙で共和派(農民党、自由党)と社民党が大勝すると、フィンランドは共和国としてパリ講和会議で認知された(ヨーロッパにおける民族自決)。

1921年にスウェーデン人が多数を占めるオーランド諸島がスウェーデン王国との領有権問題に発生すると、両国の交渉により国際連盟に裁定が委ねられた。

この結果、オーランド諸島は、フィンランドに属する自治領となった。オーランド諸島は、現代においてもスウェーデンとの重要な窓口の一つである。

第二次世界大戦では、ソビエト連邦と2度に渡って戦い、その結果カレリア地峡やペッツアモを失い、多額の賠償金を負った(ソ芬戦争。第1次は冬戦争、第2次は継続戦争と呼ばれる)。

この時フィンランドは、スウェーデンに助力を求めたが、中立主義をとられ、やむなくナチス・ドイツに接近した。第二次世界大戦でのドイツの敗北と同じくしてフィンランドも敗戦国となり、ソ連から戦争犯罪に問われることになった。

冷戦と現代

ソ連からの圧力に屈し、マーシャル・プランを拒絶せざるを得なかったが、戦後のフィンランド人は独自の努力と中立国スウェーデン人からの援助によって復興へ邁進することとなった。

1952年、ヘルシンキオリンピックを開催した。

同年に対ソ賠償を完済し、財政的な負荷がなくなったため、急速に福祉国家建設へ邁進することとなる。

外交面においては冷戦時代は、北大西洋条約機構 (NATO)にもワルシャワ条約機構にも加盟せず、中立を貫きノルディックバランスを構成する。

しかし共産主義勢力のクーデター騒ぎやロシア人の度重なる内政干渉に動揺し、国内政情に不安定な要素を提供することになった。

そのため、長い間対ソ批判はタブー化された。政府もロシア人の干渉を未然に防ぐために親ソとも言えるような言動を繰り返し、かくして「フィンランド化」という言葉まで生まれた。

しかしそれは、フィンランド人自身の独立維持へのすさまじいまでの努力の結果であった。

賠償金の支払いに工業製品の代物弁済を求められたフィンランドであったが、このことは、フィンランド製品がソ連など東側諸国への進出をもたらし、フィンランドを先進国へと昇華させるきっかけにもなった。

また、その賠償のための搬送ルートを東側への拡販ルートとして流用し、東西貿易の窓口として莫大な利益を上げることとなる。福祉国家戦略の優越性と相まって、人口1人当たりGDPは、他の北欧諸国とともに世界一になった。

その後冷戦の終わりと共に囚われの鎖から解き放たれたが、既にロシア人は最大の貿易相手国であり、経済的なパートナーとしてなくてはならない存在であった。

それゆえソビエト連邦崩壊後、政治的な自由とは裏腹に経済的な苦境に見舞われた。GDPは約4割も減少し、財政赤字を増大させたのである。

そのため、経済的な便益を求めて1995年にスウェーデンと共に欧州連合に加盟した。

欧州連合に加盟したことで、欧州連合諸国や北欧諸国との政治・経済は密接となった。

情報通信産業に活路を見出したフィンランドは国家を挙げてIT革命に邁進し、21世紀初頭の現在、北欧諸国とともに世界トップグループの一員となった(世界経済フォーラム調査)。』

データが弾き出した、ロシア地上軍は7月末までに瓦解する

データが弾き出した、ロシア地上軍は7月末までに瓦解する
開戦当初からの戦車・装甲車・火砲・人員の損耗率を徹底分析
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/70116

『瓦解とは、軍が敗北して、軍組織が総崩れになることである。

 NATO(北大西洋条約機構)加盟各国からウクライナへの軍事支援が増大している。

 ロシア侵攻当初は、供給された対戦車ミサイルがロシア軍戦車の突進を止め、空挺ヘリボーン攻撃を破砕した。

 次に、ロシア軍はキーウ正面の兵力を東部へ転用し攻撃を再開したが、対するウクライナ軍は対戦車ミサイルや自爆型無人機で、ロシア軍の戦車・装甲車・火砲を破壊している。

 その後、戦車・自走高射機関砲、対艦ミサイル、誘導砲弾が撃てる火砲、大型自爆型無人機などが大量に供給されてきている。

 さらに、一見、防御用とみられる対砲兵レーダーや電子妨害装置も、実はロシア軍の砲兵を攻撃、無人機の飛行を妨害して墜落させることができるものだ。

 攻勢の準備が着々と進んでいる。

 ウクライナ軍は、5月6日にハルキウの郊外の5~10の集落を奪還したように、一部の地域で反撃を開始している。

 提供された兵器が第一線に届く6月中旬以降には、本格的に攻勢に乗り出す考えのようだ。

 米欧から供与された兵器を使用して、ウクライナ軍がどのような戦いをするのかについては、「ロシア軍総崩れの可能性も、兵站への無人機攻撃で」(JBpress 2022.5.2、https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/69960)に掲載した。

 5月2日掲載のこれらの兵器が現在、現実に使用され始めているのだろうか。

 効果を上げて多くの損失を与えているのか、またウクライナ軍の反撃が可能になるのかについてロシア軍の兵器の損失を分析して、明らかにしたい。

 分析に当たっては、ウクライナ軍参謀部発表データ(2月24日~5月10日まで)のロシア軍の損失を使用する。

 この損失データを1週間ごとに展開して、ロシア軍の戦闘の推移と照らし合わせる。そして、どの時期に損失が大きい・小さいかなど、損失変化の推移を概観する。

 その結果から、ロシア地上軍の現況と今後の戦況の推移を読み解いていきたい。

 ウクライナ軍の損失について、併せて検討することが必要であるが、ウクライナは今後の戦闘遂行に影響を与えるために公表していない。

 また、ロシアから情報操作された資料を使用すれば、混乱するので使用していない。ロシアの損失だけでも、ロシア軍の実情を読むことはできる。』

『 1.ロシア軍戦車等の損失

 5月10までのロシア軍戦車等(戦車、装甲歩兵戦闘車、空挺戦闘車、海兵戦闘車)の損失は、約1200両である。

 1週間で損失が大きかったのは、侵攻開始の1~2週間で約350両、全域で攻勢をかけた3月17日~23日で約150両。

 さらに、ロシア軍がキーウ正面から撤退し、再編成した後に攻勢をかけた4月21日頃から3週間で350両以上の損失である。

ロシア軍戦車損失の推移
出典:ウクライナ参謀部公表資料から、筆者が算定してグラフ化したもの(以下同じ)
ギャラリーページへ

 一方、キーウ正面からから撤退している間は、損失が比較的少なかった。

 ロシア軍戦車等は侵攻当初、攻勢をかけた時に車体をウクライナ軍に暴露したために、対戦車ミサイルやロケットで破壊されたのだろう。

 侵攻開始から2週間で350両もの戦車が撃破されたのは、ロシア軍戦車が、ウクライナ軍が待ち構えているところに、無謀に突進をしたからだ。兵站支援の問題もある。

 再編成後の攻撃では、ロシア軍戦車は、戦車、装甲車、歩兵、火砲が連携して、慎重に攻撃していると思われる。

 それでも、3週間で350両以上の損失がでている。

 ということは、自爆型無人機(「スイッチブレード600」)および誘導砲弾を使った攻撃の成果が現れていると見てよい。

 今後、ウクライナ軍の自爆型無人機などの攻撃の成果が上がれば、1週間にロシア軍150両以上を破壊することができるだろう。

 5週間後の6月下旬には、これまでの1200両と合わせれば約2000両を、10週間後(2か月と半月)の7月末頃には、1500両破壊し、合計約2700両を撃破できることになる。

 私の計算では、4月中旬以降の増援を含めたロシア軍の投入戦車数は約6700両であり、撃破数2000両の損耗は約30%、2700両の損耗は40%を超えることになる。

 つまり、ロシア軍戦車部隊は6月下旬頃までには大打撃を受け、7月末頃には、戦意が喪失し、戦えなくなる状況になるということだ。』

『 2.ロシア軍装甲車等の損失

 これまでの、ロシア軍装甲車等(装甲人員輸送車・指揮偵察車・空挺装甲車、海兵装甲車)の損失は、約2800両である。

 1週間で損失が大きかったのは、侵攻開始後で約850両、全域で攻勢をかけた3月17日~23日で約350両の損失であった。

 ロシア軍再編成後の攻勢(4月21日以降)以降では、各週に250両前後の損失がある。

ロシア軍装甲車損失の推移
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 今後、ウクライナ軍の自爆型無人機などの攻撃の成果があれば、1週間にロシア軍250両以上を、5週間で約1250両、10週間で約2500両を破壊することができることになる。

