習近平氏が崩す「住宅神話」

習近平氏が崩す「住宅神話」 恒大問題しのぐ新税の影響
編集委員 中沢克二
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODK25CHY0V21C21A0000000/

『中国共産党が存在する限り住宅価格は永遠に上がり続ける――。中国で長年、信じられてきた奇妙な不動産神話がついに崩れるのか、庶民の間で議論が沸騰している。きっかけは23日、全国人民代表大会(全人代)常務委員会が決めた日本の固定資産税にあたる「不動産税」の試験導入である。驚くことに、社会主義国、中国では数軒の豪邸を持つ大資産家に対しても保有にかかる資産税を課していない。

毛沢東思想とともに「共同富裕」のスローガンを掲げたデモ(2013年、広東省広州)=ロイター

不安に駆られた富裕層は中国各地で開かれている民間のセミナーに殺到している。新税の負担がどの程度になるか予測するための勉強会である。会場に掲げられた演題の冒頭には「共同富裕(みんなが豊かに)」という決まり言葉が必ずつく。国家主席の習近平(シー・ジンピン)が繰り返している格差是正の標語である。

ここ数日、中国のSNS上で交わされているやり取りも興味深い。「不動産税は思ったより早くやってきた。住宅投資で金持ちになれる時代は終わった。自分が住まない家は値下がりしないうちに早めに売ろう」「いやいや、慌てるな。今回の試験導入の価格への影響は小さいだろう」。今、既得権益を持つかなりの富裕層が慌てているのは確かだ。

風を読む「賢者」は高値で売り抜け

実のところ予兆はかなり前からあった。数年前、北京のマンションを高値で売った現金を手に中国南部に移住する決断をした50代の男性は、みえにくい最近の不動産市場のウラ事情を明かす。

「北京と上海の友人らもついに2020年から(自らは住まない2軒目、3軒目の)マンションを売り始めた。習主席は『住宅は住むためのもので、投機対象にすべきではない』と言い続けているではないか。上がりすぎた住宅価格は必ず下がる。皆、どうして信じないのか」
中国の国連代表権獲得から50年を記念する会議で演説する習近平国家主席(25日、北京)=新華社・共同

賢い人々は既に売り抜けて身軽になりつつあるのだ。売却決断の決め手は、中国政局の読みである。住宅を投機対象にするなと命じた習は、22年秋の共産党大会以降もトップの座に居続ける。権限を一手に握る習が今後も「レームダック(死に体)化」しない以上、いくら抵抗があっても住宅高騰の防止につながる不動産税の本格導入は避けられない。早めに動かないと痛手を被る。そう考えたのだ。

12年からの第1期習近平政権時代、北京の住宅価格は数年で倍になる異常な高騰が続いた。その頃、日本のバブル崩壊による土地神話崩壊を経験した日本人が、よかれと思って中国の方々に注意を促すと、こんな答えで一蹴された。

「外国人のあなた方は本当の中国を知らない。住宅は多少、変動しても必ず値上がりする仕組みになっている。それが中国の特色ある社会主義下の市場経済なんです」。確かに言葉通り住宅高騰はその後も続いた。

中国で1990年代に立ち上がった商業用住宅市場の草創期、投機に動いたのは共産党員や官僚、彼らから耳寄り情報を得られた特別な人々が多かった。信用力があり、最初の保有物件を担保に銀行から次の借金もできたからである。ここに中国の住宅問題の複雑さが隠されている。

都市部の富裕層は自ら住まない物件を賃貸に出し、かなりの額の副収入を得ている。借り手がつかない物件でも保有税はかからないから当面は放置し、転売で差益が出る水準に値が上がるまで待てばよい。いびつな構造は投機による際限なき住宅高騰を招き、大都市部では若者が一生働いても狭い家さえ買えない深刻な事態に至る。

