〔ダニング・クルーガー効果〕
根拠なき自信を語る部下 使い方次第では宝にも第24回 ダニング・クルーガー効果
https://style.nikkei.com/article/DGXZZO44234200W9A420C1000000
※ 今日は、こんなところで…。

『私には私のやり方がありますから
皆さんの周りに「根拠なき自信」を抱いている人はいないでしょうか。できもしない癖に、「私だってあれくらいの仕事は……」と大きなことを言う。その癖、ちっともやろうとせず、「なぜやらないか」の言い訳ばかりがうまい。
しびれを切らしてアドバイスすると、「私には私のやり方がありますから」と言って聞く耳を持たない。揚げ句の果てに、うまくいかないことはすべて人のせいにする。そんな人はいませんか?
自分の力量や特質を正しく把握できなければ、能力向上のスタートラインにも立てません。能力と自信とのギャップがどんどん広がり、せっかくの成長の芽をつんでしまいます。若い人に多く見られるのが残念でなりません。
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では、どうして能力が低いのに、自信だけが過剰なのでしょうか。本人の性格や育ち方もありますが、それだけではないのが人間の面白いところです。
原因を探るために、一つ皆さんに質問したいことがあります。自分の仕事の能力は、平均以上だと思いますか?
この質問、何度か企業研修などで試してみたのですが、なんと7~8割の人が「イエス」と答えるのです。そんなのあり得ませんよね。単純に考えれば、イエスとノーで半々になるはずですから。
つまり、人は誰しも、自分の能力を過大に評価する傾向があるのです。しかも、能力が低い人ほど、その傾向が強いというから驚かされます。
イグノーベル賞を受賞した心理法則
そのことに気づいた心理学者のD.ダニングとJ.クルーガーは、学生たちに実験をしてみました。ユーモアのセンスや論理思考を問う問題を出し、それぞれ自己評価をしてもらいました。その後で、「あなたのレベルは、同世代の人と比較して、どのあたりのポジションにあると思いますか」と尋ねたのです。』
『すると、成績が悪い学生ほど自分の順位を高く見積もりました。成績がよい学生は正しく、もしくはわずかに低く見積もるという傾向が見られました。これを、発見者の名前を取って「ダニング・クルーガー効果」と呼びます。2000年のイグノーベル賞を射止めた心理法則です。
さらに二人は、「なぜ能力の低い人間は自身を素晴らしいと思い込むのか」(Wikipedia、以下同様)も調べました。その結果、能力が低い人間には、「自身の能力が不足していることを認識できない」「自身の能力の不十分さの程度を認識できない」「他者の能力を正確に推定できない」という特徴があることが分かりました。
つまり、自分や周囲を俯瞰(ふかん)的に見る、「メタ認知」ができないわけです。身も蓋もない言い方をすれば、能力が低い人は、その低さゆえに、自分を客観的に見る力すらない。だからこそ能力が低いわけです。
逆に、能力が高い人はメタ認知ができるので、「自分ができた課題くらい、他人もできるだろう」と推測したわけです。さすが、優秀な人は自分をわきまえていますね。
無知を知る勇気を持つ
ダニング・クルーガー効果から抜け出すには、一体どうしたらよいのでしょうか。
一つは、当たり前の話ですが、客観的な評価に触れる機会を増やし、自分の認知のゆがみを正すことです。2人の研究でも、「その能力について実際に訓練を積んだ後であれば、自分の能力の欠如を認識できる」ことが分かっています。
その時に大切なのは、自分の無知や無能を素直に受け入れることです。背伸びをするのを止めて、分からないものは分からない、できないものはできないと。
無知や無能は決して悪いことではありません。伸びる余地がある証だからです。失敗にしても、途中で諦めなければ、成功への一里塚です。そんな風にポジティブに考えれば、都合の悪い評価も受け入れやすくなります。
もっと言えば、自分の無知を知っているというのは素晴らしいことです。かの有名な哲学者ソクラテスは、自らの無知を自覚することが真の知に至る道だと説きました。無知を知らないほうが、よほど恥ずかしいことなのです。』
『加えて、自分の認識に対して、「間違っているかもしれない」「他の考え方もあるかもしれない」と、常に疑いの心を持つことも大事です。「○○の視点で見たらどう見えるか」と時間・空間・人物をずらして考えるのもよい方法です。さらに知りたい人は批判的思考(クリティカル・シンキング)を勉強することをお勧めします。
時には根拠なき自信も必要
とはいえ、ダニング・クルーガー効果は悪い面ばかりではありません。程度にもよりますが、自己評価を盛り気味にすれば、自尊心を高められるからです。自信を持って行動できるようになり、やる楽しさも増します。
そのおかげでよい結果がでれば、さらに自信が高まります。そうやっているうちに、自分の実力と認識のズレがなくなる可能性があります。
また、「根拠なき自信」があるからこそ恐れを知らずチャレンジできる、とも言えます。「分相応の実力をつけてから」「私はまだ半人前なので」なんて言っていると、千載一遇のチャンスを逃してしまいかねません。
第一、未知の領域の仕事にチャレンジするときは、多かれ少なかれみんな実力不足です。それどころか、これからどんな知識や能力が必要になるかも分かりません。後で振り返ると、自分の無知さ加減にゾッとするくらいです。