 5週間後の6月下旬にはこれまでの2800両と合わせれば約4000両を超え、10週間後(2か月と半)、7月末頃には5300両撃破できることになる。

 計算では、4月中旬以降に増援を含めたロシア軍投入の装甲車等数は、約7500両であり、撃破数4000両は損耗が約50%、5300両は損耗が70%を超える。

 つまり、ロシア軍機械化部隊(装甲車化部隊)は、6月下旬頃までには投入戦力の半数、7月末頃には7割の損失になる。』

『 3.ロシア軍火砲・多連装ロケット砲の損失

 これまでのロシア軍火砲等(火砲、多連装ロケット砲)の損失は、約700門である。

 1週間で損失が大きかったのは、全域で攻勢をかけた3月17日~23日で150門を超え、次に、侵攻開始の1~2週間で約170門。

 これ以外は、各週の損失は約40門であった。

 再編成した後に攻勢をかけた4月21日頃からの3週間は、40、50、60門以上と緩やかな増加であった。

ロシア軍火砲等損失の推移
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 火砲・ロケット砲の部隊(砲兵)の位置は、前線から10キロ以上遠方にあることが多い。

 これらを撃破するには、対地攻撃機、無人攻撃機、自爆型無人機、長射程砲(射程20キロを超える噴進弾)による攻撃が必要だ。

 第1線部隊が保有する兵器を使用して攻撃することはできない。

 ウクライナ空軍は、被害を受けながらも当初の2週間は、火砲部隊を攻撃したと考えられる。3月中旬以降は、無人攻撃機や自爆型無人機を使用した攻撃であった可能性がある。

 ロシア軍再編成後の攻撃で、火砲の損失が徐々に増加しているのは、無人攻撃機のほかに、米欧から供与された、自爆型無人機(スイッチブレード600)および誘導砲弾を使った攻撃の成果が現れていると見てよい。

 今後、ウクライナ軍の自爆型無人機などの攻撃の成果があれば、1週間にロシア軍火砲60門以上を、5週間で約300門、10週間で約600門を破壊することができることになる。

 5週間後の6月下旬にはこれまでの700門と合わせれば約1000門、10週間後(2か月と半)、7月末頃には1300門を撃破できることになる。

 計算では、4月中旬以降に増援を含めたロシア軍の投入火砲等の数は約2320門であり、撃破数1000門は損耗が40%、1300門は損耗が55%を超えることになる。

 つまり、ロシア軍砲兵部隊は、6月下旬頃までには投入戦力の4割、7月末頃には5.5割の損失になる。』

『 4.ロシア軍車両の損失

 5月10までのロシア軍車両(火砲、多連装ロケット砲)の損失は、約2000両である。

 1週間で損失が大きかったのは、全域で攻勢をかけた3月17日~23日で400両を超え、次に、侵攻開始の1~2週間で350両を超えた。

 これ以外は、各週の損失は平均的に約150両であった。

 車両約2000両の破壊は、主に指揮通信用および兵站用である。つまり、多くの指揮官が殺傷されて指揮が混乱する原因となっている。

 また、兵站用の車両が破壊されたことは、戦車や装甲車に弾薬が運べなくなり、兵士への食糧も運べず、負傷者を後方に輸送できなくなっているということだ。

 再編成した後に攻勢をかけた4月21日頃からの3週間は、平均150両の車両が撃破されている。

ロシア軍車両の損失
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 今後は、5週間で750両、10週間で1500両の車両が撃破されることが予想される。今後とも、指揮通信活動や兵站支援活動に支障が起こるだろう。』

『 5.ロシア軍兵の損失

 ウクライナ参謀部が公表している兵の死者数には、純粋に死者だけなのか、負傷者も含まれているのかは、正確には分からない。

 ロシア軍の兵の損失は、5月10日までに2万6000人だという。投入兵力22万人の12%である。発表の数字が本当に死者数だけであるならば、負傷者は、その2倍出ていることになる。つまり、30%以上の損耗が出ているはずだ。

 侵攻1~2週間が最も多かった。

 この2週間で死者数約1万2000人である。これまでの兵員の死者数は、2万6000人である。この2週間の1万2000人は、これまでの死者の50%に近いものである。

 侵攻1~2週間に多くの死者が出たことは、ロシア地上軍が無謀に、かつ強引に突進したことが原因であろう。

 その他は、各週1200~1800人の死者が出ている。今後5週で6000~9000人、10週で1万2000~1万8000人の死者が出ることが予想される。

 つまり、6月末までに3.2万~3.5万人、7月末までに3.8万~4.4万人の損失が出ることが予想される。

 損失は、6月末に15%、7月末に20%に達することが予想される。』

『 6.ロシア地上軍の瓦解

 今後のロシア地上軍の戦車等、装甲車等、火砲等の損失を予測するには、4月21日以降にロシア軍が再編成され攻撃した時の損失と同じ数値と見積もる、あるいは米欧から供与された兵器が威力を発揮することで、損失が徐々に増加することを見積もる。

 そうすると、6月末には戦車等が3割、装甲車等が5割、火砲等が4割の損失となり、ほぼ戦えない状態に近くなる。

 そして、7月末には戦車等が4割、装甲車等が7割、火砲等が5割以上の損失となる。

 これらのことから、ロシア軍は戦意を喪失し、敗北と言ってよい状態(軍事用語としては瓦解)になるのではないかと考える。

 戦争研究所(STUDY OF WAR)の報告によれば、「ロシア軍の士気喪失と戦闘拒否の報告が継続し拡大している」という。

 前述の損失が出ていれば、兵士の心理としては当然のことであろう。

 ウクライナ大統領が、6月中旬には反攻に出ると発言している。この時期は、米欧から供与された兵器のほとんどが前線の部隊に行きわたり、使用が可能な状態になる。

 また、ロシア軍の損耗が30~40%を超える状態であり、ほぼ戦えない状態になりつつあるという戦況分析からの発言であろう。

 つまり、6月下旬には2014年に占領された線まで押し戻し、7月下旬には、ウクライナとロシアの国境まで押し返している可能性も出てきたということだ。

 米国は、ウクライナとロシアの戦争は、長期戦になると主張している。

 しかし、私は6月末から7月末には決着がつくのではないかと考える。ウクライナ軍の反攻と占領された都市を奪還することが現実的になってきているからだ。

 しかし、この状態になれば、ロシアは核兵器を使用する可能性が高くなる。

 核兵器を使用すれば、今後の推移を予想することは難しい。

 ロシアの空軍力や防空兵力、無人機の損失とその影響については、数日後に投稿する予定である。』

ロシア苦戦で習近平の対ロシア戦略は変わったか?

ロシア苦戦で習近平の対ロシア戦略は変わったか?――元中国政府高官を直撃取材
https://news.yahoo.co.jp/byline/endohomare/20220515-00296202

『駐ウクライナの元中国大使の「ロシアは必ず惨敗する」という言葉がネットに拡散したことから、習近平はプーチンを捨てるだろうといった観測が見られる。そこで真相を究めたく、高齢の元中国政府高官を直撃取材した。

◆オンライン・フォーラムで「ロシアは必ず惨敗する」

 中国国際金融30人フォーラム(CIF 30)と中国社会科学院国際研究学部がオンライン形式で「ロシア・ウクライナ危機は世界の金融情勢にどのような大きな変化をもたらしたか?それは中国にどのような影響を与えるか?中国はどのように対応すべきか?」をテーマとして、内部フォーラムを開催した。その中の元駐ウクライナ中国大使(2005年~2007年)だった高玉生氏の発言が5月10日にCIF30のウェブサイトに公開されたのだが、彼のスピーチの部分だけが、すぐに削除されてしまった。

 なぜなら、高玉生はそのフォーラムでが「ロシアは必ず惨敗する」という趣旨のスピーチを行ったからだ。しかし、削除された内容が香港系列の鳳凰網や、他の中国内の複数のウェブサイトに転載されたために、海外を含めた多くの人の知るところとなった。

 スピーチの内容は相当に長いので、それをすべて書くわけにはいかないが、概ね以下のようなことを言っている。

 1.そもそもソ連崩壊後のロシアは、常に衰退の一途をたどっている。プーチンのリーダーシップの下でロシアが復活したようなことを言っているが、それは全くの虚偽で、ロシアは崩壊前のソ連の衰退を継続しているだけだ。

 2.ロシアの電撃戦の失敗は、既にロシアが敗退したことを意味し、軍事大国などと言いながら、実は1日数億ドルの戦費を負担する財政力などロシアにはない。

 3.それでもロシアは会戦当初軍事力と経済力においてウクライナに勝っていたが、ウクライナの抵抗とウクライナに対する西側諸国の巨大で継続的かつ効果的な支援により、ロシアの有利さは相殺された。ウクライナは欧米の連続的に支援により、兵器技術と装備、軍事概念とハイブリッドな戦闘態勢において、ロシアを圧倒している。

 4.ロシアが最終的に敗北するのは時間の問題だ。

 5.もともとウクライナの世論は親露派と親欧米派に分かれていたが、2014年のロシアによるクリミア併合以降は、親欧米感情が高まった。

 6.ウクライナは主権と領土保全の問題でロシアに譲歩するつもりはなく、戦争によりウクライナ東部とクリミアを回復することを決意している。というのも、米国、NATO、欧州連合が、プーチンを打ち負かす決意を繰り返し表明しているからだ。米国は「弱体化し孤立したロシア」を目指す決意を固めている。

