むつ (原子力船)

むつ (原子力船)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%80%E3%81%A4_(%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E8%88%B9)

 ※ まあまあ、いつもの話しだな…。

 ※ 全く、「サイエンス的な知識」が無いのに、「騒ぎ立てる」…。

 ※ 福島原発事故でも、散々目にした「事象」だ…。

『記事閲覧前の注意

この記事内に「放射線漏れ」という単語があるが、これは「放射能漏れ」とは全く異なる事象なので注意を要する。

当該事象の違いを十分理解してから、本記事を閲覧する事をお勧めする。』

『概要

原子炉を動力源とする船は軍艦を除くと数少なく、ソ連の原子力砕氷船「レーニン」、アメリカの貨客船「サバンナ」、西ドイツの鉱石運搬船「オットー・ハーン」に続く世界でも4番目の船である。名称は一般公募から選ばれたもので、進水時の母港・大湊港のある青森県むつ市にちなむ。

1963年(昭和38年)に観測船として建造計画が決まり、同年8月に「日本原子力船開発事業団」が設立された[3]。1968年(昭和43年)に着工して翌1969年(昭和44年)6月12日に進水した。進水式には皇太子夫妻が出席し、美智子妃が支綱を切り、佐藤栄作首相らが拍手で送った[2]。「原子力船進水記念」の記念切手が発行される[4]など、当初の期待・歓迎は大きかった。

1972年(昭和47年)の9月6日にかけて、原子炉へ核燃料が装荷された。1974年(昭和49年)に出力上昇試験が太平洋上で開始され、8月28日に初めて臨界に達した[3]。

直後の9月1日、試験航行中に原子炉上部の遮蔽リングで、主として高速中性子が漏れ出る『放射線漏れ』が発生した[5]。

これは原子炉内の核燃料(放射性物質)が流出する『放射能漏れ』とは異なるが、マスメディアによって大きく報道された[6]。

このトラブルで帰港を余儀なくされ、風評被害を恐れる地元むつ市の漁業関係者[6]を中心とする市民が本船の帰港を拒否したため、洋上に漂泊せざるを得なかった。

1978年(昭和53年)に長崎県佐世保市への回航・修理が決まり、10月16日に到着。1980年(昭和55年)8月から1982年(昭和57年)6月末にかけて放射線の遮蔽性の改修工事が行われた[3]。1975年6月、当時の佐世保市長だった辻一三が「むつ」受け入れを表明し、地元経済界や佐世保市議会、長崎県議会もこれを支持したのは、経営不振に陥っていた佐世保重工業に工事を請け負わせることで救済する意図があったためとされる。佐世保重工は存続できたが、長崎県漁連や労働団体は反対し、入港する「むつ」を抗議船団が取り囲んだ[7]。なお、この件を報じた長崎新聞社(共同通信配信)の記事もタイトルの「放射線」を「放射能」と間違って記載している。

その後、長い話し合いの末、むつ市の陸奥湾側にある大湊でなく、下北半島の津軽海峡側に新母港として関根浜港を整備することが決定。「むつ」は1982年(昭和57年)8月にいったん大湊へ戻った後、1988年(昭和63年)1月27日に、港開きされたばかりの関根浜港に入港した。この間、原子力船研究開発事業団は日本原子力研究所(現・日本原子力研究開発機構)に統合され、政府は「日本原子力研究所の原子力船の開発のために必要な研究に関する基本計画」を策定した[3]。

1990年(平成2年)に、むつ市の関根浜港岸壁での低出力運転の試験と4度の試験航海、出力上昇試験と海上公試を実施。その結果、1991年(平成3年)2月に船舶と原子炉について合格証を得た。その後、1992年(平成4年)2月にかけて全ての航海を終了。解役に移り、1993年(平成5年)5~7月に使用済み核燃料が取り出され、1995年(平成7年)6月に原子炉室を撤去して、海洋科学技術センターに船体が引き渡された[3]。1年間の試験航海中、「むつ」は原子力で地球2周以上の距離を航行した。機関士として乗り組み、後に原子力機構青森研究開発センター所長に就いた藪内典明は、アリューシャン列島沖合の最大波高11メートルに及ぶ荒海でも操舵性は良く、急な加速・減速、前進・後退の切り替えにも問題なく反応したと回想している[6]。

船体はその後、機関をディーゼルエンジンに換装して、海洋科学技術センターの後身である国立研究開発法人海洋研究開発機構(JAMSTEC)の「みらい」として運航されている。

なお、原子力船「むつ」の操舵室・制御室、撤去された原子炉室がむつ科学技術館(むつ市)で展示されている。稼働実績がある原子炉を一般公開しているのは世界唯一で、見学は鉛ガラス越しとなっている[6]。 』

『設計の安全性

設計の際にウエスティングハウス社へ確認を取り、高速中性子が遮蔽体の隙間から漏れ出るストリーミング現象が起こると指摘されていたが、反映されなかった[5]。

「むつ」は建造当時の大型タンカーが「むつ」の船腹に全速力で衝突しても、タンカーの船首が原子炉にまで到しないほどの強度設計がなされていた。また、「むつ」が万一沈没した場合は深海の圧力で原子炉格納容器が圧壊することがないよう、海水の圧力で早期に格納容器に海水を導入するよう設計されていた。

多くの商用原子炉では、安全のため緊急炉心停止の場合は、制御棒を駆動装置から切り離して炉心に落とし込む方法がとられているが、むつの原子炉ではバネの力で炉心へ押さえ込み、たとえ転覆しても制御棒が外部に抜けない設計がなされていた。 』

むつ科学技術館
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%80%E3%81%A4%E7%A7%91%E5%AD%A6%E6%8A%80%E8%A1%93%E9%A4%A8