キリンのミャンマー合弁暗雲 従来型のリスク管理に限界

キリンのミャンマー合弁暗雲 従来型のリスク管理に限界
編集委員 渋谷高弘
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGH083EO0Y1A201C2000000/

 ※ 仲裁とは、お互いが納得する「仲裁人」をあらかじめ定めておき、その「仲裁人」の「仲裁判断」には、「従う」ということを「約束(契約)」しておくという形の「紛争解決方法」だ…。

 ※ こういう風に、「国と国とをまたぐ、”渉外案件”」は、紛争解決が相当に困難となる…。

 ※ 「裁判」「判決」至上主義的な発想をする人も多いと思うが、こういう”渉外案件”の場合、どの国の法律が適用されるのか、どの国のどの裁判所が管轄権を持つのか…、という「出発点」自体が、「紛争」となる…。

 ※ いずれ、あらかじめの「契約」が拠り所となるが、「想定外」「取り決め(契約)外」のことが生じることが多々ある…。

 ※ ましてや、このキリンの問題のように、「経済的な利益」以外のことが、「問題となること」は、「想定して」いないだろう…。

 ※ 「経済活動」とは、「互いに経済的な利益を得ること」が話しの中心で、「国際社会における、正義を追求すること」は、本来の活動目的ではなかったハズだ…。

『キリンホールディングス(HD)がミャンマーにおける国軍系企業との合弁解消で苦闘している。国軍系企業に持ち分を手放してもらうようシンガポールで国際仲裁に打って出たが、前途は険しい。国軍系企業は現地の裁判で先行している。国際仲裁は従来の事業リスクの回避策としては有効だったが、「人権」「環境」といった新たなリスクに対応するため、企業は意識改革や事前調査を強める必要がある。

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「キリンとしては合弁を解消した上で事業を継続したい」(磯崎功典社長)。キリンは6日、シンガポール国際仲裁センター(SIAC)に仲裁を申し立てた。仲裁をテコに、キリンHDが51%、国軍系企業のミャンマー・エコノミック・ホールディングス(MEHL)が49%出資する現地の合弁ビール会社「ミャンマー・ブルワリー」について、MEHLの持ち分の売却を迫る戦略のようだ。

ミャンマーでは2月に国軍によるクーデターが発生した。キリンはMEHLとの交渉で、別の現地企業などにMEHLの持ち分の売却を促す考えだった。しかしMEHLは非協力的で、11月にはキリンに無断で合弁会社の清算をミャンマーの裁判所に申し立てた。キリンは「合弁契約などに違反している」と反発し、国際仲裁に踏み切った。

会社清算の司法手続きが先行

とはいえ、キリンにとって情勢は厳しい。17日には、ミャンマーの裁判所で第2回目の手続きが進むなど、合弁会社を清算する案件が先んじる。対する国際仲裁の手続きは一般には1~2年以上かかるため、現地の司法手続きが先行する。仮にキリンに不利な結論が出た場合、キリンは「(日本とミャンマー両政府が結んだ)投資協定に基づく政府間交渉という場も使わせてもらう」(磯崎社長)とする。

数年後に国際仲裁でキリンに有利な判断が出ても、MEHLが従う公算が大きいとはいえない。ミャンマーは仲裁判断を尊重することを定めた国際条約に加盟している。ただ、同国の仲裁法は「ミャンマーの国益に反する場合は、承認・執行を拒否できる」と規定する。MEHLはこの規定を盾に、仲裁判断に従わない可能性がある。いずれにせよ、キリンにとって先行きは極めて不透明だ。

従来の国際ビジネスの感覚でいえば、キリンのリスク管理に不備があったわけではない。SIACに仲裁を申し立てられたことがそれを証明する。合弁事業では紛争となった場合に備え、解決手段を契約で合意しておくのが一般的だ。現地の裁判では不利になりかねないからで、仲裁地はロンドンやシンガポール、香港などが選ばれることが多い。

日本貿易振興機構(ジェトロ)などによると、2020年にSIACに申し立てられた仲裁は1000件を超え、世界シェアはトップ級。国際仲裁に詳しいシンガポール在住の弁護士は「SIACの利用が盛んなのは、中立的な判断が期待できるからだ」と話す。シンガポールで仲裁に持ち込めたことで、キリンは合弁契約で紛争への備えを怠っていたわけではないといえる。

スズキやドコモも国際仲裁を利用

これまで合弁事業や国際的な資本提携で生じた紛争は、想定した利益やシナジー(相乗効果)が出ないなど案件の成否に関わる案件が多かった。紛争の解決に、国際仲裁の提起が奏功したケースもある。よく知られるのが、11年から16年にかけてのスズキと独フォルクスワーゲン(VW)との資本提携解消問題だ。

