日本も紛争当事国、平和な日常に潜む「非暴力」の脅威

日本も紛争当事国、平和な日常に潜む「非暴力」の脅威
学び×国際紛争(1)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOKC0699L0W2A100C2000000/

『民族や宗教の違いに端を発した対立から、核兵器の拡散、資源や領土・国境をめぐる国家間の緊張――。「国際紛争」という言葉に、軍事的衝突を思い浮かべる人は多いはず。でも近年では、政治介入やサイバー攻撃など非暴力行為が主流になりつつあります。政府間だけでなく民間人や民間企業に対処が求められる場面もあり、太平洋戦争終結以降、長年にわたって平和を享受してきた日本人にとっても決してひとごとではないのです。

漫画好きで知られる麻生太郎前財務相が番記者に薦めたことで話題になった「紛争でしたら八田まで」(田素弘著、講談社)。地政学リスクの知識を武器に、世界中で様々な紛争や事件を解決する女性コンサルタントの活躍を描いた連載中の漫画です。今回の「学び」編では、この作品を監修している東京海上ディーアールの主席研究員、川口貴久さんに国際紛争について解説してもらいます。


そもそも「戦争」「紛争」とは?

現代の国際紛争の特徴を理解するため、国際紛争の典型である「戦争」の位置づけの歴史的な変遷をおさえておきましょう。

まず、戦争を論じるうえで欠かせないのが「正戦論」です。目的や理由によって戦争を「正しい」「正しくない」と区別する理論で、17世紀までに西欧で確立しました。キリスト教の教義が起源で、自己防衛や攻撃者への制裁・処罰、財産権を回復するための戦争は正しいものとされました。中世から続く際限なき戦争の発生を制限することが目的でした。

一方、キリスト教新旧両派の宗教対立による30年戦争を終わらせたウェストファリア条約が1648年に締結され、欧州では主権国家体制が成立しました。これを契機に西欧の絶対的な権威のキリスト教の影響力は低下し、正戦論は単なる観念論として廃れていったのです。

18~19世紀には「無差別戦争観」が主流になりました。全ての主権国家は戦争を行う自由・権利があるという考え方です。「戦争論」で知られるプロイセンの軍人クラウゼヴィッツが「戦争は他の手段による政治の延長」と主張するように、近代を代表する戦争観とされ、帝国主義の列強が戦争を繰り広げました。

その結果、20世紀前半~半ばに第1次、第2次世界大戦が勃発しました。多くの犠牲を払う悲劇を二度と繰り返さないために、国際連盟規約(1919年)やパリ不戦条約(28年)、国際連合憲章(45年)といった条約で戦争を違法化する動きが広がりました。さらに核兵器の誕生、米ソ冷戦下の同盟関係による勢力均衡、経済的相互依存の深化で、大国間の全面戦争は現実的ではなくなっていったのです。


「ハイブリッド戦争」の台頭

では現在、戦争はなくなったのでしょうか? 答えは「ノー」です。世界各国に異なる利益がある限り、火種は決してなくなりません。もし伝統的な全面戦争となれば両当事者とも大損害は免れず、国家の存亡に関わる事態にもなりかねません。

米ペンシルベニア州立大などが調査した、国家間武力衝突データセットによると、確かに21世紀以降、大国間戦争はほとんど確認されていません。それでも、戦争「未満」の武力行使や軍の動員は20世紀後半と同水準にあります。

国際紛争の新たな形として注目されているのが「ハイブリッド戦争」です。軍事戦略の一つで、正規戦や非正規戦、サイバー戦、情報戦などを組み合わせていることが特徴です。言い換えるなら、①正規軍の戦争行為には至らない軍事活動②軍事以外のあらゆる手段による準戦争行為――で相手を弱体化させて領土拡張などの現状変更をしかけようとする考え方です。
主流は「非正規」な戦闘に

2014年のロシアによるウクライナ南部クリミア半島の併合は、ハイブリッド戦争の典型例とされています。クリミア危機の初期、クリミア議会や空港を占拠した武力勢力はロシア軍とみられていますが、彼らは正規軍の制服や腕章を身につけていなかったため外形的には正体不明でした。

その後、プーチン政権はロシア系住民の保護を目的にクリミアに派兵します。この状況下でクリミアのロシア編入に関する住民投票が実施されました。クリミア併合は国際法で禁じられた侵略行為によってではなく、クリミア住民が望んだものだと国際社会に印象付ける狙いがあったとされています。

このように国家の戦略目標を達成する手段としては、正規軍同士による戦争よりも非正規の戦闘が現代の戦争の主流になりつつあります。


際限なく拡大する領域・手段

中国では1999年に「超限戦」が提唱されました。軍事と非軍事、戦場と非戦場、戦闘員と非戦闘員の間に境はなく、平時から競争相手にあらゆる手段で戦争を遂行すべきだという考え方で、ハイブリッド戦争よりも広い概念として捉えられています。


中国は台湾への軍事的・経済的手段での影響力行使を展開している=ロイター

近年注目される台湾をめぐる問題は国際紛争の伝統的側面と新しい側面を備えています。中国は東沙諸島の制圧や台湾島の封鎖といった伝統的な軍事行動を起こす場合、同時にサイバー攻撃や偽情報の流布を実行することはほぼ確実です。平時においても、経済的手段による影響力行使が繰り広げられています。中国が大陸から台湾への旅行者数を「絞る」ことは、台湾経済への打撃を狙った典型例といえます。

国際紛争は、戦車、艦船、戦闘機、ミサイルだけで繰り広げられるのではありません。経済的相互依存やデジタル技術の革新が進むなか、国際紛争の領域や手段は際限なく拡大しています。日本は朝鮮半島や台湾海峡といった伝統的な意味での軍事衝突に巻き込まれるリスクにさらされながら、新しい国際紛争においてはすでに当事者でもあります。

平時であっても何かしらの形で損害を被るような脅威にさらされているのです。正確に言えば、常に「平時」とは断定できず、有事と平時の中間にある「グレーゾーン」という見方もあります。しかも攻撃の対象は政府や軍の関係者だけでなく、民間企業や一般市民まで無差別に広がっています。

次回からは、認知空間やサイバー空間における戦争、経済的手段による戦争を紹介します。

(井上航介が担当します)

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