習近平氏の唐突な「全世界安保」構想 太平洋進出の布石

習近平氏の唐突な「全世界安保」構想 太平洋進出の布石
編集委員 中沢克二
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODK233DQ0T20C22A4000000/

『習近平(シー・ジンピン)体制下の中国では外国人への監視が極めて厳しいうえ、新型コロナウイルス対策での入国規制も世界一ともいえる厳格さだ。そんな事情もあって最近、中国ウオッチを重要な任務とする各国の外交官らが東京に集結しつつある。その中国通の彼らさえ首をかしげる中国国家主席、習近平の壮大すぎる提言があった。博鰲(ボーアオ)アジアフォーラムの21日のオンライン演説で提唱した「グローバル安全保障イニシアチブ」である。

全世界を包み込む安全保障――。まるで、かつて中華世界の全てを仕切った皇帝を思わせる大ぶりな話だけに、各国に駐在する中国通の外交官らは本国から「一体どういう意味なのか」と解読を迫られている。とはいえ習自身の説明が、抽象的な漢語、成句の羅列にすぎないため、思うように分析できず、面食らうばかりなのだ。

ウクライナの外交・安保関係者も注目

東欧関係筋によると、習提言の中身を大いに気にしているのは、ウクライナの外交・安全保障関係者も同じだという。彼らは、習とロシア大統領、プーチンの親密さに厳しい目を向けながらも、ロシアに一定の影響力がある中国の立ち位置を逐一、観察している。停戦交渉を含めた中長期的なウクライナ情勢に影響するからである。

ウクライナのゼレンスキー大統領(中央)をはさんで立つ米国のブリンケン国務長官(右)とオースティン国防長官(24日、キーウ)=ウクライナ大統領府提供・ロイター

「一国主義、覇権主義、強権政治の脅威が増し、平和、安全、信頼、ガバナンス(統治)の欠如が目立ついま、人類が直面する安保分野の試練は大きく厄介になった。習主席は全人類の前途、運命を考える視点からグローバル安保イニシアチブを打ち出した。これは中国が提供する新たな国際公共財で、人類運命共同体という理念の安保分野での生きた実践である」

中国外務省報道官による事後説明も、すんなり頭に入ってこない。まさに言語明瞭、意味不明。得体(えたい)の知れない中身だからこそ、ウクライナを含む関係者の視線を集める不思議な現象が起きているのだ。

予備知識抜きに習演説を聞くと一見、ウクライナを蹂躙(じゅうりん)するプーチンと距離を置くサインにも感じられる。それは見せかけにすぎない。そもそも中国は米欧主導の対ロシア制裁に正面から異を唱えている。中国の外交用語上、一国主義、覇権主義、ダブルスタンダードなどを批判する場合、名指ししなくても米国による「一極支配」構造への非難と考えて間違いない。

モスクワでの会議に参加したロシアのプーチン大統領(25日)=ロイター

習は、中国が米国に伍(ご)する大国として参画する多極化世界の実現へ、米国の力を徐々にそぐ壮大な長期戦略について、中国的な語彙で説明している。秋の共産党大会でトップ3選を狙う「箔付け」という内政上の必要性も絡んでおり、外国人の頭にすんなり入ってこないのは当然だ。

どの国も反対できない大枠を提示

「中国は常とう手段として、まず、どの国も反対できない大きすぎる枠組みをドーンと提示する。万一賛同しなくても、少なくとも反対だけはできないよう関係各国に圧力をかけた後、得意の囲碁の攻め方で米国という大きな敵を追い詰める戦略だ」。中国近隣国の外交・安全保障関係者の解釈は傾聴に値する。

習は中学生の頃からの囲碁の愛好者だ。国家主席に就いて間もなく、北京大学で囲碁の試合を観戦した際、ある学生の強烈な攻め手に感心し、「中国外交もこの学生を見習うよう希望する」と語った。耳にした中国外務省幹部らは肝を冷やした。中国外交の攻めの甘さを批判されたも同然なのだから。後に目立つようになった中国の「戦狼外交」にみえる強硬さは、このあたりに源がある。

今回の場合、反対できない大きな枠組みは、全世界を包み込む安保だ。過去に習が誰も反対できない言葉として提唱済みの「人類運命共同体」の延長線上にある。中国外務省は「習近平外交思想」を持ち上げる政治的な決まり文句でもある人類運命共同体を、すでに中国のイニシアチブとして国連の関連文書などに相当数、押し込んでいる。

