[FT]イラクのキングメーカー、ムクタダ・サドル師の素顔

[FT]イラクのキングメーカー、ムクタダ・サドル師の素顔
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB185XE0Y1A011C2000000/

 ※ 「イスラム世界」については、全くの門外漢だ…。

 ※ しかし、分析の「軸」としては、「政教一致」というものがあるような気がする…。
 ※ オレらは、あまりに「政教分離」の思考パターンに慣れている…。

 ※ しかし、イスラム世界、それも「シーア派」においては、厳然として、「政教一致」の思考軸があるようだ…。

 ※ イラン―イラク―アフガンのタリバン…、みんな「政教一致」の分析軸で括れるような気がする…。

 ※ そうでなければ、そもそも、「シーア派の最高位法学者の一族の御曹司」なんてものが、成立するはずも無い…。

『10月10日、ムクタダ・サドル師は黒いマスクをつけ、古びた銀色の三菱車に乗り込んだ。武装組織を率い、イスラム教シーア派の法学者でもあるサドル師は、イラクの議会選で投票に向かうところだった。それから丸2日もたたないうちに、イラク議会(国会)の最大勢力を指揮することが決まった。
イラクの新政権はサドル師の政党連合を軸に構成される可能性が高い(11日、イラク中部のシーア派聖地ナジャフでの勝利宣言)=ロイター

今回の議会選は、イラクの政治指導者のなかで最も選挙に強いサドル師の力を見せつける結果となった。サドル師の政党連合は獲得議席を、2018年の前回議会選の54議席から73議席(定数329)に伸ばした。11日の勝利宣言では、宗教とナショナリズムを、同師の支持者が望む政治体制の一新を絡めて論じてみせた。

「今後、イラクの政府と政党は資金や資源をコントロールしない。いずれも国民のものだからだ」。03年の米軍主導の「有志連合」軍によるフセイン政権打倒後、政治家の多くは石油輸出国機構(OPEC)で2番目の産油国である同国の資源が生む富を収奪したと見なされている。こうした国民の幻滅を意識し、サドル師は上記のように語った。イラク国民が同師からこうした約束を聞いたのは、これが初めてではない。

武闘派で、虐げられた人たちの擁護者を自称するサドル師は変わり身が早い。キングメーカーであり、イラクの多数派であるシーア派の名門法学者一族の御曹司だが、これまでに何度も自分のイメージを変えてきた。47歳となり、ひげが白くなったサドル師の姿はいまや、04年に英米が軸の占領軍への反乱を率い、その後は宗派間の血みどろの争いの前線に加わった当時の若者の面影を残していない。

父はシーア派の最高位法学者、配下に民兵組織

サドル師はなお、政府の支援を受けた武装勢力だと同師の支持者が主張する民兵組織「サラヤ・サラム(平和旅団)」を率いている。だが、先日「占領やテロ、あるいは人を誘拐し、恐怖に陥れ、国家の役割を損なう武装組織を排除して市民が平和に暮らす時が訪れた」と、厳かに宣言した。

サドル師が率いる国民運動「サドル潮流」の主要人物ディアア・アサディ氏は20代のころ、サドル師の父に仕えていた時、初めて同師に会った。(シーア派法学者で最高位の)グランドアヤトラとしてイラクで最も尊敬されたシーア派法学者の一人だとされたムハンマド・サーディク・サドル師がサドル師の父だ。ムハンマド・サーディク・サドル師はシーア派の教えと社会正義を混合した宗教復興運動を起こし、シーア派を抑圧していたサダム・フセイン大統領(当時)を公然と批判した。フセイン氏は広範なネットワークでつながるムハンマド・サーディク・サドル師の信奉者らを警戒し、1999年には同師の殺害を命じた。ムハンマド・サーディク・サドル師は、サドル師とは別の息子2人とともに三菱車で移動中に暗殺された。その車は、サドル師が10日、投票所に向かった際に利用した三菱車と同じモデルだった。

アサディ氏はサドル師を「非常にまじめだ」と評した。サドル師は性格がやや軽く、かつてはサドル潮流の活動をサッカーの試合になぞらえたこともあるが、人前にはあまり出ず、質素な暮らしを送ってきた。

