ルビコン川を渡った豪州、米中はざまのアジアに波紋

ルビコン川を渡った豪州、米中はざまのアジアに波紋
アジア総局長 高橋徹
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM262OU0W1A920C2000000/

 ※『日韓や北大西洋条約機構(NATO)メンバーなど30を優に超す同盟国の中で、米国が虎の子の原潜技術を提供するのは、英国に次いで2カ国目だ。また非核兵器保有国が原潜を持つのは世界初の事例となる。いくつもの横車を押す形で、豪州が「ルビコン川」を渡ったのは、平和的台頭をかなぐり捨てた中国との抜本的な関係修復を見限った証左とみていいだろう。』

 ※『米国の衰退と中国の台頭は、避けられない歴史の必然との指摘もある。にもかかわらず自らの振り子を大きく米側へと振った豪州の決断を、豪ローウィー研究所の国際安全保障プログラムディレクター、サム・ロッジヴィーン氏は「同盟の耐久性、そして米がアジアにとどまり続ける可能性への長期的な賭け」と評する。』という2点がポイントか…。

『秘匿性に秀でた原子力潜水艦も顔負けの隠密作戦だった。

オーストラリアと英国、そして米国の英略字を連ね、15日に創設を表明した安全保障協力の新枠組み「AUKUS(オーカス)」。目玉は米英から豪州への原潜技術の供与である。豪の次期潜水艦を巡っては2016年、フランスからディーゼル艦を導入する契約を結んでいた。それを一方的に破棄し、米英の原子力艦へ乗り換える。寝耳に水だった仏は猛反発し、米豪から大使を召還する騒ぎに発展した。

豪紙ガーディアン・オーストラリアによると、極秘協議は1年半前に始まり、今年3~4月から本格化した。当初は豪英のみだった枠組みに米国も加わった。6月に英国で開いた主要7カ国首脳会議(G7サミット)にモリソン豪首相がゲスト参加した際、バイデン米大統領、ジョンソン英首相と3人の会談で大枠を固めたという。

同盟国のはずの米英に横取りされた仏の怒りは当然だろう。根回しが済んでいないこのタイミングで、拙速に発表したのはなぜか。

豪州は次期潜水艦をディーゼル艦から原子力艦へと切り替える(現行のコリンズ級潜水艦)=ロイター

バイデン政権は8月末、イスラム主義組織タリバンの全土制圧に背を向け、20年間駐留したアフガニスタンからの米軍撤収を強行した。中国抑止へインド太平洋地域への注力を強調したが、アジアには「米は自国第一ではしごを外す」との疑念も生じた。

9月24日には日豪印との協力枠組み「Quad(クアッド)」の初の対面首脳会議も控えていた。アジアにとどまり、むしろ踏み込んで関与するとの姿勢を、その前に表明したかった事情が透ける。

AUKUSの創設には、2つの決定的な選択が絡み合っている。

ひとつは米国が仏より豪州との関係を重んじたことだ。それは軍事面でロシアと対峙する欧州より、経済や技術革新の面でも自国の覇権を脅かし始めた中国と向き合うアジアの方が、優先度が高いことを示す。

さらに重要なもうひとつは、豪州が中国より米国を選んだことだろう。

米豪の同盟関係は、1951年にニュージーランド(NZ)を含む3カ国で結んだANZUS(アンザス)条約が起点だ。非核政策に転じたNZが米原潜の入港を拒み、米国がNZへの防衛義務停止を表明した86年以降は、実質的に2国間の同盟となっている。

ジョン・ハワード元首相がかつて「豪州は米国の副保安官」と語ったように、豪は常に忠実な同盟国を演じてきた。朝鮮半島やベトナム、アフガン、イラクでの戦争から「テロとの戦い」まで、求められれば必ず出兵した。2003年のイラク戦争時に仏が派兵を拒んで対米関係を悪化させた過去は、今回の米国の選択を考えると興味深い。

ただ、南半球に位置する大陸国家の安保は、日韓やフィリピン、タイというアジアの他の米同盟国に比べると、昔の共産化ドミノや最近の軍事的脅威の面で、切迫感が薄かったのも事実だ。米同盟の重心が北へと移っていったのは自然な流れだった。

そこに中国の「平和的台頭」が重なった。01年の中国の世界貿易機関(WTO)加盟以降、豪中の経済関係は急速に強まり、05年には対中貿易額が対米を逆転した。その差は直近で4倍超にまで広がっている。

