沿ドニエストル共和国

沿ドニエストル共和国
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%BF%E3%83%89%E3%83%8B%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AB%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD

『トランスニストリア(Transnistria)、沿ドニエストル(えんドニエストル、Transdniestria、Pridnestrovie)、公式には沿ドニエストル・モルドバ共和国(えんドニエストル・モルドバきょうわこく、ロシア語: Приднестровская Молдавская Республика; モルダヴィア語: Република Молдовеняскэ Нистрянэ[注釈 1]、ウクライナ語: Придн?стровська Молдавська Республ?ка)は、モルドバ東部を流れるドニエストル川とウクライナ国境との間の細長い土地にあり、国際的にはモルドバの一部と広く認められている分離国家である。首都はティラスポリ。』

『概要

トランスニストリアは、アブハジア、アルツァフ、南オセチアの、国際的にほぼ承認されていない3つの国家にしか承認されていない[1]。

同地域はモルドバ共和国によって特別な法的地位を有するトランスニストリア自治領域単位(ルーマニア語: Unitatea teritorial? autonom? cu statut juridic special Transnistria[2])またはStinga Nistrului[3][4]5 )と定められている。 』

『経緯

ソビエト連邦の解体後、モルドバおよび分離したトランスニストリア領域との間の緊張は1992年3月に始まったトランスニストリア戦争へと発展し、同年7月の停戦によって締めくくられた。

その合意の一部として、三者(ロシア連邦、モルドバ、トランスニストリア)合同調整委員会(英語版)がこの非武装地帯(ドニエストル川両岸の20の自治体から構成される)における安全保障体制を監督している。

停戦は保たれているものの、この領域の政治的立場は未解決のままである。

トランスニストリアは未承認であるが、現在モルドバ共和国政府の実効統治は及んでおらず、独自の政府(英語版)、議会、軍隊(英語版)、警察(英語版)、郵便制度、通貨、車両登録を有する「de facto(事実上の)」独立半大統領制共和国である[6][7][8][9]。
その当局は憲法、国旗、国歌(英語版)、国章を承認してきた。2022年時点、国旗において鎌と槌を採用している唯一の国である。

2005年のモルドバとウクライナの合意後、ウクライナ国境を通って物品を輸出しようとする全てのトランスニストリア企業はモルドバ当局に登録されなければならない(英語版)[10]。

この合意は2005年にモルドバ・ウクライナ国境監視ミッション(英語版)(EUBAM)が実施された後に履行された[11]。

ほとんどのトランスニストリア人はモルドバ市民権も持つが[12]、トランスニストリア人の約半数はロシア連邦の国籍を持ち[13]、ウクライナ市民権を有する住民もいる。2015年の主要な民族集団はロシア人(34%)、モルドバ人(33%)、ウクライナ人(26.7%)、およびブルガリア人(2.8%)であった。

2022年にはウクライナとロシアの関係が緊迫し、ロシアが国境に軍を集結させてウクライナに侵攻した。このことによりウクライナに面し、ロシア軍が駐留する沿ドニエストル共和国の軍事的な存在感が注目されるようになった[14]。

現在、トランスニストリアとアブハジア、アルツァフ、南オセチアはソビエト消滅後の「凍結された紛争(英語版)」地帯である[15][16]。

これら4つの部分的に承認された国家は互いに友好な関係を維持し、民主主義と民族の権利のための共同体を形成している[17][18][19]。 』

『歴史

詳細は「en:History of Transnistria」を参照

ドニエストル川西岸の都市ベンデルを除けば、元々この地域はモルダビア公国やベッサラビアに属していなかった。

18世紀、ロシア帝国の西の国境であったこの一帯を防衛する意味もあり、ロシア人やウクライナ人が移住した。

ただし南スラブ族は、6世紀の後半からこの地域にいた。

1924年にソビエト連邦がドニエストル河東岸にウクライナ・ソヴィエト社会主義共和国(以下USSR)の構成部分としてモルダヴィア自治ソビエト社会主義共和国を創設した。その頃はルーマニア人が大部分を占めており、ルーマニア語で教える学校も開校した。

