南部の民間人を、南軍の野営地に追いやるというのがシャーマン軍(※ 南北戦争の時の、北軍の将軍)の方針だった。

南部の民間人を、南軍の野営地に追いやるというのがシャーマン軍(※ 南北戦争の時の、北軍の将軍)の方針だった。

 ※ ウンザリする話しだが、「戦争」とか「占領」とかにおいては、「人間の飢餓状態のコントロールが、非常に重要な要素である。」という話し…。

 ※ 食わないと、死んじまうからな…。

 ※ また、「半飢餓状態」だと「コントロール」が効きやすい…。

 ※ 「食い物」で釣って、いかようにも「仕置き」が可能となる…。

 ※ 日本でも、秀吉の「干し殺し・飢え(かつえ)殺し・水攻め」が有名だ…。

(干し殺し・飢え殺し・水攻め
 https://paomaru.dousetsu.com/file/05_senjutu_024.html 

 『戦国時代には多くの名城が存在し、多くの大名は日本中に存在する数百とある城に救われたり困惑させられたりしました。数の劣勢を跳ね返す城を陥落させなければ相手の領土は奪えない。かと言って、城を落とすには多大な被害をもたらすことになる。

誰もが嫌う城攻めでしたが、特異な武将がいて、これを得意戦術にする英雄がいました。
ご存知、天下人の豊臣秀吉です。平地で行われる野戦では常に相手より多い兵力を持って勝利し、三倍の兵力を持ちながら家康に敗れた経歴があることから彼の戦術能力は疑問符をもたれていることが多いですが、その城攻めの巧妙さは誰もが認めるところです。

ちなみに妙に評価の低い信長や秀吉の野戦能力についてフォローをしておけば、彼らが直接指揮した戦闘は九割近くが勝利であり、敗北は彼らが戦場にいない時が多いという、大勢力の長であり全てを自分で指揮できないという事情があったことを忘れてはいけません。

ちなみにヨーロッパの大英雄であるナポレオンも同様の傾向があり、彼も部下の敗北を考えないと生涯勝率はかなり高いです。

さて、話を城攻めに戻します。秀吉は城攻めを得意としていました。城を力で陥落させることが得意だったのではありません。

彼の得意技は、血を流さずに勝利する兵糧攻めでした。中でも有名な三つが干し殺し・飢え殺し・水攻めの三つであり、その他にも秀吉のために陥落した城の数は数えられません。特に注目すべきなのは『飢え殺し』と『水攻め』です。

『飢え殺し』は鳥取城を包囲した時の戦いだったのですが、秀吉は戦いが始まる前に周辺の食料を高値で買いあさったと言います。その後に軍を進めて城を包囲。食料を売り払ってしまっていた鳥取城は兵糧に事欠き、なんとわずか三ヶ月で開城してしまうという有様でした。

次に紹介する『水攻め』は秀吉の城攻めの代表例みたいなものでしょう。低湿地に建設された高松城は難攻不落の要塞で、数倍の兵をそろえた秀吉はこの城を陥落させることができませんでした。しかし、部下からの奇策を採用した秀吉は、その攻めにくい地形を逆手に取って川の水を城の近くに流し込み、建設させた堤防で水を逃がさず城を水没させてしまいます。

完成した水攻めによって、高松城は水に浮かぶ島のような有様になってしまったとされ、結局これに士気を砕かれ城主の切腹と共に開城されることになります。

兵糧攻めは味方に出る被害が少なく、非常に優れた戦術です。しかし、包囲を続けるための補給戦の確保やその防衛、さらに必要とされる時間から非常に困難なものであり、城を陥落させられずに撤退する軍が多かったことは多くの戦史が物語っています。

城攻めを得手とする秀吉でさえ二年以上かけて陥落させた城がある以上、兵糧攻めの難しさは並大抵のものではなかったことでしょう。 』)

Mitchell G. Klingenberg 記者による2022-3-31記事「William Tecumseh Sherman knew the enduring cruelty of war」。
https://st2019.site/?p=19082

『北軍のシャーマン将軍が1864-9に南部アトランタ市を占領したとき、住民のエバキュエートを保証し、その援助もしている。

 アトランタの住民を追い立てた後で、シャーマン軍は、海岸のサヴァナ市へ向かって行軍し、そこに新基地を設けた。

 南部の民間人を、南軍の野営地に追いやるというのがシャーマン軍の方針だった。

 かたわら、半飢餓状態で北軍の捕虜になった大量の南軍兵士たちには、給養をしてやっていた。』