囲碁の例えで習に尻をたたかれた中国の外交官らは、生き残るために必死なのだ。特異な中国の内政は、国際政治にまで影響を及ぼしている。しかし、誰も反対できない言葉だけに、些事(さじ)として見過ごされてきただけなのだ。

博鰲アジアフォーラムでオンライン演説をする習近平国家主席(21日、中国・海南省博鰲)

得体の知れない習イニシアチブの本当の中身を推測できる大きなヒントとなる出来事が最近あった。習演説の直前、中国が南太平洋のソロモン諸島と結んだ安全保障協定である。こちらも具体的な中身は公表されていない。

だが、中国軍の派遣や艦船寄港を認める内容を含むとみられ、南太平洋への軍事進出につながる恐れがあるとして米国が強く反発している。ソロモン諸島のガダルカナル島は第2次大戦中、日米両軍が激突し、攻守の転換点になった歴史的な場所だ。

旧日本軍を中国軍に置き換えて考えれば、太平洋の戦略上の要衝を巡って米中両軍が将来、激突する危険性がゼロとは言い切れない。演説で高らかに平和をうたった習だが、衣の下から鎧(よろい)がのぞいている。

22日、ソロモン諸島の首都ホニアラに到着した米国のキャンベル・インド太平洋調整官=オーストラリア放送協会提供・AP

同じ目線で習演説をつぶさに観察すると、ソロモン諸島との安保協定に関連する別の側面が浮き彫りになる。太平洋を巡る経済権益に触手を伸ばし、米国に対抗する強い意志である。ひとつは、習が触れた「デジタル経済パートナーシップ協定(DEPA)」だ。さほど注目されていないが、中国は2021年11月、DEPAに加盟申請している。

シンガポール、ニュージーランド、チリが20年に合意した協定で、中国としては人工知能など先端分野の基準づくりへの参加によって域内貿易で存在感を高めたい。DEPAの3カ国はブルネイと共に環太平洋経済連携協定(TPP)の原型をつくった。中国は21年9月、TPP加盟を正式申請している。習はボーアオ演説でTPP加盟への意欲も語った。

専用機に乗り込むバイデン米大統領(25日、米デラウェア州)=ロイター

今回、中国が提起したグローバル安保イニシアチブとTPP、DEPAへの加盟意欲はすべてつながっており、一体なのだ。しかも、都合のよいことにTPP、DEPAの両枠組みとも米国の存在感は薄い。加盟を果たせば、巨大な市場を持ち、国際政治・経済上の発言力も強い中国の独壇場になりうる。

中国がユーラシア大陸の西に向かって進めてきた広域経済圏構想「一帯一路」は、ウクライナでの戦争も障害となって滞る可能性がある。中国の東側にある広大な太平洋に進出できれば、一帯一路での苦境をカバーできるというソロバン勘定は中国的には理にかなう。
「激安通販」のような中国の大宣伝

「(一帯一路など)過去の中国の対外戦略から類推すると、それはテレビ、インターネットで激しく宣伝する激安通販に似ている。宣伝文句を聞くと、今すぐ買わなきゃ損をすると思って申し込んだり、受け入れたりしてしまうが、後からかなり高く付く」。中国を長く観察してきた東アジア有力国の外交官は、経済的な要素も併せ持つ不気味な習提案に警戒感を隠さない。

中国メディアは連日、「世界が習主席のイニシアチブを評価し、歓迎している」と大々的に報じている。だが、その実、中国内の受け止め方にさえ温度差がみられる。ロシアによるウクライナ侵攻の予想外の長期化で、「親ロシア色」を強く打ち出してきた中国がジレンマに陥っている以上、手放しでは喜べないだろう。
25日、上海株式市場は5%超という歴史的暴落になった=ロイター

「グローバル安保という表面上、希望に満ちた提言だが、裏にはとてつもなく不安な(習の)心理状態が隠されている。(中国は)いま、簡単には動けない。当面は様子を見るしかない」。中国の外交・安保関係者は冷静に分析する。習の不安は国際情勢だけではない。新型コロナの再拡大で上海の都市封鎖も予想以上に長引き、経済に多大な影響が出始めた。25日、上海株式市場は、総合指数が5%超下がる歴史的な大暴落となった。外交、内政ともにトップの心配の種は尽きない。(敬称略)

中沢克二(なかざわ・かつじ)

1987年日本経済新聞社入社。98年から3年間、北京駐在。首相官邸キャップ、政治部次長、東日本大震災特別取材班総括デスクなど歴任。2012年から中国総局長として北京へ。現在、編集委員兼論説委員。14年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。』