米国における軍隊投入の権限

レファレンス 平成26年10月号

―資 料―

米国における軍隊投入の権限
国立国会図書館 調査及び立法考査局
外交防衛課 栗田 真広
https://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_8779804_po_076505.pdf?contentNo=1

『我が国では、米国による軍事行動について、国際法的な観点からの正当性の問題が非常に多く議論される一方で、その国内法上の手続きの問題は、相対的に論じられることが少ない。

この背景には、特に冷戦終結以降、米国の軍事行動が単独行動主義的であるとされ、国際法との関係で争点になりやすかったことがあると思われる。

しかし本来、米国との同盟関係に安全保障を依拠するところの大きい我が国にとって、軍隊の投入に関わる米国内法の問題は、いかなる状況下で米国の介入が望めるのかという点に直結する重要な問題である。』

『米国では、軍隊の投入に関わる権限の問題は、憲法上、戦争に関わる権限が連邦議会と大統領の間でどのように分配されているかという問いの一部として、学説上も、また実際の政治の場でも、多大な議論が積み重ねられてきた。

しかし、後述するように、憲法の規定上は、この点について権限の所在が完全に明確にされていないため、「誰の判断と決定で軍隊を戦闘行為に投入できるのか」について、法的に確立された枠組みが存在するとは言い難いのが現状である。

それゆえ、この問いに対する答えを提示するには、法律の規定と併せて、これまで米国が軍隊を投入してきた実際のケースを見ていく必要がある。(※ 中略)』

『 軍隊の投入に係る法的な枠組み

1 憲法

(1) 明文規定

米連邦政府の統治機構は、憲法制定過程で共有されていた権力の暴走への忌避感から、行政府、立法府、司法府の三権の間での抑制と均衡を基本原則として形作られている。
憲法制定段階で、こうした仕組みの必要性が特に強く認識されたのが、戦争に関する側面であり、米国憲法は、戦争に関する各種の権限を、主として連邦議会と行政府の長たる大統領の間で分割し、行政府による軍事力の濫用を防止する形になっている。

憲法に定められた戦争に関する権限は、戦争の開始と遂行、軍隊の創設・維持・訓練、戦費の支出など多岐にわたるが、本稿の関心事項である戦闘行為または戦闘行為への関
与が予想される状況への軍隊の投入には、以下の条項が関係する。

憲法第 1 条第 8 節第 11 項は、宣戦条項と呼ばれ、連邦議会が「戦争を宣言し、船舶捕獲免許状を授与し、陸上及び海上における捕獲に関する規則を設ける権限」を有することを規定する。

この規定を根拠として、議会は宣戦を行い、戦争を開始する権限を持つものと解されており、これまで 1812-14 年の米英戦争、1846-48年の米墨戦争、1898 年の米西戦争、両世界大戦の 5 つの事例において宣戦を行った。

手続上、宣戦は両院合同決議(joint resolution)の形を取り、大統領が教書によって議会に要請を行い、上下両院が過半数の賛成をもって決議を可決した後、大統領の署名を経て発効する。

一方、最高司令官条項と呼ばれる憲法第 2 条第 2 節第 1 項は、大統領が「合衆国の陸軍及び海軍並びに現に合衆国の軍務に就くため召集された各州の民兵団の最高司令官である」ことを定める。

この規定を根拠として、大統領は米軍に対する指揮命令権限を有する。

(2) 解釈に関する議論

この二つの規定からは、米国が戦闘行為に軍隊を投入する際の手続として、まず連邦議会が開戦の是非を判断して宣戦を行い、それを受けて大統領が最高司令官として軍を指揮し、戦争を遂行するという形が導かれる。

ただし、議会の宣戦がなくとも、米国に対する奇襲攻撃があった場合に、大統領が最高司令官として軍を投入してこれを排除できるようにするために、憲法の制定過程で宣戦条項の文言が「戦争をなす(make war)」から現行の「戦争を宣言する(de-clare war)」に差し替えられた経緯から、奇襲対処のための「防御的」な軍の使用は、議会の宣戦を待たずとも大統領の判断で可能と解されている。

