【地球コラム】カザフの「天安門事件」(下)

【地球コラム】カザフの「天安門事件」(下)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2022011700380&g=int

『 ◇トカエフとは何者か

【地球コラム】カザフの「天安門事件」(上)

 中央アジアのカザフスタンで年明け早々、燃料価格高騰に端を発した反政府デモが瞬く間に全土に広がり、治安部隊との衝突などで200人以上の死者を出した。トカエフ大統領は、治安権限を掌握するとともにデモ隊を「テロリスト」と呼んで射殺を命令。同じ旧ソ連構成国で2020年に民主化運動が弾圧された東欧ベラルーシのように、さらなる強権化を進めている。

 報道を通じたこうした受け止めは間違ってはいないが、あくまで表面的なものにすぎない。カザフは、伝統的な部族社会と旧ソ連的な強権支配が「神仏習合」したような体制で、内実は極めて複雑だ。逆に内政や指導者像を見ていけば、ヒントが隠されていることが分かる。筆者も含めて内外のウオッチャーが指摘している最大の出来事は、旧ソ連末期から「国父」として30年以上影響力を保持したナザルバエフ前大統領が失脚したという点だ。

 ナンバー2の上院議長だったトカエフ大統領は2019年、高齢で辞任したナザルバエフ前大統領から政権を託され、当初は「つなぎ」や「操り人形」との評価もあった。ところが、徐々にナザルバエフ派を追放。この1月の混乱の中で(あるいは混乱に乗じて)権力闘争が繰り広げられ、トカエフ大統領が勝利したもようだ。

 トカエフ大統領は旧ソ連外務省「チャイナスクール」(中国語研修組)出身で、1989年の天安門事件を目撃している。スーツを着た元外交官として外見はスマートだが、この原体験が強硬対応に少なからず影響しているのではないかという見方もある。(時事通信社・前モスクワ特派員 平岩貴比古、2回連載・内政編)

◇逆風下で攻勢

 昔は騎馬民族が駆け抜けた草原のカザフ。ロシア帝国、ソ連時代を経て独立したこの資源国は、国父(エルバシ)と呼ばれるナザルバエフ前大統領が支配してきた。エリートのソ連共産党政治局員で、ゴルバチョフ元大統領から「副大統領」職を打診されたほどの大物。ロシアのプーチン大統領も一目置いていた。

 憲法改正で「終身大統領」に道が開かれていたが、78歳だった2019年に辞任。中央アジアでやはりワンマン体制を敷いたウズベキスタンのカリモフ初代大統領がその3年前、78歳で急死していたことも、背中を押したもようだ。金と権力を握るナザルバエフ一族の安泰が続くよう「院政」のシナリオを選択したとみられた。

 後を継いだ外交官出身のトカエフ大統領は、首都アスタナを前任者のファーストネームの「ヌルスルタン」に改称し、忠誠心をアピール。自分が務めた上院議長(大統領が欠けた場合の継承順位1位)のポストに、ナザルバエフ前大統領の長女を就ける配慮も見せた。もっとも、1年ほどで長女を解任して遠ざけるなど、独自路線は芽生えつつあった。

 1月初め、自動車燃料などに使われる液化石油ガス(LPG)価格が2倍に高騰すると、反政府の傾向が強い西部マンギスタウ州でデモが発生。最大都市の南部アルマトイを含め、全土に飛び火していった。強権でデモを押さえ込んできたカザフでは異例の事態。トカエフ大統領は逆風にさらされつつも、あえて攻めの姿勢に出た。

◇国父派を一掃

 トカエフ大統領は1月5日、ナザルバエフ前大統領を最重要ポストの安全保障会議議長から解任した。これは自身にもにらみを利かせていた治安機関を掌握するとともに、院政を終わらせることを事実上意味する。表向きは危機に対する「挙国一致」が宣伝されたが、国父は公の場からしばらく姿を消した。ナザルバエフ一族が乗ったとみられるプライベートジェットが、不動産を持つアラブ首長国連邦(UAE)や隣国キルギスなどに向かったとの情報も流れた。

 トカエフ大統領はこの日、非常事態宣言を出して反政府デモの武力鎮圧に乗り出すとともに、失政の責任を取らせる形で内閣を退陣させた。インターネットが遮断される中で流された国民向けのテレビ演説では、デモ隊を「テロリスト」と呼んで非難。ロシア主導の軍事同盟、集団安全保障条約機構(CSTO)に平和維持部隊の派遣を要請するなど、動きは迅速だった。

