中国の脱貧困村の現実 「豊かさ」実感、自立は遠く

中国の脱貧困村の現実 「豊かさ」実感、自立は遠く
大中国の時代
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『上下水道や道路など生活インフラもままならない小さな農村に「豊かさ」をもたらしたのは指導者のスローガンだった。

中国内陸部の重慶市中心部から長江を500キロほど下った巫山県双竜鎮。大型クルーズ船で長江の風景を楽しむ「三峡下りツアー」で知られる農村に2021年5月、大型の観光施設「石上生花」が開業し、地元経済を潤し始めている。

率いるのは地元育ちの劉小紅(55)。音楽教師から長江下りの観光業などで成功していた実業家だ。国家主席の習近平(シー・ジンピン、68)が15年に「脱貧困」政策を打ち出すと習側近の重慶市トップ、陳敏爾(61)も政策を推進。かねて「地元に貢献したい」と考えていた劉小紅が石上生花を開業する追い風となった。

21年5月に大型の観光施設「石上生花」を開業した劉小紅

総投資額は約1000万元(約1億8000万円)にのぼる。80ヘクタールほどの敷地に100種類以上の草花を植え、子どものための遊戯施設やレストランなどを建てた。地元政府が電力や上下水道などのインフラを整え、施設の運営は劉小紅が6割、地元の農民らが4割の株式を持つ企業が担う。開業以来、ピーク時には1日1万人余りの観光客が来場し、にぎわいをみせる。

80ヘクタールほどの敷地に100種類以上の草花を植え、子どもが遊ぶ遊戯施設やレストランを建設した大型の観光施設「石上生花」

双竜鎮白坪村で育った劉道学(64)はその恩恵を受けた一人だ。3年前に建設工事を始めた石上生花に農地を貸し出し、自らも植栽を担う職員として働く。年2万5500元の収入を得るようになった。それまでは家庭収入で1万元がやっとの生活だった。

家族を巡る環境も大きく変わった。自身は福建省の建設現場に出稼ぎに出ていた。土壁の家は崩れかけていて住めず、持病を持つ妻、離婚して故郷に戻ってきた娘とその子ども、94歳の母親はそれぞれ「親戚や友人の家に仮住まいする状況だった」と打ち明ける。

バラバラだった家族は自分の家で住めるようになった。「習主席の脱貧困政策があったから生活が改善している。家庭収入は5万元まで増えて希望の光がみえてきた」と話す。将来の夢を尋ねると「車を買いたい」と笑顔をみせた。

叔父と談笑する楊開桂㊨

白坪村からほど近い安静村でも貧困層から脱出できた人がいる。農業を営む楊開桂(56)は毛沢東の肖像画の前で、叔父とお茶を楽しむ余裕ある生活ができるようになった。

習の脱貧困政策に基づく貧困層の認定を受けて「3人の娘の学費や自宅建築などで補助を受けた」と振り返る。娘のうち2人は短期大学を卒業して重慶市中心部で働く。娘らの仕送りもあり家庭収入はかつての5倍にあたる年5万元まで増えた。

「生活は確実に改善している」と強調する楊。さらに近く高速道路も開通する予定で「娘も頻繁に帰郷してくれるようになる」と喜んでいた。

双竜鎮では鎮トップの易前聡(45)が習の唱える脱貧困政策の実現を陣頭指揮する。

地場の農作物と観光を融合した振興策を掲げ、2000キロ離れた山東省煙台市に協力を求めた。観光や農業施設の建設資金の一部負担や田畑の改良だけでなく、ブドウなどの果実栽培やネット販売まで幅広くノウハウの提供を受けた。

煙台市が双竜鎮に投じた資金は累計で1317万元(約2億4000万円)に達する。易は「この5年で6654人いた貧困層を完全に解消できた」と胸を張る。

先に豊かになった沿海部が内陸部の貧困地域を支援するのは中国独特の発展のロールモデルだ。先に豊かになった者が後の者をけん引するという鄧小平の「先富論」から、格差縮小に向けて分配を重視する習が唱える「共同富裕」につながる手法とされる。

ただ「脱貧困」の継続は容易ではない。インフラ整備や観光居施設の建設などによって一時的に押し上げられた側面は大きい。重慶の脱貧困対策資金の9割は重慶市など大都市からの支援が占める。地域で自立した経済構造にできなければ持続可能性は期待できない。
指導者のスローガンで喚起された「豊かさ」はもろい。地方で脱貧困を達成しても若者の多くは都市部に出稼ぎに行ったままだ。劉道学は「地元に残って働くのは私のような高齢者ばかり。貧困からは脱出できたが、私自身に何かあれば将来はすぐに不透明になる」と不安を漏らす。(敬称略)

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