だが、問題となったのは、これらいずれかの類型の枠に収まらない形での戦闘行為または戦闘行為への関与が予想される状況への軍隊投入が、どこまで認められるのかという点であった。

例えば、奇襲対処のための「防御的」な軍隊の使用は可能といっても、その「防御」には、敵対国の攻撃を絶つための策源地に対する攻撃は含まれるのかといった点は本来曖昧であり、加えて核兵器やミサイルなどの戦力投射手段の発達によって、なおさら「防御」の意味合いは複雑になっている。

さらに、制憲当時から、宣戦になじまないような限定的な軍事力使用の位置付けや、そもそも国家が武力行使を開始する際の宣戦がもはや一般的慣行ではなくなっていることなどの問題が指摘されていたが、現代では、限定的な武力行使の増大に加え、国際連合(以下、「国連」とする) の集団安全保障の下での軍事的制裁措置や平和維持軍、さらには人道的介入など、「戦争」の概念でとらえることの難しい事例が増加し、またもはや国家間の宣戦という慣行は見られなくなった。

こうした事情から、議会の宣戦またはそれに準ずる承認決議がない場合に、大統領が独自の判断で、戦闘行為または戦闘行為への関与が予想される状況へ軍隊を投入することがどこまで許容されるのか、学説上も、政治の場でも論争が続いている。

一方には、民主主義原理の貫徹を重視し、議会の強い関与を支持する主張がある。

この主張は、純粋に敵対勢力からの攻撃を排除する場合を除き、戦闘行為への軍隊の投入には宣戦ないしはそれに準ずる決議による議会の承認が必要であるとした上で、たとえそれが「戦争」とは呼べないような限定的な武力行使でも同様であり、また奇襲への対処としての「防御的な」武力の行使とより「攻撃的な」ものの区別についても厳格にとらえる。

なお、この立場の論者が、「戦争」と呼べない限定的な武力行使を承認する議会の権限の根拠とするのは、憲法第 1条第 8 節第 11 項の「船舶捕獲免許状を授与する(grant Letters of Marque and Reprisal )」権限に関する規定である。

これと真っ向から対立するのが、軍事力の使用における意思決定の効率性や柔軟性を重視し、最高司令官としての大統領は、議会の事前承認がなくとも、戦闘行為に軍隊を投入する幅広い権限を認められているとする立場である。

こちらの立場は、憲法の宣戦条項はそうした形での大統領による軍隊の投入を排除しておらず、実際に歴代の大統領は議会の承認がなくとも様々な事例において軍隊を戦闘行為に投入してきたこと、軍隊の創設・維持や財政支出に関米国における軍隊投入の権限する憲法上の権限を有する議会は、それらを用いて大統領の戦争遂行を統制できるため、こう
した解釈が行政府と立法府の間での抑制と均衡を無視したものとの批判は当たらないことなどを主張する。

ただし、議会の事前承認なしでの軍隊の投入をどこまで広く認めるかは、論者に
よっても異なる。

第二次世界大戦後、ハリー・トルーマン(HarryTruman) 政権以降、程度の差はあるものの、共和党・民主党のいずれの政権も、大統領は議会の承認がなくても、米国の安全及び国益を守るために、戦闘行為または戦闘行為への関与が予想されるような状況へ軍隊を投入する権限を持つとの見解を踏襲し、実際にこの見解に沿って行動してきた。

その法的根拠として大統領側は、憲法上の最高司令官条項と並んで、憲法上の外交関係を処理する権限と、主として執行権が大統領に帰属することを定めた憲法第 2 条第
1 節第 1 項に立脚した、執行権の長(chief execu-tive) としての権限を挙げることが多い。

一例を挙げると、2001 年の司法省法律顧問局(Of-fice of Legal Counsel: OLC)意見では、大統領は憲法上、最高司令官条項並びに執行権を定めた第2 条第 1 節第 1 項によって、米国の国益や外交政策への脅威に対処するために軍隊を使用する幅広い権限を与えられているとしており、宣戦条項は、飽くまで議会が戦争を「宣言する」権限を持つことを規定するに留まるとの見解が示されている。』

(※ 以下、省略。)