 7.この目標を達成するために、米国は第二次世界大戦後初めてウクライナのレンドリース法を可決した。さらに重要なのは、米国、英国、その他の国々の戦争への直接参加が深まり、その範囲が拡大していることだ。これはロシアが完全敗北して罰せられるまで戦争を続けるという決意の表れだ。

 8.ロシアは弱体化し、重要な国際機関から追放される可能性があり、国際的な地位は大幅に低下する。ウクライナはヨーロッパの家族の一員となり、他の旧ソビエト諸国も非ロシア化をする可能性が高い。

 9.日本とドイツは、第二次世界大戦の敗戦国であるにもかかわらず、ロシア・ウクライナ紛争を通して軍備開発を加速させ、政治的権力の地位を目指してより積極的に努力し、あたかも戦勝国として衣を換えて西側陣営に入っていく。

 10.(ウクライナ戦争後)米国やその他の西側諸国は、国連やその他の重要な国際機関の実質的な改革を積極的に推進する。改革が阻止されれば、新たな組織を設立していく可能性がある。(第二次世界大戦の戦勝国と敗戦国の線引きではなく)いわゆる「民主的で自由なイデオロギー」の国であるか否かという線引きで「ロシアなどの一部の国」を除外する可能性がある。(概要は以上)

 高玉生のスピーチの中で、最も問題となるのは、最後に太文字で示した文言だ。特に「ロシアなどの一部の国」の「など」が、「中国」を指していることは明らかだろう。

 CIF30は何を考えているのか。こんな内容を公開して、削除されない方がおかしいだろう。

◆日本のメディアは「習近平がプーチンを見限ったか?」と大はしゃぎ

 この肝心の「ロシアなど」の「など」があることには目を向けないで、日本のメディアは「中国、党内分裂か」とか「習近平がプーチンを見限ったか?」などと大はしゃぎしている。というのも、情報源としてアメリカの元外交官のデービッド・カウヒグが中国のニュースを英訳してブログで書いた内容を二次情報として用いて、5月12日にNEWSWEEKが<「大国ロシアは過去になる」中国元大使が異例の発言>を発表したので、これは「三次情報」になる。こ三次情報では、どこまでが高玉生の発言で、どこまでがデービッド・カウヒグ自身の思惑なのか、さらには、どこがNEWSWEEKの執筆者であるジョン・フェン氏の見解なのかが区別しにくい形で書いてあるため、全体として、あたかも全てが高玉生のスピーチであるかのような印象を与える。

 当然のことながら、日本のメディアは「四次情報」として日本人好みに書いてあるので、「大はしゃぎ」したくなるだろう。幾重にもフィルターが掛かり、結果、「ロシアの苦戦を見て、習近平が遂にプーチンを見捨てた」、「中国、遂に党内分裂か」となってしまったわけだ。

 そうでなくとも筆者としては5月10日のコラム<米CIA長官「習近平はウクライナ戦争で動揺」発言は正しいのか?>で、アメリカが「習近平が動揺している」と言いたくてたまらないため、この方向の世論誘導が成されていると警告したばかりだ。習近平の【軍冷経熱】という対ロシア戦略を直視しないと、日本が外交方針を誤り、日本に不利益をもたらすことを懸念したからである。

◆元中国政府高官を直撃取材_ロシア軍苦戦で習近平の対ロシア戦略は変わったか?

 そこで、もう相当に高齢の、元中国政府高官を直撃取材する決心をした。

 メールは全て検閲されているだろうことは分かっているし、北京のこの古い友人は、私に「しばらくは中国に来ない方が身のためだろう」と忠告してくれた人であり、「いつもデリケートな問題(政治問題)を聞いてくるので、そろそろメールを出すのをやめてくれ」と、言いにくいことを言ってしまった人物でもある。

 それでもと、スマホから連絡したところ、受けてくれた。

 ともかく「ロシア軍苦戦で習近平の対ロシア戦略は変わったか?」、それだけ答えてくれればいいので、教えてくれと、切羽詰まって頼んだ。

 すると、久々の音信に喜び、まるで堰を切ったように、一気に思いを吐き出してくれた。Q&Aの形ではあったが、もう分類するのもまどろこしく、長くもなるので、彼の回答を順不同で羅列する。

 一、習近平の対ロシア戦略は微塵も変わらない。そもそも、友人が窮地に陥っているときに見捨てるようなことをしたら、それは必ず本人に跳ね返ってくる。これは人類の原理だ。中露はともに、アメリカによって制裁を受けている国だ。ロシアを支えてこそ、中国の力が温存されるのであり、もしロシアを見捨てたら、それは中国の弱体化にもつながる。中国は絶対に、そのような愚かなことはしない。

 二、中国は発展途上国を率いている大国だ。彼らは国連における対露非難決議に関しても、アメリカからの制裁に関しても、中国と同じ立場に立って否定してくれた。だというのに、ロシアが苦戦しているからと言って中国が動揺したら、中国を信じてついてきてくれている発展途上国はどうなるのか。そのような無責任なことをしたら、中国は終わる。したがって習近平の対ロシア戦略は、絶対に揺るがない。

 三、ただし、習近平は最初から、ロシアの軍事行動に関して賛同の意を表していない。「反対だ」というストレートな言葉は使ってないが、「賛成ではない」という意思表明は最初からしている。たとえば2月25日、ロシアが軍事侵攻をした翌日に習近平はプーチンと電話会談をしたが、そのときに習近平はプーチンに「話し合いによる解決を」とストレートに言っている。だからこそ2月28日からウクライナとロシアの間の停戦交渉が始まったじゃないか。

 四、ゼレンスキーも途中で「NATO加盟を諦める」と表明したので、停戦交渉がまとまり始めたら、突然、アメリカがウクライナに対する激しい軍事支援を始めて、停戦を阻止する方向に動き始めた。アメリカは停戦して欲しくないのだ。ロシアを叩き潰すまで戦いを続けたい。

 五、トランプはNATOなど要らないと主張して、NATOを脱退しようとさえした。しかしバイデンは逆だ。NATOを使って世界制覇を続けていたい。バイデンはNATOを使って世界各地で戦争を吹っ掛けていたいのだ。

 六、実は中国とウクライナは友好的で、多くの中国人はウクライナが好きで、紛争が始まった最初のころは、ウクライナを応援する人とロシアを応援する人が五分五分だった時期さえある。ところがアメリカが軍事支援を強化し始めてから、中国の民心は突然変わってきた。ウクライナの味方をしているのがアメリカなら、ウクライナもアメリカを同じように中国にとっては「敵」になる。

 七、アメリカは自分よりも上に出る国を潰したいという基本的な方針がある、日本だって、かつて半導体は世界一で、アメリカの上を行っていた時期があった。中国人はみんな日本に憧れたものだ。ところがアメリカは、同盟国の日本を、半導体が強いからという理由で叩きのめしたじゃないか。忘れたのか。忘れてないだろう?いま日本の半導体がダメになったのはアメリカのせいで、韓国や台湾が強くなっていった。

 八、それと同じことで、アメリカはロシアと中国を潰したいのだ。ロシアの軍事力と中国の経済力を叩きのめしたい。ロシアの次は中国であることを、中国は知っている。しかし忘れないでほしい。中国はロシアではない。ソ連はアメリカの手に乗って滅んだが、中国は滅びなかった。今回も同じだ。中国はそんなに愚かではない。アメリカの手には乗らない。

 九、高玉生が何を言ったか、誰も気にしてない。いろんな意見があるのは良いことで、彼の言論もCIF30の公式ウェブサイトから削除されただけで、中国の他のウェブサイトにはいくらでも転載されている。14億人の内の一人が、「ロシアは惨敗する」と言ったからって、それが何だというのか。彼は中央には如何なる力も持っていない退官した高齢の公務員に過ぎない。元ウクライナ大使だからと言って海外が特別視するのは適切でない(筆者注:そう言えば日本にも、高玉生とピッタリ同じく2005年からウクライナ大使になっておられた方もいるようで、たしかに元ウクライナ大使だったからということで特別視するのは適切でないかもしれない)。ただ、高玉生は最後に「ロシアなどいくつかの国が」と、「など」を付けたのは不見識だろう。

 十、最後に言っておくが、私自身、ロシアの軍事侵攻には反対だ。賛成していない。バイデンやNATOのやり方は悪辣だが、しかし、それでも、ロシアには他の選択があったはずだ。だからと言って、私はロシアを支援しないわけではない。ロシアが潰されないように支援する。それは中央の姿勢に一致していると私は思っている。

 以上だ。

 なお、高玉生の5番目の発言に関して特別に聞いたが、「あの時期、盛んにアメリカが親欧米派を増やそうと煽っていたことに気が付かない程度の人間だということだ。そういう人はいくらでもいる。気にするな」と切り捨てた。

 長くなりすぎたので、ここまでにしておこう。
遠藤誉
中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。中国問題グローバル研究所所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。著書に『ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略 世界はどう変わるのか』(4月16日出版、PHP)、『裏切りと陰謀の中国共産党建党100年秘史  習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』、『ポストコロナの米中覇権とデジタル人民元』、『「中国製造2025」の衝撃 習近平はいま何を目論んでいるのか』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』、『卡子 中国建国の残火』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』など多数。』

日本の原子力エンジニアは何をすべきなのか?

