メルケル政権が終幕 変化より安定、読み続けた空気

メルケル政権が終幕 変化より安定、読み続けた空気
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR069QB0W1A201C2000000/

『【ベルリン=石川潤】ドイツのメルケル首相が8日に退任する。多くの危機を乗り越え、欧州に安定をもたらしたが、気候変動対応や対中外交で理念よりも実利を優先したとの批判もある。長期政権を可能にしたメルケル政治とは何だったのか。ドイツの3人の専門家に聞いた。

「虚栄心なしにとても力強く、妥協点を見つけ実行する」。フライブルク大学のウルリヒ・アイト教授はメルケル氏の政治スタイルをこう表現する。

フライブルク大学のウルリヒ・アイト教授

メルケル政権の16年は2008年のリーマン・ショック、欧州債務危機、15年の難民危機といった危機の連続だった。現在も新型コロナウイルス危機の真っただ中だが、その突出した調整能力がメルケル氏の人気と評価の高さの根底にある。

その秘密が、決して自己アピールに走ることなく、腐敗とは無縁のつつましさにあるというのが、アイト氏の見立てだ。「メルケル氏の真剣さと能力への信頼は政治的な立場を超えてかなり高いものだった」という。

利害の異なる国々が集まる欧州連合(EU)は、メルケル氏のような調整型のリーダーなしには成り立たない。危機に際して欧州をまとめ上げることに貢献したことが、メルケル氏の最大の功績との声は多い。

もっとも、合意形成を重視する保守的な政治手法には批判もつきまとう。政治学者のアルブレヒト・フォンルッケ氏は「すべてを多数派の意思に従属させる」ことこそがメルケル政治の本質だったと指摘する。

政治学者のアルブレヒト・フォンルッケ氏

選挙戦で勝利し、権力を握り続けるため、メルケル氏はたとえば気候変動対応の加速よりも強大な自動車産業の利益を優先したというのがフォンルッケ氏の分析だ。メルケル氏は民主主義を擁護したが、対中外交のように「倫理的な価値観と国益が対立するときは、たいてい権力維持を優先してきた」という。

フォンルッケ氏によると、11年の福島の原発事故後の脱原発の決断も、こうしたメルケル政治の典型だ。「多数派の意見の方向転換に気づくと、メルケル氏は高い適応力をみせた」。決して高いビジョンを掲げて、それを貫こうとする政治家ではなかったという評価だ。

いわば空気を読んで社会に寄り添ってみせるのがメルケル流といえる。安全を第一とし、経済的な繁栄をもたらしたメルケル氏をドイツ国民は16年支持し続けた。「メルケル氏は変化を望まない社会の象徴だった」とフォンルッケ氏は振り返る。

ジャーナリストのウルズラ・ワイデンフェルト氏

もっとリスクをとって動くべきだったとの指摘は多い。ジャーナリストのウルズラ・ワイデンフェルト氏は、かつて環境相を務めて科学者でもあったメルケル氏は「気候変動にどう対応し、何をすべきかを知っている数少ない政治家のひとりだった」と指摘する。それなのに「気候変動対応を政権の仕事の中心に据えようとしなかった」ことに問題の根深さがあるという。

メルケル氏が気候変動のために何もしなかったわけではない。ただ「もっとできることがあった」というのがワイデンフェルト氏の指摘だ。先頭に立とうとせずに、世論が盛り上がるまで積極的に動かなかった面は否めない。

冒険を避け続けてきたメルケル氏にとってほとんど唯一の例外が、15年にシリアなどからの難民を受け入れた決断だ。ドイツ国内では社会を混乱させたとの批判があり、メルケル氏の与党党首辞任にもつながった。だが、国際社会では高く評価された。

メルケル氏がなぜ「突然、道徳的に」(アイト氏)振る舞ったのか。牧師の父親を持ち、旧東ドイツで育った生い立ちなどが指摘されるが、真相はやぶの中だ。分析は数あれど、メルケル政治にはなお多くの謎が残されている。

