ウクライナ米欧VSロシア 認知空間での闘いの内幕

ウクライナ米欧VSロシア 認知空間での闘いの内幕
川口貴久 (東京海上ディーアールビジネスリスク本部主席研究員)
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/26519

『議論のあるロシアのサイバー作戦の効果

 ロシアはウクライナ全面侵攻前および侵攻後、ウクライナに対して大規模サイバー攻撃をしかけた。侵攻以前、ロシアはウクライナの政府ウェブサイトなどにDDoS攻撃(大量のデータを送りつけてサーバーに負担を与えて妨害する攻撃)を仕掛け、2月24日の侵攻当日には破壊型マルウェア(データを消去するワイパー)を起動させた。

 通信や電力などの重要インフラも標的だ。全面侵攻当日、米国ヴィアサット(Viasat)社が運用する通信衛星網「KA-SAT」の地上モデムがサイバー攻撃を受け、ウクライナ数千件、欧州全体で数万件の固定ブロードバンド客に障害が発生した。ロシア軍によるサイバー攻撃とみられている。

 またスロバキアのセキュリティ大手ESETはウクライナのコンピューター緊急対応チーム(CERT-UA)と協力して、ウクライナの電力インフラに攻撃を仕掛けた新たなマルウェアを検知したと発表した。このマルウェアは2016年12月、ウクライナで大規模な停電を引き起こしたIndustroyerの更新版とされる。

 ただし、ロシアによるサイバー攻撃の効果は専門家の中でも見解が分かれている。米国セキュリティ大手のクラウドストライクの創設者ドミトリー・アルペロヴィッチは、サイバー能力がもっとも効果を発揮するのは、純然たる有事でも平時でもない「グレーゾーン」であり、動的(キネティック)な紛争が始まるとその有効性は低下すると分析する。

 ウクライナが14年の危機(クリミア併合とドンバス紛争)以降、サイバーセキュリティ態勢を強化し、米国や北大西洋条約機構(NATO)の支援も相まって、ロシアのサイバー作戦が効果をあげていないとの見方もある。

 一方、NATOの高官や専門家はこうした見方に警鐘を鳴らす。インテリジェンスおよびセキュリティ担当事務総長補のデイヴィッド・カトラー、サイバー脅威分析部門のプリンシパル分析官のダニエル・ブラックはフォーリン・アフェアーズ誌上で、ロシアのサイバー作戦はウクライナ戦場におけるこれまでの最大の軍事的成功だと論じる。「ロシアのサイバー作戦が効果をあげなかったと主張する新たなコンセンサスは大局を見失う」。しかし、こうした見方にも反論があがっている……。

ウクライナ優位が明確な「第6の戦場」認知空間

 このように「第五の戦場」サイバー空間については、ロシアによる作戦の成果や効果に議論がある。しかし「第六の戦場」とされる情報空間・認知空間については、専門家の見解はおおよそ一致している。つまり、ロシアによる情報作戦は事前に予想されていた程の成果をあげていない点である。』

『もちろん情報戦・認知領域の戦いは目新しいものではない。いつの時代も、自国(や同盟国)、交戦相手国、国際社会の人々の認知や感情に働きかけ、自らに有利な世論や情勢を形成することは重要だった。第二次世界大戦下では、敵国の士気を打ち砕く目的で、ラジオや軍用機からのビラ(伝単)という形で情報戦が展開された。

 今回の侵攻では、テレビや新聞といった伝統的メディアはもちろん、ソーシャルメディア上でも情報戦が展開された。旧ソ連圏で利用者の多いメッセージングアプリ「テレグラム」も、ロシア国内やウクライナ向けの認知戦の主戦場の一つだ。

 戦地の人々が実際に経験したことをテキストや動画・静止画でアップロードし、全世界の人々がそれらを直接、受信する。同様に戦地の人々も直接、情報を受信する。
プラットフォーム、デバイス、ネットワークがつくる認知領域の闘い

 それゆえメディアでは、ウクライナでの戦争は「SNSの戦争」と呼ばれることが多い。しかし、ウクライナのSNS上での抵抗は「SNS(プラットフォーム)」だけでは実現しなかった。

 この状況を可能にしたのは、SNS(プラットフォーム)、スマートフォン(デバイス)、4G回線(ネットワーク)の三位一体の普及だ。

 YouTube(05年)、Twitter(06年)、Facebook(06年)、WhatsApp(09年)、Instagram(10年)、TikTok(16年)など、現在、世界で多く使用されているソーシャルメディアは2000年代半ばから普及した(括弧内はサービス開始年)。

 重要な点は、こうしたサービスを自宅のパソコンではなく、高画質なカメラを搭載したスマートフォンで何処からでも使えるようになった点だ。「デバイス」の普及時期は「プラットフォーム」のそれとほぼ重なる。07年6月には、iPhoneが発売され、翌年10月、Androidを搭載した端末「T-Mobile G1」が発売された。