日本の原子力エンジニアは何をすべきなのか? 「政治的課題の解決」である!
https://st2019.site/?p=19543

※ 原発を「利用し続ける」上で、最大の「課題」は、「高濃度放射性廃棄物」の処理の問題だろう…。

※ しかし、「技術的には」、解決策はほぼ出されている…。

※ ガラス製容器に封じ込めて、放射線対策して、地下深くに、厚いコンクリートの「地下貯蔵所」作って、そこに「何千年、何万年も」保管する…。

※ しかし、そういう「施設」を、「どこに」作る?「手を上げる地域・自治体」があるのか?

※ 世界中で、未だ「建設したところ」は、聞かない…。

※ 中国で「作った」という記事を読んだことがあるが、その後、続報を見ない…。

※ 別に、「原子力エンジニアリング」の問題じゃないと思う…。

『日本の原子力エンジニアは何をすべきなのか? 「政治的課題の解決」である!

 どうして、票田に関連施設を抱えていない大多数の自民党議員たちが、原子力を見放しているのか、原発村の技術者たちがわかってないのは、困ったことだ。

 ロシア制裁と戦乱にともなう地球的なエネルギー危機は、おそらく2年~5年スパンの嵐となって、わが国を襲うであろう。

 しかるに日本の原子力村ときたら、あいかわらず「20年~30年スパン」の事業案しか、呈示し得ないのである。おまけにそれは社会の危機を解決してくれるものではなくて、ただの「一里塚」。

 そんなものしか呈示し得ないことに開き直り、国が30年スパンで予算をつけたり汗を流すのは当然だとまで錯覚している集団なのである。

 彼らには、日本の「政治的課題」の解決に、貢献する意思がないようだ。いままでとは全然別な角度の提案が必要なのだ。それが無い。
 だから自民党の方から、原発を見放すようになる。しかたのない流れではないか。

 プライオリティーは「廃棄物」の未来活用だ。これは「処分」ではダメだ。それは政治家に大荷物を与えるだけ。庶民の気持ちも明るくならない。政治家から見て、何の魅力もない。そんなものが「正答」だと思い込んでいるところに彼らの脳内の限界がある。

 「活用」でなかったら目はないのだ。「活用」は、一挙に社会問題を解決するレベルである必要はない。庶民の気持ちを明るくするものなら良いのだ。それなら政治家にとってマイナスの荷物とはならない。それであれば、票田的に無縁な政治家も、協賛する気になる。』

英海軍はフォークランド紛争のときも、商船のタンカーを艦隊といっしょに派遣した実績がある。

英海軍はフォークランド紛争のときも、商船のタンカーを艦隊といっしょに派遣した実績がある。
https://st2019.site/?p=19539

『The Maritime Executive の2022-5-13記事「Royal Navy Tests Out Underway Refueling With a US-Flag Merchant Tanker」。

   米軍の「シーリフト・コマンド」が借り上げているタンカー『Maersk Peary』は、商船構造であって軍艦ではないが、これと並走しながら軍艦(補給艦)が洋上で燃料を受け取るという米英合同実験が成功した。

 英海軍はフォークランド紛争のときも、商船のタンカーを艦隊といっしょに派遣した実績がある。

 だがそれいらい今日まで、商船の軽油タンカーからじかに軍艦が給油してもらわねばならぬ事態は起きていない。そこで、腕を鈍らせないために、こうした訓練も必要なのだ。』

リチャード・ランガム

リチャード・ランガム
https://en.wikipedia.org/wiki/Richard_Wrangham

『(原文は、英文)
(※ 翻訳は、Google翻訳)

リチャード・ウォルター・ランガム(1948年生まれ)は、英国の 人類学者および霊長類学者です。彼の研究と執筆には、類人猿の行動、人類の進化、暴力、料理が含まれています。
リチャード・ランガム
リチャード・ランガム01.jpg
2016年のリチャード・ランガム
生まれ
1948年
国籍
英国の
雇用者
ミシガン大学ハーバード大学
コンテンツ

バイオグラフィー編集

ランガムはヨークシャーのリーズで生まれました。[1]

ミシガン大学の学部での彼の年後、彼はハーバード大学の生物人類学のルース・ムーア教授になり、彼の研究グループは現在、新しく設立された人間進化生物学部の一部です。彼はマッカーサーフェローです。[2]

彼は、ウガンダのキバレ国立公園でのカニャワラチンパンジーの長期研究であるキバレチンパンジープロジェクトの共同ディレクターです。[3]彼の研究は、類人猿の行動生態学に基づいて結論を導き出す人類の進化の研究で最高潮に達します。大学院生として、ランガムはロバート・ハインドとジェーン・グドールに師事しました。[4]

ランガムは主に霊長類の社会システムの生態学における彼の研究、人間の攻撃の進化の歴史(デール・ピーターソン、悪魔の男性:猿と人間の暴力の起源に関する彼の本で最高潮に達する)、そして最近では料理の研究(彼の著書「CatchingFire:How Cooking Made UsHuman」と自己家畜化に要約されています。彼は菜食主義者です [5]

ランガムは、文化[6]や、チンパンジーのセルフメディケーションであるエロイ・ロドリゲスとともに、チンパンジーの「人間特有」と見なされる行動を特定するのに役立ちました。[4] [7]

彼がハーバードでの人間進化生物学(HEB)集中で教えている最近のコースの中には、HEB1330霊長類の社会的行動とHEB1565性的強制の理論(ハーバード大学ロースクールのダイアンローゼンフェルド教授と共同で教えられた)があります。2008年3月、彼はハーバード大学のCurrierHouseのハウスマスターに任命されました。[8]彼は、 2011年にオグレソープ大学から理学博士の名誉学位を取得しました。 [9]
リサーチ編集

ランガムは、タンザニアのゴンベ渓流国立公園でのジェーン・グドールの長期にわたる一般的なチンパンジーのフィールド調査で研究者としてのキャリアを開始しました。彼は仲間の霊長類学者であるDianFosseyと親しくなり、彼女の非営利のマウンテンゴリラ保護団体であるDian Fossey Gorilla Fund(元々はDigit Fund)の設立を支援しました。[10]

ランガムの最新の作品は、人類の進化において料理が果たした役割に焦点を当てています。

彼は、生物学的適応の結果として人間にとって料理は義務的であり、料理、特に調理された塊茎の消費は、ヒト科の脳のサイズの増加、歯と顎の小型化、および大まかに起こった性的二形性の減少を説明するかもしれないと主張しました180万年前。[11] [12] [13]

一部の人類学者はランガムの考えに反対し、ランガムの主張を裏付ける確固たる証拠は見つかっていないと主張しますが、ランガムと同僚は、とりわけ、調理がエネルギーの利用可能性に及ぼす影響を実験室で実証しました:

調理はタンパク質を変性させ、デンプンをゼラチン化し、病原体を殺します。[14] [15] [11]

主流の説明は、料理が登場する前は、人間の祖先が肉を食べるようになり、それが進化的に小さな腸と大きな脳にシフトしたというものです。[16]

参考文献編集
本編集

ピーターソン、D。、マサチューセッツ州ボストンの悪魔のような男性:ホートンミフリン。1996.ISBN978-0-395-87743-2。 _  _
Smuts、BB、Cheney、DL Seyfarth、RM、Wrangham、RW、およびStruhsaker、TT(編)(1987)。霊長類の社会。シカゴ:シカゴプレス大学。 ISBN 0-226-76715-9 
火をつける:料理が私たちを人間にした方法。ベーシックブックス、2009 年。ISBN0-465-01362-7 

善のパラドックス:人類の進化における美徳と暴力の奇妙な関係。パンテオン、2019 年。ISBN978-1-101-87090-7 

論文編集

ランガム、R(1980)。「女性が結合した霊長類グループの生態系モデル」。行動。75(3–4):262–300。土井:10.1163/156853980x00447。
ランガム、R .; Smuts、B. B(1980)。「タンザニアのゴンベ国立公園におけるチンパンジーの行動生態学の性差」。生殖と出生力のジャーナル。28補足:13–31。PMID6934308 。_

ランガム、R .; コンクリン、NL; カリフォルニア州チャップマン; ハント、KD(1991)。「キバレの森のチンパンジーにとっての繊維質食品の重要性」。ロンドン王立学会の哲学的取引。シリーズB、生物科学。334(1270):171–178。土井:10.1098/rstb.1991.0106。PMID1685575 。_

ランガム、R(1993)。「チンパンジーとボノボのセクシュアリティの進化」。人間の本性。4(1):47–79。土井:10.1007/bf02734089。PMID24214293 。_ S2CID46157113 。_

ランガム、R(1997)。「微妙で秘密のメスのチンパンジー」。科学。277(5327):774–775。土井:10.1126/science.277.5327.774。PMID9273699 。_ S2CID26175542 。_

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参考文献編集

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External linksEdit
Wikiquote has quotations related to Richard Wrangham.