1940年(ソ連によるベッサラビア併合)と、独ソ戦でソ連がナチス・ドイツ軍とルーマニア王国軍を押し返した第二次世界大戦後にはモルダビア・ソビエト社会主義共和国の一部となる。

ソビエト連邦の崩壊に先立つ1990年のソビエト連邦末期にモルドバ民族主義の昂揚により、モルダビアからモルドバへの国名変更や主権宣言が6月23日に行われた。

これに対して、ドニエストル川左岸のロシア語系住民がティラスポリで臨時国会を開催し「沿ドニエストル・モルダビア・ソビエト社会主義共和国」(Pridnestrovian Moldavian Soviet Socialist Republic、沿ドニエストルSSR)の創設を宣言してモルドバから分離を目指した[20]。

さらに同年9月2日には、「沿ドニエストル共和国」として独立を宣言。

追って1991年8月25日に沿ドニエストル最高会議が、同領土内にUSSR憲法とUSSR法案の効果を保持する『沿ドニエストル地域の独立に関する宣言』を採択したが、翌年1992年にトランスニストリア戦争へ発展。

7月、和平協定が締結され、ロシア連邦、モルドバ、沿ドニエストル合同の平和維持軍(英語版)(Joint Control Commission, JCC) によって停戦監視が行われている。

ロシアは2003年、モルドバに連邦制を提案して拒否された[13]。

旧ユーゴスラビアでのモンテネグロ独立に影響を受けた共和国議会は2006年7月12日、沿ドニエストル共和国が国際的な独立の承認を受けた後にロシアに編入することなどの是非を問う住民投票を行うことを決めた。投票は同年9月17日に実施され、圧倒的多数で賛成票が反対票を上回った。

ところがモルドバのヘルシンキ人権委員会が当日現地に出向き出口調査等独自で監視を行ったところ、当局によって発表された70%を超えるという投票率に対し実際には10%から30%程度しか確認できなかったこと、結果に関しても少なくとも2~3倍に水増しされたか全く捏造された不公正な投票である可能性が高いと発表している。

かつ選挙当日には投票に行かない者を選挙後にルーマニアに強制的に移住させるという脅し文句で投票を強制させていた。

過去にボイコットを行った反体制的国民は有権者のリストから除外されていること。
公安や軍人がガードをしており投票所の近くに監視員が近づけないようにしていた投票場があったこと、また彼らが投票結果を改竄していたことなどが目撃されている。

この住民投票は欧州安全保障協力機構、欧州連合(EU)、アメリカ合衆国がそろってこの開催と結果を認めない声明をかねてより出している。

欧州評議会においても議長国のロシアのみがこれを認める立場を固持しているのみである。また同様の住民投票は過去に数度行われており、今回のも含めて実際の影響力、ましてや拘束力は乏しいものといえる。

しかし2014年クリミア危機によって成立したクリミア共和国が、ロシアへの編入を求めた結果、ロシア側から承認された。これを受けて、沿ドニエストル共和国政府は再びロシア下院に対してロシア連邦への編入を求めた[21]。 』

『政治

イーゴリ・スミルノフ
「en:Transnistrian Declaration of Independence」を参照

元首は大統領であり、大統領は国民による選挙で選出される。長くスミルノフ大統領による統治が続いたが、議会やシェリフ・グループ、さらには駐留ロシア軍(約2000人[13])、ロシア資本の意向も絡まり、一概には独裁体制と言えない政治状況にある。

2011年には選挙による政権交代が実現した。1940年代から1960年代のソビエト連邦のような政治文化が街中に色濃く残っているが、2代目大統領シェフチュクによる自由化の流れも見られる。