借金してでも2軒、3軒と先に買ったもの勝ち。資本主義国でさえあり得ない弱肉強食の世界だ。新型コロナウイルス感染症が広がる前、日本を含む海外への豪華クルーズ船の旅で「爆買い」に走ったのも彼らの一部である。さほど実入りのない本業の仕事は早々に引退し、保有不動産の収入だけで食べている人も中国では意外に多い。

「寝そべり主義」の若年層対策

それでも右肩上がりの住宅価格上昇に乗った「資産効果」は中国経済を回す原動力となり、高度成長を支えてきた。今、債務危機に苦しんでいる中国恒大集団といった民間不動産開発会社は、地方政府から土地使用権を買い取って大規模マンション群を建設。地方政府も高値で売れる土地使用権から莫大な財政収入を得る受益者だった。

中国恒大集団が手がける建設中のビル(9月、中国湖北省宜昌)=共同

地方政府にとって土地使用権は打ち出の小づちである。住宅の売り手である開発業者、買い手の富裕層とも皆が得する不思議な循環が成立していたのだ。共産党がこの便利なシステムを壊すはずがない。それが住宅神話の根拠でもあった。

それから5年あまり。かつての常識が通じない世界が出現しつつある。習近平が不動産税にこだわるのはなぜか。まずは若年層対策だ。最近も明確なサインを送っている。注目したいのは「内巻」や「寝そべり主義」という中国のインターネット上で話題になった2大キーワードだ。習は8月17日、党中央財経委員会での演説に若年層の社会問題に関するキーワードを埋め込み、警鐘を鳴らした。

「内巻」は中国の教育熱、競争社会と関係が深い。中国では小さい頃からみんな頑張るから、自分もそれ以上、頑張らないと追い付けない。だが得られる対価の総量は決まっているから結局、みんなが疲れ切ってしまう。そういう矛盾がにじむ流行語だ。

「寝そべり主義」は内巻へのアンチテーゼで、社会的な競争を拒む頑張らない草食系の態度やライフスタイルである。結婚はせず、自家用車を持つといった物欲に乏しく、高すぎる住宅を買うことにも全く興味を示さない。1990年代以降に生まれた若い世代の特徴だという。

習は演説で住宅高騰対策としての不動産税導入も明言した。今、不動産市場の改革に着手できれば、2022年共産党大会で共同富裕の実現に向けた一つの成果として誇示できる。積み上がった債務の償還に追われる地方政府の多くも以前と違って、長期的な安定財源になりうる不動産税導入に前向きになりつつある。税収の一部は、安価な公共賃貸住宅の建設にもあてられる見込みだ。

かけ足の不動産税導入、年内にも対象地域を公表

不動産税の導入には長い間、反対論が根強かった。中国経済を引っ張る不動産市場への悪影響が心配されていたのだ。11年から上海と重慶で2軒目以降の住宅などへの課税を試したが、その後、動きはぱったり止まった。そして今、中国では景気減速が鮮明になっている。ここに新税をぶつければ住宅市場が一段と冷え込みかねない。

21年末までに発表される見込みの5年間の試験導入の対象地域は、当初想定より数が絞り込まれる可能性もある。しかし、これはあくまで暫定的な措置になりそうだ。「習主席が22年以降も3期目を担うなら、立法措置を経て新税が各地で広く導入されるのは間違いない」。中国の税財政に詳しい関係者は予測する。

中国恒大集団の本社が入るビル(9月、中国広東省深圳市)=共同

中国の住宅神話の崩壊はすでに現実となりつつある。不動産の流通価格も見た目よりかなり下がっている。習近平長期政権による共同富裕への急傾斜によって、長く暴利を得てきたとされた不動産業界は一気に斜陽産業となった。これで終わりではない。同じくトップの意思を反映した速足の不動産税導入の破壊力は、目下の恒大集団の債務危機よりもはるかに大きい。(敬称略)

中沢克二(なかざわ・かつじ)
1987年日本経済新聞社入社。98年から3年間、北京駐在。首相官邸キャップ、政治部次長、東日本大震災特別取材班総括デスクなど歴任。2012年から中国総局長として北京へ。現在、編集委員兼論説委員。14年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。』