 ナザルバエフ前大統領が失脚したという「状況証拠」を挙げよう。トカエフ大統領は、自分が安全保障会議議長を兼任した上で、旧ソ連国家保安委員会(KGB)の流れをくむカザフ国家保安委員会(KNB)の上層部を刷新。ナザルバエフ派の追い落としを図った。一族の中でもおい(弟の息子)であるアビシ第1副議長の影響力をそごうと、同じポストに自身の側近のヌルトレウ大統領府副長官を送り込んだ。トカエフ大統領が国連欧州本部トップだった当時、ジュネーブ駐在の外交官として支えた懐刀だ。

 続いて、ナザルバエフ派であるKNBのマシモフ議長も解任。後任には、トカエフ大統領のSPとして信頼を得た国家警護局(SGO)のサギムバエフ長官を任命した。つまり、治安機関をトカエフ派でほぼ固めたことになる。

◇弾圧か、クーデターか

 治安機関トップのマシモフ議長は解任後の1月6日、国家反逆容疑で拘束された。トカエフ大統領は反政府デモをめぐる英語のツイート(後に削除)で、外国人を含むテロリストら「2万人」に攻撃を受けたと決め付けていた。主張の真偽や是非はともかく、治安維持に落ち度があったことを口実に、ナザルバエフ派を一掃したもようだ。

 ナザルバエフ前大統領の出国説などが飛び交う中、スポークスマンは「首都ヌルスルタンにいる」「安全保障会議議長ポストは自主的に返上した」と説明した。しかし、トカエフ大統領はかばうどころか、11日の演説で「国父のおかげで富裕層が生まれた」と格差の広がりを遠回しに批判し、富の再分配を訴えた。権威失墜はもはや火を見るより明かだろう。

 30年前のソ連崩壊時にレーニン像が倒されたように、地方では「ナザルバエフ像」が引きずり落とされた。デモ隊は「年寄りは去れ」と連呼し、実際に一連の解任でナザルバエフ派は力を失った。反政府デモは、対応を誤ればトカエフ大統領自身も政権の座から転落しかねないところ、権力闘争にたくみに利用した格好だ。実力者による院政を終わらせたという意味において「クーデター」に似た動きが見られたと言ってもいい。

 年明けのカザフ情勢について、カーネギー財団モスクワ支部のリポートは次のように結論付けている。「結果的にトカエフ大統領が最大の受益者かもしれないが、危機をプロデュースしたとは言えない。恐らくとっさに権力掌握のチャンスに利用したのだろう」。われわれの前に浮かび上がったは「策士」トカエフ大統領の姿だ。

◇デモの原体験

 国連で要職を務め、欧米とも関係を築いていたトカエフ大統領が、デモ隊に対して流血の事態も辞さない姿勢を取ったことに、国際社会の動揺は大きい。異例のロシア軍などの派遣要請に続き、警告なしでデモ隊の射殺まで容認しており、バイデン米政権も自制を強く呼び掛けた。一方、隣国・中国はカザフ支持を表明している。

 実のところトカエフ大統領は、リベラルというよりも保守的な思想の持ち主で、民主主義よりも権威主義の信奉者なのかもしれない。そのキャリアはソ連外交官として始まる。名門のモスクワ国際関係大で学び、外務省入りしてシンガポールに駐在。1980年代後半には在中国大使館で勤務し、天安門事件を目の当たりにした。若き日にゴルバチョフ元大統領の通訳も務めたというこの中国語専門家は、著書の中で事件を次のように回想している。

 「100メートル離れた場所で人の海が荒れ狂っていたのに、宴会は平穏かつ友好的な雰囲気で行われた」。1989年のゴルバチョフ元大統領訪中時の様子を振り返ったもので、民主化を求める学生らへの冷めた視線が伝わってくる。

 ロシアの政治アナリストは、反政府デモに関して「トカエフ大統領は駆け出し時代に天安門広場で改革を求める若者の大規模デモを目撃しており、今回のような事態に発展するのを常に恐れていた」と指摘している。国際派の大統領が「反ナザルバエフ」を掲げるデモを権力闘争に利用しながら、天安門事件のように市民を弾圧したとすれば、皮肉というほかないだろう。 』