Website of Kibale Chimpanzee Project
Department of Human Evolutionary Biology, Harvard University
Video (with mp3 available) of interview about his research with Wrangham by John Horgan on Bloggingheads.tv

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自己家畜化

自己家畜化
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E5%AE%B6%E7%95%9C%E5%8C%96

『自己家畜化(self domestication)とは、野生生物が人間との共同生活に適応する過程のことであり、とくに人間が直接家畜に適した形質を選抜して繁殖させること(人為選択)なしに、それが達成されていることを指す[1] 。

犬や猫は部分的にはそのように進化した、あるいは進化していると考えられている。

一方でヒト科の動物が、協調的で従順な行動を進化させたことも自己家畜化とする場合がある。

リチャード・ランガムによれば、同種間あるいは異種間のあいだで攻撃性の低下が有益な環境下で進むとされる[2] 。自己家畜化には進化の副産物として、脱色、性的二型の縮小、幼形化が含まれることがある。』

『野生生物の場合

野生動物は、攻撃的な行動が減少することで、人間の近くでの生存率が向上することがある。

そうやって生存率の向上した個体同士で、(人間の積極的な繁殖選抜をすることなしに)繁殖することが、攻撃性の低い形質を遺伝的に固定することになる。

こうした自己家畜化は、人間の作り出す環境から発生する食糧の入手可能性を増加し、またそれを利用する能力の進化も促される。

この攻撃性の低下は、ホモ・サピエンスの周辺環境に限定しなくても適応度を上昇させることがある。

自己家畜化によって生じる形質が個体間距離の近接化につながり、集団性が高くなることで自己家畜化が有利になる場合もある。

自己家畜化された動物の環境は、野生の表現型とは異なる行動や外見の変化をもたらす可能性がある。

こうした変化しやすい形質としては、脱色、フロッピーな耳、カールした尾、小さな歯、小さな頭蓋構造、幼少期の行動、性的二型の減少、発育の停止などが含まれる[3]が、これらに限定されるものではない。 遊び好きの増加、攻撃性の低下もまた、自家家畜化の進んだ種で観察されている。

「ネコ」も参照

約1万年前、人が定住化し、植物を栽培化する中で、備蓄した穀物を狙うネズミ対策が重要になった。

その中でリビアヤマネコの一部は人の周辺で生活をし、住居近くのネズミを利用するようになった。

人がネコを受け入れる中で、ネコ自身も野生の時代にもっていた人に対する攻撃性を減退し、従順さを増加させるようになったと考えられる[4]。

攻撃的な行動の減少と「飼いならしさ」の増加の永続化を支持し、猫を人間社会でますます許容できるようにしたとする[5][6]。

「イヌの起源」も参照

リチャード・ランガムはイヌの家畜化において自己家畜化の過程があったと推測している。

ランガムによれば、イヌの頭蓋骨はオオカミの幼体の頭蓋骨と類似しており、先史時代において人が積極的に家畜化したのではなく、オオカミ自体が人と互恵的な関係を築く中で自ら家畜化したのではないかという。

食料の自足に不安のあったオオカミのうち、人に対する攻撃性や警戒の少ない個体が人間の住居近くの残飯や屠殺の残骸を利用できることで生存し、その中から原始的なイヌが生まれたとしている[7][8][9]。

ボノボ(パンパニスカス)
「ボノボ」も参照

ブライアン・ヘアは、ボノボは自己家畜化したと主張している。

ボノボはチンパンジーと近縁にもかかわらず、攻撃性が低い[10]。

たとえばオスのチンパンジーは食物資源や、メスへのアピール、あるいは群内順位のために威圧的なディスプレイをすることが見られる他、両性とも子殺しをすることがある[11]。

しかしながらボノボのオスはチンパンジーのように他の個体に接触するようなディスプレイをせず、枝引きずりディスプレイのときも他個体はチンパンジーのように逃げることはせずに落ち着いて見ている。

メスも母子、姉妹に限らず連合関係を結ぶことで、交尾を求めるオスに対し拒絶することを最小限にとどめている。

ボノボはオス同士の同盟をつくることで知られるチンパンジーとは異なり、オスーメス間の組み合わせは多様であり、とくに母ー息子間での結びつきが強い。

集団内の関係だけでなく、集団間の関係についてもボノボとチンパンジーは異なり許容度が高く、複数の群が同じ餌場を同時に利用することも観察されることがある。

さらに、ボノボの大人はチンパンジーの大人よりも遊ぶ傾向にあり、子供っぽさをしめす。[12]

こうした特性の違いについての遺伝的基盤についてはわかっていないことが多いが、前頭眼窩皮質、運動野、海馬といった中枢神経に違いが見られる[13][14][15]。こうした領域は、摂食習慣、運動協調、感情と関連している[10]。

自然淘汰の観点からは、なぜボノボにとって自己家畜化が有利だったのかは議論の余地がある。

一説によれば、自己家畜化は安定した社会構造を強化し、社交的な行動を促進することを示唆し、自己家畜化は、主に種内動態の変化によって動機づけられているとされている。
ボノボの集団(菜食や移動のまとまり)サイズは、スクランブル競争が生じる頻度が低下しているため、チンパンジーの集団よりも安定している[16]。

単位集団(群)の全メンバーの16〜21%が参加しており、小規模の集団(母子やオスのまとまり)しか作らないチンパンジーよりも大きいことがわかっている[17]。

行動学的・神経学的な証拠だけでなく、形態学的にもボノボの自己家畜化説を支持する証拠は多い。

近縁種のチンパンジーとは異なり、最大20%の頭蓋骨の減少、顔の突起の平坦化、および減少した性的二型を持っている。ボノボの歯は小さく。尻周り毛は白く(white tail tuft)、唇はピンクであり、一般的に幼少霊長類で観察されるこういった特徴は、成人のボノボでもみられる。

マーモセットサル( Callithrix jacchus )コモンマーモセット

神経学者のAsif A. Ghazanfar は、コモンマーモセットの親子の発声交換と体毛の発達に関係があると指摘している[18] 。

マーモセットの幼獣は親から声をかけられるほど顔の白い毛の面積が広がる。

高ストレス環境下では、副腎とそれに対応する神経堤細胞が発達することで体毛近傍にメラノサイトが発達することになり結果的に白い部分が減る。

逆に白い部分が増えるということはストレスが低いことを示しており、霊長類一般で見られる自己家畜化の結果である。

Ghazanfarはこの観察から協調的な子育てが自己家畜化の選択圧であることを主張している。マーモセットの場合、二卵性双生児の育児の必要性がその原動力であり、ヒトの場合は長い幼児期間が協調的な子育てを要請したとしている。

人間では
類人猿
現代人
身体解剖学
反応性攻撃性
人口密度仮説
言語ベースの陰謀
理論的批評
関連項目

家畜化
在来種
動物行動学
社会生物学
進化心理学
シナントロープ 』

トルコは表向きはプーチンを怒らせないよう演技しているが、本音はロシアの破滅のためにはなんでもする。

トルコは表向きはプーチンを怒らせないよう演技しているが、本音はロシアの破滅のためにはなんでもする。
https://st2019.site/?p=19539

『Dan Sabbagh 記者による2022-5-15記事「‘War-enabling, not war-winning’: how are drones affecting the Ukraine war?」。
   航空アナリストのアメリア・スミスはSNS上のビデオを見ていて気付いた。ウクライナ軍が飛ばしているBT2に「T253」とペイントされた機体があり、これは、以前にはなかったものである。おそらくは、トルコからウクライナに、最新バッチの製品が届けられつつあるようだと。

 米国の海軍系シンクタンクのサム・ベンデットは言う。露軍は「オルラン10」をたったの40機未満しか、事前に準備できなかった。戦争計画は1年も前から定まっていたのに。あんな広い戦線なのに、それっぽっちで十分なわけはない。

 撃墜した「オルラン10」を分解調査して、ウクライナ軍は結論した。こいつは市販の民生パーツだけを組み合わせて手作り工作してあり、部品調達コストは1機分が3000ドルだろう、と。戦争以前には、1機が8万ドルから12万ドルはするだろうと言われていたのだが、まるで違った。

 しかしトルコの「BT2」も、オフザシェルフ部品のフル活用であることは同様なのである。だからこそ、あんなに安いのだ。

 ある専門家氏いわく。ウクライナ軍は、ぜんぶで6000機ほどの、偵察用のドローンを、戦場で使用中であろう、と。

 ※トルコはいまのところ、口ではスウェーデンとフィンランドのNATO加盟に反対と言っておく。土壇場で賛成すればいいだけだから。

 ※ネアンデルタール人はどうして亡びたかを考えると「人類自己家畜化(self domestication)説」がとても有効だと思わざるを得ない。

「新人」は自己家畜化度が進んでいた。ネアンデルタール人はチンパンジーよりはそれが進んでいたが、新人よりはそれが遅れていた。

この差が、ネアンデルタール人を、新人と比べてずっと粗暴で、つきあいにくく、新発明のできない集団におしとどめていた。

すなわち、いまのロシア人集団である。西側世界が「新人」段階を前進してきたあいだ、ロシア人集団は地政学的な運命から「自己家畜化」に遅れをとり、ネアンデルタール人に近くなってしまったのだ。