サドル師はシーア派法学者として父親にかなわないが、2003年の米国主導の有志連合軍によるイラク侵攻後にサドル潮流を引き継いだ。その前のフセイン政権下で、ほかのシーア派の野党政治家と異なり、イラクにとどまった。サドル潮流の軸は首都バグダッドにあるシーア派のスラム街だ。ここはかつて「サダムシティー」と呼ばれていたが、フセイン政権崩壊後は「サドルシティー」に改められた。

米軍主導でイラクが占領されていた時代、サドル師と何回か会ったことのある研究者の一人は、シーア派の労働者階級の人気が高い同師を「予測不能で反抗的、さらに気分屋で自制心を欠く」と説明した。それでも「主に父親ののこした名声のおかげでアラブ世界の指導者がほぼ誰も成し遂げられなかったようなカルト的な支持層」を形成できたと指摘する。
米軍と衝突、すべての外国の介入排除を主張

有志連合軍がフセイン政権の転覆を果たし、サドル師は当初、これを支持したが、すぐに米軍主体の占領軍と衝突した。占領軍は、親米欧のシーア派法学者が03年に殺害された件に関与した疑いでサドル師の「殺害もしくは捕獲」を命じた。04年になると、サドル師は反撃を始めた。反米蜂起は血みどろの内戦状態につながった。戦闘はスンニ派とシーア派のそれぞれの過激派組織、イラク国軍、外国の駐留軍の間で繰り広げられた。サドル師に関する著書があるパトリック・コックバーン氏によると、同師の武装組織「マハディ軍」はイランの支援を得て「スンニ派に対するシーア派の軍事攻撃の最前線」にいた。
イラク中部のシーア派聖地ナジャフで、サドル師の政党連合の勝利を喜ぶ支持者ら(11日)=ロイター

米国の支援を受けたイラク政府が大規模な攻撃を仕掛けると、サドル師はマハディ軍を解散した。その後、サドル師とイラン政府との関係は曖昧になり、すべての外国の介入に反対するナショナリストの立場を取りながら、何度もイランにあるシーア派聖地コムに身を隠し、イスラム法を学んだ。

政治活動を開始した際、サドル師は自らが虐げられた人々の擁護者に映るよう演出した。イラクの市民が国を食い物にする政治家に幻滅するようになると、街頭に配下の戦闘員を送り、反汚職を訴える抗議デモを主導した。16年にはサドル師の支持者たちが「グリーンゾーン」(各国大使館やイラク議会があるバグダッド中心部の1マイル四方を壁で囲った米軍管理区域)に侵入し、議員たちに暴力を振るった。サドル師の影響力はだんだんと強まり、注目されるようになった。17年には、同様に若きポピュリスト(大衆迎合主義者)であるサウジアラビアのムハンマド・ビン・サルマン皇太子がサドル師をサウジに招いた。

サドル師にはアウトサイダーのイメージがあるが、同師の支持者はイラク政府の一翼を担うようになった。18年の前回議会選でサドル師の政党連合は第1党となり、いくつかの省庁を掌握した。ポストと恩恵を支持者に分配できるようになった。19年に反エスタブリッシュメント(支配層)を掲げる市民らの広範なデモが起きると、サドル師は当初、これを支持した。だが、その後、態度を変えたため、デモに参加した若年層はサドル潮流に対し不信感を抱くようになった。

サドル師が呼びかける相手はいま、筋金入りの支持層に限られる。アナリストのハリス・ハサン氏によると、サドル師の集票マシンは「新しい選挙制度を巧みに利用し、その投票パワーをフルに発揮した」。議会の第1党を維持したが、(単独で過半数には達しなかったため)サドル師は新内閣の発足に向け、ほかの勢力と交渉しなければならない。相手の勢力の一部は武装しており、選挙結果を認めないケースもある。(サドル師の支持者以外の)多くのイラク国民はサドル派も腐敗していると訴えている。「腐敗した人はみな責任を問われる」というサドル師の姿勢が試される。

By Chloe Cornish

(2021年10月16日付 英フィナンシャル・タイムズ電子版 https://www.ft.com/)

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