安保でも経済でも、以前は米国が最大のパートナーだったが、中国の台頭で2つが乖離(かいり)し始めた。そして安保より経済を優先するようになる。対中配慮から、08年には今のQUADの前身である日米豪印の4カ国戦略対話を離脱し、合同軍事演習「マラバール」からも脱退した。中国とは15年に自由貿易協定(FTA)を結び、中国主導のアジアインフラ投資銀行(AIIB)へ出資するなど、傾斜を深めていった。

アンバランスの極みは17年1月だったろう。トランプ米政権が発足と同時に環太平洋経済連携協定(TPP)から離脱すると、当時のターンブル首相は代わりに中国の加盟へ期待を表明した。直後の米豪首脳の電話協議は、豪国内の難民を米が受け入れる合意を巡って険悪な雰囲気となり、トランプ氏が一方的に打ち切る場面すらあった。

そんな流れは17年11月に一変する。豪州の野党議員が中国企業から多額の献金を受け取り、南シナ海問題で中国寄りの発言をしていたことが発覚したのだ。「中国による内政干渉」と世論が沸騰し、豪政府は18年に高速通信規格「5G」のインフラ整備から華為技術(ファーウェイ)や中興通訊(ZTE)を締め出す措置をとった。

かつての豪中関係は蜜月ぶりが目立っていたが…(16年4月、北京で会談したターンブル前首相と習近平国家主席)=ロイター

そして20年4月、モリソン政権が新型コロナウイルスの発生源の独立調査を求めたことで、豪中関係は決定的に悪化した。中国は大麦や食肉など豪産品の輸入を制限する経済報復に走った。エスカレートする威圧に屈せず、豪州が香港や新疆ウイグル自治区の人権侵害で対中批判を強めたことで、両国関係は抜き差しならない状況に陥った。

懸念は経済報復だけではない。以前は南半球まで中国のミサイルが飛んでこないと楽観視していたであろう豪州だが、中国の長距離ミサイルの開発、南シナ海の埋め立てと軍事基地化で、そうした前提は崩れつつある。直接攻撃されずとも、海軍増強にひた走る中国が海上輸送の妨害に動けば、豪は大打撃を受ける。豪の原潜配備に対し、中国共産党系メディアの環球時報は「たとえ核兵器を装備しないと言っても、核戦争が起きれば、豪が攻撃の標的になる可能性がある」と脅しめいた論評を掲載した。

日韓や北大西洋条約機構(NATO)メンバーなど30を優に超す同盟国の中で、米国が虎の子の原潜技術を提供するのは、英国に次いで2カ国目だ。また非核兵器保有国が原潜を持つのは世界初の事例となる。いくつもの横車を押す形で、豪州が「ルビコン川」を渡ったのは、平和的台頭をかなぐり捨てた中国との抜本的な関係修復を見限った証左とみていいだろう。

安保は米国、経済は中国と都合よく使い分けてきたのは、東南アジア諸国連合(ASEAN)など他のアジア諸国も似たり寄ったりだ。「米中どちらかを選べない」(シンガポールのリー・シェンロン首相)という中立姿勢は、大国の覇権争いのはざまで生きるミドルパワー国の処世術でもある。

米国の衰退と中国の台頭は、避けられない歴史の必然との指摘もある。にもかかわらず自らの振り子を大きく米側へと振った豪州の決断を、豪ローウィー研究所の国際安全保障プログラムディレクター、サム・ロッジヴィーン氏は「同盟の耐久性、そして米がアジアにとどまり続ける可能性への長期的な賭け」と評する。

それはバイデン政権が「民主主義VS専制主義」と位置づける中国との対立下で、前者の繁栄の持続可能性へ賭けたとも言い換えられる。必ずしも民主国家ばかりではないアジアの国々は立場が異なるものの、中国が過敏に反応するなかで、米中どちらかの側かという「踏み絵」を迫られる場面が、今後は増えていきそうな気配である。

=随時掲載

高橋徹(たかはし・とおる) 1992年日本経済新聞社入社。自動車や通信、ゼネコン・不動産、エネルギー、商社、電機などの産業取材を担当した後、2010年から5年間、バンコク支局長を務めた。アジア・エディターを経て、19年4月からアジア総局長として再びバンコクに駐在。論説委員を兼務している。著書「タイ 混迷からの脱出」で16年度の大平正芳記念特別賞受賞。』