ネアンデルタール人は個体で比較すると新人よりも身体は巨大で筋力も上回っていたが、とにかく集団で新事業を興すことは苦手だった。

だから、頭脳派の新人がネアンデルタール人を「有害な隣人」として、その新兵器と集団戦術を駆使して放逐したように、西側世界はロシア人集団を駆逐して行く。大観するとそういう人類史の流れが見えるであろう。

 ※古代エジプト人は、砂漠によって周辺の外敵から守られ、ナイル氾濫のおかげで働かずして食っていくことができたので、おそらく5000年前に「自己家畜化」の最先端に達した。

あのピラミッドも、奴隷を強制労働させて建設したのではあるまい。「自己家畜化」した住民たちが、新案事業として、人間らしい知恵の総力を結集したのであろう。

しかしその後、気候が変わり、ヒッタイトなど外敵の侵入を絶え間なく受けるようになると、軍事力の高度化をないがしろにしてきた油断の文化伝統が重過ぎて、彼らの世界は終焉するに至ったのだろう。』

フランスで公共放送受信料の撤廃へ、マクロン大統領が選挙時の公約果たす

フランスで公共放送受信料の撤廃へ、マクロン大統領が選挙時の公約果たす
BBCに続き…狭まる“NHK包囲網”
https://sakisiru.jp/27604

※ これも、ある意味、コロナの影響の一つだろう…。

※ コロナ禍で「生活が苦しい」のに、「公共放送の料金」は、本当に「コストに見合っているのか」、みんなが考えるようになったんだろう…。

※ NHKの場合、「衛星契約」を含めると、確か「3万6千円/年間」くらいになるんじゃなかったか…。

『箕輪 健伸
ライター/SAKISIRU編集部

フランスは、2022年から公共放送の受信料を廃止することが分かった。仏紙フィガロによると、11日に行われた閣僚評議会でこの方針が示されたという。公共放送の受信料廃止は、4月に再選されたマクロン大統領の選挙公約でもあった。

フランス公共放送の一角、フランス5テレビ局本社(HJBC /iStock)
年間1万9000円の受信料が無料!

フランスでは、テレビを所有している人は年間138ユーロ(約1万9000円)の受信料負担義務がある。この受信料は、総額で年間30億ユーロ(約4000億円)以上となり、公共放送の「フランス・テレビジョン」「ラジオ・フランス」「アルテ(独仏共同出資のテレビ局)」などに分配される。これまで、受信料は住民税とともに徴収されていたが、フランスでは2023年から住民税が撤廃されるため、今後の公共放送受信料のあり方が議論となっていた。

受信料撤廃後の各放送局は、民営化とはならず予算は国家予算で補填されるという。マクロン大統領が選挙期間中の3月7日に公共放送受信料撤廃の公約を発表した際には、野党などから「国家予算での運営になれば、政権の意向が反映される」と、放送の公共性が担保できないなどの批判が出ていた。

支持者と握手するマクロン氏(写真は4月22日の大統領選遊説。写真:AP/アフロ)

この批判には、ラジオ・フランスに出演した政府広報官が、「公共放送の独立性を維持する予算は確保する」と説明していた。また、「デジタル大手が必ずしもソースが明らかでない情報を流す状況において、強力な公共放送システムが必要である」とも述べていた。ただ、具体的な財源の代替案についての説明はなく、フィガロによると、どのような仕組みで財源を確保するのかはいまだ不透明のままだという。

BBCも受信料凍結、NHKは?

受信料を撤廃あるいは凍結する動きはフランスだけではない。イギリスのBBC(英国放送協会)は、100年前の開局当時から視聴世帯から一定の金額を一律徴収する「テレビ・ライセンス料」(受信料)を聴取してきた。しかし、今年1月には年間159ポンド(約2万4900円)のライセンス料を2年間凍結する方針を発表した。

BBCによると、発表に際してイギリスのドリス文化相は「懸命に働く世帯の財布をこれ以上圧迫する」ことは政府として、「正当化できない」と述べたという。イギリスでは現行の受信料制度が2028年3月まで続くことになっているが、それ以降には受信料が完全撤廃される可能性もあると言われている。

東京・渋谷のNHK放送センター

こうなってくると、注目なのはBBCをお手本に誕生した日本のNHKだ。とりあえずのところ、BBCでは受信料を凍結したがNHKはどうか。イギリスの国民生活も苦しいかもしれないが、日本の国民生活だって同じくらい苦しいはずだ。折しも、日本ではNHKが映らずに受信料も必要としないドン・キホーテが発売した“テレビ”が売れに売れている。一気に受信料の凍結とまではいかなくても、まずは時期を限定して受信料を割り引くことくらいはできないものだろうか。

ドリス文化相は1月16日にツイッターで、「(受信料不払いを理由に)高齢者が実刑判決で脅かされ、裁判所職員がドアをノックする時代は終わったのだ」と述べた。日本でもNHKが、受信料不払いを理由とした裁判をたびたび起こしている。NHKによると、今年3月末時点で受信料不払いにより裁判に訴えたケースが4000件以上に上る中、ドリス文化相のようなことを言ってくれる政治家は日本にいるのだろうか。

タグ: エマニュエル・マクロン, フランス公共放送
箕輪 健伸
ライター/SAKISIRU編集部

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オーストラリア総選挙、与党劣勢に中国の影 21日投票

オーストラリア総選挙、与党劣勢に中国の影 21日投票
90秒でみる今週の海外ニュース
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB140KV0U2A510C2000000/

『今週の海外ニュースの注目点を編集委員で日経CNBC報道部長の高橋香織が動画解説します。

21日投開票のオーストラリア総選挙は、中国の人権侵害や貿易面での威圧に強い姿勢で臨んできた与党・保守連合(自由党と国民党)が世論調査の支持率で46%と、野党・労働党の54%を下回り、劣勢が伝えられています。

中国は豪州の「裏庭」である南太平洋のソロモン諸島と安全保障協定を締結したことを総選挙直前のタイミングで発表し、モリソン政権に揺さぶりをかけています。

同盟国の米国や日本との連携を強化してきた豪州で9年ぶりに政権が交代すれば、インド太平洋地域の安全保障の枠組み「AUKUS(オーカス、米英豪)」や、選挙直後の24日に日本で首脳会議が開かれる「QUAD(クアッド、日米豪印)」にも影響が及ぶとの懸念が広がっています。』

ドイツ最大州でも選挙敗北 ショルツ与党、物価高が逆風

ドイツ最大州でも選挙敗北 ショルツ与党、物価高が逆風
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR153VP0V10C22A5000000/

※ 後で出てくるが、豪モリソン政権も「旗色悪い」らしい…。

※ コロナで大変なところへ、ウクライナ事態+ロシア制裁…、なんだもんだから、エネルギー資源高(ガソリン高)、食料資源高(小麦や食用油高、生鮮食料品高)、金利高(物価対策で、FRBが金利上げ → 各国の中央銀行が、対策で金利上げ)…、となっている…。

※ まさに、「泣きっ面に蜂」状態だ…。

※ 決して、自国政府の「失政」というわけじゃ無いんだが…。

※ もはや、「気候変動対策」とかは、どっかに行った感じだな…。

『【デュッセルドルフ=南毅郎】ドイツ西部ノルトライン・ウェストファーレン州で15日投開票された州議会選挙で、ショルツ首相の所属するドイツ社会民主党(SPD)の敗北が確実になった。8日の北部での選挙に続く連敗で、中道右派のキリスト教民主同盟(CDU)が第1党を維持する。環境政党「緑の党」も躍進した。ウクライナ危機やインフレによる逆風でSPDの失速が鮮明になっている。

同州は日本企業が多く進出するデュッセルドルフを州都とし、人口は約1800万人と国内最大だ。CDUの地盤であるため、2021年12月に発足したショルツ政権への評価を測るうえで選挙の結果が注目されていた。SPDは3月下旬の西部ザールラント州で勝利したものの、5月上旬の北部シュレスウィヒ・ホルシュタイン州では大敗した。

公共放送ARDによると、得票率の予想はSPDが27%と、前回17年の選挙から5ポイント近く下がった。第2次世界大戦後の1947年に実施した初回の選挙以降で最低となる見通しだ。

一方、CDUは36%と3ポイント近く伸ばして第1党を維持する。自由民主党(FDP)は6%と7ポイントほど低下し、極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」とほぼ同程度になる可能性がある。

今回の選挙ではインフレや気候変動への対応が有権者の関心を集めた。ドイツは消費者物価の伸び率が7%超と歴史的な高水準にある。ロシアのウクライナ侵攻に伴う供給不安から天然資源や食品などの価格が高騰しているためだ。インフレは家計の負担を増やすため、政権への不満につながりやすい。