 しかし、実際に大容量の動画をスムーズに共有するに適した通信規格の普及は2010年代半ばとなる。現在、日本では、5Gの商用利用が始まり、6Gの開発も進むが、実際に多くの人が利用しているのは4Gだ。

 各通信規格のキーワードを大まかに説明すると、1G(1980年代):アナログ方式の音声通信、2G(1990年代):デジタル方式のパケット通信やメール、3G(2000年代):インターネットに接続して情報を探すブラウジングや静止画交換、4G(2010年代):動画交換、5G(2020年代):高速・大容量、超低遅延、同時接続である。

 日本で4G回線のスマートフォンの本格的普及が始まったのは12年、4Gサービス契約数が3Gを上回ったのは16年である。ウクライナでの4G普及はもう少し遅いようだ。

 GSMAの報告書によれば、19年時点でウクライナの4G回線接続は全体の約17%に過ぎず、半数(48%)は3G接続だった。しかし、既にこの時点でウクライナの通信大手キエフスター(Kyivstar)社は4G回線基地局に投資しており、20年末には人口の85%に4G回線を提供しているという。

 ウクライナの4G回線の普及が進んでいない段階で、今回の全面侵攻が起こっていたら、認知空間の戦況は現在と異なっていたかもしれない。
ウクライナや米欧認知空間で優位に闘っている要因

 プラットフォーム、デバイス、ネットワークの普及の結果、多くの偽情報・不確実情報がオンライン上に氾濫した。それは軍の展開状況に関わるもの、開戦理由に関わるもの、戦闘地域・占領地域での国際法違反行為に関わるものと多岐にわたる。ただし、偽情報の多くは杜撰なもので、ロシア政府・軍の関与があるかどうか分からないものも多い。

『ウクライナ情勢の将来は不確実性があるものの、これまでのところ、ウクライナおよび米欧は認知空間における闘いを優位に進めている。

 その背景として、現時点では4つの要因が指摘できる。具体的には、①メディア・専門家らによるファクトチェック、②米国バイデン政権のインテリジェンスの積極的開示、③欧州地域におけるロシアの情報発信の制限、④ゼレンスキー政権の対抗ナラティブ(物語)である。前者2つは主に偽情報に焦点を当て、後者2つはより広範な情報戦を闘うツールとなった。

 第一に、多様な主体、多様な情報源に基づくファクトチェックである。

 ウクライナ侵攻に関して多くの偽情報・不確実情報が拡散したが、非戦闘員への攻撃などの重要なトピックスについては比較的、短時間でその真偽が明らかになった。各国政府、メディア、シンクタンク、専門家らが、衛星画像、グーグル・ストリート・ビュー、ソーシャルメディアに投稿された静止画・動画といった情報を用いてファクトチェックを行ったからだ。

 ファクトチェックが特に効果をあげたのは「ロシア軍の撤収」発表だろう。全面侵攻直前の2月15日、ロシア国防省報道官はロシア軍の一部がウクライナ近郊の軍事訓練から撤収を始めたと発表し、撤収中とされる動画も公開された。しかし、米欧のメディアやオープンソースインテリジェンス(OSINT)機関はこの発表を検証し、ハードエビデンスを以ってロシア軍はむしろウクライナ国境付近に結集していると判断した。
前例のない米国のインテリジェンス公開

 第二の要因は、米国バイデン政権による機密相当のインテリジェンスの積極的開示である。ファクトチェックは主に「語られたこと」「報じられたこと」の真偽を検証するものだが、インテリジェンス開示は「語られたこと」はもちろん、「語られていないこと」についても先手を打って発信を続けた。

 衝撃だったのは、2月19日(現地時間18日16時54分)のバイデン米大統領の演説だ。バイデン大統領は「現時点で彼(プーチン大統領)が(ウクライナ侵攻の)決定を下したと確信している」「ロシア軍が来週、つまり数日以内にウクライナを攻撃する計画、意図があると信じる理由がある。標的はウクライナの首都キーウを含むだろう」と明言した。

 情報の真偽は不明だが、流出したロシア軍の内部文書によれば、ロシア軍がウクライナ侵攻を承認したのが2月18日とされる。仮にこれが事実であれば、バイデン大統領はリアルタイムでロシア側の意思決定を把握していたことになる。

 14年のウクライナ危機では、オバマ政権はロシア軍の兆候に関するインテリジェンスを得ていながら、これをウクライナ側と十分に共有しなかった。この反省から、今回のウクライナ危機では、ジェイク・サリバン国家安全保障担当大統領補佐官が取り仕切る「タイガー・チーム」が省庁横断で情報収集・分析にあたっているという。

