経済制裁という大量破壊兵器 ラグラム・ラジャン氏米シカゴ大学教授

経済制裁という大量破壊兵器 ラグラム・ラジャン氏
米シカゴ大学教授
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『戦争はどんなやり方でも恐ろしいものだ。各国はウクライナに戦闘用の兵器供与だけでなく、ロシアに経済兵器を動員した。ロシアは軍事力に比べて経済力は小さいものの、兵器の種類や対象地域を拡大して攻撃を仕掛けてくる可能性がある。それは世界が受け入れなければならないリスクだった。

ロシアの中央銀行への厳しい制約でルーブルは暴落し、国境を越えた決済や融資の新たな制限は即座に影響を及ぼし、ロシアの銀行に対する信頼は低下した。貿易制裁や多国籍企業の撤退は、即効性はなくても、いずれ経済成長率は低下し、失業率は大幅に上昇するだろう。やがてロシアの生活水準は低下し、健康状態は悪化し、死者が増えると予想される。

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経済兵器は侵略や野蛮な行為に対して有効でありながら、文明的な対応を可能にする。だが、これらの兵器がもたらすリスクを軽視すべきではない。ビルを倒したり、橋を壊したりはしないが、企業や金融機関、生活、そして生命さえも破壊する。罪のある者だけでなく無実の人にも打撃となる。現代世界の繁栄を可能にしたグローバル化のプロセスを逆行させることになりかねない。

 Raghuram Rajan 013~16年、インド準備銀行(中銀)総裁。国際通貨基金(IMF)チーフエコノミスト時代の05年、3年後の金融危機に警鐘を鳴らした。

この点について、いくつか関連する懸念がある。まず、経済兵器は一見流血を伴わず、統治する規範がないため、乱用される可能性がある。これは単なる臆測ではない。米国は、世界にはもっと悪しき体制があるにもかかわらず、キューバに対する厳しい制裁を続けている。また中国は最近、オーストラリアの輸出に制裁を科したが、同国が新型コロナウイルスの起源に独立した調査を求めたことへの報復だったのは明らかだ。

同じくらい心配なのは、企業に特定の国での事業活動の停止を求める世論の高まりだ。こうした要求は、政策立案者が意図した以上の制裁拡大になる可能性がある。例えば、人工妊娠中絶や気候変動への政府の立場を理由に経済戦争を仕掛けられることはありえる。

無差別な制裁への不安が広がれば、各国が自衛の行動をとるかもしれない。ドルやユーロの外貨準備ほど流動性の高い資産が他にほとんどないため、各国は国境を越えた企業の借り入れなど、外貨準備を保有する必要がある活動を制限し始めるだろう。

また、国際決済網である国際銀行間通信協会(SWIFT)に代わる代替手段を模索する国が増え、世界の決済システムが細分化する可能性がある。民間企業は、政治・社会的価値観を共有しない国同士の投資や貿易の仲介により慎重になっていくかもしれない。

各国が経済兵器への新たな対抗手段を開発するなど、ゼロサムゲーム的な戦略的行動が増える可能性もある。例えば、ある国が外国の銀行を自国市場に誘致し、いずれその資産や資本を人質にとろうとするかもしれない。逆に政府が、そうした脅威への脆弱性を減らすために、自国の銀行が活動できる地域を制限することもあるだろう。国と国との経済的な交流は必然的に縮小する。

経済兵器は一国の手に委ねるにはあまりにも強力で、その使用にはコンセンサスが義務付けられるべきだ。侵略国のエリートの資産に対する制裁は最も優先順位を高くし、コンセンサスの要件は最低限にすべきだ。反対に、侵略国の通貨の価値を下げたり、金融システムを弱体化させたりすることは、より慎重かつ最大限のコンセンサスを得るべきだ。

先進国は自国の力を制約することに消極的だろう。だが世界経済が分裂すれば、すべての人に痛手だ。「経済的軍備管理」に関する協議は、壊れた世界秩序を修復する一歩になるかもしれない。平和的共存は、どのような形態の戦争よりも常に優れている。

(©Project Syndicate)

実行の規範確立を

ロシアのウクライナ侵攻に対し、米欧が経済制裁という対抗手段を迅速に打ち出したのは最善の選択だった。真正面からの武力衝突は、世界大戦の引き金になりかねないからだ。だが経済活動を人為的に遮断する手法は、グローバル化とIT(情報技術)化で飛躍的な発展を遂げてきた市場経済を逆回転させかねない負の側面も併せ持つ。今回の問題を機に、国際合意の下で武力衝突を未然に阻む効果的な経済制裁の手法や規範を確立する努力が必要になる。

米欧がロシアに行った国際決済網からの締め出しや貿易制限は、世界規模の経済制裁としては初の試みに等しい。それだけに世界的なインフレをどこまで助長するか、国際決済網の分断によるブロック経済化を招かないかといった未知の不安要素を内包している。

流血を伴わない経済制裁は、悲惨な戦争の歴史を経た人類の英知。だが同時に、強力な現代兵器にもなり得る。いま世界に求められているのは、世界恐慌や経済危機を招かない経済制裁の手法を確立することではないか。(編集委員 小栗太)

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伊藤さゆり
ニッセイ基礎研究所 経済研究部 研究理事
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分析・考察

経済・金融面での結びつきが、安全保障の強化につながるとの期待は、米国が金融制裁を多用するようになったことや、中国が相手国の行動を変える手段として経済力を活用するようになったことで失われつつあったが、ウクライナ侵攻で打ち砕かれてしまった。

戦争の長期化により、西側は制裁の強化を迫られ、一次産品市場などを通じた第3国への波及的な影響が心配される。
波及効果の大きい経済・金融制裁へのルールは確かに必要だが、グローバルなルール・メーカーとなってきた欧米が当事者で、欧米主導の国際秩序に不満を抱く中露と対立を深める状況では、担い手が見当たらない。
ラジャン氏の懸念が現実化することが憂慮される。
2022年5月5日 11:56』