選挙では環境政党「緑の党」が受け皿になった。得票率は18%と前回から12ポイントほど大幅に支持を伸ばす見通しだ。ウクライナ危機をめぐり、緑の党を率いてきたベーアボック外相やハベック経済・気候相が積極的に発言していることも支持につながったとみられる。

ドイツ国内では、ショルツ氏の指導力を疑問視する声もあがる。ロシアの侵攻が続くウクライナへの支援をめぐり、重火器などの武器供与の判断が遅れたとして国内外から批判が高まった。ウクライナでの戦闘が長引くなか、政権浮揚を図るためにも政策対応を迫られる可能性がある。』

中国、住宅ローン金利の下限下げ マンション市場低迷で

中国、住宅ローン金利の下限下げ マンション市場低迷で
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM152AA0V10C22A5000000/

『【北京=川手伊織】中国人民銀行(中央銀行)と中国銀行保険監督管理委員会は15日、住宅ローン金利の下限を引き下げると発表した。1軒目を買う人が対象で、これまでより0.2%低くした。銀行に金利の引き下げを促し、低迷が続くマンション市場をてこ入れしたい考えだ。

住宅ローンの利回りは最優遇貸出金利(LPR、ローンプライムレート)の5年物が目安になる。現在の5年物は4.6%なので、新たな下限は4.4%となるもようだ。なお購入物件が2軒目以降という場合の下限は「LPRより0.6%高い水準」で、従来のままだ。

1軒目の住宅ローン金利は、期間が同じLPRが下限だった。今後は「LPRより0.2%低い水準」が下限となる。LPRは、政府が事実上の政策金利と位置づける金利だ。

不動産シンクタンクの易居不動産研究院の厳躍進氏によると、500万元(約9500万円)のローンを30年かけて元利均等で返済する場合、0.2%の金利低下で毎月の返済額は600元ほど少なくなる。「過去の利下げによる月々の負担軽減額は150元ほどだったので、下限引き下げの効果は大きい」と指摘した。

【関連記事】
・中国元建て融資、4月7割減 コロナ封鎖で住宅ローン不振
・中国人民銀、利下げ示唆 「貸出金利さらに下げ」
・不動産の融創中国が債務不履行 住宅販売3位の大手 』

米銀、遠いロシア「全面撤退」 債権・事業の売却難しく

米銀、遠いロシア「全面撤退」 債権・事業の売却難しく
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN233PY0T20C22A4000000/

『米国の大手銀行が銀行免許返上などロシアからの全面撤退に踏み込めないでいる。ロシアのウクライナ侵攻を受け、各行は3月に段階的な事業縮小を公表したが、既存顧客との融資・サービス契約が残っているほか、ローン債権や事業の売却先を探すのも難しい。風当たりは強まりかねない。

「ロンドン―モスクワ便はいつも金融関係者で満席だった」。米シティグループのウクライナ拠点で責任者を務め、モスクワ勤務経験もあるスティーブン・フィッシャー氏は原油価格の上昇で1998年の債務危機から立ち直りつつあった2000年代初頭の対ロ投資の熱気を振り返る。

企業財務の透明性や法の支配の向上など投資家がマネーを振り向けやすい状況が整備され、米欧銀は政府機関やエネルギー・資源関連の新興財閥との取引を拡大させた。米政府が「プーチン大統領の裏金」とみなす政府系ファンド「ロシア直接投資基金」にも当初、ウォール街は関与した。

ところがロシアによる14年のクリミア半島併合、今回のウクライナ侵攻で状況は一変した。米欧は厳しい制裁でロシア政府や企業を西側の資本市場から締め出そうとしている。米銀各行は3月、新規案件停止や投融資残高の縮小方針を公表した。もはや米銀がロシアで収益機会をみつけるのは困難といえる。

シティ、JPモルガン・チェース、バンク・オブ・アメリカは22年1~3月期の決算発表で、ロシア関連の引当金を計上した。シティは即時撤退を迫られるなど「深刻なシナリオ」で最大30億ドル(約3840億円)の損失が発生すると見積もる。同社の自己資本で十分吸収できる規模とはいえ、同四半期の純利益額(43億ドル)に迫る。

それでも各行は全面撤退に踏み切ろうとはしていない。JPモルガンが4月13日に開いたメディアとの電話会議。ジェレミー・バーナム最高財務責任者(CFO)は銀行免許を返上する可能性について問われると「現時点でまだ計画はない」と答えた。ゴールドマン・サックスも免許をすぐに手放す考えはないようだ。

焦点はロシア企業に対する既存融資の扱いだ。仮に銀行免許を返上し、契約途中で融資を打ち切れば、訴訟のリスクがある。残存ローン債権をヘッジファンドや投資会社に売却しようとしても、現時点では買い手をみつけにくい。シティやJPモルガンは機関投資家の株式や債券を保管する業務を手掛けている。顧客との契約上、証券の保管義務を放棄できない。

事業の切り離しも難しい。シティは侵攻前からロシアのリテール業務を売却しようとしていた。ところが買い手候補だったロシアのVTB銀行が米国の制裁対象となった。マーク・メイソンCFOは4月14日、「制裁や規制の行方は誰にも分からない」と述べ、具体的な売却時期を示さなかった。

結局、現時点では全面撤退まで踏み込まず、段階的に事業を縮小する戦略をとらざるを得ない。中途半端な戦略はもろ刃の剣といえる。ロシアでの銀行免許を維持していれば、仮に西側による制裁解除が実現した場合、事業を再建しやすい。現実には、侵攻が長期化しており非難は避けられない。

「あなた方の取引がプーチン政権にどのような利益をもたらすのか、ロシアのウクライナ侵攻でどのように利益を得ているのかについての情報を求めている」。米与党・民主党のエリザベス・ウォーレン上院議員らは10日、ゴールドマンとJPモルガンの最高経営責任者(CEO)宛てに、質問状を送った。3月、両行が値下がりしたロシア社債を買い集めていると報じられたためだ。

ゴールドマンは投機目的の社債購入を否定するが、「強欲」イメージが根強いウォール街は、民主党左派の攻撃対象になりやすい。ロシア事業に関連した損失は、銀行財務面への影響が軽微だったとしても、間接的にでもプーチン体制を支えているとみなされれば、評判を落とすリスクは残る。

(ニューヨーク=宮本岳則)』

IMF、外貨調達枠の人民元比率を引き上げ 円はやや低下

IMF、外貨調達枠の人民元比率を引き上げ 円はやや低下
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN144WF0U2A510C2000000/

『【ワシントン=高見浩輔】国際通貨基金(IMF)は14日、SDR(特別引き出し権)と呼ぶ外貨調達枠の通貨構成比を見直すと発表した。人民元とドルの比率が上昇する一方で、円の比率は8.33%から7.59%に低下する。貿易や金融取引での国際的な地位が相対的にやや弱くなったことを反映している。

前回、構成比を見直したのは2015年11月の理事会で、初めて人民元の組み入れを決めた。比率は5年に一度修正する決まりだが、今回は新型コロナウイルス禍などの影響で遅れていた。新しい比率は22年8月1日から適用する。

ドルは41.73%から43.38%に、人民元は10.92%から12.28%にそれぞれ引き上げる。ユーロは30.93%から29.31%に低下する。主要通貨の順位は変わっていない。

IMFによると、構成比は2017~21年に貿易や金融の取引で果たした役割の重さを考慮して決定した。コロナ禍やフィンテックの台頭は通貨の相対的な地位に大きな影響を及ぼさなかったという。ロシアによるウクライナ侵攻を受けた金融・経済の分断や各国で進む歴史的なインフレの影響は今後のモニタリング対象となる。

次の見直しは27年7月末までに完了する。理事会では中国に対して人民元市場の開放を進めるよう努力を求める声が出た。一部の理事はデータの透明性をさらに高めるように要望した。

SDRは加盟国が外貨不足に陥った際に引き出せる調達枠だ。各国の出資割合によって配分される大きさが異なる。コロナ禍では途上国への支援策として21年8月に6500億ドル相当の追加配分が実施された。』

Amazon創業者、バイデン大統領を批判 法人増税巡り

Amazon創業者、バイデン大統領を批判 法人増税巡り
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN1507Z0V10C22A5000000/

『【シリコンバレー=白石武志】米アマゾン・ドット・コム創業者のジェフ・ベゾス氏が13日夜、ツイッター上でバイデン米大統領にくってかかる場面があった。米国で約40年ぶりの水準となったインフレの対策として収益性の高い企業への課税強化を呼びかけたバイデン氏のツイートに直接返信するかたちで、「ミスディレクション(誤った指図)だ」と批判した。

発端となったのはバイデン氏が13日午後に投稿した「インフレを倒したいのか?(ならば)最も裕福な企業に公平な負担を払わせよう」とのツイートだ。政権の命運を左右する米中間選挙が半年後に迫り、インフレ抑制策が最優先課題となるなか、有権者に聞こえのいい法人増税をほのめかしたとみられる。