 他方、機密に相当するインテリジェンスの積極的開示はリスクを伴う。一つは、情報源や情報収集手段が相手方(ロシア)にばれるリスクである。ロシア軍の展開に関するインテリジェンスは恐らく通信傍受(SIGINT)、軍事衛星(IMINT)、ロシア政府内部の協力者(HUMINT)といったあらゆる情報源・手法を総動員している。実際、アブリル・ヘインズ国家情報長官は、ロシア側による情報源・情報収集手段の「つぶし」を注視していると述べている。

 もう一つのリスクは、米国による機密インテリジェンスの開示がロシア側の行動を変え、外形的にはインテリジェンスが外れた結果となり、インテリジェンスへの信頼性が毀損する恐れだ。結果的には、このリスクを差し引いてもインテリジェンスを公開する意味があった。

 バイデン政権はウクライナ側や国際社会に警鐘を鳴らし、「サプライズ」を防ぐと同時に、可能であればロシアによる侵攻を抑止しようとしていたと思われる。結果的に全面侵攻は抑止できなかったが、2月半ばのタイミングで侵攻を遅らせたとしたら、十分に意味があった。それはロシア軍の食料など浪費させ、ウクライナや国際社会の準備の時間を稼いだからだ。』

『「ナラティブ」をめぐる闘い

 ファクトチェックもインテリジェンス開示も基本的には「事実」を争うものだ。しかし実際には、認知戦で用いられるのは偽情報だけではなく、正確な情報(事実)や価値判断・意見も多く含まれる。

 例えば、プーチン大統領がしばしば指摘する「ロシア、ベラルーシ、ウクライナは兄弟国家」「ロシアの源流はキエフ公国」といった言説だ。これらは確かに事実かもしれないが、プーチン大統領はこうした言説をウクライナ侵攻を正当化する文脈で用いてきた。

 真偽や価値判断が織り交ざる伝播性の高い情報は「ナラティブ」と呼ばれる。ノーベル経済学賞を受賞したロバート・シラーは著書『ナラティブ経済学』(21年、東洋経済新報社)の中で、ナラティブが最も感染力を持つ(ヴァイアルである)のは、人々がナラティブやその中にある人間と個人的なつながりを感じる時だという。つまり、誰もが知る歴史や社会集団の記憶に根差すナラティブは特に拡散しやすい可能性がある。

 ファクトチェックやインテリジェンスで「ナラティブ」に対抗するには限界がある。

 ロシア側の「ナラティブ」に対抗し、ウクライナや米欧が認知領域の闘いを優位に進める第三の要因は、ロシア政府や政府系メディアの情報発信そのものを制限したことだ。

 全面侵攻以降、欧州連合(EU)はロシア政府系メディアを規制した。22年3月1日付のEU決定により、域内ではロシア政府系メディアの「RT(英語版・英国・仏・独・スペイン)」「スプートニク」の衛星放送、オンラインプラットフォーム、アプリなどでの活動が禁止された。

 ロシア政府関係者の情報発信も同様だ。ベラ・ヨウロバー欧州委員会副委員長(価値観・透明性担当)は、ロシアが「情報を兵器にしている」との認識に立ち、Google、Twitter、Meta社などのデジタルプラットフォームに対して厳格な対処を要請した。つまり、各社が利用ルールを厳格に執行し、規約違反となるような不正行為・影響工作を検知・削除することであり、特にロシア政府組織や在外高官のSNSのアカウントの情報工作への対処を促した。

 戦時ということもあり、通常の情報戦・認知戦対処よりも踏み込んだ対応といえる。
将来の東アジア有事で日本は——

 第四の要因は、ゼレンスキー大統領をはじめとするウクライナ側の対抗「ナラティブ」だ。

 ゼレンスキー大統領は自らキーウ市内から動画を投稿し、ウクライナ国民、国際社会にメッセージを発信し続けた。同大統領は米国、英国、ドイツ、カナダ、日本、イスラエルの議会でオンライン演説を行い、相手国民の感情に訴えるような言葉で語りかけた。日本向けには原発事故、サリン、復興といった日本人の琴線に触れるキーワードを散りばめた。

 これもある種の情報戦の一環であり、認知空間で優位に立とうとする闘いだ。もちろん、侵略に対抗するための情報戦もまた、自衛の一つの形態であり、否定すべきものではない。

 ウクライナや米欧が認知空間でどのように闘っているかは、日本にとって示唆に富む。対抗手段は単に偽情報対策にとどまらず、真偽や意見が混じる「ナラティブ」への対抗の側面があった。そして、軍、情報機関、メディア、デジタルプラットフォーム、政治家、研究者・専門家などが認知領域の闘いに関与した。

 将来、東アジアで有事が発生した場合、日本に対してサイバー攻撃や情報戦が仕掛けられる可能性が高い。その時、日本がウクライナほどの成果をあげられるかは分からない。』