対ロ制裁が暴くグローバル金融の闇 独裁政権と深い縁
編集委員 吉田ありさ
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD315WN0R30C22A3000000/
『「いつでもご相談を」。ロンドンで不動産取引に関わる金融機関、法律事務所、会計事務所が海外顧客の対応に動きだした。海外から匿名で英不動産を購入できる制度が変わり、まもなく所有者が情報開示を迫られるようになるためだ。開示の回避策や代替投資先の助言を求める顧客にも応える。
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引き金は英議会で3月15日に成立した「経済犯罪法」。海外のペーパーカンパニーを隠れみのにしたマネーロンダリング(資金洗浄)や経済制裁逃れをあぶりだすため、実質所有者がわかる登記制度を設ける。虚偽申告が見つかれば刑事罰の対象となる。
所有者の開示求める法律、ウクライナ侵攻で急きょ成立
法案は2018年に用意された後、棚上げ状態だったが、ロシアのウクライナ侵攻を受け緊急立法となった。標的はプーチン大統領に近い新興財閥(オリガルヒ)とはいえ、網は全ての投資家にかかる。関連業界にさざ波が広がる。
サッカーチーム、チェルシーの前オーナー、アブラモビッチ氏(2011年撮影)=ロイター
英国はサッカーの強豪チェルシーのオーナーとして知られる富豪ロマン・アブラモビッチ氏らオリガルヒ個人に対する資産凍結などの制裁も次々に決めた。前のめり姿勢の背景には同国の首都が「ロンドングラード(グラードはロシア語の〝都市〟の意味)」と呼ばれるほどオリガルヒの富の集積地であるという実情がある。
なぜそうなったか。理解するには歴史をひもとく必要がある。格好の水先案内人となる本「Butler to the World(世界の執事)」が最近出た。執事とは富裕層に「報酬さえはずめば資産管理から住宅、名誉まで何でも提供する」英国を指す。著者オリバー・バロー氏はロシアでジャナーリスト経験を積んだ後、経済犯罪に関する著書で名をあげた。
バロー氏によると、全ての発端は1956年のスエズ危機だった。エジプト侵攻後に米国の圧力で撤退する屈辱を経て英国は国際金融センターとして再生を目指し、世界中の富豪マネーの面倒をみる「執事」に変身していく。舞台は「共産圏諸国によるドル預金の米国から欧州への預け替えから発展したユーロ市場」(1986年4月発刊の日本銀行金融研究所「金融研究」第5巻第2号)。1991年のソ連崩壊後にオリガルヒ御用達となるのは必然だった。
旧地下鉄駅もオリガルヒの手に
問題は顧客の機嫌を損ねることなく犯罪に絡む「汚いマネー」の流入を防げるか。バロー氏が活写した事例のなかでも目を引くのはロンドンの地下鉄駅を巡る逸話だろう。
ウクライナ出身のオリガルヒとして知られるドミトロ・フィルタシュ氏(2015年撮影)=ロイター
ジョンソン英首相がロンドン市長だった2014年2月、高級百貨店ハロッズに近い閉鎖された地下鉄駅が売却された。第2次大戦中は地下司令室として使われた由来付き物件の売り手は英防衛省、買い手は露ガスプロムと関係の深いウクライナ出身のオリガルヒ、ドミトロ・フィルタシュ氏。他を圧倒する入札価格だった。
直後の14年3月、世界がロシアのクリミア併合に揺れるなか、フィルタシュ氏はオーストリアで米司法当局の要請により身柄を拘束された。容疑は贈賄だ。
米当局によるフィルタシュ氏の疑惑調査は報道されていたが、直前まで英外務省は同氏にクリミア問題について意見を求め、ケンブリッジ大学は寄付を受け続けた。「英政府は経済繁栄の施策と安全保障問題の狭間で緊張を抱え続けた」(2020年7月英議会委員会のロシア報告書)
西側が甘えた独裁政権の「富豪マネー」
英国では9万件以上の不動産購入が英領バージン諸島などの海外法人経由で所有者名を開示していない。高額の物件には15%と割高な印紙税がかかり、英政府の歳入となる。非政府組織(NGO)、トランスパレンシー・インターナショナルUKの推計では、15億ポンド以上は経済犯罪かプーチン政権との関係で告発されたオリガルヒ所有。本国で稼いだ富の貯蔵手段とみられる。
普段は無人の豪邸も多く、オリガルヒ本人と遭遇することはまずないが、筆者は一度経験した。2000年代半ば、国際金融機関のロシア向け資源プロジェクト融資の記者会見。壇上で説明する職員の傍らで高級ブランドのジーンズ姿の男女が寄り添って談笑していた。見ていると近くの記者が「オリガルヒ」と名前を耳打ちしてくれた。
「独裁政権に絡む富豪マネーが西側市場に環流するシステムが独裁国家を支えた」。経済学者ダロン・アセモグル・マサチューセッツ工科大学(MIT)教授は3月8日の言論サイト「プロジェクト・シンジケート」への寄稿でオリガルヒに資金洗浄の機会を与えた拠点としてロンドン、スイス、ルクセンブルク、キプロス、英領ジャージーなどを列挙。ロシアに限らず「湾岸諸国や中国、インドなどのマネーにも西側金融機関が関与しており、民主主義国の汚点となった」と警鐘を鳴らした。
直視すべきは個々のオリガルヒの罪だけでなく、マネーの受け皿となる合法的な制度、ビジネスに潜む闇の深さだ。資金の出所を追及しない富豪フレンドリーな制度でマネーを集める拠点は英国だけでなく世界中にある。まっとうなマネーの環流に腐敗マネーが紛れても〝執事〟は稼ぎが増えるだけ。自ら声を上げ変える動機は働きにくい。
矢継ぎ早の制裁、疑問の声も
英ジョンソン首相はロシアへの制裁を打ち出したが、実効性を疑う見方も多い=AP
ウクライナ侵攻後に英国は怒濤(どとう)の措置で制裁体制をてこ入れ。厳格に適用すれば圧倒的な成果を得るはずだが「抜け穴が多い」と実効性を疑う声が英メディアには多い。一方で制裁対象のオリガルヒ邸宅を避難民支援に使うよう求めた政治家の提案には「国の裁量で財産権を侵害するのは行き過ぎ」と暴走を危ぶむ声もある。
グローバルな金融システムを殺すことなく、どう「汚いお金」を取り除いていくのか。もぐらたたきでなく、透明性を高めて事後検証を容易にすることで抑制する術はないか。英国だけでなく民主主義国家が協力して新たな「ろ過システム」を考える時だ。日本も対岸の火事と軽視していたら、いつか火傷しかねない。
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