習氏が悩む住宅・共同富裕 危うい薄熙来モデル復活

習氏が悩む住宅・共同富裕 危うい薄熙来モデル復活
編集委員 中沢克二
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODK1329X0T11C21A2000000/

『中国が来年の経済運営を議論した共産党中央経済工作会議の発表に、部分的な債務不履行(デフォルト)に陥った中国恒大集団など民間の大手不動産デベロッパーの運命を左右する驚きの表現が登場した。中低所得者向けに長期賃貸する「保障性住宅」の公共開発プロジェクト推進が、民間企業が開発・販売するマンション(商品房)より優先度が高い事業であると事実上、認定したのだ。

8~10日に開かれた中央経済工作会議に臨む中国の習近平国家主席(北京)=新華社・共同
「発表文で保障性住宅が、商品房より前に置かれ、賃貸が購入より前にあるのが何よりの証拠だ。それは『住宅は住むためのもので、投機の対象ではない』という習近平(シー・ジンピン)総書記の金言を体現している」。中国の経済関係者の説明は明快である。

住宅高騰を危惧する習近平が繰り返してきたフレーズは、不動産市場の予想を超す変調を受けて暫時、消えかけていた。だが今回の会議の方針では、多少の調整は必要でも守るべき最低ラインとして明記された。その具体策が保障性住宅の推進である。習としては面目を保った形である。

 重慶式「保障性賃貸住宅」の時ならぬ復権

そして中国の政治上、最も注目すべきなのは、習が推し進める保障性住宅の概念が2010年前後に重慶市トップだった薄熙来(無期懲役で服役中)が打ち出した「紅(あか)い色の公共事業」にうりふたつであることだという。それは毛沢東式の原理的な社会主義政策を意識した「紅い歌を唱(うた)う運動」とともに進められた危うい経緯がある。

収賄罪などに問われ、公判に臨む薄熙来・元重慶市党委員会書記(中央、2013年10月、中国山東省)=新華社・共同

10年の公式報道によれば、重慶旧市内に住む人口の3割に当たる中低所得層の住宅難解決のため、4000万平方メートルの公共賃貸住宅などを建設するとしていた。家を買う財力がない月収1000元(1万7000円前後)の低収入3人家族でも、毎月100元強の賃料と電気・水道代を払えば、2Kの快適な住宅に住めるというのが、重慶の保障性住宅政策の触れ込みだった。

この家族との単純な比較はできないが、首相の李克強(リー・クォーチャン)は昨年、中国には平均月収1000元前後の中低所得層が6億人もいると明かした。10年前の重慶の状況は、今の中国にもある程度通じる。

もう一つ付け加えると、習の主導で試験導入を準備中の不動産税も、薄熙来が重慶で11年に先行導入した制度だ。日本の固定資産税に相当する保有税は、「土地は国有」を前提とする中国ではなお本格導入されていない。重慶では高級な一戸建て住宅やマンションといった資産に全国に先駆けて保有税を課し、その収入を低所得者向け住宅建設などに充てた。

かつてライバルのひとりだった薄熙来が、野心をあらわにしすぎたかどで失脚した後、トップに就いたのが習である。それから10年近くたった今、格差是正を狙ってそっくりな住宅政策を打ち出したのは歴史の皮肉というほかない。

 「鄧小平超え」象徴する住宅政策の転換

そこには必然性もある。1990年代後半から中国政府が進めたのが「中国式社宅」の廃止=持ち家購入推奨だ。それは鄧小平、江沢民(ジアン・ズォーミン)、胡錦濤(フー・ジンタオ)の3代にわたる市場化路線の象徴でもある。

その路線は変化を迫られている。引き金をひいたのは異常な住宅価格高騰だった。先の「第3の歴史決議」で鄧小平超えを演出した習は、住宅政策でも自らの新時代を切り開きたい。その時、毛沢東をモデルにした薄熙来式の保障性住宅が登場したのは偶然ではない。
保障性住宅という見慣れない用語は今、中国で流行語になろうとしている。中国の検索サイトで調べると、ここ数日、各地の長期賃貸住宅計画の始動を伝えるニュースが目白押しだ。