軍事、経済をロシアに頼っており、欧米寄りのモルドバに対してロシア寄りの政策を採っている。旧ソ連軍の備蓄した膨大な量の武器を保有しており、国際的な武器密輸疑惑で非難を受けている。

モルドバ本土との自由な往来は可能である[13]。モルドバの中央選挙管理委員会は、沿ドニエストル共和国の住民がモルドバ政府の支配地域に来れば、モルドバの国政選挙への投票が可能であるとの見解を示している[22]。

外交

2006年6月14日に、アブハジア共和国、南オセチア共和国、沿ドニエストル共和国の3か国の大統領が、スフミで会談を行い、共同声明の形で民主主義と民族の権利のための共同体の設立を宣言した。この共同体にはアルツァフ共和国(ナゴルノ・カラバフ)も参加している。

沿ドニエストル共和国は、これら旧ソ連の、国際的にはほとんど国家として承認されていない3カ国との相互承認を行っている。ロシアは約2000人[13]あるいは約1500人の兵力を駐留させ、天然ガスを無償で供与し、実質的に支援している[22]。 』

『地理

沿ドニエストル共和国の地図

ドゥボッサールィ地区の地図。緑がモルドバ共和国、紫が沿ドニエストル共和国の実効支配地域。

モルドバ共和国のドニエストル川東岸からウクライナとの国境までの南北に細長い地域を主な領土としている。なお、川は直線ではなく蛇行しており、ウクライナとの国境は直線でジグザグした部分も多い。

しかし、全ての領土(実効支配地域)が東岸にあるわけではない。

例えば、沿ドニエストル共和国が実効支配しているベンデルはドニエストル川西岸に位置している。

一方、東岸にあるコシエリ(英語版)という都市はモルドバ共和国の実効支配下にある。
また、中部のドゥボッサールィ地区(モルドバ語名ドゥベサリ)ではモルドバ共和国の実効支配地域が大きく食い込んでおり、分断されているところもある。

なお、その分断地域(モルドバ共和国実効支配地域)を横切る道路(沿ドニエストル共和国の南北間を結ぶ)は、沿ドニエストル共和国領となっているためモルドバ共和国の飛地が存在する。 』

『地方行政区分(※ 省略)』

『国民

民族構成は、ルーマニア(モルドバ)系が31.9%、ウクライナ系が28.8%、ロシア系が30.4%。

1990年代の経済低迷により移民する人が多く、1989年に546,400人だったこの地域の人口は、2001年には633,600人までに増加した。ただ、年齢構成が高齢傾向にある。2015年の推計人口は475,665で2004年と比べ7万人以上減少した[23]。 』

『経済

GDP(国内総生産)はおよそ10億ドル。また、独自通貨たる沿ドニエストル・ルーブルが国内で流通している。シェリフ・グループ(ロシア語版)と呼ばれる企業グループがスーパーマーケット、ガソリンスタンド、携帯電話会社などを経営しており、大きな影響力を持っている。

国際法的にはほとんど承認されていないが、貿易は約80カ国との間で行われている[22]。ロシアは天然ガスを実質無償で供給し、病院・学校の整備や年金支給を通じても支援している[13]。

工業

ソビエト連邦時代から重化学工場が立地しており、モルドバで消費される電力の約8割がドニエストルで発電されている[13]。現在でも鉄鋼、セメント、繊維の工業が盛んである。
農業

反面で農業はモルドバと比べると生産量に乏しいものの、温室栽培で青果物を生産していることから品質が比較的良いものが収穫出来ると言われている。[誰によって?]

2016年にロシアは自国空軍の戦闘機をトルコによって撃墜された事件への報復としてトルコからの物品の輸入を禁止したが、その代償として輸入の主要品物となっていた青果物を失うこととなった。これを受け、沿ドニエストルは代替の青果供給地として名乗りを上げており、特にトマトの供給に対しては積極的にアピールをしている[注釈 2][24]。』