「正確な情報」が「無謀な開戦」につながったという痛恨の逆説――日米開戦80年目の真実

「正確な情報」が「無謀な開戦」につながったという痛恨の逆説――日米開戦80年目の真実
https://www.dailyshincho.jp/article/2021/12060630/?all=1

 ※ 今日は、こんなところで…。

 ※ 「プロスペクト理論」が、そこまで言っているのかは、さておく…。

 ※ しかし、「通説」と違って、日米開戦は、「正確な情報を、認識した上での、行動だった。」とする説は、耳新しい…。

 ※ 『プロスペクト理論では通常の経済学が財の所有量に応じて効用が高まると仮定するのに対し、ある水準(参照点)からの財の変化の量に注目します。簡潔にいうと、人間は現在所有している財が1単位増加する場合と1単位減少する場合とでは、減少する場合の方の価値を高く評価するのです。

 そのため、人間は損失が発生する場合には少しでもその損失を小さくすること望みます(損失回避性)。そうすると、選択肢Aでは確実に3000円を支払わなければなりませんが、選択肢Bでは2割の確率で損失は0になるので、人間は低い確率であっても損失が0になる可能性のあるBの方につい魅力を感じてしまいがちなのです。』

 『さらにプロスペクト理論では客観的な確率がそのまま人間の主観的な確率となるわけではなく、心の中で何らかの重みづけをされると考えます(客観的には2割の確率でも主観的には3割と考えられるかもしれない)。

 客観的な確率と主観的な確率の乖離は実証されており、自然災害などの客観的には滅多に起きない現象は主観的には高い確率として認識される一方、生活習慣病による将来の死といった客観的には高い確率で起きる現象は主観的には低い確率として認識されています(だからこそ「当選確率は極めて低いのに多くの人が宝くじを購入する」「将来ガンになる確率が高いのに多くの人が喫煙する」といった現象が起きるのです)。』

 ※ 『それゆえ、先ほどの選択肢Bで「1円も支払わなくてもよい」という確率が主観的に過大に評価され(例えば3割)、AよりもBの方が望ましいと考えられて選択されることになるのです。』との説は、確かにある程度の説得力を持つ…。

 ※ 『「ジリ貧」よりも「開戦」という判断

 さて、昭和16年8月以降の当時の日本が置かれていた状況は、先ほどの選択肢AおよびBとほとんど同じようなものでした。日本の選ぶべき道は、政策決定者の主観的には2つありました。

A’ 昭和16年8月以降はアメリカの資金凍結・石油禁輸措置により日本の国力は弱っており、開戦しない場合、2~3年後には確実に「ジリ貧」になり、戦わずして屈伏する。

B’ 国力の強大なアメリカを敵に回して戦うことは非常に高い確率で日本の致命的な敗北を招く(ドカ貧)。しかし非常に低い確率ではあるが、もし独ソ戦が短期間で(少なくとも1942年中に)ドイツの勝利に終わり、東方の脅威から解放されソ連の資源と労働力を利用して経済力を強化したドイツが英米間の海上輸送を寸断するか対英上陸作戦を実行し、さらに日本が東南アジアを占領して資源を獲得して国力を強化し、イギリスが屈伏すれば、アメリカの戦争準備は間に合わず抗戦意欲を失って講和に応じるかもしれない。日本も消耗するが講和の結果南方の資源を獲得できれば少なくとも開戦前の国力は維持できる。

 つまり、日米間の国力の巨大な格差を正確に指摘した秋丸機関の報告書を踏まえれば、開戦が無謀であることはわかるのですが、プロスペクト理論に基づけば、それぞれの選択肢が明らかになればなるほど「現状維持よりも開戦した方がまだわずかながら可能性がある」というリスク愛好的な選択へと導かれてしまうのです。

「正しい情報」が「正しい決定」につながるのであれば「開戦回避」という結論になるはずですが、実際は上記の通り、むしろ「正しい情報」ゆえに「開戦」という結論が下されたと考えられるのです。もちろんこれは単純化した説明であり、牧野氏の著書では、他の様々な要素(日本の指導者の長期的なビジョンの欠如、集団心理による強硬論の支持など)も、開戦の意思決定に重要な影響を与えていたことが示されています。

 現代でも「正確な情報があったはずなのに、なぜこのような残念な結果になってしまったのか」と疑問に思うことがしばしば起きています。そうした失敗を繰り返さないためにも、80年前の日米開戦の教訓から学ぶ価値がありそうです。』…。

 ※ まあ、そういう「理論」で、「理屈づけ」することも、できるんだろう…。

 ※ しかし、「敗戦」の結果を考えれば、何が何でも「開戦」すべきでは無かった…。
 ※ 事が終わってから、「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び…」などと言っても、追いつくものでは無い…。

 ※ 「満州」を共同経営する…、「満州」をそっくり進呈する…くらいの、「思い切った策」があるべきだった…。たとえ、「自分の手足を、斬り落とす」ことになっても…。
 ※ それも、海外に人と兵員を駐在させすぎて、日本国内だけでは、「収容しきれない」との判断だったのか…。

 ※ しかし、それでも、原爆2個も落とされたり、東京大空襲で「焼夷弾」で多数の犠牲者出すよりは、マシだった…。

 ※ 戦争とは、「ある国家目的を達成するための、一手段」に過ぎない…。

 ※ 国家の生き残り、国民の平穏な日常生活の確保の方が、上位の価値に立つ…。

 ※ プランとは、AもBもCもDもあってこその、プランだ…。

 ※ 国家の戦略とは、「軍事一辺倒」では無く、「外交一辺倒」でも無く、両者を自在に「混合」させて、硬軟取り混ぜて、遂行して行くものだ…。

 ※ 昨今の情勢を見ると、そういう「痛い教訓」が、あまり汲み取られていないように見受けられることを、危惧する…。