【関連記事】
・メルケル氏「重要なのは信頼」 ベルリンで送別式典
・メルケル後の欧州に危うさ 財政拡張へ、インフレに懸念

多様な観点からニュースを考える

※掲載される投稿は投稿者個人の見解であり、日本経済新聞社の見解ではありません。

白井さゆりのアバター
白井さゆり
慶應義塾大学総合政策学部 教授
コメントメニュー

貴重な体験談

EUでは昨年から安定成長協定の例外条項発動で一時的に財政規律を緩めたため政府債務が大きい国も大幅財政出動が可能になり、EU共同債も初めて発行しグリーン・デジタル成長戦略を進める。

ECBも大規模量的緩和により長期金利上昇を防いだ結果、日米と遜色のない財政金融協調を実現した。現在新しい財政規律の在り方や政策協調の議論が進む。

先日欧州委員会主催オンライン討論会に招待されパネリストとして議論に参加したが、公的債務GDP比の60%からの引き上げを含め前向きな議論が進む。財政重視のドイツ等と一段の経済統合を推進するフランス等南欧諸国の間で対立も予想されるがドイツも新政権になりEUの統合はさらに進みそうだ。

2021年12月8日 7:34 (2021年12月8日 7:38更新)

伊藤さゆりのアバター
伊藤さゆり
ニッセイ基礎研究所 経済研究部 研究理事
コメントメニュー

分析・考察

メルケル政権の16年は欧州経済におけるドイツ独り勝ちの時代でした。

輸出型製造業を柱とする経済成長は、ユーロの導入や、シュレーダー政権期の労働市場と社会保障の一体改革などメルケル政権以前の政治決断の恩恵を受けた部分も大きかったと思います。

ユーロ危機への対応も過剰債務国に過度の負担を強いた面があり、ユーロ圏内の格差の固定化という問題を残しました。

ユーロ圏の停滞期のドイツの独り勝ちは中国市場への傾斜を強めたからこそ実現したものでもあります。

メルケル政権期に十分進展しなかったデジタル化、グリーン化の加速、格差を増幅しやすいユーロ制度の見直し、中国への過度の傾斜の是正が新政権の課題です。

2021年12月8日 7:41

岩間陽子のアバター
岩間陽子
政策研究大学院大学 政策研究科 教授
コメントメニュー

分析・考察

長かったですね。アデナウアー、コール、メルケルと、長期政権は皆CDUで、ある意味安定を重視するドイツ国民の国民性を示しているのでしょう。

メルケルさんは東西ドイツと東西欧州の融和を体現していました。

しかし、16年ビジョンなしに多数派追随だけの運営は長すぎました。

ドイツ史上社民党政権はどれも相対的には短いですが、ブラント政権の東方外交に非常事態条項の憲法改正、シュミット政権の中距離ミサイル問題、シュレーダー政権の労働市場改革と、大きな方向転換と必要な改革を行なっています。

16年間続いたメルケル政権の曖昧な政策のため、各方面に問題が山積しています。新政権が勇気ある進歩を実現できるか注目したいです。

2021年12月8日 11:29

菅野幹雄のアバター
菅野幹雄
日本経済新聞社 ワシントン支局長・本社コメンテーター
コメントメニュー

分析・考察

2005年11月22日、初の女性首相の選出をベルリンの連邦議会で取材した者として、ドイツのメルケル政権の16年が終わりを告げるのは感慨深いです。

4期16年のうち12年間はドイツ社会民主党(SPD)との「大連立」政権。国民に受けの悪い組み合わせですが、結果的に調整型のメルケル氏が確固たる安定感を築く土台になりました。

ユーロ危機や難民危機、コロナ危機のなか「欧州の女王」として決定力を誇ったメルケル氏ですが、対応は問題含みでした。識者が指摘する彼女の持ち味と弱点には一つ一つうなづけます。

英国が去り、メルケル氏が去ったEUを誰がどうけん引していくのか。欧州の新しい時代の始まりに注目したいです。

2021年12月8日 8:34 』