スズキと独フォルクスワーゲン(VW)との資本提携解消問題では国際仲裁の提起が奏功した(浜松市、スズキ本社)

スズキは経営の独立を求め、筆頭株主だったVWの保有するスズキ株19.9%の買い取りを巡りロンドンで仲裁を申し立てた。株の売却を渋るVWとの争いは激烈だったが、15年8月に「VWに保有するスズキ株の売却を命じる」などとの仲裁判断を得て、スズキは約4600億円(当時の為替レート換算)で自社株を買い戻すことができた。

NTTドコモも、14年からインドの財閥タタ・グループと合弁解消を巡って対立。不振の現地合弁会社に対する26%の出資分の買い取りをタタ側に求め、15年にロンドンで仲裁を申し立てた。17年に約1450億円(同)の損害賠償金を受け取り、和解した。

従来事例と異なる2つの点

いずれのケースも決着まで3年以上の歳月と労力がかかったが、不調に陥った合弁や外資との資本提携の解決に、国際仲裁が一定の効果があることを示す事例だった。ところが今回のキリンのケースは、従来と大きく異なる点が少なくとも2つある。

まず合弁解消に踏み切る理由だ。キリンのミャンマーでのビール事業は利益が出ている。理由は、国軍の行動が「キリンの人権尊重の考えに反する」(磯崎社長)ため、国軍系企業との合弁を続けられないと判断したことにある。国際的な非政府組織(NGO)や機関投資家からも「人権侵害に加担する国軍系企業との合弁は許されない」との強い圧力がある。

2つ目は、紛争相手が仲裁を尊重する可能性が低く、有利な仲裁判断が得られても効果を見込みにくいことだ。ミャンマー国軍系企業のような相手には、万全な合弁契約を結ぶとか中立が期待できる仲裁機関に持ち込むといった、従来の契約リスク管理手法が通用しにくい。つまり合弁を結んでしまえば、事後にリスクを低減することが難しい。

2015年の総選挙で民主派が圧勝し、ミャンマーの高度成長を期待して日本企業の投資熱は一気に高まったが…(15年の総選挙の結果に喜ぶミャンマーの市民ら)=AP

「キリンはミャンマーでの合弁を検討し始めた段階で、提携先の人権デューデリジェンス(調査)をすべきだった」。人権とビジネスの問題に詳しい蔵元左近弁護士は指摘する。キリンの合弁は15年スタート。18年に合弁会社から国軍への資金流出が疑われると国際人権団体の批判を受けた。キリンは20年に国際的な調査会社を起用して調査を続けたものの、疑義は払拭できなかった。すでに時機を失していたといえる。

「世界の空気」への感度磨け

国連は11年に「ビジネスと人権に関する指導原則」を公表した。企業に対して、自社やサプライチェーン(供給網)で人権問題が発生していないかデューデリジェンスを実施し、問題を是正することを求めた。しかし日本では、中国の香港や新疆ウイグル自治区における人権問題が注目された20年ごろまで、同原則の知名度は低かった。

キリンなど日本企業のミャンマーへの投資熱は、11年の民政移管、15年の総選挙の民主派圧勝で一気に火が付いた。当時、ミャンマーの高度成長を期待する声が強かったとしても、人権問題をはらむ国軍系企業との合弁には慎重に臨むべきだった。蔵元弁護士は「日本企業も当時からNGOと対話していれば、世界の空気が分かったはず」と指摘する。

国際ビジネスを始める前に現地の許認可制度や税制、独禁法制などを調べるのは法務部門として当然のリスク管理だ。しかし現在は、そこに「ESG(環境・社会・企業統治)関連リスク」が加わった。キリンの苦境は他山の石だ。グローバル企業は、ESGリスクを常に意識するサステナビリティー(持続可能性)経営が必須となっていることを、トップや法務部門は肝に銘じる必要がある。

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白井さゆり
慶應義塾大学総合政策学部 教授
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ひとこと解説

欧米を中心にESG投資が拡大し世界で影響力を高めている中で国連のガイドラインなどをもとに企業は環境・人権などで明確な方針を掲げ自社や自社の取引先で問題がないか定期的に調査し是正する必要がある。

問題が発覚すればキリンのように訴訟に持ち込み解決を求めることは適切だが相手が政府となると対応が複雑になる。

世界では権威主義的な体制が増えており、新興国でビジネスを展開する日本企業はESG観点からの経営改善と情報開示を急ぐ必要があるが、同時に環境・社会的な観点で訴訟に持ち込まれる事例も増えていくと予想される。

経営者や取締役会は重要な企業リスクとして世界の動向を把握しリスク管理体制を強化しなければならない。

2021年12月20日 7:26 』