米メディアによるとアマゾンは2017年と18年の米連邦所得税を払っていない。バイデン氏は20年の米大統領選の最中から度々、同社をやり玉に挙げてきた。21年3月の米東部ペンシルベニア州での演説では「様々な抜け道を利用し、連邦所得税を1ペニーも払わずに済んでいる」と強い表現で非難している。

バイデン氏の13日付のツイートはアマゾンを直接名指ししなかったものの、ベゾス氏には見過ごせる内容ではなかったようだ。同氏は同日夜、バイデン氏の投稿への返信のなかで「法人税の引き上げを議論するのは良いことだ。インフレを抑えることは重要な議論だ。(ただし)これらを一緒にするのは、単なるミスディレクションだ」と書き込んだ。

ベゾス氏は投稿のなかで「新しくできた偽情報委員会はこのツイートをよく調べるべきだ」とも指摘した。バイデン米政権がネット上などで流布する偽情報対策を強化するために4月末に米国土安全保障省に設置すると発表した「ディスインフォメーション・ガバナンス・ボード(DGB)」を指しているとみられる。DGBは米民主党側に有利な言論統制を推進する組織だとして、米共和党から批判を浴びている。ベゾス氏はこうした政権批判に乗っかった格好だ。

ベゾス氏は「あるいは代わりに『不合理な推論』委員会を新たに設立する必要があるかもしれない」とも述べ、インフレ退治と法人増税の議論を混同するかのようなバイデン氏の投稿を痛烈に皮肉った。一般にはインフレ抑制には法人税ではなく金利が重要であると考えられている。

【関連記事】
・Amazon、バイデン政権の企業増税計画支持 批判封じか
・[FT]米富豪の納税記録暴露 「富裕税」論議に拍車も
・「米富裕層、税金ほぼ払わず」 ベゾス氏らの納税記録暴露

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滝田洋一
日本経済新聞社 特任編集委員
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ベゾス氏とバイデン氏の論争を評価する前に、確認すべきはアマゾンを含むGAFAMの税負担率です。日経「チャートは語る」(2021年5月9日)によれば、GAFAの4社の18~20年平均で15.4%。トヨタの24.8%など、世界平均の25.1%を10㌽近く下回っています。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC074PW0X00C21A5000000/

もうひとつ気になるのは、上の記事に寄せられたアマゾン側のコメント。「20年のグローバルでの税引前利益242億ドルのうち、約202億ドルが米国で生まれた」とあります。記事中には、無形資産を基にした利益は国境を越えて移動させやすい、との指摘もあります。それにしても、税引前利益の83%が米国で発生という会計処理は、どんなものでしょう?

2022年5月15日 13:59 (2022年5月15日 14:00更新) 』

東欧、防衛装備の更新急ぐ 軍事企業は増産体制に

東欧、防衛装備の更新急ぐ 軍事企業は増産体制に
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB263YP0W2A420C2000000/

『【タリン=細川倫太郎、ヒューストン=花房良祐】東欧各国が防衛装備の更新を急いでいる。保有していた旧ソ連製の戦車などをウクライナ支援として供与する代わりに、米国や西欧諸国の協力を得て新型兵器などの配備を進める。米欧各国はウクライナへの武器供与も続ける方針で、軍事関連企業は増産体制に入った。

バルト3国の一つ、エストニアのメディアによると、同国はロシアの侵攻が始まってから、ウクライナに旧ソ連製のりゅう弾砲など総額2億3000万ユーロ(約310億円)以上の軍事支援をしてきた。

エストニア軍幹部は12日、首都タリンで日本経済新聞などの取材に寄付できる旧ソ連製の武器は残っていないと説明した。そのうえで、「我々は西側の武器にシフトしている。大きな結束を感じている」と強調した。同国は多連装ロケット砲(MLRS)や機雷などを調達し、装備を大幅に拡充する方針だ。

ポーランドのモラウィエツキ首相は4月下旬、ウクライナに同国の戦車を送ったと明らかにした。同国メディアによると、200両以上の旧ソ連製戦車「T72」を供与した。英国防省はその穴埋めとして、英国製「チャレンジャー2」を展開すると公表した。

ポーランドは既に米国との間でM1A2エイブラムス戦車250両を47.5億ドル(約6200億円)で購入する契約で合意した。国防費支出を国内総生産(GDP)比で2021年の約2%から23年には3%に引き上げる。

ウクライナは米欧などに武器供与を求めるなかで、自軍が取り扱い方法がわかっている旧ソ連製の戦車などを要望している。旧ソ連製の武器は東欧諸国に残っていることが多く、これらをウクライナに供与する代わりに、東欧の防衛力が落ちないように米国や西欧諸国が代替品を融通・配備する手法がとられている。

スロバキアはウクライナに旧ソ連製の地対空ミサイル「S300」を提供した代わりに米国からパトリオットの配備を受けた。ロイター通信によると、ヘゲル首相はさらに旧ソ連製の戦闘機「ミグ29」もウクライナに供与することも検討している。ポーランドも一時検討したが、実現しなかった経緯がある。

東欧諸国が防衛装備の強化を急ぐ背景には、ウクライナに侵攻するロシアの脅威が自国にも迫っているためだ。ロシア軍は5月上旬、バルト海沿岸の飛び地カリーニングラード州で、核弾頭を搭載できる短距離弾道ミサイルの模擬訓練を実施した。

米国はウクライナなどへの兵器の貸し出しを迅速にする「武器貸与法」を復活させた。同法は武器貸与について必要な手続きを大幅に省く効果がある。東欧諸国にも新法を適用し、東欧防衛の強化にも役立てる。

中長期的に武器の需要は拡大するとみて、軍事関連企業は生産を拡大する。

米防衛大手ロッキード・マーチンは携行型の対戦車砲「ジャベリン」の生産能力を2倍の年4000基に増やす。同業のレイセオン・テクノロジーズも地対空砲「スティンガー」を増産する。欧米がウクライナに供与したジャベリンとスティンガーは大きな威力を発揮し、ロシア軍の車両などを大量に破壊している。

バイデン米大統領は5月上旬、ジャベリンを生産する南部アラバマ州のロッキード工場を視察し、「(この工場の従業員は)ウクライナを防衛しており、ロシア軍を(世界中の)笑いものにした」と激励した。

ロッキード・マーチンの13日時点の株価はロシアのウクライナ侵攻前の2月23日に比べ約12%、英航空・防衛大手BAEシステムズは同約23%それぞれ上昇した。同じ期間でS&P500種株価指数が下落しているのとは対照的だ。

【関連記事】
・米兵器、対外供給増で逼迫(The Economist)
・米、武器貸与法が成立 ウクライナ支援を迅速に

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渡部恒雄
笹川平和財団 上席研究員
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貴重な体験談

私はコロナ禍の前の2018年と2019年に、ポーランドのワルシャワで行われた民間シンクタンクが主催するワルシャワ・セッキュリティ・フォーラムに参加しました。

(2020年と2021年はオンライン開催)パートナーには、ロッキード・マーティン、ノースロップグラマン、レイシオンという米国の防衛産業大手が連なり、これらの企業のブースによる兵器のショーケースもありました。

2018年の参加者には私の米国シンクタンク勤務時代の同僚だったジュリアン・スミスNATO大使もおり、ロシアの脅威に対応するために、東欧諸国が着実に米国との軍事関係を強めてきたことを、今あらためて実感しています。https://warsawsecurityforum.org/partners/
2022年5月16日 8:08

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白井さゆり
慶應義塾大学総合政策学部 教授
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ひとこと解説

ロシアのウクライナ侵攻によって西側の団結は強まった。

第一に、NATOにはフィンランドはスウェーデンが参加を申請しメンバーが拡大し、各国の軍事支出も増えていく見込みだ。

第二に、ロシアからのエネルギー自立をするために欧州は団結して再生エネルギーや水素戦略を強化していくが、エネルギー生産国の米国との連携が高まる可能性がある。

第三に、ウクライナの軍事経済支援のために団結して支援を拡充していく見込みだ。

EUはコロナ危機からの経済回復がまだ途上であるがコロナ危機をきっかけに共通のEU債発行をはじめ域内の復興・グリーン投資を実施している。

さらに共同債を発行し上記の目的を遂行しEUの連帯を強める可能性がある。

2022年5月16日 7:58

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上野泰也
みずほ証券 チーフマーケットエコノミスト
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米欧によるウクライナへの武器供与が強化されるにつれて、いわば「回転が効いている」状態になり、防衛産業大手の株価が上昇している構図である。

ウクライナ軍が訓練なしに操縦・操作できる旧ソ連製武器の供与を求めたことが、結果的に、NATOに加盟している中東欧諸国の装備の近代化につながることになった。

インドやトルコの事例からもわかるように、他国が製造した兵器を大量に購入すると、それにマッチした弾薬調達や購入した兵器のメンテナンスなどにおいて、その国とのつながりは強くなる(その国との関係を断ち切るのは難しくなる)。

ポーランドやスロバキアなどがロシアにとって従来以上に脅威になるわけで、プーチンの誤算と言える。

2022年5月16日 7:27 』