どうせ、無知や無能は、やればすぐに痛いほど知らされます。勝負はそこからであり、事前の自己認識は大した問題ではないのかもしれません。
大切なのは、「必ずできる」「どうにかなる」と根拠なき自信を持って一歩踏み出すことです。時には、ダニング・クルーガー効果を逆手に取るくらいの気概が求められているわけです。』
『概要
優越の錯覚を生み出す心理学的現象は研究によって、自らの能力の低さを認識することの困難さが過剰な自己評価につながる、認知バイアスの一形態であると認識された[1]。なぜ人間は自身の不得意を認識できないのか(2003年)といった認知的不協和に関する調査は、与えられた活動の評価基準の無知に由来する自己評価の誤りの多さを示している。自身の能力に対する過大評価の傾向は、読解や診療、自動車の運転、チェスやテニスの試合など様々な場面で見られた[2]。また、この効果を定義したデイヴィッド・ダニング(英語版)とジャスティン・クルーガー(英語版)によって2012年に行われた「なぜ能力の低い人間は自身を素晴らしいと思い込むのか」という調査によれば、能力の低い人間には以下のような特徴があることが分かった[3]。
・自身の能力が不足していることを認識できない
・自身の能力の不十分さの程度を認識できない
・他者の能力の高さを正確に推定できない
・その能力について実際に訓練を積んだ後であれば、自身の能力の欠如を認識できる。
2005年に執筆された自身の著書「Self-insight」の中で、ダニングは自己認識欠損の類推を「日常生活の病態失認(英語版)」に適用し、身体障害者が自身の身体能力の不全を否定、或いは認識しないといった認知バイアスが存在することを発見した。「あなたが無能なら、あなたは自分が無能であることを知ることはできない。正しい答えを生み出すために必要なスキルは、正解が何であるかを認識するために必要なスキルと同じである。」[4][5]
2000年、この効果を定義したデイヴィッド・ダニングとジャスティン・クルーガーは、優越の錯覚を生み出す認知バイアスについて1999年に執筆された論文「Unskilled and Unaware of It」で、イグノーベル賞の心理学賞を受賞した[6]。 』
『研究
ダニングとクルーガーは、基礎心理学科の学生に対する優越の錯覚を生み出す認知バイアスについて、論理的推論における帰納的、演繹的、派生的な知的スキル、英語の文法、ユーモアセンスなどについての自己評価を調べることによって仮説を検証した。
自己評価のスコアが確定した後、学生達はクラスにおける自身の順位を推定するよう求められた。
有能な学生達は自身の順位を実際より低く評価したが、無能な学生達は自身の順位を実際より高く評価した。
これらの研究では、ユーモアセンス、文法知識、および論理的推論などのテストにおいてそれぞれ最も低い得点を記録した研究参加者は、それぞれ自身のパフォーマンスおよび能力を過大評価した。
ある研究参加者は12パーセンタイルのスコアにとどまったにも関わらず、62パーセンタイルに記録されたと誤った推測を行った[1][7]。
さらに、優秀な学生達は、自分達の能力を過小評価する傾向があった。
それは、自分達が容易に実行できたタスクは、他人にとっても実行は容易であると誤って推測したからである。
優秀でない学生達は、不足していたスキルの最小限の指導を受けたことで、指導によって得たスキルの客観的な改善とは無関係に、自身のクラスでの順位を正確に判断する能力を向上させた[1]。
2004年に行われた研究「読心術とメタ認知」では、優越の錯覚を生み出す認知バイアスの前提を、被験者の他者に対する感情的感受性をテストするために拡張した[8]。
2003年に行われた研究「自己評価に対する自己観の影響」では、外部の手がかりの影響を受けたときの参加者の視点の変化が示された。
この研究は地理学の知識のテストを通した研究であり、いくつかのテストは参加者の自己観に積極的に影響を与えることが意図されており、あるものはそれを否定的に影響することが意図されていた。
その後、参加者が自身のパフォーマンスを評価するよう求められると、肯定的な影響を与えるテストを受けた参加者は、否定的な影響を与えるテストを受けた参加者よりも優れた評価を下した[9]。 』
『歴史
為政
子曰:「由,誨女知之乎!知之爲知之,不知爲不知,是知也。」〈子曰く、由(ゆう)汝に之れを知るを誨(をし)へんか、之れを知るは之れを知ると爲し、知らざるは知らずと爲せ、是れ知るなり。〉
孔子, 『論語』
この効果が正式に定義されたのは1999年であるが、優越の錯覚を生み出す認知バイアスが存在することは、歴史を通じて古くから言及されている。
東アジアには「夜郎自大」という四字熟語がある。
古代中国の思想家孔子は 「真の知識は、自分の無知さを知ることである[2]」と語り、古代ギリシアの哲学者ソクラテスは「無知の知」について語っている。
他にはイングランドの劇作家ウィリアム・シェイクスピアは「愚か者は自身を賢者だと思い込むが、賢者は自身が愚か者であることを知っている[11]」(自身が作成した喜劇『お気に召すまま』より)、
生物学者のチャールズ・ダーウィンは「無知は知識よりも自信を生み出す[1]」、
哲学者で数学者のバートランド・ラッセルは「私達の時代における苦しみの一つは、確信を持っている人間は愚かさに満ちており、想像力と理解力を持っている人間は疑いと執拗さに満ちていることだ[12]」と、
それぞれ語っている。 』
※ 「一文は、無文の師」(石舟斎遺訓)も、付け加えておこう…。