習氏の側近である陳敏爾・重慶市党委員会書記

目を見張るのは重慶市。「浙江閥」の雄で重慶市トップを務める陳敏爾は、薄熙来が残した悪習を意味する「余毒」の一掃に努めてきた。失脚した人物の足跡が少しでも見える政策を断固排除するのは、習側近の使命として当然だった。ところが経済工作会議で新方針が出るや否や、保障性住宅の供給拡大策をアピールしている。薄熙来政治の目玉政策だった経緯など忘れたかのようだ。

住宅政策の変化に伴い、民間住宅大手も路線転換を迫られる。ぬれ手で粟(あわ)でもうかった一般のマンション開発・販売事業を今後は大幅に縮小し、本業以外への進出や、保障性住宅事業への参入を検討せざるを得ない。

中国恒大集団の本社が入るビル(中国広東省深圳市)=共同

一方、経済工作会議では、格差是正に重点を置く「共同富裕」(みんなが豊かに)に絡み、もう一つ重要な結論が下された。ここにも薄熙来が関係する。当時、広東省トップだった現在の全国政治協商会議主席、汪洋(ワン・ヤン)との間で勃発した成長の成果を意味するケーキの分け方を争った「ケーキ論争」だ。

薄熙来は当時、カネが全てという風潮への市民の不満を察知し、「直ちにケーキを公平に分けるべきだ」と訴えた。民間住宅の高騰をみて、大規模な保障性住宅の建設に踏み切ったのも、ケーキを即刻分配する公約の目玉にしたかったからである。

これに真っ向から異を唱えた汪洋は「まずケーキ全体を大きくし、貧しい層を底上げしなければ必ず失敗する」と主張した。若い頃、地方幹部だった汪洋は、「先富論」を唱えた鄧小平に見いだされた人材である。毛沢東式の急進的な平等主義がもたらした経済破壊の悲劇への警戒感は強い。汪洋は、薄熙来の前に重慶市トップを務めた経験もあり、その野心的で極端な政策への反発もあった。

 「ケーキ論争」は汪洋氏に軍配という折衷案

「まずはケーキを大きくしてから、合理的な制度に基づいて分配する」。これが会議発表文の表現だ。長老らを含めた大論争があった共同富裕の進め方を巡っては様々な案が出ていたが、今回は明確だ。住宅問題とは逆に汪洋に軍配が上がった。

中国の全国政治協商会議の開幕式で活動報告を行う汪洋・政協主席

中国では夏以降、経済減速が鮮明だった。原因は、共同富裕へ急速にカジを切った様々な経済政策が複雑に影響した「政策不況」である。住宅価格の下落が広がり、地方政府は新築物件の値下げ幅を制限せざるをえない状況にまで陥った。

切迫した経済情勢に危機感を強めた経済担当の副首相、劉鶴(リュウ・ハァ)が習を説得し、マクロ政策では「性急な格差是正と分配重視」という印象を薄めようと腐心した。信頼されている習の側近だからこそできた動きである。

相反する薄熙来モデルと汪洋モデル。習は住宅という社会政策と、格差解消に向けた分配政策の進め方を巡って両モデルの折衷案を採用したことになる。「鄧小平超え」を確固たるものにする政治目的から考えれば、習近平新時代の色を強く出せる共同富裕をもっと前面に打ち出したいのが本音だろう。だが、それは目下の厳しい経済情勢を前にひとまず微妙な形で封印された。(敬称略)

中沢克二(なかざわ・かつじ)
1987年日本経済新聞社入社。98年から3年間、北京駐在。首相官邸キャップ、政治部次長、東日本大震災特別取材班総括デスクなど歴任。2012年から中国総局長として北京へ。現在、編集委員兼論説委員。14年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。』